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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 8

「狭い!」 
「なら乗るな」 
 カウラのスポーツカーの後部座席で文句を言う要をカウラがにらみつける。仕方なく隣で誠は小さく丸くなる。空いたスペースは当然のように要が占拠した。高速道路ということも有り、スムーズに豊川の本部に向かう車。
「でも、あれよね。ランちゃんのあの言葉、気になるわよねえ」 
 助手席で伸びをしながらアイシャがつぶやいた言葉に、隣の要がびくんと反応した。
「冗談だろ?あの横暴だけど腕は立つ餓鬼を簡単に手放すなんて……東和陸軍はやらねえよ」 
 どちらかと言うと自分に言い聞かせているように聞こえる要の声。
「確かに裾野の第一特機教導連隊の隊長ですよね。あそこはあまり異動の無い所だって聞いていたんですけど……」 
 噂で口にした言葉だがすぐに助手席の紺色の長い髪が振り返ってくる。
「甘いわね、誠ちゃん」 
 そう言うと嬉しそうな顔のアイシャが振り向いてきた。
「うちじゃあシャムちゃんと言う遼南青銅騎士団の団長がその身分のまま出向しているのよ。所詮、サラリーマンの東和軍ならもっと動きがあってもおかしくないわ」 
 アイシャの言葉に第一小隊のシャムと吉田のにやけた顔が誠の脳裏にちらついた。
「まあ、アメリカ海軍の連中も出向して来ているのがうちの部隊だからな。そう言えば島田達は今頃着いたかねえ」 
 窓の外を見ながら要はそう言うと追い抜かれて後ろに消えていくダンプカーを眺めている。ロナルド・J・スミス特務大尉貴下の保安隊第四小隊は配属後の教育期間を終えると、遼州の火薬庫と呼ばれるクバルカン大陸に派遣された。クバルカン大陸第三の人口を誇るバルキスタン共和国。その選挙活動の監視と言うのが彼らの出動の名目だった。技術顧問として島田正人准尉もそれに同行した。
 クバルカン大陸は遼州同盟にとっては鬼門、地球諸国にとっては頭痛の種だった。
 遼州星系の先住民族の遼州人が居住していなかった地域であるこの大陸に地球から大規模な移民が行われたのは遼州星系でも極端に遅く、東和入植から百年以上がたってからのことだった。しかも初期の遼州の他の国から流入した人々はその地の蚊を媒介とする風土病で根付くことができなかった。
 クバルカン風邪と呼ばれた致死率の高い熱病に対するワクチンの開発などがあって安全な生活が送れることが確認されて移民が開始されたクバルカン大陸には多くのロシア・東ヨーロッパ諸国、そして中央アジアの出身者が移民することになった。しかし、ここにすでに権益を持ちかけていた西モスレムはその移民政策に反発。西モスレムを支援するアラブ連盟とロシアとフランスの対立の構図が出来上がることになった。
 そして、その騒乱の長期化はこの大陸を一つの魔窟にするには十分な時間を提供した。対立の構図は遼州同盟と地球諸国の関係が安定してきた現在でも変わることが無かった。年に一度はどこかの国で起きたクーデターのニュースが駆け巡り、戦火を逃れて他の大陸に難民を吐き出し続けるクバルカン大陸。
「まあ大丈夫なんじゃねえの?」 
 そう言って要が胸のポケットに手をやるのをカウラがにらみつけた。
「タバコは吸わねえよ。それより前見ろよ、前」 
 そう言って苦笑いを浮かべる要。渋々カウラは前を見た。道は比較的混雑していて目の前の大型トレーラーのブレーキランプが点滅していた。
「そう言えば要ちゃん義体変えたんだってね?」 
 切れ長の目をさらに細めて要を見つめるアイシャ。紺色の髪がなびく様の持つ色気に誠は緊張しながら、その視線の先の要を見た。
「なんだ、それがどうしたんだ?」 
「なんか少し雰囲気が違うような……」 
 とぼけたような調子でアイシャが要の胸の辺りを見つめている。はじめのうちは無視していた要だが、アイシャの視線が一分ほど自分に滞留していることに気付くとアイシャの目をにらみつけた。それでもアイシャの視線は自分から離れないことに気付くと、要はようやく怒鳴りつけようと息を吸い込んだ。
「胸、大きくしたでしょ?」 
 先手を打ったのはアイシャだった。その言葉に怒鳴りつけようと吸い込んだ息をむせながら吐き出す要。
「確かにそんな感じがしたな」 
 カウラまで合いの手を入れた。誠の隣で要の顔色が見る見る赤く染まっていく。
「一回り……そんな感じじゃすまないわねえ……サイズは?」 
 そう言いながらアイシャは視線を落として気まずい雰囲気をやり過ごそうとする誠を眺めていた。
「おい、テメエ等なにが言いてえんだ?」 
 要の声は震えている。
「西園寺。暴れるんじゃないぞ」 
 そう言うとカウラはそのまま前を向いてこの騒動からの離脱を宣言した。しかし、アイシャはこの面白い状況を楽しむつもり満々と言ったように、後ろの要に挑発的な視線を送っている。
「やっぱり、配属してからずっとレベッカちゃんが誠ちゃんにくっついているから気になるんでしょ?」
 誠はそこまでアイシャが言ったことで、なぜ要が義体のデザイン変更を行ったかに気付いた。アメリカ海軍からの出向組である第四小隊のアサルト・モジュールM10には専属の整備技師レベッカ・シンプソン中尉が着任した。彼女が一気に保安隊の人気投票第一位に輝いたのは様々な理由があった。
 金色のふわりとした長い髪、知的でどこか頼りなげなめがねをかけた小さな顔、時々出る生まれ育った長崎弁ののんびりとしたイントネーション、そして守ってやりたくなるようなおどおどとした態度。
 だが、なんと言ってもその大きすぎる胸が部隊の男性隊員を魅了していた。一部、カウラを御神体と仰ぐカルト集団『ヒンヌー教』の信者以外の支持を集めてすっかり隊に馴染んでいるレベッカを見つめる要の視線に敵意が含まれていることは誰もが認める事実だった。
「なっなっなっ……」 
 言葉を継げずに焦る要。それを楽しそうに見つめるアイシャ。誠は冷や汗が出てくるのを感じた。後先考えない要の暴走癖は嫌と言うほどわかっている。たとえ高速道路上であろうと、暴れる時は暴れる人である。
「アイシャさん?」 
「なあに?誠ちゃん」 
 にんまりと笑っているアイシャ。こちらも要の暴走覚悟での発言である。絶対に引くことは考えていない目がそこにある。運転中のカウラは下手に動いてやぶ蛇になるのを恐れているようで、黙って前を向いて運転に集中しているふりをしている。その時、アイシャの携帯が鳴った。そのまま携帯を手に取るアイシャ。誠は非生産的な疲労を感じながらシートに身を沈める。
「……だって……なあ」 
 小声で要がつぶやいた。
「あのー、西園寺さん?」 
「何言ってんだ!アタシは別にお前の好みがどうだとか……」 
 そこまで言って要はバックミラーで要を観察しているカウラの視線に気がついて黙り込んだ。しょげたような要を満足そうに見ながら携帯端末に耳を寄せるアイシャ。
「やっぱりそうなんだ。それでタコ入道はどこに行くわけ?」 
 アイシャは大声で電話を続けている。それを見て話題を変えるタイミングを捕らえて要は運転中のカウラの耳元に顔を突き出す。タコ入道、三好清海入道とも呼ばれる保安隊副長明石清海の話が出たところでアイシャが人事のことで情報を集めているらしいことは誠にも分かった。
「それにしてもあいつの知り合いはどこにでもいるんだなあ」 
 要はそう言うとわざと胸を強調するように伸びをする。思わず目を逸らす誠。
「同盟司法局の人事部辺りか?」 
「だろうな。でもやべえな」 
 カウラの言葉に答える要。彼女はそのまま指を口に持ってきて、右手の親指の爪を噛みながら熟考している。
「実働部隊の隊長があのちっこいのになる訳だろ?やべえよ、それは」 
 もうアイシャにからかわれていたことを忘れて要はアイシャの電話の会話に集中した。
「クバルカ・ラン中佐でしたっけ。あの人が何か?」 
 そう何気なく言った誠だが、タレ目の癖に眼光の鋭い要の視線を浴びて怯んだ。
「クバルカ中佐は厳しい教官だからな。教導はもちろん、書類一つとっても相当チェックを入れてくる人だ。今の明石中佐のようには行かないぞ。報告書も一字一句チェックを入れてくる……ああ、神前は書類は問題無いからな。むしろ西園寺だ」 
 カウラの言葉に爪を噛みながら聞き入っている要。考えてみれば誠も部隊配属は初めてだが、同期の他の部隊で幹部候補になった友人からは書類仕事のとんでもない件数にサービス残業を重ねている日々について聞いていた。誠は少尉候補生として着任したものの、今は曹長として勤務している。保安隊の現状として、実働部隊の下士官ならほとんど定時終わりで野球の練習に入れるのも当然と思っていたが、実は明石が練習の時間を作る為に苦労しているらしいことはなんとなくわかっていた。
「じゃあ、また何かあったらよろしくね」 
 そう言って電話を切るアイシャ。
「やっぱり、本決まりか?」 
 悲壮感を漂わせながら尋ねる要。
「ああ、実働部隊長の件ね。クバルカ中佐で決まりみたいよ。来週、視察に来るとか……それと管理部の方にも入れ替えがあるらしいわね」 
 淡々と答えるアイシャだが、その言葉に次第にうつむき加減になる要を見てその悪戯心に火が付いた。
「ああ、この電話の相手ね。……独自のルート。いろいろと私もコネがあるから情報は入ってくるのよ。まあ私はランちゃんについては運用艦の副長さんだからぜんぜん関係ないけど……大変ねえ」 
 いかにも愉快だと言うような笑顔を浮かべて要を眺めるアイシャ。要はそのまま何も言わずに爪を噛み続ける。その様子から見て、ランが相当な鬼教官であることが想像されて誠も少しばかり緊張してきた。
 だが、そこで思い浮かぶのがあの幼い面立ちである。目つきの悪さはあるにしてもどう見ても小学生である。シャムもやはり幼く見えるが、贔屓目に見れば中学生に見えなくも無い。だがランの姿はどう見てもやはり小学生、しかも低学年である。
「お前さあ、他人事だと思ってるだろ?」 
 ようやく要が口を開いた。全く光の無いその瞳に、誠は寒気のようなものを感じる。
「あいつ、餓鬼扱いされると切れるからな。注意しとけよ」 
 要はそう言うと大きくため息をついた。
「そうよねえ、さんざん要ちゃんはぶっ叩かれたもんねえ」 
「あの人は期待している人間には厳しく当たるからな。一番鍛えてもらったのはお前じゃないか?……そうだ。何かお礼にプレゼントでもどうだ?」 
 アイシャとカウラはそう言うと微笑んで見せる。そんな二人を見ながら要は視線を落としていじけていた。
 カウラの車はそのまま高速道路を降りて一般国道に入った。前後に菱川重工豊川に向かうのだろう大型トレーラーに挟まれて、滑らかにスポーツカーは進む。
「そう言えば第三小隊の話はどうなったんだ?」 
 要は恐る恐るアイシャに尋ねた。振り向くアイシャの顔が待っていたと言うような表情で向かってくる。
「ああ、楓お嬢様の件ね。何でも今月の末に胡州の『殿上会(でんじょうえ)』が開かれて、そこで嵯峨家の家督相続が完了するとか言うことで、それ以降になりそうだって」 
「でんじょうえ?」 
 初めて聞く言葉に誠は胡州の一番の名門貴族西園寺家の出身である要の顔を見た。聞き飽きたとでも言うように要はそのまま頭の後ろで手を組むと、シートに体を投げ出した。
「胡州の最高意思決定機関……と言うとわかりやすいよな?四大公家と一代公爵。それに枢密院の在任期間二十年以上の侯爵家の出の議員さんが一同に会する儀式だ。親父が言うにはつまらないらしいぜ」 
 めんどくさそうに要が答える。だが、誠にはその前の席から身を乗り出して、目を輝かせながら要を見ているアイシャの姿が気になった。
「あれでしょ?平安絵巻のコスプレするんでしょ?出るんだったら要はどっち着るの?水干直垂(すいかんひたたれ)?それとも十二単?」 
 アイシャの言葉で誠は小学校の社会科の授業を思い出した。胡州帝国の懐古趣味を象徴するような会議の映像。平安時代のように黒い神主の衣装のようなものを着た人々が胡州の神社かなにかで会議をする為に歩いている姿が珍しくて、頭の隅に引っかかったように残っている。
「アタシが六年前に引っ張り出された時は武家の水干直垂で出たぞ。ああ、そう言えば響子の奴は十二単で出てたような気がするな……」 
 胸のタバコに手を伸ばそうとしてカウラに目で威嚇されながら答える要。
「響子?烏丸大公家の響子様?もしかして……あの楓お嬢様と熱愛中の噂が流れた……」 
「アイシャよ。何でもただれた関係に持って行きたがるのはやめた方がいいぞ。命が惜しければな」 
 アイシャの妄想に火が付く前に突っ込む要。アイシャの妄想はいつものこととして誠は話題に出た人物について考えていた。確かに四大公筆頭の次期当主の要から見ればそんな人物が話題に出てくるのは普通のことだが、誠にしてみれば四大公家の西園寺、大河内、嵯峨、烏丸の家のうちの三家の女性当主が話しに出ていることに正直驚いていた。
 長男が国会議員をしている大河内家以外はどれも現当主や次期当主は女性だった。先の当主烏丸頼盛の追放で分家から家督を継いだ烏丸響子女公爵と父の遼南皇帝就任のため名目上の大公家を相続した嵯峨楓、そして普通選挙法の施行以降の爵位返上をちらつかせている父からの家督相続の話がひっきりなしに出る西園寺家の一人娘西園寺要。
 そんなことを考えている誠。外を見ると風景は見慣れた豊川市近郊のものになり始めていた。いつものような大型車の渋滞をすり抜けて、カウラは菱川重工豊川工場の通用門を抜けて車を進めた。
「ちょっと生協寄ってなんか買って行きましょうよ。私おなかが空いているし……誠ちゃんも何か食べるでしょ?」 
 にらまれ続けるのに飽きたとでも言うようにアイシャがカウラに声をかける。それを無視するようにアクセルを踏むカウラ。
「今日はシャムが遼南の土産を持ってくるって言ってたろ?どうせ喰いきれないくらいあるんだから……」 
 要の言葉にアイシャはうつむいた。要は先ほどまでの大貴族の家督相続の話などすっかり忘れているように見えた。
「だから言ってるんじゃないの。また変なもの買ってくるに決まってるわよ」 
 そう言いながらアイシャはうなだれた。
 助手席でうつむくアイシャをうっとおしく感じたのか、カウラは生協の駐車場に車を乗り入れた。
「誠ちゃんとカウラはいいの?」 
 アイシャの言葉に首を振るカウラ。
「僕はいいですよ。せっかくナンバルゲニア中尉の好意ですから」 
 そう言う二人を見てアイシャは細身の体をくねらせてそのまま車を降りた。
「今回の殿上会か……荒れるな」 
 要はそう言うと誠を蹴飛ばした。仕方なくアイシャに続いて車から降りた誠を押し出した要はそのまま外に出た。伸びをしてすぐに彼女は胸のポケットに手を伸ばす。
「荒れるって?」 
 誠の言葉を聞きながら要はタバコに火をつけた。
「おい、誠。胡州の国庫への納税者って何人いるか知ってるか?」 
 タバコをふかしながら前の工場の敷地内を走るトレーラーを眺めながら要が言った。
「そんなこと言われても……僕は私立理系しか受けなかったんで社会は苦手で……」 
 そう答えて頭を掻く誠に大きなため息をついて要はタレ目でにらみつけてくる。
「三十八人。全員が領邦領主の上級貴族だ。胡州は領邦制国家だからな。領邦の主である貴族がすべての徴税権を持っている」 
 カウラは迷う誠をさえぎるようにしてそう言った。
「さすが隊長さんだ。胡州の政治情勢にも詳しいらしいや。その三十八人の有力貴族はそれぞれに被官と呼ばれる家臣達が徴税やもろもろの自治を行い、それで国が動いている。まあ世襲制の公務員と言うか、地球の日本の江戸時代の武士みたいなものだ」 
 そう言うと要はタバコの煙を噴き上げる。
「けどよう、そんな代わり映えのしない世の中っつうのは腐りやすいもんだ。東和ならすぐ逮捕されるくらいの賄賂や斡旋が日常茶飯事だ。当然、税金を節約するなんて言うような発想も生まれねえ」 
 いつに無くまともなことを口にする要だが、彼女は胡州貴族の頂点とも言える四大公筆頭、西園寺家の嫡子である。誠は真剣に彼女の話に耳を傾けた。
「今回の殿上会の最大の議題はその徴税権の国への返還だ。親父の奴、この前の近藤事件の余波で保守派の頭が上げにくい状況を利用するつもりだぜ」 
 そう言うと要は車の中を覗きこんだ。カウラはハンドルに身を任せて要を見つめていた。誠は膝に手を置いた姿勢で要を見上げている。
「しかし、それでは殿上会に無縁な下級貴族達の反発があるだろうな。胡州軍を支えているのは彼ら下級貴族達だ。特に西園寺。お前の籍のある陸軍はその牙城だろ?大丈夫なのか?」 
 カウラは静かにハンドルを何度も握りなおしながら振り返る。
「だから荒れるって言ってんだよ」 
 そう言うと要はタバコをもみ消して携帯灰皿に吸殻をねじ込んだ。
「荒れるか……なるほど。では荒れた議場をまとめる西園寺公の思惑をどう見るか四大公筆頭、西園寺家の次期当主のお話を聞こうか」 
 カウラはそう言うと運転席から身を乗り出して要の方を見上げた。
「ああ。徴税権の問題に関しては親父は早期施行の急先鋒だが、大河内公爵は施行そのものには反対ではないものの、そのあおりをもろに受ける下級貴族には施行以前の見返りの権益の提供を条件に入れることを主張している。烏丸家はそもそも官派の支持を地盤としている以上、今回は反対するしかないだろう。そして叔父貴は……」 
 要はそこまで言うと再びタバコを取り出して火をつける。周りでは遅い昼食を食べにきた作業着を着た菱川重工の技師達が笑いながら通り過ぎる。
「もったいつけることも無いだろ?嵯峨隊長は総論賛成、各論反対ってことだろ?早急な徴税権の国家への委譲はただでさえ厳しい生活を強いられている下級貴族の蜂起に繋がる可能性がある。あくまで時間をかけて処理する問題だと言うのがあの人の持論だ」 
 カウラの言葉に要は頷いた。
「胡州の貴族制ってそんなに強力なんですか?」 
 間抜けな誠の言葉に呆れて額に手を当てるカウラ。要は怒鳴りつけようと言う気持ちを抑えるために、そのまま何度か肩で呼吸をした。
「まあ、お前は西と西園寺が会話している状況を普通に見ているからな。これは隊長の意向で身分で人を差別するなと言う指示があったからだ。そうでなければ平民の西が殿上貴族の西園寺家の次期当主のコイツに声をかけることなど考えられない話だ」 
 カウラはそう言うと要を見上げた。タバコを吸いながら要は空を見上げている。
「でも遅せえな、アイシャの奴。さっさと置いて帰っちまうか?」 
 話を逸らすように要がつぶやく。
「とりあえずお前はその前にタバコをどうにかしろ」 
 そして、ずっと要の口元のタバコの火を眺めていたカウラが突っ込みを入れる。誠が生協の入り口を見ると、そこにはなぜか弁当以外の物まで買い込んで走ってくるアイシャの姿があった。
「ったく何買い込んでんだよ!」 
「要ちゃん、もしかして心配してくれてるの?大丈夫よ。私は誠ちゃんじゃないから誘拐されることなんて無いし……」 
 要は仕方なくタバコをもみ消して一息つくと、そのまま携帯灰皿に吸殻を押し込んで後部座席に乗り込む。アイシャは誠がつっかえながら後部座席に乗り込むのに続いて当然のように助手席に座り買い物袋を漁り始めた。
「誠ちゃん。このなつかしの戦隊シリーズ出てたわよ」 
 アイシャがそう言うと戦隊モノのフィギュアを取り出して誠に見せた。
「なんつうもんを置いてあるんだあそこは?」 
 要が呆れて誠の顔を覗き込む。
「大人買いじゃないのか?」 
 車を発進させながら、カウラはアイシャに目をやった。
「ああ、そっちはもう近くのショップで押さえてあるから。これは布教のために買ったの」 
 そう言って要や誠にも見えるように買い物袋を拡げて見せる。そこには他にもアニメキャラのフィギュアなどが入っていた。
 そのまま戦闘機のエンジンを製造している建物を抜けて、見慣れた保安隊の壁に沿って車は進む。だが、ゲートの前にでカウラは急にブレーキを踏んだ。誠や要はそのまま身を乗り出して前方の保安隊の通用門に目をやった。
 そこには完全武装した警備部の面々が立っていた。サングラス越しに運転しているカウラを見つけた警備部の面々が歩み寄っているだが装備の割りにそれぞれの表情は明らかに楽しそうな感じに誠には見えた。
「どうしたんだ?」 
「ベルガー大尉!実は……」 
 スキンヘッドの男が青い目をこすりながら車内を覗き込む。
「ニコノフ曹長。事件ですか?」 
 誠を見て少し安心したようにニコノフは大きく息をした。
「それがいなくなりまして……」 
 歯切れの悪い調子で話を切り出そうとするニコノフに切れた要がアイシャの座る助手席を蹴り上げる。
「わかったわよ!降りればいいんでしょ?」 
 そう言って扉を開き降り立つアイシャ。ニコノフの後ろから出てきたGIカットの軍曹が彼女に敬礼する。
「いなくなったって何がいなくなったのよ。ライフル持って警備部の面々が走り回るような事件なの?」 
 いらだたしげにそう言うアイシャに頭を掻くニコノフ。
「それが、ナンバルゲニア中尉の『お友達』らしいんで……」 
 その言葉を聞いて、車を降りようと誠を押していた要はそのまま誠の隣に座りなおした。
「アイシャも乗れよ。車に乗ってれば大丈夫だ」 
 要の言葉に引かれるようにしてアイシャも車に乗り込む。開いたゲートを抜けてカウラは徐行したまま敷地に車を乗り入れる。辺りを徘徊している警備部の面々は完全武装しており、その後ろにはバットやバールを持った技術部の隊員が続いて走り回っている。
「シャムさんのお友達?」 
 誠はそう言うと要の顔を見つめた。
「どうせ遼南の猛獣かなんか連れてきたんだろ?先週まで遼南に出張してたからな」 
 要の言葉に頷くアイシャ。
「猛獣?」 
 誠はあの動物大好きなシャムの顔を思い出した。遼南内戦の人民軍のプロパガンダ写真に巨大な熊にまたがってライフルを構えるシャムの写真があったことを誠はなんとなく思い出した。
「部隊には吉田に言われて黙ってたんだろ?あの馬鹿はこう言う騒動になることも計算のうちだろうからな」 
 投げやりにそう言った要は、突然ブレーキをかけたカウラをにらみつけた。
「なんだ?あれは」 
 カウラはそう言って駐車場の方を指差した。そこには茶色の巨大な塊が置いてあった。
 要が腰の愛銃スプリングフィールドXD-40に手を伸ばす。
「止めとけ!怪我させたらシャムが泣くぞ」 
 カウラのその言葉に、アイシャを押しのけようとした手を止める要。車と同じくらいの巨大な物体が動いた。誠は目を凝らす。
「ウーウー」 
 顔がこちらに向く。それは巨大な熊だった。
「コンロンオオヒグマか?面倒なもの持込みやがって」 
 要はそう言うと銃を手にしたままヒグマを見つめた。ヒグマは自分が邪魔になっているのがわかったのか、のそのそと起き上がるとそのまま隣の空いていたところに移動してそのまま座り込む。
「アイシャ、シャムを呼べ。要はこのまま待機だ」 
 カウラの言葉に二人は頷く。熊は車中の一人ひとりを眺めながら、くりくりとした瞳を輝かせている。
「舐めてんじゃねえのか?」 
 そう言って銃を握り締める要。アイシャは携帯を取り出している。 
「駄目だよ!撃っちゃ!」 
 彼らの前に駆け込んできたのはナンバルゲニア・シャムラード中尉だった。いつもどおり東和陸軍と同じ規格の勤務服を着ているので隊員と分かるような小さな手を広げてシャムはそのまま車と熊の間に立つ。
「おい!テメエ何考えてんだ?部隊にペットを持ち込むのは厳禁だろ?」 
 要の言葉にシャムは少し悲しいような顔をすると熊の方に近づいていく。熊はわかっているのか、甘えるような声を出すと、シャムの手をぺろぺろと舐め始めた。
「シャムちゃん、降りて大丈夫かな?」 
「大丈夫だよ!アイシャもすぐに友達になれるから!」 
 そう言うと嬉しそうに扉を開けて助手席から降りるアイシャを見つめていた。
「一応、猛獣だぞ。ちゃんと警備部の連中に謝っておけ」 
 カウラはそう言うと熊に手を差し伸べた。熊はカウラの顔を一瞥した後、伸ばした手をぺろぺろと舐める。
「脅かしやがって。誠も撫でてや……」 
 車から降りて熊に手を伸ばした要だが、その手に熊が噛み付いた。
「んーだ!コラッ!ぶっ殺されてえのか!この馬鹿が!」 
 手を引き抜くとすぐさま銃を熊に向ける要。
「駄目だよ苛めちゃ!」 
 シャムが驚いたようにその前に立ちはだかる。
「苛めたのはそっちじゃねえか!どけ!蜂の巣にしてやる!」 
「要!何をしているんだ!」 
 銃を持ってアイシャに羽交い絞めにされている要に声をかけたのは、警備部部長、マリア・シュバーキナ少佐だった。
「姐御!コイツ!噛みやがった!」 
 アイシャの腕を力任せに引き剥がす要をマリアについて来た警備部員と技術部の面々が取り押さえた。
 マリアは要と熊を見比べていた。軍用義体のナノマシンの修復機能で、要の噛まれた腕から流れていた血はもう止まっている。
「なるほど、賢そうな熊だな。ちゃんと噛むべき奴を噛んでいる」 
「姐御!そいつは無いでしょ?まるでアタシが噛まれるのが当然みたいに……」 
 泣き言を言い出す要に微笑みかけるマリア。
「捕獲成功だ、各自持ち場に戻れ」 
 そう言うと重武装の警備部隊員は愚痴をこぼしながら本部に向かって歩き始める。
「こいつが熊太郎の子供か?」 
 マリアが笑顔でシャムに尋ねる。以前誠も遼南内戦でシャムと苦難をともにした人民英雄賞を受けたコンロンオオヒグマの熊太郎の名前をシャムが酔っ払っているときに聞いたのを思い出した。
「そうだよ、名前はねえ『グレゴリウス13世』って言うの」 
 熊の頭を撫でるマリアにシャムは嬉しそうに答えた。
「おい、そのローマ法王みたいな名前誰が付けたんだ?」 
 手ぬぐいで止血をしながら要が尋ねる。
「隊長!」 
 元気良く答えるシャムにカウラとマリアが頭を抱える。
「グレゴリウス君か。じゃあ女の子だね!」 
「アイシャさん。それはおかしくないですか?どう見ても男性の名前なんですけど……」 
 突っ込みを入れる誠に笑いかけるアイシャ。
「やっぱり誠ちゃんはまだまだね。この子の母親の名前は『熊太郎』よ。命名したのも同じ隊長。つまり隊長は……」 
「違うよアイシャ。この子は男の子」 
 シャムはそう言ってグレゴリウス13世の首を撫でてやる。嬉しそうにグレゴリウス13世は甘えた声を上げながら目を細めている。
「でもまあ、なんで連れて来たんだ?」 
 カウラの声にシャムの目に涙が浮かぶ。
「この子のお母さんの熊太郎ね、大怪我しちゃったの。今年は雪解けが早かったから、冬眠から覚めたらなだれにあったみたいで自然保護官に助けられてリハビリが必要なんだって。そのお見舞いに行ったらこの子を頼むって熊太郎が言うからそれで……」 
 シャムはそう言うと泣き出した。ぼんやりとその場にいた面々は顔を見合わせる。
「オメエ熊と話せるのか?」 
 血を拭い終わった要がシャムに尋ねた。
「お話はできないけど、どうして欲しいかはわかるよ。グレゴリウス。この人嫌いだよね」 
「ワウー!」 
 シャムの言葉に合わせるようにうなり声を上げて要を威嚇するグレゴリウス13世。
「おい、シャム。嫌いって聞くか?普通……」 
 要が引きつった笑顔のままじりじりとシャムに迫る。だが、要の手がシャムに届くことは無かった。顔面めざし突き出されたグレゴリウスの一撃が、要を後方五メートル先に吹き飛ばす。
「西園寺さん!」 
 さすがに誠も飛ばされた要の下に駆け寄った。
「ふっ、いい度胸だ」 
 そう言って口元から流れる血を拭う要。
「あのー、そんな格闘漫画みたいなことしなくても良いんじゃないの?」 
 呆れたようにアイシャがつぶやく。立ち上がった要の前では、ファイティングポーズのシャムがグレゴリウスと一緒に立っている。
「ふっ。運が良かったな。神前!行くぞ」 
 そう言うと要はそのまま隊舎を目指す。
「珍しいじゃないか、西園寺がやられるだけなんて」 
 ニヤつきながらエメラルドグリーンの髪を手でかき上げるカウラ。
「アタシもあいつと違って餓鬼じゃねえからな」 
「私が止めなきゃそのまま第二ラウンドまでやってたんじゃないの?」 
 要はアイシャの言葉をごまかすように口笛を吹く。そんな彼らの前に金属バットやバールで武装した整備班の面々が顔を出した。
「お帰りなさい!」 
 そこに野球のヘルメットに金属バットを持ったレベッカの声が響いた時、再び要の顔が明らかに不機嫌そうになり誠は一歩遅れて歩くことにした。レベッカ・シンプソン中尉。アメリカ海軍から出向してきている技術将校である。今では本来の整備班長の島田正人准尉が第四小隊の担当としてベルルカン大陸に派遣されている為に彼の変わりに整備班長の代理を務めていた。緊張していた彼女だが先発していた技術部員がシャムと熊が遭遇したことを知らせると緊張した面持ちがすぐに緩んでいくのが分かる。
「なんだか今日は会いたくねえ奴ばかりに会うな」 
 明らかにレベッカを見て表情を曇らせながらその隣をすり抜けようとする要。しかし、レベッカはその明らかに邪魔な大きさの胸を見せ付けるようにして手に持ったかごを要に差し出した。明らかにそれを見て青筋を立てている要に冷や汗を流す誠とアイシャだが、レベッカはまるで要の表情には気にかけていないというようにそこから卵を一つ取り出した。
「シャムさんが連れてきた遼央地鶏の茹で卵ですよ。食べませんか?」 
 そこですぐさま誠とアイシャはレベッカからかごを奪い取って卵を手に取る。
「ああ、私大好物なの!卵。はあ……」 
「僕も大好物で……もう殻ごと塩もかけずに食べちゃうくらい!」 
 とりあえずレベッカの間に二人で入って要が切れないようにする。殻ごと口に含んだおかげであちこち口の中が切れるのを感じるが要の威圧感に耐えられずに噛み続ける二人。 
「ああ、そうですねお塩が無いと。取ってきますね!」 
 そう言うとレベッカは整備班の控え室に消えていった。
「あのなあ、アタシだって誰彼かまわず喧嘩売るわけじゃねんだよ。それに誠。口から血が出てるぞ」 
 そう言うと要はそのまま事務所に繋がる階段に向けて歩き始める。誠とアイシャは目を白黒させながら口の中の卵を殻ごと噛み砕く。
「それにしてもあの熊はやばいんじゃないか?ただでさえ同盟司法局のお荷物部隊ってことで叩かれているアタシ等だ。これ以上何かあったら……」 
 そう言いながら要は階段の手すりに手をかける。
「それは気にしなくてもよろしくてよ」 
 ハンガーに入って詰め所に向かってあがる階段を見下ろしている女性幹部警察官の制服を見て要の顔がまた明らかに不機嫌になるのを誠は見てしまった。階段の上で誠達を待っていたのは、隊長嵯峨惟基の長女で同盟司法局法術特捜首席捜査官、嵯峨茜警視正だった。
「なんだよ茜か。ずいぶん余裕だねえ」 
 そう言うと要はそのまま階段を上がり始める。几帳面な彼女の襟元が少しずれて見えるのはおそらく中央に呼び出されて司法局の幹部とやりあったからだろう。
「すみませんね。また西園寺が何か……」 
「知らねえよ!むしろ叔父貴の態度で上が誰かに愚痴でもこぼしたくなったんじゃねえのか?」
 我関せずという感じの要。茜はそんな要を見て大きくため息をついた。
「小言くらいならいくらでも頂きますわ。お金と活動権限を制限されること。そちらのほうが問題なのですもの」
 そう言いつつ要の表情を見ていた茜だが要はただにんまりと笑うだけだった。 
「言いてえことはわかる。嵯峨家の身銭で運営しているうちは手を出せるお偉いさんはいなかったからな。第四小隊の創設でそれも限界。予算が欲しくなるのは当たり前だな」 
 要はそう言うとハンガーを見下ろすガラス張りの管理部のオフィスを覗く。自分から目を逸らした要に少しばかり気分を害したように一度茜が大きく足踏みをした。
「まあ……近藤事件でその実力を見せつけた今。逆に予算を増やして監査などを入れやすい状況を作り出して叔父貴に鈴を付けたいところだろうしな。予算規模しだいでは同盟加盟国のやり手の文官を差し向けてくるくらいのことはあるんじゃないのか?」 
 要はそう言うと上目遣いのタレ目で茜を見つめた。
「司法実働部隊に文官を入れる……まあ素直に叔父貴が納得するとは思えねえけどそれにオメエのところの人材の確保のめどはどうなんだよ」 
 下種な笑みを浮かべて茜をにらむ要。だが、茜は表情一つ変えずに語り始めた。
「厳しいところですわね。現状では私達法術特捜は、人員面であなた方四人の兼任捜査官を得ての活動でことが済むというのが司法局の判断ですわ。一般市民の法術適正者の特定と把握には東和政府は及び腰ですが、遼北や大麗では市民の法術適正検査の義務化の法案を通しましたわ」 
「あれだろ?本人に通知するかで揉めたって法案。遼北は非通知、大麗は通知だったか。それがどうしたんだよ……何か?一般市民から捜査官の公募でもするのか?」 
 そう言うと要はポケットからタバコを取り出そうとして茜ににらまれる。
「それもいい考えかも知れませんわね。適正に関することならネットではもうすでに法術の発動方法に関する論文が流出してもう法術はオカルトの分野ですとごまかすことも出来ないのが現状ですもの。それを見た少しばかり社会に不満のある人物が自分の法術適正に気付いて、そしてその発動の方法を知ることができる機会があれば……それが何を意味するかおわかりになりますわよね?」 
 茜の言葉に要は顔色を変えた。
「馬鹿が神様気取りで暴れるのにはちょうどいいお膳立てがそろうって事か」 
 誠はアイシャやカウラの方を見てみた。二人とも先ほどまでのじゃれあっていた時とは違った緊張感に飲み込まれたような顔をしている。
「でもそんな急に……僕だって実際今でも力の制御ができないくらいだから……」 
 そう言いかけた誠を見て茜はため息をついた。
「確かに訓練もまともに受けていない適正者が法術を使用すれば、結果として自滅するのは間違いないですわね」 
 淡々と茜はそう答えた。
「じゃあどうするんだ?シンの旦那みたいなパイロキネシストがあっちこっちで連続放火事件を起こそうとして火達磨になって転げ回るのを黙って見てろってことか?」 
 要の表情が険しくなる。
「今のうちはそれでも仕方ないですわ」 
 あっさりと茜はそう答えた。その冷たく誠達を見つめる視線に誠は少し恐怖を感じた。
「今、そんな人々を救える力は私達には有りません。それは私も認めます。ですが今の同盟にはそれを主張しても押し通すだけの権限が無いのはどうしようもありませんわ。今は時を待つ。要お姉さまも自重して下さいね」 
 そう言う茜にどこか寂しげな表情が見て取れて、誠は彼女を正面から非難することができなかった。
「わあってるよ!んなことは!」 
 そう言って要は管理部の壁に拳をぶつけた。中では心配そうな主計下士官、菰田曹長の顔が見える。
「まあこうして話していても何も起きないわよ。私はお昼ご飯食べたいから行くわね」 
 そう言って要と茜の間を縫って隊舎に消えていくアイシャ。ただ呆然と四人は彼女を見送った。
「西園寺。とりあえず神前を迎えに行ったことの報告しといた方がいいな」 
 そう言うとカウラは、まだ茜に言いたいことがあるとでも言うように口を尖らせる要の腕を引いた。仕方なく要はそのまま廊下を進む。そうして向かった保安隊隊長室のドアは少し開いていた。香ばしい香が三人の鼻を刺激する。
「何やってんだ?叔父貴は」 
 そう言うと要はノックもせずに隊長室に入った。
「ああ、戻ってきたの?まあお肉は一杯あるから」 
 そう言って七輪に牛タンを乗せていたのは鈴木リアナ中佐。保安隊運用艦『高雄』の艦長である。隣で黙って肉を頬張っている女性は許明華大佐。技術部を統括する保安隊影の最高実力者と言われる女傑。
「ああ、丁度いいところに来やがったな。食うだろ?お前等も」 
 そう言って後ろから取り皿と箸を用意する男が保安隊隊長嵯峨惟基特務大佐だった。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 7

「そう言えば、挨拶行かないの?」 
 機体を降りた誠の前でさんざん要にプロレス技をかけられていたアイシャが、屈伸をしながらカウラの顔を見上げる。
「そうだな。久しぶりだから顔を見せておくのもいいかも知れないな」 
 そう言いながらエメラルドグリーンのポニーテールを秋の風になびかせるカウラ。だが、一人眉をひそめているのが要だった。
「おい、あの餓鬼のところに行くのかよ?」 
「餓鬼って……?」 
 ヘルメットを脱いで小脇に抱えながら、話題についていけずに呆然としていた誠が尋ねた。
「お前なあ。一応元東和のパイロットだろ?東和のエースと言えば……って戦争と無縁な軍隊じゃあしゃあねえか」 
 そう言うと要は頭を掻いた。彼女が言いたいのが数年前まで続いていた隣国遼南の動乱とそれに不介入の姿勢を示していた東和の一市民であることを誠に思い出させるためのものであることはすぐに分かった。。
 遼南内戦。大国の利権が入り乱れたその戦いの中、遼州の盟主を自認する東和は遼南北部の飛行禁止空域を設定した。そしてそれがただの脅しではないと宣言するように違反機を数機撃墜した記録もあった。激烈な地上戦が共和軍と人民軍の間で行われ、共和軍を支持する地球諸国や胡州による介入や遼北の亡命部隊の活動があったことは誠も新聞などで熟知していた。
「クバルカ・ラン中佐と言ってな。私達が保安隊に配属になる前に教導官として担当してもらったエースだ……まあ遼南内戦で共和軍での戦果なんだがな、撃墜数は。結局共和軍が負けて東和に亡命してきたわけだ。実際に隊長やシャムとはぶつかっているそうだからそれなりの腕だということになっているぞ」 
 そう言うカウラの顔は、しかめっ面の要に比べて嬉しそうに誠には見えた。
「ありゃサド餓鬼だよ」 
 要はそう言うとタバコに火をつける。
「あの人には要ちゃんはいじられたからねえ。今でも恨んでるの?」 
 首をぐるぐると回して、要にかけられた関節技の痛みを散らしながらアイシャがにやけた顔を要に向ける。
「あの餓鬼、いつか……」 
「おう、元気そうじゃねーか!」 
 急にかけられた少女の声に誠が振り向いた。シャムより小柄で、身長は130センチあるかどうかと言う少女がそこに立っていた。
「あのー……」 
「オメーか、神前誠って言うへたくそパイロットは?」 
 急に偉そうな子供が現れたので誠は戸惑っていた。周りを見ると、アイシャとカウラが直立不動の姿勢で敬礼をしている。要でさえ、タバコを携帯灰皿でもみ消して、とってつけたように敬礼をした。
「そう硬くなるなよ。明石中佐の前じゃあもう少し楽にしているんだろ?なんでも『タコ中』って呼んでるそーじゃねーか」 
 余裕のある態度で少女は声をかける。三人の上司達が敬礼をする様を慌ててみながら、誠もようやく取ってつけたような敬礼をした。そして自然と彼の視線は少女の階級章に移って行った。
 少女の襟章に中佐の二つの星を見つけて、誠は改めて飛びのくようにして敬礼をした。
「本当にオメー等あの嵯峨の旦那の部下か?あのおっさん仕込の流儀なら『いい子ねえ!飴玉いる?』とか冗談飛ばすくらいの余裕がねーと」 
「じゃあ……、いい子ねえ……」 
 そう言って手を伸ばしたアイシャの後頭部にランの延髄斬りが炸裂する。
「誰がいい子じゃい!」 
 さすがに小学校低学年位の体格のランでは長身のアイシャを倒すことができなくて、アイシャは後頭部をさすりながら苦笑いを浮かべていた。
「あの、冗談は良いとしてよ。なんでここに居るんだ?」 
 スカートのすそを整えているおかっぱ頭のランを見下ろしながら要がつぶやいた。
「そりゃあこっちの話だ。テメー等も非番のはずだろ?ここは東和軍の敷地だ。しかも秘密兵器の実験をしてるところにのこのこ入ってきやがって。軍や司法機関の職員だって言う自覚はねーのか?」 
 そう言って元々目つきが悪いランが要をにらみつけた。しかし要にはまるで効果が無いようで、口笛を吹きながらランの言葉を聞き流している。
「お言葉ですが、法術兵器の使用については術者の身体や精神に過度の負担がかかると聞いていますから、彼の上官としてそのケアに当たるための方策を……」 
 カウラがそこまで言うと、ランが彼女をにらみつけた。思わずその迫力に気おされて黙り込むカウラ。そしてその視線は隣で引きつった笑みを浮かべるアイシャと要を移ろいにんまりとした笑みへと変わる。
「へー、神前曹長。モテモテなんだなオメーは」 
 そう言って誠の肩を叩こうとするが、途中で背伸びをして手を伸ばす姿があまりにも間抜けになると気付いたのか、ランがは誠にボディーブローを放った。
「うおっ!!」 
 みぞおちに決まった一撃でそのまま倒れこむ誠。
「中佐!」 
 さすがのカウラもたまりかねて二人の間に割り込んだ。 
「鍛え方が足りねーみたいだな。安心しな。これからはちょくちょくテメエ等のところに顔を出すことになるだろーからよ」 
 そう言うと誠に寄り添うアイシャとカウラを残してランは管制塔へと去っていく。
「相変わらず傍若無人な奴だねえ。神前、大丈夫か?」 
 誠は要の言葉を聞くとゆっくりと立ち上がった。
「ええ、まあ」 
 ランの腹への一撃で噴出した脂汗を拭いながら誠は立ち上がった。
「じゃあとっとと着替えて来いよ」
 そう言って誠から目を逸らして実験を眺めていた東和陸軍の兵士達の群れに向かっていく要。 
「あのーもしかして迎えに来てくれたんですか?」 
 ようやく気がついたように誠は三人にそう言った。頭を掻きながら天を見つめるカウラ。立ち止まって誠に背を向けたままポケットから取り出したタバコをくわえながらわざとらしくライターを探している要。生暖かい視線を誠に送る西を威嚇するアイシャ。
 とりあえず逆らわないことが身のためと思った誠はそのまま駆け足でトレーラーの止めてあるハンガーへと急いだ。

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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 6

「観測機器のデータは?」 
 画像一杯のピンク色の光線が消えるとランは指揮席に腰を下ろしてオペレータ達に指示を出す。
「各ポイントのセンサーのアストラルダメージ値、すべて想定威力を越えています」 
 オペレータの言葉にランは椅子に座りなおす。
「これで威力に関しては十分であることがわかったわけですか」 
 そう言いながら禁煙パイプを口にくわえてモニターを眺めるシン。彼の法術の指南でここまでのデータを出せて安心しているようにコックピットで首をひねっている誠を見つめていた。
「この結果に見合う予算は出しているんだから……。当然このくらいの成果は無いと困りますよ」 
 高梨はそんなシンを見ながら次射の準備の指示を出しているヨハンを眺めていた。
「指揮官としてはこの兵器はどうなんですかね?クバルカ中佐」 
 そんな高梨の言葉に、ランは少しばかり表情を曇らせた。
「運用が難しい兵器だよな。確かに攻撃範囲やその効果を考えると、使い方によっては非常に有効な兵器であることは間違いねーが、チャージの時間が長すぎる上に使えるパイロットが限られてくるとなるとそうそう前線に出せる代物じゃねーし……それに最新の07式じゃあ法術対策の鉛合金のシェルをコックピット外周に張り巡らした装置まで積んでるらしいじゃねーか。それなりの軍隊相手に一戦するときに仕える兵器じゃねーな」 
 ランは高梨を見つめながらそう言って頭を掻いた。
「やはり厳しいですね、中佐は。ただうちはあくまで司法執行機関で戦争をする軍隊じゃないですから。テロリスト相手なら保安隊の部隊構成が完成すれば問題は無いでしょう。第一小隊が遊撃隊として敵主力を火線軸に誘導。第三小隊、第四小隊の戦線保持の間に第二小隊は目標地点に到達、発射。それがこなれてくれば保安隊の出動が予想される大概のケースには対応可能だと思いますよ」 
 シンの言葉に渋々頷くラン。
「そうなると、余計あの馬鹿娘達の教育が必要になるわけだ」 
 そう言うランは手元の端末を操作して05式乙型の隣のテントの下で、まるで子供のように言い争いをしている要達を映した。
「まあ、そこはクバルカ中佐の腕の見せ所じゃないですか?あいつ等だって素質的には私以上のものがあると考えています。問題のなのは、どういう方向で育てていくかですよ」 
 シンの言葉にランはそのまま椅子の背もたれに華奢な体を預けた。
「鍛えがいが有るってことだな。まあそのほうがアタシとしては面白いけど」 
 大画面の中で要がアイシャにヘッドロックをかけている。隣のコックピットの中の映像では、誠が頭を下げながら二人を宥めていた。
「まあ、あのおっさんの集めた人材がどれほどのものか。それが楽しみって言やあ楽しみなんだけど」 
 ランはそう言うと笑顔を浮かべて画面を眺めた。

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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 5

「神前曹長!安全装置解除の指示が出ました!」 
 誠の05式の足元の観測装置をいじっていた西の顔がモニターに広がる。
「了解!第一安全装置解除。続いてエネルギー接続段階一、開始」 
 次第に鼓動が高鳴るのを感じながら、誠はいつものシミュレータの時のように思った通りに動く自分の手を感心しながら見つめていた。
『これが昨日の投球でできたらなあ』 
 そんな雑念が頭をよぎる。考えてみれば試合途中で抜けてきたので、結果がどうなったのか知らない自分に気付いて思わず苦笑していた。
「法力チャージに入ります!」 
 西の声で再び誠の意識が引き戻された。体に一瞬脱力感のようなものが走った。モニターに表示されたエネルギーゲージは次第に上がっていく。それにつれて法力のゲージも急激に上がり始めた。
「範囲指定お願いします!」 
 甲高い西の声が頭に響く。誠は管制システムを起動し、自分の意識とそれをリンクさせる。これまでの実地で指定した範囲と比べて圧倒的に広い範囲である。だが、誠もこれまで何もせずにいたわけではない。ヨハンや吉田に言わせると『アサルト・モジュールパイロットとしては二流だが法術師としての能力は一流』な誠である。管制システムに模擬干渉空間を展開し、ほぼこの演習場一円をその範囲に指定する。
「それではその状態で待機してください!」 
 そんな西の言葉だが、この状態を維持するのは非常につらいものだった。模擬干渉空間の維持にはかなりの精神力が必要になる。少しでも法力の維持を怠ればはじめからやり直し。しかし、これを兵器として使用するためにはこの状態を維持しつつ、周囲に気をかけるくらいのことが出来なければ意味が無いことも誠は十分にわかっていた。
『いつも西園寺さんやカウラさんがいるとは限らないからな』 
 そう思いながら静かに西のいる野戦管制室を見る下ろした。三人の東和陸軍の作業服を着た女性が西と話をしているところだった。
『西園寺さん?カウラさん?それにアイシャさん?』 
「よう!元気にしとるか!」 
「駄目ですよ!今大事なところなんですから!」 
 西の制止を無視してモニターに飛び込んできたのは西園寺要のタレ目だった。
「馬鹿だねえ西の餓鬼は。この位の邪魔で撃てなくなるなら意味ねえじゃねえか」 
 そう言っていつものようにまなじりを下げる要。そこに割って入ったのはアイシャ。
「ねえ、あの小さい姐御に苛められなかった?」 
「小さい姐御って誰ですか?」 
 誠の言葉に横にいたエメラルドグリーンのポニーテールに話しかける。
「邪魔するなと言ったじゃないか」 
 その髪の持ち主のカウラがつぶやいた。『小さい姐御』と言う言葉がつぼに入ったのか、要がカウラの隣で腹を抱えて笑っている。
「あのー。ちょっと黙っていていただけますか?」 
 ついそう口に出した誠。
「酷い!誠ちゃんには私の言葉は届かないのね!」 
 わざと泣き声を装うようにアイシャの声が響く。画面の端からアイシャの肩を叩いているのはカウラだろう。
「そう言う意味じゃないんですけど……」 
 誠がそう言ったとき、管制室の画面が05式の全周囲モニターに開いた。
「遊んでるんじゃないぞ!とりあえず標的の準備はできた。最終安全装置の解除まで行ってくれ」 
 ヨハンの顔が大写しにされて、誠は少しばかり引き気味に火器管制システムの設定に移った。訓練場を示す地図が開き、誠の干渉空間が展開される。干渉空間には二種類あり、その活用方法については誠は飛躍的に制御技術向上させていた。
 一つは直接展開空間。
 それは平面状に展開され、シールドや位相転移、すなわち瞬間移動などを行うことができる展開発動者専用の空間である。これを展開できるのは保安隊でも誠と隊長の嵯峨だけと言う特殊な技能である。
 そしてもう一つが一般に『テリトリー』と呼ばれる干渉空間だった。
 それは展開した法術者の意識レベルによって変性可能な干渉空間である。その『テリトリー』の運用に長けているのはパイロキネシストとしての能力を展開した空間内で発揮できるシン。思考サーチなどが可能な能力を有しているマリア。そして内部空間の時間軸をずらすことで相対的運動性を発揮することができる実働部隊第一小隊のエース、ナンバルゲニア・シャムラード中尉がいた。
 干渉空間、テリトリーの展開を開始すると、下で騒いでいた要達の顔色が変わった。再び誠の全身から力が抜けていくような感覚が走る。
「干渉空間展開率30……40……50……」 
 小さなウィンドウに記された演習場の地図が次第に赤く染まる。目の前を見ると、干渉済みの空間がゆらゆらと陽炎のように誠の目に見えた。
「法術エネルギーブースト開始。最終安全装置の解除を確認」 
 そう言うと誠は火器管制モードになった画面を見つめる。さすがにこの状況ではふざけるつもりが無いようで、足元で観測機器をいじっている西を要達三人は黙ってみているようだった。
「周囲に識別反応無し!発射よろし!」 
 ヨハンの指示が下される。誠はトリガーに指をかけた。
「発射!」 
 誠がトリガーを引いた。薄い桃色の光線が揺らめく干渉空間を飲み込む。反動や爆風が起こることも無く、目の前が桃色の光で満たされた。その光景が見えたのは一秒にも満たない瞬間だろう。
 戻った視界の中に見えるのは発砲前とまるで変わらない演習場の景色だった。
「なんだよ。こりゃ?」 
 はじめに口を開いたのは要だった。誠も、干渉空間を解除する脱力感の中で非常に手ごたえのなさを感じていた。
「これはですねえ、広域犯罪やテロなどの非常事態に被疑者の意識を奪うことで事件解決の……」 
「んなことはわかってんだよ!だけどなんだ?こんなでかくて強そうな武器だっつうのに、なあ!」 
 まじめに説明しようとする西を押さえつけて要が話題をアイシャに振った。
「確かに。カタルシスと言うものが無いわね」 
 そう言って頷く紺色のロングヘアーをかきあげるアイシャ。
「貴様等……何がしたくて軍に入ったんだ?」 
 呆れ顔のカウラ。
 一方、観測機器のデータをスタッフに収集させているヨハンはそれどころではないようで、モニターには渋い表情とその二重顎が映っている。誠は砲の安全装置を設定し、軽く伸びをした。
 確かに四十キロ四方に干渉空間を展開し、その内部に法術系攻撃をかけると言う内容を聞けば恐ろしく疲れそうな武器と思っていたが、意識ははっきりしているし、前もって聞かされていた予想に比べれば疲労度はたいしたことではなかった。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 4

 シンはコンクリートの壁に亀裂も見えるような東和陸軍教導部隊の観測室に向かう廊下を歩いていた。まだ早朝と言うこともあり人影はまばらである。それでもアラブ系の彫りの深い顔は東和軍では目立つようで、これまで出会った東和軍の将兵達は好奇の目でシンを見つめていた。
「あれ?シン大尉じゃないですか!」 
 高いテノールの声に振り向いたシンの前には、紺色の背広を着て人懐っこい笑顔を浮かべる小男が立っていた。
「高梨参事?」 
 笑顔を浮かべて歩み寄ってくる男、高梨渉(たかなし わたる)参事がそこにいた。
「いやあ奇遇ですねえ。今日はまた実験か何かですか?」 
 シンは余裕を持って笑って向かってくる小柄な男を相手に少しばかり身構えた。東和国防軍の予算調整局の課長という立場の高梨と、保安隊の予算管理を任されているシンはどうしても予算の配分で角を突きあわせる間柄だった。しかもこの高梨と言う男はシンの上司である保安隊隊長、嵯峨惟基特務大佐の腹違いの弟でもある。
 ムジャンタ・バスバ。嵯峨と高梨の父親は20年以上前には名ばかりの皇帝として遼南帝国に君臨していた。実権を奪われて酒色に溺れた暗君。そんな彼が残したのは百人を超える兄弟姉妹だった。その中でも父と対立して第四惑星胡州に追われて嵯峨家を継いだ嵯峨惟基(さが これもと)と、父に捨てられたメイドの息子として苦学して東都大学を首席で卒業して軍の事務官の出世街道を登っている高梨渉は別格だった。両方の知り合いであるシンだがさすがに二人の父への思いを聞くわけにも行かず、それでいて興味があっていつかは確認してみたいと思いながら今まで来たことを思い出して自然に高梨の前で笑みをこぼしていた。
「そう言う渉さんは監査か何かですか?」 
 少しばかり自分の空想に呆れながらシンは話しかける。
「いえ、今日はちょっと下見と言うか、なんと言うか……とりあえず教導部隊長室でお話しませんか?」 
 笑顔を浮かべながら高梨は歩き始める。神妙な表情を浮かべる高梨を見ると、彼が何を考えているのかわかった。
 シンの西モスレム国防軍から保安隊への出向は今年度一杯で終わる予定だった。事実、西モスレム国防軍イスラム親衛隊や遼州同盟機動軍の教導部隊などから引き合いが来ていた。さらに保安隊は『近藤事件』により、『あの嵯峨公爵殿のおもちゃ』とさげすまれた寄せ集め部隊と言う悪評は影を潜め、同盟内部の平和の守護者と持ち上げる動きも見られるようになって来た。
『政治的な配慮と言うところか』 
 シンはそう思いながら隣を歩く同盟への最大の出資国である東和のエリート官僚を見下ろした。予算の規模が大きくなればパイロットから転向した主計武官であるシンではなく、実力のある事務官の確保に嵯峨が動いても不思議は無い。
 そう考えているシンの隣の小男が立ち止まった。
「シン大尉!待ってくださいよ。体長室はここですよ……それにしてもなんだか難しい顔をしていますね」 
 シンは立ち止まって自分の思考にのめり込んで起した間違いに照れながら高梨のところに戻った。そのまま高梨はさわやかな笑顔を浮かべながら教導部隊部隊長の執務室のドアをノックする。
『ああ、オメー等か。来るんじゃねーかと思ってたよ』 
 教導官と言う部屋の主に似合わない幼女の言葉がインターホンから響いて、自動ドアが開いた。
 中を覗くシン。そこでは大きな執務机の向こう側で小さな頭が動いている。
「高梨の旦那は久しぶりだな」 
 そう言って椅子から降りる8歳くらいに見える少女がそこにいた。身に纏っているのは東和陸軍の上級士官の執務服。胸の略称とパイロット章が無ければ彼女が何者か見抜くことができないだろう。しかしシンもこの少女が先の遼南内戦で共和軍のエースとして君臨し、東和亡命後は実戦経験のほとんど無い東和軍では唯一の実践的な戦術家であることを何度かの教導で身をもって知っていた。
「まあ、立ち話もなんだ。そこに座れよ」 
 少女はシンと高梨に接客用のソファーを勧める。
 彼女、東和陸軍第一教導団教導部隊長クバルカ・ラン中佐は二人がソファーに腰掛けるのを確認すると自分もまたその正面に座った。
 クバルカ・ラン中佐。
 噂では年もとらず、首を落としでもしない限り死ぬことは無い『仙』と呼ばれる存在だとか噂するものもいたが、シンは特に詮索はしないことにしていた。
 それは近藤事件以前は存在そのものを伏せられた存在だった。
 この遼州と言う星は、学説にも寄るが数千万年から新しく見ても200万年前に栄えた宇宙文明の生体兵器の製造実験場だったと言う説もあることをシンも知っていた。自分の法術発動能力である干渉空間内部での発火能力。いわゆるパイロキネシス能力も遼州人の能力のひとつだった。そんな地球人に無い力の存在が公になる以前に母に力を絶対に使うなと言われたことが頭をよぎった。そして出来る限り表舞台から隠れてボイスチェンジャーで大人を装って教導を続けてきた苦労人のランをしみじみと眺めていた。
「なんだよシン。そんなに心配か?オメーのところの新人がよ」 
 何かを考えているようなシンの姿を見てランはそう言うとテーブルの上の灰皿をシンの前に置いた。
「いいんだぜ、我慢してたんだろ?」 
 気を使う小さな上官に頭を下げながら、シンはポケットからタバコを取り出した。
「高梨参事が一緒ってことは人事の話か?アタシもまー……おおよそでしか知らないんだけどな」
 そう言うとランは胸の前に腕を組んだ。教導隊と言うものが人事に介入することはどこの軍隊でも珍しいことでは無い。しかもランは海千山千の嵯峨に東和軍幹部連との丁々発止のやり方を仕込まれた口である。見た目は幼くしゃべり方もぞんざいな小学生のようなランもその根回しや決断力で東和軍本部でも一目置かれる存在になっていた。
「要するに上は首輪をつけたいんだよ、あのおっさんに。それには一番効果的なのは金の流れを押さえることだ。となると兵隊上がりよりは官僚がその位置にいたほうが都合がいいんだろ……って茶でも飲みてーところだな」 
 そう言うとランは手持ちの携帯端末の画像を開く。
「すまんが日本茶を持ってきてくれ……湯飲みは三つで」 
 ランは画面の妙齢の秘書官にそう言うと二人の男に向き直る。その幼く見える面差しのまま眉をひそめてシンと高梨を見つめる。
「まあ予算規模としては胡州とゲルパルトが同盟軍事機構の予算を削ってでも保安隊に回せとうるさいですからね」 
 そう言いながら頭を掻く高梨。自動ドアが開いて長身の女性が茶を運んでくる。
「胡州帝国の西園寺首相は隊長にとっては戸籍上は義理の兄、血縁上は叔父に当たるわけですし、外惑星のゲルパルトのシュトルベルグ大統領は亡くなられた奥さんの実家というわけですしね。現場も背広組みはとりあえず媚を売りたいんでしょうね」 
 シンはそう言うと茶をすすった。
「実際、東和あたりじゃ僕みたいな遼南王家や西園寺一門なんかの身内を司法局という場所に固めているのはどうかって批判はかなり有るんですが……、まあ大国胡州が貴族制を廃止でもしない限りは人材の配置が身内ばかりになるのは仕方ないでしょうね」 
 静かに高梨は手にした茶碗をテーブルに置いた。湯飲みで茶を啜りながらシンは横に座る小柄な高梨を観察していた。それなりの大男の嵯峨とシンの胸辺りの慎重の高梨。体格はかなり違うがその独特の他人の干渉を許さない雰囲気は確かに二人が血縁にあることを示しているように思えた。そして嵯峨の母方の血縁である手に負えないじゃじゃ馬の姫君のことが頭をよぎる。
「西園寺と言えば……シン。お前のところの青二才どもは元気みてーだな」 
 ランはそう言うと再び携帯端末を開いて画面をシンと高梨から見えるように置いた。開いたウィンドウには宇宙空間を飛ぶ保安隊の主力アサルト・モジュール、05式が映し出されていた。誠のいる第三小隊のシミュレータでの戦闘訓練であるが、三機のアサルト・モジュールの動きは組織戦を重視していたシンが隊長をしていた頃に比べてちぐはぐなものだった。
 襲い掛かる仮想敵のM10に勝手に突っ込んでいく二番機西園寺要大尉。それを怒鳴りつける小隊長のカウラ・ベルガー大尉。そして二人の女性士官に怒鳴り散らされながら右往左往する誠の痛い塗装の05式乙型。
「これじゃあアタシに話が来るわけだよ。まるででたらめな機動じゃねーか。明石や吉田は何も言わないのか?」 
 ランの幼く見える瞳がシンを見つめている。
 正直、シンも上官である保安隊実働部隊長の明石清海(あかし きよみ)中佐や、システム運営担当で明石の右腕でもある吉田俊平少佐が全く第二小隊に助言をしないのを不思議に思っていた。第二小隊の小隊長のカウラは東和軍のアグレッサー部隊の出身とは言え、指揮官としての実戦経験は先の近藤事件が初めてだった。彼女が製造時に戦闘知識を脳に焼き付けられる『ラストバタリオン』と呼ばれる人造人間だとしても、瞬間湯沸かし器並の暴走娘、要を部下に抱えれば苦労することはシンも予想していた。
 要の実家、西園寺家は胡州の四大公の筆頭の家柄、そして要はそのたった一人の姫である。確かに庶民派で知られる父西園寺基義の影響を受けて柄の悪いところはあるが、プライドの高さだけは胡州貴族らしいとシンも思っていた。それに胡州陸軍の暗部とも言える非正規戦部隊の出身と言うこともあり、軍でも日のあたるところを歩いてきたカウラとは全くそりが合うはずもなかった。
 目の前のシミュレーションの画面では敵をどうにか撃退した後に起きる二人の喧嘩と、誠のうろたえる姿が映っている。
「まあ二人とも筋は良いみてーだがな」 
 ランは苦笑いを浮かべている。隣の高梨に視線を向けたシンが見たのはあきれ返っているキャリア官僚の姿だった。すぐにシンの視線に気が付いた高梨は目を逸らして空の湯飲みを口に運ぶ。
「まあこれもあのおっさん一流の布石なのかも知れねーな。第二小隊が問題児の塊と言うことになれば、必然的にそれを押さえられる人物を同盟法務局に異動させる必要があると上は考えるだろう。そうなるとアタシくらいしか候補はいねーわけだ。結果、できあがるのは遼南内戦のエースのうち二人が在籍する緊急時即応部隊。さすがに予算をケチる理由が少なくなる……はず……」 
 茶を飲み終わったランの目の前にモニターが開く。そこにはヨハンの姿が映っていた。
「実験準備完了しました。観測室までお願いします」 
 ヨハンの一言にランは腰を上げた。シンはようやくこの小さな上官の関心が自分からこれから始められる実験に移った事に安堵したように立ち上がった。高梨もまた興味深げにそんな二人を見上げる。
「まー……いいや、そこらへんは今度あのおっさんに直接確かめることにするわ。じゃー行くぞ」 
 そう言うとランは教導官室を出ようとする。シンと高梨もその後に続いた。
「なんか話を蒸し返すみたいでなんなのですが、明石中佐が異動になるってことですか?」 
 シンの言葉にランは腕を胸の前に組んだままその鋭いまなざしで行く手を見つめている。
「同盟法務局が公安と保安隊、それに法術特捜に関する交渉ごとをする人材が欲しいって話だからな。それなりに交渉ごとのできる前線部隊出身者となるとそうはいないから」 
 そう言うランの言葉に頷く高梨。
「あの人は保安隊では珍しく上の受けは良いですからね……ああ、それとシン大尉も良いですよ」 
 壁にひびの目立つ廊下を歩きながら立ち止まって敬礼をしてくる部下達の前を通り過ぎながら、三人は管制室へ向かうエレベータに乗り込んだ。
 沈黙が支配するエレベータを降りたシン達の前に広がる管制室の機器の壁。その中で一際大きな二百キロを越える巨大な体を椅子にようやく乗せながら、大きな手に似合わない小さなキーボードをいじっている男がいた。
「どうだ、シュペルター中尉」 
 声をかけたランに、巨体の持ち主ヨハンは何も言わずに振り返るとそのままキーボードで端末への入力を続けていた。
「とりあえず非破壊設定での指定範囲への砲撃を一回。それから干渉空間を設定しての同じく非破壊設定射撃。どちらも隊長が失敗した課題ですね」 
 モニターに目を向けたまま語るヨハンの言葉に高梨は眉をひそめた。
「兄さんが失敗ですか?」 
 高梨にとっては腹違いの兄、嵯峨惟基が失敗をするということが信じられないことだった。だが、その言葉を聞いて作業を中断したヨハンの顔はきわめて冷静だった。
「あの人の法術能力は確かに最高の部類に入るんですが、制御能力には著しい欠点がありましてね。まあ法術能力の封印をろくに解除の技術も無いアメリカ陸軍が興味本位で解いたものですから……どうしても制御にかかる負担が大きすぎるんですよ」 
 そう言ってまたヨハンはモニターに向き直る。シンは周りを見回す。目の前には巨大なモニターが三つ。一つは背後から誠の乗る05式の姿を大写ししている。その隣のモニターには演習場全域に配置された法術反応の観測の為のセンサーの位置が移っている。どれもまだ緑色で法術反応を受けていないことが表示されていた。そしてその隣の一番左のモニターはコックピットの中で静かに腕組みをしている誠の姿が映されていた。
「しかし、この指定範囲。ホントにここすべてを効果範囲にするのか?やりすぎじゃねーの?」 
 手元に並ぶ小さなモニターで巨大な演習場のすべてを映し出しているのをランは見つめた。シンは再び大画面に目をやる。演習場の各地点に置かれた法術反応を測定する機器のマーカー。そこに映る地図がこの演習場の全域を表示しているのは何度と無くフランス系のアサルト・モジュールばかりを乗り継いできた彼が現在保安隊に配備されている05式への機種転換訓練で嫌と言うほど見た地形なのはすぐに理解できた。そしてセンサーが置かれている範囲は誠が試作法術砲を構えている地点から奥は三十キロ、左右は二十キロというほぼ演習場の全地域であることもすぐに気が付いた。
「この範囲を活動中の意識を持った生物に法術ダメージでノックアウトする兵器か。確かにこれは脅威ですね」 
 この二月。時にCQB訓練やシミュレータを使っての訓練と言う名目で第二小隊の訓練に狩り出されたこともあるシンから見ても、誠の干渉空間制御能力の上昇は著しいものだった。シンのパイロキネシス能力は自らの干渉空間に敵を招き入れることで発動する能力である。だが、誠の作り出す干渉空間はシンのそれを侵食しながら展開する性質のものだった。
 自らの作り出した空間の侵食に気付いた時には、すでに誠とツーマンセルで動いている要やバックアップのカウラが訓練用の銃をシンの背中に向けている。あの室内戦闘では嵯峨と並ぶ実力の持ち主である保安隊警備部のマリア・シュバーキナ少佐ですら、誠の展開する干渉空間への侵食は不可能だと言い切っていた。彼女に言わせれば誠にとってシンや自分の能力は見つけてくださいと自分で叫んでいるようなものだと言うことも聞いていた。
 だが、どれも範囲としては広くて600メートル四方。今回の試射の範囲とは桁が違った。それだけの広域にわたって干渉空間を形成する。シンは目の前のむちゃくちゃな実験に半ば呆れていた。
「本当にこれだけの範囲を制圧可能な兵器なんて……」 
「シンの旦那。誠の実力からしたら計算上は可能なんでね。そうでもなければこの演習場を午前中一杯借り切るなんて無駄なことはしませんよ」 
 ヨハンはようやくデータの設定が終わったと言うように伸びをしている。
「じゃあ見てやっか、あの餓鬼の力がどれほどなのかよ」 
 そう言うとランは空いている管制官用の椅子に腰を下ろした。

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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 3

 日差しを浴びて目覚めた誠は硬い簡易ベッドから身を起すとそのままシャワー室へと向かった。昨日あれだけ酷使した左腕を何度か回してみるが、特に違和感は無い。そのまま食堂で施設管理の隊員や教導官達に囲まれて食事をしたがそこにシンの姿は無かった。
 敬虔なイスラム教徒である彼が別のところで食事をすることはよくあることなので、誠も気にもしなかった。そして疲れた雰囲気の試験機担当の技師達を横目で見ながら携帯通信端末をいじる。
 特に小隊長のカウラからの連絡も無いのを確認すると急いで典型的な焼き魚定食を食べ終えて昨日のシンの指示通りハンガーへと向かった。
 一両の見慣れた05式専用の運搬トレーラーの周りに人だかりができている。
「マジかよ……」 
「写真撮って配ったりしたら受けるかもな」 
「アホだ……」 
 作業着姿でつぶやく陸軍の技官連中を見ながら、誠はトレーラーの隣のトラックの荷台から降りてきたヨハンと西、そして見慣れた整備班の連中を見つけた。
「神前さん!」 
 西が声をかけると野次馬達も一斉に誠の顔を見て口をつぐんだ。ちらちらと誠達を見つめてニヤニヤと笑う陸軍の将兵。
「とりあえずパイロットスーツに着替えろよ」 
 そう言うとヨハンはばつが悪そうに手にしていた袋を誠に手渡す。その表情は昨日の自分のミスを悔いるような様子が見て取れて誠は愛想笑いを浮かべた。
「いいですよ、気にすることは無いですから」 
 誠はそう言ってヨハンからパイロットスーツを受け取るとそのままトラックの中に入って着替えを始める。そんな彼等の周りを付かず離れず技官達が取り囲んでいるような気配はトラックの荷台の中でも良く分かった。
「おい!お前達。仕事はいいのか!」 
 外ではヨハンが叫んでいた。彼の階級が中尉と言うこともあり、ぶつぶつ言いながら陸軍の野次馬達は退散しているようだった。誠はそんな言葉に自嘲気味に笑うと作業着を脱いだ。
「まああいつ等の気持ちもわかるがなあ」
 荷台の外からのヨハンの皮肉たっぷりの口調。 
「駄目ですよシュペルター中尉。中で神前さん着替えているんですから」 
「そう言うがよ、西。あれ見たら誰でも突っ込みたくなるだろ?」 
 着替えながらも誠は二人の雑談を聞いていた。誠は胡州で起きたクーデター未遂事件、通称『近藤事件』での初出撃七機撃墜のエースとして自分の愛機にオリジナルの塗装を施すことを許される立場となった誠。そこで彼はアニメのヒロインキャラを描きまくった塗装を希望した。当然却下されると思っていたが隊長の嵯峨は大喜びでそれを許可した。
 そして生まれた痛車ならぬ『痛特機』の噂は銀河を駆けた。誠も暇なときにネットやアングラの同人誌などで自分の機体が紹介されているのを見るたびに暗澹たる気持ちになったがココまで来るともう後には引けなかった。頬を両手で叩いて気合を入れると誠はヨハンと西の雑談を聞きながら着替えを終えて外に出た。
「どうだ?調子は」 
 作業服に身を包んだシンが歩み寄ってくる。髭面が特徴の上官に礼儀程度の敬礼をする誠達。その姿に苦笑いを浮かべると手にしていた書類に目を通すシン。
「とりあえず神前は3号機の起動、西達は立ち会え。シュペルターは俺と一緒にデータ収集だ。本部に行くぞ」 
『了解しました!』 
 ヨハン達は今度はそれらしく一斉に敬礼をする。シンがそれを返すのを見るとすぐに西はトレーラーの運転席に走る。
「とりあえずコックピットに乗っちゃってください。デッキアップしますんで!」 
 西はドアの前でそう言うとトレーラーに飛び込んだ。それを見ながら誠はそのままトレーラーの足場に取り付いた。
 薄い灰色の機体の上を歩いてコックピットに入った誠は慣れた調子でエンジンの起動準備にかかる。この05式を本格的に動かすのは近藤事件以来である。だが、搭載された05式のシミュレーションで機能は散々使い慣れていた。シミュレータが配備されていない保安隊ではこの機体に保安隊の頭脳とも言われる吉田俊平少佐の組んだシミュレーションプログラムを走らせての訓練がその内容の大半を占める。主に近接戦闘、彼の05式乙型らしい法術強化型サーベルでの模擬戦闘。とりあえず接近できれば吉田達第一小隊の猛者とも渡り合える自信がついてきた。
「神前さん!各部のチェックはいいですか?」 
 広がる全周囲モニタの中にウィンドウが開き、西の姿が映った。
「ああ、異常なし。そのままデッキアップを頼む」 
 誠の言葉に西が頷くと誠の体が緩やかに起きはじめた。周囲が明るくなっていく、誠はハンガーの外に見える廃墟のような市街戦戦闘訓練場を眺めていた。そしてそこに一台のトレーラが置いてあるのにも気付く。
「西!あそこに見えるのが今日のテスト内容か?」 
 神前の言葉に、西はそのまま一度05式用トレーラーから降りてハンガーの外の長い砲身をさらしている兵器を眺めた。
「ああ、あれが神前さんのメインウェポンになるかもしれない『展開干渉空間内制圧兵器』ですよ」 
 淡々と答える西の言葉に誠はいまひとつついていけなかった。
「展開……干渉……?」 
「ああ、詳しいことはシュペルター中尉かシン大尉に聞いてくださいよ。僕だって理屈はよくわからないんですから。まあ来る途中でシュペルター中尉が言うには『干渉空間生成の特性を利用してその精神波動への影響を利用することにより敵をノックアウトする非破壊兵器だ』ってことなんですけど」 
 誠は正直さらにわからなくなった。
 自分が『法術』と呼ばれる空間干渉能力者であるということは近藤事件で嫌と言うほどわかった。空間に存在する意識を持った生命体そのもののエネルギー値の差異を利用して展開される切削空間、その干渉空間を形成することで様々な力を発動することができるとヨハンに何度も説明されているのだがいまいちピンとこない。
 デッキアップした自分の機体で待機する間、誠はただ目の前の明らかに長すぎる砲身を持った大砲をどう運用するのかを考えようとしていた。だがいつものように何を考えているのか良く分からない隊長の嵯峨惟基のにやけた顔が思い浮かぶ。そうなるといつものように煙に巻かれると諦めがついてきた。そしてそのまま深く考えずにじっと目の前の05式の20メートル近い体長と同じくらいの長さの大砲をじっと眺めていた。
「神前!起動は終わったか?」 
 別のウィンドウが開いてヨハンのふくよかな顔が目に飛び込んでくる。昨日の試合で見せた申し訳ないという感情ばかりが先行していた表情はそこには微塵も無かった。これは仕事だと割り切った彼らしいヨハンの視線が誠に向かってくる。
「今は終わって待機しているところです」 
 誠の言葉にヨハンは満足そうに頷く。誠はただ次の指示が来ることを待っていた。
「とりあえず東和陸軍の面々に見てもらおうじゃないか、05式と言うアサルト・モジュールを」 
 緩んだ顔でヨハンがそう言うと、あわせるようにして誠は固定器具のパージを開始した。
 東和陸軍の面々はハンガーの入り口で誠の痛特機を眺めている。薄い灰色の地に『魔法少女ルーラ』や『スクール&バケーション』などの上級者アニメのヒロインキャラを誠のデザインで配置した機体の塗装に彼等は携帯のカメラを向ける。
「凄いっすねえ、神前曹長。人気者じゃないですか!」 
 冷やかすように言う西を無視して誠は機体をハンガーの外へと移動させた。
「おい、西。頼むからあの野次馬何とかしてくれ」 
 神前の言葉を聞いた西が保安隊の整備員達を誠の足元に向かわせる。ハンガーの前に止めてあったトレーラを見下ろす。視点が上から見るというアングルに変わり、誠はその新兵器を眺めた。
 特に変わったところはない。
 これまでも法術や空間干渉能力を利用した兵器の実験に借り出されたことは何度かあったが、そのときの兵器達と特に違いは見えなかった。
『非破壊とか言ってたよな……』 
 誠はその長いライフルをじっと見つめる。しかし、その原理が全く説明されていない以上、それが兵器であると言う事実以外は分かるはずも無かった。
「神前。とりあえずシステム甲二種、装備Aで接続を開始しろ」 
 何かを口に頬張っているヨハンの言葉が響く。保安隊の出撃時の緊急度によって装備が規定されるのは司法実働機関である保安隊と言う部隊の性質上仕方の無いことだった。甲種出動は非常に危険度が高い大規模テロやクーデターの鎮圧指示の際に出されるランク。そして二種とはその中でもできるだけ事後の処理をスムーズにする為に、使用火器に限定をつけると言うことを意味していた。
『非殺傷兵器と言うことだから二種なのか……』 
 そう思いながらオペレーションシステムの変更を行うと、目の前のやたらと長い大砲のシステム接続画面へと移って行く。05式広域鎮圧砲。それがこの兵器の正式名称らしい。直接的な名称はいかにも無味乾燥で東和軍中心での開発が行われたと言う名残だろうと誠は思った。そのまま彼の機体の左手を馬鹿長いライフルに向けた。
『左利き用なのか?僕専用ってこと?』 
 そのまま左手のシステムに接続し、各種機能調整をしているコマンドが見える。
「接続確認!このまま待機します」 
 右腕でライフルのバーチカルグリップを握って誠の機体はハンガーの前に立った。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 2

 ぼんやりとした意識、我を取り戻したのはマウンドの上。
 誠が立っていたのはプロも使う東都大社球場のマウンドの上だった。高校野球東東都大会準々決勝、誠の左腕がメンバーをここまで引っ張ってきた。守備につく仲間達の視線が痛かった。九回裏、ツーアウトからファーボールを連発して一、二塁。打席には四番打者。リードは一点。誠はセットポジションから小さめのテイクバックでアウトコース低めに直球を投げ込む。
『ここはインローに投げたカーブがそのまま高めに浮いて……』 
 高校生の誠と今の誠。高校生の誠が投げた球に空を切る四番打者のバット。
『ああ、このとき相手は変化球を待っていたんだな……』 
 ガッツポーズを決める高校生の誠。ナインは手を上げながら彼に抱きつこうとする。
『ああ、あそこでは僕の配球が正解だったんだ』 
 上空から高校時代の仲間達を今の誠が見下ろしている。



「神前!神前!」 
 シンの低い声で目が覚める。裾野演習場。寝ぼけた目をこすりながらシンの車から降りると、誠はのんびりと伸びをした。
「さあ、行くぞ」 
 そんなシンの言葉にもう一度意識をはっきりとさせて周りを見渡す。周りに茂る木々のシルエット。日は暮れていた。停まっている車の数も少ない。そのまま本部の建物に吸い込まれるシンと誠。
 立て付けの悪いガラス戸を開いて入った廊下には、夜間訓練を終えて着替えを済ませたばかりというような東和陸軍の兵士達がたむろしていた。自動販売機の前でたむろしていた四五人の兵士達の視線が二人を見つける。突然来訪したシンと誠だが、東都陸軍と仕様が同じ保安隊の制服を見て、彼等はすぐに関心を失って雑談を再開した。
「とりあえず実験は明日の朝一番に行う予定だ。神前は仮眠室で寝ていろ。細かい打ち合わせは俺がする」 
 そう言うとシンはそのまま雑談する陸軍の兵士達を横目に見ながら隣にあるエレベータに乗り込んだ。誠はそのまま周りを眺める。何度か幹部候補生養成課程で来たことのあるこの建物。構造は分かっているのでそのままロビーを抜け狭い廊下に入った。
 東和陸軍裾野基地は東和でも最大級の演習場を抱えている。今回は誠の専用機持込での法術兵器の実験ということしか誠は知らされてはいなかった。嵯峨は元々憲兵上がりと言うこともあり、情報管理には非常に慎重を期すタイプの指揮官だと言われていた。これまでも何度か法術系のシステム調整の出張があったが、多くは実際に実験が始まるまで誠にはその内容が秘匿されることが普通になっていた。
 誠はそのまま仮眠施設のある別館へと向かう渡り廊下にたどり着いていた。正直金に厳しい東和軍らしくかなり老朽化した建物に足を踏み入れるのは気の進む話ではなかった。
 そのまま湿気のある空気がよどんで感じる基地付属の簡易宿泊所に足を踏み入れる。別棟の女子の宿泊所はかなり設備も整っていると聞いているが誠が今居る男性隊員用の宿泊所はいかにも手入れが行き届いていないのが良く分かる建物だった。暗い廊下を歩いていって手前から三つ目の部屋が空いているのを見つけた。どうせ今の時間なら管理の担当職員も帰った後だろう。そう思ったので誠は管理部門への直通端末にデータを打ち込むこともせずにその部屋のドアを開いた。そして、そのまま安物のベッドに体を横たえて、訪れた睡魔に身を任せた。

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テーマ : 自作連載ファンタジー小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 1

 左手からボールが離れた瞬間。遼州司法局実働部隊、通称『保安隊』野球部の不動のエース神前誠(しんぜんまこと)は後悔の念に囚われた。東和実業団都市対抗野球、三回戦。相手は誰もが鉄板と予想する優勝候補、菱川重工豊川。
 誠の小隊の女隊長でクローザーのカウラ・ベルガーの独特のアンダースローの救援を待たず。試合はコールドで一回戦、二回戦を自分一人で投げぬいてきた。今回も八回裏ワンアウトまで失点は三点でリードは一点。うち打たれたのは出会い頭のソロホームランが二本で連打は先ほど浴びた一本のみ。豪打の菱川重工相手に誠の左腕は快調に飛ばしてきた。相手は春の東和都市対抗で優勝したこの秋のドラフト候補が並んだ強力打線。自分でもこの投球は褒めてやりたい出来だった。
 ライトの技術部の小火器担当のキム曹長が抜けようとする打球を何とか抑えてのワンアウト一塁三塁。
 打ちにかかる四番打者相手にインハイに相手をのけぞらせるために投げたボールは甘く真ん中に入った。当然本気になった未来のプロの名打者候補がそれを見逃してくれるはずも無かった。前の回にキャッチャーフライを取りに言ってフェンスに激突した正捕手で野球部の部長の明石清海(あかしきよみ)にかわりリードをするヨハン・シュペルター。捕球が上手いとはお世辞にも言えない彼にはランナーがいる中では誠のスライダーは投げられない。実際、予選でも慣らしで何度か座ってもらったがすべて後逸されている。そんな誠の苦し紛れのストレートは読みが当たったとでも言うように腕をたたんで鋭く振りぬく相手バッターのバットの芯に捕らえられた。
 早い打球が三塁を守るアイシャ・クラウゼのジャンプしたグラブの上を掠めてレフト線上に転がる。三塁塁審はフェアーのコールをする。ゆっくりとスタートを切った三塁ランナーがホームを踏み、クッションボールの処理を誤った誠の天敵の経理課長菰田邦弘(こもだくにひろ)がアイシャにボールを投げる頃には一塁ランナーもホームを駆け抜けていた。
 得点は5対4。三塁側の保安隊野球部のベンチでは女監督の西園寺要(さいおんじかなめ)が手を上げていた。投球練習をしていたエメラルドグリーンのポニーテールの大柄な女性、カウラがすぐに呼び出されてマウンドに向かう。
 誠はそのまま歩み寄ってきたヨハンにボールを渡された。
「すまないな。俺のせいだ」 
 ヨハンのその言葉。セカンドのサラ・グリファン。ショートのナンバルゲニア・シャムラード、そしてサードのアイシャが黙って誠の左手のボールを見つめている。
「あとは任せろ」 
 マウンドに登ったカウラはそう言うと誠からボールを受け取った。誠は力なくマウンドを降りた。背後でアンダースローのカウラの投球練習の音が響いている。
「まあ、あれだ。これはアタシの采配のミスだ。気にするなよ」 
 要はそう言ってうつむき加減でベンチに入ってきた誠を迎えた。スコアラーの吉田俊平がその肩を叩く。誠は静かにグラブをベンチに置いた。
 ピッチャー交替のアナウンス。盛り上がる菱川重工の応援席。
「終わったな、今年は」 
 そう言うと誠は目をつぶり頭を抱えた。
「おい、落ち込んでいるところすまないが出かけるぞ」 
 ダグアウト裏から浅黒い肌の髭面を出しているのは、部隊の勤務服姿の保安隊管理部部長アブドゥール・シャー・シン大尉。誠は彼の言葉に頷いて静かにロッカールームに向かった。
「俺は野球は分からないからなんとも言えないけど……さっきの打球は運が悪かっただけだと思うぞ」 
 そう言いながらシンは指で車のキーを回している。
「そうなんですけどね」 
 ロッカールーム。上着を脱いで淡い緑色が基調の保安隊の勤務服に着替える誠。それ以上はシンも何も言えなかった。誠はそのまま着替えを済ませるとベンチから様子を見に来た部隊唯一の十代の隊員の西に荷物を渡した。
「大丈夫ですか?神前曹長」 
 荷物が運ばれてくる。まるで去るのを強制するかのように。西の気遣いが逆に誠を傷つけた。
「これじゃあプロで通用するわけも無いか」 
 自分の動揺に独り言のように誠はつぶやいた。精神面での脆さ。それは大学野球でそれなりの実績を上げた誠のピッチングを褒めちぎる人達がいつも付け加える弱点だった。そしてそれを一番理解しているのは誠自身だった。
「じゃあ行こうか」 
 腫れ物にでも触れるような面差しが見えるシン。なんとも複雑な表情のまま誠は球場の通路に出る。先を急ぐシンに付いていくだけの誠。外に出ればまだ秋の日差しはさんさんと照りつけてくる。歓声が上がる西東都スタジアムを後に誠はシンの車が止めてある駐車場に向かった。
「法術兵器の実験っていうことで良いんですよね?」 
 気持ちを切り替えようと仕事の話を持ちかける誠だが、シンの目には余りに落ち込んでいるように見えるらしくシンは目を合わせてくれない。黙ってドアの鍵を開く。沈黙の中、二人はシンのセダンに乗り込んだ。
「無理はするなよ。なんなら眠ったほうがいいかもしれないな」 
 そう言うとシンはタバコに火をつけた。気を利かすように少し窓を開けるシン。秋の風が車の中を吹き抜けてシンの口から吐き出される煙を運び出す。
「どうせ裾野の東和軍訓練場の到着までには時間がある。十分休んでいろ」
 そう言うとシンは車を後退させて駐車場を出た。誠はシンの好意に甘えるように目をつぶった。そしてそのままこみ上げる睡魔に飲み込まれるようにして眠った。


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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 35

「なにぼんやり外なんて見て。センチメンタルになる年でもないだろ?」 
 一枚、クリスの顔写真を撮るとハワードはそう言ってクリスを茶化した。
「俺もそうは思うんだがね。こうして時代が変わって……」 
 突然呼び鈴が鳴った。
「アタシが出ようか?」 
 そう言ったシャムをハワードが押しとどめた。ニヤニヤと笑うハワードの顔に一撃見舞いたい気分になりながらクリスは立ち上がった。そしてそのままドアに手をかけて振り向く。ハワードに釣られてシャムもなにやらニヤニヤと笑っている。
 もうドアの外で待つ人が誰なのかクリスにも想像がついた。
「あっ、あの」 
 少佐の階級章をつけたキーラがそこに立っていた。白い髪は以前より長く、肩まで届いてぬるい廊下の風になびいていた。
「久しぶりだね」 
 そう言ったクリスだが、振り向けばハワードがなにやらシャムにささやいている。遼南内戦の取材を終えたあの日から、クリスは毎日キーラにメールを送るのが日課になっていた。彼女のメールの言葉には不条理な暴力が支配する戦場の掟が書かれていた。死んだ仲間、投降する敵兵、そして不足する物資。そしてクリスは遼州の政治家や活動家を訪ねる取材を続けながら彼女からのメールを待っていた。
 今、そのキーラが目の前にいる。
「まあ、入ってくれ。あまり良い部屋とは言えないがね」 
 そう言ったクリス。うつむき加減のキーラがそのまま部屋に入る。それだけで楽しいとでも言うようにシャムは笑顔を浮かべながらハワードに何かをささやいている。
「そう言えばシャムちゃんも久しぶりね」 
 会いたいと言う思いが実現したと言うのにクリスもキーラも言葉を切り出せないでいた。
「ああ、そうだ。俺達は吉田少佐に呼ばれてるんだよな。シャム、お前も来いよ」 
「なんで?」 
 ハワードに腕を引っ張られながらシャムが抵抗する。だが、小さなシャムはそのままハワードにひきづられて行く。
 ドアが閉まると同時に、クリスはキーラを抱きしめていた。
「返しに来たの……これ」 
 そう言うとキーラは胸元にクリスから預かったロザリオを見せた。
「ありがとう。実はお願いがあるんだ」 
 クリスはゆっくりとキーラを離すと静かにそう口にした。髪を掻きあげながらクリスを見つめるキーラが軽く頷く。
「それをもらって欲しいんだ」 
 その言葉に一瞬キーラが戸惑った表情を浮かべる。
「君も仕事があるのは分かっているよ。しばらくまだ遼南は荒れる。いろいろとすることもあるだろうし、君の手がこの国に必要なのはよくわかる。だから約束の……結婚の約束のつもりにそれを預かっていてもらいたいんだ」 
 そう言い切ったクリスの瞳をキーラの赤い瞳は見つめていた。
「本当にいいの?私で」 
 キーラの言葉に頷くクリス。そして二人の顔は自然と近くなった。強く、抱きしめたキーラの体の温度を感じながらクリスはキーラの唇を味わった。一瞬、だがそれは永遠にも思える時間。クリスとキーラの心は一つだった。
 そう、それは一瞬だった。
「おいっす!……あっ失礼しましたねえ……」 
「嵯峨……陛下!」 
 ドアから堂々と入ってきて、二人を見つめて帰ろうとするのは着流し姿の嵯峨の姿だった。
「なんで……ここに?」 
 クリスは一瞬キーラと見つめあった後、静かに彼女を手放した。
「おい、吉田!聞いてねえぞ!俺が野暮天になっちまったじゃねえか!」 
 隣の窓に向かって怒鳴る嵯峨。そしてそこからはなぜか壁を登ってきた吉田が顔を覗かせる。
「いやねえ、こう言うの見るとつい邪魔したくなるのが人情でしょ?」 
 吉田は悪びれることも泣く、部屋の窓の鍵を外から綺麗に開けて中に入ってきた。
「おい、そりゃどこの人情って。お前等もなあ、先にこう言う雰囲気なら一言なあ……」 
 嵯峨の後ろからは出かけたはずのハワードとシャム。それに遼北に帰ったはずの明華、今は東和でフリーライターをしている楠木、そしてニヤニヤと下品な笑顔を浮かべるレムがいた。
「君達もしかして……」 
 そう言うクリスを後目に吉田はそのままベッドの横の植木鉢に手を突っ込むと小さなマイクを発見する。
「誰だ?こんなの仕込んだの……」 
 吉田の問いに手を上げるレム。
「なんだかなあ……」 
 天を見上げるクリス、隣には笑うキーラの幸せそうな顔があった。

 翌日、嵯峨惟基はクーデターに関する詳細を発表。同時に、東和・遼北・西モスレム・ゲルパルト・大麗の大使を臨時首脳府に招聘、政権の正当性を伝えた。
 各大使はそろってこれに支持の意向を示した。
 これによりムジャンタ王朝は後遼王朝として成立することとなった。


                                     了

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 34

 散発的な銃声が響く北兼台地南部基地にクリスとシャムは降り立った。ムッとした南からの暖かく湿った風が二人の頬を撫でる。
「まだ続いているんだね、戦いは」 
 コックピットを開いて流れ込んでくる熱風に黒い民族衣装を翻すシャム。クリスは基地の中央で両手を頭の後ろに当ててひれ伏し、東モスレム三派の兵士に銃を向けられている共和軍の兵士達を眺めていた。
「手でも貸しましょうか?」 
 クロームナイトの足元で、タバコをくわえた嵯峨と、書類に目を通している隼の姿を見つけたクリスは首を振ってそのままシャムの後ろをついて機体を降りようとした。
「危ない!」 
 白い機体の腕から落ちそうになったシャムを書類を投げ捨てて支える伊藤。
「慌てても何にもならないぜ」 
 そう言って笑う嵯峨。
「まもなく我々の陸上部隊も到着します。今のところ組織的な抵抗は受けていませんよ」 
 伊藤はそう言うと散らかした書類を拾い始める。その姿を見て、三派の兵士達も飛んできた書類に集まってきた。
「エスコバルの旦那が死んだんだ。奴等も抵抗が無意味なことぐらいわかっているだろうにな」 
 タバコを投げ捨ててもみ消した嵯峨。その視線の先には炎上する町並みが見えた。ただ漫然と見つめる嵯峨。それをいぶかしむように伊藤は悲しげな表情でそれを見つめていた。
「そう簡単に戦争は終わるものじゃありませんよ。戦争は簡単に始まるが、終えるのにはそれなりの努力が必要になる」 
 クリスの言葉に振り返る嵯峨。一瞬、威圧的な色がその瞳に浮かんだが、すぐにそれはいつもの濁った瞳に変わった。
「確かにそうですねえ。あいつ等は三派に降伏したらイスラム教徒以外は殺されると吹き込まれているみたいですしね。そして俺達は単なる無頼の輩で人殺しを楽しみにしていると思ってるんだから……」 
 そう言いながら伊藤の方に目を向ける嵯峨。伊藤は自分の腕の政治将校を示すエンブレムを見て首をすくめた。
「隊長!」 
 ようやくたどり着いた二式を降りたセニアと御子神が駆けつけてきた。後ろからうなだれてくるレムとその肩を叩きながら声をかけるルーラ。
「飯岡は?」 
 その嵯峨の言葉に視線を落とすセニア。
「戦死しました。コックピットに直撃弾を受けましたから即死でしょう」 
 御子神の言葉に、嵯峨はそのままタバコを手に取った。
「何度聞いても慣れないな、戦死報告って奴は」 
 クリスはそのままうつむいて本部の建物に向かう指揮官に声をかけることができなかった。
 そのまま伊藤に案内されて嵯峨は基地の司令室に向かった。そんな三人を襲う死臭。クリスにもその原因はわかっていた。基地の一角を掘り起こしている三派の兵士は疫病予防のためにガスマスクを装着していた。
「ゲリラ狩りの被害者ですか」 
 思わずハンカチで口を押さえながらクリスが先を急ぐ嵯峨に尋ねた。
「まあそんなところでしょう。私も昔やりましたから」 
 そう言う嵯峨の目は笑ってはいなかった。クリスも笑えなかった。胡州軍の組織的ゲリラ討伐戦のプロ『人斬り新三』。嵯峨がその異名を持つことになったこともクリスは知っていた。階下から匂う死臭にハンカチで手を押さえながらそのまま司令部のドアを開いた。
 涼しい空調の効いた部屋にたどり着いて、ようやく三人は忌まわしい匂いから解放された。モニターはほとんどが銃で破壊され、処分が間に合わなかった書類の束が床に散乱している。それを抜けて嵯峨は先頭を切って階段をのぼる。時々、ターバンを巻いた三派の将校が嵯峨の襟の階級章を見て敬礼する。
 そのまま二階の廊下を突き当たり、歩哨の立っている司令室にたどり着く。
「嵯峨中佐ですね」 
 そう言うと浅黒い肌の歩哨が軽く扉をノックした。
「どうぞ!」 
 中で大声が響いた。嵯峨はためらうことなく扉を開いた。室内には窓から庭を見下ろしているグレーの髪の将官が立っていた。
「嵯峨惟基中佐、到着しました!」 
 直立不動の姿勢をとった嵯峨が敬礼をする。三派の指揮官と思しき男が振り返るのをクリスは眺めていた。東アジア系の顔立ちだが、クリスには髭が無いところから仏教徒か在地神信仰の遼州人か分からなかった。その眉間によせられた皺がその男の強靭な意志を示していた。
「東宮がそう簡単に臣下に敬礼などするものではありませんよ」 
 穏やかにそう言った男の顔眺めて、クリスはその人物のことを思い出した。
 花山院康永(かざんいんやすなが)中将。遼州東部の軍閥の首魁、花山院直永の腹違いの弟。そして嵯峨の実の弟に当たるムジャンタ・バスバ親王の忠臣として知られる猛将が穏やかに嵯峨を眺めていた。そしてその親王ムジャンタ・バスバを手にかけたのが嵯峨であることも誰もが知るところだった。
「なあに、今の俺はただの遼南人民軍の指揮官ですよ。さらに加えて言えば党のおぼえはきわめて悪い」
 そう言いながら隣の隼を見つめる嵯峨。伊藤は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「その主席が亡くなられたそうじゃないですか」 
 そう言う花山院の言葉にクリスは目をむいて青年指揮官を見た。嵯峨の表情には変化は無かった。隣の伊藤も動じる気配が無かった。
「その顔は知っていたとでも言うようですね。もしかして暗殺……」 
 花山院はそこまで言って言葉を飲み込んだ。嵯峨は腰の軍刀に手を伸ばしている。
「下手な推測はしないほうがいい。そう思いませんか?」 
 そう言うとにんまりと嵯峨は笑った。
「そう言うなら私は何も言わないことにしましょう。我々はこの基地を引き渡した後、再び東モスレム領内に後退する予定ですが、後退のルートはこちらの設定した順路でよろしいですか?」 
「こちらで指定できることではないんじゃないですか?現状としてアメリカを中心とした親共和軍勢力の多国籍軍の背後を取っている以上、いつ彼らの総攻撃を受けるかもわからないですから。最良の策をとるのが指揮官の仕事じゃないですか」 
 そう言うと嵯峨はポケットに手を伸ばした。花山院は机の上の灰皿を差し出した。それを受け取った嵯峨はタバコに火をつけてくつろぐ。
「それと残念なことですが、捕虜は引き渡していただきますよ」 
 タバコをくゆらす嵯峨の隣に立つ伊藤の言葉に花山院は顔をしかめた。
「そう言う顔をなさる気持ちもわかります。捕虜の共和軍兵士はおそらく懲罰大隊に編入されて督戦隊の射撃標的になるんでしょうから」 
 そう言う伊藤の言葉を飲み込んだと言うように頷きながら聞いた花山院は今度は嵯峨の顔を見た。
「うちはただでさえ上の評判が芳しくないですからね。残念だが」 
 花山院は今度はクリスを見つめてきた。ただ力の無い笑みを浮かべるクリスを見たところで花山院は机を激しく叩いた。
「彼らが何をしたと言うんですか!同じ遼南の民が何で!」 
 誰もが同じ思いだった。そしてそれがどうしようもないことであると言うことも皆がわかっていることだった。
「まあ気持ちも分かりますが……情報ついでに、現在共和軍の三個軍団が降伏を打診してきていましてね」 
 タバコの煙を吐き出す嵯峨。
「三個軍団!十万以上の兵力じゃないですか!あなた方は……」 
「まあうちは千人いないんでね。遼南軍ですから、飯がまずいとかうどんがかつお出汁だとか噂を流せば脱走してくれるんじゃないですか?」 
 そう言って笑う嵯峨。クリスも半分呆れながらその顔を見ていた。
「それでは後は任せましたよ」 
 そう言って逃げるように部屋を出て行く花山院。
「さてと」 
 そう言いながら司令室の椅子に身を沈める嵯峨。
「捕虜の武装解除は進んでるかねえ……」 
 端末を操作する嵯峨を呆れながら見つめるクリス。
「なんでそんなに余裕があるんですか?十万の捕虜を確保するなんて……」 
「ああ、無理ですね。まあ俺も予想はしてたので小麦粉の買占めと製麺工場の確保はしているんですけどね」 
 クリスの言葉にすぐに答えた嵯峨。
「俺が胡州軍の将校だったら穴を掘らせて機関銃でなぎ倒して片付けますがそうはいかないんでね。とりあえずうどんとそれを茹でる水の確保には気をつけますが」 
 そう言ってにやりと笑う嵯峨。確かにこの男が胡州軍の憲兵隊長ならばそれぐらいのことは平然とやるだろうとクリスにも想像できた。そして遼南軍の伝説を思い出した。彼等はいつもうどんを食べる。それがアフリカの砂漠や大麗のコロニー外の真空であろうが彼等は水をふんだんに使ってうどんを茹でる。もしその水がなければすぐに脱走を始めるのが遼南軍である。そんなことを考えているクリスをぼんやりと見つめる嵯峨。
「だが、俺は一応北兼軍閥の首魁と言うことで名が通ってる。それに近くに米軍等の地球勢力の大部隊が展開中なんでね、降伏部隊の掃討なんかをすれば米帝は撤兵を視野に遼北と交渉しているテーブルを蹴るのは間違いない」 
 嵯峨の不気味な笑みにクリスの目はひきつけられる。
「まあこれで北兼台地の制圧には時間がかかることになりそうだな」 
 頭を掻きながら嵯峨は端末に映っている白旗を掲げた共和軍基地の映像を眺めていた。
「まあじっくりとやりましょう。楠木さん達も動いているんじゃないですか?」 
 伊藤の言葉に嵯峨は眉をひそめる。
「あいつも胡州軍気質が抜けない奴だからな。指揮官を二三発ぶん殴るくらいはやるかも知れねえな」 
 慣れた手つきで葉巻の吸いがらが散らばる大き目のガラスの灰皿を取り上げてタバコの火を消す嵯峨。
「まあ手綱は締めとくさ」 
 はっきりとそう言うと嵯峨は再び取り出したタバコに火をつけた。
「それでは降伏部隊の……」 
 そう言って部屋を出ようとした伊藤だが、その正面には先ほど部屋を出たばかりの花山院が戻ってきていた。
「どう言うことだ!」 
 そう言って花山院は机を叩く。ただ呆然と嵯峨はその顔を見つめていた。
「そんな怒鳴られてもなにがなんだか……」 
「降伏した共和軍の河北師団が我々が迂回した米軍の通信基地を北兼軍の指示と言って攻撃したんだよ!」 
 唾を飛ばしながら怒鳴り散らす花山院。
「それで?」 
 まるで表情を変えることなく嵯峨はつぶやいた。
「守備兵力は50人前後だ。攻撃したのは一個師団1万五千だそうだ。それがわずかな兵の制圧射撃を浴びて攻撃部隊は驚いて壊走、我々の後方予備部隊を巻き込んで戦線が混乱している。それに乗じてアメリカ軍の部隊が逆侵攻を開始したそうだ!」 
 空気が一気に緊張した。クリスも伊藤の顔色が青ざめていくのがわかる。だが、嵯峨は達観したようにタバコをつまんでいた左手を灰皿に押し付けた。
「ようは降伏部隊に焼きを入れろってことですか?」 
 不敵な笑いを浮かべて立ち上がる嵯峨。
「ホプキンスさん。ちょっと用事ができましたんで……。そう言えば明日には西モスレムに発たれるんでしたよね」 
 そう言いながら嵯峨は人民軍の軍服の襟を直して見せる。
「はあ」 
 そう返事をするクリスに嵯峨はにやりと笑って見せた。
「まあ何とかしますよ。三派の人達には無事に東モスレムに帰ってもらいます。伊藤!そう言うわけでしばらくは留守にするから。楠木にはこう言う事態を予想して話はつけてある」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「出撃ですか?」 
 そう言うクリスに情けないような笑みを浮かべる嵯峨。
「俺の馬車馬を見たらアメちゃんも少しはおとなしくなるでしょうからね」 
 そう言うと嵯峨は真っ赤に顔を染めている花山院の肩を叩いて司令室を出て行った。
「まったく……だから遼南の軍隊はうどんを茹でるしか能が無いって言われるんだよね」 
 そう独り言を言う伊藤。
「ああ、すいませんねえ。それじゃあまもなく後続の部隊も到着するでしょうから」 
 そう言うと伊藤は司令室からクリスを連れ出した。
「しかし、こんなに降伏部隊を受け入れる余裕はあるんですか?」 
 思わず質問したクリスに隼は首を振った。
「無理ですね。しばらくは進軍どころか補給の確保で精一杯でしょう。どうにか物資の空輸を東和に許してもらうのができるかどうかというところですが」 
 クリスは廊下から外を見た。捕虜になった共和軍の兵士に東モスレム三派の兵士達がパンを配っているのが見えた。
「パンで満足しますかねえ」 
 そう言って引きつった笑いを浮かべる伊藤。中庭の捕虜達を眺めている二人の隣に黒い棍棒のような腕があった。
「やあ、無事みたいだな」 
 ハワードはそう言うと一緒になって庭の捕虜達に目を降ろした。
「ここから南は大変らしいじゃないか。まあゲリラの方が強いから逃亡する共和軍の兵士も無茶はしないだろうがな」 
 そう言って窓を開けたハワードが庭の捕虜達をカメラに納める。捕虜達ははじめは何が起きたのかわからないと言う顔をしていたが、それがカメラと知ると笑顔で手を振り始めた。
「あーあ。同じ遼南人としては恥ずかしいですねえ」 
「ああ、まあ遼南でも北都と央都じゃあ気質が違いますから」 
 そう言って肩を叩くクリスに隼は死んだような目をしてつぶやいた。
「私は先祖代々央都の育ちですよ。大学に行く時に北都物理大に入っただけですから」 
 そう言う言葉にクリスは笑うしかなかった。
「まあ仕方ないですね。それとハワードさん。三派の兵士が居る間は自重して下さいよ。彼らとの関係は実にデリケートなものですから」 
 そう言うと捕虜から目を離して、伊藤は廊下を歩き始めた。先ほどまで目立っていた黄土色の三派の軍服を着た兵士の姿が消え、緑色の人民軍の兵士が荷物を抱えて三人の横を通り過ぎていく。
「これからが大変そうですねえ」 
 伊藤はそう言うとクリス達を階下へ降りる階段へと導いた。
「伊藤中尉!」 
 一階の踊り場でたむろしている女性兵士に声をかけられた伊藤。そこにはセニア達が自動販売機でコーヒーを買ってくつろいでいた。彼等の中から御子神が缶コーヒーを三つ持って近づいてくる。
「大変だそうじゃないですか、南部は」 
 そう言う御子神の表情はセニアやレム達と違って悲壮感に満ちていた。
「そう言えば御子神さんも央都の出身だったね」 
 コーヒーを受け取った隼はすぐさまプルタブを開けてコーヒーを飲み始めた。
「特に信念を持たない兵士の圧力に屈したんでしょうね。彼らにとっては支配者が誰であろうが変わりないですし。力の恐怖に怯える政府と密告の危険に震える政府。どっちであろうと生きていることがその恐怖に耐え忍ぶ前提条件ですから」 
 そう言う御子神にクリスは驚いた。
「御子神さん。あなたも学生運動家出身と聞いていたんですけど……」 
 クリスの言葉に一瞬戸惑ったような顔をしていた御子神だが、一口コーヒーを口に含むと話し始めた。
「確かにそうですよ。いつか時代を変えられる、そう思っていましたから。でも現実はそれほど甘くないのを知るのには三年と言う時間は十分すぎますね。なんなら隣の北都山脈を越えている人民軍の部隊を取材に行ったらどうですか?」 
 そう言うと引きつった笑いを浮かべる御子神。
「手段を目的と勘違いしている連中だ。何を言おうが無駄なんだよ」 
 宥めるようにセニアが言った。一瞬で空気が重く滞留することになる。
「それじゃあやはり降伏した部隊は北兼の本隊に引き渡されるんですか?」 
 そう尋ねたがパイロットの表情は変わらなかった。クリスは悟った。降伏した共和軍の兵士達に与えられる試練。武装解除された彼等は人民軍中央軍団に送られる。そこで脱走兵や他の降伏した部隊と一緒に遼南中央縦貫鉄道の貨車に詰め込まれる。送られる先は最前線。手榴弾を二、三個渡された彼等は督戦隊の掃射を受けながら共和軍との交戦している人民軍正規部隊の最前線に回される。地雷や共和軍の掃射を避けて立ち止まれば督戦隊の砲火に倒れ、突撃すれば共和軍の弾幕に挽肉にされる。
 クリスもパイロット達も彼らの運命を変えることができない自分を恥じていた。
「なーに、しけた面してるんだよ!」 
 その声の主に全員が視線を向けた。熊がいた。熊太郎、そしてシャム。
「伊藤。お前さんがしっかりしてねえと本当に降伏した連中は督戦隊の餌食になるぜ」 
 熊の後ろから出てきたのは楠木だった。そのまま彼は若いパイロット達の前を通り、悠然と自動販売機でオレンジジュースを買う。
「楠木さん。そうまで言うならなにか策でもあるんですか?」 
 そう言う伊藤を、プルタブを空けながらぼんやりと眺める楠木。周りの視線が彼に集まってもまるで気にする様子もなく、そのままジュースを口に含んだ。
「知らないのか?ついに遼北でクーデターだ。うちの魔女軍団の親父さんが政権を取ったぞ。情報関連の連中は大忙しだ。東和でも今はそのニュースで持ちきりだぜ」 
 そう言うと残ったジュースを一気に飲み干す楠木。北兼人民共和国、周喬夷首相。北兼軍の主力軍といえる女性パイロット兵士ばかりで構成された嵯峨惟基中佐の従妹周香麗大佐の『魔女軍団』の亡命劇の立役者でもある遼北革命の闘士。教条派と呼ばれる人民党の急進勢力に押さえつけられてきた彼の決起が近いと言うことは多くの隊員も感じていた。嵯峨が北都の遼南人民軍に参加した理由も、その時期が近いと言う証明だった。
「あの人が動く。そうなれば無駄に兵士を損失する作戦はクライアントのイメージに関わることになると言う話ですか」 
 伊藤は納得がいったというように頷いた。
「ねえ、魔女軍団って魔女がいるんだから魔法を使えるの?」 
 まったく何もわからないと言うように首を左右に向けるシャム。そんなシャムをレムが抱きしめた。
「違うわよ。そうね、あなたももう立派な人民軍の英雄なんだから周香麗大佐も会ってくれるわよ。ねえ、クリスさん!」 
 急に話題を振られたクリスは動揺した。意外にまめなところのある嵯峨である。クリスが周大佐と会話をしたことくらい伊藤を通じてここにいる全員が知っているのは明らかだった。
「まあ見た感じ気さくな人でしたね」 
「そう、それで紅茶おばさん」 
 そう言ったルーラをセニアがにらみつけた。失言に思わず手を当てるルーラ。パイロット達はそれまでの重い空気を追い払う為というように笑っていた。
「そんなに楽観できるんですか?」 
 ハワードの言葉に顔を上げたセニア。笑顔を消し去ると彼女はハワードを見つめた。
「遼南の弱兵は銀河の常識よ。もし自分たちのところに魔女軍団の銃の筒先が向けばどう言うことになるかと言うことをわからないほど北都の連中も馬鹿じゃないわ。しかも今度は支援元の遼北さえ地球との関係を不味くする人権問題を起こしかねないと踏めば人民軍の人事刷新を名目に中央山脈越えで攻めてくるかもしれないとなれば勝手に兵士を使い捨てるわけには行かないわね」 
 ハワードは頭を掻きながらセニアの言葉に聞き入っていた。
 そのままパイロット達の雑談が続く。さすがにクリスとハワードにはいづらい雰囲気になった。
「ホプキンスさんとバスさん。こっちに」 
 そう言って気を利かせる楠木。クリスとハワードはそのまま司令部の外へと招きだされた。ついてくるのは会話についていけないシャムと熊太郎。そのまま楠木は司令部の前に止められていた装甲車両のドアを開いた。そこにくくりつけられた空き缶の灰皿を確認すると、タバコを取り出した。
「楠木大尉も吸うんですか?」 
 そう言ったクリスに苦笑いを浮かべる楠木。
「まあね、隊長みたいなチェーンスモーカーじゃないけど、作戦が終わった時とかはコイツで気分転換をするのが習慣でね」 
 楠木はゆっくりと使い捨てライターを取り出してタバコをつける。
「どうですか?踏ん切りはつきましたか?」 
 クリスはその質問に戸惑った。
「間違っていたなら訂正してください。あなたはここに取材をしに来たわけじゃない。あることに、しかも個人的なことに決着をつけるために来た。そうじゃないですか?」 
 楠木の言葉にクリスは金縛りにあったように感じた。
「どう言う意味ですか?」 
 興味深そうにクリスの顔を覗き込んでくるハワードの顔を見ながらクリスは額ににじみ出る汗を拭った。
「言ったとおりの意味ですよ。あなたの記事はこれまでなんども読ませていただきましたよ。だがその流れ、その意図するところ、言おうとしている思想みたいなものが今回のうちの取材とはどうしても繋がらなかった。それが気になって、俺なりにあなたを見ていたんですよ」 
 タバコの煙がゆっくりと楠木の口から空へ上がる。クリスは逃げ道が無いことを悟った。
「確かにそう思われても仕方ないかも知れませんね。どちらかと言えば特だねを物にすることがメインの仕事にはもう飽きていましたから。東海の花山院軍の虐殺の取材を始めた頃は、地球人以外は悪である。そう言う記事を書いて喜んでいた、だけど何かが違うと思い始めた……」 
 そこまで言ったところでハワードの視線がきつくなっているのを見つけた。クリスはそれでも言葉を続けた。
「悪というものが存在して、それを公衆の面前に暴き立てるのがジャーナリストの務めだと思っていました。どこに行ってもいかに敵が残忍な作戦を展開していて自分達がそれを正す正義の使者だと本気で信じている馬鹿に出会う。それが十人も出会えばあきらめのようなものが生まれてくる」 
 そんなクリスの言葉をタバコを口にくわえながら楠木は表情も変えずに聞いていた。その隣のシャムと熊太郎もじっと言葉をつむぐクリスを眺めていた。
「それは違うよ!」 
 突然のシャムの言葉にクリスは戸惑った。
「正義とか悪とか、アタシにはよくわからないけど守りたいものがあるから戦う。アタシが知っている戦いはそれだけ。もし、それが無いのに戦うなら、それが悪なんだよ」 
 熊太郎を撫でながら言ったシャムの言葉。楠木はそれを目をつぶって聞くと口からタバコの煙を吐いた。
「結構いいこと言うじゃないか、シャム。ただ大人になるといろいろ事情があるんだよ。まあ、ホプキンスさんは結論を出したということで。俺達はこの戦いに結論をつけねえとな」 
 そう言うと楠木は手を上げた。彼の視線の先で三派の基地へと帰還しようとするシンの指揮下のアサルト・モジュールが目に入った。
「あいつ等も自分のいるべき場所に戻るわけか」 
 再びタバコをふかす楠木。クリスはシャムを眺めていた。
「ホプキンスさん!」 
 そう言って司令部の入り口から飛び出してきたのはキーラだった。かつて彼女とであったときに感じた違和感はそこには無かった。神に逆らう所業と言う既成概念が消えていたことにクリスは少しばかり驚いていた。
「どうしました?」 
 クリスのぼんやりとした顔に、キーラは眉間にしわを刻んだ。
「どうしたのじゃないですよ!聞きましたよ、明日出られるそうですね」 
 白いつなぎに白い肌、そして短い白い髪がたなびいている。
「ああ、ハワードさんちょっと話があるんで……」 
「そうですね。シャムちゃん!ちょっと熊太郎と一緒に写真を撮らせてもらってもいいかな?」 
 楠木とハワードは気を利かせて嬉しそうに二人を見つめるシャムと熊太郎をハンガーの方へと誘導する。
「クリスさん……」 
 言葉にならない言葉を、どうにか口にしようとするキーラ。クリスも彼女のそんな様子を見て声を出せないでいた。
「たぶん、これから二式の整備で手が離せなくなるんで……」 
 そう言いながらくるりと後ろを向くキーラ。クリスは彼女の肩に手を伸ばそうとするが、その手がキーラの肩にたどり着くことはない。
「そうですよね。帰還したばかりだけど西部での戦闘は続いている以上、常に稼動状態でないとこの基地を押さえた意味がないですよね」 
 クリスの言葉に、キーラは何か覚悟を決めたように振り向く。
「ジャコビンさん!」 
 名前を呼ぶクリスの胸にキーラは飛び込んでいた。
「何も言わないでいいですよ。何も言わないで」 
 キーラはクリスの胸の中でそう言うと、ただじっとクリスの体温を感じていた。
「帰ってくるん……いえ、また来てくれますよね」 
 ゆっくりと体を離していくキーラを離したくない。クリスはそう感じていた。初めてであったときからお互いに気になる存在だった。それなりに女性との出会いもあったクリスだが、キーラとのそれは明らかに突然で強いものだったのを思い出す。
「いえ、又帰ってきますよ」 
 そう言って笑う自分の口元が不器用に感じたクリスだが、キーラはしっかりとその思いを受け止めてくれていた。次々と通り過ぎる北兼の兵士達も彼らに気をきかせてかなり遠巻きに歩いてくれている。
「それじゃあ、これを……」 
 クリスはそう言うと自分の胸にかけられていたロザリオをキーラに手渡した。
「これはお袋の形見でね」 
 クリスの手の中できらめく銀色のロザリオ。キーラはそれを見つめている。思わず天を仰いでいた自分に驚くクリス。そんな純情など残っていないと思っていたのに、キーラの前では二十年前の自分に戻っていることに気付いた。
「そんな大切なものを私がもらって……」 
「大切だから持っていてもらいたいんだよ。そして必ず返してくれよ」 
 クリスの言葉に、キーラはしっかりとロザリオを握って頷いた。
「わかりました……でもクリスさんに返しても良いんですか?本当に受け取ってくれますか?」 
 いたずらっぽい笑みを浮かべるキーラに頭を掻くクリス。
「大丈夫さ、きっちり取り返しにくるさ」 
 そう言ってキーラがロザリオを握り締めている両手をその上から握り締めるクリス。
「キーラ!早く来てよ!とりあえず機体状況のチェックをするわよ!」 
 小さな上司、許明華が手を振っている。お互い明華を見つめた後、静かに笑いあったクリスとキーラ。
「ったく!チビが野暮なことするなよ!」 
「楠木大尉!そんなこと言ってもあんな二人見てたら邪魔したくなるじゃないですか」 
 無粋な明華をしかりつける楠木。ハワードは気がついたようにクリスとキーラにシャッターを切った。
「ハワード!あんまりつまらないことするなよ!」 
「何言ってるんだ。俺とお前の仲じゃないか!」 
 そう言ってシャッターを切る続けるハワード。さらに司令部から出てきたセニア達パイロットや伊藤までもが生暖かい視線を二人に送ってくる。
「じゃあ、ホプキンスさん!」 
 交錯する視線に耐えられなくなったキーラがそのまま明華の方に走り出した。
「必ず返してくれよ!」 
 そう叫ぶクリスに向けて、キーラは右手に持ったロザリオを振って見せた。

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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 33

『誘いをかけるのはわかる。だがなぜ支援を呼ばない。一機で十分とでも言うつもりか?』 
 吉田は水中で機体を沈めたまま状況を監視していた。自軍の自走ホバーをハッキングしての攻撃をクロームナイトは楽に凌いでいた。しかも明らかに誘っているような後退を続けている。
『馬鹿だという情報だが、そうでもないみたいだな』 
 東和の偵察機の映像でクロームナイトに対する攻撃の精度はもう5,6回は致命傷を与えることができる精度で行われていた。だが攻撃を仕掛けてもすべて回避される。
『そう言えば七騎士の展開するフィールドの中では時間軸さえゆがめることができると言うが、まさかそんなことは……』 
 その時クロームナイトは動いた。すぐさま吉田は『キュマイラ』を上昇させる。水面が爆風に飲まれる。 
『そんなことができるなら、俺はとっくに落とされている。それとも!』 
 そのまま相手の目を水面に釘付けにするために、友軍のホバーをハッキングして掃射を仕掛ける。




「どこにいるの!」 
 シャムは飛び出してきた重装甲ホバーを撃ち抜いて叫んだ。
「酷い奴だな。味方を盾にしている」 
 クリスはそう言いながらクロームナイトが着陸した地点で炎上しているホバーを覗き見た。脱出しようとした指揮官の背中が炎に包まれて痙攣している。
「シャム。相手は血も涙も無い傭兵だ。情けをかける必要なんて無いんだ」 
 そんなクリスの言葉にシャムは首を振った。
「違うよ!悲しい人なんだよ。戦うことしかできない悲しい人。アタシは森の中で暮らしていて戦い以外のことがあるのを知ってたけど、この人は戦いしか知らないんだ。そんなの悲しすぎるよ!」 
 レールガンの掃射を軽々とよけるシャム。
「同情はやめた方がいい。君が死ぬことになる」 
 そう言うクリスのことばにシャムは振り向いた。シャムは泣いていた。口元が悲しみのあまり震えている。
「同情じゃないよ!この戦いを終わらせるのに必要なことだよ!」 
 そう言うと再び正面を向いて機体を加速させる。角の特徴的なホーンシリーズの灰色の機体がジャンプして逃げ去る様が目に入った。
「見つけた!」 
 そう言うとシャムはレールガンを投げ捨て、サーベルへのエネルギー供給を増やした。



「まずい!格闘戦に持ち込まれたら!」 
 吉田は背後に岩盤が露出した崖に押し付けられていく機体を持ち直そうとした。その時、銀色の鏡のようなものが展開してそこからの一撃が敵機を貫く。その一撃は『キュマイラ』のパルスエンジンに強烈なダメージを感じた。
「伏兵だと!」 
 そしてそのまま『キュマイラ』は岩盤に押し付けられた。




「これで!」 
 崖にめり込んだキュマイラをにらみつけるシャム。そう言うとサーベルを腹部の動力ケーブルが集中している部分に突き立てた。キュマイラは右手を振り下ろそうとするが、腹部を破壊されたことによる動力ユニットの不調で軽く払ったクロームナイトの腕の一撃に敵のキュマイラはサーベルを落とした。シャムは左腕で頭部を握り締め、センサーを完全に破壊する。
 そこまでしてシャムは突然クリスを振り返った。その表情は穏やかで、非常に落ち着いていた。
「危ないけど付き合ってね」 
 そう言うとシャムは装甲版を上げて、コックピットを開いた。




「ほう、面白れえ餓鬼だな」 
 センサー系はほぼ一部の通信機能以外は停止していた。エンジンは無事だが動力の制御機能が停止、完全に負けは決まっていた。
「まあ、挨拶ぐらいはしておくかな」 
 そう言うと吉田はコックピットを開いた。目の前に少女がいる。その後ろの座席に乗っているのはアメリカ人のジャーナリスト。
『確か、クリストファー・ホプキンスとか言ったな。コイツを人質に……』 
「負けが決まったんだ。いまさらつまらねえこと考えないほうがいいんじゃないの?」 
 不意に拡声器で叫ばれて吉田は驚いて振り返った。漆黒のアサルト・モジュールがそこにそびえていた。肩の笹に竜胆の家紋。そして武悪面。
「嵯峨惟基?何でコイツが……」 
 吉田は驚愕しながらサーベルを構える黒いカネミツに目を奪われていた。
「驚いてもらって光栄だね。吉田さんよ。ネットを流れる情報だけがすべてじゃないんだ。たとえば今のようにね」 
 そのまま嵯峨はキュマイラの上半身を叩き落とした。
「隊長!」 
 クリスの目の前でシャムが涙を浮かべて叫ぶ。
「一応、コイツも一流の傭兵だ。加減をするだけ失礼だろ?」 
 そう言うと躊躇することもなく、嵯峨はキュマイラのコックピット周りの装甲を引き剥がした。クリスは開いたコックピットから吉田の姿を見た。固定された下半身がもげて、そこからどす黒い血が流れている。そのまま被っていたサイボーグ向けのヘルメットを外し、吉田のにやけた面が朝日に照らされた。
「駄目だよ!」 
 シャムはそう言うとそのままシートベルトを外してクロームナイトを降りる。そのまま無様に転がっているキュマイラの上半身に駆け寄るシャム。クリスもその後に続いた。手を差し伸べるシャムに、弱弱しい笑みを浮かべる吉田。
「止めでも刺そうってか?」 
 そう言う吉田の余裕の表情をクリスは不審に思って、いつでもシャムを抱えて逃げれる心構えで吉田に近づいた。
「違うよ。違うんだよ」 
 シャムの目に涙が浮かぶ。吉田はそれが理解できないとでも言うように眺めている。
「吉田の。これで二回目か?俺に関わるとお前さんもろくな目にあわないな」 
 いつの間にかカネミツを降りていた嵯峨が吉田に声をかけた。
「もう二十年ですか。あの時……青白い幼年皇帝だったあんたの命を取り損なったのが今の無様な負け方の原因と言うところですか?」 
 自由にならない体を嵯峨に向けた吉田。『北兼崩れ』と呼ばれる動乱。この皇帝として独立を願い立ち上がった少年皇帝の前に傭兵として頭角を現そうとしていた目の前のサイボーグが立ちはだかっていたとしても不思議ではないとクリスは思った。
「そうですねえ。あの青っ白い餓鬼一人の命すら取れなかったあんただ。相性って奴があるんじゃないですか?」 
 そう言うと嵯峨はタバコに火をつけた。
「お前さんについてはいろいろ調べたよ。しかし東和の軍事会社の名簿。東和の戸籍。遼南の入国記録。すべてが明らかに改ざんされたデータだったよ」 
「ほう、あの成田と言う情報将校以外にもルートがあるんですか。これじゃあ勝てないはずだよ」 
 そう言って口元から流れるどす黒い血を拭う吉田。
「情報の有益性は外務武官でも憲兵隊でも実戦部隊でも立場によって変わったりはしねえよ。使い方次第で目的に近づく効果的な手段となるもんだ」 
 そう言うと嵯峨は口からタバコの煙を吐いた。
「お前さんに情報って奴の重要性なんて説教するには、俺じゃあ役不足なのはわかっているがね。だが、ネットの海で拾った情報の信憑性を論議するより、手っ取り早く足を使う。それが真実に近づく一番の方策だって言うのが俺の主義なんでね」 
 嵯峨はそう言いながら吉田にタバコを差し出す。
「ああ、僕はタバコはやりませんよ。健康の為にね」 
 下半身を失いながらも、吉田はにやりと笑いながらそう言った。
「今頃、東モスレム三派の部隊が北兼台地南部基地になだれ込んでいる頃合だなあ」 
 とぼけたようにつぶやいた嵯峨の言葉に、一瞬吉田の表情が驚愕のそれに変わった。そして次の瞬間にはまるで火の付いたような爆笑に変わる。
「つまり俺はアンタの掌で踊っていたわけですか」 
 そう言い終わる吉田の瞳に光るものがあるのをクリスは見逃さなかった。そんな吉田を心配そうに見つめるシャム。
「面白れえよ、あんた。久しぶりに楽しめる仕事だったよここの仕事は。だが、しばらくは休みが取りたいもんだね」 
「でも……」 
 シャムがつぶやくと、吉田はシャムとクリスを見上げた。
「そこのチビも結構面白れえ顔してんな」 
「酷いよ!!面白い顔なんかじゃないもん!」 
 シャムはそう言うと頬を膨らませる。
「褒めてるんだぜ、俺は。世の中面白いかつまらないか。その二つ以外は信用ができない。信用するつもりも無い。アンタ等についていけば面白いことになりそう……」 
 突然、吉田の体が痙攣を始めた。
「……時間切れか。また会うときはよろしくな」 
 嵯峨はそう言うと痙攣している吉田の胸元に日本刀を突き立てた。吉田はにんまりと笑った後、そのまま目をつぶって動きを止めた。
「死んだんですか?」 
 クリスのその言葉に首を振る嵯峨。
「これはただの端末ですよ。本体は……まあそれはいいや」 
 それだけ言うと嵯峨は刀を吉田から抜いて振るった。鮮血が大地を濡らす。
『隊長!敵勢力はほぼ壊滅!指示を願います!』 
 スピーカーから響くセニアの声。
「さてと、三派のお偉いさんに挨拶でもしに行きますか」 
 そう言うと嵯峨はカネミツに乗りこむ。シャムも頷くとそのままクロームナイトを始動させた。


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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 32

「おかしい。変だよ」 
 最前線の部隊を壊滅させたと言うのにシャムは緊張した表情を崩していなかった。わずかな間隙を利用してレールガンの弾丸の入ったマガジンを交換する。
「吉田少佐のことか?基地で待ち受けるつもりじゃないのか?」 
 そう言うクリスにシャムは首を振った。
「いるよ、近くに。でも味方がやられても助けに来ないなんて……」 
 そう言ってシャムは機体を森の中に沈めた。
「確か吉田少佐の機体はナイトシリーズのリバイバル版のホーンシリーズのカスタム機だ。詳しい性能は俺も知らないけど……」 
 その時一発の高収束レーザー砲がクロームナイトの右肩をえぐった。
「来た!」 
 シャムはそのまま機体をいったん街道に飛び出させる。今度はレールガンの高初速のカリフォルニウム弾が掠める。
「見えないよ!どこかにいるはずなのに!」 
 右肩の損傷は軽微だった。そのまま川に降り、対岸の崖を上り高台に出る。そこでも高収束レーザー砲の連射が襲い掛かる。シャムはある程度そのことを予定していたようで、そのままきびすを返して支流の滝に下りる。
「相手も移動しながらの攻撃みたい。場所がつかめないよ!」 
 泣き言を言うシャム。だが、彼女は再び森の中に入ると、これまでより深くの森に機体をねじ込んだ。レールガンの掃射で木が次々と倒されていく。シャムは発見される前に森の奥へと後退する。
「どうした!シャム!」 
 セニアの声が響く。彼女達もこちらに進軍できていないと言う現状を考えれば、遊撃部隊による先頭部隊の挟撃と言う戦術を吉田が取ったことがクリスにも分かった。
「仲間を呼ぶんだ!相手は一機。それに……」 
「駄目だよ!この人は凄く強いから」 
 クリスの言葉を拒否してシャムは敵を誘うような後退を続ける。正確な射撃を何とかかわしながら機体を引かせる。
『これが遼南の七騎士か……』 
 その巧みな戦闘テクニックにクリスは脂汗を流した。

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テーマ : 自作連載ファンタジー小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 31

 東和の偵察機の映像を傍受していた吉田はその意味を理解していた。それは電子信号に過ぎないが彼には映像化してそれを認識する必要は無かった。二進法のコードが脳髄に達すればそれだけで状況を把握するには十分だった。
「突っ込んできたクロームナイトのパイロット。ナンバルゲニア・シャムラードって言ったか?馬鹿じゃねえみたいだな。それとも遼南の七騎士の記憶が蘇ったか?」 
 自然と吉田の頬が緩む。東和の偵察機にはダミーの情報を流して、まだ吉田達の三機のアサルト・モジュールは基地にへばりついていると偽装している。
「さあ、それなりに楽しめるお客さんだ!金の分だけは仕事をしろよ!」 
 吉田は僚機に声をかけた。しかし、吉田は彼等を当てにしてはいない。
『遼南の七騎士か……噂どおりならあんた等には勝ち目はねえよ』 
 傭兵達は闇に消えていく。それを笑みを浮かべて吉田は見送った。




「ここでしばらく様子を見るんだ。あの基地には波状攻撃をかけるほどの戦力は無い。今までのは基地の初期戦力だ。吉田少佐が指揮を取っているからには、彼直属のアサルト・モジュールを投入してくる。それを待ち伏せる。わかったね?」 
 クリスの言葉にシャムは頷いた。確かに彼の命がシャムの双肩にかかっていると言うことでかけた言葉ではあるが、それ以上にこの少女の死を恐れている自分がいることに気付いてクリスは思わず笑みを漏らした。それを嬉しそうに覗き見て、再びシャムは尾根伝いに南下を続けた。
 突然、シャムは機体を伏せさせた。その真上を火線が走る。
「見つかった!」 
 そう言うクリスにあわせるようにシャムはモニタを望遠に切り替えていた。重装甲ホバー車の長いレールガンの銃身が尾根の反対側に消えていく。
「待ち伏せ?」 
 シャムはそう言うと機体を立て直す。
「当然だろう。ここは共和軍の勢力圏だ。それなりの戦力を用意しているはずだから注意……!」 
 今度は川の方からの火線がクロームナイトの肩を掠める。しかし、クリスにはそれが敵の砲手が引き金を引く前にシャムの機動によって避けられたものであることがわかっていた。
『この娘は読んでいるのか?それとも瞬時に反応している?』 
 クリスは目を凝らす。さらに三発の火線が四方からクロームナイトを狙うが、すべて紙一重で外れる。
「避けているのかい?」 
 恐る恐る尋ねるクリスにシャムは軽く頷いた。おそらくはシャムもなぜそう機体を動かしていたのかの説明は出来ないことだろう。
「大丈夫いけるよ!」 
 クリスの問いに答えずにそう言ってシャムは機体をジャンプさせた。クリスは止めようと手を伸ばしたが、シャムの頭に手が届くこともなかった。シャムのクロームナイトのレールガンは、正確に重装甲ホバーの上面装甲を撃ち抜いていく。
「まだいるよ。今度はおっきいの!」 
 着地してすぐにシャムは機体を崖の下に進めた。すぐさま彼女が着地した地点に火砲が集中しているのが見える。
「見つけた!」 
 シャムはかすかに光る森の中の一群に地対地ミサイルを撃ち込んだ。そしてすぐに移動を開始する。崖に沿って続く舗装の壊れかけた道を進んでいたかと思うと、次の瞬間には河原に機体を着地させる。今度は移動する敵からの掃射を浴びるが、そのことは想定しているように対岸の森に機体を進めている。
「アサルト・モジュールだ!」 
 クリスの声を受けて振り向くシャムは大きく頷いた。
「こっちだってやられてばかりじゃないんだ!」 
 そう言うとM5の改良型と思われる機体にレールガンを撃ち込む。しかし、敵の動きは早くむなしく火線は森の中に消えていく。
「動きが早い、吉田の手持ち部隊か?」 
 クリスの言葉を待つまでもなく、シャムは相手の機体の速度に合わせて森の中を抜け、河原を越えて対岸の道路にたどり着く。敵のパイロットもそれを読んでいたようにレールガンを放つが、シャムが微妙に速度を先ほどよりも上げていたのでそれは渓谷の街道の路肩をえぐるだけだった。
「もう一機の気配がするんだけど……」 
 シャムは周りを見渡す。夜間対応のコックピットのモニターが緑色に染まった周囲の森を浮かび上がらせる。彼女をつけまわしていた機体は河原に降りてシャムを誘っているように見える。シャムはそれに乗せられず、そのままそれを無視して再び対岸を目指した。
「そこ!」 
 誘いをかけている機体の火線軸上に隠れていたM5の上半身が、シャムの抜き切りのサーベルの一撃で両断された。そのまま炎に包まれる敵から、誘いをかけていた敵機に目を向けるシャム。その姿に怯えたように後退する敵機にシャムはパルスエンジンをふかして急接近した。
「これで終わり!」 
 そう叫んだシャムの言葉の通り、クロームナイトのサーベルがM5のコックピットに突きたてられた。


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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 30

『戦闘中の共和軍、人民軍所属特機パイロットに告ぐ!貴君等は東都声明に規定された飛行禁止区域内での空中戦闘行為の禁止の事項に抵触する行動をしている。速やかに機体を停止させ、着陸して指示を待ちなさい!さもなくば……』 
 シャムが上昇して逃げようとする最後のM5のバックパックをサーベルで切り落とした時、モニターにヘルメット姿の東和空軍の重武装攻撃機からの警告が入った。
「シャム!その場で着地。そのまま陸路を進め!」 
 セニアの声に、シャムは機体を降下させる。
「どうせ攻撃なんてするつもりの無いのにな」 
 そう言いながらクリスは上空に旋回している対アサルト・モジュール用のレールガンを搭載した戦闘機の影を見上げた。
「でも『ぶりーふぃんぐ』と言うお話会ではこの指示があったら着陸しろって言ってたよ」 
 そう言うとそのままシャムはパルスエンジンを吹かす。そのままクロームナイトは一気に高度を下げ、渓谷の中洲に着地した。
「誰もいないみたい」 
 シャムはそう言うと、しばらく周囲を警戒した。各種センサーは沈黙を守っている。
「しくじりました!脱出……うわ!」 
 一瞬開いた飯岡機のモニターがすぐに消えた。
「やられた?撃墜か?」 
 クリスはその何も映っていない画面を見つめる。
「やらなきゃね」 
 そう言うとシャムは再びパルスエンジンで機体を十メートルくらいの高さまで上昇させる。
「せっかくお友達になれたのに。せっかく一人ぼっちじゃ無くなったのに……」 
 そう言うと、急加速をかけて突き進む。
「熱くなるんじゃない!」 
 さすがのクリスもそう叫んでいた。取材している部隊の隊員が死ぬことには慣れていた。そして、そのことをきっかけにして、理性を失ってさらに敵の罠に深く入り込んでいく指揮官をどれほど多く見てきたか。クリスにとってシャムの甘さは死に繋がる危うさを孕んでいるように見えた。これまでも死の危険は戦場記者にはつき物だとは思っていた。だが、シャムのような純真な子供が死に向かっているのを見ると、クリスはさすがに叫びたくなっていた。
 シャムはクリスの言葉を十分反芻したと言うように速度を落として、そのまま森の中に機体を沈めた。そして、振り返ってクリスの顔を見た。シャムの瞳は潤んでいた。クリスは黙って彼女の頭を撫でた。
「冷静になるんだ。このまま川沿いに進めば敵の防御火線の中に突っ込むことになる。そうなったらこの機体の不瑕疵装甲でも撃ち抜かれるぞ。この山の尾根まで行って敵の様子を見るんだ」 
 そう言いながらクリスは空を見上げた。警戒飛行を続ける東和空軍の攻撃機の数はさらに増えていた。条約などと言うものを平然と無視できるだけの度胸を吉田が持っていたとしても、この数を相手にするほど馬鹿ではない。クリスはそう思いながら、彼の言葉に頷いたシャムを見守っていた。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 29

「こりゃあずいぶんとやるもんだなあ」 
 吉田はまだ北兼共和軍南部基地を出ていなかった。灰色の機体が彼の目の前に聳えていた。最新鋭遼南兵器工廠謹製のホーンシリーズをベースにして、吉田の要請に沿った形でカスタムをくわえた、アサルト・モジュール『キュマイラ』。そのエンジンにはすでに火が入っていた。
 上空で戦況を観察している東和空軍の偵察機の情報も、進軍を続けている嵯峨の遊撃隊の本隊の画像も吉田の脳髄に直結したデータモニタには入っていた。
「隊長!出ますか?」 
 吉田の直下の手ごまである三人が乗ったカスタム済みのM5が待機している。
「まあ慌てることは無いさ。共和軍の連中がどこまでやるのか。今後の参考までに見て置こうじゃないの」 
 そう言ってガムを噛む口元に笑みを浮かべる。
『遼南帝国の遺産、ナイトシリーズか。どこまでやれるか楽しみだ』 
 北兼軍がパイロットのいないカネミツ以外の全アサルト・モジュールを出撃させていることは知っていた。そして吉田に戦力の出し惜しみをするつもりはさらさら無かった。嵯峨と言う勝負師が仕掛けたこの一撃。それを凌ぎさえすれば、とっとと荷物を纏めて遼南を後にするつもりだった。
 それ以上共和軍に恩を売る必要などまるで感じていない。分の悪い陣営にとどまって、馬鹿な戦いに精を出す職業軍人のしがらみとは無縁な傭兵稼業。雇い主のエスコバルが死んだ今となっては、小規模部隊を仕切らせたら右に出るものはいないと言う嵯峨の飼い犬どもの鼻をへし折って名を上げるのが、この戦いの吉田にとってのこの戦いの意味だった。
「しかし、二式の性能は予想以上ですね」 
 顔に傷がある吉田の部下が、共和軍の一機が突っ込んでくるクロームナイトに続く第二波に落とされたのを確認してつぶやく。吉田に言葉を返すつもりは無い。
 長い時間、戦場を傭兵として世の中を渡ってきた吉田は、部下とは言え他の兵達と付き合うことなど考えたことも無かった。情をかけても死ぬ奴は死ぬ。高価な全身義体のオーバーホールにかかる費用のことを考えながら戦う戦場では、味方はただの手駒、敵は金のなる木に過ぎない。それが吉田の信条だった。
「エスコバルのおっさんがもう少しましな奴だったら、二式のデータもかっぱらえたのに……馬鹿な大将を持つと苦労するぜ」 
 そんな吉田の脳内領域に意識化された視界の中で、先頭を切って味方の第三波を殲滅したクロームナイトの姿が大きく映る。
「クロームナイトを落とせば、それなりに次の仕事を探す時は楽になるかねえ」 
 そうつぶやきながら吉田はゆっくりと自分の機体に向かう。脳からの指令を受けた『キュマイラ』は取り付けられていたコードをパージして出撃体勢に入った。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 28

「寝付けなかったんですか?」 
 本部に入るクリスの顔を覗き込むようにしてキーラが声をかけてきた。彼女の頬ににじむ油にクリスはかすかな笑みを浮かべて応えた。
「君こそ夕べは徹夜だったみたいじゃないか」 
 まだ日は昇らない深夜一時。ハンガーは煌々と明かりが照らされている。
「私達の任務はこれからしばらくは待機ですから。それよりシャムちゃんの後部座席に乗るんじゃないですか?結構あの子、無茶するかもしれませんよ」 
 そう言ってキーラは笑った。本部のビルは出撃前と言うこともあり、引き締まった表情の隊員が行き来している。その中から御子神を先頭にパイロット達が姿を現した。軽く会釈をするだけで、彼らの表情はどこか固まっていた。その最後尾におまけのようについてきたシャム。相変わらずの黒い民族衣装のまま、入り口の隣で彼女を待っていた熊太郎が駆け寄るのをどこかぼんやりとしたように眺めている。
「ああ、ホプキンスさん」 
 クリスにかける声もどこか頼りない。キーラはつなぎのそでで顔についていたオイルを拭うと、シャムの被っている帽子を直してやる。
「大丈夫?眠れなかったの?」 
「違うの」 
 シャムは頭を振りながら焦点が定まらないような瞳でクリスを見上げた。
「本当に大丈夫かい?」 
 クリスが声をかけるが、シャムはそのままハンガーへ向けて歩いていく。心配そうな唸り声を上げて見守る熊太郎。
「元気出せよ!」 
 シャムの被っている帽子を叩いたのはライラだった。
「ライラちゃん……」 
 驚いたように帽子を被りなおすシャム。その様子をジェナンとシンが笑顔で見つめている。
「昨日の元気はどうしたんだよ……それが取り柄なんだろ?」 
 ライラは上機嫌だった。だが、彼女の額に浮かんでいる脂汗をクリスは見逃さなかった。彼女が戦場に立つ恐怖を紛らわす為にわざと明るく振舞って見せているのは間違いなかった
「うん大丈夫だよ。ホプキンスさんも安心していいから」 
 そう言うとキーラにつれられてシャムはハンガーへと歩き始めた。
 きらめく照明の中で次々と起動準備に入るアサルト・モジュールを見ながら、静かに愛機クロームナイトに足を向けるシャム。
「一番機出ます!」 
 セニアの機体が接続されていた機器をパージして歩き出す。他の機体も待機状態で、コックピットを開けたまま整備員と怒鳴りあっている光景が続く。
「ナンバルゲニア機!起動準備はどうだ」 
 クロームナイトに取り付けられたはしごを先頭に立って上りながら、キーラは仕様書を読んでいる整備員に声をかけた。
「かなりアクチュエーター関連がこなれてきましたから……かなりエンジンを回しても大丈夫ですよ!」 
 眼鏡をかけた男性の整備兵がそう言うと手にしている仕様書をキーラに手渡した。
「じゃあ、俺から乗るか」 
 そう言うと仕様書をのぞきこむキーラをよけるようにしてクリスはコックピットに体をねじ込んだ。小柄なシャムのシートの後ろの簡易シートに腰を下ろし、安全ベルトを装着する。続いてシャムが黙ったまま自分のシートに腰を下ろし、慣れた手つきで機体状況のチェックを始めた。
「シャムちゃん。あんまり無理させないでね。隊長のカネミツの予備部品が届くのが来週以降になりそうだから」 
 そんなキーラの声にシャムは覚悟を決めた表情で頷いた。コックピットの中に身を乗り出していたキーラはそのまま身を引いた。ハッチが閉められ、装甲板が降りる。全周囲モニタが起動するのを確認すると、クリスは手持ちの携帯端末を覗いた。
 そこには一通のメールが届いていた。クリスと親しい東和駐在のアメリカ陸軍の武官からのものだった。そこには東和訪問中のアメリカ国務長官と、東和首相菱川重三郎の会見の予定が組まれていると言うこと、さらにその後の昼食会後に秘密裏に教条派から政権を奪い返したばかりの遼北人民共和国の周首相派の重鎮。そう呼ばれている遼北の在東和大使が同席しての会議が予定されていると言う内容だった。
「クリスさん。なんか難しい顔してるね」 
 ようやく笑顔に戻ったシャムが声をかけてきた。
「そうだね、どうもこの戦いが持っている意味は僕が考えるより大きいのかも知れないな」 
 そんなクリスの言葉に首をかしげるシャム。
『シャムちゃん、そのまま出れるわよね!』 
 ウィンドウが開いてキーラの顔が大写しにされる。その表情。クリスが考えていた『神に仇なす研究の産物』と言う面影はすでに無かった。
「うん!いけるよ!」 
 シャムはそう言うと機体から機器をパージしてハンガーの前に並んでいる二式の群れに向かって機体を歩かせた。
 ゆっくりと機体を固定していた機器を避けるようにして進むクロームナイト。対消滅エンジンはうなり声も上げず、クリスにはなぜ動いているのか不思議になるような感覚が訪れていた。足元で誘導する整備員に従ってそのまま、まだ暗い朝焼け前の空の下に姿を現す。
「シャム!貴様のクロームナイトが一番足が速い。いけるか?」 
 セニアの言葉にシャムは静かに頷く。
「クリスさん、行きますよ」 
 そう言うとシャムはパルスエンジンに火を入れた。軽い振動の後、静かに周りの風景が落ち込んでいく。
「高度は百メートル以下にしろ!上空の東和空軍機に捕捉されると面倒だ」 
 セニアの声を待つまでも無く、クロームナイトは北兼台地に向かう渓谷を滑るようにして飛び始めた。
「ナイトシリーズか。さすが遼南の盾と呼ばれた機体だ」 
 クリスはすでに巡航速度に達している加速性能に感心しながら前を向いているシャムを後ろから眺める。
「質問、いいかな?」 
 つい文屋魂で、息を整えながら操縦棹を握っているシャムに声をかけた。
「うん、まだブリーフィングとか言うお話会で教わった地点まで時間が有るから大丈夫だよ」
 シャムは振り向いてそう言った。
「なんで君は戦うんだ?たぶん嵯峨中佐は君には難民と一緒に避難するようしつこく迫ったはずだ。だけど君は今ここにいる。もう戻ることは……」 
「友達だから」 
 言葉をつむぐクリスをさえぎるようにしてシャムは笑顔を浮かべてそう言った。
「もう一人ぼっちになりたくないんだ。熊太郎がいて、隊長がいて、セニアがいて、飯岡さんがいて。みんながいるからあたしはここにいる。もう一人ぼっちなんて嫌だから」 
 そう言い切ったシャムはにこりと笑うと漆黒の渓谷へと目を移した。レーダーには後続の二式の反応が映し出される。高高度にはいつものように東和空軍機がへばりついてきていた。
「東和の偵察機か」 
 苦々しくクリスはそうつぶやいた。東和空軍は常にこの戦いを監視すると宣言している。遼南中部以北に飛行禁止区域を設定し、航空戦力の使用に対し実力行使も辞さないという状況は人民軍にも共和軍にも利もあれば害もあった。たとえばこうして限られた戦力で攻撃をかけると言う状況においては、非常にその害の部分が浮き彫りになる。
 東和空軍の偵察機のデータを盗み見ることくらい、共和軍に鞍替えした吉田俊平少佐には容易いことだろう。彼は十分にこちらの手の内を知った上で迎撃体制を整えることができる。そう思いながらクリスは見えもしない東和空軍の偵察機を見上げた。
 突然割り込みの通信が入り、クロームナイトの全周囲モニタにウィンドウが開いた。にやけた表情の青年将校、嵯峨中佐の姿が大写しにされる。
「はい、皆さんご苦労さんですねえ」 
 そう言いながら頭を掻く嵯峨。クリスはあっけに取られて画面の中の嵯峨の顔を見つめた。頬のあたりに赤いシミがある。良く見ればそれはどす黒い新鮮な血液だった。嵯峨も気付いているようで左腕で拭おうとするが、その左の袖にも大量の黒いシミが浮かんでいた。
「隊長?」 
 シャムはウィンドウの中の嵯峨に目を奪われた。
「さて、共和軍の皆さん。あんたらの大将のエスコバル大佐はお亡くなりになりましたよ」 
 嵯峨はあっさりとそう言うと、隣から手渡された焼酎の小瓶を口に含んだ。
「まあ、現在共和国大統領府が後任の人事を急いでいますが、まあどれほど人材があるのかは俺の知ったことじゃ無いんでね」 
 そう言うとにんまりと笑う嵯峨の目に浮かぶ狂気をクリスは背筋の凍る思いで見つめていた。
「吉田の旦那。あんたも雇い主がおっ死んだと言うのにご苦労なことですねえ。確かにここで白旗上げればあんたの傭兵としての命脈が尽きると言う理由で戦う。仕事とは言え同情しますよ」 
 嵯峨は明らかのこの状況を楽しんでいる。クリスは確信した。
「腕と勇名があんたクラスの傭兵になると給料の査定に響く話だ。飼い主がくたばった後でもその尻拭いもせずに引き下がったとなれば、どの武装勢力も民間軍事会社もあんたを買ってくれなくなる」 
 そう言って嵯峨は再び焼酎の小瓶を傾ける。
「まあ、降伏しろとは言わねえよ。だが頭は使っておくほうがいいな」 
 嵯峨の表情はまるで子供のそれだった。悪戯好きの子供がまんまとわなにはまった教師を見下すような表情で彼は話を続ける。
「そう言うわけなんで、俺の部下の皆さんは空気読んで適当に暴れてこいや」 
 それだけ言うと突然振り向いて歩き出す嵯峨。さらに誰も映っていない状態でウィンドウだけが開いている。
「あれ?まだ回ってるの?ちゃんと切っといた方が……」 
 中途半端なところでウィンドウは閉じた。クリスはただ呆然とその光景を眺めていた。
「なんだよ、空気を読んで暴れろって?」 
 クリスの言葉に振り返ったシャム。その表情には不思議な生き物を見つけたような大きな目が輝いていた。
「邀撃機上がった!三機……まだ増える!」 
 セニアの声がコックピットに響いた。
「ちょっと揺れるけど我慢してね」 
 シャムはそう言うとさらに加速をかける。クロームナイトの重力制御コックピットにより、マイルドに緩和されたGがクリスの全身を襲う。
「シャム!そのまま無視して突っ込め!吉田が出てくるはずだ」 
 セニアの指示に頷くシャム。モニタの中の点のように見えた共和軍のM5が急激に大きくなる。朝焼けの光の中、そのいくつかが火を放った。次の瞬間、振動がクリスを襲う。
「直撃?」 
「違うよ!」 
 そのままシャムは速度を落とすことなく、滞空しているM5をかわして突き進む。
「敵機、さらに五機出てきた!御子神とレム、ルーラはシャムに続け!私と飯岡と明華で先発隊は落とす」 
「じゃあ私達は御子神中尉についていきますよ」 
 指示を出すセニア。その言葉に続いて進む東モスレム三派のシン少尉、ライラ、ジェナン。
「クリスさん。また揺れるよ」 
 そう言うと同じように五つの豆粒が急激に拡大し、そこから発せられた光の槍をかわすようにしてクロームナイトは進む。クリスはただ敵基地を目指し突き進むシャムの背中を見ながら黙り込んでいた。
「ここから!一気に落とすよ!」 
 シャムはそう言うと再び視界のかなたに現れた五つの点に向けて加速をかける。抜いた熱式サーベルを翳して、そのまま制動をかける。シャムの急激な動きについていけない敵のM5の頭部が、そのサーベルの一撃で砕かれた。
「邪魔しないでよ!」 
 クロームナイトの左腕に仕込まれたレールガンの一撃が、モニターを失い途方にくれる敵機のコックピットに吸い込まれた。そして爆炎がその後ろからライフルを構える二機目のM5の視界の前に広がった。
「そこ!もらうよ!」 
 シャムは視界にさえぎられて慌てて飛び出した二機目のM5の胴体にサーベルをつきたてる。そしてそのままパルスエンジンでフル加速をかけ、串刺しにされたM5を中心にして一回転した。クロームナイトの背中に張り付いていた敵のM5の大口径レールガンの火線はシャムの機体ではなく、友軍のM5のバックパックに命中して火を噴いた。

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テーマ : 自作連載ファンタジー小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 27

 爆発音が響いたのはまだ嵯峨達がトラックの荷台で座っている時だった。すでに銃声は町中のいたるところで発せられていた。混乱する共和軍の警戒網を通り過ぎるのはあまりにも容易く、刀の柄を握る焼酎の染みた嵯峨の手に力が入ることは無かった。
 そのまま警備隊を蹴散らして市役所の庁舎に繋がる市議会議場の車止めに停まったトラック。市庁舎から飛び出してきた共和軍の兵士達がすぐさまこれを止めようと駆け寄るが、鈍いサウンドサプレッサーつきのサブマシンガンの発射音が彼らの言葉を消し去った。荷台から黒尽くめの嵯峨の直参の隊員が降り立っていく。嵯峨もまた刀に手を伸ばしながらその後ろに続く。
 議場の入り口に立つ警備兵はすでに胸部に二三発の直撃弾を食らって虫の息だった。彼らの守る議場入り口の鍵をポイントマンの小柄な男の手のショットガンが破壊する。ようやく異変に気づいた守備部隊が彼らのトラックを包囲した時には嵯峨の率いる突入部隊は市役所庁舎に向かう渡り廊下への侵入を開始していた。
 目の前に現れた人物にはすべて隊員の7.62ミリ弾が叩き込まれた。そして隊員は一つ一つの部屋をクリアリングしながら進む。人影を見つけるたびに、手榴弾が投げ込まれ、一斉掃射が浴びせられる。
 嵯峨は的確にターゲットに向かう部下達の姿を満足げに眺めながら、タバコに火を点した。部隊は階段に突き当たると、予定された脱出路確保のために下に向かう部隊とエスコバルの暗殺のために上に上がる部隊に別れて進む。階段の上からようやく掃射が始まり嵯峨の部下達は黙って目だし帽から覘く瞳で嵯峨を見上げた。
「田舎の特殊部隊が動き出したみてえだな」 
 嵯峨は相手がエスコバル暗殺部隊だと確信すると先頭に立って、ようやく愛刀『長船兼光』を抜いた。エスコバルご自慢のバレンシア機関の兵士も初動が遅れたとは言え的確な反撃を始めているのを嵯峨は感じていた。上にへの階段を登る嵯峨の耳元にも、激しい銃撃戦の音が響いてくる。四階の制圧のために三名の部隊員を残すと、そのまま嵯峨は四人の下士官を率いて最上階の五階へと駆け上がった。
 何も無い空間にアサルトライフルのマズルフラッシュが浮かび、嵯峨の手前の壁に弾痕が記される。
「おい、光学迷彩かよ。やっぱり税金で装備そろえている連中はやることが違うねえ」 
 タバコをくゆらせながら嵯峨はそう漏らした。すぐさま彼はハンドサインを送る。最後尾につけていたグレネードランチャー射撃手が、ちかちかと光るマズルフラッシュの中央に対人榴弾を打ち込んだ。
 爆風が廊下を包み、煙が廊下に立ち込めた。すぐにその中に内臓を撒き散らして呻く敵兵が転がっているのが目に入った。走り出したサウンドサプレッサー付きの拳銃を持った嵯峨の突入部隊のポイントマンがもだえ苦しむ敵兵の頭にとどめの銃弾を撃ち込む。
「お前等はここで待て。後は俺の仕事だ」 
 嵯峨はそう言うと市長室に繋がる狭い廊下を歩き始めた。
 ゆっくりと特殊作戦時に愛用の地下足袋のおかげで音も立てずに歩いていく嵯峨。市長室の扉が開き、飛び出してくるバレンシア機関の兵士だが、嵯峨の手に握られた刀はその胴体にぶち当たり、そのまま防弾チョッキごと先頭の兵士を二つに裂いていた。もう一人の男が銃口を嵯峨に向けようとするが、男を引き裂いた嵯峨の刀の切っ先がまるで当然とでも言うように男の喉笛に突き刺さり、大量の返り血を嵯峨に浴びせて息絶える。
「もう終わりですかね」 
 嵯峨はそのまま引き抜いた刀を左肩に担いで市長室に入っていく。目の前で拳銃を机の上に置いたままじっと嵯峨の顔を見つめるエスコバル大佐がいた。
「やはり……来たのか」 
 そう言ってうっすらと恐怖をまとった視線を嵯峨に送るエスコバルを見て、嵯峨は立ち止まった。
「いつかはこうなる。あんたもわかっていたんじゃないですか?」 
 頬についた返り血を拭いながら嵯峨は微笑む。そんな嵯峨にエスコバルはただ引きつった笑みを浮かべるだけだった。
「何が……目的だ……金か?それとも……」 
 エスコバルはそう言うと執務机から立ち上がった。手に刀を握ったままソファーに腰掛けて灰皿にタバコのフィルターを押し付ける嵯峨。その正面に膝が笑っているのを悟られまいと言うように静かに腰掛ける。
「それにしてもアレですね。あんたの部下達。あいつ等が遼南最強とは……」 
 嵯峨はそのまま利き手ではない右手で胸のポケットからタバコを取り出す。左手にはまだ血を滴らせる太刀が握られていた。
「そうだ……君の部隊は最強だからな……」 
 そう言うとエスコバルも吸いかけの葉巻を取り出すと震える手を伸ばして机の上のライターで火をつける。そのままエスコバルからライターを受け取った嵯峨も新しくくわえたタバコに火を点した。
「終わったんだろ?私の部隊を無力化した今、君は目的を果たしたんだ……」 
 引きつった笑みを浮かべるエスコバルを見て嵯峨は大きなため息をついた。抜かれたままの剣からはバレンシア機関の隊員の血が流れ落ちている。憲兵隊の隊長として、混成連隊の殿として、そして今は軍閥の首魁として、何人の血をコイツは吸ってきたのだろう?そんな疑問が頭をよぎって、嵯峨は乾いた笑みを浮かべた。
「確かにあんたの部下は良くやったと思いますよ。米軍の情報支援も無い、前線を知らない将軍達は自分の私腹を肥やすことにしか関心が無い……」 
 そこで大きくタバコの煙を吸い込んだ嵯峨。その目の前のエスコバルの膝は完全に制御を離れて迫り来る恐怖の時を感じつつ震えていた。
「あんたの同僚達は北天戦の敗北からずっと亡命後の生活設計ばかりを頭に描いている。それじゃあ戦争にはなりませんわな」 
 嵯峨の右手のタバコの灰が床に零れ落ちる。
「もう勝敗は決まったんだ。これ以上の犠牲は無駄だと思わないのか?」 
 そう言ってエスコバルは立ち上がった。そしてそのまま彼は執務机に置かれた拳銃を手に取る。
「無駄と言う言葉?知りませんか?」 
 自分に向けられた銃口に嵯峨は大きくため息をついた。それを見つめるエスコバルの瞳は弱弱しく光った。そして立ち上がる嵯峨。
「立つな!」 
 拳銃を持つ手が震えていた。嵯峨はただ立ち上がると静かに握った刀をゆっくりと振り上げた。
「来るな!」 
 エスコバルの右手に力が入る。察した嵯峨はそのまま床に伏せて大きく刀を後ろに構える。銃声が響いた瞬間、エスコバルの右手は拳銃を握ったまま転がっていた。こもったような銃の発射音に警戒にあたっていた抜刀隊の黒ずくめの兵士が二人飛び込んできた。
 嵯峨はそちらを一瞥して手で発砲を止めさせる。右手が無くなったエスコバルの表情がさらに引きつる。
「これなら正当防衛ですかね……ああ、過剰防衛か」 
 そう言うと嵯峨は二の太刀でエスコバルを袈裟懸けに斬って捨てた。
 嵯峨は大きくため息をついた。その人民軍の佐官の制服はどす黒い血を滴らせていた。一息、二息。しばらく立ち尽くしたあと、右腕の袖に剣の刃を挟んで血を拭い去る。
「楠木、終わったぜ」 
 そのまま左手の小型通信機に嵯峨が語りかける。
「撤収準備は順調に進んでいます。制圧射撃をしていた支援部隊の連中から順次引き上げを開始しています」 
 楠木の感情を殺した声に静かに嵯峨は頷いた。
「全く、権力なんて持ったところで疲れるだけだって言うのにな」 
 そう言いつつ嵯峨は静かに階段を降り始めた。彼を追い抜いて降りていく部下達。時折、敵の残党に遭遇するらしく、銃声が断続的に響いている。
 嵯峨は吸い口の近くまで火の回ったタバコを投げ捨ててもみ消す。
「俺の仕事はここまでだ。シンの旦那はどう動くかな」 
 彼の頬に抑えがたいとでも言うような笑みが浮かんでいた。


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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 26

 北兼台地南部基地。アサルト・モジュールの格納庫の前では慌しげに出撃待機状態に移行するべく、整備員達が走り回っていた。それを隊長室から眺める吉田の口元には笑みが浮かんでいた。いつものようにガムを噛み、時折それを膨らまして見せながら副官の報告を聞いていた。しかし、それはどれも吉田にとっては既知の話ばかりだった。
 吉田の通信デバイスの塊である脳は常に各軍の諜報機関のデータベースに直結している。西部戦線で共和軍と多国籍軍が建て直しを図るべく東モスレムの北部の山岳基地に集結していることも、それの阻止のため東モスレム三派軍の主力が北上していることも、遼北で人民党の教条派の失脚が相次ぎ現実路線の周首相派が代議員大会を開く為の準備を水面下での調整が進んでいることも事実として彼は知っていた。
「嵯峨は出てこない。間違いないんだな」 
 ライトで照らされた基地を眺めながら吉田は確かめるようにそうつぶやいた。
「まず間違いありません。それと共和政府軍は掴んでいませんが、現在生存が確認されている元胡州陸軍遼南公安憲兵隊出身者の多くが遼南に入国しているのは確かですので……」 
 副官の言葉が途切れたのは吉田が椅子にどっかりと腰を下ろしたからだった。吉田の特注品の戦闘用義体の重さでしっかりとしたつくりの椅子がきしむ。
「嵯峨の抜刀隊か。エスコバルの旦那もついてないな」 
 そう言いながら副官を見上げる吉田の頬に笑みが浮かぶ。嵯峨の抜刀隊といえば先の大戦では量何の利権に対する胡州の切り札とも呼ばれた部隊だった。要人略取作戦に特化した非正規戦のプロフェッショナルとして反政府ゲリラのキャンプで作戦を指導する地球圏の特殊部隊と暗闘を繰り広げた猛者達である。エスコバルのバレンシア機関等はその練度や士気の高さに於いて比べるべくも無いことくらいは当然のように吉田も知っていた。そしてその多くが非人道的な作戦遂行の責を問われて嵯峨の所領で隠遁生活を送っている。だが一度嵯峨の声がかかれば吉田でも彼等を止めることはできないことも知っていた。
「しかし、よろしいのですか?ほぼ確実に賀谷市に潜入していますよ、あの男は」 
 吉田の微笑みの意味を理解しかねた副官の言葉に、さらに狂気を秘めたサイボーグの笑みは深いものになった。
「それは俺のペイの中には入っていないからな。あくまで南部基地の管轄領域の死守が今回の仕事のすべてだ。それ以上働いても損するだけだぜ」 
 副官は吉田にそう言われて黙り込む。再び吉田は立ち上がると基地のハンガーを眺めた。灰色の機体がライトに照らされて白く輝いて見える。遼南共和国がアメリカの資金と東和共和国の技術、そして帝政時代の『ナイト』シリーズの蓄積を生かして作られた次世代型アサルト・モジュール『ホーンシリーズ』のバリエーションとして作られた吉田専用の高品位アサルト・モジュールの姿がそこに有った。
「こっちはわざわざ『キュマイラ』まで持ち出しているんだ。この基地を一ヶ月間死守したらそれで契約は終了。共和政府のどこかの部隊に引き継いでとっとと東和の本社に帰ればこの仕事は終わりだ」 
 ライトに照らされたアサルト・モジュール『キュマイラ』の頭部センサーから伸びる二本の角が見える。
「嵯峨の『カネミツ』が動かないなら勝算はこちらにあるんだ。エスコバルの旦那の首とこの基地。二兎を追った茶坊主にはそれにふさわしい死に場所を用意してやるのが礼儀と言うものだろ?」 
 そう言って副官の方を振り向く吉田。その残忍な笑みに彼は恐怖を覚えていた。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 24

 北兼台地第三の都市、賀谷市(かたにし)。廃ビルの中で嵯峨は目の前のプロジェクターに映る情報を追っていた。
「ゲリラの方々の協力に感謝と言うところだねえ」 
 そう言って暗がりの中で若い抜けたような表情の将校がタバコに火を点す。
「主力は現在、賀谷南部の鉱山地区の警戒に出動中。さらに二時間後には空港で原因不明の爆発が起こる予定になってます」 
 楠木のその言葉に、判ったとでも言うように左手を上げるタバコを吸う男、嵯峨。
「各ポイントの制圧状況はどうだ?」 
 その言葉を待っていたかのように黒い戦闘服の男がプロジェクターの画面を切り替える。賀谷市中心部の建物をあらわす地図の交差点の近くのすべてのビルに印があった。
「このように現在すべての中佐の指定した地点は制圧完了しています」 
 そう報告する黒い服の男の表情は硬い。清掃員やカップルを装い監視している彼の同志達を思いながら複雑な表情で彼のすべてを捧げた悪党の顔を見上げた。
「いつでも準備はできているわけですよ」 
 そう言うと賀谷市役所を示す地図を拡大して見せる楠木。だがその言葉に嵯峨は苦虫を噛み潰したような表情を変えることは無かった。
「バレンシア機関の動きはどうなんだ?」 
 嵯峨の言葉に楠木と黒い戦闘服の男は顔を見合わせた。
「制服着た兵隊が市役所20名ほど確認されています。その他、直接市役所を攻撃可能なビルに私服の連中が張り付いてますよ」 
 楠木のその言葉を聞きながら、嵯峨は頭を掻いた。
「あまりに教科書どおり過ぎるねえ。下水や手前の川にもまず間違いなく戦力を割いてきているはずだ。それに……」 
「そちらも計算に入ってますよ。祭りが始まると同時にガスを使う予定です」 
 楠木の言葉に一瞬表情を曇らせた嵯峨だが、すぐにいつものようなせせら笑うような表情を浮かべた。
「マスタードガスか。俺達には似合いの汚い作戦だな」 
 そう言うと再びタバコを口にくわえた。マスタードガス。非人道兵器として二十世紀後半には禁止された毒ガスだが、嵯峨は先の大戦では何度と無く使用した経験のある毒ガスだった。浮ついたような笑みを一度浮かべたあと、嵯峨の表情が決意を秘めたものへと変わる。それまでの彼と今の彼のつながりを見つけること。長く彼の副官を勤めてきた楠木にもそれは出来ない話だった。
「それじゃあ各隊員に伝達しろ、状況を開始する」 
 嵯峨はそう言うと腰に下げていた朱塗りの太刀を握り締める。黒い戦闘服を着た男はそのまま出て行った。
「楠木。これ以上お前が悪名を背負う必要は無いんだぜ」 
 くわえたタバコをくゆらせる嵯峨に、笑顔で答えたのは楠木だった。
「今更善人になんてなれませんよ。それにこう言う戦い方をあなたに教えたのは俺ですからねえ」
 楠木の笑みに嵯峨はさめたように詰めたい表情に変わる。
「そうだな。お互いあの世では極楽には行けそうには無いな」 
「まったく……」 
 楠木の含み笑いでようやく納得したように嵯峨は刀を手に部下達について歩き始めた。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 23

 本部は主を失ったと言うのに変わらぬ忙しさだった。事務員達はモニターに映る北兼軍本隊のオペレーターに罵声を浴びせかけ。あわただしく主計将校が難民に支給した物資の伝票の確認を行っている。
「要人略取戦……いいところに目をつけたな」 
 カリカリとした本部の雰囲気に気おされそうになるクリスにそう言ったのはカメラを肩から提げたハワードだった。
「すべては予定の上だったんだろうな、多少の修正があったにしろ」 
 クリスはそう言うとエレベータに乗る。
「待ってください!乗りますから」 
 そう言ってかけてきたのは御子神だった。
「中尉、そんなに急いで何かあったんですか?」 
 クリスのその言葉に肩で息をしながらしばらく言葉を返せない御子神。
「明日の出撃の時間が決まったので……」 
 そう言うと御子神は一枚の紙切れを出した。動き出すエレベータ。御子神はそのまま背中を壁に預ける。
「02:00時出撃ですか。ずいぶんと急な話ですね」 
 クリスの言葉に御子神はにやりと笑う。
「先鋒はセニアさんの小隊です」 
 そのままエレベータは食堂についていた。難民対策で休業状態だった食堂にはようやく普段の日常が戻り、忙しく働く炊事班員が動き回る。そんな中、窓際のテーブルでセニアとレム、ルーラが食事を始めていた。
「ずいぶん早いですね!」 
 そう言って黙々と食事をしている女性パイロットの群れにレンズを向けるハワード。
「撮るなら綺麗に撮ってくださいね」 
 そう言って白米を口に運ぶレム。セニアはデザートのプリンをサジですくっている。
「先鋒には便乗できる機体はありますか?」 
 クリスの言葉に御子神は呆れたような視線を送る。
「シャムもセニアさんの小隊付きですよ」
 食堂のカウンターでトレーをつかんだクリスは周りを眺めてみた。パイロット以外で食堂にいる兵士はいない。
「歩兵部隊は動かないんですか?」 
 その言葉に御子神は厨房を覗いていた目をクリスに向けた。
「それなんですが、楠木さんが隊長の方について行っちゃったので……」 
 そこまで言って御子神がはっとした顔になる。彼もまた伝説の存在として『人斬り新三』と呼ばれた嵯峨を知る世代だった。
「別にそのくらい予想がついてますから。バルガス・エスコバルとその直下のバレンシア機関潰しですね」
 そう言うクリスに曖昧な笑みを浮かべる御子神。クリスは黙って部屋を見回す。そこには出撃前の割には緊張感が欠けているようにも見えた。
「遅いっすよ!御子神の旦那!」 
 そう言いながら和風ハンバーグステーキを食べているのはレムだった。明華は静かにラーメンの汁をすすっている。隣のルーラとセニアは餃子定食を食べていた。
「じゃあ僕はカレーにするかな……」 
 そう言う御子神の向こう側に一人ライスに卵スープをかけたものを食べているシンがいた。
「何を食べているんですか?」 
 呆れたように尋ねる御子神をにらみつけるシン。
「ムハマンドの預言書で決められたもの以外口にできるわけないだろ?それに今は聖戦に向かうために取っている力だ。食事とは言わない」 
 吐きすてるようにそう言うと、シンは味が薄いのかテーブルの上の醤油をご飯にかける。
「シン少尉は敬虔なイスラム教徒なので……」 
 隣でカツカレーを食べているジェナンが言葉を添える。隣でボルシチをスプーンですくいながらライラが頷く。
「でも卵スープ……」
「私はこれが好きなんです!」 
 突っ込むクリスにシンはそう言い切った。
「いいじゃないか何を食べようが。俺がクリスの前に組んでたライターはユダヤ教徒だったけど、せっかく潜入した九州の右翼民兵組織のキャンプで出されたカニ料理にぼろくそ言ってそのままアメリカ兵に突き出されたこともあるぞ」 
 ハワードはそう言いながら受付でカレーうどんの食券を買う。
「俺はビーフシチュー……」 
 クリスは食券売りの事務官の女性に声をかけた。
「それはダミーです」 
 受付の若い女性事務官が答える。
「じゃあミートソーススパゲティー……」
「それもダミーです」
 クリスは唖然とした。
「じゃあ何でこんなにメニューがあるんですか?」 
「隊長の指示でダミーのメニューをつけたほうがなんとなくカッコいいということで……」 
 そう言う事務官に肩を落とすクリス。
「じゃあ卓袱うどんで」 
 そう言う御子神から遼北元を受け取ると事務官はプラスチックの食券を渡した。冗談で言ったメニューに淡々と頷いて食券を渡す事務員。
「なんでそんなのがあるんですか!」 
 クリスの言葉に事務官はもう答えるのをやめたと言うように無視を決め込んだ。
「それは隊長の趣味じゃないですか?」 
 苦笑いを浮かべながら食券を持って歩いていく御子神。
「なんで卓袱うどん?」 
 口元を引きつらせるクリスは食券を持ってどんぶりモノコーナーに向かう。
「はい!カレーうどんお待ち!」 
 そう言って炊事班の女性からどんぶりを受け取るハワード。
「悪いね」 
 そう言うとクリスを置いてそそくさとパイロット達のテーブルに座るハワード。
「じゃあお先に」
 卓袱うどんを受け取った御子神が去っていく。
「はいカレーお待ち」 
 皿を受け取ったクリスはそのまま御子神の隣の席に座った。
「しかし、君達も何も知らされていないんだね」 
 クリスの言葉に反応したのはシンだけだった。
「おそらく隊長は南部基地には現れないでしょうね。胡州公安憲兵隊。要人略取作戦を本領とする特殊部隊だ。普通に考えれば狙いは一つ」 
 明華が静かに汁をすすっている。
「胡州帝国遼南方面公安憲兵隊。通称『嵯峨抜刀隊』か……」 
 カレーうどんをすするハワード。
「その多くが戦争犯罪人として今でも追われる身分ですからね。まあ隊長の荘園でかくまっていたんじゃないですか?」 
 淡々と卓袱うどんを食べる御子神。胡州帝国の貴族制を支えている『荘園』制度。移民の流入によるコロニーの増設の資金を出した胡州有力者が居住民への徴税を胡州政府から委託されたことをきっかけとして始まった制度。西園寺、大河内、嵯峨、烏丸の四大公以下、800諸侯と呼ばれる貴族達の荘園での実権は先の敗戦でも失われることは無かった。特に嵯峨家は中小のコロニーを含めると125のコロニーの二億の民を養う大貴族である。先の大戦の戦争犯罪人をかくまうことくらい造作も無いだろうとクリスは思った。
「しかし君達を取材してわからないことが一つあるんだ」 
 クリスの言葉にセニアが顔を上げる。
「あの御仁がなぜ遼南にこだわるんだ?あの人にはこの土地には恨みしか持っていないはずだ。彼を追放し、泥を被るような真似を強要され、そして勝ち目の無い戦いに放り込まれたこの土地で何をしようというんだ?」 
 クリスのその問いに答えようとする者はいなかった。
「あの人は、なにか遠くを見ているんじゃないですか?」 
 しばらくの沈黙の後、御子神は口を開いた。
「遠く?」 
 クリスの言葉に御子神はしばらく考えた後、言葉を選びながら話し始めた。
「遼州人と地球人。あの人はその力の差は前の戦争で嫌と言うほどわかったはずです。だけど、同じ意思を持つ人類としてどう共存していくか。それを考えて……」 
「まさかそんな善人ですかねえあの御仁は」 
 ハワードの言葉に視線が彼に集中する。さすがに言い過ぎたと思った彼は視線を落としてそのまま食事を続けた。
「共存の理想系は東和だ。あそこはほとんどは遼州系の住民のはずだが、この二百年、国が揺らいだことは無い武装中立の強い意志と的確な情報判断の結果だろう」 
 そう言ったのはシンだった。ようやく奇妙な食材を飲み下して安心したように机の上にあったやかんから番茶を注いでいる。
「そんなことを考えているようには見えないんですがね」 
 そんなクリスの言葉にまた場が静けさに包まれる。
「御子神ちゃんは親へのあてつけってはっきりわかるからいいけど、あのおっさんはそんなことを言える年でもないし」 
 レムが冷やかすような視線で御子神を眺めている。
「レム。あのおっさんとは聞き捨てならんな」 
 そう言って出てきたのは飯岡だった。影の方で食事を済ませたようで手には缶コーヒーが握られている。
「じゃあ飯岡さんはどう考えるんですか?」 
 全員の視線を浴びて一瞬飯岡は怯んだ。
「強きを憎み、弱きを守る。それが胡州侍の矜持だ。俺はそのためにここに来た。あの人も同じく遼南にやってきた。確かに身一つで駆けつけた平民上がりの俺に対してあのお方は殿上人だ。当然軍閥の一つや二つ仕切っていてもおかしいことじゃあるまい?」 
 そう言い切る飯岡だが、クリスはその言葉に納得できなかった。正確に言えば、その場にいる誰一人納得していない。
「胡州も波乱含みだからな。ある意味自分の力量でどうにかなる遼南の方が、しがらみだらけの胡州よりは御しやすかったと言うことじゃないですか?」 
 御子神のそんな一言が一同の心の中に滞留する。クリスもそれが一番あの読めない御仁の考えに近いだろうと納得した。そのようにして箸を進めながらのやり取りはあまり意味があるものではなかった。クリスはそう思いながら周りを見渡した。
「そう言えばシャムはどうしたんですか?」 
 クリスの言葉に御子神はすぐに答えた。
「ああ、彼女なら食べ終わってますよ。どうせいつもどおり墓参りでしょう」 
 御子神はそう言うとやかんを引き寄せて番茶を湯飲みに注いだ。

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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 22

 ゲリラが去り、難民が去った本部前のテントは手の空いた歩兵部隊と工兵部隊の手でたたまれている最中だった。
「元気だねえ!」 
「今度、あんぱんあげるからな!」 
 シャムを見つけた兵士達が声をかけるのに笑顔で手を振って答えるシャム。
「人気者だね」 
「まあ、これが人望と言うものだよ……うん」 
 シャムは腕組みをして頷いている。おそらく誰かに吹き込まれたのだろう。笑顔のシャムを熊太郎が後ろから突いた。
「こら!」 
 シャムは熊太郎に声を上げるが、熊太郎は身を翻すと、そのまま急な坂を上り村の中心へと駆け上がっていく。シャムはそれを追って走り始める。戦闘服や作業着の兵士達の中で、黒に色とりどりの色で刺繍を施した民族衣装を着ているシャムの姿がいつの間にか自然に思えていることに気付いてクリスは笑っていた。人間は慣れて行くものだ。キーラ達人造人間もいつの間にかこんな生活に慣れてきている。
 そう考えて歩いているクリスの前の砂利道の傾斜が緩やかになり、そして平らになる。いつものように目の前には墓の群れが広がる。その前で笑いながら追いかけっこを続けるシャムと熊太郎。
「少なくともこれはあんまり見たい光景じゃないな」 
 粗末な墓を見ながらクリスは独り言を言った。中心の墓。それはシャムの義理の父親、ナンバルゲニア・アサドの墓である。遼南帝国最後の輝きを放った名君ムジャンタ・ラスバ大后の治世、北方遊牧民に生まれたアサドは軍に志願。遼州で発見された古代遺跡の中に見つかった人型兵器のレストアされた『人機』、後のアサルト・モジュールの精鋭部隊『青銅騎士団』の団長となった。
 だが、それは短い栄光にしか過ぎなかった。
 今から二十九年前、ラスバは一人の遼州人の自爆テロにより急逝した。一説にはそれは彼女の長男である第三十四代皇帝ムジャンタ・ムスガの差し金とも言われた。ムスガは母から見放され、廃嫡されて東宮の位を息子のラスコーに奪われていた。そんな彼にラスバの急激な改革に既得権益を脅かされていた保守勢力が近づいたのは自然の流れだった。
 央都に帝位を継いだラスコーの政権が立つと、遼南の東部の山岳地帯を地盤とする花山院家や南にアメリカ軍基地を抱えて独自の地球との関係を持つブルゴーニュ侯はラスバが重用した人材の排除に奔走した。その中にアサドの名もあった。資料では青銅騎士団の団長を罷免されてからのアサドの消息はまるで無かった。
 クリスの目の前にはその運命に翻弄された騎士が眠っていた。その娘、シャムは元気に遊んでいた。夕方と呼ぶにはまだ早い太陽が照りつける。クリスに気付いたシャムは熊太郎と一緒にクリスの隣に立った。
「お参りするの?」 
 静かに訪ねてくるシャムの帽子がずれているのに気付いて、クリスはそれを直してやった。
「おとうが見てるからね。それにグンダリも」 
「グンダリ?それは君の刀の名前じゃないのか?」 
 クリスのその言葉に静かに視線を落としてしまうシャム。彼女は隣の墓を指差した。
「これがグンダリの墓。アタシの初めての友達」 
 シャムの瞳が潤んでいるのがわかった。
 シャムは腰の帯から刀を抜いた。彼女の140cmに満たない身長にちょうど良く見える小ぶりな剣である。
「クリス達が来た森あるでしょ?」 
 シャムは北に見える森を眺めた。クリスも釣られてその深い緑色の山を見上げた。
「アタシはねずっとあの森で一人で居たんだ」 
「どれくらい……」 
 そう言いかけたクリスを制するようにシャムは言葉を続けた。
「数えたこと無いからわからないくらい長い間ずっと一人だったの。昔ね、女王様からこの森を守るように言われて、ずっと一人でいたんだ。それが当たり前だと思っていたし、困らなかったからね」 
 シャムはそう言いながら剣を撫でた。
「でもある日、おとうに会ったんだ。おとうは怪我をしていたんだよ、足を挫いたって言ってた。アタシは看病してあげたんだ。そしたらうちに来ないかって言われて。でも約束があるからって言ったんだけど、寂しいだろって言われて……」 
「寂しかったのかい?」 
 そんなクリスの言葉に、静かにシャムは頷いた。
「それでこの村に来たの」 
 クリスはシャムの言葉に当時のこの村の姿に思いをはせた。見慣れた山岳民族の部落である。遼州羊やジャコウウシが群れを成して歩き回り、子供が笑い、女達が機を織るありきたりな村。そんな村の暮らしがあったのだろうということは、壁が崩れ、柱が倒れ、屋根が抜けた民家の残骸を見れば簡単に想像がついた。
「村でね。はじめは誰もあたしと喋ってくれなかったの。鬼だとか魔物だとか。会うときは笑っているんだけど、おとうのいない所ではみんなおとうの気まぐれだって笑ってたんだ。みんなアタシが一人でいると逃げ出しちゃうし……」 
「でも友達が出来たんだろ?」 
 クリスが水を向けてやると、シャムの顔に笑顔が戻った。
「グンダリは違ったから、他の子供とは。アタシが笛を落として泣いていたんだよ。そしたら『これ、アンタのだろ?』って。それで一緒に話すようになったんだ」 
 腰の横笛を撫でてシャムは笑う。
「グンダリは村長の娘だったんだ。いろんなことを教えてくれたよ。テレビを見せてくれたのもグンダリだったんだ。村にはテレビは村長の家と学校にしかなくて。学校のテレビは触っちゃいけないって言われてたけど、グンダリのテレビはアタシも見てもいいって言ってくれたんだ」 
 嬉しそうに話すシャムの姿にクリスは釣られるようにして微笑んだ。
「でもね。三度目の春を迎えた時、兼都に落ち延びられたラスコー陛下が挙兵なさると言うことで大人はみんな銃を持つようになったんだ。おとうもクロームナイトを持ってきて北兼王に従うって言ってたんだけど……」 
 そこまで話したところでシャムは下を向いてしまった。
 央都を遼北軍に急襲され進退窮まったムジャンタ・ラスコーは父ムスガの治世に不満を持つ軍人・官僚に担がれて北兼の独立を宣言し、事実上の謀反を起こした。遼南皇帝ムジャンタ・ムスガは軍備の増強に努める遼北の侵攻を恐れるあまり、制圧を優先して非道とも言える作戦を取った。
 何百と言う村が無差別に焼かれた。北兼に組したものは乳飲み子に至るまですべてを殺しつくしたその作戦はアメリカをはじめとする地球諸国との断交と言う抗議を受けるほどに問題を複雑化させることになった。その後、遼南は反地球の立場を取るゲルパルト・胡州の連合に支援を仰ぎ、地球との全面戦争にひた走っていく元凶ともなったこの戦い。
 しかし、ここでクリスは気付いた。
 兼州崩れと呼ばれたこれらの騒乱は、北兼王であるムジャンタ・ラスコー、今の嵯峨惟基が十歳の時の戦いである。今、その張本人は三十二歳、二人の娘まで抱えている。しかし、目の前にいるシャムはどう控えめに見ても十歳に見えるかどうかと言うところだった。
「シャム。君は……」 
 不老不死。三百年ほど前、地球人がこの星に植民を始めた頃にこの星に住む地球人が始めて出会った知的人類『リャオ』と名乗る人々にはそんな言い伝えがあったことをふと思い出した。東アジア動乱で故国を追われたアジアの難民。彼等がこの地に捨てられるようにたどり着いた頃、あたかも事実のように流行した都市伝説。『リャオ』、現在では遼州人と呼ばれる人々は不老不死であると。
 だが、それはただのデマだったことは三百年と言う時間がそれを証明していた。それでも伝説としていくつかの不死伝説が無いでは無かった。棄民政策で冷遇された地球系移民と迫害された『リャオ』の人々は胡州のテラフォーミング機関防衛の軍である胡州派遣地球軍の司令大河内某と連携し地球からの独立を掲げて決起した。その中心に一人の巫女がいた。
 彼女は七人の騎士と呼ばれた家臣と胡州駐留軍提督大河内中将の支援を得てアメリカ・中国・ロシアの同盟軍を撃破、遼州星系は地球の植民惑星としては初めての独立国となった。その独立協定締結の三年後、巫女である初代遼南皇帝、ムジャンタ・カオラは娘のレミを残して行方をくらませた。七人の家臣も時を同じくして姿を消したと言う。
 遼州人なら誰でも知っているその伝説。そして今でもカオラはこの地を経巡り、彼等を見守っていると言う伝承。
「そう言えば君は……」 
 そうクリスが切り出そうとしたところで背中に気配を感じて振り返った。
「ああ、どうも」 
 そう言って立っていたのは別所だった。
「取材の邪魔をしちゃったみたいですね……」 
 そう言うと別所は頭を掻いた。その後ろにはシャッターを切っているハワードがいる。仕方なくクリスは立ち上がると別所と向かい合って立った。
「あの人は何をするつもりなんですかねえ」 
 別所はそう言うと伸びをした。シャムを見つけたハワードは今度は墓を眺めているシャムの姿を撮りはじめた。
「私は復讐だと思ってここに来ましたが、どうやらそうではないことだけはわかりましたね」
 クリスはゆっくりと立ち上がった。別所はただ墓を見つめている。この場所に立った人は必ずこの墓の群れを見つめてしまうものだ。そう思いながらクリスは目の前の現役の胡州軍人の姿を見た。現在、胡州の情勢は不安定であることが知られていた。
 民主化と国際協調路線を掲げて支持を広げる西園寺基義派とそれに抵抗する枢密院と陸軍の対立はいつ暴発してもおかしくない状況にあった。別所の上官で彼をこの地に差し向けた赤松忠満海軍大佐は西園寺家の大番頭と呼ばれる人物であり、海軍の中でも切れ者として知られる男だった。だが逆にその名声が反対勢力の態度を硬化させているのも事実だった。
「嵯峨さんは復讐なんて言うちんけな目的で危険に飛び込むほど酔狂な人じゃありませんよ」
 別所はクリスにそう答えた。確かに今のクリスにもそう思えた。だが、その先が見えなかった。
「それじゃあ、私は帰りますね。まあ結局無駄足だったということですか」 
 そう言い残して別所は坂を下ろうとした。ふと腕時計を見たクリスの目の先に四時を指す針が見える。クリスはそのまま別所について坂を下りた。本部の前には一人、嵯峨がタバコを吸いながら突っ立っていた。
「おう、別所。帰るのか?」 
 嵯峨はそう言いながらタバコの灰を携帯灰皿に落とす。
「そうそう胡州を離れられる身分ではありませんから」 
「皮肉のつもりかよ」 
 そう言うと嵯峨は不敵に笑った。彼の兄、西園寺基義が嵯峨の帰国を待っているのは間違いなかった。だが彼はこの地を離れないという確信がクリスにもあった。
「そうだ、嵯峨中佐。楓さんに何か伝えることとかありませんか?」 
 別所のその言葉に、嵯峨は思い切りむせた。
「……あれか?そうだな。迷惑はかけなければやりたいようにやれよって伝えてくれよ。こんな親父を持っちまった以上いろいろあるかも知れねえが、俺が出来ることは何も無いしな」 
 突然の娘への伝言に戸惑う嵯峨を見ながら別所は軽く敬礼した。
「別所さん。本当にコイツで良いんですか?」 
 そう言って伊藤が運んできたのはバイクだった。
「これから作戦が開始されるのに伊藤さんに手間を取らせるのもなんですから」 
 そう言うと別所は渡されたヘルメットを被ってエンジンをかける。
「すまねえな」 
 嵯峨はそう言うと吸いきったタバコを灰皿に押し込む。
「御武運を!」 
 そう言うと別所はそのまま坂道を登って姿を消した。しばらく嵯峨はバイクの後姿を見送りながらタバコの煙を吐き出していた。
「そう言えば伊藤中尉」 
 クリスは消えていく別所を見つめながら仕事に向かおうとする伊藤に声をかけた。伊藤は不思議そうにクリスの顔を見る。
「作戦会議に出た人達が見慣れない集団を見たと言うことなんですが……」 
 そのクリスの言葉に政治将校伊藤隼中尉の顔が険しくなる。
「それはノーコメントで」 
 ある程度予想できた話だと思いながら本部に降りていく伊藤に続いた。シャムもまたクリスの後に続く。彼女に付き従う熊太郎をハワードがしきりに撮影していた。
「胡州公安憲兵隊ってご存知ですよねえ」 
 坂を下りきったところでとぼけたように伊藤が言った。クリスは軽く首を横に振った。伊藤はそれが嘘だと分かっていると言うように笑顔でクリスを見つめた。知らないわけが無かった。遼南は先の大戦が始まる以前も東モスレムの分離独立運動。遼北の反政府ゲリラ活動。そして南部のシンジケートによる裏社会などの不安定要因を抱えていた。
 その活動はゲルパルト・胡州・遼南の三国枢軸の戦況の分析が悲観的なものとなり始めたとき、一気に噴出することとなった。遼南の武装警察のふがいなさに遼南は胡州に対テロ特殊部隊の派遣を要請した。それが当時の遼南方面軍司令部付き憲兵嵯峨惟基憲兵少佐であり彼に与えられた特殊部隊、胡州公安憲兵隊だった。
 突入作戦を得意とする彼らの非道な作戦行動は一定の成果を上げた。北天を牙城とする人民軍の要請を受けつつも遼北が参戦を渋ったのは彼らにより直接指導可能なゲリラ組織が数多く殲滅されたことがきっかけとさえ言われる部隊。
 伊藤が彼らの名を口にした事はクリスにとって重要なことだった。
 ゲリラ殺しの名を受けた彼らが今再び嵯峨を迎えて動き出していることを知りながら政治将校である伊藤がそれを暗示させる発言をしていると言う事実を北天の上層部が知れば重大な裏切り行為とでも言える話だった。
「知らないことがいいこともあるということですよ」 
 クリスの方を見ながら伊藤は笑った。そんな言葉を聞いたあと先ほどまで立っていた嵯峨を探してみた。
「そう言えば嵯峨中佐はどこいったんですか?」
 不意に消えたくたびれた中年男の存在感の喪失。だが伊藤は表情を一つとして変えない。 
「さあ……」 
 伊藤はそれだけ言うとクリス達を置き去りにして本部のビルへと消えていった。
 クリスはそのままシャムと一緒にハンガーに向かった。主がどこかへ行ったと言うのにカネミツの組上げが急ピッチで進んでいる。2式の周りでは出動を前にした緊張感を帯びた整備兵が走り回っている。
「忙しいねえ」 
 シャムは熊太郎の喉を撫でながらその様子を見つめている。ハワードは整備員の邪魔にならないように注意しながら写真を撮り続けていた。
「あ、ホプキンスさん!」 
 ただ立っているだけのクリスに話しかけてきたのはキーラだった。
「大丈夫ですか?かなり忙しいみたいですけど」 
 クリスの言葉にキーラは疲れたような面差しに笑みを浮かべた。
「まあ戦場に向かえる状態に機体を整備するまでがうちの仕事ですから」 
 そう言うとクリスの隣に立ってハンガーを眺めていた。パイロット達の姿は無い。詰め所にいるのか仮眠を取っているのかはわからなかった。
「決戦ですかね」 
 クリスの言葉にキーラは頷いた。
「吉田少佐が指揮権を引き継いだと言ってもすぐに納得できる兵士ばかりじゃないでしょう。それにこの一週間の間、難民の流入による交通の混乱で資材の輸送が混乱していると言う情報もありますから」 
 キーラの言葉でクリスは何故嵯峨がこの基地を留守にするのかがわかった。情報戦での優位を確信している吉田はすでに嵯峨が不穏な動きをしている情報は得ていることだろう。だからと言って打って出るには資材の確保が難しい状態である。必然的に北兼軍の動きを資材の到着を待ちながら観察するだけの状態。今のようなにらみ合いの状態が続き北兼台地の確保の意味が次第に重要になっていく状況でもっとも早く戦況を転換させる方法。そして嵯峨がもっとも得意とする戦い方。
 それはバルガス・エスコバル大佐の殺害あるいは身柄の確保である。
 難民に潜ませた共和軍のスパイがこの基地の情報を吉田に報告しているだろうと言うことはこの基地の誰もが知っていたことだ。そして壊滅させられた右翼傭兵部隊の壊走にまぎれて北兼が工作員を紛れ込ませていることも嵯峨も吉田も当然知っているだろう。
 敵支配地域に尖兵を送り、協力者を通じて潜入、作戦行動を開始する。クリスはこの一連の行動が嵯峨のもっとも得意とする作戦であることに気付いていた。
「要人暗殺、略取作戦……」 
 そうつぶやいたクリスを不思議そうに見るキーラ。
「出撃は明朝ですよ。休んでおいたほうがいいんじゃないですか?」 
 キーラの言葉を聞くとクリスはとりあえず本部に向かう。シャムは黙ってクリスを見送った。


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テーマ : 自作連載ファンタジー小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 21

 嵯峨が立ったまま目の前のワインを飲んでいる老人に頭をかいて照れ笑いを浮かべているのが見えた。その老人のとなりに点滴のチューブがあるのを見てクリスはその老人が無理を押して嵯峨を尋ねた人物であると察しがついた。近づいていくクリスの視界に映ったその横顔を見ただけでそれが誰かを知った。
「ダワイラ・マケイ主席……」 
 握った手に汗がまとわり付く。意外な人物の登場にクリスは面食らっていた。
「やあ、ホプキンスさん!」 
 頭の血の気が引いていくクリスを振り返る嵯峨。老人は立ち上がろうとしたところを伊藤に止められた。
「君か、嵯峨君の取材をしている記者と言うのは」 
 明らかにその顔色はよくない。ただその瞳の力はダワイラ・マケイと言う革命闘士らしい精神力を秘めているようにクリスには見えた。伸ばされた手に思わず握手している自分に驚きながらクリスは嵯峨の隣の席に座っていた。テーブルの上にはブルーチーズとクラッカーが置かれている。ダワイラはクラッカーを手に取るとブルーチーズを乗せて口に運んだ。
「久しぶりの固形物がこんな贅沢なものだとは……嵯峨君の心遣いにはいつでも感服させられてばかりだね」 
 そう言って笑みを浮かべるダワイラの青ざめた顔にクリスは不安を隠せなかった。
「そう言ってもらえると用意したかいがあるというものですよ」 
 そう言って嵯峨も同じようにブルーチーズをクラッカーに乗せた。
「さすがにワインはまずいのでは……お体に障られる……」 
「伊藤君は心配性だな。どうだね。実は私が彼を紹介したわけだが、こう融通がきかんと疲れることもあるんじゃないかな?」 
 その余裕のある微笑みは病人のものとは思えなかった。図星を指された嵯峨が頭を掻く。
「いえ、私の方が伊藤には迷惑かけてばかりで……」 
「いや、彼にも君にも良い経験だ。君達のような青年が増えれば遼南にも希望が見えると言う物だよ」 
 ダワイラはからからと笑う。クリスはその時折見せる苦痛の混じった顔から彼の病状がかなり進行していることがわかった。しかも教条派が台頭してきている北天の人民政府。ダワイラの隠密での視察はかなりの無理をしてのことだろうということはクリスにも想像できた。そして、そうまでして嵯峨に何かを伝えようとしている覚悟がわかって、クリスはじっとダワイラを見つめた。
「さっきから世間話ばかりしているようだが何を私が言いたいかはわかっているようだね、嵯峨君」 
 静かにワイングラスを置いたダワイラが眼鏡を直す。沈黙が場を支配した。
「終戦後のことではないですか?」 
 こちらも静かに嵯峨の口から言葉がこぼれた。ダワイラは目を閉じて大きく息を吸ってから話を切り出した。
「今の人民政府は腐り始めている」 
 ダワイラのその言葉にどこと無く影があるようにクリスには見えた。自分が夢を追って作り上げた国が理想とはかけ離れた化け物に育ってしまった。そうそのかみ締めるようにワインを含む口はそう言いたげだった。
「まあ権力なんてそんなものじゃないですか?手にしたら離したくなくなる。別に歴史的に珍しい話じゃない」 
 嵯峨のその言葉にもどこと無くいつもの投げやりな調子が見て取れた。
「だがこの国はそう言うことを言えるほど豊かではない。しかし彼らも本来は権力闘争などが出来る状態でないことくらいわかる知恵のある人物だったのだがね。本当に権力は人を狂わせる麻薬だ」 
 ダワイラはそう言うと力なく笑った。彼が作った人民の為の組織であったはずの遼南人民党。通称北天政府の末端での腐敗をクリスは目の当たりに見てきただけに黙って老革命家の言葉を聞いていた。
 しばらく空虚な笑みに体を走る痛みを意識していたダワイラだが、すぐにその目に生気が戻った。
「その麻薬に耐性のある人物に率いられてこそこの国の未来がある。違うかね?」
 子供のような表情に変わる瀕死の老人。その言葉に嵯峨も静かに笑みを返した。 
「それが私だって言うんですか?買いかぶりですよ」 
 嵯峨もワインを口に含む。伊藤が空になった嵯峨のグラスにワインを注いだ。
「君は生まれながらに知っているはずだ。権力がどれほど人を狂わせるかを。先の大戦での胡州の君に対する仕打ち、義父の片足を奪い、妻を殺し、負けの決まった戦場に追い立てた胡州の指導者達のことを。そしてさかのぼればこの国を追われることになった実の父親との抗争劇を」 
「まあできれば権力とは無縁に生きたかったのですが、どうにも私はそんな生き方は出来ないようになっているらしいですわ」 
 嵯峨そう言うと自虐的な笑いを浮かべる。
「そんな君だから頼めるんだ」 
 その革命闘士の視線は力に満ちていた。頬はこけ、腕は筋ばかり目立つほどに病魔に蝕まれながら、ダワイラは嵯峨をかつての同志を励ましたその目で見守っていた。
「玉座に着けというわけですね」 
 嵯峨のその言葉に沈黙がしばらく続いた。
「そうだ」 
 ダワイラの言葉は非常に力強く誰も居ないカフェテラスに響いた。事実上の帝政の復興を認める人民政府元首の発言である。クリスは額を脂汗が流れていくのを感じていた。
「しかし、今はそう言うことは言える段階じゃないでしょう。それに俺には今の人民政府の連中に対抗できるだけの人脈も無い。俺はね、独裁者になるつもりはないですから」
 そう言ってワインを飲む嵯峨。その無責任な態度にさすがのクリスも立ち上がりかけたところだった。だが老人は静かに言葉を続ける。 
「ならば時間をかけてその準備をすれば良い。私と違って君には時間がある。一つ一つ問題を解決していけばいいんだ」 
 そう言うとダワイラはワインを一口含んだ。クリスは緊張していた。事実上の一国の国家権力の禅譲。その現場に居合わせることになるとはこの取材を受けた時には考えられない大事件に遭遇している事実に緊張が体を走る。
「君は君のやり方で進めば良い」 
 そう言うとダワイラは力が抜けたように車椅子の背もたれに体を投げた。
「それにどうやら私の役目は終わったようだ」
 老革命家はそう言うと静かに車椅子の背もたれに寄りかかって嵯峨を見つめる。彼の土色の表情を見れば下手な励ましが無意味だと言うことを思い知ることになる。クリスはそう重いながら嵯峨の表情を探った。 
「そんなことは無いですよ、あなたにはこの戦いの結末を見る義務がある」 
 この言葉に嵯峨は真意を込めているようにクリスには見えた。それまでのふざけた様子が消え、にごっているはずの目もするどくダワイラを見つめている。
「ありがとう。私もそうしたいものだ」 
 そう言うとダワイラは静かに目を閉じた。
「だがこの戦いが終わるまで私の体は持たないだろう。そのことくらいはこの年になれば分かる」 
 伊藤は励ましの言葉をかけようと身を乗り出したが、ダワイラは彼を制した。
「癌だとわかったのは二十年前だ。ちょうど伊藤君達が武装蜂起を始めた頃だろう。私もその頃は病魔などに負けてたまるかと手術をすることに戸惑いなど無かった」 
 静かに天井を見つめるダワイラ。その目は非常に穏やかだった。
「私にしか出来ないことがある。私にしか伝えられない言葉がある。そう信じていた。医者が止めるのも聞かずに胃を切って一週間でゲリラのキャンプを視察したものだよ。まるで私が胃を半分切り取った人間ではないかのように彼らの笑顔が元気をくれたものだ」 
 遠くを見る視線のダワイラを三人が見守っていた。
「しかし、きれいごとでは政治は、人は動かないよ。そのことがわかり始めたとき、今度は癌が大腸に転移したと診断された。このときは少しばかりメスを入れるのをためらったね。ここで私が現場を離れれば人民政府は瓦解すると思ったんだ。結局周りの説得で入院することになったが、思えばこの頃から私はもうただの飾りになっていたのかもしれないな」 
 誰も言葉を挟むことが出来なかった。ダワイラの言葉ははっきりとしていた。そして悲しみのようなものが言葉の合い間に感じられた。
「そして遼南でのガルシア・ゴンザレス将軍のクーデターとムジャンタ・ムスガ帝の退去を知って北天を首都とする人民政府樹立宣言を発表したのだが、肺に癌が転移していると聞いたときはもう手術はやめることにしたよ。誰もが私の話など聞かずに支援先の遼北の方を向いていることに気づいたとき、私は道を誤ったことを理解したよ。そんな老人がいつまでも権力を握っていることは良いことではない。彼らも私から独り立ちすれば自分の過ちを素直に認められるようになる、そう思ったんだ」 
「ずいぶん甘い考えですねえ」 
 そう言ったのは嵯峨だった。そんな彼を一目見ると、ダワイラは満足げな笑みを浮かべた。
「そうだ。私は君と違って性善説をとることにしている。いや、科学者は性善説を取らなければ研究など出来ないよ。その技術が常に悪用されるということを前提に研究をする科学者が居たら、それは人間ではない、悪魔だよ。それは三流物理学者の僻みかも知れないがね」 
 再び嵯峨を見て笑うダワイラ。彼が北天大学の物理学博士であった時代の面影が、クリスにも見て取ることが出来た。
「国を打ち立てるには理想と情熱が必要だ。だが、それを守っていく為には狡さと寛容を併せ持つ人物が必要になる。今の人民政府には狡さはあっても寛容と言う言葉がふさわしい人物が居ない」 
「僕はただずるいだけですよ」 
「いや、そう自らを卑下できるということはそれだけ人を許せる人物だと言っている様なものだ、自分の言葉が絶対的に正しいと信じ込んでいる人間は自分を卑下することも、人を許すことも出来ないよ」 
 ダワイラがそう言ったとき、伊藤の通信端末が鳴った。
「どうやら時間のようだ。ホプキンスさん、だったかね」 
「はい」 
「この会談の記事は少し発表を待ってくれないかね。いつか嵯峨君がこの遼南を治める日が来た時、その日まで……」 
 そこまで言うとダワイラは力なく笑った。クリスは何も言えずにただダワイラと言う老革命家のやせ細った手を握り締めた。
「それとこれが今の私に出来るすべてのことだ」 
 そう言ってダワイラは窓の外を指差した。降下してきた大型輸送垂直離着陸機。黄色い星の人民軍の国籍章が見える。
「では、行こうか伊藤君」 
 伊藤に押されて車椅子はエレベータに向かう。嵯峨はタバコを取り出し、それに火をつけた。
「どうしてあなたは断ったのですか?王党の復活は……」 
「そんなもの望んじゃあいませんよ」 
 タバコの煙を吸い込む嵯峨、彼はまるで何事も無かったかのように外の光景を眺めていた。渓谷に続く道に北兼軍の二式が見えた。
「ああ、これで難民の流入は一区切りって所かねえ。搬送の手配はダワイラ先生が済ませてくれたしな」 
 そう言うと嵯峨は遠くを見るような目つきになった。
「ですが、今の北天の政府は腐っている。ゴンザレスの独裁政治にそれが取って代わっても何の違いもありませんよ!」
 クリスの言葉。嵯峨は聞くまでも無いというように窓の外の輸送機を眺めていた。 
「まあ、そうなんですがね」 
 嵯峨は室内に視線を移す。エレベータが開き護衛達に囲まれてダワイラが姿を消した。
「一つ一つ物事は処理していかなければならない。明日の敵のことを考えて今の敵に当たれば勝てる戦いも負けることになる」 
 タバコの煙が天井に立ち上る。
「戦争は勝つか負けるか。二つしか選択肢は無いが、負けたときの悲哀はそれは酷いものですよ。だから勝つ方策を考えてそれを実行するだけですわ」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「とりあえず仕事でもしようかねえ」 
 首を回しながらのんびりとタバコをもみ消す嵯峨。クリスもあわせて立ち上がる。そして思いついたようにエレベータへ向かう足を止める嵯峨。
「そうだ。明華達が戻ってきているでしょうから取材してみたらどうですか?」 
 嵯峨はそう言うと再び歩き始める。そしてクリスもその後に続いた。
「中佐……」 
 エレベータで北天からダワイラに帯同してきたらしい背広の男に車椅子を預けた伊藤が心配そうな顔で嵯峨を見つめる。
「伊藤、何も言うなよ。俺は私欲で動けるほど素直な根性の持ち主じゃねえんだ」 
 そう言うと上がってきたエレベータに三人は乗り込んだ。
「さあて、報告書。たたき返されてるかねえ」 
 執務室の階でエレベータは止まる。嵯峨のいつものシニカルな笑みが垣間見える。
「それじゃあ、失礼」 
 そう言うと嵯峨はエレベータを降りた。代わって入ってきたのはキーラだった。
「どうしたんですか、ジャコビンさん」 
 クリスの言葉に少しキーラの顔が曇った。
「あーあ、これなら東和に移住するんだったわ」 
「ああ、遼北の人造兵士移住計画ですか。応募したんですか?」 
 そう考えも無く発せられたクリスの言葉に、キーラは少し悲しそうな顔をした。戦う為に作られた存在の彼女達は決して歓迎される存在では無かった。地球の感情的なまでに彼女達の存在を抹消しようとしている態度に比べればかなりマシとは言え、遼北政府も『魔女機甲隊』の亡命を機に彼女達を軍の人材不足で悩んでいる東和に押し付ける算段を続けていることは知っていた。
「まあ、いいか。書類取りに来て会えたんだもんね」 
 誰に話すでもなくキーラがつぶやく。ちらちらとクリスの顔を見るキーラ。だが、クリスには先ほどの会合の余韻が残っていて、彼女の頬が赤らんでいることに気付くことが出来なかった。
 それ以来二人の間に何も言葉が交わされることが無かった。一階でエレベータの扉が開くと、キーラはそのままクリスを無視して歩き出そうとした。
「ジャコビンさん!」 
「キーラって呼んでくれないんですね」 
 振り返ってそれだけ言うとキーラはそのまま本部に入ってきた北兼軍の兵士達の中に消えた。クリスはそのまま本部を出た。難民達が陸路を行くトラックと空路を行く輸送機に振り分けられているのが見える。
「あーあ、詰まんないの」 
 シャムはダンボールの中のカブトムシやクワガタムシを見つめながらつぶやいている。
「どうしたんだ、一人で」 
 声をかけたクリスに目を輝かせているシャムがいた。隣の熊太郎も嬉しそうに舌を出している。
「これ、あげるね」 
 虫の入った非常食が二十人分も入る大きなダンボールを押し付けてくるシャム。慌ててクリスはその箱を押し返す。
「逃がしてやればいいのに」 
 クリスの言葉に、シャムは不思議そうにしていた。そしてちらちらとダンボールに目を落とすシャム。
「なんか、君。それを食べそうな目をしているんだけど……」 
「カブトムシの成虫は食べないよ!」 
 シャムはそう言い切った。
「じゃあ幼虫は食べるんだね」 
「うん!やわらかくて甘いんだよ!」 
 クリスは昔、地球の東南アジアでの紛争によりこの星へ移民してきた人達が喜んで巨大なカブトムシの幼虫をほおばっている映像を見たのを思い出した。
「それよりシャムちゃん。君の機体見せてくれないかな?」 
 クリスの言葉にしばらくまじまじと彼の顔を見つめた後、満面の笑みを浮かべてシャムは立ち上がった。
「いいよ!次からは私の後ろに乗るんだよね!」 
 箱を熊太郎の背中に乗せて歩き出すシャム。彼女は元気良くクリスを連れて格納庫に向かう。
「隊長の機体って大変なんだねえ」 
 シャムはそう言うと稼動部分と動力炉を外されてフレームだけの姿になっているカネミツを見つめた。その隣には取り外した部品を冷却しているコンテナから湯気が上がっている。
「あれだよ」 
 シャムに言われるまでも無く、その白い機体は一際目立っていた。そのまま足元に立つシャムとクリス。シャムが自分を『騎士』と呼ぶ理由が、この気品を感じさせるアサルト・モジュールのパイロットであることからもよくわかるとクリスは思っていた。どこか西洋の甲冑を思わせる姿は二式が戦闘用の機械にしか見えないことに比べるとかなり優美な姿を誇っているように見えた。
「シャム、カブトムシくれるんだろ?」 
 若い整備員が声をかけるのを聞くと、シャムは熊太郎の背中の箱を彼に渡した。整備員達がそれに群がり、談笑を始めたのを見計らうように、シャムはそのままコックピットに上がるエレベータにクリスを案内した。
「コックピットは掃除しといたからな!」 
 下でカブトムシの取り合いをしている整備員が叫ぶ。シャムは笑いながら彼に手を振った。
「そう言えばこれまでは熊太郎が乗ってたんだな」 
「うん!広いからちゃんと椅子を乗せても大丈夫だったんだよ」 
 エレベータが止まる。コックピットハッチがシャムの手で解放され、内部が天井の透明になった部分からの昼の日差しに照らされた。コックピットが広いというより、明らかにシャムの座席が小さめに出来ていた。
「これははじめからこうだったのか?」 
「違うよ。明華ちゃんがアタシが乗りやすい様に調整してくれたの」 
 そう言うとシャムはコックピットの前に立った。クリスはその隣から中を覗いた。全周囲モニターが新しい。他の内部装置もすべて二式やカネミツの部品の流用のように見えた。
「中はずいぶん手を入れたんだね」 
「明華とキーラがやってくれたんだ。だから凄く乗りやすくなったよ」 
 シャムは満面の笑みを浮かべながらクリスの顔を見つめた。
「そう言えばクリスはキーラのこと嫌いなの?」 
 コックピットに頭を突っ込んでいたクリスは、背中を見ているシャムの言葉に思わず咳き込んだ。
「何言ってるんだ、それに会ってからそう日も経ってないし……」 
「恋に時間は関係ないって明華も言ってたよ」 
 振り向いたシャムがニヤニヤと笑っている。彼女に自分が宗教右派の家庭に生まれてその呪縛からキーラと向き合えないなどと言い出したい衝動に駆られながら静かに彼女を見つめるだけのクリス。だが続く生暖かい視線に呆れたように無難な話題で切り抜けることを彼は選んだ。
「だから、俺は取材に来ただけだ。たぶん北兼台地の戦いが終われば国に帰るつもりだ」 
「えー!クリス帰っちゃうの?」 
 驚いたように叫ぶシャム。クリスは困惑した。
「そんなに驚くこと無いじゃないか。北兼台地が人民軍の手に落ちれば地球各国の部隊は撤退を決断する国も出てくるだろう。今度、遼南に来たらそちらの取材をするつもりなんだ」 
 シャムはしばらくクリスの言葉が理解できないと言う顔をしていたが、どうにか彼女なりの理解が出来たところでなんとなく下を向いた。
「あっ!」 
 そのままシャムが凍りつく。何かとクリスが下を見れば、工具箱を落としたのか工具を拾い集めているキーラがいた。クリスは何も言えずにいた。下のキーラはシャムの視線に気付いて上を見上げた。キーラとクリスの視線が合った。そしてお互い避けるように目を反らした。
「あんまり大人をからかわない方が良いぞ」 
 クリスはそう言うと再びコックピットの中を覗きこむ。
「重力制御システムは既存のものを使っているみたいだな」 
「きぞん?なにそれ」 
 帽子を直しながらシャムが訪ねる。
「そう言えばエンジン出力と関節動力装置のバランスはどうしたんだ?この前はかなり技術者にエンジンを絞れと言われていたみたいだけど……」 
 クリスの前に立つシャムが不思議そうな顔で見つめ返してくる。
「無駄よ。シャムにそんなこと聞いても」 
 はしごを上って来てそう言ったのはキーラだった。
「その問題はかなり改善しているわ。カネミツの予備部品を組み込んでみたのよ。規格があっていたから使えたんだけど、それでも出力の70パーセントくらいで動かしてもらわないといけないけどね」 
 キーラはそう言うとクリスを見た。先ほどのシャムの言葉を聞いていたクリスは笑顔を作ろうとするが、どこと無く不自然な感じがした。それを見て少し失望したような顔をしたキーラはそのままクリスの隣に立ってコックピットの中を覗きこんだ。
 黙り込む二人に戸惑うシャム。
「何してるの!」 
 叫び声の主は明華だった。三人で下を見ると、パイロットスーツの明華が手を振っている。
「これから昼の炊き出しの仕事があるから降りて来なさいよ!」 
 そう言うと明華は更衣室に向かう。
「そんな時間だったんだね」 
 そう言うとクリスはエレベータに向かう。キーラもシャムもなんとなくその後に続いた。彼等はハンガーの前を見た。すでにまだこの基地で出発を待っている難民達は炊き出しのテントの前に並びだしている。輸送機を待つ群れには隊員がレーションを配布していた。
「相変わらず手際がいいね」 
「伊藤中尉はこう言うことは得意ですから」 
 キーラはそれだけ言うと下を向いてしまう。難民達の群れに頭を下げられながら、キーラは早足で炊事班がたむろしているテントに向かった。
「シャムちゃんはこの人達をどう思うんだ?」 
 クリスの問いに行列に加わろうとしていたシャムが振り向いた。それまでひまわりのように明るく黒い民族衣装の帽子の下で輝いていたシャムの笑顔に影が差す。
「おとうが言ってたけど、戦争では弱いものが一番の被害者なんだよ。戦えるのは強い人だけ。その人達は何でも手に入るけど、弱い戦えない人はみんな持ってるものを取られちゃうんだ」 
 シャムの視線がさらに何かを思い出したような悲しげな光を放つ。
「だからね、アタシは戦わなければいけないんだよ。騎士なんだから。それで余った分はみんなに分けてあげるの」 
 シャムの決意にも似た言葉を聞いてクリスは少しばかり胸が痛んだ。
「でも君は子供だろ?」 
「騎士は騎士なんだよ。戦う意思と力があるから弱いものを守って戦えっておとうは言ってた。それにおとうやみんなの墓があるんだ。みんなが見ているから一人だけ逃げるなんて出来ないよ……」 
 そこまで言うとシャムはしゃくりあげ始めた。クリスは難民達からまるで子供を苛めている外国人と言う風に見られて思わず頭を掻いた。
「なんだ、クリス。子供を泣かせるとは許せないなあ」 
 難民達を写真に納めるのも一段落着いたのか、レーションの箱を開けるのをその棍棒のような褐色の腕で手伝っていたハワードが冷やかしの声を上げた。
「別にそんなつもりは……」 
 ハワードの顔を見ると、少しばかりシャムは安心したように涙を拭った。彼女の隣には熊太郎が心配そうな顔をしながら座っている。
「じゃあお手伝いをしよう」 
 そんなクリスの言葉にようやくシャムは笑顔を取り戻した。
「ホプキンスさん何をしてるんですか?」 
 パンを難民に渡す手伝いを始めたクリスに声をかけたのは伊藤だった。
「ああ、とりあえず僕に出来ないことがないかなあと思って」 
「別にそれは良いんですが、取材はどうしたんですか?」 
「これも取材の一環ですよ」 
 そう言うクリスの肩を叩いて伊藤は感心したような笑みを残して人ごみに消えた。未だに難民の群れは止まることを知らない。新しくやってくるのは車やオートバイで逃げてきた難民達。徒歩で来た人々は休憩を済ませるとすぐに輸送機で後方に向かっていた為、残されたのは比較的若い人々だった。若い男の中には軍への志願手続きを終えて似合わない軍服に身を包んでいる者もいた。
「なんだ、お前も志願したのか!」 
 スープを盛り分けている若い炊事班員がそう声をかけるところから見て、どうやら彼も朝の志願兵受付に応募した口らしい。あちこちで着慣れない軍服を笑いあう若者の姿が見える。
「ようやく終わったみたいですね」 
 クリスは隣の太った炊事班員に声をかけた。ふざけあう元難民の隊員達だけが残された広場を見て、彼は満足げに頷くと空になった鍋を持ち上げようとした。クリスが手を貸してかまどから持ち上げられた鍋を駆け寄ってきたつなぎの整備班員に渡す。
「いやあ千客万来だけどなあ、夜は作り過ぎないようにしないと材料が無くなっちまう」 
 両手を払いながらその太った整備班員が笑った。クリスもそれにあわせて笑っていた。右派民兵組織が壊滅した今、この基地にとっては北兼台地南部基地への侵攻作戦の準備に取り掛かる絶好の機会であることはどの隊員も自覚しているところだった。炊事班の補助をしていた管理部門や通信部門の隊員は早速本部ビルに駆け足で向かっている。
「ご飯食べたの?」 
 そう言って近づいてきたのはシャムと熊太郎だった。
「いやあ、そう言えば忙しくて食べられなかったなあ」 
 そう言うクリスにシャムは手にしたパンを差し出した。
「コーヒーくらいなら詰め所にありますけど……」 
 シャムの後ろから近づいてきていたキーラ。クリスは何を言うべきか迷いながら彼女を見つめた。その白い髪が穏やかな午後の高地の風になびく。思わずクリスも彼女に見とれていた。
「じゃあご馳走になりますよ」 
 そう言ってクリスは嬉しそうにハンガーに向かうキーラの後に続いた。
 踏み固められた畑の跡を通り抜けると、いつものようにハンガーが見える。カネミツの前では菱川の青いつなぎを着た技術者が日の光を浴びながらうたたねをしていた。白いつなぎのこの部隊付きの整備班員は帰等した二式のチェックも一段落着いたというように、だるそうに歩き回っていた。
 キーラは軽く彼らに手を振るとそのままクリスを連れて詰め所に入った。中には明華と御子神、それにジェナンとライラがコーヒーを飲んでいた。
「班長!どうですか?二式は」 
 キーラの言葉に明華はただ手を振るだけだった。それを見ると少し微笑んだキーラはそのまま奥のコーヒーメーカーに手を伸ばした。
「飲んじゃったんですか?」 
「あ、一応空になったら次のを作る決まりだったわね。ごめんね」 
 明華がそう言うとキーラに軽く頭を下げた。コーヒーメーカーを開けたキーラは使い古しの粉を隣の流しに置いた。
「ホプキンスさん。とりあえずかけていてください」 
 キーラの言葉に甘えてクリスは空いていたパイプ椅子に腰掛ける。天井を見上げてぼんやりとしている御子神。コーヒーをすすりながら何も無い空間を考え事をしながら見つめているジェナン。借りてきた猫とでも言うようにそのジェナンを見つめているライラ。
「そう言えばミルクは無かったんでしたっけ?」 
「そうね、しばらくはどたばたが続くでしょうから、手が空いたところで発注しておいてね」
 相変わらず上の空と言うように明華が答えた。
「許中尉」 
 クリスの呼びかけにだるそうに顔だけ向ける明華。
「確か君は15歳……」 
「16歳ですよ」 
 強気そうな明華だが、さすがに疲れていると言うように語気に力が無い。
「私の年で出撃は人道的じゃないと言うつもりなんでしょ?別にいいですよ」 
 そう言いながら微笑んだ明華が惰性で目の前のマグカップに手を出した。
「すっかりぬるくなっちゃったわね。キーラ、私のもお願い」 
 そう言うと明華はマグカップをキーラに渡す。
「それと、シャムはいつまでそこでじっとしてるの?」 
 明華の視線をたどった先、詰め所の入り口で行ったり来たりしているシャムがクリスの目に入った。シャムは照れながら熊太郎に外で待つようにと頭を撫でた後、おっかなびっくり詰め所に入ってきた。
「ココア!」 
 シャムの叫び声が響く。どたばたが気になったのか奥の仮眠室からレムが顔を出した。
「レム!」 
 シャムが抱きつこうとするのを片手で額を押さえて押しとどめる。
「お嬢さん、私に触れるとやけどしますぜ!」 
「何かっこつけてんのよ、バーカ」 
 明華の一言に頭を掻くレム。さすがにシャムの大声を聞きつけてルーラが出てきた。
「何?何かあったの?」 
「何も無いわよ。コーヒー飲む?」 
 コーヒーメーカーをセットしたキーラが二人を眺める。
「私はもらおうかしら」 
「それじゃあ私はブルマン」 
「レム。そんなのあるわけ無いでしょ、と言うかどこでそんなの覚えたの?」 
 呆れる明華。
「いやあ隊長が時々言うんでつい」 
「あの人にも困ったものよね」 
 そう言いながら明華は手にしていた二式の整備班が提出したらしいチェックシートを眺めていた。
「なんだか軍隊とは思えないですね」 
 クリスがそう言うと明華は頭を抱えた。
「確かにそうかもしれないわね。周同志もそのことは気にかけてらっしゃるみたいだけど」 
 苦笑いを浮かべながら明華がコーヒーメーカーに手を伸ばす。まだお湯が出来たばかりのようで暑い湯気に手をかざしてすぐにその手を引っ込める。その様子をニヤニヤしながら見つめるレム。
「ああ、あの紅茶おばさんの言うことは聞かないことにしてますんで」 
「レム!」 
 口を滑らせたレムを咎めるキーラ。レムは舌を出しておどけて見せる。
「紅茶おばさん?」 
「ああ、周少将のイギリス趣味は有名だから。紅茶はすべてインド直送。趣味がクリケットと乗馬と狐狩り。まあ遼北の教条派が粛清に動いたのもその辺の趣味が災いしたんでしょうね」
 明華はそう言うと再びチェックリストに集中し始めた。
「なんかにぎやかだな」 
 そう言いながら入ってきたのはセニアだった。
「コーヒーなら予約は一杯よ」 
 キーラの言葉にセニアは淡い笑みを浮かべる。
「シャムも飲むのか?」 
「アタシはココア!」 
「だからココアはもう無いの!」 
 やけになって叫ぶキーラの声にシャムは困ったような顔をしてクリスを見上げた。
「あのー静かにしてくれないかな?」 
 そう言ったのは一人二式の仕様書を読み続けていた御子神だった。ジェナンとライラと言えば、呆然と人造人間と明華、シャムのやり取りを見つめていた。
「はい!入ったわよ」 
 そう言うとキーラは明華、クリス、レム、ルーラ、御子神、ジェナン、ライラそして自分のカップを並べた。
「私のココアは?」 
「だから無いんだって!」 
 しょんぼりと下を向くシャム。
「すみませんねえ」 
 ジェナンはそう言うとコーヒーをすすった。
「あの……」 
 ライラはカップを握ったまま不思議そうにキーラを見つめた。
「そう言えば東モスレムにはあまり私達みたいなのはいないらしいわね」 
 キーラのその言葉にレム、ルーラ、そしてセニアがライラに視線をあわせる。
「確かにあまり見ないですし、もっと感情に起伏が無いとか言われていて……」 
「酷いわねえライラちゃん。私達だって人間なのよ。うれしいことがあれば喜ぶし、悲しいことがあれば泣くし、まずいコーヒーを飲めば入れた人間に文句を言うし……」 
「レム。文句があるならもう入れないわよ」 
 カップを置いてキーラがレムをにらみつける。
「レムさんの言うとおりだ。ライラ。偏見で人を見るのはいけないな」 
 ジェナンはそう言うと静かにコーヒーをすする。
「いいこと言うじゃないの、ジェナン君。それに良く見ると結構かっこいいし……」 
「色目を使うなレム!」 
「なに?ルーラちゃんも目をつけてたの?」 
「そう言う問題じゃない!」 
「あのーもう少し静かにしてもらえませんか?」 
 レムとルーラのやり取りとそれにかみつくタイミングを計っているライラの間に挟まれた御子神が懇願するように言った。
「無駄じゃないの。こんなことはいつものことじゃないの」 
 平然と機体の整備状況のチェックシートをめくりながら明華はコーヒーをすすっていた。
 そこにドスンと引き戸が叩きつけられる音が響く。
「ぶったるんでるぞ!貴様等!」 
 そう叫んで入ってきたのは飯岡だった。ランニング姿のまま机の上のタオルで汗を拭う。
「あ!それ私の!」 
 レムの言葉にタオルを眺める飯岡。
「別にいいだろうが!ランニングから帰ってきたところだ。汗をかくのが普通だろう!」 
「それじゃあ雑巾にしましょう」 
「リボンズ!俺に喧嘩売ってるのか!」 
 怒鳴りつけた飯岡だが、彼を見つめる視線の冷たさに手にしたタオルを戻した。
「それじゃあシャワーでも浴びるかな……」 
「ここにもシャワーあるよ」 
 シャムの一言に口元を引きつらせる飯岡。
「うるせえ!俺は本部のシャワーを浴びたくなったんだ!」 
 そう言うとそのまま飯岡は出て行った。
「全く何しにきたんだか……」 
 コーヒーをすすりながらチェックリストの整理が終わった明華が立ち上がる。
「すいません、ちょっと聞きたいんですけど……皆さんは何で戦ってるんですか?」 
 突然のジェナンの言葉に明華は視線を彼に向けた。
「私は任務だからよ」 
 そう言うと明華はチェックリストを手に出て行く。
「私は何かな……」 
 言われた言葉の意味を図りかねて天井を見上げるレム。ルーラも答えに窮してとりあえずコーヒーを啜っている。
「私はね。騎士だからと思っていたけど……」 
 そう言うとシャムは腰に下げている短剣に目をやった。そして力強く言葉を続けた。
「もうね、出しちゃ駄目なんだよ。私みたいにおとうを殺されたり、熊太郎みたいにおかんを殺されたり。もうそんなことが繰り返されちゃ駄目なんだ。だから戦うんだよ。もう私達みたいな悲しい子供ができない為に」 
 そう言うとシャムは腰の短剣の柄に手をかけた。
「君は強いんだな」 
 ジェナンはそう言うと下を向いた。ライラが心配そうに彼に寄り添うように立つ。
「いいわねえ、ジェナン君には彼女が居て。あーあ私も素敵な彼氏が欲しいなあ」 
「私では駄目なのかね?ルーラ君」 
 レムはそう言いながらルーラの顔に手を伸ばそうとする。ルーラはその手を払いのけた。
「何をやっているんだか……」 
 呆れたセニアの言葉にじりじりと地味な笑顔を浮かべたレムとルーラが近づいていく。
「そう言うセニアはどうなのよ。やっぱり隆志君一筋?」 
「俺がどうかしましたか?」 
 悪いタイミングで仕様書から目を上げた御子神。全員の視線が彼に集中する。
「何でしょうか?」 
 自分が話題の中心になっていることを知らない御子神隆志中尉は鳩が豆鉄砲を食らった表情だった。
「ニブチン!」 
「最低!」 
 レムとルーラにけなされて、何のことかわからずに首をかしげる御子神。そこに入ってきたのはシンだった。彼は微妙な控え室の空気を観察しながらクリスに目で訪ねてきた。
「ジェナン君が何の為に戦っているのかって話題を出したんですよ」 
「なるほど、ジェナンらしいな。俺は信念のために戦っているな。モスレムの同胞の苦しみ、ゴンザレスの圧制への人々の叫び。それに俺なりに出来ることがあると思って東モスレムにやってきた」 
 シンはそう言い切るとセニアと御子神を見た。
「ブリフィス大尉、御子神中尉。嵯峨隊長がお呼びだ。南部基地攻略作戦の会議だ。急ぐように」 
 そう言うとシンはすぐに去っていく。
「動きが早いな。さすがに百戦錬磨の指揮官ではないというところだろうな」 
 ジェナンはそう言いながら爪を噛んだ。すぐさまライラの右手が飛んだ。
「ジェナン!その癖みっともないわよ」 
「それじゃあ行って来るわ」 
「僕も……」 
 立ち上がったセニア、仕様書を机に投げて後を追う御子神。
「お熱いわねえ。そう思いませんか?ホプキンスの旦那」 
 ニヤニヤと笑いながらレムがクリスに話しかけてきた。
 セニアと御子神が出て行くのを見守るクリス達。
「それにしても早いわね展開が……」 
「たぶんここまでの手順は嵯峨中佐は準備していたみたいだよ」 
 クリスのその言葉にジェナンとライラは頷いた。
「本当に?あの人一体何手先まで読んでるの?」 
「相手が投了するまでじゃないの?」 
 ルーラの叫びにレムが淡々とこたえた。そんなレムの言葉にクリスは共感していた。
『あの御仁なら、そこまで考えていなければ戦争を始めたりしないだろうな』 
 嵯峨がわざわざ追放された故郷に帰ってくるのに郷愁と言う理由は曖昧に過ぎた。彼はどこまでも軍人だった、それも戦略を練る政治家としての顔さえ垣間見えるような。情で動く人間とは思えない。嵯峨とは相容れないゴンザレスと言う男の政権でどれほどの人間が傷つこうが彼には他人事でしかない。その濁った瞳にはすべての出来事が他人事にしか映っていないはずだ。クリスはそう確信していた。
 クリスは思い出していた。嵯峨惟基がかつて胡州の国家改造を目指す政治結社の創立メンバーの一人であったことを。そして陸軍大学校時代、嵯峨は既得権益を握った貴族制度が国家の運営にいかに多くの障害となると言う論文を発表し新進気鋭の思想家として胡州の若手将校等の支持を得ていた人物であるということ。
 しかし、彼は結婚の直前、自らの著作をすべて否定する論文を新聞に発表し論壇を去った。彼の以前の過激な思想に不快感を持っていた胡州陸軍軍令部は彼を中央から遠ざける為、東和共和国大使館付きの武官として派遣した。それ以降、彼は決して自らの思想を吐露することを止めた。
 この取材に向かう前に嵯峨と言う人物を知るために集めた資料からそのような嵯峨という人物の過去を見てきたクリス。そして今の仙人じみたまるで存在感を感じない嵯峨と言う人物の現在。そう言った嵯峨の過去を目の前の部下達が知っているかどうかはわからない。だが、今の嵯峨にはかつての力みかえった過激な思想の扇動者であった若手将校の面影はどこにも無かった。そして彼の部下達はただ嵯峨を信じて彼の実力に畏怖の念を感じながらついてきている。
「だから、二式の性能でM5はどうにかなる相手なの?」 
 ぼんやりと考え事をしていたクリスの目の前でルーラがキーラを問い詰めていた。
「確かにM5はバランスは良い機体よ。運動性、パワー、火力、格闘能力。どれも標準以上ではあるけど、ただアメリカ軍のように組織的運用に向いている機体だから南部基地みたいに指揮系統が突然変更されたりする状況ではスペックが生かせない可能性が高いと言ってるのよ」
「吉田少佐にはそのような希望的観測で向かうべきじゃないですよ。百戦錬磨の傭兵だ。甘く見れば逆に全滅する」 
 キーラの言葉をジェナンがさえぎった。
「ずいぶん弱気ね」 
 つい口に出したというライラの言葉にルーラが目を向ける。
「そうじゃないわよ!ルーラが言ってるのはちょっと急ぎすぎじゃないかと……」 
「やはりびびってるんじゃないの」 
 ルーラとライラがにらみ合いを始めた。きっかけを作ったキーラとジェナンはただ二人をどう止めるべきか迷っていた。
「ったくなんだって言うんだ……」 
 そこに入ってきたのは飯岡だった。彼はタオルを首からさげながらぶつぶつとつぶやいて空いたパイプ椅子に腰掛ける。
「なにか会ったんですか?飯岡さん」 
 話題を変えようとキーラは飯岡に話を投げた。
「ああ、見慣れない団体が会議室の周りにうろちょろしてるんだ。帯刀している士官風の奴も居たからあれは胡州浪人だな。なんだって今頃そんな奴等が……」 
 そう言うと飯岡は目の前にあった飲みかけのセニアの冷めたコーヒーを飲み干した。
「あーあ」 
 ルーラがそれが御子神の飲んでいたコップだと気づいて声を上げる。
「御子神さんに教えておこう」 
「ガサツなんだから本当に」 
 レム、キーラが飯岡の手にあるカップを見つめる。
「なんだよ!喉が渇いたんだから仕方ないだろ!」 
 言い訳する飯岡だが、クリスは彼の言葉に興味を持っていた。
「見たことの無い胡州の軍人?」 
 逃げるように彼女達から視線を反らした飯岡に尋ねた。
「ああ、文屋さんなら心当たりあるかな?一応、人民軍の制服は着ていたが、どうも北天の連中とはまとってる空気が違う。それに楠木の旦那と話をしていたから隊長の関係者だと思うんだがな」 
 今度は誰も手にしそうに無いのを確認してから机の上の団扇で顔を扇ぎ始めた飯岡。
「胡州陸軍遼南派遣公安憲兵隊。前の戦争でゲリラ掃討で鳴らした嵯峨惟基の部隊だ」 
 それまで黙って飯岡の話を聞いていたジェナンが放った言葉は周りの空気を凍らせる意味を持っていた。
「でもそれってそのまま隊長の下河内連隊に再編成されて南兼戦線で全滅したはずじゃあ……」 
 キーラのその言葉にジェナンは静かに後を続けた。
「公安憲兵隊は市街地戦闘でその威力を最大限に発揮する部隊なんだ。確かに上層部の恣意的な人事で嵯峨や楠木と言った幹部はそのまま下河内連隊に再編成されて全滅したけど多くはそのまま胡州の占領地域でのゲリラ狩りや国内の不穏分子の摘発に回されたと聞いている」
 ジェナンの言葉には妙に彼らしくない自信のようなものがあった。まるで昔そう言う連中に追い回された経験者のような言葉の抑揚にクリスはすぐに気がついた。 
「つまり幹部連から引き離された兵隊達が隊長を慕って加勢に来たって話ですか?」 
 レムの言葉にジェナンは頷いた。
「公安憲兵隊はそのやり口で一兵卒に至るまで戦争犯罪者として指名手配がかかっている。つまり彼らには頼りになるのは嵯峨惟基という人物しかいない。元々大貴族の私領として拡大した胡州星系のコロニー群。閉鎖的なその環境なら戦争犯罪人を多量に抱え込むことなんて造作も無いことだ。そうじゃないですか、ホプキンスさん」 
 ジェナンに話題を振られたクリスは静かに頷いた。
「次にあの人物がどう言う行動を取るか。それを僕は見定めるつもりだ」 
 そう言うと彼は静かに話を聞いていたライラに視線をあわせた。ライラはジェナンの瞳がいつもと違う光を放っているのを見て少し困惑した。
「そうなんだ。ふーん」 
 いつの間にか存在を忘れられていたシャムと熊太郎が冷蔵庫からアイスを取り出して食べている。
「おい、なんで熊連れてるんだ?ここは人間の……」 
 思わず愚痴る飯岡。
「フウ!」 
 熊太郎のうなり声で驚いたように飯岡が後ずさる。
「しかし、そうなると隊長は市街戦を行うことを考えてるってことなのかしら。でも、北兼南部基地は市街地からかなり離れているわね。隣の普真市はそれほど大きな町でもないし、戦略上はただ北兼台地の中心都市、アルナガへの街道が通っているだけだし……」 
「いや、わかったような気がする」 
 嵯峨の意図を測りかねているルーラに対し、ジェナンははっきりとそう答えた。
「どう言うこと?」 
「今は言えないな。ホプキンスさんの目もある」 
「君は僕の事を信用していないと言うことか」 
 その言葉に静かにジェナンは頷く。
「当たり前でしょ?あなたはアメリカ人だ。遼州に介入を続ける政府の報道関係の人物を信用しろと言うほうが無理なんじゃないですか?」 
 ジェナンは鋭い視線をクリスに向けながら笑った。
「そうだよね。ホプキンスさん。すいませんが席外してくれますか?」 
 珍しくレムがまじめな顔をしてそう言った。
「シャムちゃん。一緒にお墓参りしてきたら?これからたぶん忙しくなるから暇が無いわよ」
 ルーラは食べ終えたアイスのカップをシャムから受け取って流しに運ぶ。
「クリス……」 
 少し表情を曇らせながら仲間を見やるキーラが居る。
「そうかもしれませんね」 
 そう言いながらクリスは立ち上がると、よく事態が飲み込めていないシャムにつれられて控え室を出た。
「ああ、また組み立てるんだね」 
 シャムが立ち働いている菱川の青いつなぎの技術者の群れを眺めた。冷気が開いていくコンテナから流れ出し、ハンガーを白い霧に包んでいく。フレームだけになったカネミツには検査器具を持った技術者が群がり、再び組み立てを待っている。
「あれって大変そうだよねえ。動かすたびにああやって組み立てないといけないんでしょ?」
 シャムにそう言われてクリスは黙って頷いた。カネミツは嵯峨にしか扱えない機体だと聞いていた。それがくみ上げられるということは嵯峨が出撃することを意味している。正面から決戦を挑む。クリスにはその覚悟のようなものをくみ上げられるカネミツから感じていた。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 墓守の少女 改訂版 20

「起きてください!クリスさん!」 
 ドアを叩く音、そしてキーラの甲高い声が部屋に響く。起き上がったクリスは隣のベッドにはまだハワードは戻ってきていないことを確認した。昨日の一件を記事にまとめて、そのままシャムとキーラの二人と雑談をしたあと、難民が現れたら起こしてくれるよう頼んでクリスは仮眠を取っていた。
「ああ、ありがとう。来たんだね」 
 クリスはいつものように防弾ベストを着込むとドアを開けた。敬礼するキーラに自然とクリスの頬は緩んでいた。
「ありがとうジャコビン曹長」 
「キーラでいいですよ」 
 キーラはそのまま帽子を深く被りなおしながら歩くクリスの後に続いた。
「こう言うのはやはり何度も取材されているんですか?」 
 白いショートの髪をなびかせて着いてくるキーラを振り向くと、クリスは思い返していた。
「あまり無いねえ。どの国も組織も恥は公にはしたくは無いものさ。自分達の政策で生活を破壊された国民がいるという事実は上層部の人間には不愉快以外の何物でもないからね」 
 そう言うと上がってきたエレベータに二人は乗り込んだ。
「昨日は徹夜かい?」 
「ええ、隊長のあの機体が馬鹿みたいに整備に時間がかかるんですよ。実際、あんなに手間がかかる機体なら今のスタッフじゃ運用は無理ですよ」 
 そう言われてキーラのつなぎを見てみた。比較的きれい好きな彼女にしては明らかに油のシミや埃が浮き出して見える。
「これという時の切り札に使うんだろうね、あの人は」 
 そう言うとクリスは開いたエレベータの扉を抜けて本部ビルの扉に手をかけた。夜明け直前と言った闇の中にテントが見える。しかし、昨日まで英雄の降臨に沸いていたゲリラ達の姿は見えない。不審そうなクリスの姿を悟ったキーラが声をかけた。
「ああ、彼等は北天街道までの工事を行う為に移動しましたよ」 
「なるほどねえ」 
 外に出ると、格納庫での作業音以外の音がしないので少し寂しくもあった。
「補給線の確保に兵力を割くのは隊長の昔の教訓なんでしょうね」 
 キーラはそう言うとそのまま村のはずれまでクリスを案内して来た。クリスも渓谷に沿って続く細い道を眺めながら、夜明けの寒空を眺めていた。
「しかし、夜通し行軍とは」 
「仕方が無いでしょう。北兼台地南部基地の司令官に吉田俊平が招聘されたそうですから」 
 キーラの言葉に暗澹たる気持ちになりながら、ようやく先頭を走る北兼軍のホバーのヘッドライトが目に入ってきてクリスはそちらに目を向けた。
 そんな言葉を聞きながら街道を眺めてみた。近づいてくる重装甲ホバーの上で、北兼軍の兵士が笹に竜胆の嵯峨家の家紋入りの旗指物を振り回している。近づくに連れて、その隣でその兵士の肩を叩いて笑いあっているのがハワードだとわかった。
「クリス!待っててくれたのか!」 
 ハンガーの前にドリフトで止まったホバーから飛び降りたハワードが抱きついてきた。
「どうしたんだ、テンションが高いじゃないか」 
「それより医療班を呼んでくれ。怪我人がいる」 
 真顔に戻ったハワードの言葉にキーラはそのまま明かりのついている野戦病院に走った。
「戦闘があったのか?」 
「いや、落石を避けようとして足首を痛めたらしい」 
 そう言うハワードの後ろから、兵士に支えられて十二、三歳くらいの少女が降り立つ。足首に巻いた包帯が痛々しいが、兵士達の笑顔に釣られるようにして彼女は笑っていた。
「じゃあ難民の本隊も無事なのか?」 
「ああ、俺は彼女の手当てが済んだらまた引き返すつもりだがね」 
「じゃあ俺も付いていくよ」 
 クリスが答える。少女はクリスの姿を不思議そうに眺めていた。病院から出てきたのは別所だった。
「どうしたんだね?」 
 別所は駆けつけると、旗指物を持った兵士が指差す少女に目をやった。
「足首か。しかし、それ以上に栄養状態が心配だ。誰か彼女を背負って来てくれないか?」 
「じゃあ俺がやるよ」 
 明るくハワードは言うとカメラケースをクリスに渡して少女の前に背を向けた。少女は恐る恐る大きなハワードの背中に乗っかる。
「じゃあ行きましょう、先生」 
 ハワードは別所の胡州海軍の制服を気にせずそのまま病院へと向かった。
「楠木少佐!」 
 キーラは続いて難民を満載したバスの列を先導している四輪駆動車に叫んだ。
「ジャコビンじゃねえか!それより炊事班を起こせ!炊き出しをやるぞ」 
 広場に止まったバス。屋根の上には家財道具が括り付けられている。ドアが開いても難民達は降りようとしない。
「順番に降りてください!テントがありますから休めます!」 
 体に似合わない大声を張り上げた楠木の言葉に引かれて降りてきた難民達を見てクリスは衝撃を受けた。
 バスを降りてきた難民達に笑顔が無ければ、クリスは目を背けていたのかもしれない。敵基地に群がる彼らを遠巻きに見るのと、目の前で見るのが違うことは覚悟をしていたが、それは戦場に向かうどこのキャンプでも見慣れた光景とは言え、かなりクリスの心をえぐる光景だった。骨と筋だけにやせこけた母親に抱かれて口は開けてはいるが、泣き声を立てる体力も無い乳児。老人は笑ってはいるが、その頬肉のこけた姿が痛々しい。義足の少年。きっと地雷でも踏んでしまったのだろう。屋根の上の包みに手を伸ばす男の右腕のひじから先は切断されていた。
「酷いものだね」 
 たぶんこのような状況を見るのが初めてと思われるキーラが硬直しながらバスから降りる難民を見ているのを見つけてクリスは声をかけた。
「彼等は逆らったわけではないんでしょ?何故……」 
「戦争って言うので戦って死んでいく兵士はまだ幸せな方さ。戦場に住んでいたと言うだけで武器も持たない彼らにとっては生きていること自体が地獄なんだよ」 
 今度は赤十字のマークをつけた北兼軍のトラックが到着する。先ほどの少女の登場で仮眠を取っていた要員まで動員されたようで、野戦病院からは看護婦や医師達がトラック目指して走り出す。
 病院から出てきたハワードがクリスのところにカメラを取りに来た。
「クリス、まだ来るぜ」 
 冷静にそう言うと、ハワードはクリスからカメラを奪い取ってトラックに向かい駆け出していく。トラックから静かに担架に乗った難民達が運び出される。うめき声、泣き声、助けを呼ぶ声。戦場の取材で何度も聞いた人間の声のバリエーションだが、クリスはそれに慣れる事は出来なかった。隣に立っているキーラは初めてこういった光景を目の当たりにするのだろう。クリスは彼女の肩に手を添えた。
「こんなことが起きてたんですね。私達が訓練をしていた間にも」 
「そうだ、そしてこれからも続くんだ。この内戦が終結しても、敗者の残党は民兵組織を作ってゲリラ戦を続けることになるだろう。それが終わるのもいつになることだか……」 
 クリスのその言葉に、キーラの目が殺気を帯びて見えた。彼女の怒りにかつて自分が従軍記者をはじめたばかりのことを思い出した。それはアフリカの内戦だった。記者達は政府軍と国連軍の広報担当者の目の届く範囲だけの取材を許されていた。そこの難民は栄養状態もそれほど悪くなく、政府軍と国連軍のおかげで戦争が終わろうとしていると答えた。まるで版で押したかのように。
 そんな光景に嫌気のさしたクリスが広報担当者の目を盗んで山を越えたところの管理されていない難民キャンプでの光景は今も脳裏に張り付いている。
 積み上げられる餓死者の死体、見せしめに銃殺される反政府ゲリラへの協力者、もはや母の乳房にすがりつく力も無く蝿にたかられる乳児、絶望した瞳の遊ぶことを忘れた子供達。クリスはすぐに国連軍の憲兵に捕らえられて、その光景を一切報道しないと言う誓約書を書かされて、そのままその取材は打ち切りになった。
 クリスはそんな昔話を思い出しながら、ただバスを降りていく難民達を見つめていた。
「嵯峨中佐はこれを偽善者ごっこと呼んだが、君はどう思う」 
 自然とクリスの口からそんな言葉が漏れた。キーラの肩は震えていた。
「ごっこでも何でも、どうして誰もこんなことになるまで手を出さなかったんですか?」 
 言葉が震えている。キーラは泣いていた。以外だった。クリスにとって戦う為に作られた神に背く存在の人工人間のキーラ。彼女が感情を露にしている光景があまりにも自然で彼女の生まれに拘ってこうして黙っている自分がおかしいように感じられてくる。
「いつもそうだよ。戦争ではいつもこうなるんだ」 
 声がしてクリスが振り返った先には民族衣装のシャムが立っていた。いつもの明るいシャムではない。彼女の目はようやくたどり着こうとしている渓谷に沿って続く難民の群れに向いていた。車、馬車、牛車。ある者はロバにまたがり、ある者は自らの足で歩いている。クリスもキーラも彼らから目を離すことは出来なかった。日の出の朝日が彼らを照らす。強い熱帯の日差しの中でその残酷な運命を背負った難民達の姿が闇の中から浮き上がって見えた。
 髪は乱れ、着ている服は垢にまみれた。こけた頬が痛々しく、その振られることの無い腕は骨と筋ばかりが見える。護衛に出た北兼の兵士から配られたのだろう。誰もが手にしている難民支援用のレーションだが、いつ襲ってくるかわからない右派民兵組織に備えてか、手をつけずに大事そうにそれを抱えていた。
「どいてくれ!病人だ!」 
 サイドカー付きのバイクにまたがった兵士がサイドカーに老婆を乗せて難民の列の中を進んでくる。テントの下に寝かされている病人達の間から別所と看護士達が止まったバイクに駆け寄っていく。
「シャムちゃんは見たことがあるんだね。こんな光景を」 
 クリスは黙って難民の様子を窺っているシャムに尋ねた。
「この道をね、いっぱい通ったんだよ、こう言う人が。みんな悲しそうな顔をして北に逃げるんだ。でも誰も帰ってこれないよ」 
 静かに話すシャムの言葉を聞いて、再びクリスは難民の列に目を向けた。朝日を浴びて空から輸送機がハンガー裏の空き地に降りてくる。国籍章は東和。ハンガーにたむろしていた兵士が着陸する垂直離着陸の輸送機の方に駆け出した。
「支援物資ですね。私も行きます」 
 そう言うとキーラは輸送機に向けて走り出した。シャムもその後に続く。クリスはこの光景を見ながらただ呆然と立ち尽くしていた。
「もう三十年、いやそれ以上かもしれないな。地球人がいるかどうかなんて関係なくこんな光景が繰り広げられてきた」 
 後ろで声がしたのでクリスは振り向いた。タバコを吸いながら嵯峨は静かに座っていた。
「見てたんですか?」 
「まあね」
 そう言いながらタバコをふかす嵯峨。彼もまたこの国の動乱に運命をゆがめられた存在だと言うことを思い出してクリスは言葉を飲み込む。
「しかし、ここらで終わりにしたほうが良いよね」 
 嵯峨は立ち尽くしているクリスにそう言って立ち上がって伸びをした。
「あなたにはこの状況を終わりにするべき義務があると思いますよ」 
 クリスは本部に消えようとする嵯峨の背中に叫んだ。
「そうかも知れませんね。だが俺も神じゃない。でもまあ、ベストは尽くすつもりはありますよ」 
 嵯峨はそのまま本部に向かった。クリスは再び難民達の方に目を向けた。彼等の群れの中に向かって本部の裏手の倉庫から大量のダンボールを運び出す兵士の一群が現れた。そして輸送機からの荷物を運び出す隊員と合流してテントの下で受付の準備をしている管理部門の隊員の姿が見える。それを仕切っている伊藤を見つけるとクリスはそこに駆けつけた。
「ずいぶんと準備がいいですね」 
「なにか問題あるんですか?……そこ!それは炊き出し用の白米だろ?そのまま食えるものを持って来いって言ったんだ!」 
 伊藤に怒鳴りつけられた政治局の腕章付きの下士官が頭を下げながら持ってきたダンボールを運び出す。
「戦争にはね、タイミングと言う奴があると隊長から言われてましてね。あなたに連絡を取ったのはこの日のためってこともあるんですよ。見ての通り遼南は貧しい。先の大戦では遼州枢軸三国と浮かれていたが、この有様を見てわかるとおり貧しい国なんですよ」 
 伊藤の口からの言葉が悔しさに満ちていた。クリスは彼の前に積み上げられていくレーションの山を見つめていた。難民達はすぐにそれを見つけて集まり始める。
「待ってください!数は十分にありますから!」 
 受付でキーラが支給品に次々と手を伸ばす難民達に声をかけていた。シャムが大きな鍋の下に入り込み火を起こしている。奥の仮説の診察室で別所は運び込まれる栄養失調の子供達の胸に聴診器を当てている。そしてハワードはそれらを一つ一つ写真に収めていた。それでもまだ難民の列は途切れることなくこの村に向かって続いていた。
「それにしてもこんなところを攻撃されたら一撃じゃないですか?」 
 クリスの言葉に伊藤は呆れたような視線を送る。
「エスコバルもそれほど馬鹿じゃありませんよ。上空で東和の攻撃機が警戒飛行を続けている。西部戦線では人道にうるさいアメリカ軍を主体とした地球軍が戦闘中だ。どちらも難民に共和軍が襲い掛かれば手加減せずに攻撃を仕掛けて共和軍が壊滅するくらいのことはわかりますよ」 
 伊藤はそう言うと上空を見上げた。いつもよりも低い高度を飛ぶ東和の偵察機が見える。
「しかし、スパイを難民にまぎれさせるなどのことはしているんじゃないですか?」 
 クリスが食い下がるのを見て伊藤は笑みを浮かべた。
「それはあるでしょうね。それに北兼台地南部基地の指揮官が吉田俊平にすげ代わったらしいですからそこはこっちとしては苦しいところですよ」 
 難民の食料を求めて集まる数が多くなってきた。それに対応するようにまだ帰還したばかりでパイロットスーツを脱いでもいないセニア達のパイロット連中までも、隣のテントに詰まれた缶詰の配布を手伝い始めた。
「ああ、あいつ等まで手伝い始めたか。すいませんね、俺も働かなきゃならなくなりましたんで。取材は自由でいいですよ。ここの困窮が宇宙中に知らされたならそれだけ難民への支援も集まるでしょうから……俺も隊長もどこまで行っても偽善者なんでね」 
 そう言うと伊藤はセニア達のところに駆けていった。クリスは一人になると、難民達を見て回ることにした。怪我人はそれほど出ていないようだが、医療スタッフが設置した大型のテントは一杯になりつつあった。点滴のアンプルの入った箱が山のように積まれているのが見える。クリスは嵯峨がこのことを予定していたことを確信した。
 走り回る別所と、懲罰部隊の階級章を剥がされた制服のままの医師が走り回っている。その周りを駆け回る看護師達も緊張した雰囲気に包まれていて、クリスは取材をすることを断念した。
 邪魔にならないように病院のテントを離れて散策するクリス。ゲリラが残していったテントには仮眠を取ろうと難民達が次々に腰を下ろしていた。疲れ果ててはいたが、クリスがこれまで見てきたどのキャンプの難民達より目が光に満ちていると感じた。
 昨日はカネミツの整備を行っていた菱川重工の技術者達が、それぞれダンボールを抱えて、中に入った水のボトルを配っている。クリスはそんな群れを抜けて村の広場にたどり着いた。いつものように朝の光の中、夜露を反射して光る塔婆の群れ。
 一人の少女が花を手向けていた。クリスが近づいていくと、その隣の大きな黒い塊が彼に振り向いた。
「元気か?熊太郎」 
 そんなクリスの言葉に舌を出して答える熊太郎。シャムは墓の一つ一つに花を配って回った。
「今日もお墓参りかい?」 
 シャムは振り向くと静かに頷いた。
「しばらくは君の友達も静かに眠れそうだね」 
 クリスは静かに墓に額づく。そんなクリスを見ながらシャムは笑顔を浮かべた。
「でもこれで戦いが終わるわけじゃないよ」 
 シャムはきっぱりとそう言い切った。見上げるシャムの向こう、広場は高台になっていて、難民の列が渓谷のヘリに消えるまで続いているのが良く見えた。
「これだけの難民をさらに北上させるとなると、難しいかねえ」 
「きっと陛下がなんとかしてくれるよ」 
 その声には強い意志が感じられた。クリスはシャムの瞳を見つめる。熊太郎は黙って二人を見守っている。
「ああ、こんなところにいたんだ!」 
 そう言って息を切らして走ってきたのはキーラだった。
「二人とも食事を早く済ませてください!それとシャムちゃん。昨日シャワー浴びなかったでしょ」 
「だって目に泡が入ると痛いんだよ!」 
「駄目!ご飯が終わったら一緒にシャワー浴びましょうね。熊太郎もシャワーが大好きなんだから」 
 キーラの言葉に自然とクリスの頬が緩んだ。
「さあ、行きますか」 
 クリスはそう言うと立ち上がった。シャムもそれを見て立ち上がる。
「なんか僕だけ遊んでるみたいで済まないねえ」 
「いえ、ホプキンスさんはそれが仕事なんですから」 
 クリスの言葉に黙って視線を落とすキーラ。
「いつまで続くんでしょうか?」 
 歩き出したキーラがクリスに尋ねた。彼女の白から銀色に見える髪が台地から渓谷を伝う風になびいている。
「ゴンザレス政権にはまだ余裕があるね。西部戦線では苦戦しているが、中央戦線では激しい消耗戦が展開されているらしい。現在の状況を見れば東和の権益の地である北兼台地をどちらが抑えるかで状況はかなり変わると思うよ。当初は地理的価値が無いとされてきたが西モスレムが三派を通じてこの内戦に干渉すると言う状態になるような気配だから、その国境線の喉首に当たる北兼台地は戦略的要衝の意味を持ってくる」 
 坂道を元気良くシャムが駆け足で下っていく。その後ろにつき従う熊太郎が心配そうにクリスとキーラを見つめている。
「あの人はどこまで先の状況を読んでいるのかな」 
 クリスはそう言って熊太郎の頭を撫でると急な坂道を滑らないように慎重に下り始めた。
「あそこに並ぶんですか?」 
 キーラは本部ビルを通り抜けてそのままハンガーの前の大なべに群がる難民の列へと足を向ける。良く見れば人民軍の制服を来た隊員達もその列に並んでいた。
「これも隊長の意向ですので」 
 そう言うと鍋から百メートル以上離れた最後尾に並ぶ三人。
「すみませんねえ、私は後でいいですから。前にどうぞ」 
 前に並んでいる老婆が三人に前に行くように薦めた。
「いいですよ、ここで待ちますから」 
「お嬢さん兵隊さんでしょ?だったら……」 
 そんな老女の一言に首を振るキーラ。
「いえ、いいです本当に」 
「そうかい、じゃあ私は少なくしてもらおうかねえ」 
 苦笑いを浮かべるキーラ。クリスもそれにあわせた。列は比較的早く流れていた。準備周到に用意された鍋と椀。いつも最上階の厨房にいる炊事班の面々が手際よく難民や兵士にスープを配っていく。
「パンなんだ。私パンよりおコメがいいなあ」 
「シャム!贅沢言わないの!」 
 キーラと熊太郎がシャムをにらみつける。シャムは舌を出すとそのまま鍋の方に向いた。スープと受け取ったパンを口にする難民や兵士の群れを伊藤達人民党の政治局員が整理している。
「あの人も苦労性だな」 
「今回の難民受け入れの件で北天から呼び出しがかかっているらしいですよ」 
 クリスにキーラが耳打ちをした。明らかに人民党本部に戻ればかなりの叱責を受けることは間違いないというのにそんなこととは関係なく伊藤達は鍋に並ぶ列の周りで食事をしようとする難民達をテントに誘導している。
「本当に材料が足りるのかね」 
「大丈夫ですよそれは。ホプキンスさんが隊長と出かけた後に東和の人道物資の空輸がありましたから。数日分は材料の心配はしないで済むって言う話しですよ」 
 そう言うとキーラはようやく渡されたスープの木の椀とスプーンをクリスに渡す。
「すべては予定通りというわけですか」
 クリスは目の前で椀を渡されて目を輝かすシャムの姿を観察していた。
「熊太郎の分ももらったの?」 
「あ!忘れてた!すいません、もう一つください!」 
 シャムは立ち去ろうとする食器を配る炊事班員に声をかけた。
 食べる場所が無くて、クリス、キーラ、シャム、熊太郎は鍋の裏手をぐるりと回った。薪を割る音が響いている。クリスは釣られるようにその音の場所へ向かった。薪を割っていたのはシンとジェナンだった。原木の山を崩して運んでいるのはライラである。
「御精が出るんですね」 
 キーラはそう言うと原木を一つ、椅子代わりにして座る。クリスもシャムも彼女の真似をしてそばに座った。
「まあ、このような状態を見て手伝わないわけには行かないだろ?それに北兼台地の戦いの間は世話になるんだ。少しは役にたっておかないと立場も無いしね」 
 そう言うとシンは原木に斧を振り下ろす。中心を離れたところに振り下ろされた斧に跳ねられて、原木が草叢に転がる。
「見てられないよ。ちょっとかしてね」 
 すでにスープを飲み終えていたシャムがシンのはじいた原木を取り上げた。彼女はそのままシンから斧を受け取ると、原木を正面に置く。
「えい!」 
 滑らかに振り下ろされた斧は的確に原木の中心に振り下ろされ、みごとな薪が出来上がる。
「君、慣れているねえ」 
「うん!」 
 シャムは褒められて嬉しそうに笑った。
「じゃあ、君のやり方を参考にさせてもらうよ」 
 シンはそう言うとシャムから斧を受け取った。
「そう言えば食事はどうしたんですか?」 
 キーラが椀を空にするとジェナンに声をかけた。
「ああ、シン少尉はラマダンの最中だからと言うことで夜明け前に食べたいと言うことでもう済ませたよ」 
「まあ、ジハードの間は断食の中断も許されているんだが、共和軍には大規模な動きも無さそうだからね。中央戦線で一進一退の攻防戦が展開している今、南都軍閥もそちらに出動中。静かなものですよ」 
 シンは照れ笑いを浮かべながら斧を振り下ろす。
「大変ですねえ」 
「そうでもないさ、ようは慣れだよ」 
 シンが斧を振り下ろすが、また中心を離れたところを叩いて原木は草叢に転がった。
「やっぱりシャムちゃんのようには行かないな」 
 シンはそう言うと、原木を取りに草叢に歩いた。
「いつまでそうしているつもりだ?」 
 シンは原木を拾いながら手に薪を持ったまま立ち尽くすライラに声をかけた。その視線は厳しくクリスをにらみつけている。
「お前の仇は嵯峨中佐だろ?ホプキンスさんは関係無い」 
「そうですか?この人の記事一つで、あの人でなしは救国の英雄になるかもしれない」 
「それがどうした」 
 シンは原木を抱えたままライラをにらみつけた。
「英雄ってのはな、敵から見れば悪魔のように見えるものだ。あらゆる人を救うなんてことが出来るのは神だけだ。あの人もどこまで行っても人間なんだ。こうして軍に属して戦うことになれば敵には恨みを抱かれる」 
「でもあの男がしたのはだまし討ちですよ!花山院直永に売られた父上を……」 
 シンは食って掛かるライラから離れて、再び手にした原木を台の上に乗せた。
「しかし、おかげで東海の戦いでは難民は生まれなかった。こう言う悲劇が起きなかったということで評価するべきだ。俺は少なくともそう思っているよ」 
 そう言ってシンは斧を振り下ろした。今度は芯を捕らえた斧が原木を真っ二つに裂いた。
「確かに緒戦の奇襲で気弱な軍閥指導者の花山院直永を怯えさせ、そこにつけこんで主君を差し出せと迫ったやり方はきれいとは言えないがな」 
 そう言うとシンはもう半分に割ろうと斬った薪を立てる。
「だが、それが結果として被害を最小にする方策だったのは事実だ。それは認めてやるべきだと俺は思うがな」 
「でも……」 
 ライラの声を後ろに聞きながらシンは再び斧を振り下ろす。
「納得できないのはわかるよ。いや、納得できる方がどうかしてる。だが、俺が言いたいのは今は敵討ちよりもするべきことがあるんじゃないかってことだ」 
 割れた薪を拾うとそのままシンは一輪車の荷台に薪を放り投げた。
「ちょっとライラ、気分転換だ。コイツを鍋のところまで運んでくれ」 
 ライラは不服そうな顔をしながら一輪車に手を伸ばす。
「手を貸すよライラ」 
「いいわよ、こんなものくらい一人で……きゃあ!」 
 ジェナンの助けを断ってぞんざいに伸ばしたライラの手が一輪車のバランスを崩して薪を散らばらせる。
「ほら、言わんこっちゃ無い」 
 ジェナンは一輪車を立てる。そして二人は薪を拾い始めた。
「仕事増やしてどうするよ」 
 シンはそう言うと自分で原木の山に手を伸ばして、ちょうどよさそうな薪を台の上に乗せた。
「しかし、これからどんな手を打つつもりなのかな、あの御仁は」 
 そう言うと森の中では異物のようにしか見えない保養所だった本部ビルをシンは見上げた。
「英雄を必要とする時代は不幸だと言うが、その通りかもしれませんね」 
 ライラとジェナンが薪を運んでいった後で、ようやく一息ついたシンはそう言いながら斧を地面に置いた。クリスもキーラも食事を終えて、椀を片手に座っていた。
「あなたは嵯峨と言う人物を英雄だと思いますか?」 
 クリスのその言葉に、タバコに火をつけたシンは含みのある笑顔で答えた。
「英雄と言うのが時代を変える人材と定義するのなら、彼は間違いなく英雄ですよ。北天の包囲戦で見せた彼の共和軍に対する調略活動の腕前は軍政家としての彼の本領を見せたようなことになりましたしねそれに失敗していれば我々も出会うはずも無い。北兼軍はアメリカ軍に、三派は共和軍に追い詰められ、私は良くてテロリストとして永久指名手配。悪ければ神の国に導かれていた」 
 満足げに言ったシンがすっかり日が昇った空を見上げている。所詮はゴンザレスの配下の第一軍団に対する恐怖で動いている各州の部隊指揮官の弱みを突いての嵯峨による切り崩し。これにより統率を欠いた部隊に以前から気脈を通じていた南部三県出身の指揮官を抱きこんで北天包囲部隊を背後から奇襲し敗走させた嵯峨の知略は現在の共和軍の劣勢と言う状況を作り出した。その事実を知るだけにクリスはシンと言う東モスレムの将校と言う第三者の立場で嵯峨をどう見るかが気になっていた。
「ゴンザレス大統領は北天包囲戦ですべてが終わると思っていたが、直下の精鋭部隊を投入しなかったのが裏目に出たと言うことでしょう。現在は地球の同盟軍に支えられている共和軍の支配地域もどれだけ陥落までの時間を稼げるか、そして自国の兵の損害はどれくらいかと本国の首脳陣の頭をなやませている状況なんじゃないですか」 
 クリスは手にした椀を握り締めて髭面の青年士官を見つめる。名の知れた戦術家であるシンも嵯峨と言う男をこき下ろすことなどできないようだった。
「そしてこんな状況を舌先三寸で作り上げた人間がいる。彼が英雄ではないわけは無い」 
 シンはそこまで言うといつの間にかくわえていたタバコから煙を吐き出す。
「ですがね、あの人は英雄とは呼ばれたくないらしい」 
 静かにクリスの顔を見つめるシンの言葉は続く。
「ライラの肩を持つわけではないが、あの人のやり方は時に冷酷で悪意に満ちている。この難民の移動も彼の策謀の結果かと私は疑ってますよ。出来すぎているようにやってきた東和空軍の動きを見ても、あの人物がすべてのシナリオを書いたのは明らかだ。人の不幸を利用するやり口はいつか行き詰る」 
「確かにそれはそうかもしれませんね」 
 手にした椀を転がしながらキーラはそう漏らした。
「私は思うんですが、あの人は自滅したがっているんじゃないですか?」 
 クリスのその言葉にシンは静かに頷いた。
「確かにそれは言えるかもしれない。あの人とは昨日かなり長い時間話しこんだわけですが、時折、遠くを見ているようなところがあるんですよ。まるで心に穴でも開いてるような目で遠くを見る。私などそこにいないかのようにね。……それにあの人は守りたいものを守れなかった人だ」 
 シンの言葉、それは嵯峨の妻エリーゼの死をさしていた。義父を狙ったテロで、胡州の空港に降り立ったとたん暗殺された愛妻。東和の武官から戦地の憲兵部隊へ配置転換されることに伴って分かれて帰国させた家族を襲った悲劇。嵯峨の自虐的な笑顔はそこから生まれてきているのかもしれないとクリスは思った。
 シンはそう言うと静かに胸のポケットから写真を取り出した。クリスはそちらに体を乗り出す。そこには緑の髪のパイロットスーツを着た女性が写っていた。彼女の髪の色を見れば出自が人工的なキーラと同じ『ラストバタリオン』であることは容易に想像できた。
「恋人ですか?」 
 身を乗り出したキーラの言葉に恥ずかしそうに頭を掻くシン。
「彼女には今回の作戦のお守りだとは言ってあるんだけどね」 
 苦笑いを浮かべるシンの顔が生き生きとして見える。クリスはそんなシンを見ながら立ち上がった。
「ノロケ話を聞くほど暇じゃありませんか?」 
「そう言うわけじゃないんですが、この本部の主の顔を拝もうと思いましてね」 
 クリスはそう言うと椀を舐め続けているシャムを置いて歩き出した。
「シャムちゃん!シャワーを浴びるよ!」 
「嫌だよ!目が痛いの嫌だよ!」 
 クリスは後ろで叫んでいるキーラとシャムのやり取りを後ろに聞いて、テントの並び立つ空き地から本部ビルを目指した。
 そんなクリスの目の前、本部ビルの前に子供達の一群が出来ていた。クリスが近づけば、その子供達の手にはカブトムシやクワガタが握られている。
「じゃあ、次の対戦相手は誰だ!」 
「はい!アタシ!」 
 そう叫んだ少女の前、子供達の歓声の中、座り込んでいるのは嵯峨だった。一際大きなカブトムシを手に持った彼が、薄汚れた桜色のワンピースを着た少女のクワガタを受け取ると、板の上に二匹を乗せる。
「じゃあ、これで勝てば十二連勝だぞ!」 
「僕のも、次は勝てるよ!」 
「馬鹿だなあ、あんまり連続で対戦すると死んじゃうぞ。俺は次はコイツを出すつもりだから」 
 嵯峨がそう言って取り出したのは大きなクワを翳すクワガタだった。
「じゃあ!はじめ!」 
 嵯峨の言葉に虫の激闘が始まる。
「あのー」 
 クリスは笑顔を振りまく子供達の間を抜けて嵯峨の隣に立った。
「ちょっと待ってくださいよ!」 
 嵯峨はそう言うと自分のカブトムシをせきたてる。目の前の少女も自分のクワガタの角が嵯峨のカブトムシの体の下に差し込まれたのを見て雄叫びを上げる。
「やべえ!」 
 嵯峨のカブトムシは連戦で疲れたのか、そのままじりじりと後退を始めた。
「行っけー!」 
 少女の心が届いたようにクワガタはじりじりと土俵の外へと嵯峨のカブトムシを追い立てる。
「だめか?だめか?」 
 嵯峨の言葉に戦意をそがれたように、カブトムシはそのまま土俵の下に落ちた。
「やったー!次はアタシが対戦するよ!」 
 嵯峨は頭をかきながら立ち上がる。子供達は次に誰が少女のクワガタに挑戦するかを決めるじゃんけんを始めた。
「すいませんねえ、ホプキンスさん。つい童心に帰ってしまって」 
 そう言いながら嵯峨は本部ビルに歩き始めた。
「しかし、ずいぶん用意が良いんですね」 
「ああ、あの虫は今朝、採って来たんですよ。まあ、シャムに取れそうな場所を教えてもらいましたから」 
 嵯峨はいつものように胸のポケットにタバコを漁っていた。
「ああ、タバコ切らしちまったか」 
 そう言うと嵯峨はそのまま本部に入る。人影がまばらなのは早朝だということよりも難民に手を奪われてるからだろう。
「まあ、みんな良く働いてくれますよ」 
 クリスの意図を読んだかのようにそう言いながら嵯峨はそのままエレベータに乗る。
「これからどうなるんですか?」 
 クリスの問いに、表情も変えない嵯峨。
「まあ、北天や遼北には受け入れを頼めるわけも無いですからねえ。とりあえず西部の西ムスリム国境に現在仮設住宅を建設中というところですな」 
 いつにも無くすばやく動く嵯峨、彼は真っ直ぐ自分の執務室に入った。机の上にはいつの間にか出ていたコンピュータの端末が置かれていた。嵯峨は執務室にどっかりと腰を落ち着けるとその電源を入れる。
「ゲリラは後方の設備建設に従事させるわけですね」 
「まあ、あの連中もいつまでも追いはぎの真似事をさせとくわけには行かないでしょ?」 
 そう言うと嵯峨は黙々と端末のキーボードを叩き始めた。
「ずいぶん余裕があるんですね」 
「余裕?そんなものありませんよ」 
 一瞬、画面から目を離した嵯峨の瞳はいつものようにどろんとして生気を感じないものだった。そのままその視線はモニターに釘付けになる。そのキーボードの入力速度は異常と思えるほど早かった。本当にこの人物は北天からの書類を読んでから判断しているのか、クリスには疑問だった。
「今、ここを攻撃されたらおしまいなんじゃないですか?」 
「ああ、それはないなあ」 
 嵯峨は今度はモニターを見つめたままで即答した。
「吉田は金をもらって仕事をしてるんでしょ?依頼内容に無いことは絶対しない男だ。まあ、こっちから手を出すまでは動きゃあしませんよ」 
 キーボードを叩く速度は全く落ちることが無い。
「ですが、攻撃は最大の防御で……」 
「腕や名前を売る必要の無い兵隊さんなら絶好のチャンスと見るでしょうね。いくら難民が死のうが勝てば良いわけですから」 
 淡々と作業を続ける嵯峨。
「だが戦争屋で吉田俊平クラスになると金が払えるクライアントは限られてくる。大手の財閥の民間軍事会社や今回みたいに直接政府と契約をすることになるわけですが、あんまりえぐいことをやれば信用に関わる。あいつも今動くことが得策ではないことぐらいわかっているんじゃないですか?」 
 嵯峨はキーボードを叩く手を止めると、机の引き出しからタバコの箱を取り出した。
「隊長!」 
 大きな声とともに乱暴に執務室の扉が開けられる。入ってきたのは楠木だった。
「おい、ノックぐらいしようや」 
「そんな悠長なことを言う……」 
「大須賀のことだろ」 
 新しいタバコの箱を開けて一本取り出すと火を点す。クリスが楠木の顔を見ていると彼は泣いていた。戦場でのこの不敵な男の目に浮かんだ涙。それでクリスは一つの命が消えたことを理解した。
「あいつは覚悟していたはずさ。潜入作戦というものはいつだってそうだろ?見つかれば間違いなく殺される。それを覚悟で共和軍に入ったんだ」 
「わかってますよ!それは。でも……」 
 泣いている楠木。鬼の目にも涙と言う言葉がこれほど当てはまる光景をクリスは見たことが無かった。
「じゃあ泣くより仕事してくれよ。明華が難民の最後尾を警戒してるんだ。いい加減帰してやりたいだろ?」 
「わかりました!」 
 楠木はそう言うと敬礼をして執務室を後にする。
「工作員が消されたんですか?」 
「まあね」 
 嵯峨は静かにタバコをふかす。視線が遠くを見るようにさまよっている。
「下河内連隊時代からの子飼いの奴でね。楠木とははじめは相性が悪くて俺もはらはらしてたんだがあの地獄を生き延びたことでお互い分かり合えたんだろうな」 
 煙は静かに天井の空調に吸い込まれていく。
「吉田少佐の仕業ですか?」 
「だろうね。共和軍にはそれほど情報戦に特化したサイボーグは多くない。特に北部基地にはあいつしかいなかったはずだから情報の枝をつけて探りを入れるようなことが出来るのは吉田一人だろうね」 
 クリスはそこで北部基地で出逢った成田と言う士官を思い出していた。
「もしかして大須賀さんは成田と言う偽名を使って無かったですか?」 
「良くご存知ですね」 
 静かにクリスを見つめる嵯峨。だが、嵯峨の珍しく悲しみをたたえた瞳を目にしてクリスは語るのをためらった。
「まあ、俺が吉田の立場でも同じことをしただろうからね。恨んだところで大須賀は戻ってこないんだ」 
 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付けた。
「そろそろかな?」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「何がですか?」 
「お迎えですよ。一応、ここは人民軍の基地ですから、難民の方達の移動をお願いしたいと思いましてね」 
 立ち上がって伸びをする嵯峨。クリスは彼より先に部屋を出た。本部の前では子供達の群れを仕切っているのはシャムだった。熊太郎にはそれより小さい子供達が集まり、撫でたり叩いたりしている。
「楽しいかい?」 
 大きなクワガタで相手のカブトムシをひっくり返したシャムがニコニコと笑っている。
「うん!そう言えばホプキンスさんは今度は私の機体に乗るんだよね」 
「ああ、嵯峨中佐にはそう言われているけど……」 
「よろしくね!」 
 そう言うとまたシャムはカブトムシ対決の土俵に集中した。いつの間にか広場には軍のトラックが到着している。クリスはそちらに足を向けることにした。移送可能な病人が担架に乗せられてトラックの荷台に運ばれていく。
「クリス、来てたのか」 
 その様子をハワードは写真に収めていた。
「これだけの数のトラックを集めるとは……」 
「それだけあの嵯峨と言う人物に力があるということだろ?力は人を惹きつけるものさ」 
 ハワードはクリスを振り向きもせずにシャッターを切り続ける。
「難民でも北兼軍に志願したのもいるんじゃないか?」 
「ああ、さっき受付をやっていたが、ゲリラ連中と同じく後方送りだね。右派民兵組織はかなり深くまで潜入しているとか言ってたから警備任務にでも就くんじゃないのかなあ」 
「あくまで手持ちの兵力で北部基地を押さえるつもりなのか?あの人は」 
 語調が強かったのか、ハワードがクリスを振り向いた。
「ずいぶんと入れ込むじゃないか。俺達はあくまで合衆国の敵を取材しているんだぜ」 
 ハワードの顔に笑みがこぼれる。
「そう言うお前はどうなんだよ」 
 その言葉を聞くとハワードはゆっくりと立ち上がった。
「誰が正義で、誰が悪などということは単なる立場の違いだと言うことは俺も餓鬼じゃないんだからよくわかるよ」 
 それだけ言うと彼は再び担架の列にレンズを向ける。
「それぞれが収まるべき鞘に収まった時、この戦争は終わるのさ」 
 ハワードはそう言うと再び中腰になって、トラックに運び込まれる担架を写真に収めた。
 次々と運ばれる病人を乗せた担架。それを積み終わると北への道を急ぐトラック。運転しているのは民族衣装のゲリラである。彼らに支給する軍服は足りていないようだった。
「手回しが良いと、仕事をしていても楽だね」 
 そう言って話しかけてきたのは別所だった。その隙のない態度に思わずクリスは身を固めた。
「病院の方は?」 
「ああ、今は一息ついてるところだよ。休んでいるのは軽症の患者ばかりだからとりあえず一服しようと思いましてね」 
 そう言うと別所は笑った。どこか人を緊張させるようなところがある。クリスは彼にそんな印象を持った。
「このまま帰られるんですか?」 
 クリスの言葉に別所は無言で頷いた。出て行くトラック、また入ってくるトラック。今度は子供連れを中心とした難民がトラックに乗り込んでいる。
「嵯峨中佐か。実に欲が無い人だ」 
 クリスの言葉をはぐらかす別所。クリスはその言葉を不快に思って別所を見つめた。
「わかるよ、君の気持ちも。彼に野心があれば君はここにはいなかっただろう。しかし、嵯峨中佐には利用されているよ、君達は」 
「それで良いんじゃないでしょうか?」 
 クリスは自然に出た言葉に自分でも驚いていた。
「確かにあの人は人民軍の西部戦線での中核を担わされている。しかも相手はアメリカ軍などの地球の精鋭部隊。そして今度は吉田俊平という化け物の相手までさせられることになる。でもあの人はこのくだらない戦いを終わらせる早道としてそれを選んだ」 
「ずいぶん入れ込んでいるんだね」 
 別所の言葉を聞いたとき、クリスは自分が迷っていないことに気付いた。
「確かに、はじめはただの戦争マニアだと思ってましたよ、あの人を。だが、そう言う見方が次第に変わって行って、今こうして彼を頼りに逃げ延びてきた人達を見てわかりました」 
「そういう見方も有りますね。北兼王、ムジャンタ朝の廃帝の称号だけではこれだけの民が動くのは説明がつかない。人を惹きつける才能に恵まれている。それは認めますよ」 
 そう言うと別所は再び病人の待つテントへ向かう。クリスもまた、子供達を写真に写すハワードのところに歩き始めた。
「ああ、いましたね。ホプキンスさん!」 
 駆けてきたのは伊藤だった。珍しく動揺している伊藤を不思議そうにクリスは見つめていた。
「どうしたんですか?慌てて」 
 周りの親子連れの難民が不思議そうな顔で、息を切らして立ち止まった政治将校の様子を伺っていた。
「ちょっと……待ってください……」 
 相当走り回ったのか、伊藤はネクタイを緩めてうつむきながらしばらく息を整えていた。
「大丈夫ですか?」 
 クリスの言葉に苦笑いを浮かべる伊藤。
「実は嵯峨隊長が会わせたい人物がいると言うことなので来てくれませんか?」 
 思い当たる相手が想像できず、クリスは当惑した。難民や胡州海軍の施設である別所で十分クリスは衝撃を受けていた。それを上回る人物らしいと思うと心当たりが無かった。
「あの嵯峨さんがですか?」 
「行ってこいよ、俺はしばらく写真を取る」 
 ハワードはフィルムの交換をしながらクリスに告げた。
「そうか、じゃあ伊藤中尉、お願いします」 
 ようやく息を整えた隼は愛想笑いをするとそのまま本部へと歩き出した。本部の前では北部への出発を前にしてシャムに礼をしている親子連れの姿が見えた。彼らから見ても、黙って隣で座っている熊太郎が珍しく見えるらしく、撫でたり引っ張ったりしている。
「こちらです」 
 そんなほほえましい光景も目に入らないといった伊藤だった。彼がいつに無く緊張しているのはすぐに感じ取れた。本部ビルは相変わらず閑散としていた。だが、伊藤が厳しい視線を送る先に居る武装した人民軍の兵士が居るところから見て、人民政府の高官が来ているらしいことがわかった。
「本当に私が来て良かったんですか?」 
 クリスは小声で訪ねるが、伊藤は答えようとはしない。エレベータに乗り込む。
「なんだよあの仰々しい警備。まるで囚人じゃねえか」 
 ゆっくりと上がっていく箱の中で、伊藤は吐き捨てるようにそう言った。その憎たらしげにののしる様子をクリスは不思議に思いながら昇るエレベータの感覚を感じていた。着いたのは最上階のロビー。嵯峨が目の前の点滴を受けている老人と話を続けているのが見えた。


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