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遼州戦記 保安隊日乗 時は流れるままに 140

 道場の入り口で手を振る母、薫。誠は苦笑いを浮かべた。カウラとアイシャが冷やかすような視線を彼に向けてくるのがわかる。
「本当に仲がいいのね。要ちゃん、うらやましいでしょ?」 
 そう言って見つめてくるリアナに思わず顔を赤らめる要。そしてそのまま足を玄関に向ける。
「そう言えば西園寺さんのお母さんて有名な剣術家で……」 
「お袋の話はするな」 
 吐き捨てるようにそう言うと足を速めた。
「ええ、かなりしごかれたらしいわよ。すっかりトラウマになったみたいで」 
「アイシャ!聞こえてんぞ!」 
 怒鳴る要に思わず首をすくめるアイシャ。誠も仕方なく要やカウラと玄関へと向かった。引き戸を開いて入った玄関には大量の大きな白い断熱素材の容器が積み上げられている。
「これ……全部蟹?」 
「そうよ!」 
 呆れたようにつぶやく要に元気良く答えるアイシャ。誠も空の容器を見つめながらその量の多さにただ圧倒されていた。
「北海ズワイ……本物か?最近のこう言う表示の紛らわしいのは何とかならないのか?」 
 カウラのつぶやきに誠も苦笑する。当然遼州にはズワイガニはいない。哺乳類が生物学上の同様の進化をたどったとされている遼州だが、甲殻類の進化は地球のそれとは違った。この『北海ズワイ』と呼ばれている『リョウシュウクモガニ』は見かけは確かに蟹と思えるが、足の数が二本多いのが地球の蟹とは違う点だった。美食家の嵯峨に言わせると味は同等だがあっさりしすぎていて地球のズワイガニより劣るという話だった。
「でもまあこれは誰が……」 
 呆れながら靴を脱ぐ誠。要は誠を待たずに奥の洗面所に走っていく。
「隊長に決まっているじゃない」 
 背中からいきなりリアナに声をかけられてバランスを崩す誠。ブーツを脱ぎ終えたカウラが手を出さなければそのまま顔面から玄関のコンクリートにキスをするところだった。
「脅かさないでくださいよ」 
 リアナは満面の笑みを浮かべながら体勢を立て直す誠に手を貸す。
「ごめんなさい。でもこれで今日は蟹鍋ができるのよ。みんな楽しくって……」 
 そう言うとリアナはサンダルを脱いでそのまま道場へ向かう廊下を小走りで消えていく。
「楽しそうだな」 
 誠を待ってくれているカウラに笑顔を向けながら誠はようやく靴を脱いで立ち上がった。
「でもこんなに食べるんですか?」 
 明らかに伊達では無い量に誠はただ圧倒されていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 時は流れるままに 139

「カウラちゃん!」 
 運行部長のリアナに続いてくるのはサラ、パーラ、そしてブリッジクルーの女性隊員達だった。オフなので当然全員私服。中でも紺絣にどてらを着たリアナの白い髪が夕暮れの中で浮き上がって見える。
「降りろ、神前」 
 そう言って要が助手席を蹴り上げるので誠は状況がつかめないまま助手席から降りる。
「人の車だと思って……」 
 要の態度に呆れながら狭い後部座席から降り立ったカウラ。
 三人はなぜ彼女達がここにいるのか不思議に思いながらニヤニヤしながら自分達を見つめているアイシャに視線を移す。
「ああ、カウラちゃんの誕生日でしょ?たくさんで祝ったほうがいいってお姉さんに言ったら……」 
 アイシャの隣に並んだどてらを羽織っているリアナが満面の笑みでカウラを見つめている。
「多いほうがうれしいですものね。みんなでお祝いしましょうよ」 
「あの、お姉さん。仕事は……」 
 さすがの要も心配そうな表情を浮かべる。
「ああ、例の三体のアサルト・モジュールの起動実験でしょ?ともかくしばらくは『高雄』での運用は無いだろうと言うことで私達暇だったのよ。でも……」 
 パーラはそう言うと隣のサラを見つめる。整備班班長の島田と付き合っているサラの表情はさすがに冴えない。
「まあ島田先輩は休めないでしょうね」 
 誠の言葉を聞くとそのまま静かに頷くサラ。
「こんなに来て……それに明日じゃねえのか?こいつの誕生日」 
「だって……明日だと私が出れないでしょ?それにいいものが手に入ったんだから」 
 うれしそうなリアナ。確かに保安隊での数少ない既婚者である彼女は夫の健一とクリスマスの一夜を過ごす予定でもあるだろうと察して誠は苦笑いを浮かべた。
「なんですか?」 
「蟹よ!」 
 うれしそうに叫ぶアイシャ。要とカウラはなんとなく納得したような表情でアイシャのうれしそうな顔を眺めていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 時は流れるままに 138

 アイシャは滞り気味に流れる上を高速道路が走る大通りからハンドルを切り、誠の家の前の路地に車を進める。そして車を道場の門の手前でいったん止めて話を続けた。
「先日の同盟厚生局での非合法の法術師育成プロジェクト。その中で一人、精神介入系の技術の能力に特化した法術師がいたのよ」 
「へー」 
 関心が無いように装う要の言葉。アイシャはあきらめたように大きくため息をついた。
「ずいぶんと余裕なのね。西園寺のお姫様」 
 アイシャの挑発に要は乗る様子も無く黙り込む。仕方なくカウラはアイシャの言いたいことを話し始めた。
「元々精神波動の異常を小家衰退の特殊な器官で発生させる法術では、一番初歩的に発動可能な能力が精神介入能力だ。今まで確認されている同盟厚生局の研究施設で製造された人造法術師は6名。うち一名は身柄の確保に成功して、現在司法局でリハビリ中だが、彼女と一緒に精神干渉系の能力調整を施された法術師の行方がいまだ不明だ。おそらく今回の犯人は……」 
「なるほど、この街のどこかにパトロンでも雇ってテロリスト商売でも始めたって言うのか?」 
 茶化すような要の言葉に隣のカウラが怒りの表情でにらみつける。参ったと言うように手を上げる要。そしてため息をつくアイシャ。
「法術研究の専門家のヨハンに言わせると、精神介入能力は一番初歩的でしかも不安定なんだって。他者の意識に介入するんだもの。下手をすれば自我崩壊すら起こしかねないわよ。それにもし要ちゃんの言うパトロンのことを法術師が気に入らないと思えばパトロンの意識に介入して自分を解放させるくらいのことは考えるんじゃないの?ねえ、誠ちゃん」 
 アイシャの言葉に誠ははじめてのアサルト・モジュールでの実戦を経験した『近藤事件』を思い出した。死んでいく敵兵の意識が誠の脳裏に張り付いたあの瞬間。誠はその嫌な感覚を思い出してうつむく。
「つまり十分躾を施してから今回の悪趣味な実験を行ったって言うわけだな」 
 自分の言葉を一語一語確かめるようにしてつぶやくカウラ。彼女の言葉に大きく頷いた後、アイシャは再び車を動かす。ゆっくりと道場の門をくぐってその中庭。一台のマイクロバスの後ろに車を止めた。
「おい、アイシャ」 
「なに?」 
 要が身を乗り出して目の前のレンタカーとわかるナンバーのマイクロバスを指差した。
「ああ、あれは……」 
 アイシャがそういった瞬間、道場から駆け出してきたリアナの姿が目に入った。

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遼州戦記 保安隊日乗 時は流れるままに 137

「おいカウラ」 
「なんだ?」 
「このままオメエの車にある拳銃持って来てくれないかな?この警察署を襲撃したいんだけど……」 
「冗談はそのタレ目だけにしろ」 
 すでに日は沈んでいた。西の空のあかね色が誠と要、そしてカウラの頬を染めていた。通り魔を捕まえた三人はそのまま所轄の警察署に連れて行かれ、法術特捜の主席捜査官である嵯峨茜警視正が来るまでの間、取調室に拘束されていた。
「はぁー!腹立つ!」 
 入り口を出て振り返り物騒な言葉を並べ立てる女性を目にして、制服姿の警察官達はいぶかしげに三人を眺めながら忙しそうに出入りを繰り返す。
「怒ってどうにかなる話じゃないだろ?あちらも仕事だ。職務執行中の警察官から拳銃を取り上げて良いと言う職務規定は、同盟司法局には無いからな」 
 そう言うとそのままカウラは急ぎ足で大通りに向かう道を歩き始めた。置いていかれると思ったのか、愚痴を続けていた要も彼女の後を早足で追う。誠はそんな二人を眺めながらただおろおろしながら付いていくだけだった。
「そりゃそうなんだけどさあ。あの時、アタシ等ができる最善の行動はあれ以外に無かったのは事実だろ?機動隊の到着まで待ってたらいつまで時間がかかるか……」 
「だが規則は規則だ。あちらだって最後には茜に頭を下げてたじゃないか」 
 カウラの言葉に子供のように頬を膨らませる要。誠はなだめようとするが、目の前に赤い車が飛び出してきたのに驚いて飛びのく。
「ヤッホー!元気そうじゃない」 
「来たよ裏切り者が」 
 飛び出したのはカウラのスポーツカー。運転していたのはアイシャだった。デパートで人質が救急車に乗せられていくのを三人が見守ったときには、すでに野菜の袋を手にしたアイシャの姿は無かった。面倒なときにはいつも要領よく逃げおおせる。それはアイシャの十八番とも言えた。
「だって食材が無いと料理が出来ないじゃない」 
 開き直るようなアイシャの言葉を無視するように、黙ったままカウラは自分の車の助手席のドアを開いて乗り込む。そして当然のように要も後部座席に滑り込んだ。さらに要の手に引きずられるように誠も助手席に腰を下ろす。
「帰るぞ」 
 不機嫌そうな要の一言。アイシャは参ったと言うような顔をするとそのまま車を発進させた。
「でもまあ無事解決……とは行きそうに無いみたいよ」 
 アイシャの突然声色が真面目なときの彼女のものに変わった。すぐに怪訝な表情になる要とカウラ。
「犯人には要ちゃんに撃たれるまでの記憶が無いんだって。銃も凶器の山刀の入手先も知らないの一点張り」 
「あれだけの事件を起こしたんだ。言い逃れをしようというところじゃないのか?」 
 そんなカウラの言葉にアイシャは大きく首を横に振る。
「薬物で意識が飛んでたわけじゃないのは二人も見たでしょ?」 
 アイシャの言葉に黙り込むカウラ。要も難しい表情を浮かべて腕組みを続けている。
「法術……か?」 
 その要の言葉にアイシャは大きく頷いた。

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遼州戦記 保安隊日乗 時は流れるままに 136

「なるほど、ラスコーがあなたを味方に引き入れたいと思っている理由が良くわかりますよ。あなたは決して無駄なことは話さない。ただ利益だけを見つめている」 
「それも褒め言葉と取らせてもらいますよ」 
 見詰め合う太子と菱川。桐野と北川は黙って二人を眺めていた。
「正直に申し上げましょう。私には手札が少ない。この切り札と言えるのはこの二人だ、それだけではラスコーがはじめたカジノにベットするには足りないようでしてね。来場者が一杯だと言うことで参加する資格が無いとはねられてしまう」 
 自嘲的な笑みが太子の長い前髪の間から覗く様に、菱川はひやりとしながら笑みを絶やさないことだけを心がけていた。
「一番いい手札はムジャンタ・ラスコー氏、現在は嵯峨惟基大佐と名乗っている男の手元に揃っていますね。誰もが彼の次の動きが気になって、何とか使える手札を集めるのに必死の形相を浮かべている。そう言う私もその一人ですが」 
 そう言って太子は足を組みなおした。
「確かに自分自身が十分切り札だと言うのに茜と楓と言う娘達。ナンバルゲニア・シャムラード中尉にクバルカ・ラン中佐。そして吉田俊平と言うやり手のハッカーまで抱え込んでいる嵯峨君の優位はしばらく揺るぎそうには有りませんね」 
 静かに頷く菱川。
「わかってるじゃないですか。そしてその背後には最新鋭のアサルト・モジュールを供給している菱川重工業の姿がある。つまりあんただ」 
 北川の遠慮の無い言葉に頭を掻いて笑う菱川。
「勝ち馬に乗るのは当然のことでしょう」 
 そんな菱川の一言にムッとした顔をする北川。しかし彼も太子の一にらみで黙り込み、そのままソファーにふんぞり返る。
「その勝ち馬を育てたのはあなたじゃないですか?ただ、あなたとしては勝ち馬が次第に増長してきたのが気になる。だから私と会うつもりになった……」 
 そこまで太子は言うとそのまま窓に目をやった。夕日がビルの中に沈もうとしている。その朱色の世界を表情一つ変えず見つめる。
「まあいいでしょう。とりあえず私とあなたが顔を会わせたことに意味がある。実に有意義なものでしたよ」 
 話を切り上げようと立ち上がる太子。飼い主の様子を見て北川と桐野も立ち上がる。
「できれば裏口からお帰りいただけますか?」 
 座ったまま三人を見上げる菱川の言葉にたまりかねたように飛び出そうとする北川の肩を太子が叩いた。
「お気遣いありがとうございます。何しろ私達は後ろ暗いところがありますからね」 
 そう微笑むと太子は呼び鈴に対応してドアを開いて現れた女性秘書の招きに応じるように歩き始めた。
「まだ転回点には遠いんですよ」 
 一人になった菱川は三人の客が座っていたソファーを見つめながら、一言そう言って笑って見せた。

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