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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常46

 シャムは気になっていた。吉田の『私的な通信』という言葉。最近特に耳にすることが増えてきていた。吉田についてシャムが知っていることは意外に少ない。二人が初めて出会ったのは遼南の戦場だった。
 遼南を二分した内戦。北部の人民軍と同調する北兼軍閥、東モスレム三派連合、東海軍閥と南部の共和軍と南都軍閥と介入していたアメリカ軍との戦いの中二人は敵味方として出会った。共和軍は多数の傭兵を使って戦意の低い自軍を支えていた。そんな傭兵の中でも屈指の腕利きとされたのが吉田俊平率いる部隊だった。
 彼は望んで亡命師団や胡州浪人で構成された精強部隊の北兼軍閥、つまり嵯峨惟基支配下の部隊と対峙した。その中にはオリジナル・アサルト・モジュール『クロームナイト』を駆るシャムの姿もあった。戦いは一撃で終わった。傭兵部隊の背後を潜入した特殊部隊で急襲した嵯峨は返す刀で吉田の部隊を挟撃。奮闘むなしく吉田の部隊は壊滅し、彼もシャムの手で討たれたはずだった。
 その後アメリカ軍が撤退し、南都軍閥に見限られて死に体の共和軍との死闘直前、女性の姿で吉田は現われた。
「とりあえず空いてた義体を有効に使ってやろうと思ってね」 
 減らず口をたたくところはその後の吉田そのものだった。その後嵯峨と吉田が何かを話していたのを覚えている。だがシャムは吉田にそのことについて深く聞くことは無かった。後で分かったことだが、その義体は要の予備の義体だった。
「本当に最近変だよ」 
 シャムの心配にただ曖昧な笑みで応える吉田。その目はそれ以上何も聞いてくれるなと哀願しているような悲しさを湛えていて、思わずシャムは黙り込んでしまっていた。
 道はそのまま住宅街の中へと続いていく。豊川市。東和共和国の首都東都の西に位置するベッドタウンらしい光景。あまりにも身近であまりにも慣れた光景。いつもなら何事も無く通過してしまった小学校の校門ですら吉田の異変が気になるこの頃では目新しいものに見えてくるのがシャムには不思議だった。
「ちゃんと静かに入るんだぞ。鍵はあるか?」 
「馬鹿にしないでよ。ちゃんと……」 
 シャムはジャンバーのポケットを探る。バイクのキーと一緒にまとめられた鍵。こういうときに見つからないことが多いので見つかって安心したようにため息をついた。
「ため息か……飲み過ぎじゃないのか?」 
 吉田の軽口に笑顔で応えた。そのまま車は大通りに一件だけの魚屋の前で止まった。
「早く下ろすぞ」 
 すぐさま吉田はエンジンを止めて車から降りる。シャムはそのままシートを超えて後部のスペースに固定されたバイクに手を伸ばした。
 バイクにはロープが巻き付けられていた。実に慣れた手つき。保安隊創立以降、こうして何度この古ぼけたバンの貨物室にくくりつけられてきたのか。シャムは思わず笑ってしまっていた。
「おい、早くしろよ」 
 開いた後部ハッチから顔を出す吉田にシャムは照れ笑いを浮かべた。そのまま慣れた手つきで手早くロープをほどいていく。
「傷は付けるなよ。骨董品なんだから」 
 憎まれ口を叩く吉田に愛想笑いを浮かべながらシャムはほどいたロープを手早くまとめてバイクに手をかけた。
 静かに、あくまでも静かにとシャムはバイクをおろしにかかった。
「ゴン!」 
「あ……」 
 バンパーにこれで十三度目の傷が勢い余って切ってしまったハンドルによって付けられた。
「だから言ったろ?」 
「は……ああ」 
 思わずシャムは照れ笑いを浮かべた。そしてすぐに周囲を見渡す。静まりかえった住宅街、見上げると魚屋の二階の一室だけが煌々と明かりをともしている。受験生佐藤信一郎は今日も勉強をしているようだった。
「聞こえたかな?」 
「多分な」 
 吉田はそれだけ言うと静かにバンのリアの扉を閉めた。
「それじゃあ俺は帰るわ」 
「え?お茶でも飲んでいけばいいのに」 
「あのなあ……一応下宿人としての自覚は持っておいた方がいいぞ」 
 苦虫をかみつぶしたような顔をした後、吉田はそのまま車に乗り込む。
「じゃあ、明日」 
 それだけ言うと吉田は車を出した。沈黙の街に渋いガソリンエンジンの音が響く。犬が一匹、聞き慣れないその音に驚いたように吠え始める。
 シャムは一人になって寒さに改めて気づいた。空を見上げる。相変わらず空には雲一つ無い。
「これは冷えるな」 
 なんとなくつぶやくとそのままシャムはバイクを押して車庫に入った。『佐藤鮮魚店』と書かれた軽トラックの横のスペースにいつものようにバイクを止める。鍵をかけて手を見る。明らかにかじかんでいた。
 そしてそのまま彼女は裏口に向かう。白い息が月明かりの下で長く伸びているのが見えた。
 戸口の前で手に何度か息を吹きかけた後、ジャンバーから鍵を取りだして扉を開く。
「ただいま……」 
 申し訳程度の小さな声でつぶやいた。目の前の台所には人影は無い。シャムはそのまま靴を脱いでやけに大きめな流しに向かう。
 鮮魚店らしい魚の臭いがこびりついた流しの蛇口をひねる。静かに流れる水に手を伸ばせば、それは氷のように冷たく冷えた手をさらに冷やす。
「ひゃっこい、ひゃっこい」 
 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら手を洗うとシャムは静かに水を止めた。
 シャムは背中に気配を感じて振り向く。
「ああ、お帰り」 
 そこには寝間着にどてらを着込んだ受験生の姿があった。
「何してるの?」
「いいじゃないか、牛乳くらい飲んでも」 
 信一郎はそう言うと冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。
「あ、アタシも飲む」 
「え……まあいいけど……酒臭いね」 
「そう?」 
 信一郎の言葉に体をクンクンと嗅ぐ。その動作が滑稽に見えたのか信一郎はコップを探す手を止めて笑い始めた。
「なんで笑うのよ!」 
「だって酒を飲んでる人が嗅いでもアルコールの臭いなんて分かるわけ無いじゃん」 
 そう言いながら流し台の隣に置かれたかごからコップを取り出した信一郎は静かに牛乳を注いだ。
「アタシのは?」 
「ちょっと待ってくれてもいいじゃん」 
 そう言うと注ぎ終えた牛乳を一息で飲む。その様子に待ちきれずにシャムはかごからコップを取り出して信一郎の左手に握られた牛乳パックに手を伸ばした。さっと左手を挙げる信一郎。小柄なシャムの手には届かないところへと牛乳パックは持ち上げられた。
「意地悪!」 
「ちゃんと注いで上げるから」 
 まるで子供をたしなめるように信一郎は牛乳パックを握り直すと差し出す。シャムはコップをテーブルに置いた。信一郎は飲み終えたコップを洗い場に置くとそのままシャムのコップに牛乳を注いだ。
「でもお姉さんは飲むのが好きだね。これで今週は三回目じゃん」 
「まあつきあいはいろいろ大変なのよ」 
「本当に?」 
 憎らしい眼で見下ろしてくる信一郎の顔を一睨みした後、シャムは牛乳を一口口に含んだ。
 口の中のアルコールで汚れた物質が洗い流されていくような爽快感が広がる。
「いいねえ」 
「親父みたい」 
 信一郎の一言にシャムは腹を立てながらも牛乳の味に引きつけられて続いてコップに口を付けた。
「お姉さんさあ……」 
 いつもはこんなシャムの姿を見て立ち去るはずの信一郎が珍しくシャムにものを尋ねようとしている。その事実に不思議に思いながらシャムは口に当てていたコップをテーブルに置いた。
「保安隊の隊長……嵯峨惟基って人。遼南皇帝ムジャンタ・ラスコーなんだよね?」 
「どこで調べたの?」 
 意外だった。ただの受験生が知るには同盟の一機関の指揮官の名前はマイナーすぎる。そしてその名前と現在静養中と遼南が表向きは発表している皇帝の名前がつながるとはさすがのシャムも驚きを隠せなかった。
「ネットで調べればある程度のことは分かるよ。まあ一般的な検索サイトでは出てこないつながりだけど」 
「アングラ?手を出さない方がいいよ」 
 シャムの頬につい笑みが浮かんでしまう。その筋では化け物扱いされている吉田と先ほどまで同じ車に乗っていた事実がどうしても頭を離れない。
「そんなことどうでもいいじゃないか……どうなの?」 
 信一郎の言葉に曖昧な笑みを浮かべるとシャムは残っていた牛乳を飲み干した。
「知ってどうなるものでもないよ。……むしろ知らない方がいいことの方が多いんだ」 
「ずいぶん大人みたいな口を聞くね」 
 嫌みを言ったつもりか見下すような信一郎の視線をシャムは見返した。その目を見た信一郎の表情が変わる。まるで見たことのない動物を見かけてどう対処していいか分からないような目。シャムは自分が戦場の目をしていることにそれを見て気がついた。
「だって大人だから」 
 そう言い残してシャムは立ち去る。信一郎はただ黙ってシャムを見送った。背中に刺さる視線がいつものシャムに向けるそれとは明らかに違っているのが分かる。だがそれも明日の朝にはいつもの目に戻っている。シャムはそう確信していた。
 台所を出て隣はバスルーム。シャムはとりあえず顔を洗うことにした。
 冬。隊でシャワーを浴びただけだが汗はまるでかいていない。風呂場のお湯はこの時間は落ちている。深夜のシャワーは気を遣うのでシャムは嫌いだった。
「明日にしよ」 
 洗面所の蛇口をひねる。台所と同じ冷たい水が当然のように流れる光景にシャムは先ほどの信一郎の問いで毛羽だった自分の神経が静まっていくのを感じていた。
 静かに水を両手で受けて顔に浴びせる。
「冷たい!」 
 アルコールで火照った顔の皮膚を真冬の水道水が洗い清める。シャムはその快感に何度も浸ろうと手に水を受けては顔に浴びせてみた。
 ひんやりとした肌の感覚。シャムは次第に酔いが醒めていくのを感じていた。
「まあいいか」
 そのままシャムは振り返ると台所に出た。信一郎の姿はすでにそこにはなかった。安心してシャムはそのまま階段を昇る。
 年代物の木造住宅らしいきしみ。家人が起きるのではないかといつもひやひやしながら一歩一歩昇っていく。深夜ラジオの音量が漏れる信一郎の部屋を背にそのままシャムは自分の借りている一室にたどり着いた。
 いつものことながら安心できる。電気を付けたシャムはいつもそうしているように部屋の中央にちょこんと座った。
 ふと近くの家具屋で目にした古めかしい本棚。その無駄に頑丈そうな木の枠の中にはお気に入りの漫画。その隣にはクローゼット。量販店で見つけた安物なので好きにアニメキャラのシールを貼って遊んでいる。
 それを見るとシャムは自然と着ていたジャンバーを脱ぎ始めた。
 立ち上がり、扉を開き、ハンガーにそれを掛ける。夜中の暖房のない部屋は正直寒いがそのくらいの方がシャムには気分が良く感じられた。
 そのままシャツとスカートを脱ぎ、クローゼットの下の引き出しの中のパジャマを手に取る。
「やっぱかっこいいな」 
 アニメショップで買った戦隊もののジャージの上下がシャムのお気に入りのパジャマだった。そのまま寒さに急かされるようにしてそれを着込むと今度は反対側の押し入れの前に立った。
 こちらには劇場版アニメのポスターが貼り付けられている。シャムがお気に入りの繊細な少年パイロットの顔を一瞥した後、おもむろに引き戸を開いた。
 布団。寒さの中で見るととても素敵なオアシスに見える。にやつく笑みを押し殺すとシャムはそのまま布団を引きずり出した。
「重い」 
 思わずつぶやく。思えば今週は一度も干していなかった。明後日が休みだが野球部の練習試合が控えている。
「どうしようかな……」 
 迷いつつシャムは敷き布団を選び出して畳に広げる。先月買い換えたばかりなので真新しいがどうにもその重さが気になっていた。そのまま手早く敷き布団を押し広げ、シーツをかぶせる。ふかふかのシーツはどうも苦手なのでシーツはいつも薄い生地のものを選ぶのがシャム流だった。
 部屋の隅に押し込まれていた毛布と掛け布団をその上に載せ、巨大怪獣をディフォルメした抱き枕を抱えてシャムはそのまま布団の上に座った。
「今日も一日……疲れたなあ」 
 本来ならここでビールだ。などと考えているうちに目が時計に向く。ちょうど深夜12時を指していた。
「ちょうどいい時間だな」 
 シャムはそう言うと部屋を見渡す。いつもの見慣れた光景もこうしてみると味わいがあるように見えた。
 好きなもので満たされた部屋。それは夢のように見えた。彼女はそれなりの給料はもらっている。世知辛いところはようやく学んだばかりの運行部の人造人間の女性士官達はシャムの奇妙に質素な生活を不思議だという。
 それでもシャムは満足していた。安心して眠れる場所がある。それだけで十分な上に好きなアニメのグッズはそれなりに持てるし、漫画を描く画材も買い放題。それ以上のことをシャムは望んではいない。
「世はすべてこともなし」 
 どこかで聞き覚えた言葉を口にすると自然と笑みが浮かんできた。
 この下宿にも満足している。家族を知らないシャムには奇妙で滑稽で楽しい佐藤家の人々。気むずかしい信一郎もいるが彼も要するにまだ若いだけだった。
 シャムは安心の中で部屋の電気を消した。
 暗闇。急に訪れる孤独。でもそれがかりそめの者に過ぎないことが分かる今。シャムはただ笑みを浮かべて布団の中に潜り込んだ。
 目をつぶる。
「明日……朝ご飯はなにかな?」 
 自然に想像が食べ物に向かう。いつもの自分の発想に思わず苦笑いを浮かべながら目を閉じた。
 つらいことが思い出されるかもしれない。深夜、眠りにつく度にシャムはそんなことを考えていた。飢えと寒さの遼南の森。そこで出会った人々との様々な出会いと別れ。
 多くは血塗られた遼南の歴史にふさわしい悲劇で幕を閉じたその別れを夢に見る度に涙に濡れて目が覚める恐怖が頭をよぎる。
「起きようかな……」 
 思わずつぶやいてみる。でもそれでも次第に睡魔がシャムをゆっくりと取り込んでいく。
 今は仲間がいる。かつてのぎりぎりの死を意識していた悲壮な顔の仲間達とは毛色の違う安心できる仲間達。
「私がしっかりしないといけないんだよね」 
 自分に言い聞かせるようにそう言ってみた。沈黙する闇の中に自分の言葉が響く。
 自然とまぶたが閉じ、意識が薄れる。
「明日は何があるかな……」 
 そんな自問自答の中。シャムは自然体で眠りの中に落ちていった。



                                       了


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常45

 しばらく黙って下を向いている吉田に静かに近づいていくシャム。
「くだらないことなら止めておけ」 
 急に目を開いた吉田の一言にシャムは驚いたような顔をする。
「進歩がないな……行くぞ」 
 そう言うと吉田は立ち上がった。ビールは二瓶は飲んでいるが、すでにアルコールは完全に彼の体から抜けているのはいつものことだった。
「カウラちゃん。運転はだめだよ」 
「ああ、代行を頼むが……」 
 シャムとカウラは自然と倒れた誠達に目を遣る。いつもなら全裸の誠にいたずら書きをする要だが、今日はランと明石がいるので珍しく殊勝にパンツを履かせていた。
「久しぶりに見るとおもろいな」 
「人ごとだと思いやがって」 
 混乱を楽しむ明石を苦々しげな視線で見上げるラン。シャムは大きくため息をつくとそのまま階段を下りるラン達に続いていった。
「お愛想!」 
 明石はそう言いながらそのまま出てきた春子とともにレジに向かう。シャムは何となく疲れたような感じがして誰もいない一階を黙って通り抜けて外に出た。
 空は晴れ上がっていた。北風が強く吹き抜ける中、雲一つ無い空には大麗の姿が見て取れる。
「ああ今日も晴れか……明日も晴れそうだな」 
 出てきた吉田が声をかける。シャムは静かに頷く。
「明日もいい天気だといいね」 
「まあな。雪でも降られたら面倒なだけだ」 
 吉田はそう言うとそのまま歩き出す。
「おう、車を出してくるから。明石にはよろしく言っといてくれ」 
「勝手なんだから!」 
 シャムは手を振る吉田を見送りながら叫ぶ。街の深夜の明かり。いつものことながら人通りは絶えることがない。
「吉田はまた勝手に行っちまったのか?」 
 引き戸を開けて出てきたランが顔を顰める。シャムは頭を掻きながらランが開けた店の中を覗き込んだ。
 寝ぼけているように突っ立っているアイシャ。不格好に無理矢理服を着せたのがすぐに分かる姿の誠を背負う要の姿がいつものことながら滑稽に見えた。
「アイツ等も進歩がねーな」 
「それもええんとちゃいますか?」 
 呆れるランをたしなめるようにそう言うと明石は携帯を取り出した。
「なにか?タクシーでも呼ぶのか?ならアタシも乗せてけよ」 
 ランの注文に頷きつつ明石はつながった電話と話し始める。
「ごちそうさまでした!」 
 さっぱりした表情のパーラの礼。明石は軽く手を挙げる。サラもそれにあわせるように頭を下げそのまま駅の方に歩き始める。
「全く、女将さんには頭があがらねーや」 
 ランの苦笑いにシャムも自然と頭を下げていた。そこに急に現われるワンボックス。
「明石、先に失礼するな」 
 顔を出した吉田に電話を握ったまま明石が手を振った。シャムはそのまま車道に出てワンボックスの助手席に乗り込む。
「いいの?もう少しカウラちゃん達がどうなるかとか見て無くても……」 
「餓鬼じゃないんだから自分でなんとかするだろ?」 
 吉田はそれだけ言うと車を走らせる。すでに深夜と呼べる時間だが繁華街を歩く人は多い。多くが頬を赤く染め、機嫌が良さそうに歩き回っている。
「平和だね」 
 シャムの言葉に吉田は静かに頷いた。すぐにアーケードは途切れ、シャッターの閉まった商店街の中へと車は進み、信号で止まる。
「それよりお前の所……静かに入れよな」 
 気を利かせたように吉田が言った言葉にシャムは頷く。今日はそれほど酔ってはいなかった。何となくいつも通りの一日。
 車が走り出すと周りの景色が動き出す。花屋、金物屋、模型店。どれも光るのは看板だけでシャッターは閉まり繁華街のように人が出入りする様子もない。時々見かけるのは会社帰りのようなサラリーマンやOL。誰も彼も取り付かれたように早足でこの商店街から抜け出すように歩いている。
 大通りが見えたところで吉田は車を路側帯に止めた。
「どうしたの?」 
 シャムの問いに弱々しげな笑みを浮かべる。吉田がこういう顔をするときは彼のネットと直結された脳髄になにがしかの情報が入力されていることを意味していた。
「なんでもないさ……私的な……本当に私的な通信だ」 
 それだけ言うと吉田はウィンカーを出して再び車を走らせた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常44

「ご苦労さん」 
 明石は茶漬けを受け取るとそう言って笑った。こういうときでもサングラスは外さない。隣のランも楽しげに茶漬けに箸を伸ばす。
 軽く茶碗の中をかき混ぜると明石は静かに汁を啜り込んだ。
「ええなあ、こういう時の茶漬けは」 
 しみじみとそう言いながら黙って座っているシャムを見つめる。少しばかり恥ずかしそうに箸を持った手で頭を掻くと明石は静かに茶碗を置いた。
「ナンバルゲニア。聞きたいことがあるんちゃうか?」 
 突然の明石の言葉にシャムはあまさき屋に着いてから常に疑問に思っていたことを思い出した。
「うん、あるよ」 
「ならはよう言わんとな……神前のことか?」 
 静かな調子でつぶやく明石にシャムは素直に頷いた。しばらく遠くを見るように視線をそらす明石。その先には裸で寝っ転がっている誠がいた。
「ワシが帝大の野球部に入ったときはひどいもんやったわ」 
 昔を思い出す表情。明石にどこか照れのようなものが感じられてついシャムは意地悪な笑みを浮かべてしまう。それを知って知らずが明石は言葉を続ける。
「入学前から知っとったが帝大野球部は29期連続勝ち星なし。しかも平均失点が8点。そのほとんどが5回以内で先発が捕まって勝負が決まっとる……そんなチーム。どない思う?」 
 シャムは突然明石に話題を振られて戸惑うように首をかしげた。シャムはそのようなチームに所属したことは無い。遼南の出身高校の央都農林高校は強豪校で知られ、シャムと同期には後に東都でプロになった速球派のエースがいた。ピッチャーが粘るから打線も守りも手が抜けない。そんな環境を経験してきたシャムには未知の世界。明石は笑顔を浮かべた。
「入った直後は一年坊主や、ワシも。確かに高校時代はそれなりに打撃で顔は知られとったがいきなりブルペンで球を受けろと監督に言われたときは肝を冷やしたわ。ぽこぽこ打ち返されることで有名な投手陣と言ってもみんな先輩や。下手に『これならワシでも打てまっせ』なんて言おうもんならどないなことになるか……」 
 そこまで言うと明石は再び茶漬けに手を伸ばす。静かに一口啜り込むとじっと口の中で味わっているように視線を落とす。シャムがそんな明石から目を離すと隣で明石の話に聞き込んでいるランと岡部の姿があった。
「正直びくびくもんや。どんなひょろひょろ球が来るか……逆に怖かったくらいや……で、どんな球が来たと思う?」 
 急に問い返されて慌てたシャム。顔が赤く染まるのが自分でも分かる。そんなシャムを面白そうに楽しんだ後、明石は口元を引き締めた。
「ちゃんとええ球が来たんでびっくりしたわ。キャッチボールの時の球に毛が生えたようなのが来る思うとったのがびしばしミットに響く力のある球や。二年生の補欠まで受けたが数人外れは確かにおったが……なんであんなに打たれるのか不思議な感じがしてな……」 
 明石はそう言うとじっとサングラス越しにシャムを見つめる。シャムは話がようやく本題に入ってきたのに気づいて握る手に力を込めた。
「そこで、ワシは言ったわけやが……」 
 明石の言葉にシャムは息を飲んだ。沈黙が場を支配する。いつの間にかランも岡部も箸を休めて明石の言葉に聞き入っていた。
「なんて言った思う?」 
「……うーん……」 
 考えるシャム。打たれるはずがないのに打たれる。シャムは今回の誠が初めて見るケースだった。それを18歳で目にした明石。その言葉がどんなものだか想像もつかない。
「分からんか?」 
「……うん」 
 渋々認めるシャムににんまりと笑顔を浮かべて見せる。明石はそのまま茶碗を手に取ると再び一口汁を啜った。
「打たれてみ、言うたったわけや。ええやん。打たれとうないって投げて打たれるんなら打たれて当然や思うて打たれた方が気が楽やろ?」 
「でもそしたら打たれるよ」 
 シャムの言葉に明石は意味ありげに誠を見る。シャムもその視線を追った。確かに誠は打たれなかった。おそらく明石が言ったのも先ほどと同じ言葉だろう。
「でもなんで?」
 素直なシャムの疑問に明石は大きく頷いた。
「あのなあ。母校やから言うんとちゃうが一応帝大は最高学府や。アホは入れん大学や。そこで酔狂に野球を仕様なんて言う輩はそれなりの覚悟があってやっとる。最低限の時間でできる筋肉トレーニング。より速い球を投げるためのフォームの修正。変化球の微妙な握りを研究しての独特な変化をする持ち球。一つ一つは野球一本でやってきた実業大やらの連中にも負けへんものがある……では無いのはなんや思う?」 
「ええと……自信かな?」 
 シャムのとりつくような言葉に明石は満足げに頷いた。
「それやねん。実績言うものは人を大きくするもんや。実力が同じでも実績が違えば出せる力の差は数倍にも跳ね上がるもんや。自信を持て言うて持てるならワシかて誰にだって一日中言い続けてもええ思うがそれは無理な話やからな。自信が無いところからの出発……難しいで」 
 それだけ言うと明石は手にしていたどんぶりから一気にお茶漬けをのどに流し込む。その見事な姿にシャム達は目を引きつけられた。
「でも……打たれていいのと自信とどう関係するの?」 
 食べ終わって一息ついた明石にシャムは尋ねた。明石はただじっと茶碗を見つめた後、静かにそれを鉄板の隣に置いた。
「自信をつけるには実績が一番の薬やけど……これを手にするのはなかなか難しい。正直、才能が上の相手を迎え撃ってそれを倒してこその自信やからな……なかなか難しい」 
 まるで自分に言い聞かせるように明石はそう繰り返した。
「そやけどそれが面白い」 
 にやりと笑う明石。シャムもつられて笑っていた。
「神前の時もただワシはキャッチボールで肩を作らせただけやねん。最初からベルガー、お前さん、クラウゼを相手に好きに投げてみて言うただけや」 
「でもちゃんと押さえたよ」 
 シャムの言葉に大きく頷く明石。そして静かに明石はサングラスを外した。大きな頭に不釣り合いな小さな細い目がシャムを捉える。
「結果は一番ええことになった。でもな、押さえんといても次押さえればええと思えるようになったんとちゃうやろか?打たれて当然や。そう思っとって気がついたら押さえられとる。その時にどこからかわいてくる自信。それを待つより他に策は無い」 
「ずいぶんとまー気長なことだな」 
 話を黙って聞いていたランが呆れてつぶやく。
「先任。下手な考え休むに劣る言うことですわ。結局30期で連敗は脱しましたから御の字で」 
 そう言って明石はサングラスをかけ直すと大声でからからと笑った。シャムもつられて笑っている。
「おい、タコ。もう締めようや」 
 手にしたテキーラの瓶が空になったのか振り回しながら要が声をかけてくる。明石は満足したように頷いた。
「おう、もうええやろ……ラビロフの機嫌もようなったみたいやからな」 
 シャムがちらりと明石の視線をたどるとサラと笑いあっているパーラの姿が見えた。それを見てシャムの顔にも笑みが浮かんでくる。
「よし!帰ろう!」 
 立ち上がるシャムにあわせてランと岡部も立ち上がる。あぐらを掻いていたランはまだしもまた岡部は正座していた膝が痺れるらしくふらふらしながらどうにも足下がおぼつかない。
「おう、岡部。しばらく休んどき」 
 明石はそう言いながら懐に手を入れて財布を取り出す。おごりと決まったこともあり、気を利かせた要が明石の肩に黒いコートと赤い長いマフラーをかけた。
「ありがとな」 
「いや、ごちそうさんです!」 
 すっかり上機嫌で叫ぶと要はそのまま下手に転がる誠とアイシャに駆け寄った。すでにカウラは寝ぼけているアイシャの頬を叩いて起こしにかかっていた。
「なんや、アイツ等は大変やのう」 
「いつものことじゃねーか?お前の時もそーだろ?」 
 鷹揚に振る舞うランに参ったというように頭を掻く明石。シャムが自分のいた鉄板を見れば。神経を肝臓の生体プラントに集中してアルコールを分解している吉田の姿が見て取れた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常43

「シャムか。上は相変わらずみたいだな」 
 笑顔のマリアの声に直属の部下達も興味深そうにシャムを見つめている。
「まあいつものことだから」 
「休めるときは休むのがこの業界のしきたりだ。一度ことが起こればもう取り返しがつかないからな」
 厳しい口調のマリアに周りが凍り付くような気配を感じた。幸い他の客はいなかった。
 シャムはマリアのことは好きだが、どうもこの不意に訪れる緊張感というものに耐えきれない。ただ愛想笑いを浮かべて周りを見渡す。
「そう言えば菰田君達は?」 
 シャムの言葉に首をひねるマリア。その時小夏がシャムの肩を叩いた。
「逃げましたよ、アイツ等なら。どうせまたぐだぐだになるなら巻き込まれたくないっていった感じで……」 
 そんな小夏の告げ口にシャムは大きくため息をついた。
「そんなだからカウラちゃんに嫌われるんだよ。写真を部屋に飾って喜ぶのが好きってことじゃないぞ!」 
「おう、シャム。いいことを言うじゃないか」 
 テーブルに肘をつきながらショットグラスをちらつかせるマリア。シャムもそんなほろ酔いのマリアは美しいといつでも思っている。
「そうだよ、だっていつも好きだ好きだって言ってるくせに本人の前では堅くなっちゃって……かと思えば誠ちゃんに嫌がらせをしたりとか……本当に卑怯だよ」 
「まあ卑怯ついでなら神前の奴も相当な卑怯者だと思うがな」 
 マリアの言葉にマリアが故郷の第六惑星系連邦の独立戦争に参加してきたときから付き従っている猛者達も大きく頷く。
「誠ちゃんが卑怯?」 
 今ひとつ言葉の意味が分からずにシャムは首をひねった。そんなシャムをからかうような笑みを浮かべた後、マリアは軽く手にしていたショットグラスの中のウォッカを煽った。
「そうじゃないか。カウラが常に自分のことを気にしているのにそれに誠実に応えるようなところは見えないじゃないか。西園寺のへそ曲がりやアイシャの馬鹿とは違って見たまんま本気で自分に感心がある女に何も応えないのは誠実と言えるか?」 
 シャムはマリアの少し上から見ているような視線に戸惑いながらしばらくその言葉の意味を考えていた。
「確かにカウラちゃんが一番普通に誠ちゃんのことが好きみたいだけどね」 
「そう思うだろ?」 
 上機嫌でマリアは自分の名前の書かれたウォッカの瓶を傾ける。
 シャムも三人とも誠を嫌いでは無いことは分かっている。でも誰を応援したいと言うことは特になかった。要は一緒に騒ぐのにはいいが本心で自分と騒いでくれているのか微妙なところがあると感じていた。アイシャも自分の人造人間という生まれを必死に克服しようとしすぎていてその為に誠を利用しているのではないかと感じることもあった。
 だがカウラはまだ培養液から出て8年しか経っていない最終ロットの人造人間だった。アイシャのような余裕は無いし、要ほどすれてもいない。
 マリアはそんなところでカウラを気に入っているのだろうか。そんな疑問を感じながらしばらくカウンターの前で立ち尽くしていた。
『脱げ!ほら神前!脱げ!』 
 要の叫び声が響く。
「いよいよ佳境と言うところかな」 
 マリアの口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。シャムはどうにも情けない出来事にただ照れ笑いを浮かべるだけだった。
「シャム、カウラのことを頼むな」
 突然のマリアの言葉にシャムはしばらく思考が停止するのを感じていた。
「なんでマリアが?境遇が違うでしょ?」 
 シャムの問いにマリアは静かにほほえむ。そして言葉を選びながら言葉を続けた。
「確かにな。私には父も母もいた。どちらも先の第二次遼州大戦で死んだが。でも気がついたら戦うしか無かったところはにているかもしれない。アイツは戦うために作られた。私は戦うことが生きることだった」 
 そう言うとマリアは部下達の顔を眺めた。
 シャムも第六星系に侵攻したゲルパルトの蛮行やその後の地球軍の不当占拠に対する抵抗運動の激しさはレンジャー教官として派遣されてくる第六星系連邦の兵士達から聞かされていた。
 居住ブロックには百メートルごとに兵士が立ち、抵抗すると見なされたものは即座に拘束され容赦なくエアロックの外に放り出される。居住可能惑星では考えられない蛮行が独立まで果てしなく続いた支配への抵抗。
 その中を常に死と隣り合わせで生きてきたマリア。彼女は一口ウォッカを飲むと口を開く。
「戦争というのは人を機械として扱う一つのシステムだ。そこには生まれも育ちも関係のない人々が歯車として戦争を遂行するために投入される。人造人間が作られた理由もそう考えると分からないでもない。歯車には感情は必要ない。いや、感情はむしろ無駄だ」 
 マリアはそこまで言って言葉を飲み込んだ。シャムもなぜ彼女が言葉を飲み込んだのか分かっていた。シャムもまた戦場を生きた経験を持っていたから。
 感情は時に人間をどこまでも残酷な道具へと変える。シャムが経験した遼南内線末期の戦場。それまで支配者として君臨してきた共和軍の傭兵達をゲリラ達が虐殺する様を何度見てきたことか。武装解除され命乞いする傭兵達を即死させないように急所を外しながら銃剣で突き回す少年。目を抉られ、鼻を削がれ、腹から内蔵を垂れ流しながらうめく傭兵を見ても歓喜の声を上げながら石を投げつける老婆。地球からの派遣軍の兵士にレイプされて身ごもったという妊婦が死んだ傭兵の頭を蹴り上げて笑っていた様を思い出すと今でもシャムの足が震えてくる。
 彼等がその後どうなったのかシャムは知らない。時々東和でも遼南内戦の悲劇を語るテレビ番組が流れるが、参加した傭兵も地元の一般人達も当時が狂気に満ちていたことは語ろうとしない。ただ戦争は悲惨だと繰り返すばかりだった。そこに感情のある人間が武器を持って立てば必然として起きる狂気からは皆が目を背ける。
 ゲルパルトの指導者がそんなことを憂いて人造人間を作った訳では無いことはシャムも承知していた。遼州外惑星で、他の植民星系で、地球で降下したの中央アジアや南米などにおいて行われた極めて組織的な虐殺の容疑で多くのゲルパルト国家労働党の武装親衛隊員が処刑された事実はもし間に合えばカウラ達も感情を持たずに虐殺を行う機械になっていたのかもしれないとシャムも思うことがある。
 マリアの手もたぶんそんな狂気の中で血に染まったことがあるのだろう。部下達も黙り込んだままじっとしていた。機械として、殺す機械として生きたマリアが殺す機械になるべく作られた自分と真正面から見つめ合っているカウラにシンパシーを感じる。
 シャムはその悲しい関係をただ黙ってみていることしかできない自分に無力感を感じていた。
 しんみりとした雰囲気。マリアは気にする様子もないが、明らかに背後で小夏がシャムを心配そうにのぞき見ていた。
「カウラちゃんなら大丈夫だよ」 
 シャムの言葉に気分が変わったようでマリアが笑みを浮かべながら頷く。
「そうだ、つまらない話を聞いてもらった例だ。上に届けてくれないかな……そうだ、茶漬けが欲しい時間帯だろ?」 
 気を利かせたようなマリアの声にシャムは指を折り始める。
 もう誠とアイシャはダウンだろう。要は締めの茶漬けは手を出さない主義だった。そうなるとラン、明石、岡部は確実に茶漬けを頼む。カウラはそもそも酒を飲んでいない。別れ話を相談しているだろうパーラやそれを聞いているサラも茶漬けには手を出さないだるう。
「じゃあ3人前かな」 
 シャムの言葉に小夏は笑顔で厨房に入って行った。見送るマリアの暖かい視線。
「お前の分はどうなんだ?」 
「アタシと俊平はいいよ。あまり気にしない質だから」 
「そうか。なら私達もお愛想にするかな」 
 早速立ち上がるマリアに続いて部下達も立ち上がる。ちょうど二階からほろ酔い加減の春子が下りてきたところだった。
「あら、マリアさん。今日はおしまいなの?」 
「ああ、また寄せてもらうつもりだ」 
 ほとんど同じ年の二人。どちらも東和の常識と離れた世界を生きてきただけあって気が合うところがある。財布を取り出すマリアを見ながらそのまま春子は小走りで戸口にあるレジに向かう。
「師匠、できました」 
 小夏がカウンター越しにお茶漬けを差し出してきた。シャムはそれを盆にのせるとそのまま階段を駆け上った。
 入り口には座布団を枕代わりにして眠りにつくアイシャとその隣に放置されている全裸の誠の姿があった。
「要ちゃん、またやったの?」 
 シャムの視線は静かにエイひれをかみしめている要に向いた。
「まあ、こいつ弱いから」 
「要ちゃんが強すぎるんだよ」 
 シャムはそう言いながら上座のラン達のところまで茶漬けを届けることにした。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常42

「あそこに行くの?」 
「できれば私は勘弁ね」 
 現役実働部隊長のランとそれを支援する本局の調整官の明石。その会話が相当高度でシャムに手に負えないものであることは間違いなかった。小難しい理屈をこねるのが好きなアイシャもどうせ捕まれば説教されることが分かるので近づく様子もない。
「まあ夜も長いのよ……と言うわけで」 
 アイシャはそう言うとビール瓶を手に持つ。シャムは照れながらグラスを差し出した。
「ほら、吉田さん。ちゃんとラベルは上でしょ?」 
「そんなことどこで覚えたんだか……つまみが欲しいな」 
「小夏!小夏!」 
 吉田のオーダーに答えてシャムがカウラとなにやらひそひそ話をしていた小夏を呼びつけた。小夏はと言えば突然のシャムの呼び出しにいつものように嫌な顔一つせずに飛び出してくる。
「何でしょう、師匠」 
「俊平の……つまみは」 
「エイひれで」 
 一言そう言ってビールを飲む吉田。小夏はと言えば元気にそのまま階段を駆け下りていく。
「小夏ちゃんとお話……珍しいのね」 
 アイシャは堅物のカウラの意外な光景に興味を引かれたように絡む。シャムが見た感じではアイシャはかなりよっているようで頬はすでに耳まで朱に染まっている。
「なんだ。私が小夏と話しているとおかしいことでもあるのか?」 
 カウラはそう言ってビールを傾ける。それでもアイシャのにやにやは止まらない。四つん這いでそのままカウラのそばまで這っていくとそのままカウラのポニーテールに手を伸ばす。
「止めろ!」 
「なに?お嬢様?うぶなふりして……この!」 
「クラウゼ。酔っているな貴様」 
 睨み付けるカウラにアイシャはとろけるような笑みを浮かべる。
「酔ってますよ……だって……ねえ」 
「だってと言われても困るんだけど」 
 シャムは色気のあるアイシャの流し目を受けながらただ戸惑ってつぶやく。
「ひどいんだ!カウラちゃん。シャムったらひどいのよ!」 
「お前の頭の中がひどいんだろ?」 
 呆れかえるカウラはそう言ってアイシャの肩を叩いて落ち着かせようとした。
 だだをこねるように頭を振り回すアイシャにカウラはほとほと参ったように上座に目を遣った。
「なんだ?クラウゼは泥酔か?」 
「もう少し飲ませて寝かせたれ」 
 無責任な発言を繰り広げるランと明石。仕方がないとカウラが後ろを向いたときだった。
「任せろ」 
 要は迷わずそれまで誠に飲ませようとしていた液体を手に颯爽と現われる。
「おい、アイシャ」 
「なによ」 
 突然の要のちん入に少しばかり戸惑いながらアイシャが答える。要は得意げにグラスの中の液体を振ってみせる。
「これ、神前にやろうと思ってたけどお前にやるわ」 
「何これ?」 
「ああ、神前の野郎のグラス」 
「え?」 
 驚いたがすぐにアイシャはそれを奪い取ると中身も確かめずに一気に飲み干した。
「ほらな」 
 要の言葉の終わると同時にぱたりとアイシャは倒れ込んだ。
「大丈夫なの?要ちゃん」 
「まあな。最近は加減を覚えたから。何度も神前の裸踊りを見るのは飽き飽きしていたところだから」 
 それだけ言うと要は何事も無かったように去っていく。倒れたアイシャにじっと視線を落とすシャム。
「本当に大丈夫なのかな?」 
「大丈夫なはずだ。私達の体は本来毒物に対する耐性が強いからな。理性が飛ぶことはあっても死にはしないだろ」 
 まるで心配する様子のないカウラに少し呆れながら上座を見る。
 じっとこちらを見ているのは先ほどからランと明石の会話を聞かされ続けて退屈している岡部だった。
「岡部ちゃん。とりあえずこれを部屋の隅に運ぼう」 
 シャムの言葉で針のむしろから解放されると嬉々として歩いてくる岡部。正座が続いていたからかどうにもその足下が不安定だった。
「大丈夫なの……岡部ちゃんも」
「ちょっと痺れて……」 
 足が気になるというように何度か屈伸をする。すっかり血行の悪くなった膝がどうにも思うようにいかずに岡部はごろりと倒れ込んだ。
「大丈夫?岡部っち」 
「ああ、なんとか」 
 そう言いながら立ち上がりつつも膝を押さえる岡部。
「かなり痺れたんだね」
「まあそれなりに」 
 岡部はそのままアイシャのところまで来るとじっとその様子を観察している。
「特に異常は無いみたいだな。とりあえず奥に寝かせよう」 
 そう言うと岡部はアイシャの肩を持ち上げた。するとアイシャの腕が岡部に絡みつく。
「誠ちゃん……」 
 突然の寝言に苦笑いを浮かべる岡部。シャムもアイシャの腰を持ち上げながら岡部のまねをしたような顔をする。
「落とすなよ!」 
 要の茶々を受けながらずるずるとアイシャを引きずる二人。ある程度予想はされていたことなので誰も口を挟むことはしない。
「それにしても……重いね」
「余計なお世話よ」 
 突然アイシャの目が開く。シャムは驚いて手を離しそうになるがそれがアイシャの寝言だと分かって安心してそのまま部屋の隅にアイシャを運んだ。
「こうして座布団を枕にして……しかしこの部隊はろくな飲み方をしないな」 
 相変わらずの困ったような表情の岡部にシャムはただ頷くしかなかった。
「エイひれお待ち!」 
 誠がお盆を持って現われる。慣れた手つきで次々と鉄板の横のスペースに皿を並べる誠。
「ずいぶん慣れたね誠ちゃんも」 
「まあこういう生活長いですから」 
 こちらもまた疲れたような表情。菰田とソンは下のマリア達を接待しているようで二階に上がってくるそぶりすらない。
「あとは私がやるから。誠ちゃんは飲んでて」 
 シャムの提案に一瞬不審そうな顔をする誠。思わずシャムは口をとがらせて彼からお盆をひったくるとそのまま階段を駆け下りた。
「あ、師匠。ありがとうございます」 
 カウンターでビールを運ぼうとしていた小夏がシャムに声をかける。四人がけのテーブルには金髪のマリアが警備部の古参の士官達とちびちびと酒を飲んでいるところだった。

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