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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 49

「嵯峨少佐、部屋に入ってもよろしいでしょうか?」 
 カウラの言葉にあからさまに誠に向けていた敵意をほぐす楓。そしてその手は当然のようにカウラの胸に向かった。
「あの……」 
「大丈夫、自信を持って……」 
 そう言うと静かに平らなカウラの胸をさする楓。それを見ている誠は次第に顔が赤くなるのを感じていた。
「うん、ベルガー大尉。飾らない胸も素敵だよ」 
 楓はそう言うと笑みを浮かべて部屋に入っていく。そう言われたカウラはほうけたような顔で誠を見つめた。いつもの緊張感で支えられているような鋭い視線はそのエメラルドグリーンの瞳にはもはやなかった。
「神前……」 
「大丈夫ですか?」 
 誠の声にすぐに自分を取り戻したカウラは東和軍教導隊から運ばれてきたばかりの執務机に向かった。誠も隣の自分の席に向かう。そして机の上に花が置いてあるのを見つけた。
「これは誰ですか?」 
 そう言った誠の視界の隅でそっと手を上げるのはアンだった。誠の背筋に寒いものが走る。
「神前曹長。人の好意は受けておくものだな」 
 楓の言葉に仕方なくぎこちない笑みを浮かべる誠。そんな彼が入り口で中の様子を伺っている要を見つけた。
「西園寺!とっとと席に着け!」 
 カウラの言葉に仕方なく部屋に入った要は、楓の方をびくびくしながらうかがった。楓はまじめに通信端末の設定をしており、安心したように要は自分の席に座る。
「ああ、お姉さまの机の設定は僕がしておきましたから!」 
 そんな楓の一言に要はあわててモニターを開いた。大写しされる楓の凛々しい新撰組のような段だら袴に剣を振るう姿。
「楓様素敵です!」 
 思わず叫ぶ渡辺。ただ黙って感心する吉田とカウラ。
「ちょっとこれは……」 
 誠がそうつぶやくと再び楓の鋭い視線が誠に向けられる。
「わかったよ!これを使えばいいんだろ!」 
 そう言ってそのまま自分用にモニターの仕様を変更する要。楓はその姿を確認すると笑みを浮かべながら自分の作業を続けた。
「誠ちゃん!今度のコミケのネームなんだけど!」 
 大声を張り上げて入ってくるアイシャ。誠にとってこのときほど彼女の存在がいとしいと思える瞬間はなかった。そのまま立ち上がったのは誠と要だった。要はそのまま誠とアイシャの肩を抱えて部屋を出ようとする。
「西園寺!仕事しろ!」 
 カウラの怒鳴り声を聞いて要はめんどくさそうに振り向いた。
「ああ、遠隔でやっとくよ!それより今度のあのコミックマーケットって奴だ」 
「ふうん貴方からそう言うこと切り出すなんて珍しいわね」 
 部屋の中に取り残される楓を見て状況を察したアイシャは彼女もつれてそのまま外に出る。
「一応、誠ちゃんの端末にネームは送っておいたけど確認できる?」 
 アイシャはそのまま部屋から離れようとする要の勢いに押されながらも誠の腕に巻かれた携帯端末を指差した。
「ああ、後で確認します。ところで、西園寺さん?」 
「もう少し歩こうじゃねえか、な?」 
 明らかに引きつった表情でそう言う要にアイシャは何かをたくらんでいるような視線を向ける。
「作業中、夜食とかあるといいわよね。できればピザとか」 
「わかった神前とオメエとシャムとサラとパーラの分だろ?ちゃんと用意するよ」 
 要は即答した。その様子にさらに押せると踏んだアイシャは言葉を続けた。
「甘いものは頭の回転を早くするのよね……まあ飴とか饅頭は持ち寄るから良いんだけど……」 
「なんだ?駅前のお姉さんご用達のケーキ屋のか?わかった人数分用意する」 
 そのまま要はコンピュータルームまで二人を押していくと、セキュリティーを解除して中へと誠達を連れ込む。
「じゃあ手を打ちましょう。ちょうど茜さんからお仕事貰ってきているしね」 
 そう言って端末の前に腰掛けるアイシャを要は救世主を見るような目で見つめている。画面には次々と傷害事件や器物破損事件の名前が並んだファイルが表示された。
「法術特捜の下請けか……わかった!」 
 そう言うと要は隣の端末に腰掛けて首のスロットにコードを刺すと直接脳をデータとリンクさせた。硬直したままの要。外部センサーの機能を低下させて事件のデータを次々と読み込んでいる様子がアイシャの前の画面でもわかった。
「要ちゃんは単純でいいわね」 
 そう言うとアイシャは立ち上がって彼女の後ろに立っていた誠に向き直る。
「誠君。もうだいぶ部隊に慣れたわよね」 
 紺色の流れるような長い髪をひらめかせるアイシャ。誠はそのいつもと違うアイシャの姿に惹きつけられていった。
「ええ、皆さんのおかげで」 
 細く切れ込むようなアイシャの視線が誠の目を捕らえて離そうとしない。誠はただ心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら固まったように立ち尽くしていた。
「えーと、困ったな私。何を言ったらいいんだろうね」 
 そう言って視線をそらすアイシャ。長い髪の先に手を伸ばし、上目遣いに誠を見つめる。
 誠も困っていた。アイシャ、要、カウラ。三人に嫌われてはいないとは思っていた。それぞれに普通とはかなり違う好意が示されているのもわかっていた。それでもどうしても踏み込めない。そんな誠。そしてアイシャは今その関係を踏み越えようとしているのかもしれない。
 そう考えると誠の心臓の鼓動はさらに早くなった。
「クラウゼ少佐……」 
「いいえ、アイシャって呼んで」 
 二人は見詰め合っていた。お互いの呼吸の音が聞こえる。静まり返ったコンピュータルーム。近づく二人の顔と顔。誠にはこの時間がどこまで続くかわからないとでも言うように思えた。
「おい……」 
 突然沈黙が破られた。データの閲覧を終えた要がいらだたしげに机に頬杖を付いて二人を見上げている。
「ああ、いいぜ続きをしてくれても」 
 誠の額に脂汗がにじむ。明らかに怒りを押し殺している要。
「要ちゃん、無粋ね」 
 いつものように挑戦的な視線を投げるアイシャ。要は口元に皮肉めいた笑みを浮かべている。
「人を無視していちゃいちゃするってのは無粋じゃねえのか?」 
 要の言葉が震えているのに気づいた誠は一歩彼女から引き下がった。
「神前、三又とは良い了見じゃねえか。まず……」 
「三又?カウラちゃんと私はわかるけどあと誰がいるのかしら?」 
 その切れ長の目の目じりを下げて要に迫るアイシャ。
「馬鹿!こいつは人気なんだよ!こんなんでも。ブリッジにもいるだろ?あんだけ女がいるんだから」 
「ふーん。そんな話は聞かないけど……私よりあの娘達に詳しいのね要ちゃんは」 
 その言葉に反撃できずにただアイシャを見上げる要。
「まあ、いい。データの抽出はできたからあとは各事件の共通項を抜き出す作業だ!誠!手伝えよ!」 
「素直じゃないんだから」 
「何か言ったか?」 
 要の怒鳴り声に辟易したように両手を上げるアイシャ。誠も次々と自分の前のモニターに映し出されていくデータに呆然としていた。そこで部屋の扉が開く。
「仕事だろ、手伝うぞ」 
 そう言っていかにも偶然を装うように端末に腰掛けるカウラ。
「邪魔なのがまた来やがった」 
 そう吐き捨てる要。
 誠はいつまでこのどたばたが続くのか、そんなことを考えながら自分の頬が緩んでいるのを感じていた。

                                       了

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 48

「結局指名は無し……良いんじゃねえの?」 
 ぼんやりとカウラのスポーツカーの助手席から外を眺めているアイシャに後ろの席から要が声をかける。法術適正者が指名の対象から外れると思われていた東和職業野球ドラフトは、法術制御技術により指名の障害にならないとわかると逆に法術適正者を優先して指名する流れとなった。
 アイシャがバルキスタンから帰国した新港にも一応保安隊の駐屯地である豊川のミニコミ誌の取材が来ていたが、それが最後。今ではどこにも記者達の姿は見ることが無かった。
「もしかして指名されたら……とか考えていたのか?」 
 ハンドルを握りながらカウラはそう言って一言もしゃべろうとしないアイシャを眺める。
「そんなんじゃないわよ」 
 ぼそりとアイシャがつぶやいた。カウラは菱川重工豊川工場の通用門に車を向ける。
「でも本当に神前は大丈夫なのか?検査とか受けたほうがいいんじゃねえの?」 
 黙って下を向いている誠の隣から顔を近づけてくる要。誠も彼女に指摘されるまでも無く倦怠感のようなものを感じながら後部座席で丸まっていた。
「大丈夫ですって!シュペルター中尉も自然発生アストラル波に変化が無いって太鼓判を押してくれましたから。それに昨日まで寝てたのはただの三日酔いですから」 
 車は出勤のピークらしく工場の各現場に向かう車でごった返している。カウラは黙って車を走らせる。
「生協に寄るか?」 
 カウラの言葉にアイシャは首を振った。顔を突き出していやらしい笑みを浮かべる要。
「やっぱり急にマスコミの取材が無くなってさびしいんだろ?」 
 首を振るアイシャを見ていた誠。その眼前に保安隊の駐屯地を覆うコンクリートの壁が見えてくる。その前にはランニングしている菱川重工豊川野球部のユニフォームの選手達が見えた。
「あれ見りゃわかるだろ?上を狙ってる連中は努力を忘れねえもんだ。オメエはただ漫画読んでにやけているだけだろ?」 
 上機嫌にアイシャの紺色の髪に手を伸ばす要。
「痛いじゃないの!本当に要ちゃんは子供なのね」 
 突然髪を引っ張られて要をにらみつけるアイシャ。
「おう、子供で結構!なあ、神前」 
 その異様にハイテンションな要に苦笑いを返す誠。車は警備部が待機しているゲートに差し掛かる。
「ヒーローが来たぜ!」 
 後部座席の窓に張り付いてブイサインをする要。それを見つめる警備部の面々。あのバルキスタンでの勇姿が別人のことのように見えるだらしない姿の彼等に誠はなぜか安心感を感じていた。
「おう、写真はアタシの許可を取ってから撮れよ!それとサインは一人一枚ずつだ!」 
「西園寺さんはいつ神前のマネージャーになったんですか?」 
 車の中を覗き込んで笑顔を浮かべる彼等に要が手を振るとカウラが車を発進させた。
「ずいぶんと機嫌がいいわね」 
 沈んだ声でアイシャが振り向く。要は舌を出すとそのままハンガーを遠くに眺めていた。
「もう少しデータが取れれば良かったんだがな」
 カウラはわけもなく浮かれている要を一瞥する。 
「そんなの必要ねえだろ?05式は最高だぜ。特に不足するスペックが出なかったんだから良いじゃねえか」 
 カウラの言葉にも陽気に返事をする要。誠は逆にこの機嫌の良い要を不審に思いながら、落ち込んでいるとしか見えないアイシャを眺めていた。
 駐車場に滑り込むスポーツカーに駆け寄る少女の姿があった。ナンバルゲニア・シャムラード中尉はその車の後部座席に誠の姿を見ると駆け寄ってくる。
「おい、どうしたシャム」 
 無表情で車の助手席から降りたアイシャ。それに続いて降りてきた要を無視してシャムは狭苦しさから解放されて伸びをする誠の肩を叩く。
「誠ちゃん!隊長が呼んでるよ!急げって」 
 そう言い残すとシャムは公用車のガレージの前につながれている彼女の相方の巨大な熊、グレゴリウス13世のところへと走り去る。
「なんだ、また降格か?」 
 相変わらずの上機嫌で誠の肩を叩く誠。
「じゃあ先に着替えますから」 
 誠はそのまま珍しく正門から保安隊の隊舎に入った。
 まだ時間も早く、人の気配は無かった。誠はすぐさま目の前の階段を駆け上がり、二階の医務室を横目に見ながらそのまま男子更衣室に入った。
 そこには見慣れない浅黒い肌の少年が着替えをしていた。見たことの無い少年に怪訝そうな顔を向ける誠。少年は上半身裸の状態で誠を見つけると思わず肌を脱いだばかりのTシャツで隠した。
「新人君か?」 
 誠はそのまま自分のロッカーを開けてジャンバーを脱ぎだした。
「神前誠曹長ですよね?」 
 おどおどとした声はまるで声変わりをしていないと言うような高く響く声だった。
「ああ、そうだけど。君は?」 
「失礼しました!本日から保安隊実働部隊第三小隊に配属になりましたアン・ナン・パク軍曹です!」 
 少年はTシャツを投げ捨てて誠に敬礼する。あまりに緊張している彼に誠は苦笑いを浮かべながら敬礼を返した。
「そんなに緊張することじゃないだろ?それにしても君は若く見えるね、いくつ?」 
 相手が後輩らしい後輩とわかると自然と自分の態度が大きくなるのに気づきながらも誠は少年にそう尋ねた。
「先月19歳になりました!」 
 直立不動の姿勢で叫ぶアンに誠は照れて頭を掻く。
「そうか、まあそうだよな。パイロット研修とかしたらそうなるよね。それにしてもそんなに緊張しないほうがいいよ。僕も正式配属して半年も経っていないし……」 
 そう言う誠にアンは安心したと言うように姿勢を崩した。
「やっぱり思ったとおりの人ですね、神前曹長は」 
 急にしなを作ったような笑顔を浮かべながらワイシャツに袖を通すアン。誠はそのまま着替えを続けた。
「僕はそんなに有名なのかな?」 
「すごい戦果じゃないですか!初出撃で敵アサルト・モジュールを七機撃墜なんて常人の予想の範囲外ですよ。そして先日の法術兵器の運用による制圧行動。遼南でもすごい話題になってましたよ」 
 ワイシャツのボタンをとめるのも忘れて話し出すアンに正直なところ誠は辟易していた。
「ああ、そうなんだ。じゃあアン軍曹は遼南帝国軍からの転属?」 
「はい、遼南南部軍管区所属二十三混成機動師団からの出向です」 
 はきはきと誠の顔を見ながらうれしそうに話すアン。誠はそのこびるような口調を不審に思いながらも着替えを続けようとズボンのベルトに手をかけた。
 ズボンを脱いで勤務服のズボンを手に取ったとき、誠はおかしなことに気づいた。先ほどから着替えをしているはずのアンの動く気配が無い。そっと不自然にならないようなタイミングを計って振り向いた。誠の前ではワイシャツを着るのを忘れているかのように誠のパンツ姿を食い入るように見ているアンがいた。
「ああ、どうしたんだ?」 
 誠の言葉に一瞬我を忘れていたアンだが、その言葉に気がついたようにワイシャツのボタンをあわてて閉めようとする。その仕草に引っかかるものを感じた誠はすばやくズボンを履いてベルトを締める。
 だが、その間にもアンはちらちらと誠の様子を伺いながら、着替える速度を加減して誠と同じ時間に着替え終わるようにしているように見えた。
『もしかして……』 
 冷や汗が流れる。初対面の相手。できればそう言う想像をしたくは無かったが、アンの視線は明らかに大学時代に同性愛をカミングアウトした先輩が誠に向けていた熱い視線と似通っていた。早く、一刻も早く着替えてしまいたい。誠はアンから目をそらすと急いで着替え始めた。そうすると後ろに立っているアンもすばやく着替えようとする衣擦れの音が響いてくる。
 焦った誠はワイシャツにネクタイを引っ掛け、上着をつかむと黙って更衣室を飛び出した。誠は二人だけの状況から一秒でも早く抜け出したかった。そのまま振り向きもせずに早足で実働部隊の詰め所に向かう。
「おお、なんじゃその格好。たるんどるぞ」 
 思い切りよくドアを開いた誠。新聞を読んでいた明石がの格好に顔をしかめた。息を整えつつ自分の席に向かう誠。明石の隣の席の吉田は明らかに何かを知っていると言う表情で意味ありげな笑いを浮かべている。
「第三小隊って……いきなりですか?」 
「まあ、第四小隊が現に存在する以上、あってもおかしくねえんじゃないの?ああ、新人来てたよな」 
 意味ありげに笑う吉田。そこで扉が開く。
「失礼します!アン・ナン・パク軍曹着任のご挨拶に来ました!」 
 きっちりと保安隊の制服を着込んだアンが敬礼する。明石も吉田もすぐに立ち上がり敬礼を返した。そしてそれを見て誠も我に返ったように敬礼をしてそのままネクタイを締めなおした。
「ああ、僕は隊長に呼ばれているんで……」 
 そう言って逃げ出そうとする誠だが、微笑を浮かべながらアンが誠の手を握った。
「僕もついていっていいですか?隊長に着任の挨拶も済ませてないので」 
 誠は断りたかった。そして明石にすがるような視線を向けた。
「神前、連れてってやれ」 
 淡白にそう言うと明石は席に座って新聞の続きを読み始めた。見限られたと思いながらとりあえず握ってくるアンの手を離そうとした。しかしその華奢な体に似合わず握る手の力に誠は手を離すことをあきらめた。
「あのー……」 
 何かを言いたげに見つめてくるアン。確かにその整った面立ちは部隊最年少の西兵長と運行部の女性隊員の人気を奪い合うことになるだろうと想像できるものだが、明らかに自分に色目を使うアンに誠は背筋が凍るのを感じた。
「とりあえず手は離してくれるかな?」 
 自分の声が裏返っていることに気づくが、誠にはどうもできなかった。実働部隊の詰め所を覗くと、中で吉田が腹を抱えて笑っている。
「すいません!気がつかなくて……」 
 そう言うとようやくアンは手を離した。そしてそのまま何も言わずに廊下をついてくるアン。振り向いたらだめだと心で念じながら隊長室の前に立った。
「失礼します」 
 誠はノックの後、返事も待たずに隊長室に入った。
 中では難しい顔をして机に座っている嵯峨がいた。その手には棒状のものを持っている。いつものように銃器の調整でもしていると思って咳払いをする誠。
「おう、神前か。ご苦労だったね」 
 それだけ言うと嵯峨は視線を隣の小柄な少年に向けた。アンは自分が見つめられていることに気づくとすばやく敬礼をした。
「自分は、遼南……」 
「別にいいよ、形式の挨拶なんざ」 
 そう言うと嵯峨は今度は手元から細長い棒を取り出してじっと眺め始めた。
「隊長、用事があるんじゃないですか?」 
「ああ、神前。そう言えばそうなんだけどさ」 
 ようやく用事を思い出したと言うように手にした棒を机に置くと立ち上がり、二人の前に立つ。
「実は人を迎えに行って貰いたいんだが……。ああ、アンは明石のところに行っていいよ。説明は全部あいつがするから」 
「はい!」 
 緊張した敬礼をして部屋を出て行くアン。目の前の嵯峨の顔がにやけている。先ほど吉田が向けてきた視線と同じものを感じて誠は咳払いをした。
「誰を迎えに行くんですか?」 
「別にそんなにつんけんするなよ。豊川の駅の南口の噴水の前で胡州海軍の少佐と大尉の制服を着た新入りが待ってるからそいつを拾って来いや」 
「なんで名前とか言わないんですか?それに少佐と大尉って……第三小隊の」 
「そうだよ、嵯峨楓少佐と渡辺かなめ大尉。まさか要坊に拾って来いとは言えねえだろ?」 
 いかにもうれしそうに言う嵯峨に誠は思わずため息をついた。
 嵯峨の双子の娘の妹、嵯峨楓少佐。胡州海軍兵学校卒業後すぐに海軍大学に進んだエリートと言うことは一応聞いてはいた。だが、彼女の話が出ると十中八九要が暴れだし収拾がつかなくなる。従妹である彼女になぜ要が拒絶反応を示すのかはあまり詮索しないほうがいい、カウラのその助言に従って誠はそれ以上の質問は誰にもしなかった。
「わかりましたけど……でも本当に僕で良いんですか?」 
 頭を掻きながら誠が再び執務室に腰掛けた嵯峨にたずねる。
「別に誰だって良いんだけどさ。要坊以外なら」 
 そう言って再び机の上の坊を見つめる嵯峨。誠は埒があかないと気づいてそのまま部屋を出る。そこにはなぜか彼が出てくるのを待っていたアンがいた。
「なんだ?明石中佐が待ってるだろ?」 
 そう言う誠を潤んだ瞳で見上げるアン。
「あの、僕……」 
「あ、俺は急いでるんでこれで!」 
 そう言うと誠はそのまま早足で正面玄関に続く廊下を歩いた。明らかに危険を感じるセンサーが反応している。そのまま更衣室の角を曲がり、医務室の前の階段を下り、運行部の部屋の前の正面玄関を抜け出る。
 安心したように振り向いた誠。だが、突然大きな質量の物体に跳ね飛ばされて正面玄関前に植えられた桜の樹に顔面からぶちあたることになった。
「グレゴリウス!だめだよ……ああ、なんだ誠ちゃんか。ならいいや」 
 誠の体に乗っかって生ぬるい息を吐くのはシャムの愛熊グレゴリウス13世だった。明らかに相手が誠と知って安心しているシャムを恨めしそうに見ながら誠は頭をさする。
「痛い?」 
「痛いに決まってるじゃないですか!」 
 よろよろと立ち上がる誠。ぶつけた額を触ってみるが特に血が出ているようなことは無かった。
「シャムさん。グレゴリウスはつなげって隊長に言われませんでした?」 
 誠は目の前で小山のようにも見える熊グレゴリウス13世の頭をなでているシャムを恨みがましい目で見つめた。
「だってこの子はちゃんと攻撃するべき相手を選んでるから。ほらね、今回も誠ちゃんは怪我してないし」 
 あっけらかんと答えるシャムに誠は何も言葉が無かった。
「そこで静かにしていてくださいよ!」 
 そう念を押しながら誠は公用車管理の担当者が詰めている小屋に向かった。
「ああ、誰もいないよ。警備部はお休みを取ってるから」 
 誠はそんなシャムの言葉に肩を落とす。そして誰もいない小屋の中の鍵もかかっていない公用車のキーを集めたボックスからライトバンのキーを取り出す。
「大丈夫なんですか?盗まれたりしても知りませんよ」 
「大丈夫だよ。グレゴリウスがちゃんと見張ってるもんね!」 
 見詰め合うシャムとグレゴリウス13世を無視して誠はダークグリーンのライトバンのドアを開ける。
「それじゃあ行ってきますね」 
 じっと誠の車を眺めているシャム達を置いて車を出す誠。そのまま閑散としたゲートをくぐって菱川の工場に車を出す。次々と流れていく巨大なトレーラーの群れ。それを縫うようにして車を走らせる。
 まだ10時を過ぎたところと言う微妙な時間帯。営業車が一斉に出かけるのか工場の正門にはそれなりの車の列ができていた。誠はとりあえずそのまま産業道路と呼ばれる工業地帯に向かう営業車とは反対側にハンドルを切り、豊川の駅に車を走らせた。
 豊川市は同盟成立以降の好景気の影響による再開発が始まったばかりで工事中の看板が目立つ。誠はいつものカウラの運転を思い出し、裏路地を通って駅へと向かう。
 気分は悪くは無かった。とりあえず待機ばかりの部隊にいるよりは外で車を走らせているほうが仕事をしているような気分になるのが心地よかった。南口は大きな百貨店が軒を並べる北口とは違って駐車場や工事中の看板が目立つ再開発が進行中の地区。今日もクレーンを搬送するトレーラーに十分近く行く手をふさがれて、どうにか南口ロータリーに車を止めて周りを見回した。誠はすぐに二人の女性士官の姿を見つけることができた。相手も誠の保安隊の制服が目に付いたらしくゆっくりと誠に向かって歩いてくる。
「貴官が遼州同盟司法局保安隊実働部隊第二小隊所属、神前誠曹長だな」 
 胡州海軍の桜をかたどった星が輝く少佐の階級章が光る。誠の嵯峨楓の印象は日本の戦国時代のじゃじゃ馬姫と言う感じだった。姉の法術特捜主席捜査官の嵯峨茜と双子だと言うところから自分と同い年になるわけだが、姉の茜に似て落ち着いた雰囲気が感じられた。長く黒い髪を頭の後ろにまとめ、顔の両脇から長い髪をたらしている姿は姫君のような気品と若武者のような意思の強さを感じさせた。
「楓様、彼があの神前曹長なんですか?」 
 青いショートボブの髪型の気の強そうな大尉が誠を値踏みするように頭の先からつま先まで眺める。
「この男が西園寺の姫様の思い人とは思えないんですが……」 
「思い人?」 
 誠は自分の顔が赤くなるのを感じた。要のことを思い出す誠。たしかに嫌われてはいないようだとは思っていたが、そう言う関係じゃないと思っていた。しかも目の前にいるのは要の生家、西園寺家と親しい嵯峨家の当主とその家臣である。要がそれらしいことを彼女達にほのめかしていたとしてもおかしくは無い。
「あ、あのー嵯峨少佐……」 
 自分でもわかるほど見事にひっくり返った声が出る。
「どうした?父上のことだ、あまり階級とかで呼ぶなと言っているだろう。楓でいい。あれが迎えの車か?」 
 さすがに胡州四大公の当主である、誠を威圧するように一瞥すると誠が乗ってきたライトバンに向かって歩いていく。
「あのー……楓さん?」 
 誠の声に振り向く楓。自分で名前で呼ぶように言った割には明らかに不機嫌そうに眉をひそめている。その目で見られると誠はそのままライトバンに向けて全力疾走する。そして二人が荷物を詰めるように後部のハッチを開く。
「うん、なかなか気がつくな」 
 そう言うと楓はそのまま手にした荷物を荷台に押し込む。
「荷物少ないんですね」 
 誠は他に言うことも無くきびきびと働く二人に声をかけた。
「マンションに生活用品はすべて送ってくれる手はずになっている。とり急ぎ必要なものを持ってきただけだ」 
 ハッチを閉めながら楓が不審そうな瞳を誠に向ける。
「それじゃあ……」 
 誠が思わず後部座席のドアを開けようとするが、楓の手がそれを止めた。
「別にリムジンに乗ろうと言うんじゃないんだ。神前曹長は運転をしてくれればいい」 
 そう言って初めて楓の顔に笑みが浮かんだ。誠はそのまま運転席に駆け込む。その間、妙に体がぎこちなく動くのを感じて思わず苦笑いを浮かべた。
「それじゃあやってくれ」 
 運転席でシートベルトを締める誠に楓が声をかけた。誠の真後ろに座っている渡辺かなめ大尉はじっと誠をにらみつけている。
『なんだか怖いよ』 
 冷や汗が誠の額を伝う。
 駅のロータリーを抜け、そのまま商店街裏のわき道に入る。ちらちらと誠はバックミラーを見てみるが、そこでは黙って誠を見つめる楓の姿が映し出されていた。まるで会話が始まるような雰囲気ではない。しかも楓も渡辺も話をするようなそぶりも見せない。
 沈黙に押し切られるように誠はそのまま住宅街の抜け道に車を走らせた。
 商業高校の脇を抜けても、産業道路に割り込む道で5分も待たされても、菱川重工豊川の工場の入り口で警備員に止められても、楓と渡辺は一言もしゃべらずに誠を見つめていた。
「あの、僕は何か失礼なことをしましたか?」 
 大型トレーラーが戦闘機の翼を搬出する作業を始めて車が止められたとき、誠は恐る恐る振り向いてそうたずねた。
「なぜそう思う?」 
 逆にそう言う楓に、誠はただ照れ笑いを浮かべながら正面を向くしかなかった。とりあえず怒っているわけではない、それが確認できただけでも儲けものだと自分を慰めながら保安隊のゲートに差し掛かる。
「おう、ご苦労さん」 
 金髪の彫りの深い警備部の兵士に声をかけられて視線を上げる誠。彼の表情が明らかに疲れているのを見て警備兵は後部座席を覗き込むが、そこに少佐の階級章の士官が乗っているのを見てなんとなく納得したような顔をしてゲートを開いた。そしてロータリーを抜け、正面玄関に車を止める誠。
「すまないが案内をしてもらえないだろうか?」 
 車から降りると楓はそう言いながら荷物を下ろし始めた。
「僕はこの車を……」 
「わかっている。僕はここで待っているから」 
 そう言うと楓と渡辺は正面玄関に降り立った。誠はそのまま車を公用車の車庫に乗り付ける。そこではグレゴリウス13世と戯れているシャムが居た。
「まだやってるんですか?」 
 そう言いながら公用車のキーを箱に戻す誠。シャムはつかつかと誠のところまで来ると興味深そうに誠を見つめてくる。
「誠ちゃん女の人と一緒に居たでしょ」 
 問い詰めるように迫るシャム。
「ああ、第三小隊の隊長を迎えに行ってたんですよ」 
「え!楓ちゃんと会ってたの?いいなー」 
 そう言いながら誠の周りをくるくる回るシャム。
「なんならついて来ますか?正面玄関前で待っているってことみたいなんで」 
「いいの?やったね!実は会うの初めてなんだ」 
 そう言うとシャムはグレゴリウス13世に手を振ってそのまま誠の後ろにくっついてくる。そして正面玄関の前に立つ二人の麗人を見てシャムはうれしそうに微笑んだ。
「へーあの人が楓ちゃんなんだ。かわいいね」 
 手を振るシャムだが、楓と渡辺は黙って近づいてくるシャムと誠を見つめているだけでまったく反応を示さなかった。
「あの、この人がナンバ……!」 
 誠がシャムを紹介しようとした瞬間、楓の手がシャムの胸元に伸びた。そしてさも当然と言うように小さなシャムの胸を軽くなでるようにさすった。
「あ!」 
 突然のことに呆然とするシャム。誠もまた何もできずに楓の行動を見守っていた。
「うん、実に良い。それでは神前曹長、案内を頼む」 
 そう言うと何事も無かったかのように誠に目を移す楓。シャムはと言えばしばらく呆然と誠を見上げていたが、すぐに喜びにあふれた表情を浮かべた。
「これよ!これが楓ちゃんなのよ!やっぱり思ったとおり!おっぱいマニアだね!」 
 誠の理解を超えた範疇で喜ぶシャム。ただ渋い顔をして誠はそのまま正面玄関から隊舎に入った。幸運なことに運行部の女性隊員は廊下に居なかった。
「誠ちゃん、荷物くらい持ってあげようよ」 
 渡辺の手から手荷物を預かろうとするシャムの声に気がついたように誠は楓を見つめた。
「ああ、頼めるか?」 
 そう言って楓から渡されたかばんはその体積の割りに重たく感じられた。
「じゃあ、隊長室は二階ですから」 
 誠はそう言うとそのまま階段を上る。楓も渡辺も相変わらず黙って誠のあとに続いた。シャムはニヤニヤしながらその後ろを行く。
「ここが更衣室です……」 
 誠が指を差すのにあわせて視線を向ける楓。誠はとりあえず黙っていようと思いながら廊下を右に折れた。
「ここが姉上の執務室か」 
 楓が口を開いたのは彼女の双子の姉である嵯峨茜警視正が常駐している遼州同盟法術犯罪特捜本部の部屋だった。
「挨拶していきますか?」 
 こわごわ尋ねる誠に首を振り、そのまま歩き出す楓。誠はそのまま彼女の前に出て隣のセキュリティーシステムを常備したコンピュータルームを指差すが、楓はまったく関心も無いというようにそのまま嵯峨がいる隊長室の前に立った。
 そのまま誠を無視してノックする楓。
「おう、いいぞ」 
 嵯峨の声を聞くと楓と渡辺は当然のようにドアを開けて入る。
「げ!」 
 要の声に誠は部屋を覗き込んだ。そして楓の顔がそれまでの退屈したような無表情から感激に満ちたものへと変わっているのを見つけた。楓が要の胸に手を伸ばそうとするのを要は楓の頬に平手を食らわすことでかわした。
「テメエ!何しやがんだ」 
 そう叫ぶ要に楓は打たれた頬を押さえながら歓喜に満ちた表情を浮かべる。
「この痛み、やはり要お姉さまなんですね!」 
 その言葉に背筋に寒いものが走る誠。そして要の隣に立っていたカウラは呆然とし、アイシャはにんまりと笑みを浮かべている。
 そんな人々の視線を気にしてなどいないというように、楓はそのまま要の手を握り締めるとひきつけられるように要の胸に飛び込もうとする。
「おい!やめろ!気持ち悪りい!」 
「ああ、お姉さま!もっと罵ってください!いけない僕を!さあ!」 
 その楓の言葉に嵯峨は頭を抱えていた。カウラはそんな嵯峨を汚いものを見るような視線で見つめている。要は自分の行動がただ楓を喜ばせるだけと悟ったように、口元を引きつらせながら誠に助けを求めるように視線を送っていた。
 誠もさすがにアブノーマルな雰囲気をたぎらせる楓を見て、すぐに彼女の製造責任のある嵯峨へと視線を向けた。泣きそうな顔で黙っている嵯峨。それを察したようにアイシャが楓に向き直った。
「嵯峨楓少佐!自分は……」 
「アイシャ・クラウゼ少佐だな。父上から話は聞いている」 
 そう言いながらすぐさま先ほどシャムに対して見せたすばやい手の動きがアイシャの胸元に向かう。アイシャはさらりと胸の輪郭をなぞるように手を走らせる楓を見つめたままにやりと笑った。その様子を浮かない顔で見つめるカウラ。
「それでは私がご案内しましょう。それと……警視正!」 
 アイシャが笑顔でドアのところに立っていたの茜に視線を向ける。明らかに不愉快そうな表情でこめかみに青筋を浮かべながら妹を見つめている。
「姉上!お久しぶりです!」 
 笑みを浮かべながら敬礼する楓。一方茜はしぶしぶ敬礼をしてそのまま隊長室に入ってくる。
「楓さん、言っておきますがここは東和ですからね。それに今のあなたは嵯峨家当主でもあるのですから。その自覚をお持ちになって行動してくださいね」 
 棘のある茜の言葉に喜びをみなぎらせた表情でアイシャに案内されて渡辺を連れて出て行く楓。廊下に響く楓のうれしそうな声を上げる楓をアイシャがなだめている声が聞こえた。
「叔父貴!なんであの変態がうちに配属なんだ?理由言え!半殺しぐらいで勘弁してやるからとっとと言え!」 
 思い切り机を叩いてまくし立てる要。そんな彼女もただ涙目で見上げてくる嵯峨の表情に力なくこぶしを誠の腹に叩き込んだ。息が止まって前のめりになる誠。手を出して介抱するカウラもじっと嵯峨の表情を伺っている。二人に共通するのは死んだ魚のような視線だった。
「そんな目で見ないでくれよ。俺もできればこの事態は避けたかったんだけどな……」 
 そう言うと書類の束を脇机から取り出す嵯峨。表紙に顔写真と経歴が載っているのがようやく呼吸を整えた誠にも見て取れた。
「うちは失敗の許されない部隊だ。まあどこもそうだが長々とした戦略やリカバリーしてくれる補助部隊も無いんだからな」 
 そう言いながら冊子に手をやる嵯峨。突然まじめな顔になる彼に要やカウラも黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「となればだ、どうしたって人選には限定がついてくる。それなりに実績のある人材で法術適正があってしかもうちに来てくれるとなるとメンバーの数は知れてるわけだ。しかも来年からは西モスレムの提唱した同盟軍の教導部隊の新設の予定まであるってことになると……ねえ……」 
 誠もある程度状況が理解できてきた。実績、能力のある人材を手放す指揮官はいない。さらに同盟軍教導隊には保安隊の数倍の予算が計上されているという話からして、こんな僻地に喜んでくる人材に問題が無いはずが無い。
 実際、この保安隊も教導部隊の設立という名目で管理部部長のアブドゥール・シャー・シン大尉が引き抜かれ、同盟司法局の武官系の調整任務が勤まる指揮官が見つからないという理由で保安隊副隊長の明石清海中佐は本局勤務に転属予定と言う有様である。猫の手も借りたいのが嵯峨の本音だろうと誠は目の前の浮かない顔の指揮官に目を向けていた。
 しばらく沈黙する要とカウラだが、二人の言いたいことは誠にも理解できた。
 嵯峨は現在でも遼南帝国皇帝の地位を降りられないでいる。胡州帝国第三位の大公家の前当主。テロで死亡したとはいえ妻の実家はゲルパルトの大統領の妹。さらに遼北軍の指導的ポジションに従妹がいて政治的なバックアップを受け続けている。普通ならば同盟加盟が遅く、アラブ連盟との関係を指摘されるところから発言権が強くない西モスレムの提唱した軍の教育専門部隊に比べて優先度が高い上にコネクションを使うと言う裏技もできるはずだ。
 そう思って嵯峨を見つめる誠。嵯峨が次第にしおれたように机に伏せる。
「ああ、そうだよ。俺は上に信用無いし、今回の件で醍醐のとっつあんや忠さんの顔に泥塗ったから胡州からの人材の供給は期待できないし、他の国は未だに法術関係の人材の取り合いでうちに人を出してくれるような余裕はないし……」 
 いじけてぶつぶつつぶやき始める嵯峨。そんな彼をにらみつけながらこぶしを握り締める要と呆れて誠の顔を見つめるカウラ。茜も子供のように机にのの字を書いている父親に大きくため息をつくばかりだった。
 そこにノックの音が響く。
「お父様!」 
 茜が声をかけるが嵯峨は黙って机の上に積もった埃でなにやら絵を描き始めていた。
「どうぞ!」 
 何時までもうじうじと端末のキーボードをいじっている叔父を見限ったように大声で怒鳴る要。そしてそこに入ってきたのは明石、吉田、明華、マリア、リアナそしてシンの姿だった。
 保安隊の指揮官待遇の面々が同じように冷たい目線で嵯峨を見つめながら部屋に並ぶ。一人入ってくるごとに嵯峨の表情が暗く陰鬱なものに変わっていった。 
 全員の視線が冷たく刺さるのを感じているらしい嵯峨が突然立ち上がった。
「まず言っておくことがある!」 
 突然そう言った嵯峨に一同は何事かと驚いたような顔をした。誠も指揮官達と嵯峨の顔を見比べながら何が起きるのかと目を凝らした。
「ごめん!俺の実力不足だ。楓の配属は防げなかった」 
「謝られても……私のところはレベッカに謝ってもらえばいいだけだから」 
 明華はそう言うと再び彼女らしい鋭い射るような視線で嵯峨を見つめる。誠は技官レベッカ・シンプソン中尉の豊かな胸を思い出し思わず頷いた。
「私のところより……」 
 マリアはそう言うとリアナに目をやった。女性相手にのみセクハラを働くだろう楓の被害が集中しそうなのは女性隊員だけで構成されたリアナの運行部だった。
「大丈夫とは思うけど……ちょっと注意しておいたほうがいいかしら」 
「それに越したことはないんじゃないですか?」 
「ワシもなあ……まあアホさ加減じゃもっと問題ある奴がおるけのう」 
 リアナは口に人差し指を当てて思いをめぐらせ、吉田は他人事のように構えていて、明石は黙って要の顔を覗く。要は向きになってそんな明石をにらみ返した。
「お父様。楓さんの人事は康子伯母様のご意向が働いたのではないですか?」 
 思いついたように口を開く茜に図星を指されたというように頭を掻く嵯峨。そしてその視線が要に向けられるとこの部屋にいる人々の視線は彼女に集中した。
「おい!お袋のせいにするなよ!大体ああいうふうに育ったのは叔父貴の教育のせいだろ?」 
「そんなことは無いぞ!俺は教育してないからな。ただどこかの誰かさんが姉さん気取りで西園寺家の庭の松に裸にした楓を逆さに吊るして棒でひっぱたいて遊んでいたからああいう性格になったという……まあそんなひどいことする餓鬼がいるわけ無いよな?」 
 嵯峨は感情を殺した表情で要を見つめる。誠はなんとなくその光景が思い浮かんだ。要は三歳で祖父を狙ったテロに巻き込まれて体の大半を失ったと言うことは誠も知っていた。今と変わらぬ姿で小さな楓を折檻する要の姿。思わず興奮しそうになる自分をなだめながら周りの人々の気配に顔を赤く染めていた。
「アタシは躾でやっただけだぞ!それにほとんどがアタシにキスしようとしたり、胸を揉んだりしたから……茜!何とか言え!」 
「認めましたね、要さん」 
 茜が要の肩を叩く。そして要も自分の言ったことに気づいて口を押さえたが後の祭りだった。
「まあ、鎗田を吊るす手つきがずいぶん慣れてたのはそのせいなのかしらね」 
 生ぬるい視線を要に向ける明華。隣でうなづくマリア。
「姐御!アタシは……」 
「サディストだな」 
「おい、神前。こう言うのをドSちゅうんか?」 
 腕組みをしてうなづく吉田。誠はあいまいな笑いを浮かべながら明石の質問に答えられずにいる。
「アイシャが聞いたら驚くだろうな」 
「ああ、アイシャちゃんはもう知ってるみたいよ。私にもいろいろ要ちゃんが楓ちゃんにしたこと話してくれたもの」 
 カウラとリアナのやり取りを聞いて、要は完全に負けを認めたようにうつむいた。
「って別に要をいじめるために集まってもらったわけじゃないんだけどな」 
「叔父貴、いつか締める。絶対いつか潰すからな」 
 要のぎゅっと握り締められたこぶしを見て思わず誠は一歩下がった。
「例の07式を潰した法術師ですか」 
 茜の言葉に浮ついていた一同の表情が変わった。嵯峨も手にした端末を操作して全員に見えるように机の上のモニターを調整した。
 そこには誠の機体からの映像が映し出されていた。法術範囲を引き裂いて進んでくる07式が急に立ち止まり、コックピット周辺を赤く染めた。そして内部からの爆発で焼け焦げる胴体。つんのめるようにして機体はそのまま倒れこんだ。その間十秒にも満たない映像が展開される。
「ランはこの芸当を見せた人物が先日、神前達の監視をしていた人物と同一人物と言ってるけど……隊長はどう思われますか?」 
 明華の言葉に嵯峨はただ首をひねるばかりだった。そして静かにタバコの箱に手を伸ばす。そして視線を娘の茜へと向けた。
「許大佐のおっしゃる可能性は高いとは思いますけれど確定条件ではないですわね。確かに私もいろいろとデータをいただきましたが、炎熱系の法術と空間制御系の法術の相性が悪いのは確かなのですが……」 
 茜はそう言いながらシンを見上げる。
「確かに両方をこれだけの短い時間で的確に展開すると言うのは私には無理です。ですが、訓練次第でなんとかならないかと言うとできそうだと言うのが私の結論です」 
 はっきりと断定するいつものシンの言葉に嵯峨の顔はさらに渋いものになった。
「まあそれなりの実力のある法術師と訓練施設を持つ第三者の介入か。あまり面白い話じゃねえな。しかも偶然ここにそんな人物がいたなんてのはどう考えてもありえる話じゃねえ、明らかにこの法術を使った人物は最低でも神前に関心があってベルルカンくんだりまでついて来る人間に絞られるわけだ。それでだ」 
 そう言うと嵯峨はモニターに表を展開させた。
「カント将軍の裏帳簿ですか。それなら……」 
「アメリカにはこいつで手を打ってもらったんだ。生きたままカント将軍を引き渡せばどんないちゃもんをつけられて同盟解体の布石を打たれるかわかったもんじゃねえ。そのためにご当人がお亡くなりになっていただいた。あちらも遼州星系内での活動を規制する条約に調印している以上、あまりごねれば自分の首を絞めることはわかっているだろうからね」 
 そう言うと嵯峨は取り出したタバコに火をつけて話を続ける。
「胡州が協力する見込みが無くなったからにはそう突っ込んでこの件を騒ぎ立てるのは一文にもならないくらいの分別はあるだろ。それにベルルカン大陸の他の失敗国家の独裁者達もしばらくは自重してくれるだろうからな。まったく俺も人が良いねえ、こんなに俺のことが大嫌いな人達の弱みを消し去ってあげたんだから」 
 名前は消されてはいるが、誠にもそのすさまじい金額の並んでいる帳簿に目を丸くしていた。
「まあ別のところで煮え湯を飲ませるつもりなんじゃないですか?」 
 明華の声に笑い声を上げる一同。だが、その中で伏せるまでもなく名前が空欄になっている部分がスクロールされてきた。
「名前が無いですね」 
 カウラの言葉に嵯峨はそれまで机の背もたれに投げ出していた体を起こした。
「名前が無いというよりも書く必要が無い、書きたくない人がこれだけの金額の利益を得ていたと言うことだな」 
 二桁違う金額が並ぶ名前の記載の無い帳簿。それを眺める嵯峨の言葉に一同はしばらく彼が何を言おうとしているかわからずにいた。
「名前を書きたくない……そんな人に金を流したんですか?なんで?」 
 呆然と帳簿を見つめる誠の背中に鋭い声が飛ぶ。
「それがわかれば苦労しないわよ。お父様。この金銭の流れの裏づけは取れているのかしら?」 
 茜が急に身を乗り出す。
「吉田、どうだ?」 
「他の面々は証拠がそれなりにあるんですが……こいつだけはどうしても足がついてないんですよ。まるで直接集金人が取り立てに来ていたみたいで……まあ別ルートで大量の金塊をカント将軍は購入しているという裏が取れましたからおそらくその金が使われた可能性は高いですね」 
 吉田の言葉に逆に茜は目の色を変えた。
「つまり、何時でもカント将軍に会える立場にいた人物と言うことになりますわね」 
 その言葉に要は複雑な表情を浮かべて茜の姿を眺めていた。
「まあそう言うことになるわけだが、まあ記録に残るような会い方はしてるわけがねえよな?」 
 嵯峨はそう言うとタバコをくわえながら要を見つめた。
「はいはい、アタシの顔でどうにか探れって言うんだろ?どこかのお上品なお嬢様とは違っていろいろコネがあるからな。汚れ仕事も便利なもんだ」 
「期待していますわよ、『胡州の山犬』さん」 
 東都での破壊行為で裏社会を恐れさせたと言う要の二つ名を微笑んで口にする茜。要は聞き飽きたと言うように軽く右手を上げて誠の口をふさいだ。
「ですがこの入金を受け取ってた人物はなんで今回のバルキスタンへの出動を妨害しなかったんでしょうか?これだけの資金源を得るルートなんてほかになかなか見つけられるとは思えないんですが」 
 カウラのそんな言葉に嵯峨は頭を掻いた。
「もう十分に稼いだってことだろ?それにこういうやばい仕事は引き際が大切だ。その点じゃあこの金塊をもらった人はそれなりに知恵のある人物ってことだろ?」 
「さっきから隊長の顔を見ているとまるで神前曹長を助けた法術師と金塊を譲り受けた人物が同一人物であるような感じに聞こえるんですが……」 
 マリアのその言葉にタバコをくわえながら下を向く嵯峨。
「そうだよ、少なくとも現時点では俺はそれが同一人物だと思っている。まあ8分くらいはそう言うつもりで話しているんだけどな。そうでなければ誠にこれほどかわるがわる法術師をあてがっている理由が説明できねえよ」 
 小さな国の国家予算規模の金塊を手にした法術訓練施設を保有するテロリストが目的もわからず行動している。誠は自分の背筋が凍るのを感じていた。
「それとこのことは内密にな。俺がもしその組織のトップにいれば金塊と法術組織のつながりを探るような行動をとる公的組織があれば全力で潰しにかかるぜ。これだけの支援をバルキスタンから引き出せる人物が間抜けな人間であるわけがねえだろ?」 
 この場にいる誰もが嵯峨の意図を汲み取ってうなづく。そして東和軍や同盟司法局に対してもこれが秘匿されるべき話だと言うことは誠にもわかってきた。
「まあつまらない話はこれくらいにしておくか?」
 そう言った嵯峨の表情が急に緩んだ。
「ちょっと急な話だったからできなかったけど、とりあえずうち流の歓迎を第三小隊の皆さんにもしてあげようじゃねえの」 
 タバコを吸い終えた嵯峨はそう言うと立ち上がった。
「でもあまさき屋くらいは今日行きましょうよ」 
 手を叩いて微笑むリアナ。酒が飲めると思って表情を緩める明石。
「それじゃあ鈴木、春子さんへの連絡頼むわ。じゃあ解散だな」 
 そう言って再びタバコに火をつける嵯峨。明華達は部屋を出て行く。
「要坊、楓の奴と仲良くな!」 
「できるか馬鹿!」 
 部屋を出ようとする誠とカウラの背中に要の捨て台詞が響く。
「お姉さま!」 
 突然保安隊詰め所から声が響く。要はそのまま廊下を走って消えていく。
「僕の何がいけないんだろう?」 
 そう言って耳にかかる後れ毛を弄りながら声の主の楓が誠をにらみつける。誠はその迫力に押されて立ち往生した。楓はすでに保安隊の東和軍と同じオリーブドラブの男性佐官用の制服に着替えて同じ姿の渡辺を従えて立っていた。
「どうぞ……よろしく……」 
 震えながら挨拶を搾り出す誠を見つめる冷たい楓の視線。カウラはただ同情するような視線を誠に投げかけていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 47

「ふー。疲れったなあ、今度は……」 
 保安隊隊長室。湾岸の宇宙港から愛車のスバル360でまっすぐここに戻ってきた嵯峨は部下達の報告書に目を通し終わり、ガラクタだらけのこの部屋で大きく伸びをしていた。すでに深夜4時。目をこすりながら通信端末の電源を落とすとそのまま首を左右に曲げて気分を変えようとしていた。
 そこにノックをする音が響いた。
「おう!開いてるぜ」 
 嵯峨の声に扉が開くとそこには彼の娘であり同盟司法局法術特捜本部部長である嵯峨茜がお盆にポットと急須、そして湯のみを載せたものを運んできた。
「なんだ、まだいたのか?」
 困ったような顔をする嵯峨。 
「ええ、やはり全五千件の法術犯罪のデータのプロファイリングということになると要さん達やラーナだけには任せて置けなくて……」 
 そういうと静々と銃の部品や骨董品が雑然と転がる隊長室の応接セットに腰を下ろした。そのまま湯飲みにポットからお湯を注ぎくるくると回す茜。 
「自分で手を下さねえと気が済まねえってところか?損なところだけ似たもんだな。俺も今回は寿命が縮んだよ」 
 立ち上がって後ろにおいてあった胡州への旅の荷物を解いた嵯峨は中から生八橋を取り出した。
「お父様、それは昨日食べました」 
 眉をひそめる茜だが、気にすることなくそのまま応接セットに座る茜の正面に腰掛けると包装紙を乱暴に破りながら開ける。
「ああ、俺はこいつが好物なんだ」 
「まるで子供ですわね」 
 そう言いながらにこりと笑う茜。嵯峨は箱を開けて中のビニールをテーブルに置かれていたニッパーでつかんで無理やり引きちぎる。冷めた視線の茜はそれを見ながら湯飲みに熱を奪われて適温になったお湯を急須に注いだ。
「その様子ですと作戦は成功ということですか?」 
 急須に入れたお茶とお湯を混ぜ合わせるように何度か回しながら茜が父親を見上げた。
「成功と言っていいのかね。軍事行動って奴は常に政治的な側面を持つってのナポレオン戦争の時代のプロシアの参謀の言葉だが、まだ今回の作戦の政治的結論は出ちゃいないからな。まあ、そこの部分は俺の仕事じゃないんだけど」 
 そう言うと引きちぎったビニールの上にばらばらと生八橋を広げてその一つを口に運ぶ。
「そんなに無責任なことをおっしゃるとまた上から叩かれますわよ」 
 仕方が無いと言うように八橋を手に取ると自分の湯飲みに手を伸ばす茜。時々外から機械音が響く。
「今回は物的損耗が少なかったのが救いだな。しばらくは技術系の連中には休みがやれるからな」 
 そういうと二つ目の八橋に手を伸ばす嵯峨。
「それより茜、プロファイリングとかなら吉田を貸そうか?あいつはそういうこと得意だし」 
 さらに三つ目の八橋に手を伸ばす父を冷ややかな目で見つめる茜。
「ええ、そうしていただければ助かりますわ。吉田さんの指導で要さん達が使えるようになれば心強いですし……お父様?」 
 まじめな顔の茜を見つめ返す嵯峨。彼の口には四つ目の八橋が入ろうとしていた。
「食べすぎです」 
 そう言われて嵯峨はまだ半分残っている八橋の箱に視線を落としながら口の中の餡を舌で転がして味わっていた。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 46

 バルキスタン中部の政府軍の秘密キャンプは雨季には珍しい晴天に恵まれていた。天空から降り注ぐ光ははこの土地が赤道に近いことを知らせるように赤土の目立つ大地を焼き、茂る下草と潅木の上に容赦なく降り注いでいた。
「気温は摂氏38度、湿度は75%」 
 カモフラージュされたテントから這い出て草むらに身を隠す女性士官は手元の計器の値を読み上げた。彼女が双眼鏡を構えて見つめている先にはキャンプの中でもひときわ大きな建物の裏口があった。警備兵も居らず、静まり返っている。
「隊長の情報網だからな、間違いは無いと思うが。それにしても……」 
 女性士官の足元には寝そべるようにして狙撃銃を構える士官がいた。地面に寝そべり土嚢の上に構えられたライフルはブレイザーR93。骨董品のこの銃のマガジンを手元に三つ並べている彼だが、ようやく踏ん切りがついたと言うようにその中央のマガジンを手に取ると銃に装着しレバーを引いて装弾した。
 手前の鉄条網の前を政府軍兵士が往復している。彼ら、エダ・ラクール少尉とキム・ジュンヒ少尉がこの場所で監視を始めてから次第に警備の兵士の巡回のペースが上がっているのが分かった。
 反政府軍の攻勢が二人の後輩である神前誠曹長の法術兵器の一撃で失敗に終わったあと、政府軍の首魁、エミール・カント将軍は首都の執務室からこのキャンプへと身を隠していた。同盟はカント将軍の意向を無視して人道目的の支援の名目で両軍のにらみ合う地域に部隊を派遣、事実上の占領を開始していた。全面衝突を防ぐことに成功したと言う美名と医療支援と治安確保という名目を並べられてはカント将軍もそれを黙認せざるを得なくなっていた。
 かつて胡州やゲルパルトの野党勢力の資金源として、麻薬やレアメタルの生産ルートの権益を一手に担ってきたカント将軍は近藤と言う販路を失い、その流通ルートの調査が進む現状で胡州やアメリカに今回の議会選挙の実施提案を呑まされていた。そして今回の反政府勢力と呼応しての大茶番が失敗した今では、混乱に乗じて特殊部隊の展開をほのめかす各国の司法当局の目が集まる首都の執務室さえ安全な場所とはいえなくなっていた。
 ジャングルの中の秘密キャンプ。この存在を知るのは限られたカント将軍の腹心とされる人物だけと思われていたがそこに保安隊運行部のエダ・ラクール少尉と技術部小火器管理責任者キム・ジュンヒ少尉は武装して監視の任務に当たっていた。
「まあこれは駄賃らしいからな。失敗しても元々ってことだろ?」 
 地面すれすれに置かれた狙撃銃のスコープを覗き込み、キャンプを監視するキム。その視界には数名の政府軍兵士がいるだけで特に厳しい警備は行われていないように見えた。
「でもおかしくないかしら。一国の権力者がこんなに警備が薄いキャンプにいるなんて。確かにこのキャンプが今はアメリカの監視下に無いとしてもいったん動けばすぐに発見されるはずよね」 
 双眼鏡を下ろしてアサルトライフルを握り締めるエダ。キムはただスコープを覗くだけ。
「そんなことは俺達の給料のうちじゃないよ。ただここに将軍殿がいればその頭に308ウィンチェスター弾を叩き込む。それが俺の任務だ」 
 そう言って静かに安全装置を解除して再びスコープを覗き込む。
 昼の日差しで汗は容赦なく目の中に入り込もうとする。キムはただなんどか手袋の布でそれをぬぐう。カモフラージュの為に顔に塗ったフェイスペイントも次第に汗に流されていく。
「車両が来るわね」 
 エダがそう告げる。一両の重機関銃を積んだ四輪駆動車がキャンプの警備兵に停車を命じられているのを見つけた。
「アサルト・モジュールで踏み潰せば簡単なんだろうがな」 
 皮肉めいた笑みを浮かべるキムだが、彼の視線は中央の建物から外れることは無い。空調の室外機のプロペラが止まることなく回転を続けていることだけが中に人がいることを知らしめていた。
 入り口で止められていた車両の前のゲートが開き、車両はそのまま二両の装甲車の隣に停められた。
『アロー!アロー!』 
 突然エダの装備していた無線機に声が入る。彼女は緊張した面持ちで無線機を握った。
「感度良好」 
 エダが無線機に話しかける。そして彼女はそのまま停止したばかりの車両から降りる二人の政府軍の将校を見つめていた。
『ほう、少しは警戒してくると思ったがそうでもないみたいですね』 
 無線の向こうの男の笑みが想像できてキムは思わず噴出しそうになりながら銃のストックを頬に当てて笑いをこらえる。
「このチャンネルを使うことが許されているのは遼州では保安隊だけですもの。少なくとも何か私達に感心のあるお話がある人しか使わないから答えたまでよ」 
 そう言いながらエダは手にした小銃のグリップを握り締める。
『そう言えばそうですね。さすが陛下の部下の方は頭の回転が速い』 
 相手の言葉に『陛下』と言う言葉が混じったことでエダが相手の素性を察した。嵯峨を『陛下』と呼ぶ諜報作戦部隊は一つしかなかった。保安隊体調嵯峨は遼南帝国の皇帝の位の退位を宣言しながら議会によりそれが無効とされている。遼南帝国の特殊作戦部隊『青銅騎士団』だけがこの状況で活動可能な部隊であることはエダも理解していた。
「で、遼南の軍関係のお方が何の用かしら?」 
 そう言いながら身を伏せるエダ。キムは静かに呼吸を整えている。二人の位置がこの無線の相手に特定されている可能性は大きかった。キムのライフルのスコープの中の二人の士官。その一人はそのまま建物の中に入った。もう一人はタバコを取り出すと入り口でそれに火をつけた。
『アメリカと胡州の特殊作戦部隊がすでにこの地域への浸透を開始している。エダ・ラクール少尉。君から見て10時の方向にある小屋をよく見てみたまえ』 
 エダのフルネームを言った無線の主の言葉に従い、ぬるく流れる風にたなびく振りをしながら小屋に目を向けた。
 素人ならば見逃すかもしれない。それどころかエダの遺伝子レベルでの改造により強化された視力が無ければ見逃す方が自然に思えるほどだった。小屋にかけられたすのこの破れた目から一本の鉄の筒が飛び出している。藪の中を移動している迷彩服。時折、藪の緑がゆれて見えている。
 そこを小隊規模の部隊が移動していることは明らかだった。しかも、その動きは俊敏かつ的確であり、そこに敵対勢力が隠れているという先入観がなければその動きは把握できないほどに訓練された部隊であることは理解できた。
「分かったわ、信用しましょう。でもあの部隊の目的はカント将軍の略取よね。おそらくこのままカント将軍が姿を現さなければ彼らの実力で突入作戦を敢行。悪の根源カント将軍はそのままアメリカの法廷に引き出されることになるわね」 
 エダの言葉に無線の相手はため息をついた。
「あの人が遼南の諜報員だな」 
 突然キムがつぶやく。再び無線をひらいたままエダはキャンプに目をやった。相変わらず軍服の男がカント将軍がいるらしい建物の入り口でタバコをくゆらせている。
『そのとおりですね。そしてその移送の間にカント将軍の記憶を改竄して同盟解体の引き金になるような発言をさせるよう彼らが仕組んだところでそれを証明する手立ては何も無い』 
 タバコの士官はがその言葉が終わると明らかにエダの場所が分かっているとでも言うように向き直る。
「そりゃ心配しすぎでしょ。どうせ俺等が出張ってきたのは同盟の分裂の引き金にもなりかねない遼州の恥部を知り尽くした哀れな亡国将軍に死に場所を用意するくらいのことなんじゃないですか?」 
 そう言いながら黙って銃を構えるキム。
『正直だね君は。実はまもなくカント将軍は移動することになっている。胡州の現政府に批判的な勢力からの情報でこの基地がアメリカと胡州の特殊部隊の標的になっていることがわかったということでね。あと数分でカント将軍は私の立っているところを通過する予定だ。この建物のドアから装甲車までの距離が80メートル。さて、君達はどう任務を遂行するのかな』 
「もったいつけなくても良いですよ。とりあえず半分まで来れば胡州・アメリカの特殊作戦部隊が動く。それまでに何とかしろということでしょ?」 
 キムはにやりと笑いそのまま頬を銃のストックに押し付け再び呼吸を整える。
『では、成功を祈っているよ』 
 男はそのままタバコを投げ捨ててキャンプの建物に向き直った。
 その時、建物の扉が開かれ、重武装の護衛達が次々と建物から吐き出された。その中央に時々見える白い髪の老人。キムはスコープの中にその男を捉えた。
 キムのスコープの中で大きく映し出される老人の姿。慌てる警備兵をなだめるようにその口は開かれる。その周りには防弾ベストを着込んだフル装備の警備兵が銃を構えながら取り囲んでいた。
 エダに通信を送っていた士官はそのまま警備の兵士に近づいていく。
 二人のところからカント将軍までの距離は700メートル。自分で使用済みの薬莢に火薬を詰めなおして調整した弾の軌道はすでにキムの頭の中には叩き込まれていた。警戒しつつ移動するカント将軍と警備兵。その白い頭を中心に捕らえながら静かに引き金を引き絞るキム。
 彼の銃が火を噴く。強力な308ウィンチェスターマグナム弾の反動で肩に走る痛み。すぐに次弾を装填してスコープの中を覗き込んだキムの前で首のない将軍だった肉の塊が倒れこむのが見えるのと、突入部隊が警備兵達の上空にガス弾を撃ち込むのがほぼ同時に見えた。
「このまま脱出するぞ」 
 エダはそう言うとライフルを先ほどの特殊部隊の方に向けながら伏せているキムを地面から引き剥がした。
『作戦成功おめでとう』 
 全速力で駆け出した二人に無線が届く。
「隊長も人が悪いな。どうせあの突入部隊に情報を流したのもあのおっさんなんじゃないのか?」 
 キムはそう言いながら背後から飛んでくる弾丸の雨の中を駆け抜けた。第三勢力の介入を予知したアメリカ軍の特殊作戦部隊のけん制射撃が散発的に続く中二人はただひたすらに走り続けた。
 潅木の茂みを抜けると原生林が始まる。その森に入ることは危険だと悟ったエダが森の際で停止するようにキムに手で信号を送る。キムは立ち止まるとその場にしゃがみこんで背後をうかがった。挟撃を恐れたアメリカ軍の突入部隊は追跡は続けているようだが発砲をやめて息を潜めていた。
 森の中には気配がなかったが、エダはそのまま姿勢を下げるようにハンドサインを送る。狙撃銃を背中に背負い、腰から拳銃を取り出すと警戒するキム。
『賢明だね。そこにはカント将軍の脱出を予期して一個分隊が伏せているよ。少し待ってくれたまえ』 
 二人はそのまま大地に伏せる。篭ったような消音ライフルと思われる射撃音と何かがぶつかるような音が森の中から聞こえる。
『待たせたね。とりあえず胡州の兵隊さんにはババを引いてもらったよ』 
 そんな二人の上司の言いそうな台詞を聞いてそのまま森に侵入した。強力なライトで二人の視界が奪われる。そして顔にフェイスペイントをした上に部隊章を取り外した遼南軍の戦闘服を着た兵士が駆け寄ってくる。
「お疲れ様でした、とりあえず脱出します!」 
 その兵士はそのまま走り始める。森から現れた兵士達はキムとエダの二人の後ろを警戒しながらジャングルを走り始めた。
「ここまで隊長は考えていたのか?」 
「そんなわけ無いじゃないですか。あの人は大筋のプランをよこしただけですよ。後は青銅騎士団の御子神大佐の対応プランによるものです」 
 そう言いながら反撃を無視して走り続ける。森のはずれに装甲車両が鎮座していた。
「ご苦労様でした!」 
 運転席のハッチから顔を出している兵士の敬礼を引きつった笑みで受け流しながらエダとキムはお互いの顔を見ながら笑いあっていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 45

 まず襲ってきたのは激しい頭痛だった。そして吐き気。嘔吐するがもはや胃袋の中に吐くものは無かった。そして目が見開かれる。
「おお、起きたぞ」 
 苦しみの中、誠が目を開けると見下ろしているのはタレ目の要だった。すぐにアイシャと明華の顔が目に飛び込んでくる。口の中には吐しゃ物の残滓が残り気分が悪い。
「水は……」 
「とりあえずこれを飲め」 
 そう要に言われてゆっくりと上体を起こす。支えているのはアイシャ。要は色のついた液体を誠の口の前に運ぶ。ぬるくてすっぱい黄色い液体を誠は静かに飲み始めた。ようやくここが『高雄』の医務室であると言うことが分かって誠は恥ずかしさで顔を赤く染めた。
「まったく無茶な飲み方しやがって。まあ、あっちよりはかなりましだろうからな」 
 笑いながら要は隣のカーテンで仕切られたベッドを眺めた。時々うなり声がするので誰かがそこにいるのは間違いなかった。
「神前にも困ったもんだな。どうせ酔いつぶれればあの歌に耐えられるとでも思ったんでしょ?まあ世の中なかなかうまく行かないのはしょうがないけどね」 
 そう言って苦笑いを浮かべる明華。よく見れば明石や吉田の姿も見える。
「大丈夫ですよ。なんとかなりましたから」 
「大丈夫だ?寝言は寝て言えよ」 
 軍医のドム・ヘン・タン大尉は呆れたというように誠の飲み干した液体のコップを受け取る。
「急性アルコール中毒。ひどかったんだぜかなり。瞳孔は開いてるし、時々痙攣まで起こすし……お前達どんな飲み方してたんだ?」 
 全員を見回すドムに明石が静かに頭を下げる。
「それと隣の。あいつはそれほど飲める体質じゃないって言ってなかったか?」 
「いやあ、ビールでああなるとは思ってなかったから……」 
 要がうつむいてつぶやくが、すぐにドムに睨まれて黙り込む。
「隣ってもしかしてカウラさんですか?」 
 飲んだ液体のおかげで次第に意識がはっきりとしていく中で誠がそう切り出した。頭を掻きながらアイシャが頷く。
「あの娘も意地っ張りだからね。誠が飲むのに合わせてビールを飲み続けたら……」 
「うるさい……静かにしろ……」 
 カーテンを開けて這い出してきたカウラ。自分が下着姿であることにまで気が回らないようで、しばらくぼんやりと青ざめた顔を外気にさらしている。
「おい、ベルガー。なんとかならんか」 
 明石の言葉に少し理性を取り戻したカウラがそのままカーテンの中に引っ込む。
「まあ飲むなとは言わないけどな。大人だろ?お前等も。少しは考えて飲むことを覚えてくれよ。それと今回のことで酒の持込を隊長に止めてもらうことが必要かもしれないな」 
「おい!まじか?」 
 今度は要の顔が青ざめる。
「あの人の持ち込みは多すぎるんだよ。今回だって差し入れってことでウォッカ3ケースって……何考えているんだか……」 
 ドムの言葉に室内の空気はどんよりとよどんだ。
「ああ、そう言えば島田先輩達は?」 
 間の抜けた誠の質問に要達は目を見合わせる。
「回収済みだ。島田はもう歩いてるよ」 
「ああ、仕事は無理だから部屋で休ませているけどな……ったくうちに馬鹿が多いのは誰のせいかしら?」 
 明石の顔を見つめる明華。その視線の中でつるつるの頭の巨漢は婚約者に見つめられながら頭をを撫でながら苦笑いを浮かべる。
「じゃあ帰還中ですか」 
 続いている頭痛に顔をしかめながら明石を見上げる。明石は声も無く頷いた。そして彼はスポーツ新聞を誠に渡した。場違いな新聞に不審に思いながら頭を上げて記事を見つめる誠。そこには蛍光ペンで縁取られた記事が踊っていた。
「法術適正者の封印技術の発表?」 
 誠はしばらくこれが何を意味するか分からずにいた。自然に視線が向いた先のアイシャが紺色の長い髪をかき上げている。
「なんで私の顔を見るの?」 
「いえ……あ!そう言えば今度の職業野球のドラフトって明後日じゃないですか?」 
 ようやく誠は話が飲み込めた。法術適正により東都職業野球のドラフトから排除されるはずだったアマチュアのスター達が復活し、アイシャの指名順が下がるかリストから消えるだろうと言うことを。
「なんて言うか……」 
「どちらにしろワレは問題になっとらんからのう」 
 明石の言葉に照れ笑いを浮かべる誠。自然と左肩に手が伸びるのはまだこだわりを捨てきれないのかも知れないと思いながら誠は静かに手を話した。
「アイシャ。やっぱりプロ行きたかったんじゃないのか?」 
 ニヤニヤしながら切り出す要。だが、笑顔を称えたままでアイシャは首を横に振る。
「今の仕事は気に入っているし、そんな勝負の世界のギリギリの精神状況なんてこっちから願い下げよ。それに誠ちゃんが……」 
 笑うアイシャ。緊張が走るのを悟って誠は再び記事に目を通した。
「へえ、アマチュア競技のすべてで登録選手の検査実施と法術適正者の封印処置について地球連合保険局と遼州同盟厚生局が責任を持つ……ですか。スポーツが平和貢献するとはなかなかいい話ですね」 
 そう言って誠は新聞を要に渡した。ドムが気を利かせてスポーツ飲料のペットボトルを誠に渡す。
「病人を刺激するのはそれくらいにしておいてくれ。あとはあれだ。脱水症状に注意しながら安静にしてれば何とかなる。まあベルガーはもう動いても大丈夫だぞ」 
 ドムの言葉にカーテンがひらかれる。上着をつっかけた姿のカウラがのろのろと起きだしてきた。明らかに顔色が悪いのは仕方が無いことだと誠は笑った。
「よう、飲みすぎ隊長殿。ご気分は?」 
 へらへらと笑いかける要を黙って睨みつけるカウラ。誠はドムからもらったペットボトルを飲み干すとそのままベッドに体を横たえた。
 その姿を見て明石や明華は納得したように要達に目配せする。要は珍しくじっと誠を見つめた後、布団を誠にかけてやっていた。
「これでミッションは最終局面に入ったわけだ」 
 彼らを見つめながら吉田がそうつぶやくのが誠の耳に届いたが、次第に睡魔に襲われていく彼にその言葉を意識する能力はすでに無かった。

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