スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遼州戦記 保安隊日乗 魔物の街 46

「本当にこのたびは……」 
 応接用のソファーに腰掛けた要。目の前の老人がおどおどとしている様を見て自分の胡州帝国宰相の娘、次期四大公筆頭候補と言う身分が恨めしく感じられた。
 黙っている老人。事件の始まりに彼のところを尋ねたときは彼女のそんな素性も知らずにうどん屋の亭主と客と言う関係だったと言うのに、この老人の息子、志村三郎の葬儀で老人が手にしている金色のカードを渡した時からどことなくぎこちない関係になってしまったことを後悔した。
「これ……なんですけど」 
 カードをテーブルに置いて要に差し出す老人。そのカードは胡州中央銀行の手形だった。
「一度……差し上げたものです。受け取れません」 
 そのカードは1億円の手形。恐らくこの様子を盗撮しているだろう吉田達はどよめいていることだろうと想像すると、要には苦い笑みが浮かぶ。
「でも……こんなことをしていただくことは……」 
「私と三郎さんが付き合っていたのは事実ですから」 
 そう言って笑顔を作っているが、老人はただテーブルの上のカードをさらに押し出すために手を伸ばすだけだった。
「ですから……私としても」 
「じゃあ、これを貰えば息子が帰ってくるんですか?」 
 老人の言葉に要は言葉が詰まった。要にははじめての経験だが、叔父の嵯峨の前に詰め寄る彼の部下の親達の姿でいつか自分も同じことを言われるだろうと思っていた言葉。実際にそれをぶつけられて初めて要は目が覚めたような気がした。
「知っていますよ。警察の人が来てアイツが何をしていたかはわかっていますから。じゃあなおさらこれはいただけません。人様のものは盗むな。商売は信用が大事だ。弱いものの気持ちを分かれ。いろんなことを教えましたが奴は一つだって守れないままなりばかりでかくなって……」 
 そう言う老人の目に涙が浮かぶ。要もようやく諦めてカードに手を添えて自分の手元に寄せた。
「アイツのしたことが許されないことだとはわかっています。命で償うような悪いことだって事も……でも奴はワシのたった一人の息子なのも事実ですから……」 
 老人が似合わない白いジャケットの袖で涙を拭う。要は何も言えないまま黙って老人を見つめていた。
「わかりました。これは受け取れないんですね」 
 要の言葉に静かに老人は頷いた。ようやく気持ちを切り替えたように唇をかみ締めたまま無理のある笑みを浮かべる老人。
「でも一つだけ……一つだけ教えていただけませんか?」 
 遠慮がちに老人が口を開いた。ためらいがちに要も頷く。
「アイツは死ぬ前の日にうちの店に来て……突然、『俺は幸せなのかもしれないな』なんて言ったんですよ。アイツが……明らかに死ぬ前の数日。あなたと再会してからアイツは表情が変わったんです。そんな奴にとって……あなたにとって……あの馬鹿息子はどんな存在になりますか?」 
 老人の視線が痛く要に突き刺さった。要は黙ったまましばらく志村三郎という存在について考えてみた。
 要はしばらく沈黙した。
 三郎と過ごした東都での工作活動任務中の日々。思い出しても割り切ることが出来るほど軽くはなかった。身体を任せたからと言うわけではなく、非正規部隊の隊員として任務遂行の為に近づいた野心に燃えていた三郎。だが、その任務が終わっても要は三郎と会う日々を過ごしていた。
 お互い会う必要など無かったのに、いつの間にか当然のように二人は同じときを過ごした。東都の租界でのシンジケート同士の抗争が激化し、同盟軍の部隊が侵攻した。押されていた東都警察の包囲網が完成し、同盟機構の司法局員が駐留するようになって胡州軍は東都の権益を諦めて彼女にも帰国命令が出た。その時もぼんやりとチンピラ扱いされていた境遇から抜け出して喜ぶ三郎のことを考えていたのは確かだった。
「確かに……東都といえば、まずアイツを思い出します」 
 弱弱しくしか吐き出せない言葉に要は自分でも驚いていた。
「この街に再びやってきて、アイツと会おうと思ったこともあります……」 
 ここまで言葉を繋げてようやく要にも心の余裕が出来た。視線を上げると涙を浮かべる老人が要を見つめていた。
「でも……もう会えませんでした。何も再びここに来た時の身分が正規部隊の隊員だったからと言うわけじゃないんです。アイツがあのまま変わらなかった。むしろ以前は反吐が出ると言った組織幹部に成り上がったのが裏切られたと思っていたのは事実ですけど……でも……もう終わったことだったので……」 
「そうでしょう。それでよかったんですよ」 
 老人の目は優しく要を見つめていた。先ほどまで息子を殺された被害者の目だったそれが、優しく要のことを見守っている父親の目に変わっていた。
「今回の出来事もアイツの自業自得ですよ。ただ、アイツのことをこれからも心にかけてくれるのなら……おかしい話ですね。忘れろと言ったり忘れるなと言ったり。年をとるとどうにも愚痴っぽくなってしまって……。今のあなたは立派な将校さんだ。本当はアイツのことなんか忘れてもらいたいと言うのに……親馬鹿って奴ですか」 
 力なく笑う老人に要も無理に笑顔を作って見せる。老人は取って置きの白いジャケットからハンカチを出して涙を拭った。
「そうだ!私は商売人ですから。この前……東和政府から租界を出るための居住許可が出たんですよ」 
 租界から東都に渡るには多種多様な事務手続きが必要だった。要もその手続きに2~3年の時間がかかることを知っていた。我慢していた涙腺の疼きを笑顔が凌駕したおかげで少しばかり安心しながら頷く。
「それで、実は新港に弟夫婦がいましてね。店舗の建物だけあるんだがって話が来てまして……」 
「お店、移るんですね」  
 ようやく救われたような話を聞いた要は溜まった涙を素早くふき取った。
「ええ、新港ですから。確か……保安隊の運用艦は新港を母港にしていましたよね?」 
 老人もようやくさっぱりとした表情で要に笑いかけてくる。要もまたそんな老人を見てようやく落ち込んだ気持ちから救われる気がした。
「じゃあ食べに行っても良いですよね」 
「もちろんですよ!それにそちらの技術者さん達が新港にもいるそうじゃないですか?」 
 笑顔の老人が言葉を飲み込んだのは、こつりと何かが当たってテーブルが動いたからだった。要はつい反射で腰の拳銃に手を伸ばした。
 再び机が動く。そして開け放たれたカーテンの下になにか丸いものが動いているのが目に入った。
「あれ、何でしょうかね……」 
 老人も気がついたように日向に動く丸みを帯びた物体に目を向けていた。
「駄目!要ちゃん!駄目!」 
 ドアが突然開き、驚きの表情を浮かべていた要の目に、小さなシャムが映った。そして誠やカウラ、アイシャまでもが慌てた表情で飛び込んできて銃に手をかけていた要を取り押さえにかかる。
「なんだよ!何があった!」 
 まとわり付く誠の頭がカウラに押しのけられて胸に当たったので、とりあえず要は誠の首筋に肘鉄を叩き込んだ。
「あ!誠ちゃん!」 
 のされた誠に手を伸ばすアイシャ。拳銃を取り上げて安心したようにため息をつくカウラを見て、要はその襟首を掴んで引き寄せる。
「おい、説明しろ。何が駄目なんだ?どうしてここにお前等が乱入して来るんだ?」 
 だがカウラは視線を合わせずに窓の方に向かったシャムを見つめていた。
「怖くないよ。大丈夫……」 
 要から見てテーブルが影になって見えないところでシャムが何かと話をしていた。それに合わせてテーブルの隣の球状の何かが揺れている。
「ほう、これは大きな亀ですね」 
 老人は微笑むとシャムのところに歩いていく。
「亀?」 
 要の体から力が抜けた。そのまま座ってカウラとアイシャを見つめる。
「銃はいらないわよね。見ての通りシャムちゃんが飼ってる亀さんよ」 
「はあ?」 
 アイシャの言葉にしばらく思考が止まる要。後頭部を押さえながら彼女の膝元で誠が意識を取り戻す。
「誠ちゃんも災難よねえシャムちゃんはなんでここに亀吉を連れてきたの?」 
 高さが1メートルはあろうかと言う立派な甲羅の持ち主を撫でているシャムが小首をかしげた。
「ああ、それは決まってるだろ?寒さに弱いからな。ベルルカンオウリクガメは」 
 扉のところで騒動を見つめていた吉田がそう言うとそのままシャムのところに向かう。
「車に乗せてきたってことは吉田……テメエは最初から知ってたんだな?」 
 指を鳴らしながら近づく要に迷惑そうに顔をしかめる吉田。
「亀ぐらいいいじゃないか。こいつは草食だから人に危害を与えたりしないぞ」 
「そう言う問題じゃなくって!」 
 怒鳴る要に後頭部を押さえている誠が迷惑そうに要を見つめた。
「ごめんな……ってお前のせいだからな!いきなり人の胸に抱きつきやがって!」 
「抱きついてないわよねえ?」 
「私が押したら胸に当たっただけだ。全部お前のせいだな」 
 アイシャとカウラの言葉に要の言葉が詰まる。そんな要達のやり取りを老人は笑顔で見つめていた。
 老人は笑い始めた。それを見て一緒に意味も無く笑おうとしたシャムの頭を吉田がはたく。
「本当に素敵な方たちですねえ。西園寺様。あの人たちはあなたの身分を……」 
「身分?そんなものここじゃ関係ないですよ。それにアイツとあった頃のアタシもそう言う状況じゃなかったですから」 
 思わず照れて頭を掻く要。その後ろにじりじりとアイシャは迫る。
「なに気取った口調でしゃべってるのよ。いつも通りのほうがうどん食べに行くとき気が楽でしょ?」 
「オメエは食うことしか頭に無いのか!」 
 そう言って頭に当てていた手をアイシャに振り下ろすが、アイシャはそれを素早くかわしてシャムのところに顔を出す。
「怖いわよねえ……あんな化け物相手に怖かったでしょう?」 
「おい、アイシャ。一遍死んで見るか?」 
 じりじりと指を鳴らしながら近づく要を振り返るアイシャ。老人はそんな光景を笑顔で見つめていた。
「良いですね……仲間って感じがしますよ」 
 後頭部を殴られたせいでじっとその光景を離れてみていた誠に老人がつぶやいた。
「確かにうちはコンビネーションが売りですから」 
 そう言って苦笑いを浮かべる誠を羨望の目で見つめる老人。
「こういう仲間がいれば……あいつも道を踏み違えたりしなかったでしょうね」 
 老人の目に再び涙が光る。どうすることも出来ずに誠はただ老人のそばでシャムと怒鳴りあいをはじめる要を見つめていた。
「なんだってこんなところに連れて来たんだ!ここは職場だぞ!動物園とは違うんだからな!」 
「何でよ!グレゴリウスもいるじゃないの!それにこの亀は前回のベルルカン出動の時に世話になった村長さんから貰ったのよ!粗末にしたらバチが当たるんだから!」 
「いや、ナンバルゲニア中尉。村長とバチは関係ないと思うぞ」 
 カウラまでも巻き込んで広がるどたばた。頷きながら要達を見守る老人。
「おい!暴れんじゃないよー!」 
 ドアが開いて入って来たのは嵯峨。さらに明華と明石、部外者である安城までもが部屋に入ってきた。
「ったく……何やってんだよ。亀一匹の問題でそんなに熱くなること無いだろ?」 
「隊長!亀吉は私の大事なお友達だよ!ひどいよ!その言い方!」 
「すいません」 
 シャムに詰め寄られてすぐに頭を下げる嵯峨。明華と安城は顔を見合わせてその頼りない隊長を見つめている。
「要よ。何でも銃で解決ってのは関心せえへんぞ」 
 そり上げた頭をさすりながら要に詰め寄る明石。その巨体に愛想笑いで答える要。老人は黙ったまま誠を見上げてさびしそうに笑った。
「すいませんねえ。うちの餓鬼共は躾がなってなくて……」 
 頭を掻きながらそう言う嵯峨に痛々しい視線が集中する。嵯峨の浮かべた苦笑いは老人にも伝染した。
「でも楽しそうでいいじゃないですか。東都警察の仏頂面に比べたらずっとましですよ」 
 老人の言葉に東都警察との出動が多い同盟司法局機動隊の隊長である安城が大きく頷いている。
「まあ人間味あふれる部隊と言えば格好が付きますかね」 
「あまり自慢にはならないんじゃ無いですか?」 
 自分の言葉を明華に一言で否定されて泣きそうな顔をする嵯峨。彼らを無視して要とシャムの口論は続いていた。
「勤務中に銃を携帯する必要なんて無いんだからね!」 
「そりゃお前がぼけてるだけだろ?常在戦場がアタシ等の気概として必要なんだよ。当然敵が出てくりゃ鉛弾の一発もくれてやるのが礼儀って奴だ」 
「お前は一発じゃすまないだろ……」 
「カウラちゃん。良いこと言ったわね」 
「お前等は黙ってろ!」 
 三対一。分の悪い勝負と悟ったように島田が持っていた銃を奪い取ると要はそのままホルスターにそれを差し込む。カチリと響く音で固定されたのを確認するとそのままシャムが頭を撫でている亀に近づく。
「しかし……なんでこんなのがいるんだ?」 
「そりゃあ俺とシャムが車に乗せて運んだからだな」 
「そう言うことを聞いてるんじゃねえよ!叔父貴!」 
 亀の甲羅を叩きながら要の視線が嵯峨に飛ぶ。
「別にいいだろ。危険物を運んだわけじゃないし」 
「それ甘すぎだろ?ここは職場であって動物園じゃ無いんだ。ペットの持ち込みは……」 
「動物園は普通ペット持込禁止よね。動物が暴れるから」 
 減らず口を叩くアイシャを要がにらみつける。
「亀がいると何か邪魔になるのか?」 
「おい!叔父貴。普通職場に亀はいないだろ?」 
「すっぽん料理の専門店とか……」 
「うちはいつから料理屋になったんだ?」 
「ひどいよ隊長!亀吉を食べるなんて!」 
 うかつな一言でそれまで嵯峨の味方だったシャムまでも嵯峨を責める様な視線を向けてくる。その隣では他人の振りの吉田がニヤニヤと笑っている。
「食べるってのは……冗談?」 
「何で疑問形なんだ?」 
 そう要に突っ込まれると嵯峨は仕方が無いと言うように頭を下げた。
「さてと……これで失礼しますね」 
 老人の一言にようやく要は視線を上げる。
「あ!……ああ……」 
 自分の隠していた地がばれたことに気づいてうろたえる要。それをニヤニヤしながら見上げる嵯峨。この見慣れた光景を見ている老人の表情に、安心したような表情が浮かんだのを見て軽く頭を下げた。
 誠の行動ににこりと笑って答えた老人。
「本当にすいません。西園寺はこういう奴なので……」 
 抗議するような視線の要を無視してカウラが老人に頭を下げる。
「いえいえ、素敵な人達ばかりで……アイツもあなた達に見送られて逝ったなら幸せだったんでしょう……」 
 再び目に涙が浮かぶ老人。そんな彼の肩を叩く明華の姿にそれまでの騒がしい応接室は沈黙に包まれていた。
「ああ、湿っぽいのはここには似合いませんよね。じゃあ、西園寺大尉には一つだけお願いをしたいのですけど……」 
 老人は涙を拭うと笑顔を作って黙り込む要を見つめる。
「ああ、できることなら何でもしますよ」 
 嵯峨を折檻するのをやめて立ち上がった要。真剣なタレ目が見える。
「うちの店に……新港で営業始めますから。是非来てください」 
 要は大きく頷くがすぐにシャムと吉田を振り返った。
「要ちゃんのおごりだもんね!」
「違うだろ!」 
 シャムを怒鳴りつける要だが、隣の吉田やアイシャは大きく頷いてシャムのそばに一歩近づく。
「わかりました。新港に行くときは西園寺のおごりでうかがいます」 
「何勝手に決めてんだよ!カウラ!」 
 真剣な顔でカウラにまでそう言われて今度は要が泣きそうな顔になる。そんな光景をうれしそうに見守る老人。
「では、お世話になりますね。これからも」 
 そう言うと一礼して老人は出て行った。
「たいへんだなあ……要坊」 
 タバコの箱をポケットから取り出しながら応接室のソファーに座っている嵯峨がニヤニヤと笑う。
「まあうどんは嫌いじゃないからな。仕方ねえけど一回分くらいはおごってやるよ」 
 その要の言葉に目を輝かせるシャム。
「たいへんですね……西園寺さん」 
 誠は思わずそう言うが振り向いた要の笑顔の中で目が笑っていないことに気がついて口をつぐんだ。
「おう!それじゃあ練習するか」 
 要はそう言って立ち上がる。誠もカウラもその言葉の意味が分からずにいた。
「そうね、あの人はパーラに連絡とって駅まで送らせるから」 
 察して立ち上がったパーラはそう言うと腕の端末を掲げている。
「ランニングからですか?いつもどおり」 
 吉田の言葉にようやく要が言い出した練習が野球部のものだとわかって誠は嵯峨に目をやる。
「いいんじゃないのか?俺もしばらく運動してなかったしなあ」 
 立ち上がって伸びをする嵯峨に冷たい目を向ける安城。その厳しい表情を見て諦めて腰を下ろす嵯峨。
「安城隊長。ランニングくらいならいいんじゃないですか?どうせ隊長の運動不足解消の必要があるのは事実ですから」 
 含み笑いを浮かべて嵯峨を見やるのは小さなラン。
「そうね、十キロ走の訓練があるんでしょ?それに隊長自ら参加するのも悪くない話かもね」 
「秀美さん……それは無いですよ」 
 そう言いながら苦笑いを浮かべる嵯峨。大きな亀を抱えたシャムがニコニコ笑いながらその光景を見守っている。
「じゃあ全員着替えてハンガーに集合!」 
 要はそう言って足早に応接室を後にする。
「しゃあねえなあ……」 
 諦めたように嵯峨は立ち上がって屈伸運動を始める。
「それじゃあお先に失礼します!」 
 誠はそう言うとそのまま応接室を後にした。そこには彼を待っていた要の姿があった。
「要さん……」 
「なんだ?」 
 問いかけにぶっきらぼうに答える要。そこにはいつもの要がいる。先ほどまでの飾った姿ではなく、アイシャが言う『底意地の悪そうな表情』の要に誠は安心感を覚えた。
「とりあえず十キロ走って……お前はヨハンを立たせて50球ぐらい投げるか?」 
「やっぱり走るんですね」 
「そりゃそうだろ?安城隊長が見てるんだ。叔父貴も嫌とは言わねえだろ」 
 そう言うと要は女子更衣室に向かう。
「ご愁傷様!」 
「お前も走るんだよ」 
 遅れて出てきたアイシャ、それに声をかけるカウラ。ただ黙ってうつむいて男子更衣室へとぼとぼと歩む嵯峨。
「隊長」 
「ああ、気にするなって。運動不足を何とかしたかったのは事実だしなあ」 
 そう言った後大きなため息をつく嵯峨。再び取り戻した日常に誠はただ半分呆れながら足を突っ込んでいく自分を感じているだけだった。


                                  了


FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト

遼州戦記 保安隊日乗 魔物の街 45

「押すなって!」 
 島田が叫ぶ。胴着を着たままの誠、カウラ、菰田に押し出されて、そのまま島田は吉田が操作している端末の画面の視界からこぼれた。
「正人、こっちで見ればいいよ」 
 サラがそう言うと二つ隣のモニターをいじり始める。
「いいわねえ……サラったらすっかりラブラブで」 
「アイシャ!そんなんじゃ無いってば!」 
「じゃあ俺が……」 
「菰田っちは駄目!」 
 島田とサラの二人をからかうアイシャと菰田。それをちらりと見た後、誠の視線は吉田の手元に移った。
「まだ映らないのか?」 
「焦るなって」 
 カウラに聞かれて自信満々に選択キーを押した吉田。そこには要と先ほどの老人の姿が現れた。
「おう、ちゃんと映ったじゃねーか」 
 吉田の隣の端末の椅子をずらして座っているラン。その小さな肩の隣に顔を出すシャムの頭には猫耳カチューシャがつけられていた。さらに手にした白猫耳カチューシャをランにつけようとするシャムの手をランが無言で叩き落す。
「えーランちゃん似合うのになあ」 
「似合うから嫌なんだよ!」 
 小学生低学年の姉妹のやり取りのようなものを見て呆れている誠。隣でじっと画面を見つめているカウラの姿を見て誠も画面に向き直った。
「腰が低い人ねえ」 
 ランの反対側にパイプ椅子を運んできていたリアナが画面の中で何度も要に頭を下げる小柄な老人に感心していた。
「アイツも一応は胡州貴族のお姫様だからな。俺達みたいな下々からしたら雲の上の存在ってことなんじゃないの?」 
 振り向いて笑顔を振りまく吉田の言葉にむっとする誠。隣で紺色のアイシャの髪が揺れている。
「うんうん要姫には誠ちゃんは不釣合いよねえ……」 
 そう言うとアイシャがそのまま誠に顔を寄せてくる。
「それなんですか……?アイシャさん……」 
 ひどくうれしそうなアイシャの顔にまた遊ばれると思った誠の声。
「おい!」 
 カウラの一言がその状況から誠を救った。二人は思い出したように画面に視線を移していた。ようやくテーブルに向かい合って座った二人。だがカウラの視線は別のところにあった。
 窓際に丸くて大きな何かが動いている。
「なんでしょうね……あれ」 
 そう言って菰田がシャムを見る。それに付き合うように島田やサラがシャムを見つめた。その時部屋の自動ドアが開く。
「シャム!白菜買ってきたわよ!それとチコリも……って何してるの?」 
 全員の視線が叫ぶパーラに向いた。
「あーあ……ははは」 
 シャムが弱弱しい笑い声を上げた。

FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 魔物の街 44

「兄さん、良いんですか?またクラウゼ少佐達が何か始めてますよ」 
 そう言うと兄の顔を見ながらソファーに腰掛ける管理部部長高梨渉参事。その隣では湯飲みに茶を注ぐ技術部部長の許明華大佐がいた。
「まあいいんじゃないの?アイツ等も俺等の仕事が結局何が出来るのか、何が出来ないのか。今回のことでわかったんじゃないかな?結局は俺達の立場じゃ事件が起きなきゃ動きが取れない、終わったときには被害者の涙ばかり。あんまりおいしい仕事じゃ無いってことだよ俺達のお仕事は」 
 嵯峨はうまそうに羊羹を頬張る。その姿に大きくため息をつく安城。
「いつのもことだけど……そんな部下の使い方しているとそのうち足元掬われるわよ。今回の事件だってあの化け物の登場くらいは予想してたんでしょ?」 
 その声に頷きながら明華が湯飲みを高梨に差し出す。目の前の湯飲みを包み込むようにして持った高梨は同意するように大きく頷いた。
「なに、忠告したってやることは同じなんだからさ。まあ俺は隊長なんて柄じゃねえことはわかっているんだ。今回だって辞表を司法局長に提出したんだけどさあ……」 
「また握りつぶされたの?これで何度目?」 
 噴出す安城に情けない顔をしてみせる嵯峨。明華も呆れたようにその光景を見つめていた。
「でも今回はかなり事後処理に手間取りそうですね。東都軍部の上層部。兄さんが脅しをかけた連中は全員諭旨免職処分になったそうですが」 
「身分が自由になれば好き勝手なことを言い出しかねないってこと?まあそれを相手にするほどマスコミも暇じゃないでしょ。まあ地球人至上主義や妄想遼州人のネットユーザーが騒いで終わりよ」 
 安城の一言を聞いても納得がいかないというように頭を掻く高梨。そんな小太りのまるで兄の嵯峨とは似たところの見えない彼から嵯峨に明華が視線を移した。
「けど……今回の厚生局の違法研究のデータが流出した件の方が軍幹部の政治ゲームよりももっと重要な事件だと思うんですけど」 
 その言葉を聞くと嵯峨は一口目の前の湯飲みの茶を口に含んだ。
「直接応用しようなんて動きは無いでしょうけど……まあ警戒しておくに越したことは無いわね。その辺は本局の調査部に連絡しておくわ」 
 そこまで言うと安城はじっと嵯峨の顔を見た。明らかに納得がいかないというように手元にあった書類の角をぴらぴらとめくっている同僚に不思議そうな視線を向ける。
「何か気になることでもあるの?」 
 安城の言葉に顔を上げた嵯峨。相変わらず納得がいかないと言う表情で高梨、明華と目を向けて、そしてそのまま天井を見つめる。
「俺はさあ。人体実験の材料にされたことがあるからわかるんだけどさ。今回の事件であの化け物の材料にされた被害者いるだろ?シャムの奴は自分達の制御が出来なくなった彼らが誠に止めを刺してくれって言ってたっていうんだけどさあ」 
「ナンバルゲニア中尉らしい話ね」 
 そう言うと安城は手にした湯飲みを口に運ぶ。
「だとしたらそんな言葉がなぜ周りの研究者に聞こえなかったのかなあって思うんだよね。俺の場合は意識があったから注射針とか突き刺してくる連中をにらみつけてやったら結構びびってたよ」 
 嵯峨の口元に微笑が浮かぶ。それを見てため息をつく安城。高梨は黙って茶を啜り、明華はポットから急須に湯を注いでいた。
 ぼんやりとした視線で自分を見上げている嵯峨の顔を見て、ハッとしたのは安城だった。
「嵯峨さんにはわからないかもね。ずっと平和とは無縁に生きてきた人ですもの」 
 その遠慮してオブラートに包んだような安城の言葉に嵯峨は首をひねった。
「どういうこと?まあ俺の周りじゃあ刃傷沙汰が絶えなかったのは事実だけどね。餓鬼の頃は遼南の皇位継承権をめぐって、負けて胡州に行けばさっそく地球相手に大戦争だ。そしてまた戻ってみれば遼南は内戦状態。平和より戦争状態のほうが俺にとっては普通のことだからな」 
 そう言うと嵯峨は引き出しを開けた。そして湯飲み茶碗の隣にかりんとうの袋を置く。空の湯のみに気を利かせた明華が茶を注いだ。
「平和な時代だと自分の手が汚れていることに気づかないものよ。他人を傷つけるのに戦争なら国家や正義とか言う第三者に思考をゆだねて被害者ぶれば確かに自分が正しいことをしているとでも思いこめるけど、立ち止まって考えてみれば自分の手が汚れていることに気づく。でも……」 
 安城の言葉に明らかにそれがわからないというような顔でかりんとうの袋を開ける嵯峨。彼女は視線を高梨に向けるが文官の高梨はただ困ったような笑顔を向けるだけだった。
「俺が言いたいのはさ、自分の正義で勝手に人を解剖するのはやめて欲しいってことなんだよ。理系の人にはわからないかなあ」 
「私も技術者ですけど何か?」 
「いやあ、明華はいいんだよ」 
「神前曹長からすればもっとたちが悪いかも知れないわよ」 
 そう言って嵯峨の目の前のかりんとうの袋に手を入れる。取って置きを取られた嵯峨が悲しそうな視線を明華に向けた。
「技術が進んでも人は分かり合えない。そう言うことなんじゃないですか?別に平和とか戦争とか関係ないでしょ」 
 一言、高梨がつぶやいて湯飲みに手を伸ばす。嵯峨はかりんとうを口に入れて噛み砕く。
「そうかもしれないわね。結局、人は他人の痛みをわかることは出来ない。でも、想像するくらいのことは出来るわよね」 
「それくらい考えてもらわねえと困るよなあ。でもまあ……俺も人のことは言えねえか」 
 いつもの皮肉るような笑顔が嵯峨の顔に宿る。そして嵯峨は気がついたように後ろから差し込む冬を感じる弱弱しい太陽を見上げた。
「ああ、まぶしいねえ。俺にはちょっと太陽はまぶしすぎるよ……で、思うんだけどさ秀美さん」 
 突然名前を呼ばれて安城は太陽をさえぎるように手を当てながら両目を天井に向けている嵯峨に目をやる。
「この世で一番罪深いのは想像力の不足じゃないかと思うんだよね。今回の件でもそうだ。生きたまま生体プラントに取り込まれる被験者の気持ちを想像できなかった。その連中の想像力の欠乏が一番のこの事件で断罪されるべきところだったんじゃないかなあ」 
 その言葉に安城は微笑んだ。
「そうね、これから裁かれる彼らにはそれをわかって欲しいわよね。でもそんな私達もたとえ想像が及んだとしても相手に情けをかけることが許されない仕事を選んだわけだし。そんな私達はどう断罪されるのかしら?」 
 苦笑いを浮かべる嵯峨。
「因果な商売だねえ」 
 そして嵯峨は頭を掻きながらいつものようにうまそうに茶を啜って見せた。
「あいつらもそのうちこんなことを考えるようになるのかねえ」 
 嵯峨の冬の日差しを見上げる姿に珍しく安城は素直な笑顔を浮かべていた。

FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 魔物の街 43

『悪夢のような厚生局襲撃事件』と報道された出動から一週間が経っていた。
「シャム!早く片付けろよ!」 
 剣道の胴着に身を包んだランが叫んだ。誠は目の前のシャムに正眼に構えた竹刀に力を入れる。
 今日の訓練メニューは珍しく剣道だった。誠が剣術道場の跡取りと言うことで始まった第一小隊対第二小隊の剣道勝負もすでに5回目を迎えていた。成績は第一小隊の全勝。先鋒で出てくるシャムの前にすでに先鋒のカウラ、次峰の要、助っ人の中堅アイシャ、副将のこれも助っ人の島田が倒されていた。
「ヤー!」 
 雄たけびを上げながら誠はさらにじりじりと間合いをつめる。140cmに満たないシャム。手にした竹刀も普通のものより二割も短い。だが、運動量を生かしたフットワークでいつも誠はその突進の前に倒れていた。
『間合いを取れば勝てると簡単に考えたのがいけなかったんだな……アウトレンジからの奇襲が得意なナンバルゲニア中尉だ。逆に間合いを詰めれば……』 
 だが交わす剣の先が気になって攻撃に集中できない誠に勝機があるわけがなかった。すぐに面の下にシャムの笑みが広がるのが見えた瞬間、シャムは竹刀を誠の長いそれに絡ませて思い切り振り上げる。自信があるはずの誠の握力でもそれが飛ばされるのを防ぐことなど出来なかった。
 そして飛んでいく竹刀を確認してから誠の面にシャムの一撃が落ちてくる。
「はい!面一本!それまで」 
 正審をしていた保安隊運用艦『高雄』艦長鈴木リアナの声が響く。もはや第一小隊の勝ちが当たり前になって賭けさえ成立しないので無関心な整備員達がやる気のない拍手をシャムに送る。
「神前!また負けやがって!」 
 面を取ったばかりの誠の首を飛び出してきた要は掴んで締め上げた。
「苦しいですよ!マジで!」 
 誠の叫びを無視して要は誠の頭を振り回す。
「西園寺!テメーも負けた口じゃねーか!もっとねぎらってやれよ!」 
 第一小隊の大将である小学生用の胴着に身を包んだランが笑いながら軽口を飛ばす。
「でもさあ」 
「デモもストライキもねーってんだよ!シャムに手も足も出ないで負けた奴に神前を攻める権利なんてあるわけねーだろ?じゃあ罰ゲームだ。いつもどおり胴着を着たまま十キロマラソン。ちゃんと身体はほぐしとけよー」 
 あっさりとそう言うとランはそのまま更衣室のあるハンガーの奥へと消えていった。
「ったく……神前の馬鹿が」 
「しょうがないじゃないの。相手はシャムちゃん。短剣で暴れたらそう簡単には倒せない相手よ。まあ、誠ちゃんは剣術指南役としていつかは倒さないといけない相手だけど」 
 意味ありげな笑みを浮かべるアイシャ。カウラはただいつものこんな穏やかな日常に満足しているように満面の笑顔で誠を見つめている。
「またかよ……次回はサラに頼もうかな、助っ人」 
「正人!何で私に振るのよ!」 
 座り込んだまま面をいじりながら誠を見上げていた島田の一言にサラが抗議する。
「にぎやかだなあ」 
 そこに現れたのは安城秀美少佐。遼州同盟司法局の機動特殊部隊、「特務公安隊」の指揮官を勤める女性サイボーグの姿だった。
「安城隊長……その人は?」 
 リアナが聞くのは見慣れない小柄な老人がその隣に立っていたからだった。老人はかぶっていた鳥打帽を脱ぐと頭を下げる。
「あっ」 
 老人の視線が要に注がれる。彼があの事件の加害者とも被害者とも言える人身売買組織を仕切っていた志村三郎の父親であることが分かり場が一瞬静まり返る。
「ああ……どうも」 
 そんな姿にリアナも頭を下げ、隣では安城が困ったような表情を浮かべていた。
「工場の正門で困った顔してたから乗せてきてあげたの。西園寺大尉!」 
「はい!」 
 凛とした安城の声に要は最敬礼で答える。その顔はいつもの斜に構えた要ではなく気恥ずかしさを押し隠している無表情をまとっているように見えた。
「お客さんだからね!じゃあ私はあの昼行灯のところに行くからよろしく」 
 老人を置いて安城はそのままハンガーの奥へと進む。
「要ちゃんのお客さん」 
「あっ!あの志村さんのお父さん?」 
「はい……」 
 ようやく思い出した誠の言葉に一同の目が老人に向けられた。以前誠もうどん屋で見た時より明らかに落ち着いて見えることが気になっていた。そしてランもようやく納得が言ったというように冷めた瞳の要を見つめる。
「ちょっと用事がありまして……要姫様。よろしいでしょうか?」 
 顔を上げた老人に要が頷く。
「サラ!茶を用意してくれ。あとお姉さん。会議室使いますから!」 
「ええ、いいわよ」 
 リアナの許可を取ると要はそのまま安城が消えた技術部の詰め所の方へと足を向けた。ハンガーで剣道の試合を眺めていた人々はただ呆然と彼女を見送るだけだった。
「サラちゃん。私も手伝ったほうがいいかしら?」 
「ああ……お願いしますね」 
 サラではなく答えたのはアイシャだった。そのままサラとリアナも奥の給湯室へと消える。それを見送ったアイシャがいつの間にかこの光景を他人事のように見つめていた吉田の隣に立っていた。
「なんだよ趣味が悪いな」 
「部隊の部屋のすべてに隠しカメラとマイクを仕掛けた本人の台詞じゃないわねそれは」 
 にんまりと笑うアイシャ。頭を掻く吉田。いつの間にかその周りにはカウラ、ラン、島田、菰田。そしていつもどおりシャムの姿がある。
「じゃあ付いて来い」 
 そう言うと諦めたようにハンガーの奥の階段を上り始める吉田。誠もアイシャに引っ張られてその群れに従って歩いていく。
 いつもどおり忙しそうな管理部を抜け、嵯峨に呼ばれたのか隊長室に入る管理部部長高梨渉参事の呆れたような視線を無視して一同は冷蔵庫と呼ばれるコンピュータルームにたどり着いた。

FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 魔物の街 42

 誠が少し感覚を取り戻し始めたとき、急に合同庁舎の車止めの一部が陥没した。
『神前曹長!例のプラントの確保に失敗したとクバルカ中佐からの通信だ!出てくるぞ』 
 カウラの声に緊張の色が見える。それまでただ装甲車両から指示を出していた彼女が誠の後ろで装甲車両から降りて指示を出しているのが見える。
 誠はそのまま陥没の土煙の中に目を向けた。
『あんなにでかいのか?』 
 痛い誠の05式のモニターの画面を受信しているらしく、要の表情が驚きに包まれる。
「これが……」 
 そこまで言うのが誠には精一杯だった。まるで巨大ななまこのような物体。そこからは無数の人の手足、そして顔のようなものまで見て取れた。しばらく息を呑んでいた誠。そして次の瞬間、衝撃波が誠の機体を襲った。
「なんだってこんな!」 
 誠の気持ちはもはや届くことは無かった。18メートルの誠のアサルト・モジュールを優に超える巨大な肉の塊がぞろぞろと地下から這い出してくる。
 全身から取り込まれた法術適正者の足や腕、かつてそれが人間と呼ばれていたときの記憶のようなものを感じさせる突起を全身に配した褐色の不気味な海鼠に似た怪物。それが今誠の目の前にあった。
「どうしたらいいんですか!」 
 東都警察の機動隊の照明で明かりを浴びて伸び上がろうとする目の前の物体を前に誠が叫ぶ。
『法術兵器だ!サーベルは使えるからそれで行け!』 
 カウラの叫び。ようやく誠も理解して大破した07式に突き立てていたサーベルを引き抜いた。
「ムゴー!!」 
 雄たけびのようなものを上げる巨大な海鼠のような物体。そしてそこに渦巻く取り込まれていた人々の思いが誠を襲う。
 東都に来れば仕事がある。そう言われて東海のシンジケートに借金をして東都に渡った若者。生まれたときには不法入国者として租界のにごった空で身体を売って暮らしていた少女。法術が何かの足しになるかと誘いに乗ってみた七人の子持ちの父親。それらの過去が誠の頭の中を走馬灯のように走った。
「やるしかないのか……」 
 目の前の物体の総合としての意思はただ意識を持つものをうらみ、ねたみ、そして破壊すると言う本能だけの物体だった。
 サーベルを構える誠。その目の前で肉塊はじりじりと間合いをつめる。衝撃波を放たないのはそれで誠の05式を仕留められないということを学習したからだろう。
『干渉空間発生!下がれ!』 
 カウラの声で誠は機体を飛びのかせた。切断された空間が都心のアスファルトを削り取りビルを寸断する。
『やばいぞ!あれに巻き込まれたらオメエの機体ももたねえぞ!』 
 要の指摘を受ける前からその可能性は誠は認識していた。そしてそこに目の前の肉塊が気づくだろうと言うこともわかっていた。
『やばいな。こちらは飛び道具無し。そして次々と干渉空間を展開されれば……』 
 そんな誠の思いを理解したかのように再び干渉空間発生の感覚が誠を襲う。
 再び飛びのいてカウラの装甲車両の前にまで後退した。後ろには07式のパイロット確保の為に集結した東都警察機動隊がひしめいている。誠はこれ以上下がることができないと考え直してサーベルを構えて目の前の肉塊に向き直った。
 緊張感は先ほどの07式を相手にしたときの比ではなかった。干渉空間。それもこれまで誠が数回しか展開に成功した規模のものを確実に複数展開しようとする気配を感じる。
『このままじゃやられる!』 
 次第に息が荒くなるのがわかった。
 肉塊は干渉空間を安定して持続させたまま、じりじりと誠との距離を詰める。だが誠はサーベルを構えたまま動くことが出来ないでいた。じっとにらみ合う。だがもはや目の前のかつて人間であったものにはすべてを破壊する以外の考えはないというように頭上に広がる干渉空間の転送先を考えているかのように見えた。
『大丈夫だよ!』 
 突然少女の声が誠の脳内にひらめいた。目の前の肉塊の展開した干渉空間が瞬時に縮んだ。そして肉塊の表面に展開していた薄い制御空間に出来た歪に何かが命中し爆発する。
『間に合ったな!』 
 開いたウィンドウには吉田の姿があった。
『本当に効くんですか?』 
『それはお前の責任だろ?大麗から対法術適応型アサルト・モジュール兵器ってことで取り寄せたんだ。効かなかったらそれは大麗の技術陣を恨め』 
 吉田が構えている無反動砲の後ろで装填を担当している歩兵火器の管理責任者のキム・ジュンヒ少尉が泣きそうな顔で次弾を装填している。
「ムゴー!」 
 明らかに痛みを感じているとでも言うように榴弾の直撃を受けた化け物はもがき苦しんでいた。再び干渉空間を展開しようとするが、それも瞬時に消える。
『今のうちだよ!』 
 ウィンドウが開いたところには第一小隊のエース。ナンバルゲニア・シャムラード中尉の幼く見える顔が広がる。その顔を見て誠は覚悟を決めたようにサーベルを構えなおした。
『反撃だ!行けるな』 
 カウラの声に励まされるのを感じながら誠はそのまま大きくサーベルを振り上げて目の前の化け物に向かう。
「ムガー!」 
 叫び声を上げる化け物に大きく振り上げた誠の05式のサーベルが振り下ろされた。
「行けー!」 
 言葉と同時に誠の空間干渉能力が発動してサーベルが銀色に光り始めた。振り下ろされたサーベルが肉塊の左端を引き裂き、そのまま地面に突き刺さった。切り離された肉塊は地面にボタリと落ちるとじわじわとアスファルトを侵食しながら煙を上げて消滅していく。
『行けるぞ!』 
 要の声にさらに誠はサーベルを構えなおした。その時、また吉田の無反動砲が先ほど引き裂かれて再生を始めていた化け物の左端に命中する。
 爆発。明らかにひるんだようによろめく肉塊。
『次弾装填!』 
『これがラストですよ!』 
 キムの声に誠は再び間合いを取る。もはや衝撃波や空間切削の攻撃を繰り出すことを忘れた肉塊はただの的となっていた。大きく振り上げた誠の05式のサーベル。吉田の最後の一撃が化け物の左半身に命中するのと同時にその中央に誠のサーベルが突きたてられた。
「こなくそー!」 
 叫びと共に肉塊に突き立てられたサーベルが光を放つ。一瞬動きを止めた後、肉塊は大きくうごめいて苦しがっているように見えた。
『ごめんね……でも仕方が無いの』 
 シャムの声が誠の脳内に響く。サーベルは白から赤に色を変えながら一段と際立った光を放ち始めた。
『ア・リ・ガ・ト……』 
 そんな声が誠の頭の中に響いたような気がした。
 突き立てられた05式のサーベルの光がさらに強まる。傷口からは赤黒い粘液がどろどろと流れ落ちる。そしてそのまま流れ落ちた血のようなもので合同庁舎前の大通りが赤く染まった。
「ウギャー!」 
 うめき声を上げる肉塊。その破れかぶれともいえる干渉空間が05式の手元で瞬時に展開されて炸裂した。反動で誠の機体はサーベルを離して吹き飛ばされてしまった。
「これじゃあ」 
 隣のビルに叩きつけられた誠の機体。体勢を立て直して肉塊の体内に取り込まれていくサーベルを取り返すべく突進を仕掛ける。
『大丈夫だよ誠ちゃん。もう終わったんだよ』 
 頭の中。優しく響くのは穏やかなシャムの声だった。足を止めた誠の前で肉塊の中から銀色の光の筋が飛び出している。その光の筋の周りの組織が崩壊を始め、肉塊は次第に細かい肉片を撒き散らしながらアスファルトの上に崩れ落ちていった。
『終わったのか?』 
 カウラの声が誠の耳に響く。未だ誠は目の前に姿を現した自分の機体の専用法術兵器のサーベルが光の筋を放つのをぼんやりと眺めているだけだった。
『やったじゃねーか』 
 化け物が地下から出た際に崩れた瓦礫を浴びたのか、コンクリートの粉塵を浴びて白く顔が染まっているランの姿がモニターに映し出された。
『ランちゃん……お化粧したの?』 
『お前!馬鹿だろ?シャム。これのどこが化粧だって……』 
『俊平!またランちゃんが馬鹿って言った!』 
『事実だから仕方が無いだろ?なあ、キム』 
『なんで俺に振るんですか!』 
 いつもの隊舎でのどたばたが展開される画像を見て、ようやく目の前の生体プラントに釘付けにされていた非日常からいつもの日常を取り戻したと言うように誠は大きく息をした。
『お疲れ!とりあえず現状をそのままにして神前、降りろや』 
 要の画像が変わっていて彼女が走っているらしいことがわかる。それを見ていたのか、誠の機体を見上げていたカウラの顔に笑顔が戻った。
『この05式の破損も証拠物件だ。後は東都警察の仕事。私達はこのまま帰等するぞ』 
 コックピットを開く。生臭いにおいが漂う中、誠はワイアーを降ろしてそのまま地面にたどり着く。そこには笑顔のカウラの姿があった。
「終わったな」 
 煌々と官庁街を照らし出す東和警察機動隊の投光車両。周りには盾を構えた機動隊員が目の前の肉塊の時々びくりと跳ねる鮮血に警戒しながら包囲を始めていた。光の中、カウラのエメラルドグリーンの後ろ髪が北風になびくのを見て誠の心が締め付けられる気分になった。
「神前……」 
 誠に伸ばそうとした手が何者かに掴まれた。
「なんだ!またつり橋効果ごっこでもやる気か!」 
 そこにはいつものタレ目を吊り上げてカウラをにらみつける要の姿があった。
「何を言い出すんだ!西園寺。私は諦めずに任務を遂行した部下をだなあ……」 
 要に向けて赤面して叫ぶカウラの声が鳴り響く甲高いクラクションでかき消された。機動隊が慌てたように振り返って左右に逃げる。突入して来たのは見慣れた軽自動車だった。
 そのドアが乱暴に開いて闇の中に長い紺色の髪の女性が現れる。
「なんだ終わっちゃったの?」 
 落胆して要の肩を掴んだのはアイシャだった。それを見てようやく落ち着いたカウラが目の前の肉塊の残骸とそれにようやくたどり着いて鑑識を呼んでいる機動隊員達を指差した。そして要はずんずんとアイシャに歩み寄っていく。
「オメエ、それ叔父貴の車じゃねえか……ははーあん。あれだな、まだ叔父貴の奴の犠牲者が出たわけだ。大変だねえ」 
 要の言葉に乾いた笑いを浮かべるアイシャ。機動隊が一斉に残骸に向けて走り出し、計測器具を抱えた捜査員達が誠の機体に取り付いて調査を開始していた。
「でもよう。あんまりにもひどい結末だって思わねえか?おそらく人身売買の被害者の生存者はいない。しかも研究をしたスタッフも被害者に引け目なんて感じちゃいねえんだ。ほとんどの面子が最終段階まで自分がやったことが悪いことだなんて言わねえだろよ」 
 そう言いながら要はぬるぬると粘液を引きずりながら調査を続ける鑑識達を見ながらタバコに火をつけた。冬の北からの強い風に煙は漂うことなく流されていく。
「かもしれねーな」 
 埃が舞い、誠はそれをもろに浴びてくしゃみを連発した。ばたばたと身体に巻いていた銃のマガジンや手榴弾のポケットがやたらと付いたベストを外してはたくランの姿がそこにあった。その後ろからはまるで亡霊のように表情もなく付き従ってきた茜や島田の姿も見える。
「悪党や薄汚れた金を集めて喜ぶ連中は御しやすい。むしろ恐れるべき、憎むべきは自分を正義と信じて他者を受け入れない連中だ……と昔の人は言ったそうだが。至言だよなー」 
 そう言ってランはベストを投げ捨てた。茜達もようやく安心したように装備を外してどっかと地面に腰を下ろした。
「ちっこい姐御。さすがにインテリですねえ」 
「褒めても何もでねーよ……と言うかそれ褒めてるのか?」
 ランににらまれて要は目をそらしてタバコをくわえる。誠の口にも自然といつものような笑みが戻るのが分かった。そして同時に誠の首に何モノかがぶち当たりそのままつんのめった誠はカウラの胸の中に飛び込んでいた。突然の出来事にカウラも要もアイシャもただ呆然と首をさする誠を見つめていた。
「お疲れ!」 
 それは誠に延髄切りを放ったシャムの右足のなせる業だった。無反動砲の筒を手にして呆れる吉田。キムは出来るだけ騒動と関わらないようにと後ずさる。
「お疲れじゃねえ!せっかくがんばった後輩を蹴飛ばして何がしたいんだテメエは!」 
「苦しいよ!要ちゃん!降ろして!」 
 勤務服姿のシャムの襟首を掴み上げる要。じたばたと足を振るシャム。携帯端末を手にそれを撮影しているアイシャ。
「あのさあ……誠……」 
 頭を覆う暖かい感触で我に返る誠。それがほのかな膨らみのあるカウラの胸だとわかり誠は直立してカウラに敬礼する。
「失礼しました!」 
「ふふふ」 
 その様子がこっけいに見えたらしく笑顔を見せるカウラ。誠は空を見上げた。そこには丸い月が浮かんでいた。

FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

ハシモト

Author:ハシモト
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。