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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 37

 アメリカ軍主力アサルト・モジュールM10のコックピットのハッチは開かれたままだった。半袖の戦闘服に身を包んだこの機体のパイロットであり、保安隊実働部隊第四小隊小隊長ロナルド・J・スミス特務大尉はシートを倒してうとうととしていた。バルキスタンの選挙監視と治安維持の名目で派遣されているのは遼州同盟加盟国の軍がほとんどで、地球からはアラブ連盟のエジプト、リビアの治安維持部隊だけが進駐していた。
 アメリカ海軍の軍籍を持つロナルドと部下のジョージ・岡部中尉、フェデロ・マルケス中尉の存在は今この渓谷を避けて南下を続けている反政府軍にとっては目の上のこぶのようなものだとロナルドは考えていた。事実、同盟諸国の治安維持部隊は予想外のアサルト・モジュールや重武装車両による攻撃を受け、多くは南へ敗走、遼南軍などは派遣部隊8千人すべてが武装解除されたと言う話も伝わってきている。ロナルドはそんな状況の中、闇が広がる渓谷をぼんやりと眺めていた。
 不意に気配を感じた彼が起き上がると、そこにはアルミのカップにコーヒーを注いで運んできた技術部整備班班長の島田正人准尉の姿があった。
「驚かすなよ」 
 そう言って島田からコーヒーを受け取るロナルドだが、まだ意識の半分は夢の中にあった。
「静かなものですね。ここから四キロ四方。ほぼ同盟軍の派遣部隊は駆逐されたそうですよ」 
 黙ってコーヒーをすするロナルド。彼等保安隊バルキスタン派遣部隊は派遣された時点で緘口令と共にこのような事態が予測されていることを知らされてはいたが、現実にこの小さな山岳基地に閉じ込められるまではそれが嵯峨一流の冗談だと半分思っていたところがあった。
「でもそろそろ反政府軍がうちらに攻撃を仕掛けるにはいい時期だと思うんですがね。なんでも三十分前から政府軍のレーダーや通信施設のシステムにクラッキングが仕掛けられたと言う話ですから」 
 島田はそう言いながらコックピットのヘリに腰をかける。
「まあ政府軍も反政府ゲリラも狙いは今回の選挙が延期になることだけなんだ。本気で戦争始めるほど馬鹿じゃないだろ。邪魔な監視団を両派で駆逐して叩き出す。それが連中の狙いさ」 
 そう言いながらもロナルドもこの状況について半分以上諦めたつもりで暗闇の広がる渓谷を見つめていた。そもそも派遣された時からおかしかった。他国の軍隊が派遣されてきたと言うのに、へらへらと世辞を垂れ流すカント政権の軍管区の幹部。やる気の無い政府軍兵士。そして沈黙する反政府ゲリラ。
 クバルカン大陸の失敗国家と称される国々でももっとも激しい内戦を展開してきたバルキスタンにはロナルドもアメリカ海軍の特殊部隊員として非正規任務で派遣されたことは何度かあった。だが今回の奇妙なまでにお膳立てが整いすぎた出動には不信感しか感じることができなかった。
「お前さんも政府軍と一緒に撤収すればよかったのに」 
 コーヒーで意識が冷めてきたロナルドは笑顔で隣の島田を見上げる。
「技術屋の意地ですよ。こうなったらM10のスペックをできる限り多く勉強したいと思いましてね。まあサラには撤退するように言い含めたんですが……」 
 同行しているバックアップスタッフのサラ・グリファン少尉のことを口にするのは島田ののろけだと分かってロナルドの笑みが苦いものになる。
「まあここの基地のレーダーが生きてるのが唯一の救いだね。彼女にも歩兵の代わりではなく本業を生かしてもらえるわけだから」 
 島田は頭をかきながら光るものの何も無い渓谷を眺めていた。
「しかし、仕掛けるとしたら夜はありえませんか?」 
「まあここのレーダーが生きていることはゲリラの連中も知ってるはずだからな。目的である選挙の妨害ができればあちらとしては満足なんだ。仕掛けて無駄に損害を出すほど馬鹿じゃないと言うことだろ」 
 後ろでアサルト・モジュールの駆動音が響く。煌々と照らされた明かりは、昼間の撤収作戦で右足の駆動部に異常が出た岡部のM10の修理作業のためのものだった。M10A6。アメリカ軍の時期主力アサルト・モジュールの法術適正者専用機の試験運用もこの作戦の重要な任務の一つではあった。
「岡部の機体も修理完了か……」 
「まあ問題点が早めに出るのは技術屋としてはありがたいことですよ。とりあえず脚部のアクチュエーターの冷却機構の設計の甘さって結論ははっきりしていますから。ここから帰れたらすぐにメーカーに問い合わせるつもりです」 
「ここから帰れたらか……」 
 ロナルドはコーヒーを口に含む。管制室からのデータを表示するモニターには何一つ反応するものは無かった。
「それにはあの気の小さい騎士殿にがんばってもらわなきゃならないな」 
 そう言って笑うロナルドに、島田も戦闘帽を手に取りながら愛想笑いのようなものを浮かべるだけだった。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 36

 誠の乗る輸送機は東和領空を後にしていた。輸送機中野居住性の悪い臨時司令室で黙ってモニターを眺めているアイシャの流れるような紺色の長い髪を備え付けのシートに座ってぼんやりと眺める。
「どうしたの誠ちゃん。もしかして……私にラブ?」 
 アイシャがそこまで言ったところでトイレにつながる自動ドアから出てきた要がアイシャの後頭部に手刀を叩き込む。
「くだらねえこと言ってないでモニターでも見てろ」 
 不機嫌な要に振り向いたアイシャは鼻をつまむ。
「またトイレでタバコ?トイレが詰まったらどうするのよ」 
「携帯灰皿持ってるよ!」 
 要はそう言うと誠の隣の席に体を倒す。サイボーグの体の重さにぎしりと椅子がきしんだ。
「アイシャ。作戦開始時刻が伸びているのはどういうわけだ」 
 後部格納庫に連なるハッチから出てきたカウラが叫んだ。
「状況が変わってるのよ。ちょっとこのデータ……分かったわ。誠ちゃんとカウラちゃんこっち来て。要はそのまま後部ハッチから飛び降りてもいいわよ」 
 いつものようにアイシャの挑発にのせられそうになる要を制止してカウラは仮眠を取っているパーラのオペレーター席に腰をかけてアイシャの前に展開しているモニターを覗きこむ。そこには作戦空域がかなり広く取られた画面が映し出されている。そして重巡洋艦を旗艦とした胡州の艦隊が表示されていた。
「大気圏外に艦隊を展開か。ずいぶん大げさな話だな」 
 要は脳内にアイシャの前に展開している画像と同じものを見ているようだった。
「隊長も相当今回の作戦には慎重になっていると言うことでしょ。現在バルキスタンへの超高度降下作戦を展開可能な宙域に胡州の重巡洋艦『妙高』を旗艦とした艦隊が所定位置に移動中ってことらしいわね」 
「『妙高』……胡州第三艦隊か。赤松のオヤジの手のものだな」 
 空いた席に足を伸ばしていた要がつぶやく。カウラも緊張した面持ちでアイシャの顔を見つめた。赤松忠満中将。嵯峨の無二の親友である第三艦隊提督。その人柄はかつてその秘蔵っ子として仕えた明石曰く臨機応変常に先を見て動く人物だった。
「僕達が失敗すれば第三艦隊の降下作戦が行われると言うことですか?」 
 誠の言葉にアイシャは一回大きく深呼吸をすると諭すようにゆっくりと言葉を継いだ。
「そうね、簡単に言うとそうだけど隊長も胡州の正規軍の介入は最後の手段と考えているはずよ。まず私達が現在にらみ合っているバルキスタンの政府軍とイスラム反政府勢力の衝突を止めるのが一番目の策。それが駄目なら『高雄』による直接介入と反政府勢力の決起で仕事が無くなった胡州の特殊部隊による首都制圧作戦を展開する。これが二番目の作戦」 
「だが、二番目の作戦でも同盟にとっては大きな失点になるな。現在反政府勢力の浸透作戦が展開中で派遣されている同盟軍は孤立している部隊も出ているそうだ。政府軍寄りといわれている派遣部隊が総攻撃を喰らえばかなりの死傷者が出るだろう。当然そうなれば今度のバルキスタンの選挙は良くて無期延期。悪ければ地球の非難を覚悟してカント将軍に代わる政権の担い手をむりやり擁立しなければならない。当然そうなればすべての和平合意は白紙に戻される」 
 エメラルドグリーンの前髪を払いながらカウラは厳しい視線を誠に向ける。
「そして最悪の展開はそれも失敗に終わった時。『妙高』から降下したアサルト・モジュール部隊による両勢力の完全制圧作戦の発動。間違いなく地球諸国は同盟への非難決議や制裁措置の発動にまで発展するわね。それにやけを起こしたバルキスタンの武装勢力が以前の東モスレム紛争の時と同じく包囲された同盟諸国の兵士の公開処刑とか……まああんまり見たくもない状況を見る羽目に陥りそうね」 
 淡々とそう言ったあとアイシャは座っている椅子の背もたれに体を預けて伸びをした。
「つまりアタシ等が失敗すれば大変なことになるってことだろ?じゃあ簡単なことじゃねえか。おい!神前!」 
 要の叫び声に誠が顔をあげた。
「成功したらいいものあげるからがんばれや」 
 そんな投げやりな言い方に誠は立ち上がって要を見つめた。言葉のわりに要の目は真剣だった。
「デート?それとも……わかったわ!首にリボンだけの格好で現れて『プレゼントは私!』とか言うつもりでしょ?」 
 アイシャが含み笑いをするのを見て要がそっぽを向く。
「図星か……」 
 呆れたようにカウラが誠を見つめる。誠はただ愛想笑いを浮かべながら目が殺気を帯びているアイシャとカウラを見渡していた。
「ペッタン胸やエロゲ中毒患者とデートするよりよっぽど建設的だろ?それに……」 
「それに何?暴力馬鹿と一緒に町を歩いていたらそれこそ警察のご厄介になるのが落ちよ。それとも得意の寝技でも繰り出すとか」 
 要の売り言葉にアイシャの買い言葉。いつもの展開にカウラはただくたびれたと言うようにパーラの席で伸びをしている。
「ごめん!アイシャ。状況は!」 
 そう叫んでコックピット下の仮眠室から出てきたパーラに誠は思わず顔を赤らめた。ラフに勤務服のライトグリーンのワイシャツを引っ掛けて作業ズボン、ピンク色の髪の隙間からむき出しの肩の肌が透けて見える。
「パーラ。こいつがいること忘れてるだろ?」 
 アイシャとにらみ合うのを辞めた要に言われてパーラは自分の姿を見た。胸の辺りまでしかボタンをしていないために誠からもその谷間がくっきりと見えた。そしてパーラの悲鳴。思わず視線を床に落して言い訳を考える誠。
「なるほど、誠ちゃんはどじっ娘属性があるのね」 
 真顔でそう言うアイシャを見てカウラは何もいえずに急いでボタンをはめるパーラを見た。
「パーラ。ボタン一つづつずれてないか?」 
「えっ……ホントだ」 
 そう言うとパーラはそのまま仮眠室の扉の向こうへと消えた。
「何がしたかったんだあいつ」 
 要はそう言うとゆっくりと体を起こす。誠がそちらに目をやると、要の顔は笑っていなかった。
「北から追いかけてくる機影があるな。……三機か」 
 彼女とリンクしている東和軍とこの輸送機のレーダーからの情報が要にそんな言葉を吐かせた。
「東和軍の識別信号は確認してるわよ。出撃前にランちゃんの言ってた『信頼できる護衛』の方々じゃないの?」 
 アイシャはそう言うとモニターの前にあるキーボードを叩いて機影のデータの検索にかかった。
『クラウゼ少佐!東和軍のアサルト・モジュールから通信です!』 
 菰田の声に続いて、モニターの中に小さなウィンドウが開いた。
 ヘルメットをしたランが映し出される。同時に機影のデータから一機のホーン・オブ・ルージュと東和の現用アサルト・モジュールである89式二機が接近していることが表示される。
『よう!守護天使の到着!』 
 明るく叫ぶラン。その声を聞きながらようやく制服をきちんと着ることができたパーラがカウラが立ち上がるのにあわせて自分の席についた。
「ランちゃんありがとうね!」 
『おい、クラウゼ。一応アタシは階級が上なんだ。ちゃん付けは止めろ。しめしがつかねーだろ?』 
 愚痴るようにそう言うランににやけているアイシャ。ランの部下の89式のパイロットが低い声で笑いをこらえているのが分かる。
『とりあえずアタシが先導するから作戦時間の管理はテメーがやれ』
 ヘルメットの中で頬を膨らませるランを笑いながらアイシャは頷いた。
「時計合わせは一時間後で。進入経路は……予定通りカルデラ山脈の始まるベルギ共和国の北端のキーラク湾から」 
 パーラがあわただしくキーボードを叩く。カウラはその姿を確認した後、誠と要に向かって歩いてくる。
「出撃準備!」 
 凛としたカウラの一言にはじかれるようにして誠と要はパーラの居た仮眠室の隣の部屋にあるパイロットスーツの装備をするべく立ち上がった。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 35

 苦虫を噛み潰したと言う表情、その典型を見るような顔つきで醍醐文隆陸軍大臣は嵯峨惟基の隣に座っていた。その表情が生まれた原因は醍醐のアメリカ軍とのバルキスタンの政権転覆の作戦が頓挫したと言うこともあったが、それ以上に彼らがいるのが政敵とされる烏丸家の座敷の上座に座らされていると言う居心地の悪さもあってのことだった。
 醍醐が暴きたいと思っていた『近藤資金』の流れに連なると思われる政府高官も烏丸家の被官という名目でこの場に呼び出されてきていた。隣の嵯峨が悠然と彼らを眺めている有様を見て、さらに醍醐の顔は歪んだ。
「醍醐さん、そんなに渋い顔する必要ないじゃないですか」 
 嵯峨は笑っていた。隣に控えるこの屋敷の主、若干23歳の女大公烏丸響子も嵯峨の笑みの理由が分からず黙って彼を見つめていた。そんな響子に醍醐は少しばかり安心していた。下級貴族達の支持が厚く、西園寺首相の彼らにつらく当たる政策の中で彼女が頭角を現しているのは胡州の安定と言うことを考えれば必要なことだと醍醐は思っていた。
 そんな自分の思いが無ければ隣に座るかつての主君を殴り飛ばしてこの場を去ることすら醍醐の考えのうちには入っていた。
「泉州公には多少臣下の気持ちを勉強していただく必要がありそうですわね」 
 その清楚な声色に乗せて放たれる響子の言葉に嵯峨は思わず自分の頭を叩いた。本来ならば当主になるはずも無く、分家の気楽な暮らしを送れた彼女がこの場所にいることのつらさを嵯峨は察していた
「さすがに苦労人はできてらっしゃる。まあ今後は気をつけるつもりですよ」 
 嵯峨の言葉に醍醐は明らかに白々しい以前の主君に乾いた笑みを送った。下座に並ぶ人影が嵯峨と響子を見比べているのが醍醐にも分かる。烏丸家の被官や響子を支えている保守系の政治家の姿を見るたびに醍醐は明らかにこの場に自分がいることがふさわしくないとでも言うように、右側に控える西園寺派の政府高官達をに目をやった。
「では泉州殿が今回のバルキスタンでの混乱の収拾を行われると言うことを公言してもよろしいわけですね」 
 念を押すように烏丸家の被官の一人が口を開いた。
「だからそう思ってくれてもかまわないって言ったじゃないですか」 
 いつものようににやけた顔をさらしている嵯峨。烏丸家側の下座の一隅から小声で話し合う言葉が嵯峨にも漏れ聞こえていた。一方、嵯峨家と西園寺家の被官達は沈黙を続けていた。嵯峨が提案した保安隊を投入してバルキスタン反政府勢力を無能力化し政府軍に選挙期間中の停戦を確約させると言う言葉がどれほど無理のあることかは分かっていた。だが嵯峨にしろその兄の西園寺基義にしろ人の話をはぐらかすことに関しては天下に聞こえた人物だった。失敗したときの対策についても何重もの対抗策を示された以上、何を聞いても無駄なことは誰もが理解していた。
「広域制圧兵器。実用のめどは立ったと言いますが、それが発動しなければすべてが水の泡になるんじゃないですか?対応策は……どうもあまりにも力技に頼りすぎているような気がするんですが……。『高雄』一隻と特戦一個小隊。結局は我が海軍の出番になるのは間違い無さそうですね」 
 醍醐の次席に座っている海軍准将、馬加資胤(まくわりすけたね)がそう言って嵯峨の顔色をうかがう。周りの嵯峨家や西園寺家の被官達もそれに同調するように頷く。
 だが、嵯峨は口を開かない。烏丸派の人々はそんな嵯峨の姿に再びお互い小声で話し合いを始めた。
「よろしいですか?」 
 口を開いたのは響子だった。紫の地の地味な着物に腰まで達しようと言う黒髪を軽く払うと彼女は嵯峨に向き直る。
「泉州公のお言葉はその神前と言う兵士の一撃に遼州の民の命運をかけろと言うように私には聞こえるのですが、それで間違いないのですね」 
 愛嬌のある丸顔の響子に見つめられて照れるように頭を掻く嵯峨。そのまま天井を見つめ、隣の醍醐を見つめ、最後に下座の人々を見つめる。
「まあそう聞こえても仕方がないですなあ。でも保険はかけてますよ、ちゃんと。さっき説明したとおりうちの虎の子の第一小隊と『高雄』は作戦開始前にバルキスタン沖に展開中ですし、遼南軍にも準待機命令が出ているはずですから」 
 『遼南軍』と言うところで烏丸家側の下座で笑いが起きる。遼南軍の弱さには定評があった。先の大戦では胡州軍の制止を振り切ってアフリカ戦線でタンザニアに単独侵攻し、装備も兵力も劣るタンザニア軍に完膚なきまでに叩きのめされたことは有名な事実だった。そしてこの場には遼南の正規軍はゲリラより弱いということを証明した遼南内戦の生き証人である嵯峨本人が座っている。
「なあに、最初の一撃でかたをつければ良いんですよ。それにまあ他にもいろいろと手は回しているんでね」 
 そんな嵯峨の言葉にざわめいていた下座の人々は黙り込んだ。目の前でにやけている嵯峨。権謀術数で知られたこの男がどう動くか予想がつく人物は誰もいなかった。常に敵と味方の虚をつくことにかけては常に一流であること。遼州同盟に否定的な烏丸家の被官達ですらそんな嵯峨の纏う言い知れぬ恐ろしげなオーラに気おされていた。
「まあ、有言実行が私の主義でね」 
「ではその言葉を言葉通りに信じさせていただきます」 
 その言葉に一瞬嵯峨の死んだ瞳に生気がさした。先制するように発せられた響子の言葉。座は静まりかえって沈黙が一瞬座敷を支配した。
「ご随意に」 
 驚きの表情を取り繕うように笑みを浮かべるとそう言って下座を眺める嵯峨。気がついたと言うようにそれを見て烏丸派と西園寺派の被官達が一斉に頭を下げる。
「信頼を裏切ることの無いように」
 響子のその言葉に烏丸側は納得したように次々と立ち上がり、そのまま襖を開けて廊下へと出て行った。それぞれに通信端末を手にしているところからして胡州政府や軍に嵯峨の作戦が一気に広まるだろうと思うと複雑な心境で醍醐は嵯峨に目をやった。
「良いんですか?今回の作戦は無茶がありすぎますよ。それに先ほどの言葉はどう見ても泉州公に不利に使われる可能性があります」 
 そう言って嵯峨に詰め寄る馬加。馬加ばかりではなく西園寺派の武官達は暗い表情で嵯峨と醍醐を取り巻いた。
「そうは言うが……」 
 恨めしそうに醍醐は嵯峨を見つめる。だが当人はまるで二人の様子に関心が無いというように立ち上がった。
「響子さん。実は遼南からそば粉が送られてきましてね。昨日少し時間が空いたもので打ったのですが……どうですか?」 
 突然の嵯峨の言葉に響子は呆然と嵯峨を見つめた。緊張の糸が切れそうになったところでの嵯峨の一言。一瞬と惑ったあとで目の前の西園寺派の武官達の姿を見て留袖のすそを静かに引いて息を整える響子。
「ええ、ですがこの方達のお気持ちも……」 
 紫色の地味めな小紋が映える姿の響子。あまりに突拍子のないことを言ってきた嵯峨にさすがに彼の臣下の衆を代弁するように言って聞かせようとする。
「なあに、これくらいの人数なら酒の肴にざるそばを食べるくらいの量は持ってきていますよ。醍醐さんも一緒にどうですか?」 
『なにをのんきな事を!』
 叫ぼうとするのを押さえながら醍醐はゆっくりと立ち上がる。
「今は一分一秒が惜しいですから。辞退させていただきます」 
 そう思わず自分の声が上ずっていることに気づいて被官達に目をやる醍醐。しかし、嵯峨の突然の提案に彼らはただ目を開けて座っているだけだった。
「確かに大臣の公務は大変でしょうから。高倉さんとかには伝えておいてくださいよ。『あんたなりにがんばったね』って」 
 そう言いながら胡州陸軍の制服の両腕をまくる嵯峨。彼はそのままなれた調子で廊下へと向かう。彼を見送りながら醍醐は我に返って通信端末を開いた。
「ああ、私だ。高倉大佐の身辺を固めろ!詰め腹を切る可能性があるからな!」 
 醍醐はそのまま部下と連絡を取りながら嵯峨とは逆の方向、屋敷の正門に向けて早足で立ち去る。残されたのは保守派の支柱である烏丸響子女公爵と西園寺派の幹部と言える馬加達だった。
「奇妙なものですね。大公と我々が取り残されるとは」 
 馬加は思わずそう言いながら自分の娘より年下の響子の正面に座った。嵯峨が消えて醍醐が帰った烏丸家の広間にはこの家の当主とその思想に相容れない武官と官僚達が残されていた。響子はこの状況を見て気が付いたように笑顔になっていた。
「いえ、もしかしたらこれは泉州公のご配慮なのかも知れませんね。こうして皆さんとお話しする機会などあまり無いでしょうから」 
 そんな柔らかい口調の響子の言葉に馬加達は思い知らされた。この状況を作り出すことが嵯峨の意図したことではないかと。枢密院での論戦では常に平行線をたどる両者が面と向かって話せる場などこれまではどこにも無かった。
 響子は四大公の一人とは言え、まだ23歳と言うことで派閥の統制が取れるほどの実力は無かった。そのことが先代の烏丸頼盛以来の重臣達に左右される不安を彼女に感じさせていた。一方、西園寺派には豪腕として知られる西園寺基義への配慮もあって烏丸派と接触を取ることを自重しているところがあった。
「やはりあの人は食えないな」 
 馬加は一人つぶやくと目を輝かせて彼の言葉を待つ響子に何を伝えるべきか思いをはせた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 34

 保安隊ハンガーの前に広がるグラウンドは砂埃に包まれた。誠が見上げれば大型輸送機がいつも誠が立っているマウンドに向かいゆっくりと降下してきていた。
「菰田もやるもんだなあ」 
 出撃前の作業服姿の要がそう言いながら誠の肩を叩く。
「すぐに乗り込むぞ」 
 要の言葉に頷いた誠はそのままハンガーへ足を向けた。
「野次馬は結構だが自分の仕事を忘れるなよ」 
 ハンガーの入り口で同じように作業服姿のカウラがエメラルドグリーンのポニーテールをなびかせて二人を迎え入れる。
「焦りなさんな。叔父貴がおらんでもやることは変わらねえんだ。神前!とっとと済ませちまおうぜ」 
 そう言って要は自分の白く塗りなおしたばかりの05式甲型へと足を向ける。誠も自分の機体を見上げた。美少女キャラが全面に描かれた『痛アサルト・モジュール』には整備員が張り付いて反重力エンジンや対消滅エンジンの調整を行っている。
 そんな中、誠はコックピットに上がるエレベータに乗り込む。そのまま上昇してコックピットに張り付いているヨハンの隣に立った。
「ご苦労様です」 
 そう言った誠に巨体を振り返らせるヨハン。助手の下士官は調整用端末のジャックを取りまとめていた。
「法術系の対応出力はかなり上がってるからな。まあチャージレートなんかはシミュレーションの設定にかなり近づけたからそれなりの戦果は出してくれよ」 
 ヨハンの言葉に誠は頷いた。法術兵器による広範囲攻撃。誠の知る限り、いやたぶん知らないところでもこのような兵器の実戦投入は初の試みだろうと思うと誠の鼓動が高鳴る。
「本当にうまく行くんですか?」 
 誠のこわばった表情を見てヨハンの表情が厳しくなった。
「お前のそう言うところ直した方がいいな。俺達は万全を尽くしたんだ。少しは人を信用しろよ。それと自分自身もな」 
 そう言って笑うヨハンに笑顔を返そうとするが、誠にはそのような余裕は無かった。手元のコンソールが光り始め、機体のチェック項目が次々と終了していく。
「シュペルター中尉!オールグリーンです!」 
「よし!神前、頼んだぞ!」 
 ヨハンに背中を押されて誠はコックピットに身を沈めた。ハッチと装甲版が降り、全周囲モニターが光を放つ。目の前では搬入のために起動した要の二号機がゆっくりとハンガーを出ようとしているところだった。
『どうだ?異常はないか?』 
 回線が開いてカウラの心配そうな顔が映る。
「大丈夫ですよ、ヨハンさんとかが完璧に仕上げてくれましたから」 
 そう言うと誠は関節を固定していた器具の解除のランプがついたのを確認して操縦棹を握り締める。一歩、そして二歩。誠の機体が歩き始める。
『こけないように』 
「馬鹿にしないでくださいよ」 
 突然開いた回線で笑っている明華に誠はそう返すとそのままハンガーを出た。足元では大漁旗や自作の寄せ書きを振るう整備員の姿がある。そのまま誠は彼らをすり抜けて後部のハッチを全開にした輸送機の格納庫へと機体を移動させた。
『2号機積み込み完了!固定作業開始。続いて3号機!』 
 管制を担当するパーラの声に合わせて誠は機体を輸送機に移動させる。一歩、一歩、確実に滑り止めのついた輸送機の後部搬入口を歩く誠機。
『こけるんじゃねえぞ』 
 心配する要の声がしたのを聞くと誠は機体を振り返らせ、固定器具に機体を沈める。すぐに整備班員が間接部の固定作業に入る。誠はそのまま機体の上腕を持ち上げた。そこに先日誠が試験した05式広域鎮圧砲と仮称が決定したばかりの大型のライフルがクレーンで下ろされる。
「確かにこれは大きいですね。空中ではどうなるか分かりませんよ」 
『おい、誠。そんなの抱えて空中戦をする気かよ。酔狂だねえ』 
 モニターの中で嫌味な笑みを浮かべる要。誠はただ黙って目の前の大きな砲身を見つめていた。
『それじゃあ一号機!』 
 パーラの指示がカウラ機に移ったのを確認すると誠はハッチを開けて斜めに倒れこんでいる05式乙型から飛び降りた。
「ご苦労さん!それじゃあアイシャ達のところに行くか」 
 そう言って要が狭い通路を歩いていく。要の機体、誠の機体。整備班員は忙しくそれぞれの機体の固定作業に集中していた。要は前部の倉庫のハッチを開く。そこには仮設の司令室が作られ、運行部の女性士官達がセッティング作業を行っていた。
「カウラちゃんも搭載完了!それじゃあ菰田君。発進準備、よろしくね」 
 部隊統括であるアイシャは誠達に手を振りながらパイロットの菰田に指示を出した。
「よく借りれたなP23は最新型で……三春基地に去年3機配備だっけか?そして現在も配備待ちの基地がちらほら……東和軍も人がいいねえ」 
 そう言いながら低い天井に手を伸ばす要。誠は空いている席を見つけて座った。
「隊長が押さえておいてくれたのよ。そうでなければ借りれるわけなんか無いじゃない」 
 アイシャの言葉に納得したように頷く要。再び後部格納庫のハッチが開いてカウラが顔を出す。
「本当に大丈夫なのか?この鈍足の輸送機では制空権が取れていない状況ではただの的だぞ」 
 そんなカウラの言葉にアイシャは目の前のモニターのところに来いと言うように手招きした。誠と要もカウラと並んでアイシャの前のモニターを覗き見る。そこにはバルキスタンの地図が映し出されていた。
「まあ、進入ルートについてはこちらで随時検討するから良いとして……東和軍による航空制圧地域を重ねてみるわね」 
 アイシャはそう言うとバルキスタンの北半分を多い尽くす範囲を指定した。
「そんなことは分かってるんだよ。東和政府のベルルカン大陸での飛行禁止措置の解除がされていないことも完全に理解済み。その上で言ってるんだ。相手が紳士ならこの範囲の中にいる限りこの鈍い輸送機でもピクニック気分で行けるかも知れねえ……けどなあ」 
 相変わらず渋い表情の要。
「まあ護衛は東和最強で知られるパイロットをよこすってちっちゃい姐御も言ってたから大丈夫なんじゃないの?」 
 アイシャのランを指す『ちっちゃい姐御』の言葉がつぼに入って笑い出してしまった誠に要とカウラの冷ややかな視線が降り注ぐ。アイシャも咳払いをしながら説明を再開した。 
「こちらの進入空域に関しては吉田さんがいろいろとダミー情報を流してくれているからそう簡単にはばれないわよ。さらにバルキスタン政府軍のレーダーはあと5時間後にクラッキングを受けて使用不能になる予定なの。完全復旧には三日はかかるでしょうね」 
「吉田の奴、ボーナスの査定時期だからって気合入れてるなあ」 
 そう言いながら笑う要。誠も伝説になっている吉田のクラッキング技術を知っているだけに少しばかり安心して笑みを浮かべていた。
『クラウゼ少佐!発進準備完了しました!』 
「では発進よろし!」 
 アイシャの言葉が響いた後、うなる反重力エンジンの駆動音と共に軽い振動が誠達を襲った。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 33

 バルキスタン中部、山岳地帯。深夜、迷彩服に身を包んだ小隊がドアを蹴破り粗末な小屋を襲う。中で銃の手入れをしていたイスラム系民兵が驚きの声を上げることは無かった。突入した部隊の消音装置つきのアサルトライフルから鈍い音とともに発射される弾丸が次々と襲い掛かり、民兵達はそのまま何もできずに床に倒れこむことになった。
 突入グループの指揮官が外に向かってハンドサインを送る。
 数人の部下に囲まれた女性士官、マリア・シュバーキナ少佐は機材の搬入を行う部隊員達を避けるようにしてそのまま小屋の中央のテーブルに腰掛けた。
「死体の処理を頼む。そして……」 
 マリアの横に置かれた大型の通信機にも見える装置。マリアは何も言わずにそれを見た後、自分の腰につけられた小型の機械に目をやった。走り回る彼女の部下達も同じ機械を腰につけている。
「お守りねえ。ヨハンの奴、何か隠しているな。それにこいつ……」 
 マリアは床板をはがす部下達の作業を見つめていた。粗末な気の床は斧の一撃で砕け、まだ一分しか経っていないと言うのに兵達は銃を背中に回してスコップに得物を持ち替えていた。
「これで最後か。そして合流地点まで移動」 
 独り言を言う彼女に曹長の階級章の部下が雑嚢から取り出したポットから紅茶を取り出した。マリアはいつものように自分のベストのポーチからジャムの入った缶を取り出してたっぷりと紅茶に落した。
「しかし、何でしょうねこの機械は」 
 紅茶をマリアに渡した曹長は覆面を外して剃りあげた頭を叩きながらつぶやいた。
「ヨハンや明華が私にこの機械の意味を知らせないと言うことはそれなりに重要で、そして秘匿すべき代物なのは確かだろうな」 
 そう言いながらマリアは紅茶をすする。あっといい間に掘り返された床には人一人が入れる程度まで広げられた穴が出来る。そして隊員たちは静かに先ほどの機械をゆっくりとまるで棺おけでも下ろすように穴の底に納める。
「私はてっきり米軍や胡州の特殊部隊とやりあうものだとばかり思っていたのですが……」 
 曹長の言葉ににやりと笑うマリア。
「そうだな。だが、隊長の指示はまるで違ったわけだ。それなりに丸くなったのかもしれないなあの人も」 
 再び紅茶を口に含む。機械は今度は砂をかけられて埋められていく。外を警戒していた隊員がハンドサインを曹長に送ってくる。
「所属不明の勢力。人数は12名以上。武装は未確認。どうしますか?」 
 曹長の言葉に最後の一口の紅茶を飲み終えたマリアは立ち上がった。
「我々の行動はどの勢力の目にも触れるわけには行かない。対応可能な部隊は先制攻撃をかけろ。確実に敵勢力を殲滅。以上だ」 
 マリアの前で次第に砂を被って埋もれていく機械。
「作業は後何分で終わる?」 
 埋められた機械を覗きながらカービンタイプの自動小銃を持った兵士が背中のバッグから端末を取り出した。彼はそのまま胸のポケットから取り出した紙切れを横に置くとそれを見ながらすばやくキーボードに何かを入力していく。
「あと15分と言うところでしょうか?」 
 入力中の兵士の顔を見て答えた曹長の言葉に表情を険しくするマリア。
「5分で済ませろ。それと手の空いたものは敵勢力の排除が優先事項だ」 
 マリアの言葉に板切れを抱えていた二人の兵士が小屋から駆け出していく。
「各員に告ぐ。この機材の埋設が終了と同時に第二小隊との合流地点へ向かう。できるだけ不要な装備は外していけ」 
 そう言ったマリアは愛用の狙撃銃SVDSドラグノフを手に取ると小屋を後にした。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 32

 いつものように実働部隊の部屋の端にあるたった一つの時代遅れの端末で備品の発注書を作成していた誠の目の前の画像が緊急呼び出しの画面に切り替わった。
「おう、それじゃあハンガーに集合!」 
 明石の言葉に要やカウラも黙って立ち上がる。
「なんですか?今回は」 
 このような呼び出しは誠は二回目だった。前回は豊川の北にある久留米沢での岩盤崩落事故の支援出動だったが、今回の明石の表情を見ればその時とはまるで違う緊張した面持ちが見て取れた。
「ぐだぐだ言ってねえで早くしろ」 
 要がそう言って誠を小突く。部屋を仕切るガラス窓を茜とラーナが駆け抜けていく。
「法術特捜?どう言うことですか?」 
 そう言ってカウラは明石の顔を見上げた。サングラス越しだが、感情を隠すと言うことが苦手な明石には明らかにこの事態を予測していたような落ち着きが見て取れた。扉を開いて廊下に出れば、すでにハンガーには整備班員が整列して明華、ヨハン、レベッカが彼らの前で直立不動の姿勢をとっていた。管理部の隊員に続いて階段を駆け下りると、さも当然と言うようにランと高梨が整列していく隊員を眺めている。
 ハンガーに整列する隊員だが、技術部はバルキスタンに派遣された島田達とマリアの直参の警備部の面々、そして島田に同行したサラをトップとするバックアップ要員がいないこともあってなぜか数が少なく見えた。
「遅いぞ、とっとと整列しろ」 
 シンが管理部の隊員に声をかける。誠達も明石の前に順番に整列した。そんな誠達の前には待機状態の大きな画像が展開していた。前回の事故の時とは指揮官達の表情はまるで違っていた。最後に駆けつけてきたリアナ貴下のブリッジクルーの女性隊員達も緊張した表情でアイシャを中心に整列する。
「いいかしら、リアナ」 
 部下を整列させ終えたリアナに明華が声をかける。そして彼女に促されるように明石が置かれていたお立ち台の上に上がった。
「一言言っておく!今回の緊急出動は戦闘を前提としたものである!各隊員においては常に緊張した状況で事態に対処してもらう必要がある。各員、気を引き締めて職務に当たってほしい」 
 言葉としては標準語だが、明石の関西風の独特のイントネーションが誠のつぼにはまって思わず噴出しそうになる。前に立っていた要はそれに気づいて誠の足を思い切り踏みしめた。足の痛みに涙を流しそうになる誠の前のスクリーンが起動した。
 そこには誠が初めて見る保安隊隊長嵯峨惟基の緊張した表情が大きく映し出されていた。誠は嵯峨の緊張した面持ちにこれから説明されるであろう事態の深刻さを理解していた。
『えー、あー、あれ?』 
 間抜けな声が響くカメラ目線の嵯峨の目つきがいつものうつろな濁った色に変わる。
『ラーメン……チャーシューメン。高いよな……え?』 
 整列していた隊員が呆然と大写しの嵯峨を呆れた顔で見つめる。
『……吉田!写ってんの?回ってんの?切れよここ。な?』 
 そう言うと嵯峨は再び見慣れない厳しい表情に戻る。明石の横に立つ吉田に幹部連の視線が痛く突き刺さっている。
『ああ、みんなも知っていると思うが、現在バルキスタンの選挙管理・治安維持目的で第四小隊及びバックアップグループが展開しているわけだ。そのバルキスタンで停戦合意をしていたイスラム系反政府組織が停戦合意を破棄した。理由はありきたりだが選挙態勢に不正があり信用できないからだそうな。もうすでに政府軍の反攻作戦が展開中だろうな今頃は』 
 そう言うと嵯峨のアップからバルキスタンの地図に画面が切り替わる。ベルルカン大陸西部に広がる広大な湿原地帯と山脈を貫く乾燥した山地が続くのがバルキスタン共和国だった。そしてバルカイ川下流の都市カイザルに赤い点が打たれ、その周りの色が青色に、中央山脈からのムルガド首長国国境沿いに緑の地に染められていく。
『緑色が先週までの反政府軍の統治エリアだ。だが、今度の攻勢で……』 
 嵯峨の声の後、すぐに青色は緑色のエリアに侵食されて行った。
「あそこの組織は機動兵器はもってねえはずだよな」 
 前に立っている要が誠に声をかける。
「そんなこと僕が知るわけないじゃないですか」 
 誠が答えると要はにやりと笑いながら画面に視線を戻す。レアメタルの鉱山を奪い合うと言うバルキスタン内戦に於いてはキリスト教系民兵組織出身の現政権の首領エミール・カント将軍も敵対するイスラム教系反政府組織も潤沢な資金を注いで軍の増強に努めていた。だが、地球圏がカント将軍派を正当な政府と認証した十二年前の協定により、イスラム教系組織へのアサルト・モジュールなどの輸出は禁止され、内戦は政府軍の優位のうちに進展していた。
 その状況に不満を持っていた遼州同盟加盟国の西モスレム首長国連邦と地球圏のアラブ連盟は遼南の首都央都での協約でカント将軍に民主的な選挙の実施と言う案を飲ませてカント将軍の力を削ぐ方針を固めた。彼らは遼州同盟各国からの選挙監視団の派遣を要請、地球からも治安維持部隊の導入を進め選挙はまさに行われようとしていたところだった。
 だが、目の前の地図はその合意を反故にして反政府軍は侵攻を開始していることを示していた。
『ああ、ここで質問があるだろうから答えとくよ。これだけの規模の侵攻作戦となると反政府軍はアサルト・モジュールを所有していることが必要になってくるな。答えから言うとそのアサルト・モジュールの供給源はカント将軍様だ。まったく敵に塩どころか大砲を送るとは心が広い将軍様だなあ。お前等も見習えよ』 
 そう言う嵯峨の声に技術部のあたりで笑いが起こる。だが、それも明華の鋭い視線に収まり、そのまま画面は嵯峨の顔を映した。
『何のことはない。政府軍も反政府軍も今回の選挙は無かったことにしたいんだ。そのためには敵に鉄砲でも大砲でも送るし、明らかに民衆の支持を得られない大攻勢でも平気でやる。残念だが遼州人も地球人もそう言うところじゃ変わりはねえんだ』 
 嵯峨の口元に残忍な笑みが浮かぶ。誠達を見つめているランの顔がゆがんだのを誠は見逃さなかった。
『そこでだ。遼州同盟司法局は央都協定二十三条第三号の規定に基き甲一種出動を行う。すべての任務にこれは優先する。各隊の作戦の立案に関しては明石に全権を一任する!以上』 
 嵯峨は再びまじめな顔で敬礼する。そして画面が消えた。
「甲一種か……燃える展開になりそうじゃねえか」 
 誠を振り返る要の視線に危なげな喜びのの色が混じる。誠は冷ややかに笑いながら周りを見渡した。
 そんな誠は明らかに動揺していた。
 保安隊のあらゆる武装と能力を制限無しに使用可能な甲一種出動態勢。以前の胡州のクーデターである『近藤事件』ですら下りなかった全武装使用を許される作戦行動。隊員達の視線は壇上の明石に集まった。
「おう!今のを見ての通りじゃ。ワレ等もそんだけの覚悟せいっつうこっちゃ」 
 そう言いながら隣に立つ吉田に目配せをする明石。再び画面に映像がでる。大型輸送機が映し出される。
「P23。東和軍北井基地の所属の機体じゃ。これに第二小隊……ベルガー!」 
「はっ!」 
 明石に呼ばれたカウラが一歩歩み出る。
「お前んとこの三人がこいつで敵陣に斬りこんでもらう。輸送機のパイロットは……菰田!」 
「はい!」 
 管理部の先頭に立っていた菰田が一歩進む。
「お前さんはこいつの飛行時間が一番長いんじゃ。パイロットをやれ」 
「了解しました」 
 そう言ってカウラに微笑みかける菰田をカウラは完全に無視した。そんな中、思わず笑いを漏らすアイシャを明石の視線が捉えた。
「クラウゼの……。ワレが前線で仕切れ。そんぐらいの仕事はせえよ」 
「了解しました」 
 アイシャがすぐにまじめな顔で敬礼する。
「第一段階担当は以上じゃ!それでは各員、吉田から指示書のディスクを受け取って解散!」 
 そのまま演台から下りる明石。カウラ、菰田、アイシャがそれぞれ吉田からディスクを受け取っている。
「おい、タコ。あれだけ広がった戦線に3機のアサルト・モジュールでどうしろって言うんだよ」 
 要のその言葉で誠は我に返った。広大な領域に戦線を拡大させたイスラム武装勢力をたった三機の戦力でどうこうできるものではないことは誰にでも分かることだった。だが、そんな作戦の立案を依頼された明石には奇妙なほどに余裕が感じられた。そして彼はそのまま視線をランに向ける。
「わからねー奴だな。第一小隊じゃなくてオメー等にお鉢が回ってきた理由。考えてみろよ」 
 そう言うランにいたっては勝利を確信しているように見えた。
「確かに戦線は急激に拡大しているな。でもよー配備されている治安維持部隊も激しく抵抗して戦線は入り乱れて大混乱状態なんだぜ。そこで核だの気化爆弾だの敵味方関係なく皆殺しにするような兵器を使ってみろや。同盟崩壊だけじゃすまねー話になるだろ?そこで先日の秘密兵器だ」 
 不適な笑いを浮かべる一見少女のようなランの言葉に誠もようやく事態を飲み込んだ。
「法術非破壊広域制圧兵器?」 
 なんとなく口に出た誠の言葉。ランは笑いながら頷いた。
「そういうわけだ。タコ!冷蔵庫借りるぞ」 
 そう言うと返事も待たずに歩き出すラン。カウラはその後に続く。
「ですが、中佐。あの兵器の実用のめどは……」 
「あれで十分だ。アタシが保障するぜ。出力は上がることはあっても下がらねーはずだからな」 
 小さな上司ランが余裕たっぷりの表情で振り返る。
「あんな実験だけでそのままの実力が出せるかどうかなんて……」 
 そうこぼす要をランがいつもの睨んでいるとしか思えない視線で見つめる。要は気おされるようにそのまま黙り込んだ。ハンガーの階段を上り、誰もいない管理部と実働部隊の部屋を通り過ぎる。隊長室は留守だった。だが、先ほど見た嵯峨の映像が誠の脳裏に写り、いつもは感じない隊長である嵯峨への控えめな敬意が芽生えていることに気づいた。
「アイシャ。ついて来てるか?」 
 その声に誠が振り向くとそこにはアイシャとパーラがいた。
「当たり前じゃないの。それより今回の作戦の成功は……」 
 セキュリティーを解除して振り返るランの視線に迷いは無かった。
「失敗すると分かって動く馬鹿は珍しいんじゃねーの?アタシとしては任務成功の確立は八割は堅てーと思うがね」 
 そう言ってコンピュータルームの扉をくぐるラン。
「おい、カウラ。ちとそのディスク貸せよ」 
 手渡されたディスクを起動するラン。明らかに椅子が幼く見える体のランにあっていない様は滑稽に見えた。
「笑うんじゃねーぞ」 
 振り向いたランは要を一睨みしてからディスクを起動する。現れたのは現在のバルキスタンの勢力地図だった。
「現在のバルキスタンは反政府勢力の攻勢で戦線が入り組んでとんでもないことになっているわけだ」 
 そう言って中央盆地にカーソルを合わせ拡大するラン。画面にはその中に一筋のラインと緑の勢力圏を点線で覆う紺色の淡い斜線の引かれた部位が目を引いた。
「今回の作戦はこの主戦場である中央盆地の武装勢力の戦闘継続能力の粉砕が目的だ。この盆地が民兵の手に堕ちれば政府軍を支援するという名目で米軍が動く可能性がある。実際、同盟機構の一部には出兵に積極的なアメリカ海兵隊派遣の要請を検討している勢力もある。それが実現すれば同盟機構の政治的権威はおしまいだ」 
 そう言うとランは再び中央盆地の入り口に当たるカンデラ山脈の北部を拡大する。
「進入ルートはカンデラ山脈を越えてと言うことになるな。それを抜けたらすぐに誠の乙型とカウラと要は降下、そして12キロ北上してマリアの警備部の部隊と合流する」 
 ランはそこまで言うと誠の方を向いた。合流地点と言われたところから広大としか思えない範囲にかけてが赤く染められる。そこでマリア・シュバーキナ少佐貴下の警備部の精鋭部隊が任務行動中だったという事実に誠は驚いていた。
「今回は範囲指定ビーコンはマリアが設置済みだ。照準もつける必要はねーんだ。簡単だろ?」 
 あっさりとそう言うランに誠は自分の額に光る汗を感じていた。
「確かにこの範囲の敵を駆逐すれば反政府勢力の攻勢は頓挫するのは分かるんだけどな。このあたりには停戦監視や治安維持目的で同盟軍の部隊が展開してるんじゃねえのか?」 
 素朴な疑問をぶつける要にランは狙いすましたような笑顔で答える。
「だから、非殺傷設定のアレの効果が生きるんだ。思念反応型兵器とか意思機能阻害兵器とか呼ばれているわけだが、アレに撃たれると人間なら二日は昏睡状態に陥ると言う効果があるが死にはしねーからな。今回はその特性を生かして戦闘能力を削いでしまおうって作戦なんだ」 
 胸を張るラン。
「そんなにうまく行くんでしょうか?」 
 そう言うカウラにランは立ち上がって背伸びして彼女の肩に手をやった。
「もうすでにマリアは動いているぜ。しかもほとんど障害になるような反撃は受けていないそうだ。そこをうまく仕切って作戦成功に導くのがオメーの仕事だ。それとアイシャ!」 
「は!」 
 切り替えの早いアイシャは真面目モードでランに敬礼する。
「東和の空軍のバックアップはあるだろうがM7クラスだと正直、対地攻撃での撃破は難しい。そこを見極めて管制よろしく頼むぞ」 
「了解しました!」 
 そんなアイシャの気合の入った声に笑みを浮かべたランはそのままコンピュータルームを出て行こうとする。
「クバルカ中佐、帰られるんですか?」 
 誠の言葉にドアを開いたばかりのランが振り向いた。
「今回は明石の旦那の引退試合だ。見せ場を取ったらまずいだろ?」 
 そう言うと誠達を置いてランは去って行った。
「さてと、カウラ。進入ルートの選定は私達に任せて頂戴よ。とりあえず出撃命令が出るまで休んでいていいわよ」 
 アイシャはすぐさま椅子に腰掛けて端末のキーボードを叩き始めた。パーラも隣の席で同じように仕事を始める。
「じゃあ、よろしく頼む」 
 カウラはそう言うとアイシャ達に視線を送る要と誠を促してコンピュータルームを後にした。
「ちっちゃい姐御にあれほど確信を抱かせるってのはたいした奴だぜオメエは」 
 要はそう言うとタバコを取り出して誠の肩を叩く。
「廊下は禁煙だぞ」 
 いつものようにカウラがとがめるが、その表情は誠には相棒を気にするカウラの思いやりが見て取れた。
「わあってんよ!しばらくヤニ吸ってるから何かあったら呼んでくれよ」 
 そう言うとハンガーへと歩き出す要。誠とカウラはそのまま実働部隊の控え室に戻った。
 部屋では明石が要が提出した始末書に検印を押していた。吉田はいつもどおり机に足を投げ出して音楽を聴いている。シャムの姿が無いのはグレゴリウス13世と遊びに行っているからなのだろう。
「明石中佐。本隊はどう動く予定ですか?」 
 カウラの言葉に顔をあげた明石は吉田の方を見た。
「こっちは『高雄』で出撃。海上に待機して様子見だ。お前等が失敗した時はカント殿の頭に銃でも突きつけて自作自演のもたらした負の遺産を身をもって味わってもらう予定だよ。まあそうなったらどこかの星条旗を掲げた正義の味方気取りの兵隊さんが笑顔で全面攻撃なんてシナリオまで見えてきちゃうだろうけどな」 
 ふざけたようなその言葉だが、誠も吉田の性格が分かってきていただけにその意味が理解できた。待っているのは本格的な紛争。そして同盟機構は瓦解し、新たな秩序の建設を大義として掲げての遼州の大乱。誠はそんな状況を想像して冷や汗が流れるのを感じていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 31

 質素を旨とする西園寺家のすき焼きの割り下には、純米酒でも最低品質の酒が使われるのが慣わしだった。嵯峨惟基も、兄である西園寺基義もそのまま割り下に使った残りの燗酒を使って手酌で飲み始める。
「どうだ……ああ、肉はケチるなよ」 
 西園寺基義のその言葉を聞くと、嵯峨は筋張った安物の肉をぐらぐらとゆだる鍋に放り込んでいく。殿上会に初めて顔を出した嵯峨はそこで浴びた冷ややかな視線を思い出して皮肉めいた笑みを浮かべながら、鍋を暖める電熱器の出力を上げた。年代モノの電熱器のコイルの赤く熱せられた光がちゃぶ台を赤く染める。
「ああ、そう言えば康子姉さんはどうしたんすか?」 
 嵯峨の言葉ににんまりと笑う西園寺。
「ああ、なんでも楓の家督相続の披露のことで相談があるとか言ってたな。楓や赤松夫妻なんかとお出かけだそうだ。残念だったな」 
 そう言うと西園寺は煮えた肉を卵の溶かれた取り皿に移していく。
「めんどくさいねえ。俺の時はまったくなんにも無かったのに」 
「そりゃあ、お前さんの家督相続の時は戦時中だったからな。しかもうちは売国奴扱いされた家だ。派手な披露なんてできる状態じゃなかったろ?それに理由は……いや、このことは言わねえ方がいいか……」 
 そう言う西園寺の顔は笑っていなかった。当時のことを考え出せば二人とも同じ人物、嵯峨の妻エリーゼのことを思い出すことになる。
 父、西園寺重基は先の大戦では強行に開戦反対を唱え、地球討つべしの世間の流れに逆行することとなった。事実上、四大公爵家筆頭としての地位を取り上げられ、軍部の執拗な監視の下に押し込められた彼が帰国した次男嵯峨惟基の嫁エリーゼと二人の孫を迎えに行ったとき、暗殺者の爆弾が炸裂した。
 娘をかばうようにして伏せたエリーゼは病院に搬送される途中で息絶えた。世間では気さくで世話好きな兄貴肌と評される西園寺が目の前の弟に再婚を勧めることをしないのは、弟の妻を守れなかったという負い目を知っているからだと思われていた。
「まあ、ようやく思い出になるかもしれない……と思いたいですね」 
「おう、思い出か?そりゃあ良い事だ」 
 西園寺の顔が微笑みに満たされる。その娘、要とよく似たタレ目を見つめると、つい嵯峨は本気の笑いに飲み込まれていった。
「笑いすぎだぞ。それよりこっちの春菊。苦くなる前に取っとけ」 
 そう言って春菊を取る西園寺。嵯峨もそれに合わせるように春菊と白滝を取り皿に移し変える。弟のその手つきを身ながら西園寺はちゃぶ台に取り皿と箸を置くとゆっくりと話し始めた。
「俺の苦労もわかってくれよな」 
 西園寺の言葉に嵯峨は思わず目をそらしていた。
「四大公の籍を抜くってことの意味はわかってるだろ?議会やら野党やらがお前さんが胡州の帝位に着くんじゃないかって言う憶測が流れて……」 
「そのくらいのことはわかってますよ」 
 嵯峨は兄の言葉を聞きながら春菊を頬張った。
「烏丸の嬢ちゃんの取り巻きが騒ぎ立てて大変だったんだぜ……」 
 西園寺はそれだけ言うと静かに自分の猪口に酒を注ぐ。胡州帝国の帝位は遼南皇帝が就くと言う慣例が崩れてから二百年が経っていた。皇帝のいない帝国。そんな状況に西園寺の足元からも嵯峨の皇帝の即位を求める声があった。法整備と経済運営に手腕を発揮して遼南復興の道筋を開いた嵯峨の政策を見た人々は、彼による遼南帝家による胡州元首復帰を公然と求める動きすら二人の下には届いていた。
 そんな無責任な噂を抑えてきたのは家臣である公爵が玉座に着くことは矛盾があると言う西園寺基義の憲法解釈によるところが大きかった。嵯峨はそれに合わせるように、常に署名には嵯峨の所有する領邦から呼ばれる別号『胡家泉州公』と記して胡州の反西園寺派に配慮した態度をとり続けた。
 だが、今や嵯峨は公爵家の家督を楓に譲り、形の上では嵯峨宗家とは縁が切れる形となっていた。そして嵯峨惟基の遼南帝国皇帝退位宣言は、現遼南帝国宰相、アンリ・ブルゴーニュを首班とする内閣に無効を宣言されていた。このことで理屈の上は嵯峨惟基は胡州帝国の皇帝に即位する権利を有していることになった。
 元々自国に敵の多い嵯峨が皇帝として君臨することを恐れる勢力による西園寺への圧力を想像できないほど嵯峨は愚かでは無かった。だがそれをてこにどう動くか。政治的位置の違う兄弟のいざこざをこの十年余り繰り返している弟を見ながら西園寺基義は諦めたようなため息をついた。
「まあ、どうにかなるだろ」 
 西園寺はそう言うと再び取り皿を手に取った。嵯峨は自分の皿に取り置いていた安い肉をゆっくりと口に運ぶ。
「肉ばかり食べるなよ。焼き豆腐。もういいんじゃないのか?」 
 西園寺はそう言うと鍋の端に寄せてあった焼き豆腐とねぎを自分の取り皿に盛り上げた。そしてその箸がそのまま卵に絡めた肉に届いたときだった。
 突然、嵯峨の背にしている廊下で人の争うような声が聞こえてきた。
「なんだ?」 
 嵯峨はそう言いながら焼き豆腐を取り皿に運ぶ。
 西園寺家には先代の重基の代から多数の食客が暮らしていた。とりあえず面白そうだと思った芸人や画家、役者や漫才師が自由に出入りする文化的なサロン。それが西園寺家のもう一つの顔だった。今日は兄弟が殿上会の帰りに護衛のSPに大量の安い牛肉を買い漁らせ、彼ら居候達にもすき焼きと安酒が振舞われているところだった。
 はじめは西園寺はそんな食客達が喧嘩でもしているのではと思い嵯峨の顔を覗き見た。
 嵯峨はまるで待っていた人物が到着したとでも言うように、取り皿の中のしらたきをすすり終えると静かに取り皿をちゃぶ台に置いた。それと同時に血相を変えた醍醐文隆陸軍大臣が思い切りよく襖を開いた。
「大公!」 
 醍醐の視線は安酒をあおる嵯峨に向けられた。その目は赤く血走り、口元は怒りに震えていた。
「そんなに大きい声を出すこと無いじゃないですか」 
 そう言うと嵯峨は再び取り皿に手を伸ばす。そんな嵯峨に歩み寄った醍醐は嵯峨の前にどっかりと座り込んだ。それまで醍醐を止めようとしていた食客の太鼓持ちが、どうすればいいのかと聞くように西園寺の顔を見た。西園寺は手で彼らに下がるように命じた。
「バルキスタンのイスラム民兵組織がアサルト・モジュールを保有しているのはなぜなんですか?」 
 自分自身を落ち着けようと嵯峨の前に置かれた燗酒の徳利を一息で飲み干すと、醍醐はそう言って嵯峨に詰め寄った。
「近藤資金の規模から考えたら少ないくらいじゃないですか?M5が32機、M7が12機。そのほかもろもろで102機。まあこのくらいの兵力を確保していなければ、カント将軍の首を取っても同盟軍に押しつぶされるでしょうからね」 
 嵯峨はそう言うと取り皿に肉を置いていく。目の前のかつての主君から放たれた言葉に醍醐の顔はさらに赤く染まっていく。
「ほう、良くご存知ですね。ですが私の情報では彼らはアサルト・モジュールを所有していないはずだった……まるで誰かが用意してやったみたいじゃないですか!」 
「まあ情報機関が情報をつかめない。よくある話じゃないですか。まあ現実を見てくださいよ現実を」 
 そう言って嵯峨は怒りに紅潮している醍醐をなだめるように一瞥した。しかし、その口元に浮かんでいる皮肉めいた笑みはさらに醍醐を怒らせるだけだった。
「じゃあどうやって彼らはアサルト・モジュールを手に入れたと言うんですか!」 
 醍醐は思わずちゃぶ台を叩く。その姿に西園寺はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
「まあ裏ルートと言っても俺が抑えている線ではそんなに大掛かりな密輸組織は無いですし……。彼らのバックにいる西モスレムも、今回のバルキスタンの選挙にはカント将軍が仕切ると言うのはいかがなものかと言う前提つきで監視団を送っているくらいですからねえ……」 
 そう言いながら嵯峨は肉に溶き卵を丁寧にからめている。
「外から運んだわけではないと言うのなら……答えは自然と決まってくるんじゃないですか?」 
 嵯峨の言葉に醍醐はあるはずの無いイスラム民兵組織のアサルト・モジュールの出所を思いついた。そしてそれを悟ってどっかりとちゃぶ台の隣に座り込んだ。
「カント将軍も馬鹿じゃない。今回の選挙が反政府勢力により妨害されておじゃんになりましたよー、これは私達のせいではありませんよー、と。そう言う逃げ道で政権に居座る。なかなかの策士ですな」 
 そのまま安い牛肉を口に放り込んだ嵯峨はまるで隣に怒りに震える醍醐がいないとでも言うように肉を噛み締めていた。
「なるほど。では何故大公はその事実をご存知なんですか?しかもかなりの精度で情報を入手されているようですが……」 
 そう言って食い下がる醍醐。嵯峨は口に入れた肉を十分に噛んだあと飲み込んでから醍醐の顔を見つめた。
「ああ、いろいろとおせっかいな知り合いが多くてね。そんなところから俺のところまで情報が漏れてくるんですよ。まあ、今回の件についてはだんだん最悪な予想屋の言ったことが的中しそうですが」 
 嵯峨は箸を再びすき焼き鍋に向ける。
「今回の事実で私の情報の精度が劣ることは分かりました……ですが……。この情報を伏せていたと言うことは我々とは共有する余地は無いと?」 
 怒りに引きつる醍醐の顔。嵯峨はまるっきりそちらを見ようともしない。西園寺は黙ったまま箸をちゃぶ台に置いて二人のやり取りを見つめている。
「分かりました!総理」 
 嵯峨に見切りをつけた醍醐は懐から書簡を取り出した。表には『辞表』と書かれているのを見ても嵯峨は黙ってしらたきを取り皿に運んでいた。
「突然だね」 
 それだけ言うと西園寺は手に取ることも無く、醍醐の陸軍大臣を辞めるということが書かれているだろう書簡を眺めていた。
「嵯峨さん。私はもうあなたを信じられなくなりました……」 
「え?これまでは信じてたんですか?それはまたご苦労なことで」 
 視線を向けることも無く嵯峨はしらたきを食べ続ける。その様子に激高して紅潮した頬をより赤く染める醍醐。
「まったく!不愉快です!」 
 そう言うと醍醐は立ち上がった。そして西園寺と嵯峨の兄弟を見下ろすと大きなため息をついた。
「すいませんねえ。俺はどうしてもこう言う人間なんでね」 
 部屋の襖のところまで行った醍醐に声をかける嵯峨。だが、醍醐はまるで表情の無い顔で一礼した後、襖を静かに閉めて出て行った。
「どうするの?それ」 
 嵯峨は今度は焼き豆腐に箸を伸ばしながら腕組みをして辞表を見つめている西園寺に声をかけた。
「とりあえず預かることになるだろうな。だが、今回の事件。どう処理するつもりだ?」 
 その言葉はこれまでのやわらかい口調とは隔絶した厳しい調子で嵯峨に向けられていた。
「どうしましょうかねえ。ってある程度対策の手は打ってあるんですがね」 
 嵯峨はそう言うと調理用ということで置いてあった一升瓶から安酒を自分の空けた徳利に注いだ。
「これだけの大事になったんだ。しくじれば司法局の存在意義が問われることになるぞ」 
 静かにそう言うと西園寺は嵯峨が置いた一升瓶から直接自分の猪口に酒を注ごうとする。さすがにこれには無理があり、ちゃぶ台にこぼれた安酒を顔を近づけてすすった。思わず嵯峨の表情がほころんだ。
「兄貴。それはちょっと一国の首相の態度じゃないですよ……。それに同盟の活動の監視は議会の専権事項ですからねえ」 
 そう言って笑う嵯峨。釣られて西園寺も照れるような笑みを浮かべていた。
「じゃあお前さんの好きにしなよ。当然結果を出すことが前提だが」 
 西園寺はそう言うとコップ酒を口に含む。それを見た嵯峨はいつものとぼけたような笑みを浮かべて肉に箸を伸ばした。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 30

 少年は振り返らずに歩き続けた。そして保安隊の寮から見えない通りまで来た時、彼の姿を見つけたがっちりとした体格のスーツを着込んだアジア系の男が少年に駆け寄ってきた。
「クリタ君!なんでそんな……」 
 クリタと呼ばれた少年は男を無視して停められていた高級乗用車の隣まで歩いていく。そして思い切りその車のドアを蹴り上げた。
「何を……」 
 男は驚いたような顔で少年、ジョージ・クリタを見つめた。
「いつまで僕はこんなことをしなきゃいけないのかな?」 
 ジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま不服そうに頬を膨らますクリタ少年。彼は塀に隠れて見えない保安隊の寮の方を向き直った。
「我々には彼らの監視をする義務があるんだからしょうがないじゃないか」 
 そう言う男の顔には諦めのような表情が浮かんでいた。クリタ少年はそれを見透かしたように笑みを浮かべてジャンバーのポケットからガムを取り出した。
「嵯峨惟基と言うオジサンがなんでこんな奇妙な部隊を立ち上げたのか知りたいって言うなら直接聞けばいいんだよ。なにもこんな回りくどいことしなくても」 
 クリタ少年の言葉に男は頷いている自分を見つけた。彼もまったく同じ意見だった。
 『法術』と言う人間の持つ力の存在。この遼州星系の先住民族に接触した時からアメリカ軍はその力の軍事利用と言う側面に着目し研究を続けていた。
 二十年前。法術師としての潜在能力が極めて高いと目されていた嵯峨惟基少佐の身柄を政治取引で遼北から譲り受けると、アメリカ陸軍は徹底的に彼を研究した。その内容については高度な政治的配慮から外事関連の下級武官に過ぎない彼には知らされていなかった。ただ、嵯峨惟基の細胞から作られたクローン人間である少年、ジョージ・クリタが生きていること。そして目の前でガムを膨らませていること。それは否定できない事実だった。
 クリタ少年がどのような力を持っているのかは、男にとって先ほどまではどうでもいいことだった。ただ保安隊の面々を目的も知らされずに監視することだけが彼の仕事だった。そんな彼がクリタ少年が見せたその能力の片鱗により、明らかに自分にこの少年に対する恐怖感が生まれているのを感じていた。
 少年は寮の前で保安隊の女性士官のプロ野球へのスカウトの情報を得ようと群がる新聞記者達の中にまぎれて立っていた。記者達は学校に向かう少年達と同じように少年にはまったく関心を持たないと言うように寮の玄関に視線を向けていた。
 だが、少年が玄関の前に立ったとたん、記者達はまるでまるで催眠術にかかったように少年を見つめた。
 全員に注視されたクリタ少年はゆっくりと左手を上げた。
 それが合図と言うように記者達は荷物をまとめ始めた。その様子はまるでクリタ少年が記者達に重要な用件を命じたとでも言うようにも見えた。
『こいつは天使かなにか……いやそんな綺麗な代物じゃない。悪魔だ』 
 男は心の中でそんなことを考えながらクリタ少年を見つめていた。
「おい、帰るぞ」 
 クリタ少年の言葉にはその年齢に似つかわしくない重みがあった。男は少年の前のドアを開く。そして少年が車に乗り込むのを確認すると助手席に乗り込んで、浅黒い肌の運転席の男の肩を叩いて発信の指示を出した。
「餓鬼のお守りもつらいもんだねえ!」 
 思わずそう言った男だが、クリタ少年はただにんまりと笑みを浮かべると外の住宅街を歩く小学生達の列に目を向けただけだった。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 29

「なんだか増えてねえか?」 
 食堂に遅れて顔を出した要の第一声がそれだった。だが、誠は口の中の味噌汁の具のなすを飲み込んで苦笑いを浮かべるしかなかった。寮の前の市道には明らかにスポーツ誌の記者と思しき人物が行ったり来たりを繰り返していた。食堂で朝食をとる隊員達の視線も自然と誠達に集まってくる。
「明石中佐の話では不十分だったと言うことなんだろうな」 
 食事を終えていたカウラはそう言うとポットの番茶を自分の茶碗に注ぐ。そして三人は黙って目玉焼きを丸ごと口に入れようとしているアイシャを見つめた。
「何が?」 
 明らかにいつものアイシャに戻っていると言うことに気づいて三人は計ったようなタイミングで同じようなため息をついた。
「おい神前。何とかしてくれねえかなあ。あの文屋さん達。そのうち苦情が出ても俺は知らねえぞ」 
 そう言って三杯目のご飯を釜から茶碗に移すヨハンに同調するように整備班の隊員達が首を縦に振る。誠も朝のニュースでアイシャをめぐる状況がさらに変化したことを知っていた。
 法術適正のあるアスリートに法術関連の研究施設における明確な回答が出るまでの間、一般試合はもちろん練習試合の出場を停止する処置を取るべきだと言う国際体育連盟の発表がどのチャンネルでもトップニュースになっていた。
 これまで、噂と先走った競技団体の間だけの話がスポーツ界全体の意思として公表された。来週の東和職業野球のドラフト会議において、半数近い有力選手が指名を回避されると言う野球評論家の困ったような顔が妙につぼに入って誠の頬に笑みが浮かんできた。
「こりゃあ確実にアイシャ・クラウゼ内野手の誕生ってことになりそうだな」 
 要の言葉はそのことを喜ぶと言うよりも、その言葉でアイシャがどう反応するかを楽しみたいと言うような気色がありありと見えた。そんな彼女の言葉をカウラもとめることをしない。
「でも、指名が確実になったわけでもないし……それにまだどこかの球団からアクションがあったとか言う話しは……」 
「ああ、あったわよ」 
 誠は突然のアイシャの言葉に驚いて彼女の顔を見つめた。
「どこだよ!言えよ!」 
 そう言いながらご飯に味噌汁をかけている要。その出自のわりに西園寺要は悪食だった。
「一応協約の絡みとかあるから口外は避けてくれって」 
 そう言うとアイシャは飲み込んだ目玉焼きの次とばかりに茶碗のご飯に取り掛かる。
「口外するなって、してるじゃねえか今。ってまさか……」 
「ええ、私はプロには行かないから」 
 そう言うと黙々とご飯だけを食べ続けるアイシャ。カウラも誠も、要やヨハンまでその一言に呆然とした。
「おい!嘘だろ?一気に有名人になれるかも知れないって言うのに……」 
「要ちゃんが言っても説得力無いわよ。それに別に私は有名人になりたいわけじゃないし」 
 いずれは胡州帝国の重鎮になることが宿命付けられている要にはっきりとそう言い切るアイシャ。
「明石中佐には話したのか?」 
 飲み干した番茶をポットから継ぎ足すカウラ。
「ええ、今朝電話したわ。だから前の取材陣も……」 
「いや、そうは行かねえだろうな」 
 そう言うと要は一気にどんぶり飯を口に掻きこんだ。アイシャがプロへ行かないといい始めてから要の口元は明らかに緩んでいた。
「なによ、要ちゃん。他人事だと思ってうれしそうに……」 
 アイシャのその言葉に食堂に集う保安隊の隊員達は要に目を向けた。誠には彼等の視線がまるで一緒に何か悪事を働こうとしている子供達の目のように見えた。
「今年は即戦力の内野手はほとんど法術適正が黒っていうのがアタシのデータでもわかってるんだ。当然、プロの内野手で法術適正者も何人かいるからな。補強に走るチームは5,6球団じゃすまねえだろうな」 
 そう言いながら番茶を注ぐ要。彼女は腐っても保安隊野球部監督である。熱狂的な地球、日本の西宮市に本拠を置くチームのファンである彼女は東和のプロ野球事情にも精通していた。
「つまりかなりの上位での指名があるって言うことか?」 
 カウラも保安隊野球部の中継ぎ投手として要の言葉に身を乗り出してくる。
「上位はどうか分からねえが、確実にアイシャが拒否しても強硬指名をやってくる球団は予想がつくぜ」 
 そう言って笑う要に目もくれずにもくもくと食事を続けるアイシャ。
「一位だろうがなんだろうが行かないわよ、私は」 
 淡々と食事を続けるアイシャに食堂に集う隊員達が視線を集めてきた。
「契約金とか出る……」 
「エンゲルバーグに言われたか無いわよ」 
 すぐ金の話に走ったヨハンの言葉にもアイシャは耳を貸すつもりはないというように目玉焼きの皿に残った最後のトマトを口に放り込む。
「でもよう、一億出すって言ったら……」 
「要ちゃんもしつこいわね。私は行かないの」 
 上目遣いに見つめるアイシャの瞳。思わず要は顔を赤らめて今度は番茶を茶碗に注いで口に掻きこんだ。
「プロでやってく自信が無いってわけじゃ無さそうだな。なんでだ?」 
 そう言って茶碗を置いた要に向けるアイシャの視線はきわめて落ち着いていた。
「私はここが居心地がいいのよ。私はファンを作るより一ファンでありたい。それが理由よ!」 
 そんな自分の言葉に酔うようにして立ち上がるアイシャ。そのわけの分からない発言に要は首をかしげた。
「ファン?何の?」 
 そう言いながら要は誠に目を向けた。誠は立ち上がったアイシャが自分の顔を見ていることに気づいて困惑した。
「そう!同人作家神前誠のファンでありたいのよ!」 
 その力強い一言につい乗せられるようにして食堂中の隊員が拍手を始めた。
 急に話題を振られた誠はただ左右を見回すだけだった。
「え?なんで僕?」 
 そんな中で二人だけ異質な視線を投げかけてくるのを誠は見逃さなかった。あきれ果てたと言うような要の視線。そして同情を込めたカウラとしては珍しく感情的なまなざしが誠を見つめている。
「同人作家って……確かにそうなんですけど……今書いてるのってアイシャさんがシナリオ書いた作品ですよね?」 
「そう!そして新進気鋭の原作者アイシャ・クラウゼのファン……」 
 そこまで言ったところで要は脱いだスリッパでアイシャの頭をはたいた。
「意味わかんねえよ!それとこいつを巻き込むな!」 
 頭をさすりながら要に向けたアイシャの視線は哀れむような感情を湛えていた。
「なに?そんなに誠君が大事なの?」 
 アイシャのその言葉は瞬間核融合炉の二つ名で呼ばれる要を激怒させるには十分だった。
「じゃあ表の記者を全部片付けて来い!仕事の邪魔だ!それくらいやってからでかい口を叩け!」 
 再び振り下ろされるスリッパを避けたアイシャは誠の手をつかんで立ち上がった。
「そうね、じゃあ今度は誠ちゃんとツーショット写真を味わいましょうか。こんなことめったにないし」 
 そう言うアイシャにさらに激高する要にカウラとヨハン、それに整備の面々が飛び掛って押さえつける。
「行きましょうね!」 
 そう言うとアイシャはそのまま誠の手を引いて寮の玄関へと向かった。
「そんなに引っ張らないでくださいよ!」 
 そう叫ぶ誠を無視して玄関まで彼を引きずるアイシャの満面の笑み。誠は次第に不安になっていくのを感じた。
「そうねえ、どう宣言しようかしら……?」 
 玄関で健康サンダルを履いて素足の誠を無理やり寮の前の小道まで引っ張ってきたアイシャが拍子抜けしたように立ち止まったので、誠もようやくあたりの異変に気づいた。
 記者達は消えていた。
 隣の駐車場も見渡せるがそこにもそれらしい人影は無い。隣の新しいマンションにも人影は見えない。ただ、いつもの通学路をかけていく小学生の群れが見えるばかりだった。
「いないですね」 
 誠はそう言うとアイシャの緩んだ手から自分の右手を抜いた。アイシャも拍子抜けしたようにあたりを見回している。
「オバサン。お礼くらい言ってもらいたいよね」 
 その声に二人は視線を下ろした。見た感じ8歳くらいの少年が二人を見上げている。
「オバサンじゃないでしょ?お姉さんでしょ?」 
 見ず知らずの少年だと言うのにアイシャはいきなり少年の両の米神に握りこぶしを当ててギリギリと締め付けた。
「痛い!痛いじゃないか!だから言ったろ!僕が追い返してあげたんだから!」 
 少年はじたばたと手を動かしながらそう叫ぶ。誠も明らかに大人気ないアイシャの手を握って彼女を止めた。
「君が追い返したって?」 
 誠が少年に声をかける。少年は嫌味に見えるほど大人びた調子で髪の毛を整えると誠の顔を見上げてにんまりと笑った。その表情に誠は誰だかわからないが明らかに知った人物の同じ表情を見たことがあるのを思い出した。
「まあね、僕もこの近くに住んでいるからね。こんなところでカメラマンや記者にうろちょろされたら迷惑なんだよ」 
 そう言いながら少年はまずは誠を、そして次は見比べるようにアイシャを頭の先からつま先まで観察すると大きなため息をついた。
「なによ、文句でもあるの?」 
 『オバサン』の一言がかなり頭にきたのか、アイシャが珍しくとげのある調子で少年を見下ろすようにつぶやいた。
「近隣住民の迷惑を考えない行動は公僕としては慎むべき……」
 そこまで言った少年だが、すぐに彼の言葉は口の中に飲み込まれた。さすがのアイシャも子供にここまで言われてつい右手を振り上げていた。 
「小難しいことばかり言う子供ね!」 
 そう言って手を上げようとするアイシャを止める誠。確かにこの少年の言葉は神経を逆撫でするようなことばかりだった。だが、この目つきやしゃべり方がいつも聞いている誰かの言葉だったと思って考えてみた。
 誰だかわからないがとにかくあまり好意を持てる人物でないことだけは確かで、誠もいつの間にかこぶしを固めている自分に気づいた。
「じゃあ、僕は帰るからね」 
 そう言うと少年はそのまま振り向きもせずに歩き始めた。
「もう二度と来ないでね!」 
 アイシャの叫び声を聞きつけると、少年は振り向いて中指を立てて見せるとそのまま小道に身を躍らせて二人の視界から消えた。
 走り去る少年の後姿。誠とアイシャは非常に近しい誰かの面影を見ている自分自身に気づいていた。
「ちょっと、誠ちゃん」 
 そう言うとアイシャは今度はそのまま寮に誠を引きずっていく。
「おお、いねえな。文屋さん」 
 目をこすりながら玄関に立っている要を見て、誠とアイシャは思わず指差していた。
「要ちゃん!」 
 アイシャはそのまま要にパンチをしようとした。当然のことだが、戦闘用に機械化された要の体はアイシャの一撃など軽く受け止め、そのまま腕をねじりあげる体勢に持ち込んでいた。
「いきなり何しやがんだ!」 
 さすがに誠も明らかにトリッキーすぎるアイシャの行動に苦笑いを浮かべながら先ほどから頭にこびりついている疑問を要にぶつけることにした。
「西園寺さんの親戚に8歳くらいの男の子っていますか?」 
 誠の言葉に首をひねる要。彼女は首をかしげながらさらにアイシャの肩の関節を締め上げる。
「ちょっ!たんま!やめ!」 
 ばたばたとあいた左手で要を叩くアイシャ。要はそのままアイシャを離すと再び熟考を続けた。
「親父の系統じゃあいねえなあ。だけどお袋の系統だと……こっちもいるとしたら叔父貴の腹違いの弟ってことになるけど……ここらに住んでるなんて聞いたことねえよ。それにしてもなんでそんなこと聞くんだ?」 
 あの少年が要くらいの立派なタレ目だったら確実にわかるのにと思いながら愛想笑いを浮かべる誠。もしそんなことを口に出せば、先ほどのアイシャの比ではない制裁が加えられることは間違いなかった。
「西園寺の親戚は胡州や遼南の貴族ばかりだからこいつに聞かなくてもネットで調べればわかるんじゃないか?」 
 要から開放されたアイシャを抱き起こしながらカウラがそう言った。
「じゃあ、あれ……隊長の腹違いの弟とか」 
 アイシャはようやく息を整えるとそう言った。誠もその言葉に納得した。保安隊隊長嵯峨惟基の父、ムジャンタ・ムスガ、贈り名、兼陽帝は息子のラスコーを追い落として帝位につくや否や酒色におぼれ政治を放り出した愚帝だった。彼は次々と女官達に手をつけ、その数は二百人とも言われる子供をなした。保安隊の次期管理部の部長に内定している高梨渉参事などもそんなムスガの子供達の一人だった。
「それならなんとなく納得いきますね……でも西園寺さんも知らないんですか?」
「まあな。叔父貴も全員は知らねえって言ってたからな。まあいてもおかしくはねえな」 
 誠もアイシャの言葉に頷いた。あのふてぶてしい態度。明らかに人を馬鹿にしたような視線。敬意のかけらも感じられない言葉遣い。
「まあ……実は叔父貴の兄弟のことまで詳しくははアタシは知らねえんだ」 
 そう言うと興味をなくしたと言うように自分の部屋に戻っていく要。
「隊長の弟か。なんでそんな人物がここに居るんだ?」 
 不思議そうに誠を見つめるカウラ。誠も少年がなぜアイシャを追っている記者を追い返したのかと言う疑問を解決できずに、とりあえずこのことは後で考えようと心に決めて寮に足を踏み入れる。
「誠ちゃん。足は洗おうね」 
 アイシャはそう言うと手を差し伸べるカウラを置いて二階へあがる階段に足を向けた。誠は仕方なくサンダルを手に入り口のそばの水道の蛇口に向かって歩き出した。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 28

 胡州帝国の象徴とも言える金鵜殿(きんうでん)。その首都帝都の中央に鎮座する数千ヘクタールと言う巨大な庭園付きの宮殿こそが胡州の意思決定機関である『殿上会』の舞台であった。マスコミのフラッシュが焚かれる中、西園寺基義首相兼四大公家筆頭をはじめとする『殿上人』達が次々とその漆で塗り固められた門を高級車に乗ってくぐる。
 そんな光景を傍目に、嵯峨惟基は黒い公家装束に木靴と言う平安絵巻のような姿で手にタバコと灰皿代わりの缶コーヒーを手に通用門そばの喫煙所でタバコをくゆらせていた。そこに一人の胡州陸軍の将官の制服を着込んだ男が近づいていた。
 その鋭い視線の壮年の男は、礼装に着替え終えている嵯峨に大げさに頭を下げた。
「醍醐さん。もうあなたは私の被官じゃないんだから……」 
 そう言いながら嵯峨は手にした安タバコを転がした。いつもならその醍醐文隆陸軍大臣は表情を緩めるはずだったが、嵯峨の前にある顔はその非常に複雑な心境を表していた。
「確かに法としてはそうかも知れませんが、主家は主家。被官は被官。分際を知ると言うことは一つの美徳だと思いますがね」 
 醍醐の口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。
「なるほど。赤松や高倉が嫌な顔していたわけだ。つまり今度のバルキスタンでの国家憲兵隊とアメリカ陸軍非正規部隊の合同作戦の指示はそれくらい上からの意向で動いてるってことですか……」 
 そう言うと、嵯峨はタバコの灰を空になった缶コーヒーの中に落す。
「近藤資金。胡州軍が持っていたバルキスタンの麻薬や非正規ルートを流れるレアメタルの権益を掌握する。なんでこの作戦に同盟司法局が反対するのか私には理解できないんですが」 
 そう言うと醍醐は手を差し出した。仕方が無いと言うように嵯峨は安タバコを醍醐に一本渡す。
「別に私はエミール・カント将軍に頼まれたわけじゃないんですがね。むしろ同盟議会の知らないところで話が進んでたのなら口を挟む義理も感じなかったでしょうがね」 
 嵯峨はそう言い切ると静かにタバコをふかす。二人の見ている先では、初めての殿上会への参加と言うことになる嵯峨の次女、楓が武家装束で古い型の高級車から降りようとしているところにSPが立ち会っているところだった。
「彼女達に腐った胡州を渡すつもりは無いはずですよ、あなたは」 
 そう言って笑ってみせる醍醐だが、嵯峨はまるで関心が無いというようにタバコをもみ消して缶の中に入れると再び新しいタバコを取り出して火をつける。
「別にカント将軍がどうなろうが知ったことじゃねえんですよ、うちとしては。磔(はりつけ)だろうがさらし首だろうが好きなように料理していただいて結構、気の済むまでいたぶってもらっても心を痛める義理も無い。だが、二つだけどうにも譲れないことがあって今回の作戦には賛同できないんですよねえ」 
 嵯峨の目がいつもの濁った目から鋭い狩人の目に変わった。そこに目を付けた醍醐は静かに、穏やかに、一語一語確かめるように口を開いた。
「アメリカ軍の介入と現在行われているバルキスタンの総選挙が成立するかどうか・・・と言うことですか」 
 嵯峨はまるで反応する気配が無かった。醍醐は嵯峨家の家臣としてこれまでも嵯峨の様子を見てきたと言う自信があった。だが今、醍醐の前にいる嵯峨はそれまでの嵯峨とは明らかに違う人物のように感じられた。
 残忍で、冷酷で、容赦の無い。かつて嵯峨惟基という男が内部分裂の危機を迎えた遼南帝国に派遣されて『人斬り新三』と呼ばれた非情な憲兵隊長だったと言う事実が頭をよぎる。そして死んだ目つきが醍醐に突き刺さった。
「同盟司法局が取っている対抗措置、どこまで把握してるか教えていただけますかね。情報のバーター取引。悪い話じゃねえと思いますが」 
 そう言って口元だけで笑う嵯峨の姿に醍醐は恐怖さえ感じていた。
 醍醐は沈黙した。いくつかの胡州陸軍情報部貴下の潜入部隊からのデータを手にはしていたが、その多くは嵯峨が胡州と米軍の展開しようとしている作戦の妨害に本気で動き出していると言う事実を示すものばかりだった。
「まず言いだしっぺと言うことで。司法局じゃあすでに機動隊が動いて三人の現役の胡州陸軍の士官の身柄を確保していますよ」 
 嵯峨の言葉は醍醐が作戦立案の責任者だった彼の腹心高倉大佐からの報告と一致していた。
「付け加えるとそちらには米軍からは話は行ってないと思いますが、バルキスタンアメリカ大使館付きの将校がバルキスタンのイスラム系武装組織に拉致されたのを取り返したのも俺の直下の連中の芸当でね……まあ私の同僚のお手柄と言うところですか……」 
 天井に向けて吐き出される煙。それを見ながら醍醐も久しぶりのタバコの煙を肺に吸い込む。手にしたタバコの先の震え感じた醍醐。その視線の先には相変わらず殺気を放つ嵯峨の瞳があった。確かにすでに司法局の特務機関の隊長である安城秀美少佐の部隊が動いていることは醍醐も把握していた事実だった。
「だが、我々としては引くわけには行かない。その事情もわかってほしいものですね」 
 そう言った醍醐の額には汗がにじんでいた。
 譲歩をする余地はお互い無いことはわかっていた。バルキスタンでのエミール・カント将軍の略取作戦が急がれる理由くらい嵯峨が読めないわけが無いことは醍醐も知っていた。
 先の敗戦からの復興は進んだとはいえ胡州の経済は決して健全なレベルに到達してはいなかった。敗戦により、胡州のアメリカを中心とした地球諸国の資産凍結はいまだに続いていた。和平会議の結果発効しているアントワープ条約の敵国条項により、貿易・技術・学術研究などの分野での協力停止措置によるダメージは、復興を続ける胡州経済の足かせになってきていた。
 そして来週には行われるアメリカの中間選挙。胡州の首を真綿で絞めるような資産凍結処置の延長を掲げる野党の躍進が確実視されている以上、現政権の強力なリーダーシップが発揮されている今こそバルキスタン問題と近藤資金と言う二つの負の遺産を清算するには最適な時期と言えた。東和と胡州を経て地球権に流れる麻薬や非正規ルートのレアメタル。それが地球でも犯罪組織やテロ組織、そして彼等の援助を受けている失敗国家の存立を助けていることは誰もが知っている話だった。その大元であるエミール・カント将軍の身柄の確保とそれに連なる近藤資金の関係者の一斉摘発を敵国条項の解除の条件として地球が水面下で提示してきている事実がある限り醍醐も妥協は出来なかった。
 敵国条項の解除による胡州の復興は同盟の利益となる。それが嵯峨の兄、西園寺基義首相の今回の作戦を提案した醍醐に言った言葉だった。だが、それが同盟司法局に対する越権行為になることは承知の上だった。自国の犯罪者を自国で処分する。同盟規約にもある不干渉ルールをいち早く打ち出して同盟の設立を成し遂げた嵯峨が地球へのカント将軍尾拉致を許すはずもなく、独自ルートで妨害工作を始めるだろうと言うことも予想していた。
「まあ、これが組織って奴なのかも知れませんねえ。お互い信じる正義を曲げるつもりはさらさらないと……」 
 そう言いながら再び嵯峨はタバコの煙を大きく肺に取り入れる。
「文隆!」 
 突然の声の主に醍醐は驚いたように振り向いた。醍醐文隆一代公爵の兄に当たる、地下佐賀家の当主佐賀高家侯爵が紫色の武家装束で通用口から顔を出していた。彼ははじめは弟、醍醐の顔を見つめていたが、その話し相手が嵯峨だとわかるとその笑顔が引きつって見えた。
 弟と同じ嵯峨家の被官という立場だが、佐賀高家の立場は複雑だった。
 嵯峨家は60年前に当主が跡継ぎを残さず死去。その家格と2億の領民を抱える領邦のコロニー群は四大公筆頭である西園寺家に預けられた。分家である佐賀家。特に現当主佐賀高家は殿上嵯峨家の家督にこだわった。その財力と四大公の家格は胡州ばかりでなく地球までも影響を持ちえる権力を手にすることを意味する。
 だが、西園寺家はこの要求を黙殺した。先代の当主西園寺重基は三男西園寺新三郎の妻の死で残された子供である茜と楓の安全を図ると言う目的で嵯峨惟基の名でその家名を継がせた。このことは佐賀高家にとっては屈辱でしかなかった。
 敗戦後、西園寺家現当主、基義が貴族の特権の廃絶を目指す政治活動を開始すると佐賀高家は主家と決別し、烏丸家を中心とする貴族主義的なグループの一人として活動を開始した。そうして佐賀高家はいわゆる『官派』と呼ばれる勢力の一員として西園寺家の『民派』との対立の構図にはまり込むこととなった。
 その対立は『官派の乱』と呼ばれたたった一月あまりの内戦で終わった。決起した官派は決戦に敗れて武装解除させられた。そして嵯峨惟基は被官である佐賀高家に切腹を命じた。腹違いの弟である醍醐文隆の助命嘆願で何とか首と胴がつながっていたが、そのれからは土下座をした主君嵯峨惟基を見る目はどうしても卑屈なものになるのを佐賀高家は感じていた。
「兄上。それでは失礼しましょう」 
 そんな弟、醍醐文隆の言葉が遠くに聞こえるのを佐賀高家は感じていた。殿上嵯峨家と地下佐賀家。かつてその差を越えられると信じていた時代があったことがまるで嘘のように佐賀高家は感じていた。嵯峨惟基。彼は揚げ足を取ろうと狙っている佐賀高家から見ても優秀な領邦領主であり、政治の場における発言力、そして最後の決断においても恐ろしい敵であった。
 弟の冴えない表情を見て、彼は弟とこの敵に回せばただで済むことが考えられない主君の間に険悪な雰囲気が漂っていることにただならぬ恐怖を感じていた。
「文隆、来い」 
 そう言って佐賀高家は弟を引っ張って建物の中に消えた。嵯峨は黙って缶コーヒーの缶に吸い終えたタバコを入れてそのまま道に置いて建物の中に入った。
 ひんやりとした空気が水干を着込んだ嵯峨の体を包む。建物の中庭には枯山水が見える。廊下の角に立っていたSPが嵯峨が室内に入ってきたのを確認すると崩れかけた直立不動の姿勢を正した。
 そのまま嵯峨は一人で金鵜殿の禁殿に向かう廊下を歩き始めた。雑音も無く沈黙した空気の中、こうして禁殿に向かうことは実は嵯峨は一度も経験したことが無かった。
 嵯峨家は本来年に一度のこの金鵄殿での殿上会に参加することが義務付けられている四大公家の当主である。だが、彼は当主になってすぐに軍務で遼南に向かい、そのまま遼北の捕虜となった後は政治取引でアメリカ陸軍に引き渡された。三年後ネバダの砂漠から帰還した嵯峨は殿上会に所在の確認などを届け出ることもせず、双子の娘の姉、嵯峨茜を連れて東和に去ってしまった。
 そんな自分と無縁の晴れ舞台。嵯峨の視線の先にあるのは太刀持ちに副官である渡辺かなめを引き連れて静々と歩いているのは彼の次女、嵯峨楓の凛々しい姿だった。嵯峨は娘のその姿に思い出がよみがえるのを感じていた。
 嵯峨惟基が、まだ西園寺家の部屋住みの時代。兄、基義に無理やり連れ出されて出かけた成金貴族のパーティーで出会ったゲルパルト貴族の娘。そんな嵯峨楓の母、そして嵯峨の最愛の妻であったエリーゼ・フォン・シュトルンベルグの面影が、どこと無くぎこちなく廊下を歩み続ける娘の中に見て取れた。
「柄じゃあねえんだけどな」 
 誰に言うと言うわけでもなく、嵯峨の口から自然と漏れた言葉。そして嵯峨は自分の瞳から涙がこぼれていることに気がついた。
 一瞬、楓の視線が嵯峨に注がれる。うろたえ、自然と顔に赤みが差すのを自覚する嵯峨。それでもすぐに楓は視線をまっすぐと向けて静々と歩き続ける。狂気と暴力が支配したかつての胡州。その政治闘争の見せた武力的側面のテロが嵯峨から妻を奪い、楓から母を奪った。その事実は変えられないことは嵯峨もわかっていた。そしてそんな世界でしか生きられない自分のことも。
 嵯峨はそのまましばらく目頭を抑えたまま、渡辺かなめの後に続いて禁殿へと足を向けた。
 廊下は果てしなく続いた。
 嵯峨もこの建物の内部についてはほとんど知識が無かった。ただ娘を先導する女官についていくだけ。そして自分の目の前で彼から見ても凛々しく見える娘の姿に再び涙が出るのを堪えての歩みは重いものだった。幸い嵯峨の控え室に当たるである茶臼の間に至るまで誰一人として殿上会に出る公卿達とすれ違うことは無かった。
 静かに部屋の前に立っていた女官が正座をしてゆるゆると襖を開いた。部屋に入ろうとした楓が立ち止まったのを見て、嵯峨はそのまま部屋を覗き込んだ。
 五十畳はあろうと言う嵯峨家のためだけにあるはずの『茶臼の間』には先客がいた。
「遅いな、新三郎」 
 そう言って扇子で嵯峨を指していたのは公家姿の礼装を見に纏った兄、西園寺基義だった。
「ご無沙汰しております。伯父上」 
 そう言うとそのまま部屋の中央で座っている伯父の前へと歩み出る楓。嵯峨もその後をついて部屋に入って中の様子をうかがった。
 壁には金箔を豪勢に使った洛中図が描かれ、黒い柱は鈍い漆の輝きを放っている。正直、嵯峨はこのような場所にこれまで足を踏み入れなかった自分の決断が正しかったと思い、皮肉めいた笑みを浮かべながら西園寺基義の正面に座った。
「そこはお前の場所ではないんじゃないか?」 
 そう言う兄の声に気づいたように嵯峨は三歩後ずさった。そして楓は空気を察したように伯父の正面に腰を下ろした。
「この度の家督相続。祝着である」 
 その西園寺基義の一言を聞いた屏風の後ろに控えていた白い直垂の下官が三宝に乗せた杯と酒を運んでくる。その様子を見て、嵯峨はこれもまた家督相続の儀式であると言うことを初めて知った。戦中の嵯峨自身の家督相続はすべて書面だけで行われ、儀式をしようにも嵯峨の身柄は内乱の気配が漂う遼南の地にあってこのような舞台は用意されることも無かった。
 下官に注がれた杯を飲み干す西園寺基義。そして彼は静かにその杯を正面に座る姪の楓に差し出した。楓の手が震えているのが嵯峨の視点からも見て取れた。珍しく娘の成長した姿を親の気持ちで眺めている自分がいることに嵯峨は戸惑う。
 受けた杯を飲み干す楓。
「源朝臣(みなもとのあそん)。三位公爵に叙する」 
「ありがたくお受けいたします」 
 西園寺基義の言葉に拝礼する楓。それを見ながらそのまま三方を持って部屋を出る下官。
 完全に下官達が去ったのを確認するように伸びをした後、基義は突然足を投げ出した。
「ああ、待たせるなよ。つい地がでるところだったじゃねえか!」 
 そう言いつつ手にした扇子を右手にばたばたと仰ぐ基義。嵯峨も兄の間延びした顔を見て足を投げ出す。
「これで新三郎はめでたく胡州の枷から外れたわけだ。しかし……」 
 基義の顔が緩んでいたのは一瞬のことだった。すぐに生臭い政治の世界の話が始まるだろうと嵯峨は覚悟を決めた。
「醍醐のとっつぁんの話なら無駄ですよ」 
 まだ緊張から固まったように座っている楓の肩を叩く嵯峨はそう言い切った。家督相続の儀式を半分終えた安心感から、大きくため息をついた彼女を見て嵯峨は少し自分を取り戻して兄の顔を見つめた。
「そうは言うがな。少しばかり話を聞いてくれないかね」 
 そう言いながら笑みを浮かべる兄を前にして仕方が無いと言うようにタバコを取り出す嵯峨。
「この部屋は禁煙だ」 
 そう言う西園寺基義に悲しげな目を向ける嵯峨。
「こいつは俺の代に作った法律なんだがな。まあ新三郎対策とでも言うべきかな?ヤニで汚れたら胡州の伝統が汚れるだろ?」 
 そう言いながらにやけた顔で見つめる西園寺基義。仕方なく嵯峨はタバコを仕舞う。
「僕は席をはずした方がいいですか?」 
 そう言う楓に嵯峨は首を横に振った。
「お前も一応、嵯峨家の当主だ。それなりの責任は果たす必要があるんじゃないか?」 
 そう言いながら西園寺基義は弟に向かい合って座りなおした。
「醍醐の気持ちも汲んでやってくれよ。あの人もそれなりに考えて今回のバルキスタンへの介入作戦を提案してきたんだからな」 
 兄の言葉に空々しさを感じて嵯峨は思わず薄ら笑いを漏らした。
「まあそうでしょうね。あの人が有能な官吏で軍人だって事は私も十分承知していますよ。確かにあの人の立場に俺がいたら……そう、今回の作戦と変わらない作戦を提案するでしょうから」 
『今回の作戦』と言う嵯峨の言葉に、西園寺基義は少し表情を強張らせた。
 基義は外交官の出身である。戦時中はゲルパルトとの同盟に罵詈雑言をマスコミで繰り返し官職を取り上げられ飼い殺しにされていた彼は、戦局が敗北の色を帯び始めた時点で講和会議のために再登用された。地球軍に多くのコロニーを占領され、死に体であった胡州だが、そんな中で西園寺が目をつけたのは戦争遂行能力に限界の見えてきた遼北人民共和国だった。
 素早く遼北の最高実力者、周喬夷首相を密かに訪れ電撃的な休戦協定を締結する方向に動く。遼北の停戦宣言で地球軍は胡州の首都、帝都のある第四惑星降下作戦発動のタイミングを失った。そして渋々講和のテーブルに付き戦争は終結へと向かった。その勲功により終戦を待たずして世を去った父重基を継ぐようにして政界へ西園寺基義を押し上げるきっかけを作った実績は誰も否定することが出来なかった。
 嵯峨が『今回の作戦』と言う言葉を使ったことが、醍醐陸相から首相である西園寺基義に受けている作戦要綱以上の情報を嵯峨が手に入れていると言う意味であることを基義は聞き逃すことは無かった。
「それなら今の立場。遼州同盟司法局の実力部隊の隊長としてはどう動くんだ?」 
 その言葉に嵯峨は思わず笑みを漏らしていた。
「それは醍醐さんにも話しときましたよ。実力司法組織として、でき得る最高レベルの妨害工作にでると。加盟国の独走を許せば同盟の意味が無くなりますからね」 
 西園寺基義の表情は変わらなかった。そして、そのまま楓へと視線を移す。
 伯父に見つめられた楓は首を横に振った。もとより西園寺基義は楓には嵯峨の説得が不可能なことはわかっていた。だが、とりあえず威圧をしておくことが次の言葉の意味を深くする為には必要だと感じていた。
「そうか。なら同盟の妨害工作が動き出すと。その命令はどのレベルからの指示だか教えてもらいたいな」 
 胡州も遼州星系同盟機構の構成国家である。比較的緩い政治的結合により地球圏からの独立を確保する。その目的で成立した同盟機構には超国家的な権限は存在しない。そのことを言葉の裏に意識しながら西園寺基義は血のつながらない弟に詰め寄った。
「同盟機構の最高レベル。そう言うことにしておきますかね」 
 嵯峨のその言葉は西園寺基義の予想の中の言葉だった。しかし、それは最悪に近い答えだった。
 この胡州帝国は帝国とは名ばかりの皇帝の存在しない帝国だった。遼州独立戦争。この星系に棄民同然に送られた人々と、先住民族『リャオ族』の同盟が地球の支配に反抗して始まった戦争で胡州の祖先達は独立派の中で数少ない正規部隊として活躍し、『リャオ族』の巫女であったムジャンタ・カオラと言うカリスマを引き立てることで独立を手に入れることになった。
 当時の遼州の各国家の意識はどれも国家意識と呼べるようなものではなく、独立の象徴として祭り上げられたムジャンタ・カオラを皇帝として元首に据えることを胡州は選んだ。
 しかし、初代皇帝カオラの消息が消えると、事実上胡州はムジャンタ王朝の領土である崑崙大陸と決別し『皇帝不在の帝国』として今度は遼州内国家でのパワーゲームの一つの極をなす国家となった。
 そしてその空位の皇帝の座の前で行われる今日の殿上会。
 にやりとその意味を悟って笑う弟の姿に西園寺基義は背筋の凍る思いがした。
「それじゃあ、失礼するよ。ああ、そうだった康子が帰りには必ずうちに寄るようにって言ってたぞ」 
 そう言って立ち上がる西園寺基義。基義は兄の言葉に次第に青ざめていく弟を見ながら茶臼の間を後にした。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 27

 目が合った二人が頭を掻きながら扉を開く。だがそれだけではなかった。
「見つかっちゃったね!」 
 そう言いながらいつものように猫耳をつけたまま店に入ってくるシャム。そして彼女に手をとられて引きずり出される吉田。
「ストーキング技術が落ちたみてーだな。ちょっとCQB訓練でもやったほうがいいんじゃねーのか?」 
 子供服を着ているランが肩で風を切って入ってくるなり誠の隣に座った。あまりに自然なランの動きに呆然と見守るしかなかった要とカウラだが、ようやく誠の隣の席を奪われたことに気づいて、仕方がないというようにシャムと吉田が座った四人掛けのテーブルに腰を落ち着ける。
「ずいぶん友達がいるんだね。大歓迎だよ」 
 そう言いながら水の入ったコップを配るマスター。
「パフェ無いんだ」 
 メニューを見ながら落ち込んだように話すシャム。
「お嬢さんは甘いのが好きなんだね。まあうちはコーヒーとケーキだけの店だから」 
 淡々と話すマスター。彼はそのまま手元のカップにアイシャと誠のコーヒーを注いだ。
「ココアもねーんだな」 
 そう言いながら顔をしかめるラン。アイシャはにんまりと笑顔を浮かべながらランを見つめている。
「なんだよ!アタシの顔になんか付いてんのか?」 
「ああ、鬼の教導官殿は味覚がお子様のようですねえ」 
 シャムの隣の席に追いやられた腹いせに要がつぶやいた。すぐさまランは殺気を帯びた視線を要に送る。
『なんだよ、これじゃあぜんぜん気分転換に……』 
 そう思いながら誠はアイシャを見つめた。そこにはコーヒーの満たされたカップを満足そうに眺めているアイシャがいた。まず、何も入れずにアイシャはカップの中のコーヒーの香りを嗅いだ。
「ちょっとこの前のより香りが濃いわね」 
 そう言うと一口コーヒーを口に含む。
「わかるかい、できるだけ遼州の豆で味が保てるか実験してみたんだけど」 
「ええ、以前よりいい感じよ」 
 そう言うとアイシャは手元のミルクを少しだけカップに注いだ。誠もそれに習って少しだけミルクを注ぐ。カップの中ではミルクが白い螺旋を描いた。
「じゃあ俺もアイシャと同じブレンドで」 
 吉田がそう言いながら隣でじっとメニューとにらめっこしているシャムを見つめる。
「アタシ等もおなじでいいよな」 
 そんな要の言葉に頷くカウラ。
「じゃあ、アタシもそれで」 
 諦めたようにランがそう言った。少し、うつむき加減なのはこの前のビールと一緒でほとんどコーヒーを飲んだことが無いからなのだろうと誠はランを見ていた。
「いいわよ。私も同じのにする!」 
 シャムは明らかに不機嫌そうにそう言った。
「わかりました」 
 そう言うとマスターは忙しげに手元のカップを並べていく。
「いつから気づいていた?」 
 吉田がそう言ったので誠は少し驚いていた。考えてみれば彼等がついてこないわけは無いことは誠にも理解できた。保安隊とはそう言うところだと学習するには四ヶ月と言う時間は十分だった。愛想笑いを浮かべる要達を眺める誠。配属以降、誠が気づいたことと言えば保安隊の面々は基本的にはお人よしだと言うことだった。
 アイシャが悩んでいると聞けば気になる。ついている誠が頼りにならないとなれば仕事を誰かに押し付けてでもついてくる。
「まあ……どうせお姉さんの車に探知機でもつけてるんじゃないですか?情報統括担当の少佐殿」 
 そう言ってアイシャはシャムの手に握られた猫耳を押し付けられそうになっている吉田に声をかける。
「でも実際はあいつ等がアホだから見つかったんだろ?」 
 ランはそう言って要とカウラを指差した。
「まあ、そうですね。あの二人がいつ突っかかってくるかと楽しみにしてましたから」 
 余裕の笑みと色気のある流し目。要もカウラもそんなアイシャにただ頭を掻きながら照れるしかなかった。
「で、結論は出たんか?野球の話の」 
 そう言ってアイシャを見つめるラン。子供の体型の割りに鋭いその視線がアイシャを捕らえる。
「まあ、ある程度は」 
 そう言うとアイシャは静かにコーヒーを口に含んだ。誠もまねをしてコーヒーを一口飲む。確かにこれは価値のあるコーヒーだ。そう思いながら口の中の苦味を堪能していた。
「実際どうなんだろうねえ。今回の法術問題。ドーピングやサイボーグ化とはかなり問題が異質だからな」 
 そう言いながら水を飲む要。その隣では吉田がついに諦めて自分から猫耳をつけることにした。
「何やってるんですか?」 
 カウラは思わずそんな吉田に声をかけた。
「えーと。猫耳」 
 他に言うことが思いつかなかったのか吉田のその言葉に店の中に重苦しい雰囲気が漂う。
「オメー等帰れ!いいから帰れ」 
 呆れてランがそう言ったのでとりあえず静かにしようと吉田はシャムに猫耳を返した。
「話はまとまったのかな?」 
 そう言うとにこやかに笑うマスターがランの前にコーヒーの入ったカップを置いた。
「香りは好きなんだよな。アタシも」 
 そう言うとランはカップに鼻を近づける。
「良い香りだよね!」 
 シャムはそう言って満面の笑みで吉田を見つめた。
「まあな」 
 そう言うと吉田はブラックのままコーヒーを飲み始めた。
「少しは味と香りを楽しめよ」 
 要は静かに目の前に漂う湯気を軽くあおって香りを引き寄せる。隣のカウラはミルクを注ぎ、グラニュー糖を軽く一匙コーヒーに注いでカップをかき回していた。
 恐る恐る口にコーヒーを含むラン。次の瞬間その表情が柔らかくなった。
「うめー!」 
 その一言にマスターの表情が緩む。
「中佐殿は飲まず嫌いをしていたんですね」 
 そう言って面白そうにランの顔を覗き込むアイシャ。
「別にいいだろうが!」 
 そう言いながら静かにコーヒーを飲むランにマスターは気がついたというように手元からケーキを取り出した。
「サービスですよ」 
 そう言って笑うマスター。
「これはすいませんねえ。良いんですか?」 
「ええ、うちのコーヒーを気に入ってくれたんですから」 
 そう言って笑うマスターにランは、受け取ったケーキに早速取り掛かった。
「あーずるい!」 
「頼めば良いだろ?」 
 叫ぶシャムを迷惑そうに見ながら手元のケーキ類のメニューを渡す要。
「なんだ、ケーキもあるじゃん」 
 そう言いながら吉田はシャムとケーキのメニューを見回し始めた。
「それにしてもアイシャさん。本当に軍人さんだったんですね」 
「軍籍はあるけど、身分としては司法機関要員ね……あの保安隊の隊員ですから」 
「そーだな。一応、司法執行機関扱いだからな……つまり警察官?」 
 そう言いながらケーキと格闘するランはやはり見た通りの8歳前後の少女に見えた。
「チョコケーキ!」 
「あのなあ、叫ばなくてもいいだろ?俺はマロンで」 
 吉田とシャムの注文に相好を崩すマスター。
「何しに来たんだよ、オメエ等」 
「いいじゃないか別に。私はチーズケーキ」 
 要を放置してケーキを注文するカウラ。誠は苦笑いを浮かべながらアイシャを見つめた。コーヒーを飲みながら、動かした視線の中に誠を見つけたアイシャはにこりと笑った。その姿に思わず誠は目をそらして、言い訳をするように自分のカップの中のコーヒーを口に注ぎ込んだ。
「でも意外だよな、アイシャがこんな雰囲気のいい喫茶店に出入りしているなんてよ」 
 そう言いながら周りの調度品を眺める要。胡州四大公家の筆頭、西園寺家の嫡子である要から見てもこれだけのこだわりのあるアンティークを並べた店は珍しいように見えるらしく、時々立ち上がってはそれぞれの品物の暖かく輝く表面を触っている。
「なによ、要ちゃんも実は行きつけのバーがあるって……」 
「おい、アイシャ。それ以上しゃべるんじゃねえぞ!」 
 要はそう言うとコーヒーに手を伸ばした。
「ああ、あのイワノフとかが行ってる店か?」 
「確かにあそこは神前が行ったら大変なことになるからな」 
 カウラと吉田が頷く。誠とシャムは取り残されたように要を見つめた。
「馬鹿、コイツを連れて行かねえのは飲み方知らねえからだよ!なあ神前!」 
 そう言う要の言葉に誠はただ頷くしかなかった。誠は自分でも酒を飲めば意識が飛ぶと言う習性を思い出して苦笑いをする。
「じゃあ、アタシは連れてってくれないの?」 
「ガキは出入り禁止だ」 
 突然声を出したシャムに向かってそう言うと要はコーヒーを飲み干した。マスターが吉田達に切り分けたケーキを運んでいく。
「そう言えば明日か?殿上会(でんじょうえ)は」 
 要の言葉で全員が現実に引き戻された。遼州星系の最大の軍事力を誇る胡州帝国の最高意思決定機関である殿上会。庶民院と貴族院を通過した法案のうちの重要案件の許諾を行うその機関の動きは、誠達保安隊の隊員にとっては大きな意味を成すことだった。今回の殿上会の議題にも遼州同盟機構への協力の強化、特に西モスレムに用意される軍事組織への協力の是非がかけられることになっていた。
「しつこいようだけどあんたはいいの?一応、四大公家の嫡子じゃないの」 
 そう言って流し目を送るアイシャ。妙に色気のある瞳に要はうろたえながら言葉を継いだ。
「何度も言わせるなよ馬鹿。あそこは四大公、平公爵、一代公爵、侯爵家までの出席だけが認められるからな。家督相続を受けていないアタシはお呼びじゃないんだ。それに水干直垂とか十二単なんか着込むんだぜ。柄じゃねえよ」 
 そう言い切る要だが、アイシャはさらに相好を崩して要を見つめる。
「そう言えば今回は嵯峨隊長の隠居が議題になってるわね。楓さんが跡を継ぐことになるんだけど……」 
 要は『嵯峨楓』の名前が出たところでびくりと体を動かした。
「頼むわ。楓の名前を出すな」 
 そう言ってうつむく要。マスターは不思議そうな顔をしているが、全員は要の気持ちがわからないわけではなかった。時々まったく空気を読まない要宛の大荷物を保安隊に送りつけてくる要に心奪われた女性。生まれついてのサディスト西園寺要に尽くすことに喜びを感じていると言うアイシャの発言でその人物像が極めて怪しい人物であると誠は思っていた。とりあえず楓の名前を聞いてからこめかみをひくつかせている要に遠慮して全員が言葉を飲み込んだことは正解だった。
 そんな中、一人この状況を知らない人物がいた。
「おい、西園寺。楓は今月中には保安隊に配属になるんだぞ」 
 ぼそりとつぶやいたランの一言。誠は周りを見回すと彼と同じく係わり合いになることを避けたいと言う表情のカウラやシャムの姿がそこにあった。
 思わず要は立ち上がっていた。
「落ち着けよ、西園寺」 
 カウラの一言でそのまま要は椅子に座った。誠はランの耳に口を寄せる。
『それはうちでは禁句なんですよ。要さんは嵯峨楓少佐が苦手なんで……』 
 そう言うと要の表情を見てすぐに合点が行ったというように静かにコーヒーをすするラン。
「別に気にするなよ」 
 言葉とは裏腹に低い声に殺意がこもっている要。誠は思わず乾いた笑いを浮かべた。
「まあいいじゃないですか!コーヒーおいしいなあ!アイシャさん本当にありがとうございます!」 
 うつろな誠の世辞。空気を察して要のテーブルに同席しているシャムと吉田はケーキをつつくのに集中し、カウラは意味も無くカチカチとテーブルを突いた。
「ああ、そう言えば皆さんの会計は……私は払わないわよ」 
 思い出したようにコーヒーを飲み終えたアイシャの言葉が福音にも聞こえた。
「なんだよ、けちだなあ」 
 要の意識がアイシャの誘導したとおり別の話題にすりかえられた。
「まあ、しかたないんじゃないか?俺等ただ尾行していただけだしな。すいません!こいつと俺のは一緒で!」 
 そう言うと吉田はケーキを貪り食っているシャムの頭を叩く。
「そうだな、私も自分の分は払うつもりだ」 
 静かにカウラが頷く。要は同調してくれることを願うようにランに目を向ける。
「なんならアタシが払ってやっても良かったのによー」 
「じゃあ、ちっちゃい隊長!アタシの……」 
「バーカ。全員のなら上官と言うことで払ってもやったが、西園寺だけの勘定をアタシが払う理由はねーだろ?それに人の気にしていることを平気で口にする馬鹿な部下を奢るほどアタシは心が広くねーんだ」 
 そんな言葉にうなだれながらポケットから財布を取り出す要。
「じゃあお勘定お願いします」 
 そう言うアイシャはすでにジーンズからカードを取り出して席をたっていた。
「今度は僕に払わせてくださいよ」 
 誠の言葉に首を振るアイシャ。気になって振り向いた誠の前には鋭く突き刺さる要とカウラの視線があった。
「ちゃんとアタシ等が出るまで待ってろよな!」 
 そう言ってコーヒーのカップを傾けるラン。一足先に店を出た誠。
 彼は奇妙な感覚に囚われた。
 何者かに見つめられているような感覚。そして虚脱感のようなもので力をこめることができない体。それが第三者の干渉空間の展開によるものだと気づいたのは、ランが厳しい表情で店の扉をすばやく開けて飛び出してきたのと同時だった。
「神前。オメーは下がってろ」 
 そう言ってランは子供用のようなウェストポーチから彼女の愛銃マカロフPMMを取り出した。周りの買い物客はランの手に握られた拳銃に叫び声をあげる。 
「保安隊です!危険が予想されます!できるだけ頭を低くして離れてください!」 
 部隊証を取り出して周りの人々に見せながら、誠も干渉空間を展開した。店の中のアイシャ達は警戒しながら外の様子を見守っている。シャムとカウラは丸腰だが、アイシャと要は拳銃を携帯しており、吉田の左腕には2.6mm口径のニードルガンが内蔵されている。
「あのパチンコ屋のある雑居ビルの屋上です!」 
 誠はその明らかにこれまで接触をもったことの無い種類の干渉空間を発生させている人物の位置をアイシャに伝えた。
「おう、こういうところでは感覚通信は危険だって習ってるんだな。良い事だ」 
 ランはそう言うと店から銃を構えて出てきたアイシャにいったん止まるように指示を出す。
「とりあえずアイシャ。テメーはシャムとカウラを連れて一般人の避難誘導の準備をしておけ。それと西園寺と吉田は現状の把握ができるまでこの場で待機。指示があるまで発砲はするな!」 
 そう言うとランは彼女の拳銃に驚いてブレーキを踏んだ軽トラックの前を疾走して敵対的な行動を示している法術師の確保に向かった。誠はいつでも干渉空間を複数展開できることを確認すると、先日嵯峨から受け取った銃、モーゼル・パラベラムを構えながら雑居ビルの階段を登ろうとするランの背中についた。
「的確な判断じゃねーか。まあ、もう少し状況を把握してくれる探知系の干渉空間をはじめに展開してくれたら楽だったんだがな!」 
 そう言ってランは銃を構えたまま開く扉から出てくる男に銃口を向ける。
 雀荘から出てきた近くの大学の学生らしい若い男はその銃口を見て驚きの声を上げた。だが、すぐにランが銃口を下げて階段を下りるように手を動かすと、すごすごと降りていった。
「どうだ?相手は動いてるか?」 
 ランはそう言うと階段を今度は三階に向けて駆け上っていく。
「感覚的にはそう言う感じはしないですね。しかし、この空間制御力は……相当な使い手ですよ」 
 そう言いながらランの後ろにぴったりとついて誠も階段を上る。ランも超一流の法術師であることは初対面の時にわかっていた。しかし、ランは一切力を使うそぶりも見せない。
 法術師同士の戦いでは力を先に使った者が圧倒的に不利になる。初動の法術は往々にして制御能力ギリギリの臨界点で発動してしまうことが多いため、最初の展開で術者の能力は把握されてしまうのが大半のケースだとその専門家のヨハンから聞いた言葉が頭をよぎる。
 一応は遼南帝国の精鋭部隊『青銅騎士団』の団長であるシャムや保安隊に間借りしている法術特捜の主席捜査官、嵯峨茜警視正の法術訓練の成果がランの行動の意味を誠に教えていた。
「このまま一気に屋上のお客さんのところまで行くぞ!」 
 そう言うとランは銀色に輝く切削空間を作り出す。飛び込むランと誠。
 昼下がりの生暖かい日差しを目にすると誠はすぐに防御用の空間を展開した。
 しかし、目の前のランは銃を下ろしていた。誠もそれまで感じていた干渉空間とは違う感覚が誠を包んでいることを理解した。
「これは少し遅いのではなくて?」 
 そう言いながら手にした愛刀村正を鞘に収めていたのは、いつも誠に法術系戦闘術を伝授している嵯峨惟基の長女、茜だった。
「逃げたってことか?」 
 そう言いながら子供向けのポーチに拳銃をしまうラン。
「だとしたらいいですわね。こんな繁華街で破壊活動に出られたら私達は手も足も出ませんもの」 
 そう言いながら茜はぼんやりと手すりのない屋上から階下の道を眺めた。
『アイシャさん、解決しましたよ』 
『わかったわ。とりあえず所轄が来るまで現状の保全体勢に入るわね』 
『ったく、つまんねえなあ。この前みたいに暴れてくれたらよかったのによう』
 アイシャとの感覚交信に割り込んでくる要。
『あの海に行った時みたいなことはもうごめんですよ』 
 そう言って苦笑いを浮かべる誠を監視するように見つめる茜。
「あの海の法術師、北川公平容疑者程度ならよかったんですけれど……神前曹長。これを見ていただける?」 
 そう言って茜は彼女の立っている足元を指差した。防水加工をされたコンクリートの天井の灰色の塗料が黒く染まっている部分が目に入ってくる。
「焦げてるな。炎熱系か?だが確かにあの感覚は空間制御系の力だったぜ」 
 そう言いながら腕を組むラン。誠の知る限りでは炎熱系の使い手、保安隊管理部部長のアブドゥール・シャー・シン大尉を思い出したが、彼から炎熱系の法術は他の力との相性が悪いと言うことを聞かされていた。
「別系統の法術まで使いこなすとなるとかなり厄介ですわね。それに明らかに今回はまるで自分の存在を示すためだけにここに現れたみたいですし」 
 そう言いながら茜は首をひねっていた。
「デモンストレーションか。趣味のわりー奴だな」 
 そう言いながらランはポーチから端末を取り出し、現状の写真の撮影を開始した。
「でもこれでリアナお姉さまの気遣いが無駄になってしまいましたわね」 
 東和警察と同じ紺色の制服に黒い鞘の日本刀を差した姿の茜が襟元で切りそろえられた髪をなびかせながら下の騒ぎを眺めていた。誠はちらりとランの視線を浴びると頭を掻いた。すでにここを所轄する豊川署の警察官が到着して進入禁止のテープを引いていた。
「でも仕事が優先ですから」 
 誠の言葉に一瞬笑みを浮かべた茜は端末を取り出して所轄に現状の報告を始めた。
「おい、この状況。オメーはどう思うんだ?」 
 写真を撮り終えたランが誠を見上げる。その姿は何度見ても小学校に入るか入らないかと言う幼女のそれだった。
「狙いはやはり僕だったと思います。それも攻撃をする意図も無く、ただこちらに存在を知らしめることが目的のような気が……。そのために必要も無い炎熱系の法術を使用して自分の持つ力を誇示してみせた……」 
 そこまで誠が言ったところで呆れたような顔で首を振るラン。
「ちげーよ。オメーの言った事は士官候補生の答えじゃねーよ、それは。アタシが言いてーのはそこに立ってアタシ等に存在を誇示して見せた容疑者がどういう奴かってことだよ」 
 そう言うとランの視線が誠を射抜いた。誠はその目が別に誠を威圧しているわけではなく、ランの目つきがそう言うものなのだとようやくわかってきた。
「遼州同盟に反対するテロリストにしては何もしないで帰るというのが不思議ですし、国家規模の特殊部隊ならこのようなデモンストレーションは無意味でしか無い」 
 首をひねる誠にランは明らかにいらだっていた。
「じゃあ基本的なところから行くか。まず最近のテロ組織の傾向について言ってみろ」 
 その厳しい言葉はどう見ても子供にしか見えなくてもランが軍幹部であることを誠に思い出させた。
「近年はそれまでの自爆テロを中心とする単発的な活動から、組織的な自己の法術能力を生かした活動へと傾向が変わりました。近年の代表的テロでは先月、遼南南都租借港爆破事件があります。アメリカ海軍の物資調達担当中尉を買収して、食料品の名目で多量の爆発物を持ち込んだ上で軍施設職員として潜入していたシンパが爆薬の設置を行う。これは非法術系の作戦ですがおそらく他者の意識を読み取れる能力のある法術師が関与していた可能性は極めて高いです。直接的な法術系のテロは近藤事件以降は僕を襲ったあの件だけと言うのが最近の傾向です」 
 誠の言葉にランは黙って聞き入っていた。
「そうすると変じゃねーか?アタシも現場にいたからわかるけどこのの非合法法術使用事件は単独の法術師によるものなのはオメーも見てただろ?テロ組織にしたら虎の子の法術師をわざわざ身柄を拘束される可能性があるこんな街中でのデモンストレーションに使う意味がねーじゃん。するとテロ組織とは無関係の単独犯の行動?これほどの力の法術師が組織化が進む犯罪組織に目をつけられないはずはねーな」 
 そう言いながら頭を掻くラン。誠は少しばかり彼女の勿体つけた態度に苛立っていた。
「それなら誰がここに立っていたんですか!」 
 誠の語気が思わず強くなる。そんな誠に茜が肩に手を添えて言った。
「つまりクバルカ中佐はこうおっしゃりたいのよ。『既存のテロ集団とは違う命令系統のある法術師を多数要するテロ集団による犯行』とね」 
 誠は茜の穏やかな顔を見つめた。その瞳が少しばかりうれしそうに見えるのは、茜があの騒動屋の嵯峨惟基隊長の娘であると言う確かな証拠のように誠には見えた。
「あんまし甘やかさねーでくれよ。明石からの引継ぎが済んだらアタシの部下になるんだからよー」 
 そう言いながら苦笑いを浮かべるラン。それを一瞥した茜は再び階下の様子を伺うべく屋上から下を覗き込む。
「ああ、ラーナはもうすぐ……」 
「いいえ、下に着いてますわよ」 
 増援の機動隊に説明しているアイシャの姿が見える。盾を抱えて整列する隊員に吉田が雑談を仕掛けているが、アイシャの説明を受け終わった機動隊の隊長がそのまま部下を特殊装甲で覆われた大仰なバスに乗り込むように部下を指示していた。
「すいません!遅くなりました」 
 ランと比べれば大人っぽく見える感じのする浅黒い肌の元気娘、カルビナ・ラーナ捜査官補佐が所轄の警察官を引き連れて現れた。階段を急いで駆け上ってきたようで肩で息をしながら手を上げているランに駆け寄る。警察官達は手袋をはめながら誠とランを時折見上げて正体不明のテロリストが立っていたあたりの床を這うようにして調べ始める。
「クバルカ中佐。今後は私達が引き継ぎますので」 
 そう言って敬礼する茜とラーナ。誠はそれにこたえて敬礼するランにあわせてぎこちない敬礼をするとそのまま階段に続く扉に向かった。
「済まねーな。デートの途中で引っ張りまわしちまって」 
 ランは頭を掻きながら肩に僅かにかかる黒髪をなびかせて階段を下りていく。
「やっぱり僕も刀は携帯した方が良いですかね」 
 ポツリとつぶやいた誠の声にランは満面の笑みを浮かべて振り返った。
「それはやめてくれ。アタシの始末書が増えるからな」 
 その表情に誠はランが自分の法術制御能力を低く見ているのがわかって少し落ち込んだ。
「クバルカ中佐!とりあえず現場の指揮権は所轄と嵯峨主席捜査官に移譲しました!」 
 紺色のジャケットを羽織ったカウラが階段の途中で敬礼しながらランを迎える。
「じゃあ、これできっちり勤務外になったわけだなアタシ等は」 
 そう言ってにんまりと笑うラン。階段を下りながら雑居ビルの民間人に職務質問している所轄の警官を避けながら階段を下りていくラン。誠はその後に続く。パチンコ屋の入り口では革ジャンにライダーブーツのシャムが暇そうに警棒を持って配置されている警察官を眺めていた。
「じゃあ遊びに行こう!」 
 そう言うとちょこちょことシャムのところにまでかけていくと頭に載った猫耳を取り上げるラン。 
「ランちゃん!何するのよ!」 
「あのなあ……まあいいや。暇だしカラオケでも行くか?アタシがおごるぞ」 
 そう言って要やアイシャの顔を見るラン。
「まあ良いんじゃねえの?」 
「お仕事も終わったしねえ」 
 要もアイシャもランのおごると言う言葉に釣られる。それを聞いて笑顔になるランはそのまま立ち入り禁止のテープをくぐって歩き出した。
「そんな!茜さん達の捜査が……」 
 そう言った誠の口の前に手をかざすカウラ。
「これから先は彼女達の仕事だ。私達は英気を養う。これも仕事のうちだ」 
 吉田とカウラもランの後について歩き始めた。
「待ってくださいよ!」 
 誠はそのまま雑踏の中に彼を取り残して歩み去る上司達の背中を追った。


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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 26

「隊長は今頃何を食べてるんですかね?」 
 ハンバーガーチェーン店で大きめなハンバーガーを食べている誠。アイシャと誠が出かけたのはもうすでに昼飯時という時間だった。とりあえず豊川の中心部から少し離れた山沿いのこの店の駐車場に車を止めて二人でハンバーガーを食べている。
「しかし、私達だとどうしてこう言う食事しかひらめかないのかしら」 
 そう言ってポテトをつまむアイシャ。
 日ごろから給料をほとんど趣味のために使っている二人が、おいしいおしゃれな店を知っているわけも無い。それ以前に食事に金をかけると言う習慣そのものが二人には無かった。
「で、山にでも登るつもり?私は麓で待ってるから」 
「あの、それじゃあ何のためのデートか分からないじゃないですか」 
 アイシャの言葉に呆れて言葉を返す誠だが、その中の『デート』と言う言葉にアイシャはにやりと笑った。
「デートなんだ、これ」 
 そう言ってアイシャは目の前のハンバーガーを手に持った。
「じゃあこれは誠ちゃんの奢りにしてもらえる?」 
「あの、いや……」 
 焦る誠。彼も給料日まで一週間。その間にいくつかプラモデルとフィギュアの発売日があり、何点か予約も済ませてあるので予想外の出費は避けたいところだった。
「冗談よ。今日は私が奢ってあげる」 
 アイシャは涼しげな笑みを浮かべると手にしたハンバーガーを口にした。
「良いんですか?確か今月出るアニメの……」 
「誠ちゃん。そこはね、嘘でも『僕が払いますから!』とか言って見せるのが男の甲斐性でしょ?」 
 そう言われて誠はへこんだ。
「でもそこがかわいいんだけど」 
 小声でアイシャが言った言葉を聞き取れなかった誠。
「それにしてもこれからどうするの?山歩きとかは興味ないわよ私」 
 つい出てしまった本音をごまかすようにまくし立てるアイシャ。
「やっぱり映画とか……」 
 誠はそう言うが、二人の趣味に合うような映画はこの秋には公開されないことくらいは分かっていた。
「そうだ、ゲーセン行きましょうよ、ゲーセン」 
 どうせ良い案が誠から引き出せないことを知っているアイシャは、そう言うとハンバーガーの最後の一口を口の中に放り込んだ。
「ゲーセンですか……そう言えば最近UFOキャッチャーしかしていないような気が……」 
「じゃあ決まりね」 
 そう言うとアイシャはジュースの最後の一口を飲み干した。誠もトレーの上の紙を丸めてアイシャの食べ終わった紙の食器をまとめていく。
「気が利くじゃない誠ちゃん」 
 そう言うとアイシャと誠は立ち上がった。トレーを駆け寄ってきた店員に渡すと二人はそのまま店を出ることにした。
「ちょっと寒いわね」 
 アイシャの言葉に誠も頷いた。山から吹き降ろす北風はすでに秋が終わりつつあることを知らせていた。高速道路の白い線の向こう側には黄色く染まった山並みが見える。
「綺麗よね」 
 そう言いながらアイシャは誠に続いてリアナから借りた車に乗り込んだ。
「じゃあ、とりあえず豊川市街に戻りましょう」 
 アイシャの言葉に押されるように誠はそのまま車を発進させる。親子連れが目の前を横切る。歩道には大声で雑談を続けるジャージ姿で自転車をこぐ中学生達。
「はい、左はOK!」 
 そんなアイシャの言葉に誠はアクセルを踏んで右折した。
 平日である。周りには田園風景。誠も保安隊の農業を支えるシャムに知らされてはじめて知った大根畑とにんじん畑が一面に広がっている。豊川駅に向かう都道を走るのは産業廃棄物を積んだ大型トラックばかり。
「そう言えばゲーセンて?」 
 誠はそう言うと隣のアイシャを見つめた。
 紺色の長い髪が透き通るように白いアイシャの細い顔を飾っている。切れ長の眼とその上にある細く整えられた眉。彼女がかなりずぼらであることは誠も知っていたが、もって生まれた美しい姿の彼女に誠は心が動いた。人の手で創られた存在である彼女は、そのつくり手に美しいものとして作られたのかもしれない。そんなことを考えていたら、急に誠は心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
「ああ、南口のすずらん通りに大きいゲーセンあったわよね?」 
 アイシャがしばらく考え事をしていた結果がこれだった。それでこそアイシャだと思いながら誠はアクセルを吹かす。電気式の車の緩やかな加速を体験しながら誠は駐車場のことを考えた。
「南口ってことはマルヨですか?」 
「ああ、夏に水着買ったの思い出したわ。そう、マルヨの駐車場に停めてから行きましょう」 
 誠はアイシャの言葉に夏の海への小旅行を思い出していた。
『あの時は西園寺さんがのりのりだったんだよな……』 
 そう思い返す。そして今日二人を送り出したときの要の顔を思い出した。
「信号、変わったわよ」 
 アイシャの言葉で誠は現実に引き戻される。周りには住宅が立ち並び、畑は姿を消していた。車も小型の乗用車が多いのは買い物に出かける主婦達の活動時間に入ったからなのだろう。
「要ちゃん怒っているわよね」 
「え、アイシャさんも西園寺さんのこと……」 
 そう言いかけて誠に急に向き直ったアイシャ。眉をひそめて切れ長の目をさらに細めて誠をにらみつけてくる。
「も?今、私達はデート中なの。他の女の話はしないでよね」 
 そう言うと気が済んだというようににっこりと微笑むアイシャ。その笑顔が珍しく作為を感じないものに見えて誠は素直に笑い返すことができた。
 買い物に走る車達は中心部手前のの安売り店に吸い込まれていった。誠の周りを走るのはタクシーやバス。それに営業用の車と思われるものばかりになった。週末なら列ができているマルヨの駐車場に続く路側帯には駐車違反の車が並んでいた。
「結構空いてるわね」 
 誠がマルヨの立体駐車場に車を乗り入れているときアイシャがそうつぶやいた。
「時間が時間ですから」 
 そう答えると誠は急な立体駐車場の入り口から車を走らせる。すぐに空いている場所に車を頭から入れる。
「バックで入れた方がいいのに」 
 そう言いながらシートベルトをはずすアイシャ。誠はその言葉を無視してエンジンを止める。
「でもここに来るの久しぶりじゃないの?」 
「ああ、この前カウラさんと……」 
 そこまで言いかけて助手席から降りて車の天井越しに見つめてくる澄んだアイシャの表情に気づいて誠は言葉を飲み込んだ。
「ああ……じゃあ行きましょう!」 
 誠は苦し紛れにそう言うとマルヨの売り場に向かう通路を急いだ。アイシャは急に黙り込んで誠の後ろに続く。
「ねえ」 
 目の前の電化製品売り場に入るとアイシャが誠に声をかけた。恐る恐る振り向いた誠。
「腕ぐらい組まないの?」 
 そんなアイシャの声にどこと無く甘えるような響きを聞いた誠だが、周りの店員達の視線が気になってただ呆然と立ち尽くしていた。
「もう!いいわよ!」 
 そう言うとアイシャは強引に誠の左手に絡み付いてきた。明らかにその様子に嫉妬を感じていると言うように店員が一斉に目をそらす。アイシャの格好は派手ではなかったが、人造人間らしい整った面差しは垢抜けない紺色のコートを差し引いてあまる魅力をたたえていた。
「ほら、行きましょうよ!」 
 そう言ってアイシャはエスカレーターへと誠を引っ張っていく。そのまま一階に降り、名の知れたクレープ店の前のテーブルを囲んで、つれてきた子供が走り回るのを放置して雑談に集中していた主婦達の攻撃的な視線を受けながら誠達はマルヨを後にした。
「そう言えば……やっぱりやめましょう」 
 アイシャが隣のアニメショップが入ったビルを凝視した後そのままそのビルを通り過ぎて駅への一本道を誠を引っ張って歩く。だが明らかに未練があるようにちらちらとその看板を眺めるアイシャに誠は微笑を浮かべていた。道を行くOLはアイシャに好意的とは言いがたいような視線を送っている。誠にも仕事に疲れた新人サラリーマンと思しき人々からの痛々しい視線が突き刺さってくる。
「そっちじゃないわよ!誠ちゃん!」 
 そう言って駅に向かって直進しようとする誠を引っ張り大きなゲーセンのあるビルへと誠を誘導するアイシャ。パチンコ屋の前には路上に置かれた灰皿を囲んで談笑する原色のジャケットを着た若者がたむろしている。その敵意を含んだ視線を浴びる誠。
 哀願するようにアイシャを見る誠だったが、そんな彼の心を知っていてあえて無視すると言うようにアイシャは胸を誠に押し付けてきた。
「ここね」 
 そう言うとアイシャはそのままゲームセンターの自動ドアの前へと誠を引きずってきた。
 騒々しい機械音が響き渡るゲームセンターの中はほとんど人がいない状況だった。
 考えてみれば当然の話だった。もうすぐ期末試験の声が聞こえる高校生達の姿も無く、暇つぶしの営業マンが立ち寄るには時間が遅い。見受けられるのはどう見ても誠達より年上の男達が二次元格闘ゲームを占拠して対戦を続けているようすだけだった。
「誠ちゃん、あれはなあに?」 
 そう言ってアイシャが指差すのは東和空軍のシミュレータをスケールダウンした大型筐体の戦闘機アクションシミュレータだった。アイシャがそれが何かを知らないわけは無いと思いながら誠はアイシャを見つめた。明らかにいつものいたずらを考えているときの顔である。
「あれやるんですか?」 
 誠の顔が少し引きつる。大型筐体のゲームは高い。しかも誠もこれを一度プレーしたが、いつも保安隊で05式のシミュレータを使用している誠には明らかに違和感のある設定がなされていた。そして誠にとってこれが気に食わないのは、このゲームを以前やったとき、彼がCPU相手にほぼ瞬殺されたと言う事実が頭をよぎったからだった。
「お金なら大丈夫よ。こう見えても佐官だからお給料は誠ちゃんの1.8倍はもらってるんだから!」 
 そう言って誠をシミュレータの前に連れて行くアイシャ。そのまま何もせずに乗り込もうとするアイシャを引き止めて誠はゲームの説明が書かれたプレートを指して見せた。
「一応、この説明が書きを読んで……」 
「必要ないわよ。一応私も予備のパイロットなのよ!それに実はやったことあるのよ」 
 そう言って乗り込んだアイシャ。彼女は隣のマシンを誠に使えと指を指す。しかたなく乗り込んだ誠。すでにプリペイドカードでアイシャが入金を済ませたらしく設定画面が目の前にあった。
「これ凄いわね。05式もあるじゃないの」 
 インターフォン越しにアイシャの声が響く。アイシャはそのまま05式を選択。誠もこれに習うことにする。誠ははじめて知ったが、このマシンは他の系列店のマシンと接続しているようで次々とエントリー者の情報が画面に流れていく。
「はあ、世の中には暇な人もいるのね」 
 そう言いながらパルス動力システムのチェックを行うアイシャ。誠はこの時点でアイシャがこのゲームを相当やりこんでいることがわかってきた。05式の実機を操縦した経験を持つ誠だが、ゲームの設定と実際の性能にかなりの差があることはすぐに分かった。それ以上に実機と違うコンソールや操作レバーにいまひとつしっくりとしないと感じていた。
「エントリーする?それとも一戦目は傍観?」 
 そう言うアイシャの言葉がかなり明るい。それが誠のパイロット魂に火をつけた。
「大丈夫です、行けますよ」 
 誠はそう言ったが、実際額には脂汗が、そして手にもねっとりとした汗がにじむ感覚がある。
 エントリーが行われた。チーム訳はゲームセンターの場所を根拠にしているようで、32人のエントリー者は東と西に分けられた。誠とアイシャは東に振り分けられた。
「法術無しでどれだけできるか見せてよね」 
 アイシャの声が出動前の管制官の声をさえぎるようにして誠の耳に届いた。
『負けられない!』 
 へたれの自覚がある誠にも意地はある。撃墜スコアー7機。エースの末席にいる誠はスタートと同時に敵に突進して行った。
『誠ちゃん!それじゃあ駄目よ。まず様子を見てから……』 
 そんなアイシャの声が耳を掠める。敵はミサイルを発射していた。
 24世紀も終わりに近づく中、実戦においてミサイルの有効性はすでに失われていた。アンチショックパルスと呼ばれる敵の攻撃に対し高周波の波動エネルギーを放射してミサイル等を破壊する技術は、現在の最新鋭のアサルト・モジュールには標準装備となっている防御システムである。
 当然05式にも搭載されているそのシステムを利用して、一気に弾幕の突破を図る。
『へ?』
 初弾は防いだものの次弾が命中する、そして次々と誠の機体に降り注ぐ敵のミサイルはあっさりと05式の装甲を破壊した。
『はい、ゲームオーバー』 
 アイシャの声が響いた。
「これ!違うじゃないですか!ミサイル防御システムが……」 
『言い訳は無しよ。このゲームでは法術系のシステムだけじゃなくてアンチショックパルスシステムなんかも再現されてはいるけどゲームバランスの関係であまり使えないのよ』 
 そう言いながらレールガンを振り回し、敵機を次々と撃墜していくアイシャ。誠はそのままゲーム機のハッチを開けて外に出た。格闘ゲームに飽きたというようにギャラリーがアイシャの機体のモニターを映した大画面を見つめている。
 圧倒的だった。
 アイシャの機体の色がオリジナルと違うのを見て、誠はもう一度丁寧にゲーム機の説明を読んだ。そこには端末登録をすることである程度の撃墜スコアーの合計したポイントを使って機体の設定やカスタムが可能になると書いてある。
「やっぱりやりこんでるんだなあ」 
 敵の半分はすでにアイシャ一人の活躍で撃墜されていた。空気を読んだのかアイシャはそのまま友軍機のフォローにまわるほどの余裕を持っている。
 味方の集団を挟撃しようとする敵を警戒しつつ損傷を受けた味方を援護する。
「あの姉ちゃん凄いぜ」 
「また落したよ、いったいこれで何機目だ?」 
 小声でささやきあうギャラリー。誠はアイシャの活躍を複雑な表情で見つめていた。
 最後の一機がアイシャのレールガンの狙撃で撃墜されると、モニターにアイシャの写真が大写しにされる。
「すっげー美人じゃん」 
「女だったのかよ」 
 周りでざわめいて筐体から顔を出そうとするアイシャを見つめるギャラリー。
「はい!これが見本ね」 
 そう言ってゲーム機から降りたアイシャが誠の頭を軽く叩く。誠は周りを見回した。10人くらいのギャラリーが二人を見つめている。明らかにアイシャが誠とこのゲームセンターに一緒に来たと分かると悔しそうな顔で散っていく。
「もう一回やる?」 
 そう言うアイシャの得意げな顔を見ると、誠は静かに首を横に振った。
「じゃあ……って、ここのUFOキャッチャーは商品がちょっとせこいのよね。それじゃあ次はお気に入りの店を紹介するわね」 
 そう言うとアイシャは誠の手を引いて歩き出した。周りの羨望のまなざしに酔いしれる誠。上司と部下と言う関係だけならこんなことにはならない。そう思うと、誠の心臓の鼓動が早くなっていく。
 ベッドタウン東都豊川市のの大通り。平日と言うこともあり、ベビーカーを押す若い女性の姿が多く見られる。彼女達もアイシャを見ると、少し複雑な表情で道を開ける。
 紺色のコートの下にはデニム地のジャケットにジーパン。アイシャの格好は彼女らしく地味な選択だと言うのに、誠の手を引いて歩く彼女の姿は明らかにこの豊川の町には掃き溜めに鶴といったように誠には思えた。
「ここよ」 
 そう言ってアイシャが立ち止まったのが、古めかしい建物の喫茶店だった。誠には意外だった。アイシャとはアニメショップやおもちゃ屋に要とカウラを連れて一緒に来ることはあったが、こう言う町の穴場のような喫茶店を彼女が知っていると言うのはアイシャには誠の知らない一面もあるんだと思えて、自然と誠の視線は周りの嫉妬に満ちた視線を忘れてアイシャに注がれた。
「じゃあ、入りましょ」 
 そう言うとアイシャは重そうな喫茶店の木の扉を開いた。
 中はさらに誠のアイシャのイメージを変えるものだった。年代モノの西洋風の家具が並び、セルロイド製のフランス人形がケースに入って並んでいる。
「久しぶりじゃないか、アイシャさん」 
 そう言って出迎えた白いものが混じる髭を蓄えたマスター。客は誠達だけ、アイシャはなれた調子でカウンターに腰をかける。
「ブレンドでいいんだね、いつもの」 
 そう言うマスターにアイシャは頷いてみせる。
「良い感じのお店ですね」 
 マスターに差し出された水を口に含みながら誠はアイシャを見つめた。
「驚いた?私がこう言う店を知ってるってこと」 
 そう言いながらいつものいたずらに成功した少女のような笑顔がこぼれる。
「もしかして彼が誠君かい?」 
 カウンターの中で作業をしながらマスターがアイシャに話しかけた。
「そうよ。それと外でこの店を覗き込んでいるのが同僚」 
 その言葉に誠は木の扉の隙間にはめ込まれたガラスの間に目をやった。そこには中を覗き込んでいる要とカウラの姿があった。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 25

 胡州帝国、帝都、南六条町(みなみろくじょうまち)。ここには有力貴族の帝都での屋敷が多い地区だった。下手をすれば保安隊の施設が丸ごと入るような領邦持ち貴族の帝都屋敷が立ち並ぶ中、ひときわ目立つ大きな屋敷門に渡辺かなめの運転する車は入っていった。
 すでに三人の使用人が待ち受けている。そこに嵯峨惟基は頭を掻きながら止まった車から降りる。
「別に頭を下げなくてもいいから。来てるの忠さん?」 
 ロマンスグレーの執事服の男性が静かに頷く。それを見て嵯峨はそのまま玄関へと向かった。入り口には嵯峨の見知った、忠さんこと胡州海軍第三艦隊司令、赤松忠満(あかまつただみつ)中将の側近である別所晋一大佐が控えている。
「なるほどねえ……」 
 頭を下げる彼の前を嵯峨はそのまま通り過ぎた。百メートルは軽くある廊下を渡りきり、さらに別棟の建物へと迷うことなく嵯峨は歩き続ける。庭師の老人に会釈した後、嵯峨は客間と彼が呼んでいる静かなたたずまいの広間にたどり着いた。
 一人静かに茶をすする恰幅の良い将軍が胡坐をかいていた。
「ああ、上がらせてもらっとるで」 
 静かに湯飲みを手元に置くとその将軍、赤松忠満は静かに笑った。
「やっぱりバルキスタンがらみか?しかし、兄貴も暇なんだねえ。高倉の次は忠さんかよ」 
 そう言うと赤松の前に置かれていた座布団に腰掛ける嵯峨。
「まあ、それだけこの問題が重要ってことなんちゃうか?」 
 そう言うと再び茶をすする赤松。
「失礼します」 
 そう言うと初老の女性の使用人が静かに煎茶を入れ始める。
「俺にはバルキスタン問題だけが念頭にあるとは思えないんだよな、今回の醍醐さんの作戦の目的は」 
 そう言うと嵯峨は手元に置かれた灰皿に手を伸ばす。そしてそのままタバコをくわえると安物のライターで火をつけた。
「ワシも同じこと考えとった。陸軍の連中はようワシに事実を教えてくれへんからな。しかし、ワシには新三の考えの方がようわからんわ。あの将軍様の身柄をアメちゃんから引き剥がす……腐れた官僚の首を守る義務はお前には無いように思うんやけど……」 
 赤松は新しく入れなおした茶を静かにすする。嵯峨は引きつるような笑みを口に浮かべる。
「それは状況にもよるだろ?膿を出すのにはタイミングと状況、そして方法を考えるべきだっていう話だよ。今回はタイミングもそうだが、組んだ相手も悪い」 
 静かに目の前に置かれた湯飲みを手の上で転がすようにして言葉をつむぐ嵯峨。
「アメリカ軍。しかも陸軍に新三がトラウマ抱えとるのはよう知っとるが、それは私情なんと違うか?昔から『政治に私怨を入れたらあかん』言うのがお前の主義やろ?」 
 赤松は上目遣いに嵯峨を見上げてくる。だが、ゆっくりと嵯峨は首を振った。
「遼州同盟司法局の実力行使部隊というのがうちの看板だぜ、頭越しにそんなことを決められたら同盟の意味がなくなるじゃねえか。アメリカは昔からあそこに手を出したがっていた。それを抑えてきたのは遼州の犯罪は遼州が裁くと言う原則を貫いて来たからだ。それを遼州の有力国家である胡州が宰相貴下一斉にその原則を潰そうとするてえのが俺には理解できねえよ」 
 そう言って笑って見せるが、赤松はその笑いがいつも嵯峨が浮かべている自嘲の笑いとは違うものであることに気づいていた。明らかに悪意を持っている笑み。中等予科学校のときからそれをよく知っていた。
「それに近藤事件は終わったことだ。それをどうこうしてもはじまらねえよ。胡州の官派の残党がいくら金をもらってたかしらねえが、すでに証拠は隠滅済みだ。アメリカがどうバルキスタンの独裁者と言うことになってるエミール・カント将軍の口から兄貴の政敵を追い詰められる材料を拾えるかってところだが、まず俺は期待はできないと断言できるね」 
 嵯峨は赤松を睨みつけたまま煎茶をすすり、その香りを口の中に広げていた。
 一瞬、風の温度が変わった。都市近郊に設置された気温制御システムが夜のそれへと変わったのだろう。開いたふすまの向こうに広がる池で三尺を超える大きな金色の錦鯉が跳ねた。
「ほうか。じゃあお前さんはこのまま黙っとれ言うつもりか?汚れた金をつこうて正義面しとるアホ共がぎょうさんおる言うのがわかっとるのに」 
 赤松の眼が鋭く光る。湯飲みを口にする嵯峨の手元にそれは突き刺さる。茶を勧める老女が赤松から湯飲みを受け取る。中の冷めたお茶を捨て、新しく茶を入れていた。
「誰もそんなことは言っちゃいねえよ。いつかはけじめをつけてもらう予定だ。だが、その面子にはアメリカ軍人はいらねえな。いや、アメリカだけでなく遼州系の住人以外はいちゃいけねえんだよ」 
 嵯峨の言葉、そして赤松を見つめるその目はいつもの濁った瞳ではなく、殺気をこめた視線だった。赤松はようやく自分の説得が無駄に終わったことを感じた。
「ほうか、わかった。人斬り新三の手並みいうのを見せたってくれ。それと……今日来たんは他にも用があってな……実は貴子がな新三に久しぶりに挨拶したいちゅうとんやけど……」 
 そう言って相好を崩す赤松に嵯峨の瞳もいつもの濁ったそれに変わった。貴子。赤松貴子。かつて軍の高等予科に所属していたときに憧れの美人と嵯峨も赤松も一緒になって盛り上がっていた女性だった。結局は赤松家に嫁ぎ、嵯峨はそのまま振られた感じを引きずっていた時期もあった。そんな胡州を代表する美女だった。
「貴子さんか。相変わらず頭が上がらねえらしいなあ。まああの人は昔からきつかったから」 
 嵯峨はそう言って笑った。親友だった亡き安東貞盛の姉貴子。稀代の美女にして女傑と言われた彼女が赤松を尻に敷いていることを思い出しにやける嵯峨。
「父上」 
 そう言って静かに廊下から入ってきた楓はそのまま嵯峨のそばに寄って内密な話をしようとした。
「いいぜ、別に。胡州海軍第三艦隊司令赤松忠満中将殿に内緒ごとなど無駄なことだよ。なあ!」 
 そう話を振られて少しばかりあわてて赤松が頷いた。
「ベルルカンの馬加(まくわり)大佐からの報告書が届いておりますが」 
 楓の言葉に赤松は少しばかり頬を引きつらせた。
 現在、ベルルカン大陸には約三万の胡州軍の兵士が駐留していた。しかし、それはどれも二線級の部隊であり、馬加の指揮する下河内特科連隊のような陸軍の精鋭部隊が動いていると言う話は海軍の赤松には初耳だった。下河内連隊は初代連隊長を嵯峨が勤めた嵯峨の子飼いの部隊とでもいえるものだった。
「ああ、後にしろよ。時間はまだ来てはいないみたいだからな」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「楓坊もまあ……べっぴんはんにならはってまあ……新三!貴子も久しぶりに新三の顔が見たい言うとんねん、うちに来てや、な?」 
 そう言うと赤松は立ち上がる。そして少し下がって控えている楓を見て赤松は何かがひらめいたとでも言うように手を叩く。
「ああ、そうや。楓も来いへんか?貴子も喜ぶ思うねん。それとうちの久満(ひさみつ)も……」 
 赤松忠満の次男赤松久満海軍中佐は本部付きのエリートであり、何度と無く楓に無駄なアタックを続ける不幸な青年士官だった。
「あの、お申し出はうれしいのですが、お断りさせていただきます。僕には心に決めた人がいますから……」 
 そう言って楓はその細い面を朱に染める。
「ああ、西園寺要さんか!しかし、女同士ちゅうのはどないやろなあ?まあワシのおかんの例もあるいうてもなあ」 
「俺に聞くなよ!」 
 赤松は頭を抱える嵯峨を見て大きな声で笑い始めた。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 24

「あのー、僕が運転するんですか?」 
 そう言う誠に車のトップに頬杖をついたアイシャがいつもの意地悪そうな笑顔を向ける。
「一応、誠君は男の子でしょ?それに私は上官。行くわよ!この格好じゃあデートって訳にも行かないでしょ?」 
 お互いの保安隊の東和軍に似た制服を見比べながらすばやく助手席に乗り込むアイシャ。誠は仕方ないと言うように運転席に乗り込む。ガソリン系と電気系の自動車がほぼ拮抗する東和だがリアナの車は電気系だった。乗り込んだ誠は素早くエンジンキーを差し込む。すぐさま静かにバックしてそのまま駐車場を出た。リアナからのはからいだろうか、警備の遮断機は開かれていた。誠はそのまま菱川重工豊川工場のだだっ広い道に車を走らせる。
「やっぱり乗用車はいいわね。カウラの車はサスペンションがガチガチに締まってるからどうにも乗り心地が悪くて……」 
 アイシャはそれだけ言うと、少し済ましたように長い紺色の髪をなびかせる。
「でも良いんですか?」 
 恐る恐るたずねる誠。その表情が滑稽に見えたのか、含み笑いを浮かべるアイシャ。
「なにが悪いのよ。ちゃんとお姉さんの許可をもらってるし、タコ中だってOK出したじゃないの」 
 そう言ったアイシャがどこかしらか細く感じたのは誠にも意外に思えた。要とカウラは実はかなり神経質で打たれ弱いのはすでにわかっていた。要は自分の機械の体と言うコンプレックスから虚勢を張っているだけ。カウラは自分の先天的に植えつけられた感情以外が持てないと悩んでいて、ちょっとしたことがきっかけでその悩みを溜め込んでしまう性質だった。
 一方、誠から見てアイシャは他の人造人間達と違って完全に一般社会に適応しているように見えた。漫画研究会を設立し、多くの裏方的なことをしてまわる彼女はすっかり便利屋のように思っている隊員も多いはずだった。それに時折冷たく見える面差しもあって物事に動じないと思われていた。
「信号変わったわよ」 
 アイシャを見つめていた誠はあわててアクセルを踏む。工場の正門からは巨大な金属の塊を乗せたトレーラが誠の車を避けるようにして工場内に入っていく。
「私も今度のドラフトの騒ぎはどうせ人気取りだってわかってるわよ」 
 そう明るく言うわりに、アイシャの言葉が震えているように感じた。
「一応、保安隊では少佐と『高雄』の副長と言う立場もあるし……それを捨てるのもね」 
 アイシャが不意に誠を見つめる。誠は産業道路で劇薬をつんだタンクローリーの後ろに車をつけながら彼女に目をやった。
「それに誠君もいるし」 
 珍しくはかなげな笑みを浮かべるアイシャ。このような笑い方もできるんだと思いながら誠は前のタンクローリーの減速にしたがってブレーキを踏む。
「冗談だと思ってるでしょ?違う?」 
 アイシャの笑いがいつものどこか子供じみた様子に変わっていく。
「冗談かどうかなんてわかりませんよ。それにそう言うことを言うのは僕を担いで面白がる時の手じゃないですか!」 
 そう言って誠が向き直ったところには、真剣な顔をしたアイシャがいた。
「ちょっと……」 
 誠はアイシャの視線に少しうろたえて、車を左右に揺さぶってしまう。そして立ち直った車の助手席にはいつもの表情のアイシャがいた。
「誠ちゃんこそ大丈夫なの?次の信号を右」 
「わかってますよ」 
 誠はようやくいつものアイシャに戻ったことがうれしくて快適に運転を続けた。
「それにしてもねえ」 
 突然考え込むようなしぐさを取った要。
「今度の節分の出し物が映画って……」 
 思いもかけないアイシャの言葉に誠は再びブレーキを軽く踏んでしまった。
「映画?もしかしてうちで作るんですか?」 
 誠は思い切り詰問するような調子でアイシャに話しかけていた。アイシャは両手を挙げて呆れたようなポーズを作る。
「聞いてなかったの?月曜日の朝礼……ああ、誠ちゃんはいなかったわね。とりあえず何を作るかの投票を吉田がやってるはずよ」 
「初耳ですよ!そんなの。どうしようかなあ……特撮モノとかどうだろう……」 
 誠は車を狭い路地に走らせながら考えていた。話をしながらでも彼もいつもこの道をカウラの運転で走っているので自然とハンドルをそらで切ることが出来る。
「やっぱり誠ちゃんはそれ?そこで提案があるんだけど……」 
 いつものはかりごとをたくらむ目を見つけて誠は戸惑った。
「私はね、魔法少女なんてどうかなあって思うのよ」 
「はあ?」 
 誠はそう言うしかなかった。そして、アイシャの提案はすぐに読むことができた。
「誠ちゃんがヒロインの魔法しょ……」 
「お断りします!」 
 誠は寮の駐車場に車を乗り入れると大きな声で叫んだ。車止めにタイヤが当たる。誠はそのまま敷石の上に降り立つ。
「だって……普通に魔法少女なんてやってもうちらしくないと言うか……」 
「僕がやったらキモイだけです!」 
 そう叫ぶと誠はそのまま寮の玄関に向けて歩き出した。
「なんで?かわいいじゃない?」 
 助手席から降りるアイシャは軽く髪をなびかせて流し目を送ってくる。誠は自分の心臓の鼓動を感じながらもここは引けない一線だと分かっていた。
「少女じゃないじゃないですか!それならもっと少女にぴったりの人がいるでしょ!」 
「ああ、シャムちゃんね。でも……やっぱり少女が一人ってさびしくない?」 
 そう言いながらアイシャは先頭に立って歩いていく。誠はいつものことながら妙に切り替えの早いアイシャに振り回されるのを覚悟した。
「それならあまさき屋の小夏でも呼べばいいじゃないですか!それにもうすぐ正式配属前の引継ぎ業務でクバルカ中佐がうちに張り付くらしいですよ」 
 誠の言葉にアイシャは振り向いた。目が輝いている、大体こういうときのアイシャの妄想に付き合うとろくなことにはならないことは知っていたが、今日は誠はアイシャをエスコートする立場だった。
「それ本当ね?本当にランちゃんが……」 
「あの……一応次の保安隊の副長なんですからちゃん付けは……」 
 そんな誠の言葉など聞く筈も無い様子のアイシャ。そのまま何かを考えながら寮の階段を上っていく。
「それなら……」 
「アイシャさん。どうせ投票で決めるんでしょ?魔法少女以外になる可能性も……」 
 アイシャは無視してそのまま寮の玄関に靴を脱ぐ。
「ああ、ちょっとぼーっとしてたわね。とりあえず私シャワー浴びたいんだけど、良いかしら?」 
 誠がおずおずと頷くとそのまま階段を上がって消えていくアイシャ。彼女を見送ると誠はアイシャと入れ替わるように降りてきた二人の男性隊員を見つけた。
「あれ?神前さんじゃないですか?」 
 そう言ったのは第二次世界大戦のアメリカ第一空挺団の軍服を着込んで、手には当時の典型的なGIらしいM3A1グリースガンを持った服部と言う伍長と、将校の格好でM1カービンを持った木村軍曹のコンビだった。
「お前等またサバゲか?」 
 呆れる誠に頭を掻く二人。三交代制の技術部ということで平日だと言うのに遊びに行くのだろう。
「それより神前さん今日は通常勤務じゃなかったんですか?」 
 そう言われて誠の額に脂汗がにじんだ。普段から女性に囲まれる生活で嫉妬されている誠である。整備班の綱紀を管理する島田は長期出張中。
「ああ、ちょっと出張が……」 
「あなた達!また誠ちゃんをいじめてるの!」 
 着替えを手にした制服のライトグリーンのワイシャツと濃い緑色のタイトスカートのアイシャがいつの間にか後ろに立っていた。でも考えてみればシャワーは一階の奥にあるので彼女がこの場所を通るのは当然な話だった。
「あれだ、その……なんだ」 
「良いじゃない、はっきりさせておいた方が後々誤解されないから。今日はデートなの。それもお姉さんの指示で」 
 そんなアイシャの言葉に三人は凍りついた。お姉さんこと鈴木リアナ中佐の指示となれば二人が何を言おうが手が出せないと分かる。
「ああ……ああ。そうなんですか」 
 それだけ言うと服部と木村はそのままフル装備で食堂に向かう。
「あのー……」 
「じゃあ私はシャワーを浴びるから。着替え終わったら食堂で待ってて!」 
 照れ笑いを浮かべる誠を置いてアイシャは消えていく。誠は今度こそは誰にも出会わずに自分の部屋に到着で消えることを祈りながら階段を上り始めた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 23

 出勤途中のカウラの車の中でもアイシャはぼんやりとしていた。らしくない。それは誠もカウラも感じていてできるだけ刺激をしないようにじっとしていた。それでも一人、まったく空気を読まない要を二人してなだめすかせる。どうにか乗り切って疲れた誠が駐車場で始めて目にしたのは彼等を待っていたパーラだった。
「アイシャ、お姉さんが話があるって」 
 助手席から降りたばかりのアイシャは少し不思議そうな顔をしてパーラを見つめた。『お姉さん』と言えば保安隊では運用艦『高雄』艦長鈴木リアナ中佐のことを指す。ちなみに『姐御』と言うと技術部部長の許明華大佐か警備部部長のマリア・シュバーキナ少佐を指すのでどちらを指すのかは話の流れを読む必要があった。
「まあなんだ、お姉さんと相談して来いよ」 
 要の言葉にアイシャは何も言わずにそのタレ目を見つめた。そして背中を押されるようにしてアイシャは運用艦のブリッジクルーの詰め所に近い正門の方へと歩いていった。
「大丈夫かねあいつ」 
 ハンガーの方に向かって歩き出した要だが、思わず隣を歩くカウラに声をかけていた。
「突然のチャンスに戸惑っているんだろ?悩むだけ悩めば解決方法も見つかるものだ」 
 そう言ったカウラの前に回りこんだ要はその特徴的なタレ目のまなじりをさらに下げてカウラを見つめる。
「なんだ、気持ち悪いぞ」
 自分を見る要のタレ目に一歩下がってカウラが声をかけた。 
「オメエもいっぱしの指揮官風のことも言える様になったじゃねえか」 
 カウラの顔が次第に紅潮したかと思うと、そのまま要を避けて早足でハンガーへの消えていく。
「褒めたのになあ」 
「西園寺さんと一緒で慣れない事態に戸惑っているんじゃ……」 
 そこまで言いかけた誠の襟首をつかむとぎりぎりと締め付ける要。
「誰が慣れないって?そう言う口はこれか?」 
 今度は誠の唇を右手でつかみあげる。サイボーグのアイシャの義体の人工筋肉の力でつかまれて、誠は無様にばたばたと手足を動かすことしかできなかった。激しく何かを叩いた音と共に誠を吊り上げていた力が抜けて誠はそのまま地面に座り込んだ。目の前では後頭部を抑えた要ともう一撃振り下ろされる竹刀が見えた。
「こんの餓鬼!」 
 要が振り返ってその一撃を払いのけるとその先にはランが竹刀を持って立っていた。
「おー、いい度胸だな。それに朝から元気で結構なこった」 
 そう言うとランは要を無視して正面入り口に入る。そしてついてくる二人を導くように事務所のある二階へ向かう階段を上り始めた。さすがの要も軍に奉職して長いだけあって上官のランを睨みつけはしても追いかけることはしなかった。
「西園寺さん、大変ですよ!」 
 二人のやり取りに決着がついたのを見透かしてか、いつものように照れながらレベッカが現れた。
「なんだ?」 
「確か西園寺さんは嵯峨隊長の姪御さんでたよね?」 
 そう言うとレベッカは視線を落とす。誠はレベッカに要と言う人物を相手にするときのコツを教えなければと思っていた。要は短気である。それも超がつくほどの。回りくどい思いやりなどは邪魔と言うより要をいらだたせるだけの効果しか発揮しない。
 明らかにいらいらとしている要は、明華が現れるかも知れないと言うことを考えずにタバコを取り出して火をつけると苛立ちの限界と言う表情でレベッカを睨みつけた。
「なんだ?叔父貴が天誅組にでも待ち受けられてドタマぶち抜かれてくたばったか?」 
 そう言いながら明らかにいらだっている要にレベッカはおずおずと何かを言おうとしてる。
「おい、アタシも暇じゃねえんだ!死んだらニュースになるだろ?生きてるんなら後のしろ!」 
 そう言って要は階段を上がっていく。誠はこの状態の要に触れる危険性を知っているのでそのままレベッカと二人でハンガーに残された。
「それでシンプソン中尉、何があったんですか?」 
 そうたずねる誠に戸惑うような顔を見せるレベッカ。
「隊長が狙撃されそうになって……」 
「その狙撃手をなます切りにしたんですか?」 
 誠の言葉に頷くレベッカ。やはりと思い天を仰ぐと、どこか表情のさえないレベッカに声をかけた。
「隊長が襲われるのは別に珍しいことじゃないですから気にしない方がいいですよ。もともと胡州はそう言うことの多い国ですから」 
「それが単純にそうとも言えないんだ」 
 突然響いたバリトンに誠が振り向く。そこには白衣を着たヨハンがいつものようにビーフジャーキーを食べながら座り込んでいた。良く見れば彼が座っているのはそれは島田のバイクの予備タイヤである。いつもならこぶしを握り締めた島田が駆け寄ってくる状況であり、彼の出張任務中だからこそ見れる光景だった。
「なにかあったんですか?」 
 そうたずねる誠にあきれたような表情を浮かべるヨハン。レベッカは何かに気づいたと言うようにおずおずと下げていた視線をヨハンに向けた。
「もしかして法術を使用したとか……」 
 その言葉に満足げにヨハンは頷いた。
「法術の空間干渉能力は知られている所だが、精神感応能力により空間干渉を行うというのが今の法術の存在の基礎理論ということに一応はなっているんだけどな。それをいくつか応用するととんでもないことができるということは理屈では前々からわかっていてね。特に隊長はアメリカ陸軍の実験施設に収容していた際にその展開バリエーションを確認するための実験に参加させられた経験がある。今回はその一つを衆人環視の下使用したんだ」 
 そこまで言うとヨハンは袋からジャーキーを取り出して口に放り込む。
「どういう力なんですか?」 
 誠の言葉にあきれたようにジャーキーを食べ続けるヨハン。だが、いつの間にか階段から降りてきていたカウラが無い胸の前で腕組みをしながら誠の前に立った。
「幻術だ」 
 それだけ言うとカウラは携帯端末を開いた。レベッカと誠はその画面に眼を向けた。そこには次元跳躍型港湾の監視カメラの映像らしいものが映っていた。嵯峨の行き先から考えればそこは胡州の首都帝都の宇宙への玄関口である四条畷港だろう。一人の着流し姿の男が懐手のまま悠然と自動ドアを通ってカメラの前に現れる。
 その男、嵯峨惟基は帯に手を移して何かを探ろうとしていた。そして次の瞬間だった。
 男の姿が消えると同時に彼の立っていた地面に煙が上がった。
「消えましたね」 
 誠はそう言ってカウラを見つめる。カウラはしばらくこの状況を眺めていたが、すぐにヨハンの方に向き直った。
「見ての通りだ」 
 そう言うと口に三切れ目のジャーキーを放り込む。この4ヶ月あまりの付き合いで、こういう時のヨハンに何を言っても無駄だとわかっている誠はそのまま実働部隊の部屋に向かった。カウラもそれに続く。カウラをつれて歩いている姿に管理部の窓越しに殺気を帯びた菰田の視線を感じる。誠はそれから逃れるようにして実働部隊の部屋に入るとメジャーを持ったランがあちこちに印をつけながら縦横無尽に部屋の中を図っていた。
「あの、何を……」 
「見てわかんねーか?部屋の寸法を測ってんだ」 
 それだけを誠に言うと今度は通信ケーブルを基点にしてまたメジャーを伸ばす図り始める。
「それなら端末が司法局に取り上げる前の状態に戻せば……」 
 誠の言葉にむっとした顔をするラン。嵯峨の手抜きのせいで保安隊は手書きの報告書が強制され、前時代的な事務所となっていたことはランも知っているようだった。
「いーだろ!アタシにも考えがあんだよ」 
 そう言いながら動こうとしない吉田をにらみつける。吉田は体を椅子に預けてヘッドホンで音楽を聴いているだけで手を貸すつもりも無いという様子。部屋にシャムが見当たらないのはグレゴリウス13世の世話をしに行ったのだろう。
「要さん……それに明石中佐はどうしたんですか?」 
 その言葉に廊下の外を出て左に入るというようなポーズをとる吉田。
「隊長室ですか」 
 ハッキングで大概の情報をつかめる吉田も、監視カメラの類や盗聴器を完全に排除するのが趣味と言う嵯峨の部屋の中の様子はわからない。それがわかると誠はランの作業の邪魔にならないようにと入り口近くの丸いすに腰掛けた。小さな体であちこち動き回っては測定したデータを携帯端末に入力するラン。カウラは部屋の入り口でその様子を見守っている。
「これなら行けんじゃねーかな」 
「何がですか?」 
 さすがに軍施設に準じた部隊の建物でちょこまかと小さい女の子が動き回っているシュールな状況にたまりかねて立ち上がった誠は後ろからランに声をかけた。めんどくさそうな視線を送るラン。
「いやあ、ちょっと教導隊の端末が今度更新されるんだ。それでその端末をここに持ち込めるかどうか図っていたんだが、どうにかなるみたいだな」 
 そう言って吉田に向けて勝ち誇ったような顔をするラン。
「でもそれならこの部屋のデータを吉田さんからもらえば……」 
「やなこった」 
 吉田はそう言って風船ガムを膨らませた。ランが右手を強く握り締めているのは内に湧き上がる怒りを静めているのだと誠は確信していた。
「でもそうすると明石中佐カラーはかなりなくなりますね」 
 ぼそりとそう言ったカウラの言葉に吉田は大きく頷いた。
「なんでも機械に頼るのは良くないねえ。昔ワープロが普及した時代に漢字を読めるけど書けないという人々が……」 
 電子戦で鳴らした吉田の一声に呆れる誠。
「電算機がなに言ってんだか……」 
 ランの挑発的な態度に今度は吉田が静かにヘッドホンを外した。
「それより……良いんですか?」 
 吉田はそう言って机の上の新聞をランの立っている隣の机に投げる。スポーツ新聞である。吉田とはつながりが薄いそれに誠もカウラも黙っていた。
「小さな記事ですがね、この超高校級のスラッガーが法術問題で揉めてるって記事の下」 
「ああ、アイシャのことか」 
 そう言うと関心が無いとでも言うように明石の椅子の上にちょこんと座るラン。
「あいつの人生だ。とやかく言うことねーんじゃないか?」 
 そう言うとその記事を表にしたままランは新聞をカウラと誠に渡した。
 大見出しが踊っている。
『即戦力を探せ!大卒、社会人選手の争奪合戦か?』 
 そんなあおり文句の下には法術適正の検査結果により、法術適正者の現役選手たちの交換要員として急浮上してきた即戦力が見込める大学や実業団の選手の一覧が並んでいるが、写真としてあるのはこの前の菱川重工戦でホームランを打ったときのアイシャの姿だった。
「クバルカ中佐殿もご存知でしょ?あいつは人造人間『ラストバタリオン』ですよ。まあずいぶんらしくないのは確かですけど。でもこれまで『あなたの進路は何ですか?』なんて質問されたことが無いのは確かなんですから。それなりに悩むはずでしょう?」 
 珍しく正論をぶち上げる吉田に眼を丸くする誠とカウラ。だが、まるで関心が無いというようにランはそのまま椅子から降りた。
「奴も子供じゃねーんだ。自分の身の振り方ぐらい考えるだろ?それにアタシがでしゃばればリアナの面子をつぶすことになるしな。後は要にいらねー心配するなってタコが諭してるとこだろうからな」 
 そう言って立ち去る姿はどう見ても小学校低学年と言った感じだが、言葉の重みはそれなりに軍で地位を築いてきているランらしいものだった。
「西園寺さんそんなに心配していたんですか?」 
 そう言う誠にカウラはため息をついた。
「まあ、神前は付き合いが短いからわからないかもしれないが、要はああ見えて繊細なところがあるからな。誰かが調子を崩すとあいつもどこか変になるんだ」 
「そうなんですか」 
 カウラの言葉に誠は視線を落としていた。要が心配していたと言うのに誠は何もできなかった。そしてアイシャの心はもっと揺れているだろうと考えると自分に腹を立てることしかできないでいた。部屋のドアが開いて入ってきたのは要と明石だった。
「なんじゃ!しけた面しよってからに。ワレ等たるんどるのう?」 
 そう言って豪快に笑ってみせる明石。要はその脇をいつもと変わらない表情で通り過ぎると自分の椅子に座った。
「西園寺さん……」 
 言葉をかけようとする誠を不思議そうに見つめる要。だが、次の瞬間その視線は吉田に向けられた。
「俺じゃねえよ!ランだラン!」 
 そう言って両手で否定する吉田から目をそらし、大きくため息をつく要。
「だから沈むなって言ったじゃろが!ワシ等の仕事はいつどんなときにどのような形で起きるかわからん事件に対応することなんじゃぞ!気合じゃ!いつも気合入れておけや!」 
 明石の言葉がなぜかむなしく響く。要は吉田から眼を離すと、今度は誠の顔を凝視した。
「あの、どうしたんですか?」 
 照れながら誠は要を見つめていた。
「別にどうでも良いことかもな」 
 それだけつぶやくと要は机の引き出しから始末書を取り出す。要が誠を前にしてこのようなものを取り出すのは珍しいことだった。常に誠の前では強気・完璧で通すのが西園寺流である。始末書女王の彼女だが、いつも理由をつけて一人残って始末書を書いていることは誰もが知っていることだった。
 誠はそんな要をそっとしておこうと誠は同盟法務局へ提出する訓練課程の報告書を取り出した。
「あのねえ。誠君、暇かしら!」 
 そう言いながら顔を出したのはリアナだった。その後ろには無表情にリアナについてきているアイシャがいた。
「こいつなら仕事……」 
 要はそこまで言ったところで口をつぐんだ。無表情なアイシャを見るのには慣れていないというようにそのまま視線を落とす。
「ああ、鈴木中佐。こいつならいつでも暇しとりますよ!」 
 そんな明石の大声が響く。リアナはにっこりと笑うと誠に手招きした。
「あのー、明石中佐……」 
「行って来い!たまには気分転換もなあ」
 そう言ってカウラと要を眺める明石。
「気分転換て……いつもそれしかしていないような気がするんですけど」 
 思わず本音を漏らしたカウラを見て泣きそうな顔になる明石。
「じゃあ、二人で気晴らしにデートでもしていらっしゃい!車なら私の貸してあげるから」 
 そう言ってリアナは入り口までやってきた誠の肩を叩いた。
「良いんですか?こう言う事は隊長の……」 
「おう、アイシャ!留守はワシが仕切っとるんじゃ!行って来い!」 
 一応副長の威厳を示そうと胸を張る明石。それを見てようやくアイシャの顔にいつもの不敵な笑みが戻った。
「じゃあ行くわよ!誠ちゃん」 
 そう言うとアイシャは誠の右手を握り締めて歩き始めた。アイシャに左手を引っ張られて廊下を進む誠。管理部の部屋の中ではガラス越しにいつものように菰田がシンの説教を受けていた。それを無視してアイシャは誠の手を強く握り締めて歩いていく。
「おう!早引きか?」 
 誠の05式のコックピットを明華と一緒に覗き込んでいたランが叫ぶ。
「クバルカ中佐!ちょっとデートに行ってきます!」 
 いつもの笑顔でアイシャが手を振る。
「おう!どこでも好きなところ行って来い!」 
 ランの叫びに励まされるようにして小走りにハンガーの階段を下りるアイシャに思わず躓いた誠がもたれかかった。思わず二人の顔が息がかかるところまで近づいた。
 誠はアイシャの紺色の瞳を見つめる。時が止まったような、音が消えるような感じ。階段の途中で二人が寄り添う。
「ああ、神前。そう言うのは私達が見ていないところでやってちょうだい」 
 明華のその言葉に整備班員達の失笑が聞こえる。
「これで島田君がいたら誠ちゃんはそのままバイクで轢かれるわね!」 
 そう言いながら誠を突き放したアイシャは小走りをするようにぐんぐんと誠の手を引っ張って進む。グラウンドをそして正面玄関を小走りに進む。たどり着いたのは駐車場。アイシャは手にしていたリアナの高級セダンのキーを誠に手渡した。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 22

 朝食である。
 だが、誠はカウラがうれしそうに分厚い牛肉を焼く姿をぼんやりと見つめていた。一応ここは遼州保安隊下士官遼の食堂である。同じように朝食当番の西はあわただしく大きな味噌汁のなべから椀に中身を移している。上着を脱いだ保安隊の制服にエプロンをつけて不器用そうにフライパンを揺らすカウラは見ていて、誠も心がときめいていた。
「おい、何してんだ?」 
 起きたばかりの要が声をかけてくる。誠は思わず振り返って驚愕する。
「西園寺さん!ブラジャーくらいつけてくださいよ!」 
 その声に当然のように食堂にいた男性下士官は反応した。本来この寮は男性寮だった。誠が抜きん出た法術適正の持ち主であることにより彼の誘拐未遂事件があったことから、要、カウラ、アイシャの三人が護衛と言う名目で住み着いているが多くの男性隊員が以前からここに暮らしている状況は変わらなかった。
「いいだろ別に。減るもんじゃねえんだから。それとも嫉妬してるのかねえ」 
 そう言いながら自称98のHカップと言う胸を揺らしてくるりと一回転する。だが、その要の手を握り締める白い手が二回転目を許さなかった。
「くだらないことはやめろ」 
 カウラがいつの間にか要の手を握り締めている。タレ目の要がさらに眦を下げてカウラの胸のあたりを見つめる。そこには平原が広がっていた。
「はい、そこまで!カウラ、肉焦げてるわよ」 
 珍しく部屋着では無く制服を着込んでいるアイシャがそう言って二人の間に入った。要は誠にウィンクしてそのまま食堂を出て行った。
「朝っぱらから誰がステーキなんて食べるの?」 
「ああ、アイシャさんですよ」 
 誠はアイシャの問いに即答した。一瞬なにが起きたのかわからないとでも言うようにアイシャが不思議そうな顔で食事当番のカウラと誠、そして他の隊員達にご飯を盛り付けている西を眺めた。
「お前がどこか昨日からおかしいからな。朝にエネルギーになるものを食べればそれだけ頭の回転も速くなる。そうなればいつものお前にもどるだろ?」 
 そう言いながらステーキを皿に盛るカウラ。付け合せの野菜を盛り分ける誠をじっと見つめるアイシャ。
「でも良いの?本当に。別料金なんて払わないわよ」 
 そう言って流し目で誠を見つめるアイシャだが、いつもの彼女に比べたらどこと無くぎこちないように誠には見えた。いつもならカウラを挑発するような毒のある言葉を吐く彼女だが、まるでカウラと誠に関心が無いというように皿を見つめている。
「これでいいんだろ!」 
 そんな二人の後ろから要が保安隊の制服で現れた。そして一瞬天井を見ながら匂いを感じると、つかつかとアイシャの前に出されたステーキの乗った皿に目をつけた。
「なんだこりゃ?こいつ朝からこんなもの食うのか?」 
 そう言ってあきれたようにアイシャの顔を覗き込む要。
「いいでしょ。これで今日一日乗り切れるわけよ」 
 そう言って香りを楽しむようなしぐさをするアイシャ。要はそのまま隣の西が盛り分けた隊員用の朝食のトレーに味噌汁などを自分で盛り分けていた。アイシャはそれを横目に実ながら悠然と自分の指定席の入り口近くの椅子に移動した。
 要を待つことも無くフォークとナイフでステーキを切り分けるアイシャ。その様子に要は少しばかり首をひねっていた。要はアイシャが食事の順番などで気を使う質なのを良くわかっていた。いつもなら要の準備が済むまでの暇つぶしに何かしら要をからかうような言葉を吐くところだが、目の前に座ろうとする要など眼中に無いというようにテーブルマナーを守りながらステーキを切っていた。
 遠くでエプロンを畳みながらその様子を眺めていた誠はカウラの方に眼をやった。カウラは誠の分の食事をトレーに盛り分けながらアイシャをちらちらと観察している。
「おい!なんか喋れよ!」 
 沈黙に耐えかねた要がアイシャを怒鳴りつけた。アイシャは一瞬不思議そうな眼で要を見つめるが、すぐに目の前のステーキと格闘を始めた。
「こいつなんとかしてくれよ!気持ち悪りいよ!」 
 隣に座ろうとするカウラに眼を向ける要。アイシャの隣に座った誠は乾いた笑いを浮かべるだけだった。
「で、どうするんだ?アイシャ」 
 味噌汁を一口、口に含んだカウラがアイシャにそう言った。それまで付け合せの誠が作ったほうれん草の水煮を食べていたアイシャのフォークが止まる。彼女なりに自分の行く道を迷っているそんな様子が誠にも手に取るように分かった。
「どうした方が良いかな?」 
 アイシャはそう言うと隣に座っておかずの鯖の味噌煮を食べていた誠を見つめた。
「どうって……」 
 そう言いながら誠はどう答えれば良いのかわからなくなっていた。
「良い話じゃねえか。神前もなれなかったプロ野球選手だぜ」 
 要は淡々と味噌汁を飲み下す。その姿に眼をやるアイシャにはいつものようないたずらっぽい表情はなくなっていた。
「でも話題づくりが優先している気がするんだがな。確かに去年もプロに行った菱川重工豊川のエース北島から三安打して、今年もナンバーワンノンプロの野々村からホームランを含む四安打。だがそれ以前の実績はまるで無い選手を指名するってことは……」 
「法術適正者の指名回避の影響じゃねえのか?」 
 タクワンをかじりながら話すカウラの言葉をさえぎった要。一応保安隊野球部の監督で、地球の球団のスコアーをつけるくらいの野球通の彼女があっさりそう言うと話題は途切れてしまう。
 アイシャはステーキの脂身を残してそのまま立ち上がった。
「どうした、食欲無いのか?」 
 その様子を珍しく気を利かせた要が見ていた。
「そう言うわけじゃないけど朝からステーキはさすがに……」 
「じゃあその脂身アタシによこせ」 
 そう言うと要はアイシャの許可も取らずに箸で脂身をつまみあげると口に放り込んだ。アイシャはそんな要に何を言うわけでもなく食堂のカウンターに食器を戻そうと歩き出す。
「やっぱ変だな」 
 口の中で解ける脂身の感触に酔いながら要はアイシャを見送っていた。
「あいつが決めることだ。横からどうこう言うことじゃないだろ」 
 そうカウラは言うとタクワンをご飯に乗せて口の中にかきこんだ。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 21

 四条畷港の超空間転移式港湾警備本部。その立て替えられたばかりの壁にしみ一つ無い廊下を一人の胡州海軍の少佐の階級章をつけた細身の高級将校が早足で歩いている。後ろに流れるような、根元を白い紐で結わいた黒髪も流れるように空調の風に揺れ、この人物の中性的な表情をより美しく飾り立てた。海軍の女性将校の制服はタイトスカートが基本であるところから考えれば、スラックスの姿であるこの人物が男性ということになるが、その胸の大きな塊がその可能性を否定した。
 彼女、嵯峨楓少佐の機嫌は最悪だった。
 検疫か、それとも分析班の職員と思われる白衣の女性達が彼女に熱い視線を送っている。いつもなら軽く笑顔を浮かべて黄色い歓声を浴びることを楽しみにしている彼女だが、今日はそれどころではなかった。彼女が立ち止まったのは『機動特務隊』と書かれた部屋の前だった。当然のようにノックもせずに楓は踏み込んだ。
 防弾ベストに実弾入りのマガジンをいくつも入れている臨戦態勢の部隊員が一斉に楓を見据えた。百戦錬磨の室内戦闘のプロに睨まれている状況は、普通の軍人でもかなり威圧感を感じるところだろうが、楓はただ彼等をすごむような調子で睨み返すとついたてで仕切られた部屋の隅の休憩所のようなところへと足を向けた。
「よう、遅かったじゃねえか」 
 天丼を食っているのは着流し姿の父嵯峨惟基だった。いつもと同じように、食事中だというのに隣におかれたガラス製の大きな灰皿には吸いかけのタバコが煙を上げている。
「父上……」 
 娘を一瞥した後そのまま天丼に箸を伸ばす父を見ながら、楓は疲れが出たように真向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
「やっぱり米は東和の方が旨いんだな……で、勤務中じゃないのか?」 
 そう言いながら嵯峨は口元に付いた米粒を指でつまんで口に放り込む。その動作がさらに楓の怒りを駆り立てた。
「その勤務中の僕に身元引受人を頼んだのは誰ですか!子供じゃないんですから来るたびに警察に迎えに来させる必要は無いと思いますよ!」 
 そう言って机を叩く楓。慣れたもので、ついたての外の隊員達はこの親子喧嘩にまるで口出しをするつもりは無いように沈黙している。
「前のお盆の墓参りの時はここには来てないのにな……」 
 もぞもぞとそう言う嵯峨だが、楓の一睨みでおずおずと下を向き、重箱の中に残った飯粒をかき集め始めた。
「例外の話はいいんです!今年になって四回ですよ!父上がここに世話になるのは。この前は爆発物を仕掛けたテロリストを峰打ちと言って袋叩きにするし、その前は……」 
「良いじゃねえか死人は出て無い……」 
 再び楓の射るような視線に黙り込む嵯峨。
「大体、今回もあそこにスナイパーがいるのはわかってたんじゃないですか?どうせもう上層部には今回の事件に関係する組織の名前を送付済みで今頃国家憲兵隊が協力者のアジトの摘発に動いてたりとか……」 
「そこまでお見通しか……」 
 明らかに呆れ果てたような楓の視線。黙らせられる嵯峨。
「特に今回は父上にはちゃんと殿上会での勤めを果たしていただかねばならないのですから!」 
 そう言うと楓は彼女を無視してきょろきょろと周りを見回す父親を見ていた。
「なんですか、父上」 
「ああ、お茶をお願いしたいと思って……」 
 そう言った父の前の机を楓は思い切り叩いた。
「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないかよう」 
 再び睨みつけられた嵯峨は仕方なく湯飲みを置くと席を立った娘の後ろに続いた。
「また来ますねー」 
 拳銃の手入れをしている楓と同じぐらいの年の女性隊員に手を振る嵯峨。当然のように飛んでくる楓の視線。
「本当に……姉上もご苦労されるはずだ」 
 部屋を出て颯爽と廊下を歩く楓の後ろで、間抜けな下駄の音が響く。ちゃらんぽらん、そう言う風に楓に聞こえてきたので思わず楓は振り向いてみせる。懐手でちゃんと楓の後ろに父親は立っていた。
「その足元何とかなりませんか?」 
「ああ、もう少し人に優しい素材を使うべきだな。床には」 
 そんな嵯峨の言葉に楓は頭を抱えながらエレベータへ向かった。
「そういえば事前に伯父上には会われるつもりは無いのですか?」 
「無いな。どうせ殿上会で会うんだ」 
 そう言う嵯峨の言葉に力が無いのを楓は聞き漏らさなかった。
「康子様が怖いんですか?」 
 楓が伯母、そして彼女が一途に慕う西園寺要の母親のことを思い出した。
 西園寺康子。胡州帝国のファーストレディーである彼女は嵯峨惟基の剣の師匠に当たる。ひ弱な亡命遼州王族、ムジャンタ・ラスコー少年が国を追われてこの胡州にたどり着いた。その時、彼が手に入れようと望んだのは力だった。その彼を徹底的にしごき、後に『人斬り』と呼ばれる基礎を作ったのは彼女の修行だった。
 そして法術が公になったこの時代。彼女が干渉空間に時間差を設定して光速に近い速度で動けると言う情報さえ流れている今では銀河で最強に近い存在として彼女の名は広まり続けていた。その空間乖離術と呼ばれる能力はこれまでの彼女のさまざまな人間離れした武勇伝が事実であることを人々に示し、その名はさらに上がっていた。自分の腕前に自信を持っている楓も彼女の薙刀の前に何度竹刀を叩き折られたことかわからなかった。
「おい、置いていくぞ」 
 いつの間にか開いていたエレベータのドアの中にはすでに嵯峨がいた。あきれ果て頭を抱えながら続く楓。
「車はいつも通り運転手つきだよな」 
 嵯峨の言葉に楓は静かに頷いた。
「いつもの場所に行きたいんだ。どうせいつもの渡辺だろ?まああいつなら大丈夫か」 
 そう言ってしんみりとしながら一階に到着して開いたドアの間を潜り抜ける二人。
「お姉さま!」 
 決して大声ではなく、それでいて通る声の女性仕官が手を振っていた。こちらは楓のようにスラックスではなくスカートである。すけるようなうなじで切りそろえられた青色の髪と、童顔な割りに均整のとれたスタイルが見る人に印象を残した。
 彼女、渡辺かなめは軽く手を上げて挨拶する着流し姿の嵯峨に敬礼をした。
「世話になるな、いつも」 
 そう言って駐車場に出た嵯峨、彼は胡州の赤い空を見上げた。胡州の首都、帝都のある遼州星系第四惑星はテラフォーミングが行われた星である。人工の大気と紫外線を防止する分子単位のナノマシンのせいで空はいつも赤みを帯びて輝いていた。
 駐車場にとめられた車、楓の私有の四輪駆動車がたたずんでいる。いつもその運転手は楓の部下であり、領邦領主としての嵯峨公爵家の執政でもある渡辺家当主のかなめが担当していた。
「何度言ったのかわからねえけどさあ、かなめって言うのは紛らわしいよな」 
 後部座席に乗り込む嵯峨。運転席でかなめが苦笑いをする。
「私は西園寺の姫様の代わりですから……いつまでたってもお姉さまの心は奪えません」 
 彼女は嵯峨の部下の鈴木中佐達と同じ人造人間、ゲルパルトの『ラストバタリオン』計画の産物だった。その中でもかなめは連合軍の製造プラント確保時には育成ポッドで製造途中の存在であり、ナンバーで呼ばれる世代だった。そんな彼女に目をかけた楓は、彼女の面差しに愛する従姉の要を思いそしてかなめと言う名前をつけた。
 ほかの有力領邦領主家と同じように嵯峨家の被官達にも先の大戦で断絶する家が多く、当時跡取りを求めていた渡辺家の養女としてかなめは人間の生き方を学んだ。
 いつも彼女を見守っているのは恩義のある楓である。かなめが楓に惹かれた当然かもしれない。苦笑いで時々助手席と運転席で視線を交わす彼等を見守る嵯峨。
「まあいいか。それより加茂川墓苑に頼む」 
 その言葉に楓は少し緊張した面持ちとなった。
「父上、やはり後添えを迎えるつもりは……そう言えば同盟司法局の……」 
「野暮なこと言うもんじゃねえぞ。それに順番から行けば相手を見つけるのは茜だろ?まったく。あいつも仕事が楽しいのは分かったけどねえ」 
 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを口にくわえる。
「それと、法律上はお前等二人が結婚してもかまわないんだぜ。女同士なら家名存続のためにお互いの遺伝子を共有して跡取りを作ることが許されるって法律もあるんだからな」 
 ハンドルを握りながらもうつむくかなめ。楓はちらりと彼女の朱に染まった頬を見て微笑んだ。
「しかし、あれだなあ。遼南や東和に長くいると、どうもこの国にいると窮屈でたまらねえよ」 
 道の両脇に並ぶ屋敷はふんだんに遼州から取り寄せた木をふんだんに使った古風な塗り壁で囲まれている。立体交差では見渡す限りの低い町並み、嵯峨はそれをぼんやりと眺めていた。
「それでも僕はこの町並みが好きなんですが……守るべきふるさとですから」 
 そう言う楓はただ正面を見つめていた。そんな彼女に皮肉めいた笑みを浮かべる嵯峨。車の両脇の塗り壁が消え、いつの間にか木々に覆われていた。すれ違う車も少なくなり、かなめは車のスピードを上げる。
「しかし、電気駆動の自動車もたまにはいいもんだな」 
 そう言いながらタバコをふかしているように右手で禁煙パイプをもてあそぶ嵯峨。なにも言わずにそんな彼を一瞥すると楓は車の窓を開けた。かすかに線香の香りがする。車のスピードが落ち、高級車のならぶ墓所の車止めでブレーキがかかる。
 静かに近づいてくる黒い背広の職員。加茂川墓所は胡州貴族でも公爵、侯爵、伯爵までの貴族のための墓地である。多くの貴族達は領邦の菩提寺や神社とこの帝都の加茂川墓所に墓を作るのが一般的だった。嵯峨家もまた例外ではなかった。
「公、お待ちしておりました」 
 職員の言葉に楓は父の手際のよさに感心した。
「例のやつは?」 
 その言葉に楓は父が墓参りの為以外の目的でここに来たことを察した。時に大胆に、それでいて用心深い。数多くの矛盾した特性を持つ父を理解することができるようになったのは、彼女も佐官に昇進してからのことだった。
 車を降りて墓地の敷地に踏み入れたところで、嵯峨は待っていた管理職員から花と水の入った桶を受け取って歩き始めた。
 秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。楓とかなめはそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に頭をたれた。
 そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨楓の母である。
「おい、久しぶりだな」 
 そう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」 
 そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。楓は何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
 第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や民族主義者のテロの標的とされた。楓の祖父、西園寺重基(さいおんじ しげもと)は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
 そんな彼を狙ったテロに巻き込まれて、楓の母エリーゼは23歳で生涯を閉じた。
 泣きじゃくる姉が胸に顔をうずめるのを見ながら母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しく楓の眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」 
 木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たことも楓には自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」 
 帯に手を伸ばして禁煙パイプを口にくわえる嵯峨。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉は楓から見ても嵯峨の扱いに慣れていると見て取れた。そして楓は高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
 高倉貞文大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆准将の懐刀と呼ばれた男。脱走で知られる同盟国遼南の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持。そしてアフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織の特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男。
 同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」 
 そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」 
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」 
 そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺基義のその政策に高倉も賛同していた。
 だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」 
 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局(こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく)。これだけ言えばわかるんじゃないですかねえ」 
 そう言うと嵯峨は空に向けて煙を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それならうちの吉田に資料はそろえさせますから。それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」 
 明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけの楓とかなめにもすぐにわかった。
 じっと嵯峨を見つめる高倉。その前で嵯峨は伸びをして墓石を一瞥した。
「バルキスタンのエミール・カント将軍……そろそろ退場してもらいたいものだとは思うんですけどね」 
 嵯峨の言葉に高倉は頷く。だが嵯峨はそれを制して言葉を続けた。
「アメリカさんの受け売りじゃないが、根っこを絶たなきゃいつまでもベルルカン大陸が暗黒大陸なんて呼ばれる状況は変わりやしませんよ。それにただでさえ難民に混じって大量に流通する物騒な兵器や麻薬、非合法のレアメタルにしても、入り口が閉まらなきゃあちらこちらに流れ出て収拾がつかなくなる……いや、もう収拾なんてついてないですがね」 
 そこまで言ったところで嵯峨は大きくタバコの煙を吸い込んだ。高倉は嵯峨に反論するタイミングをうかがっていた。
「だけどね、これはあくまで遼州の問題ですよ。アメリカの兵隊を引き込む必要は無いんじゃないですか?」 
 嵯峨はゆっくりと味わうようにタバコをくわえる。
「確かに俺の手元にある資料だけで彼を拉致してアメリカの国内法で裁けば数百年の懲役が下るのは間違いないですし、うまくいけばいくつかの流通ルートの解明やベルルカンの失敗国家の暗部を日に当てて近藤資金の全容を解明するにもいいことかも知れないんですが……」 
「それなら……」 
 高倉は嵯峨の言葉をさえぎろうとしてその眼を見つめた。しかし、嵯峨の眼はいつものうつろなものではなく、鉛のような鈍い光を放っていた。そしてその瞳に縛られるようにして高倉は言葉を飲み込んだ。
「遼州の暗部は遼州で日の下に晒す。それが筋だと思うんですがね。そしてそれが胡州の国益にもかなうと思いますよ。でも規模が大きすぎる。まるでパンドラの箱だ。災厄どころか永遠の憎悪すら沸き起すかもしれないブービーとラップだ。俺はできるだけ開かずに済ませたいところですがねえ。それが事なかれ主義だってことは十分に覚悟していますが」 
 そう言うと嵯峨はそのまま墓を後にしようと振り返った。
「つまり遼州同盟司法局は米軍との共同作戦の妨害を……」 
 高倉の言葉に嵯峨は静かに振り返る。
「それを決定するのは俺じゃないですよ。司法局の幹部の判断だ。ただひとつだけいえることはこの胡州軍の動きについて、司法局は強い危機感を持っているということだけですよ。俺にはそれ以上は……」 
 そう言うと嵯峨は手を振って墓の前に立ち尽くす高倉を置き去りにして歩き出した。高倉を気にしながら楓とかなめは嵯峨についていく。そして高倉の姿が見えなくなったところで楓は嵯峨のそばに寄り添った。
「父上、いいんですか?現状なら醍醐殿に話を通して国家憲兵隊の動きを封じることもできると思うのですが?」 
 楓も高倉がアメリカ軍の強襲部隊と折衝をしている噂を耳にしないわけではなかった。エミール・カントの拉致・暗殺作戦がすでに数度にわたり失敗に終わっていることは彼女も承知していた。低い声で耳元でつぶやく楓に嵯峨は一瞬だけ笑みを浮かべるとそのまま無言で歩き始めた。待っていた正装の墓地の職員に空の桶を職員に渡すとそのまま楓の車に急ぐ嵯峨。次第に空の赤色が夕闇の藍色に混じって紫色に輝いて世界を覆う。
 そんな親子を見てかなめは急いで車に乗り込む。嵯峨も静かに後部座席に乗り込んだ。そして発進しようとするかなめを制して助手席の楓の肩に手を乗せた。
「正直、国家憲兵隊は権限が大きくなりすぎた。本来国内の軍部の監視役の憲兵が海外の犯罪に口を挟むってのは筋違いなんだよ。だから高倉さんには悪いが大失態を犯してもらわないと困るんだ。当然相方のアメリカ軍にも煮え湯を飲んでもらう」 
 突然の言葉に楓は振り返って嵯峨の顔を覗き込んだ。そのまま後部座席に体を投げた嵯峨はのんびりと目を閉じて黙り込んでしまった。
「車、出しますね」 
 そう言ったところで楓の携帯端末に着信が入った。
「あ、父上。屋敷に赤松中将がお見えになったそうです」 
 短いメールを見て楓がそう父に知らせるが、嵯峨はすでに眠りの世界に旅立っていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 20

 『滅私奉公』と記された鉢巻。静かに口に含むペットボトルの水。五厘に刈りそろえた頭を一度なでると、青年は静かに手元のボルトアクションライフルのに手を伸ばした。
 彼は典型的な下級貴族の家に生まれ、軍人家庭の長男として育った。
 西園寺兄弟の地球圏国家に対する妥協政策に憤る同志達の面差しが頭をよぎる。軍縮で僅かな恩給を渡されて軍を追われた彼は陸軍の狙撃訓練校の生徒だった。訓練場の沈黙と今目の前に広がる宇宙港の雑踏に違いなど無いと彼は思って手に力をこめる。
 ゆっくりと狙撃銃のストックに頬を寄せ、静かに銃の真上に置かれたスコープを覗き込む。予想した通りこの場所だけが胡州帝都の玄関口、四条畷宇宙港の正面ゲートを見廻せる地点だった。ボルトエンドの突起が隆起していることで、すでに薬室に弾丸が装填されていることを示している。
 大義を知らない宇宙港を笑顔で出入りする愚民を相手に安全装置などかけるつもりも無かった。
「私利に走る佞姦、嵯峨惟基……」 
 青年は一言、ぼそりとつぶやく。その言葉で自分に力がわいて来るような気がしていた。半年にわたる調査と工作活動。同志の数名はすでに投獄されているが、彼等は死んでも今の自分の志を遂げる為に我慢して黙秘を続けてくれると信じていた。そしてこの今、引き金を引こうという指に彼等ばかりではなく胡州の志士達の誇りがかかっていると信じて再びスコープを覗き込む。
『嵯峨大佐は紺の着流しだ。すぐわかる……今ドアを開けた!』 
 ターゲットに張り付いている同志の声が響く。
 見つめる先、確かに紺の着流し姿の男が現れた。腰には朱塗りの太刀。しかし、この太刀は振るわれることは無いだろう。青年は引き絞るように引き金を握り締めようとした。
 その時だった。国賊と彼の呼ぶ嵯峨惟基は明らかに青年の方に向き直った。あまりのことに、青年は引き金を反射で引いてしまった。肩に強烈な火薬のエネルギーを受けて痛みが走る。すぐさま体に叩き込んだ習慣でボルトを開放して次弾を装填していたが、目の前に見える光景に青年は自分の顔が青ざめていくのを感じた。
 着流し姿の男が消えていた。扉の周りの警官隊が、突然響いた銃声にサブマシンガンを抱えて走り回っているのが見える。青年はすぐさま脱出のことを考えたが、振り向こうとする彼の頬に突きつけられた刃に体を凍らせた。
「腕は確かだねえ。惜しかった!実に惜しかった」 
 頬を伝うのは青年の血だった。振り向かなくてもこの憎たらしい声を何度と無く青年は聞いていた。彼にとっては敗北に等しい妥協と、屈辱を遼州星系の民に強いた憎むべき敵。
「国賊が……」 
 青年の言葉に背後の男は我慢することが精一杯とでも言うように笑いを漏らす。
「あんた等の言語のキャパシティーの無さには感服するよ。国賊、悪魔、殺人鬼、人斬り、卑怯者、破廉恥漢、奸物、化け物。まあもう少しひねった言いかたをしてもらいたいものだねえ」 
 そう言って男は剣を引いたが、青年はその機会を待っていた。
 すぐさま落とした銃を手にしよう手を伸ばした。しかし、背後の気配はすばやく青年の意図を察して前へと踏み出す。そして彼が見たのは手首を切り落とされた自分の両腕だった。
 失われた両の手首をじっと見つめて、刀に付いた人肉の油を手ぬぐいでぬぐう男。そこには青年が憎んだ下卑た笑いを浮かべる奸賊の姿があった。そしてその濁った目にたどり着いたとき、焼けるような痛みが両腕に走りそのまま青年は崩れるように倒れた。
「ああ、痛かったかねえ。それに凄い血だ。一応警告しとくけど暴れない方が良いよ。警官隊が来るまであと三分ぐらいかかるから……その傷じゃあ……」 
 そう言いながら痛みに叫びを上げる青年を嵯峨は見下ろしていた。助けるつもりなどさらさら無い。そう言うことを証明するかのように腰の鞘に兼光を戻すとすぐに帯からタバコを取り出して火をつけた。
「大公!」 
 警官隊が嵯峨に向かって走ってくる。だが、彼等の目の前には射殺すべきテロリストが両腕を失ってのた打ち回っている姿があるばかりだった。
「止血だ!急げ」 
 『港湾警備隊』という腕章をつけた駆けつけた警察部隊の隊長らしき男が部下に指示を出すと、部下は両腕を切り落とされた凶弾の射手に哀れみを顔に浮かべながらベストから止血セットを取り出して処置を始めた。
「状況を説明していただけますか?」
 ヘルメットを脱いだ警察の部隊長が青ざめながら薄ら笑いを浮かべる着流し姿の男に声をかけている。青年はその光景を朧に見つめながら意識を失っていった。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 19

 汗が流れ、埃が顔を覆う。
「ほんなら、しまいにするぞ!」 
 そう言ってノックを止めてバットを置く明石。マウンドからよたよたと降りる誠にはほとんど余裕が無かった。夕焼けが空を明るく染め上げている。
「お疲れ様!」 
 そう言って誠の肩を叩くアイシャ。投げ込みを続けていたカウラと、ランニングをしているヨハンを追い回していた要の視線が誠に突き刺さる。
「シュペルター……余所見とはええ了見じゃ!ワレはもう一周するか?」 
 明石のドラ声の届いた先で大きく首を横に振って倒れこむヨハン。気遣いではパーラと並ぶ西となぜか野球部にマネージャーとして参加しているレベッカが備品を集めて回っている。
「それじゃあシャワー……レディーファーストじゃな」 
 そう言うと誠と菰田を睨みつける明石。
「お先に失礼するわね」 
 アイシャはそのままハンガーへかけていく。
「やはり練習はええのう」 
 そう言いながらはげ頭を手ぬぐいで拭いている明石。気を利かせた西が彼にスポーツドリンクの入った水筒を渡す。
「ちょっと、明石さん」 
 そう言ってゲートの方から歩いてきたのは警備班のヤコブだった。いかにも自信が無さそうに明石に声をかけたがその視線が投球練習を終えてハンガーの中のシャワー室に向かうカウラに向いていることは誠にも分かった。
 『ヒンヌー教』の三使徒と呼ばれるヤコブ。出来るだけ関わらないようにと少し誠は距離をとった。
「ゲート前に……その……」 
 いまひとつ煮え切らないヤコブに首をかしげながら立ち上がって近づいていく明石。その迫力にヤコブは恐れをなしたように引き下がる。
「はっきり言わんかい。どこぞのスカウトでも来たのか」 
 その言葉にびくりと反応するヤコブ。
「スコアラーじゃないんですがね……すいませんが来て貰えますか」 
 その言葉を聞いて明石は誠の方を見つめた。
「神前、面かせ」 
 それだけ言うとヤコブの後をついて行く明石。誠も仕方が無いと言うように真っ直ぐに二人の後に続く。正面車止めの前の生垣を抜けた時、フラッシュが一瞬焚かれた。だが、それはすぐに収まり、カメラを向けていた報道陣に失望の色が見えていた。
「えらい盛況やな。それで何か……」 
 そのままゲートの外に群がる報道陣に向かっていく明石。その迫力に怯む報道陣。
「あのー、保安隊野球部キャプテンの明石清海中佐ですよね」 
 一人の女性記者がゲートから身を乗り出してマイクを明石に向ける。彼女の言葉ではげ頭の大男の正体を知った報道陣は再びいっせいにフラッシュを焚く。
「なんじゃ!ワシをどこぞの球団が指名するゆうとるんか?」 
 そう言って目の前の報道陣に睨みを効かす明石。さすがの報道陣も冷や汗を流しながら目の前の大男に愛想笑いを振りまく。
「いえ……、こちらのアイシャ・クラウゼ内野手なんですけど……」 
 スポーツ紙の腕章をつけたカメラマンが恐る恐るそう言った。誠も初対面の明石には怖い印象を持っていた。初めて出会えば誰もがその鋭い眼光とその巨体、そしてその大きな態度に恐怖感を持っても仕方がないと誠は苦笑いで明石を見上げた。
「冗談じゃ。ああ、アイシャか。で、どこの球団が動いとるんじゃ」 
「レンジャーズとブレーブス……それにエンジェルスが獲得の意向を示しているんですが……」 
 とりあえず最初に声をかけた女性記者がそう言った。明石も誠も、はじめは呆然としていた。だが、考えてみれば自然な話だった。都市対抗予選で半分の打点を稼いだのがアイシャだった。特に菱川重工豊川戦では一番サードで打っては先頭打者ホームランを見せ、さらに好守と走塁で優位な試合運びを展開させた張本人である。
「アイシャがか?まあええわ」 
 そう言うと関心を失ったというように振り向いて隊舎に向かう明石。その動きにフラッシュを焚く報道陣。
「おい、ヤコブ。塩でも撒いとけ」 
 警備室に叫ぶ明石。
「でも、ルーナ・カルマの再来と……」 
 同じゲルパルト人造人間組で今や西川アストロズの名ショートの女性選手の名を上げるカメラマン。
「うっさいぞ!ワレ!」 
 彼の言葉に明らかに怒りを交えて答える明石。誠は彼を宥めるようにして生垣に連れて行く。
「いい話だと思うんですがね」 
 そう言う誠を睨みつける明石。
「あのなあ。ルーナ・カルマは天才じゃ。同じ人造人間の生まれやゆうても、それぞれ違いがある。確かにアイシャは一流の勝負師じゃ。度胸も座っとるし、ここぞと言う時、頭の切り替えが早い。だが、ワシが見る限り奴はカルマのようにはなれんわ」 
 そう言うと隊舎に早足で向かう明石。朱色に染まった畑とグラウンド。そこでグラウンドをならしているのは整備班の面々。
「ご苦労さんやのう。久しぶりにええ汗かかせてもろうたわ」 
 気さくに声をかける明石に含み笑いで答える整備員。明石はそのままハンガーに足を踏み入れた。
「タコ中!とっととシャワー浴びちまえよ」 
 タバコを口にくわえている要が頭にタオルを巻いた姿で現れる。その後ろにはスポーツ飲料を飲むカウラの姿も見える。
「おい、クラウゼはどうした?」 
「アイシャ?確かアタシ等より先に出たよな?」 
 要は話題をカウラに振る。ただ静かに頷くカウラ。
「さっぱりした!タコちゃん!シャワー大丈夫だよ!」 
 そう言って満足げな顔をするシャム。
「クラウゼは……」 
 そう言う明石から目を離してグラウンドに視線を移した誠の視界を、慌てるように駆け抜けるパーラの姿が目に入った。
「どないした!」 
 明石のどら声にさらにうろたえるパーラ。ここまでついていない体質があると同情したくなる。誠もあわてて声が出ないパーラを見ながら思った。
「あの!アイシャが……」 
「いきなり記者達を仕切って会見でも始めたか?」 
 明石の笑い声におずおずと頷くパーラ。それを見ると明石の顔から笑いが消えた。
「あのアホ、なにする気じゃ。まあこういう時は……。鈴木の姉さんまだおるかのう?」 
 パーラが頷くと、軽く暮れてきた濃紺の空を見上げた明石はそのまま正門の方に向かった。
「とりあえず鈴木さんと話してくるわ。誠、お前はシャワー浴びて来い。それとカウラ。クラウゼのアホを何とかしろ」 
 背中を向けたままそう叫ぶ明石に敬礼をするとカウラとパーラはゲートへと向かった。
「こりゃあ面白れえな!」 
 不謹慎な笑みを浮かべながら要はカウラ達を追った。一部のスポーツ誌では、法術適正者のスポーツの参加制限を設けるべきだと言う意見も出ていた。確かに誠自身、干渉空間の展開が許されるなら優位に試合を進めることができるのはわかっていた。だがそれが卑怯なことだという認識を持っていた。
 さらにシャムの場合、あの体格で練習試合やバッティング練習で柵越えを連発することがあるのは法術を無意識に発動させ身体強化を行っているらしいということをヨハンから聞いていた。
「シャムさん」 
 シャワー室に行くわけでも、要を追いかけるわけでもなく呆然と立ち尽くしている誠を不思議そうに見つめるシャム。
「アイシャちゃんプロになるのかなあ」 
 ポツリとつぶやいたシャム。確かにお祭り好きなアイシャである。さらにそこいらのモデルも逃げ出すような流麗に流れる紺色の髪と切れ長の目。そして長身で長く伸びる手足。その本質を知り尽くされているので保安隊の男性陣はできるだけ距離を置くようにしているが、確かにプロ選手となればその美貌だけでも一躍人気選手となるのは間違いなかった。
「神前!早くシャワー浴びろ!火を落とすぞ」 
 ハンガーの入り口で叫んでいる巨体はヨハンだった。誠はそのまま全速力でシャムを置いて駆け出す。
「おい、あの真性オタクがプロに指名されるんだって?」 
 警備室の映像でも見たのだろう。ヨハンの後ろには整備部の面々が仕事もそこそこに誠に詰め寄ってくる。ヨハンも彼らを抑えかねたように誠を取り囲もうとする部下達に苦笑いを浮かべた。
「あれだろ、客寄せだよ。法術関連の情報開示が進んでスポーツ界は大騒ぎだからな。何人か法術を上乗せして成績上げてた選手が謹慎くらっただろ?そんな悪評を一応美女アスリート登場って持ち上げて客を呼ぼうって魂胆が見え見えだぜ」 
 ヨハンはそれだけ言うとハンガーを奥へと歩き始めた。
「客寄せですか……」 
 確かに冷静になって考えてみればそれが現実かもしれないと誠も思った。そのまま誠は事務所に続く階段を上った。管理部の明かりは煌々とともっており、中ではいつものようにシンが菰田を説教していた。そのまま廊下を歩き続ける。主を失った隊長室には明かりがない。そしてそのまま男女の更衣室の前を通り過ぎてシャワー室にたどり着いた。
 シャワー室に入ると明かりがついていた。
「神前か」 
 叫び声の主は吉田だった。
「はい、そうですけど」 
 そう言うと共用ボックスから新しいタオルを取り出す。水音は止まない。誠はそのまま練習用ユニフォームを脱いでいく。
「ああ、アイシャの馬鹿が大変みたいだな」 
 吉田の脳はこの部隊のあらゆる端末と接続している。警備部の入り口に取り付けられたカメラの映像も例外ではない。
「まったく迷惑だねえ。タコとリアナさんが出てって記者達と問答してるけど……」 
 そう言う吉田の声を聞きながら誠は裸になってシャワーの個室に入る。
「体育協会の法術規定の件ですか?」 
 法術の存在は軍や警察関係だけではなく、スポーツ界にまで影響を与えた。まず最初に動いたのがヨーロッパサッカーだった。遼州系の選手をすべて解雇したこの過剰とも言える反応は世論を大きく動かすことになった。
 当然住民のほとんどが遼州の現住民族『リャオ』の血を引く東和のスポーツ界も揉めている。法術適正検査はすべてのプロスポーツで行われ、一部のスタープレーヤーの去就についての雑談が話題のない取引先との間を潰すためのやり取りに使われていることは誠も知っていた。それ以外の深い部分での動き、吉田ならネット関連の情報でかなりのところまで知っているだろうと思いながら蛇口をひねる誠。
「まあ、あれだ。軍や警察と並んであおりを受けたのはスポーツ界だからな。ヨーロッパのサッカーリーグの遼州系選手の謹慎処分はやりすぎとしても今シーズン後に多くのプロスポーツ選手が引退させられるのは間違いないしな。特に東和の野球関連の団体はかなりもめてるみたいだぜ」 
 誠は頭から洗剤を浴びて体の汗を流す。吉田はただ打ち水のようにシャワーを頭から浴びているようだった。
「ゲルパルトの人造人間はアーリア人贔屓のお偉いさんの企画立案だからな。遼州人が嫌いで仕方なかった連中が遼州系の血は入れずに作ったわけだから法術なんて使えるわけもないというわけだ」 
 足元に流れていく白い泡を眺めながら誠はただ吉田の言葉を聴いていた。
「確かに身体能力は地球系の女性の比ではない、それに戦争の生んだ悲劇と言うことで脚色すれば客寄せとしては最高の材料になる……世の中面白いねえ」 
 吉田に言われるまでもなく、あの記者の群れを見たときからその思いはあった。そして自分が目指していた世界にアイシャが消えていくのがさびしいと言う思いがあることに気づいて誠ははっとした。
『僕はやはりアイシャさんが遠くに行くのが怖いのかな』 
 黙ったまま水の音だけを聞いていた。吉田は情報には精通しているが人の感情を察することでは中学生以下だと言っていたのはアイシャだった。そして無粋なことをばら撒かせたら銀河でも屈指の存在なのも知っていた。誠は悟られないようにどういう言葉をつむげばいいのか考えていたが、言葉がひとつも見つからなかった。
「さて、俺も上がるかねえ」 
 沈黙に耐えかねたようにそんな言葉を吐く吉田。彼の個室のシャワーの音が止んだ。
「でも、そうすると僕は……」 
 誠はようやく気づいた。自分も法術適正がある遼州系東和人であるということを。
「ああ、アマチュアの協会も動いてるぜ。いろいろ揉めてるみたいだが、公式戦の登板資格の剥奪くらいはあるかもしれないな」 
 立ち止まった吉田がそう言うとそのまま入り口で立ち止まって体を拭いている。
 自分の左手、誠はまじまじと見つめた。指のマメ、腕の筋肉、切り詰められた爪。そう言えばリトルリーグの時代から常に野球をしていた自分からそれが無くなる。事実としては理解できるが、どこかしらわかることを拒んでいるような気持ちがあるのは確かだった。
「神前。どうせカウラ達待たせてんだろ?急げよ」 
 そう言うと吉田はシャワー室を出て行った。誠はあわてて蛇口を閉めて全身の水滴をぬぐい始めた。
 シャワー室を出て私服に着替えた誠がハンガーを出ようとしたところに待っていたのはアイシャだった。
「ああ、神前君」 
 珍しく彼女が自分を苗字で呼んだことに不思議に思いながら、闇に消えていきそうな紺色の長い髪をなびかせている上司を見つめている自分に気づいて、誠は頬を染めてうつむいた。いつもなら軽口がマシンガンのように誠を襲うところだが、アイシャは何も言わずに、ただ暗がりに飲まれていくグラウンドを眺めていた。
「おい!オメエ等。とっととあがるぞ!」 
 秋も深まっていると言うのに黒いタンクトップ一枚の姿の要が叫んでいる。
「ああ、行かないとカウラがかわいそうよね。神前君、行くわよ」 
 心ここにあらず。そんな言葉がこれ以上ないくらい当てはまっているアイシャ。二人が歩き出したのを確認すると、振り返りもせずに歩いていく要。隊の通用門は先ほどまでの記者達の姿は無くいつもの静寂に包まれていた。
「明石中佐はどんな魔法を使ったんでしょうね。あんなにいきり立った記者があふれていたのに」 
「さあ、どうかしらね」 
 誠の横を歩くアイシャの声にはいつもの感情の起伏のようなものが消えて、彼女の本質である生体兵器としての顔が見え隠れしていた。
「早くしろ!マスコミの別働隊が来たらタコの作戦が無意味になるぞ!」 
 車高の低いカウラのスポーツカーの屋根に寄りかかっている要の姿が二人からも見える。アイシャはその声にはじかれるようにして走り出した。誠も突然の彼女の行動に不審に思いながらもついていく。珍しくアイシャが後部座席に乗り込み、その隣には要が座った。
「そう言えば要ちゃん。記者の方々は……」 
「ああ、それか。それなら……」 
 言葉を途中で切ると含み笑いを浮かべる要。いつもならここで要の頭を思い切りはたくアイシャがただ沈黙して敬礼する警備部の下士官達を眺めていた。
「明石中佐はあまさき屋に行くそうだ。記者の奢りで酒でも飲むつもりなんだろう」 
 そう言いながら工場の中の道に出た車のハンドルを切るカウラ。
「ああ、今日はいつものおもちゃを売っている店に行くのか?」 
 カウラはバックミラー越しにいつもと違うアイシャの姿を見て気を使っているように見えた。
「今日はやめておくわ、私は。神前君は?」 
 投げやりにそう言うアイシャに、要もカウラも何も言えないでいた。
「僕もいいですよ。そう言えば今日は菰田曹長が晩飯当番だったような……」 
 その言葉に久しぶりにアイシャがすぐさま反応した。すばやく手にしたバッグから携帯端末を取り出す。
「ああ、私。今日は晩御飯はいらないわよ……って作っちゃったの?じゃあみんなで山分け……上官命令。以上」 
 まくし立てた後、安心したように座席に身を任せるアイシャ。彼女の言葉に親指を立てて無言の賛辞を要が送っていた。
「ラーメンなら奢るぞ、アイシャ。しかし、神前。よく覚えていたな」 
 そう言いながら四人はあのこの世のものとは思えない菰田の料理を思い出していた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 18

 東和共和国の首都、東都の湾岸地区。長距離旅客転移艦船の発着地である『湾岸ゲート』と呼ばれる地区に嵯峨は車を乗り入れた。時期的には観光客の多い季節ではないが、やはり空港の駐車場は混雑を極め、一時間かかってようやく駐車場に愛車のスバル360を停めた。
 周りの車はほとんどが高級車。ため息をついた嵯峨はそのまま秋の風が吹き抜ける駐車場をただ一人歩いていた。着流し姿に下駄と言う格好が珍しいらしく、駐車場を出てターミナルの正面にたどり着いたときには周りから好奇の目で見られることが多くなった。こう言うことには慣れている嵯峨はそのままターミナルの自動ドアに引き込まれるようにして入った。
 中国語、日本語、韓国語、アラビア語、ドイツ語、ロシア語、ウルドゥー語、そして英語。様々な言語でのアナウンスが続く。嵯峨はとりあえず帯に挟んでいた財布からチケットを取り出して運航掲示板と見比べた。
 彼の搭乗予定の船の乗船受付には二時間以上の時間があった。嵯峨は頭を軽く掻くとそのまま近くのベンチに腰をかけた。周りを見回してみれば、背広を着込んだビジネスマンが客層の大半を占めているようだった。誰もがトランクを引き回しながら歩くさまと、自分の気軽な格好を見比べて自虐的な笑みを浮かべる。
 あちらこちらにテロを警戒した警察官がサブマシンガンを下げて巡回している。だが、彼らが役に立たないことは嵯峨は知っていた。
「久しぶりですねえ」 
 嵯峨の隣に座った背広の男が声をかけてくる。その男の存在は愛車のサイドブレーキをかけたときから感じていた。法術師である嵯峨にとって見ればまるで見つけてくれと言うような波動を放ち続けるこの男の存在は気にならないわけがなかった。
「俺は会いたくなかったけどな」 
 嵯峨はそう答えるとベンチの背もたれに体を預けてターミナルの天井を見た。隣に座った優男。嵯峨が年より若く見えるせいで嵯峨の上司の中年のサラリーマンのようにも見える。しかし、その瞳の鈍い輝きがその男が普通のサラリーマンではないことは誰の目にも明らかだった。口元はへらへらとだらしなく開いているが、その死んだような目を見れば彼がどのような修羅場を潜り抜けてきたのかと人は問うかもしれない。
 だが、そんな男に声をかけられてもまるで嵯峨は動揺するそぶりも見せなかった。
「確かに、俺もよくあんたに顔を見せられたものだと自分でも思っていますよ」 
 男はにやりと笑って目の前の筒状のものを握り締める。
「おいおい、桐野。そんな物騒なもの、見つかったらことだぜ」 
 嵯峨は静かにその男、桐野孫四郎の手にある筒状のものを見つめた。
 先の大戦。嵯峨が守る北兼南部基地にやってきた胡州陸軍報国少年陸士隊の隊長を勤めていたのが孫四郎少年だった。拡大しきって補給もままならない彼らの部隊に遼北人民共和国の軍団は圧倒的な物量で押しつぶしにかかった。
 手持ちのアサルト・モジュールは整備不良により故障し爆破放棄された。重火器には弾が無かった。食料すら現地調達という名目での略奪で手に入れるのがやっと。友軍の退路を確保する為、嵯峨は剣を振るうことしかできなかった。収容所に送られて帰国すらできなくなるだろう遼北戦線から捕虜の待遇を保障している南部のアメリカ軍支配地域へと脱出させるため剣を振るう嵯峨の隣に居た一人の少年。
『人斬り孫四郎』
 嵯峨に寄り添うようにして振るわれるその手には嵯峨が与えた名刀、関の孫六が握られていた。何百と言う敵がその刀身に倒された。その狂気が桐野を蝕んでいく様を嵯峨は見守ることしかできなかった。
 終戦後、アメリカ陸軍の実験施設を抜け出して帰国した嵯峨のところにやってきた憲兵隊が知らせたのは桐野が遼南戦線の作戦立案やその人員確保に動いた高級将校数十名を惨殺した容疑で追われているという事実と彼を見つけ次第捕縛してくれと言う依頼だった。
 だが、今こうして平然と警察官も歩き回っている東和の重要施設で嵯峨の隣に座ってにやけた顔を嵯峨にさらしている。嵯峨は再び帯に挟んでいたタバコの箱を取り出してもてあそぶ。基本的に沈黙の嫌いな嵯峨が口を開いた。
「それよりなんだ。お前の飼い主は。どうやら飼い犬の躾もできないみたいだな。夏にはうちのホープが危うくミンチになるところだったぜ」 
 そう言った嵯峨に桐野は薄ら笑いで答える。
「ああ、あのアホですか。その節はご迷惑をおかけしましたね。一応、俺が絞っときましたから安心してくださいよ」 
 そう言って桐野は嵯峨の顔を見つめた。
「そうか。じゃあお前の飼い主によろしく言っといてくれ」 
 そう言って嵯峨はタバコを吸うべく立ち上がって人ごみの中に消えた。
 嵯峨が去った後、桐野はしばらく放心したように何もない空間を見つめていた。そこに革ジャンを着た笑顔を浮かべた男が駆け寄ってくる。良く見ればその顔は別に笑っているわけではなく、顔のつくりが笑っているようなものなのだと気付くのにさほど時間を必要としない。
「ありゃあ化け物ですね。常に干渉空間を展開可能なだけ法力のためを作る。俺にはあんな芸当はできませんよ」 
 そう言いながら嵯峨の座っていた場所に腰を下ろした。
「北川、お前のことも言われたぜ」 
 北川と呼ばれた革ジャンの男は懐に手を入れて買ってきた缶コーヒーを桐野に渡す。
「ああ……、確かにあんな化け物の秘蔵っ子を襲ったのは我ながら無謀だなあとは思いましたよ」 
 北川はまるで反省したというような調子ではなく、あっさりとそう言って手にした缶コーヒーのプルタブを開けた。
「それにしてもいいんですかね。うちの大将はいつかはあの男の首を取るつもりなんでしょ?このままでは確実に保安隊の拡張で手が出しにくくなりますよ」 
 そう言ってコーヒーをすすりながら桐野の気色を窺う。
「それは俺らの判断するべきことじゃない」 
 北川の顔を見るつもりも無い、そんな風にも見える桐野に北川は声もかけない。
「俺はただコイツを振るえればそれでいいんだ」 
 桐野はそう言うと手にしている長い筒を軽く蹴った。重い音が響いて、驚いた北川が桐野の顔を覗き込む。
「そうですね。俺らはただ力を振るえればそれでいいわけですから。別に思想や理想があるわけでもない。ただ、力もないくせにのさばっている馬鹿を潰してまわる。それが俺らのやり方ですから」 
 手にした缶を傾けてコーヒーを口に流し込む北川。同じように手にした缶を右手と左手でもてあそぶ桐野。
「しかし、不謹慎だとは思うんですがね。あの化け物が……嵯峨と言う男が正体を現したら視界に立ってる人間がことごとく挽肉になると思うとわくわくしますねえ」 
 最後の一口のコーヒーを飲み終えた北川のその言葉に桐野は鋭い視線を寄越した。
「ああ、そんな怖い目で見ないでくださいよ。わかってますって。もしそれが望みなら孫六を抜いているって言うんでしょ?それに今回の接触はこちらが最大限の関心を保安隊に持っているということを知らせるだけなんですから、いらない仕事まで背負い込むつもりはないですよ」 
 北川がそこまで言ったところで桐野は立ち上がった。
「帰るぞ」 
 そう言うと肩に関の孫六を入れた筒を担いで立ち上がる桐野。革ジャンのポケットに手を突っ込んだままの北川はそれに続いてロビーを横断していく。その様子を喫煙所で眺めていた嵯峨。
「ずいぶんとまあ物騒な世の中になったもんだねえ」 
 そう言いながらタバコを吸い終えると、帯に手を突っ込んで財布を取り出す。目の前の自動販売機に小銭を入れて彼らの飲んでいたのと同じコーヒーを選ぶ。何度か軽く振ったあと、プルタブを開いた。そして鼻を開いた穴に近づけるが、眉をひそめた。
「なんじゃこりゃ?」 
 そう言いながらも買ってしまった以上もったいないというように渋々口の中にコーヒーを流し込んだ。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 17

 コンピュータルームには先客がいた。モニターを眺めながら腕を組む遼州同盟機構司法局法術特捜首席捜査官である嵯峨の長女、嵯峨茜警視正。指で何かを指しながら小声で彼女にささやくのはカルビナ・ラーナ捜査官補佐。
 突然の来客にも二人のささやきあいは止まる事がない。
「おう、楓と同じようにで禁じられた百合の世界に目覚めたのか?」 
 そう言ってニヤつく要を一瞥してそのまま画面を凝視してラーナの報告を受ける茜。無視されてた要は誠からディスクを取り上げると手前の端末のスロットにそれを挿入する。
「先に報告書あげないと……」 
 端末の前の席に座った誠は恐る恐る要を見上げるが、彼女はまるでその声が聞こえていないかのようにデータの再生のためにキーボードを叩く。
「出たな」 
 モニターに映されたのは先日の実験の時のコックピットからの画像。目の前には巨大な法術火砲の砲身があり、その向こうには森や室内演習用の建物が見える。次第に左端の法力ゲージが上がっていく。
「おい、神前。どのくらいで発射可能なんだ?」 
 誠の頭のこぶをさする要。誠は頭に走る激痛に刺激されたように彼女の手を払いのける。
「そうですね、だいたい230法術単位くらいでいけると言う話ですけど……」 
「違う違う。出力じゃなくてチャージにかかる時間だ」 
 そう言うと今度はカウラが誠の頭のこぶをさする。
「痛いですよ!そうですね、だいたい十分ぐらいはかかりますね」 
 そう言いながら背中の二人を振り返った誠。そこには落胆したような表情の要とカウラがいた。
「使い物にならないじゃねえか!だいたい非殺傷ってところが気にくわねえな。殺傷能力有りの干渉空間切削系の火器の方がコストや運用面で有利なんじゃないのか?」 
 そう言って再び誠の頭のこぶを叩く要。
「確かにそうですわね。でも私達は司法機関の職員ですのよ。破壊兵器の開発は軍の領域。私達にはどうにもできないじゃないですか」 
 横槍を入れたのは茜だった。彼女の口調が嫌いだと日ごろから公言している要が発言者を睨みつけた。
「確かに、我々の本分は治安維持行為だ。無用な死者を出すことは職域を越えている」 
 納得したように頷くカウラ。呆れたように手を広げた要の後ろのセキュリティーロックが解除されて嵯峨が入ってきた。
「おう、お仕事かい!ご苦労だねえ」 
 そう言いながら山のように積み上げられた雑誌がある真ん中のテーブルに腰掛ける嵯峨。
「お父様、手ぶらなんですか?お土産くらい……」 
 呆れたように着流し姿の嵯峨を見る茜。
「ああ、荷物なら別便でもう送ったからな。それにどうせ殿上会に着ていく装束はあっちの屋敷の蔵から引っ張り出すつもりだし」 
 そう言いながらも嵯峨の視線は誠達が再生している動画に移った。
「ああ、これか。しかし、非破壊設定だろ?制御系はどうなってるのかね」 
 嵯峨の言葉で一同は画面を見つめた。画面右上に地図が表示され、誘導反応にしたがって効果範囲設定が設定されていく。
「おい、指定範囲と範囲内生命体の確認画面?こんなのも必要なのか?」 
 呆れる要。腕組みしたまま動かないカウラ。
「とりあえず一射目はこれでやりましたよ」 
 そう言う誠の目の前で法術射撃兵器の周辺の空間がゆがみ始めた。
「俺がやるとこのまま空間崩壊が起きるなこれは」 
 そう言う嵯峨を無視して画面を凝視する誠達。桃色の光が収束すると、砲身が金色に光りだした。法術単位を示すゲージは振り切れている。
「ここです」 
 誠の声と同時に視界は白く染め上げられた。しばらく続く白い画面が次第に輪郭を取り戻す。
『第一射発射。全標的に効果を確認』 
 オペレータ役のヨハンの淡々とした声が響く。大きくため息をつく誠の吐息まで聞こえる。
『第二射発射準備開始。法術系バイパス解放』 
 誠の震えている声に要が思わず噴出す。
「笑うこと無いじゃないですか」 
「すまねえな。今度こそまともな射撃なんだろうな」 
 すぐにまじめな顔に戻った要が誠を睨みつける。
「ええ、機体の地図情報から効果範囲を設定。そこへの到達威力の測定がメインですから。一応成功しましたけど」 
 そう言って胸を張る誠のこぶを押さえる要。痛みに脂汗を流しながら誠は黙って画面を見つめた。
「ああ、いいもの見せてもらったよ。茜、留守は頼むぞ」 
「お父様、それは明石中佐におっしゃったらどうですの?」 
 鋭い切れ長の目からこぼれる視線に気おされるように身をそらした嵯峨はそのままテーブルから立ち上がる。
「じゃあ、お前等もちゃんと仕事しろよ」 
 そう言うと娘を無視して嵯峨は部屋を出て行った。
「……仕事って言ったって、模擬戦のデータ収集と豊川警察の下請けの駐禁切符切る以外に何があるんだよ」 
 そう言って要は再び今度は爪を立てて誠の頭のこぶを突いた。
「マジで勘弁してくださいよ!」 
 涙目で誠は叫んでいた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 16

「お待たせしました」 
 そう言って駆け寄る誠を見上げたのは寮の入り口の隅の喫煙所でタバコをくゆらせている要だった。
「あの、アイシャさんとカウラさんは?」 
「気になるの?」 
 そう言って突然誠の後ろから声をかけるアイシャ。振り返るといつもと変わらぬ濃い紫色のスーツを着込んだアイシャと皮ジャンを着ているカウラがいた。
「それじゃあ行くぞ」 
 そう言って寮を出る。空は青く晴れ渡る晩秋の東都。都心と比べて豊川の空は澄み渡っていた。
「こう言う空を見ると柿が食べたくなるな」 
 そう言いながら路地にでた要。カウラはそんな要の言葉を無視して歩いていく。緊張が走る中、ドアの鍵が開かれるといつも通り真っ先に助手席を持ち上げて後部座席に乗り込む要。そんな要と渋々要の隣に乗り込む誠を見た後、アイシャはそのまま助手席に乗り込んだ。
 ガソリンエンジンがうなりをあげる。
「確かに遼州は石油が安いけどもう少し環境に配慮したエネルギー政策を取ってもらいたいわね」 
 手鏡で自分の前髪を見るアイシャ。動き出したカウラの車はいつものように住宅街を抜けた。いつもの光景。そして住宅街が突然開けていつも通りの片側三車線の産業道路にたどり着く。昨日の醜態を思い出して沈黙を守る誠。三人の女性の上官は察しているのか珍しく静かにしている。順調に走る車は渋滞につかまることも無く菱川重工業豊川工場の通用門をくぐる。
「生協でも寄っていくか?」 
 カウラが気を利かせてアイシャにそう言うが、アイシャは微笑んで首を振る。そのまま車を走らせて保安隊の通用門。マリアの部下の警備兵達はあくびをしながらゲートを開けた。
「おい、叔父貴、来てるじゃねえか。なにかあったのかね」 
 駐車場に止められた白い軽乗用車。スバル360。嵯峨の愛車である。
「本当ね、忘れ物でもあったのかしら」 
 そう言いながら一発で後進停車を決めたカウラよりも先に助手席から降りるアイシャ。
「それにしても……」 
 誠と要の視線は駐車場の奥に釘付けになった。次々と出勤してくる隊員達も同じ心持なのだろう、次第に人垣ができ始める。
 熊がいる。昨日のグレゴリウス13世である。こちらは理解できる。しかし、その隣に同じ色の小さな塊に全員の意識が集中した。
 熊の着ぐるみを着たシャムが柿を頬張っている。目の前にはかご一杯の柿。シャムに付き合うようにしてグレゴリウス13世も柿を食べる。
「見なかったことにするぞ」 
 熊コンビに意識を持っていかれた二人の襟首を引っ張るカウラ。逆にアイシャはそのままシャム達めがけて歩いていく。
 グラウンドには一人ランニングをする大男、明石清海中佐。手で軽く挨拶をすると二人はそのままハンガーに足を踏み入れた。
「おはようございます!」 
 声をかけてきたのは西だった。隣ではレベッカがメガネを光らせながら、シャムの05式の上腕部の関節をばらしていた。
「早いな、いつも」 
 カウラはそう言うとそのまま奥の階段に向かおうとするが、そこに着流し姿の嵯峨を見つけて敬礼した。
「なにしてるんですか?隊長」 
 カウラの声で振り返った嵯峨は柿を食べていた。
「いいだろ、二日酔いにはこれが一番なんだぜ。まあ俺は昨日はそれほど飲めなかったけど……」 
 そう言って階段の一段目を眺める嵯峨。そこで下を向いて座り込んでいたのはランだった。
「あのー、クバルカ中佐。大丈夫ですか?」 
 そう言う誠を疲れ果ててクマのできた目で見上げるラン。
「気持ちわりー。なんだってあんなに……」 
 そう言って口を押さえるラン。
「こりゃ駄目だな。おい、ラン。俺の背中に乗れよ。話があるからな」 
 そう言って背中を見せる嵯峨。仕方が無いと言うように大きな嵯峨の背中に背負われた姿はまるで親子のようにも見えた。
「おい、カウラ。ちょっと吉田の馬鹿連れて来い。どうせシャムと遊んでるんだろ?」 
「ああ、そう言えば駐車場にシャムとグレゴリウス13世がいましたから」 
 そう言って敬礼をすると駆け出すカウラ。
「そう言えば昨日の報告書。出し直しだと」 
 嵯峨は無情に誠にそう言うとそのまま階段を上り始める。
「そんな……」 
「書式が違うじゃねーか。……アタシは……、はあ。東和軍の書式じゃなくてここの書式で書けって言ったはずだぞ」 
 虫の息でもきっちり仕事の話に乗ってくるラン。誠はランを軽々と背負って歩く嵯峨について階段を登った。管理部の部屋でいつものように殺意を含んだ視線を投げかけてくる菰田を無視してそのまま嵯峨と別れてとりあえずロッカールームへ向かう。
 ドアを開けるとキムが着替えを終えたところだった。
「お前、何やったんだ?昨日は」 
 そう言うとキムは誠の頭のこぶに手を触れる。
「痛いじゃないですか!」 
「ああ、すまんな。それにしてもあのちびっ子。本当に明石の旦那の跡を継ぐのか?」 
 ドアに手をかけたまま誠にそう尋ねるキム。
「そんなの僕が知るわけ無いじゃないですか」 
「いやあ、お前はクラウゼ中佐と一つ屋根の下に暮らしてるだろ?そう言う話も出るかと思って」 
 そう言ってニヤリと笑う。だが、誠は彼の顔から目を逸らして頭のこぶに物が当たらないよう丁寧にアンダーシャツを脱いだ。
「アイシャさんはそう言うところはしっかりしていますから。守秘義務に引っかかるようなことは言いませんよ」 
 実は何度かアイシャの口からはランの配属の話は出ていたが、やぶへびになるのも面倒なのでそう言って誠はそのままジャケットを脱いだ。キムはつっけんどんに答える誠に意味ありげな笑みを一度浮かべるとそのまま出て行く。
「ったく。僕はアイシャさんのお守りじゃないんだから」 
 そう独り言を言いながらワイシャツのボタンをかける。誰も掃除をしようと言い出す人間のいない男子更衣室。窓にはプラモデルやモデルガンが並び、ロッカーの上には埃を被った用途不明のヘルメットが四つほど並んでいる。
「年末には掃除とかするのかなあ」 
 そう思いながら着替え終わった誠はドアを開いた。
 すぐにつかつかと歩いて扉を開けば実働部隊の詰め所。そこには誰もいなかった。確かにまだ九時前、いつものことと誠はそのまま椅子に座った。ガラス張りの廊下側を眺めていると、吉田が大急ぎで走っていく。そのまま誠は昨日の日報が机に置かれているのを見た。開いてみると珍しく嵯峨が目を通したようで、いくつかの指摘事項が赤いペンで記されていた。
「明石中佐も呼ばれているみたいだな」 
 いつの間にか部屋にはカウラが入ってきていた。そのまま彼女は誠の斜め右隣の自分の席に座る。
「休暇中の連絡事項なら昨日やればよかったんじゃないですか?」 
 そう言って明石と吉田の席を見やる誠。だが、カウラは誠より保安隊での生活に慣れていた。
「今日できることは明日やる。まあ、嵯峨隊長はそう言うところがあるからな」 
 そう言ってカウラは目の前の書類入れの中を点検し始めた。
「どわ!」 
 突然女の子の叫び声がしたかと思うと、シャムの顔がドアに押し付けられていた。
「いい加減大人になれよ、オメエは」 
 そう言いながらドアを開く要。突き倒されたシャムはまだ熊の着ぐるみを着ている。
「酷いよ!要ちゃん!」 
 そう言って要を見上げるシャムだが、カリカリしている要は残忍な笑みを浮かべて指を鳴らしている。さすがにその凄みを利かせた姿に冷や汗を流しながら後ずさるシャム。
「じゃあ、脱皮しようかな。誠ちゃん!背中のジッパー下ろして!」 
 そう言って誠に背を向けて近づいてくる。仕方なく立ち上がった誠だが、カウラの視線の痛みが涙腺を刺激する。ジッパーに手をかけたとき、誠はあることに気がついた。
「あの……、ナンバルゲニア中尉?もしかして下着しか着てないとかいう落ちじゃないですよね」 
 この言葉にカウラだけでなく要までもが視線を誠に向けてくる。その生暖かい雰囲気に誠は脂汗が額ににじむのを感じていた。
「早くしないと要ちゃんに食べられちゃうよ!」 
「アタシが何で出てくるんだ?」 
 そう言って拳を固める要を見て進退窮まったと感じた誠は、一気にシャムの着ぐるみのジッパーを降ろす。
「脱皮!」 
 そう言って現れたのは東和陸軍と同型の保安隊の勤務服を着たシャムだった。
「本当に驚かせないでくださいよ」 
「なんだ、オメエもロリコンだったのか?まあどこかの胸無しと仲良しだからロリコン入っていても不思議はねえがな」 
 そう言ってカウラを見下ろす要。カウラはそんな要を完全に無視して書類を読み続けていた。
「ワレ等、少しはおとなしくできんのか?」 
 ドラ声が響いて明石が入ってくる。運動の後という事で珍しくサングラスを外しているので、いつものはげ頭がさらに輝いて見える。その後ろに続く吉田は着ぐるみをたたんでいるシャムのところに行くと大きくため息をついた。
「叔父貴はなんか言ってたのか?」 
 要の言葉に一瞬言葉をためらう明石だが、それをさえぎるように吉田が口を開く。
「ああ、マリアの姐さんのご一行も休みをとらなきゃならなくなるってことでな。それの穴埋めの人員の帳尻あわせの会議だよ。まったくいつもぎりぎりにこう言う話を持ってくるから泣きを見るのはいつだって俺等だ」 
 そう言いながら着ぐるみをたたもうとするシャムに手を出してははたかれている吉田。
「マリアの姐御が休み?どっかでクーデターでも起こす予定でもあるのかね」 
 そう言って要は誠の真向かいの自分の席に座る。
「あっ!」 
 急に誠が叫んだ。
「驚かすんじゃねえよ。なんだ?」 
「クバルカ中佐に報告書の再提出を頼まれたんで……。ちょっと冷蔵庫に入りますね」 
 そう言って立ち上がる誠。
「ああ、終わったらこのディスクの内容にも目を通しておいてくれねえかな。先日の実験のデータが入ってる」 
 そう言って吉田が胸のポケットから小さなディスクを取り出す。
「はあ」 
「おい、行くぞ!」 
 吉田から渡されたチップを見つめる誠の背を叩いたのは要だった。
「そうだな、私にもその実験結果を確認する義務がある」 
 そう言ってドアを開いた要の後ろに続くカウラ。
「待ってくださいよ!」 
 いつの間にか二人に挟まれるようにして廊下に出た誠。そこからは隊長室から出てくるキムとエダの姿が見えた。
「おう、お二人さん。なんだ?婚約の報告でもしてたのか?」 
 ニヤニヤと笑いながらキムを見上げる要。
「仕事の話ですよ。出張任務」 
 そう言い切るキムにがっくりと肩を落とす要。
「つまんねえなあ。神前、そのディスク貸せよ」 
「部屋に入ってからにしろ」 
 要とカウラに連れ込まれるようにして、誠は冷蔵庫と呼ばれるコンピュータルームのセキュリティーを解除した。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 15

 まず、誠が最初に感じた感覚は頭の頂点に激しい痛みがあるということ。そのまま目を開けずにその場所をさする。確かに大きなこぶができていた。そして次に自分の布団の隣でなにやら争うような物音がしていると言うことを感じた。すぐに意識を取り戻した誠はその音の主を見つめた。そこにはエメラルドグリーンの透き通るような髪が揺れていた。
「あの、カウラさん?それと……」 
「ああ、目が覚めたのか」 
 要はそう言うと腕をカウラの首に巻きつけて締め上げ始めた。
「何やってるんですか!」 
 思わずそう言うと飛び起きた誠は要の腕を引き剥がそうとした。だが、その独特の人工皮膚の筋の入った強力な人口筋肉は誠がどうにかできるものではなかった。しばらくカウラを締め上げた後、満足したとでも言うように要は手を放した。
「この女が昨日ずっとお前の部屋にいやがったからな。制裁を加えていたんだ」 
 黙って咳き込むカウラを見ながら悪びれもせずに答える要。確かにこの保安隊下士官寮に誠の護衛と言うことで同居を始めたカウラ、要、アイシャの三人はできるだけ他の部屋に入らないようにと寮長の島田が説明しているところに誠も同席していた。そのことを盾に不法侵入を繰り返すアイシャに要が制裁を加えている場面には何度か行き当たっていた。
「別に制裁なんて……どうせ昨日も泥酔した僕が暴れて看病でもしてくれていたんじゃないんですか?」 
 そう言う誠の顔を見て、タレ目を光らせながらばつの悪そうな顔をして頭をかき始める要。
「……お前、力の加減くらいはしろ」 
 ようやく息を整えたカウラが要をにらむ。
「あー、頭痛い。誠ちゃん起きた?」 
 そう言ってさも当然のように入ってくるのはアイシャだった。シャワーを浴びたばかりのようで胸にタオルを巻いただけのあられもない姿でドアを開けて立っている。要は誠を指差す。
「元気そうじゃないの。ごめんね、昨日はどこぞの馬鹿が飲んだらどうなるかわからないちびっ子に酒を飲ませたからこんなことになっちゃって……」 
 そんなアイシャの言葉で昨晩意識を失う直前に見た薄ら笑いを浮かべる幼女、ランの表情が思い出されて頭を押さえる誠。
「そう言えば今は何時ですか?」 
 そう言う誠に要が腕時計を見せる。まだ7時にはなっていない。とりあえず余裕がある時間だった。
「あの、お願いがあるんですが」 
 誠は三人を見回す。察したアイシャはそのまま出て行った。
「着替えたいんで」 
 その言葉でようやく要とカウラは立ち上がった。
「先に飯食ってるからな」 
 ドアを閉めて去っていく要。誠はゆっくりと起き上がるとアニメのポスターの張られた壁の下にある箪笥から下着を取り出す。
 そしてすぐドアを見つめた。隙間から紺色の髪が見え隠れしている。
「あの、アイシャさん。なにやってんですか?」 
 そんな誠の言葉で静かにドアが閉じられた。
 隠れていたアイシャを追い返すとそのまますばやく着替えを終える。そして廊下に出ると誰にも行き会わずに食堂に入った。いつものことながら技術部法術技術技師長、ヨハン・シュペルター中尉が食事当番の時の朝食は豪勢である。
 最高級のウィンナーとハム。それにスクランプルエッグが食欲を誘う。どれも材料は東和の有機栽培農場から取り寄せた最高級品とシャムの育てた菜園の恵み。食べることに人生をかけているヨハンは自分の給与を割いてまで食卓の充実に力を尽くしていた。それを味わうこともなく口に詰め込む要。
「要ちゃんは味なんてわからないんでしょうね」 
 そう言いながら緑色のジャケットを着たアイシャがちゃんとマスタードを塗りながらウィンナーソーセージを食べている。
「そう言えば今日から隊長休みだったわよねえ」 
「知らねえよ、アタシは叔父貴の保護者じゃねえんだから」 
 周りは半分も食べていないと言うのに皿の隅に残った卵のカスを突くだけになった要が答える。
「殿上会。お前も恩位で伯爵の爵位を持っているんだから出ないといけないんじゃないのか?」 
 そう言いながらトマトを箸で掴むカウラをあからさまに嫌な顔をした要が見つめる。当主ではない要も一応は胡州の有力貴族の息女として女伯爵の位を持っていることは誠も知っていた。
「誰が出るかって!あんな鼻持ちなら無い公家連中の相手なんて想像しただけで吐き気がするぜ」 
 そう言いながらテーブルに置かれたやかんから番茶を汲む要。
「そう言って、実は康子様に会うのが嫌なんじゃないの?」 
 アイシャのその言葉にびくりと震え、静かに湯飲みをテーブルに置く要。
「康子様?」 
 不思議そうに要の顔を見る誠。その名前を聞いてから確かに要の行動がどこか空々しいものになっている。
「ああ、この胡州四大公筆頭西園寺要嬢のご母堂様よ。まあ胡州帝国西園寺基義首相のファーストレディーと言った方が正確かしら」 
 タレ目で迫力が減少しているとは言え、明らかに殺意を込めた視線をアイシャに送りながら要は番茶をすすっている。
「別名、遼州星系最強の生物」 
 そう付け加えると茶碗の中の最後のご飯を口に突っ込むカウラ。
「要さんのお母さんがですか?」 
「そう言ってたろ、こいつ等も」 
 ぎこちない動きを見せる要に思わず噴出しそうになる誠。だが、ここで噴出せばただではすまないと必死にこらえて茶碗のご飯を無理やり喉に押し込んだ。
「まあ康子様からの電話を取り次いだ時のあの隊長の恐怖に震える表情は最高だったけどねえ」 
 そう言いながら自分の手元にやかんを持ってくるアイシャ。
「体調がびびる……つまり凄い人なんですね」 
「凄いんじゃねえよ、ただのアホだ」 
 誠の言葉に、要はそう自分の母を切って捨てた。
「あんまりそう言うこと言うもんじゃないわよ。当代一の薙刀の名手。自慢くらいしてみなさいよ。ああ誠ちゃん酒臭いわよ。たぶん空いてるからシャワーでも浴びてきなさいよ。そのままじゃ姐御達にいろいろ言われるわよ」 
 アイシャはそう言うと誠の肩を叩いた。
「30分で支度を済ませろ。遅れたら置いていくからな」 
 カウラもそう言うと立ち上がった。誠は番茶も飲めずにそのままシャワーへいかなければならない雰囲気に立ち去らなければならなくなっていた

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 14

 意外なことに誠の目が光を捉えた瞬間には覚悟していた頭痛が無かった。だが、明らかに浮遊感と胃の焼け付くような痛みが誠を襲う。
「珍しいわね、この状況で目が覚めるなんて。だいぶ肝臓が鍛えられてきたのかしら」 
 そう言って倒れている誠の顔を覗き込んだのはリアナだった。そして今居るのが自宅ではなくあまさき屋の宴会場だと言うことを思い出した。リアナはいつものひまわりのような笑みを浮かべて団扇を手に誠の顔を仰いでいる。状況を理解してすぐさま起きようとする誠だが、自分の格好が全裸であり、股間にタオルを乗せられただけの姿であると気付いて顔が赤くなっていくのを感じた。
「カウラちゃん!誠ちゃんの服は?」 
 リアナが叫ぶと突然空からトランクスが降ってきて誠の顔に乗っかる。
「あのー、パンツはくんで」 
 そう言って起き上がろうとする誠。くるくると回る周囲の光景の中、力の入らない両腕でどうにか上体を起こした。
「ハハハハハハ!」 
 少女の笑い声が聞こえる。そしてバチバチと何かを叩く音。
「痛てえ!馬鹿野郎!誰がコイツに酒飲ませた!」 
 叫び声の主は要。誠がそちらに首を向けると、笑い声の主のランが、バチバチと要の背中を叩き続けていた。
「春子さん、ちょっと……」 
 嵯峨は完全に酒を飲む雰囲気ではないことを悟ったようにいつの間にか騒ぎから離れる為か、遠くの下座にいて春子に声をかけていた。誠は暴れるランに皆の目が言ってるのを確認すると、素早くパンツをはいた。
「誠君。どうせみんな見慣れてるから急がなくても大丈夫よ」 
「鈴木中佐……そう言う問題じゃないんですけど」 
 そう言って誠はジーパンと上着を探す。一心不乱にお好み焼きを焼き続けているシャムの隣にあるジーパンを見つけて四つんばいで近づく誠。パンツ一丁の誠が入ってきたのを珍しい生き物を見るような視線で見つめるシャム。
「こいつが目的だな」 
 そう言って吉田がジーンズを渡す。
「吉田さん。シャツとかは?」 
 誠の言葉に吉田はけたたましい笑い声が響くランの鉄板の隣の席を指差した。そこには真っ赤な顔のアイシャが眠っていた。誠はさらに目を凝らした。そして彼女が何かを枕にしているのがわかる。
 白いシャツ。黒いジャケット。それを纏めてアイシャは枕にしていた。せせこましいカッコウでどうにかジーンズを履くと誠は立ち上がろうとした。だが、まだラム酒のアルコールで三半規管は麻痺している。仕方なく再び座り込むとそのままアイシャのところにまた四つんばいで近づく。
「馬鹿が。ちょっと待ってろ」 
 アイシャの隣でマリアと向かい合い烏龍茶を飲んでいたカウラがアイシャの頭の下の誠の服を引き抜く。
「痛い!」 
 そう言って目を覚ますアイシャ。それを見た明華と明石がめんどくさそうな顔で起き上がるアイシャを眺めていた。
「むう……」 
 赤い顔のアイシャが誠を見上げた。誠は思わずアイシャのトロンとした視線から目を逸らす。自然とアイシャを見守っていたパーラに目が行く。だが、パーラは無慈悲に首を横に振った。
「誠ちゃん!」 
 アイシャが誠にしがみついた。
「好きなの!大好き!」 
「止めてください!アイシャさん!」 
 腹の辺りを思い切り絞り上げるように全身の力を込めて締め上げるアイシャ。誠は鯖折状態で彼女を振り払おうとする。
「よう、アイシャ。何してんだ?」 
 ようやくひっくり返って眠り始めたランから解放された要が誠とアイシャを見つめる。
「見てわからないんれすか?これはれすねえ……えへ……」 
 完全に出来上がっているアイシャ。彼女がさらに誠に密着をはじめるのを見て要が残忍な視線を誠に向ける。
「これはですねえ」 
「何なのか私も知りたいが」 
 誠は恐る恐る振り返る。エメラルドグリーンの髪をなびかせるカウラ。
「これはですねえ……」 
「愛なのら!」 
 叫ぶとすぐに今度は誠の顔に自分の顔を密着させるアイシャ。
「パーラさん……」 
 冷静でいるのは彼女くらいだろう、誠はそう思いながら隣の席を見るが、彼女は携帯端末で運転代行業者と会話中だった。
「明石中佐……」 
 明石と明華は二人で仲良く一枚の広島風お好み焼きを突いている。
「リアナさん……」 
「はい、なあに?」 
 いつもの笑み。この人がこの状況で役に立つとは思えない。
「吉田さん……」 
「まあがんばれや」 
 吉田とシャムは食べるのも忘れてこの状況を観察することを決めているようだった。
「マリ……」 
 周りを見回すが姿を見ないところからマリアはすでに帰った後だった。
 当然のことながら下座にはもう嵯峨の姿は無かった。
「あの……」 
 今度はアイシャは首を振ろうとする誠の頭を両腕で固定した。
「あの……」 
 そしてそのまま誠を押し倒そうとするアイシャ。一瞬視界が消えた。続いたのは頭の頂点に与えられた強力なエネルギーとそれが生み出す痛み。
「新入りが!いちゃいちゃするんじゃねーぞ!」 
 手にはビール瓶の首だけを掲げているランの姿。顔を真っ赤に染めて満面の笑みで誠を見つめている。そして痛みとともに再び誠の視界は暗転した。


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テーマ : 自作連載小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 13

 あまさき屋のある豊川駅前商店街のコイン駐車場に着いたときは誠はようやく解放されたという感覚に囚われて危うく涙するところだった。予想したとおり、後部座席に引きずり込まれた誠は要にべたべたと触りまくられることになった。そしてそのたびにカウラの白い視線が顔を掠める。
 そして、明らかに取り残されて苛立っているランの貧乏ゆすりが振るわせる助手席の振動。生きた心地がしないとはこう言うことを言うんだと納得しながら、さっさと降りて軽く伸びをしているランに続いて車を降りた。
「おい、西園寺……」 
 カウラが車から降りようとする要に声をかけたが、ランのその雰囲気を察するところはさすがに階級にふさわしかった。手を要の肩に伸ばそうとするカウラの手を握りそのまま肩に手を当てた。
「カウラ。あまさき屋だったよな。案内しろよ」 
 そのランの言葉でとりあえずの危機は回避されたと安心する誠。
「つまんねえなあいつもあそこばかりじゃ。たまにはこのままばっくれてゲーセンでも行くか?」 
 そう言う要にちらりと振り返った鋭いランの視線が届く。要もその鋭い瞳に見つめられると背筋が寒くなったように黙って誠についてくる。
「相変わらず目つき悪いなあ……」 
「あんだって?」 
「いえ、なんでもございませんよ!教導官殿!」 
 要が大げさに敬礼してみせる。すれ違うランと同じくらいの娘を連れた要と同じくらいに見える女性の奇妙なものを見るような瞳に、舌打ちする要。あまさき屋の前で、伸びをして客を待っていた自称看板娘の家村小夏(いえむらこなつ)が誠達を見つけた。
「あ、カウラの姐御と……妹か何かですか?このちっちゃいのは。このゴキブリ女の」 
「おい!誰がゴキブリだ!それにコイツは……」 
 そこまで言ったところで要の顔を射抜くような目で見つめているランがいた。
「いいか良く聞けよ!このお方は、東和共和国陸軍特機隊の教導官、クバルカ・ラン中佐だ!まもなく明石中佐の後任として保安隊副長になられるお方だ!良く覚えておけ!」 
 そんな要の言葉に小夏は体が硬直した。恐る恐る小夏の視線がランに近づく。
「ああ、世話になるな。こいつ等の躾が甘かったのは許してくれよな」 
 そう言ってそのまま引き戸を開けようとするランを混乱状態の小夏がどうにか引き止めた。
「あのね、ランちゃん。ここは子供が入って良いとこじゃないのよ。カウラの姐御!またゴキブリ女と組んで私を担ぐつもりでしょ?ねえ、兄弟子も!」 
 パニックに陥ってカウラと誠に泣きつこうとする小夏。だが、何も言わずにカウラはランの襟の階級章を指差した。小夏の目が、一瞬にして正気を取り戻す。東和軍の特機隊志望の小夏である。階級章くらいは当然わかっていた。そこに有るのは実物の中佐の階級を示す金の二本の線と二つの星。そしてランも慣れた調子で懐から身分証を取り出した。
「別にこう言う扱いは慣れてんだよ。ちゃんと生年月日みろよ。なんなら国防省に問い合わせても良いんだぜ?」 
 身分証まで見せられた小夏は、ここで急に直立不動の姿勢をとった。
「申し訳ありませんでした!中佐殿!」 
 そう言って小夏は引き戸を開けて敬礼してランを迎え入れた。
「お母さん!」 
 小夏はカウンターで仕込みをしていた母、家村春子に声をかけていた。振り返った春子は、軽く手を上げているランを見ると笑顔を浮かべた。
「ランさんお久しぶり」 
 そう言ってカウンターから出てきた春子はランの手をとった。
「そうか、こいつが小夏か。ずいぶんとでかくなったもんだな」 
「いえ、いつまでも子供で……シャムさんと一緒に馬鹿なことばかり。もう少し女の子らしくしなさいって言ってるんですけどねえ」 
 そう言って笑いあう二人。小夏はもとより、要もカウラも唖然としてその様子を見ていた。
「ちび……じゃなくて教導官はお春さんとお知り合いなんですか?」 
 無理に敬語を使おうとしながら要が言った言葉に軽く頷いたラン。
「まあな。隊長がちょっと用があるからって時々連れ出されてな。もう四年も前か?胡州陸軍の馬鹿と撃ちあいになったこともあったなあ」 
 そう言って要を見上げるラン。誠も二人がなぜ知り合いなのかすぐに分かった。四年前の東都での非合法密輸ルートの権益をめぐり、さまざまなシンジケートや支援する国家が非正規部隊を投入して行われた抗争劇『東都戦争』。春子はシンジケートの幹部の情婦として、要は胡州シンジケート、後の近藤資金を確保する非正規部隊員としてその抗争劇に参加していた。そしてその中に嵯峨の姿があったらしい言う噂も知っていた。
「ちっけえから気付かなかった……うげ!」 
 余計なことを言った要が腹にランのストレートを食らって前のめりになる。
「それより誰か先に着てるんじゃねーのか?」 
「ええ、リアナさんとマリアさんが来てますよ。それと……」 
 春子はそう言うと入り口に目をやった。携帯端末を手に持ったポーチに入れようとする明華がいる。
「ああ、着いたんだな。隊長はもうすぐ着くそうだ。それと茜はパーラ達の車に便乗するはずだったけど車がないと面倒だって。それで吉田だが……」 
 そこまで言うと、明華は急いで二階に駆け上がる。誠達もその後に続いた。
「はーあ、勘弁してくれます?」 
 宴会場の窓から顔を出す吉田。その額にはマリアのバイキングピストルが押し付けられている。
「くだらないことをするもんじゃないな」 
 そう言うとすぐにジャケットの下のホルスターに銃をしまうマリア。
「マリアちゃんたら!それと吉田君。あんまりふざけてばかりいたら駄目よ。一応、誠君達の上官なんだから。ちゃんと見本になるような態度をとらないとね」 
 そう言ってリアナは空になったマリアのグラスにビールを注ぐ。
「気のつかねー奴だな」 
 そう言ってランは誠を見上げる。誠は飛び上がるようにしてリアナのところに行って、彼女からビール瓶を受け取ろうとする。
「いいわよ、本当に」 
「でも一応、礼儀ですから」 
 そう言って遠慮するリアナから瓶を受け取ると、リアナが手のしたグラスにビールを注いだ。
「オメーラも座れよ。隊長達が来たらそん時に乾杯やり直せばいいだろ?」 
 自然と上座に腰をかけたランがそう言って一同を見回す。窓から入ってきた吉田とシャムが靴を置く為に階段を降りるのを見ながら、誠と要、そしてカウラはリアナの隣の鉄板を囲んで座った。
「それじゃあ、皆さんビールでいいかしら?ああ、カウラさんは烏龍茶だったわよね。それと要ちゃんはいつものボトルで……」 
 そう言って春子はランを見た。
「いいんじゃねーの?」 
 上座で腕組みをして座っている幼く見える上官を要とカウラは同じような生暖かい視線で見つめる。
「なんだよ!テメー等は!」 
「甘いサワーかなんかの方が良いんじゃねえのか?」 
 要のその言葉に、鋭い目つきにさらに磨きをかけるようにして要を睨むラン。
「おう、わかった!ビールだ!春子さんビールで!」 
 そう言ってすることもなく割り箸を取って割ってみせるラン。
「じゃあビールね」 
 そう言うと春子はシャムと吉田とすれ違いに階下に下りていく。
「ランちゃんビール飲めるようになったんだ!」 
 シャムのその言葉に誠はランを見つめた。
「飲めるよ!昔から。ただ……」 
「苦いのが嫌いだとか言うんだろ?ホントお子様だなあ」 
 そう言う要を睨みつけるラン。だが、そんな子供っぽい正体をさらしてしまうと、誠にも再びランが見たとおりの幼女に見えてきた。
「おう、着いたぞ!」 
 そう言って階段を上がってきたのは嵯峨だった。続いてくる茜はいつもどおり淡い紫色の地に雀が染め抜かれた着物を着て続いてくる。
「茜。和服で運転は危ねえだろうが」 
「ご心配おかけします。でもこちらの方が慣れていますの」 
 そう言うと茜はランの隣に座る。嵯峨もランが指差した上座に座って灰皿を手にするとタバコを取り出した。
「あの、隊長」 
 カウラが心配そうに声をかける。
「ああ、お子様の隣ってことか?わかったよ」 
 そう言うと嵯峨はタバコをしまった。ランはただ何も言わずにそのやり取りを見ている。
「ちょっと誠君、手伝ってくれるかしら?」 
 顔を出した春子。最近では誠はほとんど従業員のように使われている。あまさき屋には他にも源さんと言う板前がいるが、もう60を過ぎた体に無理はさせられない。いつものようにちょっとした集まりでもビール一ケースを軽く空ける保安隊の飲み方では必然的に誠のような雑用係が必要になる。
 以前は同じ役回りをシャムがしていたらしいが、今ではそれは誠の仕事になっていた。誠は立ち上がるとそのまま階段を降りて、小夏が抱えているビールのケースを受け取る。
「ああ、間に合ったみたいね」 
 そう言って店に入ってきたのはアイシャとパーラだった。
 それを見たアイシャの反応は早かった。素早く誠の手からビール瓶を奪い取り、春子の盆からグラスを取り上げると真っ直ぐにランの前に座った。
「では、中佐殿お注ぎしますね」 
 満面の笑みを浮かべて、口元が引きつっているランのグラスにビールを注ぎ始める。
「おっ、おう。ありがとーな」 
 なみなみと注がれたビールを微妙な表情で眺めるラン。気付けば茜やシャムがビールを注いで回っている。
「オメエも気がつけよ」 
 そう言うと要は誠にグラスを向ける。気付いた誠は素早く要のボトルからラム酒を注ぐ。
「おう、じゃあなんだ。とにかく新体制の基盤ができたことに乾杯!」 
 そう言って嵯峨が音頭をとって宴会は始まる。じっとランが目の前の自分のコップの中のビールを見つめている。一口だけ酒や烏龍茶を口に含んだ一同はランの冷や汗を流している姿を見ていた。
「やっぱ、餓鬼には無理かねえ」 
「無理じゃねーよ!」 
 要の挑発に乗るようにしてランはグラスに口をつける。そのまま伸びをするようにしてビールを飲み干していく。
「あ、あのう。大丈夫ですか?」 
 心配性なパーラが声をかけた。グラスのビールを飲み干したラン。彼女が思い切りゲップをする。
「汚ねえなあ……」 
 そう言う要を睨みつけた後、ランはアイシャにグラスを差し出す。
「もう一杯だ、注げ」 
 そう言われて慌てたようにアイシャは瓶を取り上げてビールを注ぐ。またなみなみと注がれたビール。覚悟を決めたと言うように一気に喉に流し込むラン。急にランの表情が変わった。飲み干して、じっとグラスを見るラン。
「うめーな」 
 ポツリとつぶやくラン。その言葉に要は慌てたような表情を浮かべる。
「嘘言うなよ、苦いの嫌いなんだろ?」 
 そう言ってラム酒を飲み干した要をタレ目で見つめるラン。
「馬鹿言うなよ。ビールは喉越しっていうだろ?舌で味わうと苦いばかりだったが、冷えたのを喉に流し込むと結構いけるじゃねーか」 
 そう言って飲み干したグラスを再びアイシャの方に向けるラン。
「さあ、皆さん。こちらをどうぞ!」 
 階段を上がってきた春子と小夏が次々とテーブルにお好み焼きの素を置いていく。
「豚玉!」 
「はい、師匠は三つですよね」 
 叫ぶシャムに小夏が三つの豚玉の小鉢を渡す。
「そう言えば久しく食ってねーな。お好み焼きは」 
「じゃあ、えび玉はどう?」 
 ランにえび玉を渡す春子。気の早いマリアはリアナと一緒にイカ玉と格闘を始めた。
「後は明石さんが遅れて来るんでしたっけ?」 
「まあ、本部に行ったわけだからそう簡単には帰してくれねえだろうけどな」 
 春子の言葉を聞きながらビールを煽る嵯峨。
「しかし、ビールを克服されるとは……」 
「おう、要。何でも来いよ!」 
 また注がれたコップを空にしたランは嬉しそうに要を見上げる。
「それじゃあこれは……」 
 そう言って自分のラム酒を取り出そうとしたところで明華にその腕を掴まれた要。
「なに、今度はランをおもちゃにする気?ちゃんと自分ので遊びなさいよ」 
 そう言って誠を見る明華。要はにんまりと笑ってグラスに手を伸ばそうとする誠をさえぎってそれを取り上げた。
「そうだよなあ、オメエと遊んでやらねえと」 
 そう言うと要は誠のグラスになみなみとラム酒を注いで誠の前に置いた。
「これ、飲まないと駄目なんですよね」 
 沈んだ声を出す誠。要と明華、そしてランの視線が誠に集まる。
「あの体格だ、結構飲めんだろ?コイツも」 
「いや、こいつは飲みすぎると面白いことになるからな」 
 ニヤニヤ笑みを浮かべながら小声で話し合う明華とラン。
「許大佐。ちょっと神前を苛めるのはやめた方がいいですよ」 
 カウラはそう言って烏龍茶を口に含む。彼女の焼く鉄板の上の野菜玉が香ばしい匂いを放っている。
「ドサクサ紛れに早速焼きやがって」 
 その様子を見た要が対抗してイカ玉を鉄板に拡げた。
「あの、西園寺さん。どうしてもこれを飲まなければいけないんですか?」 
 さすがにこれから教導に来てくれる教官を前に無作法をするわけにはいかないと、誠はすがるような気持ちで要に尋ねる。
「ああ、じゃあ隣の下戸と一緒に烏龍茶でも飲んでろ」 
 そう言うと要は自分のイカ玉を小手で馴らした。
「うめーな、ビールって」 
 そう言って手酌でビールを飲み続けるラン。
「でもランちゃん顔が赤いよ!」 
 巨大な豚玉にソースと青海苔をかけながらシャムが突っ込みを入れた。
「後は烏龍茶にしたほうがいいな」 
 自分の隣の瓶を空にしたマリアが小夏が気を利かせて持ってきたウォッカのボトルに手を伸ばしている。
「そうですよ、中佐。タコ中が来たときには本当に真っ赤になってるんじゃないですか?」 
 アイシャがそう言うが、聞かずにビールを開けては面白そうにグラスに注ぐ行動を続けているラン。小さなランが次第に顔に赤みを帯びていく様を楽しそうに見つめている要の隙を見つけると、誠は素早く小夏に要に注がれたラム酒のグラスを渡し、新しいグラスにビールを注ぎなおす。
「あー、いい気分」 
 ご満悦のラン。リアナ、マリア、明華の三人はさすがに言っても無駄だと自分達のお好み焼きを焼くことに集中している。
「ああ、来たみたいだぜ、タコ」 
 吉田の言葉を聞いていたのはカウラとパーラ、そして誠くらいだった。
「ああ、やっぱそれくらいにしろ。後はジュースでも何でも飲めよ」 
 一応上官であり、アサルト・モジュール教導の師でもあるランに気を利かせて要が言ってみた。
「なんだ?アタシに説教とはずいぶん偉くなったじゃねーか、要よー」 
 その要を見る目は完全に座っていた。この時になってようやく要は間違いに気づいた。すでにアイシャとパーラは何かを感じたとでも言うように黙ってえび玉を焼いている。
「ああ、すんませんなあ。ワイの分もあるでしょうか?」 
 独特のイントネーションで喋る大男、明石清海(あかしきよみ)中佐が階段を上がって顔を出した。
「おう、先にやらしてもらってるぜ。ランは……」 
 嵯峨がランの鉄板を見ると、もう飲むことをやめたランが不自然な笑いを浮かべながら座っている。仕方が無いと言う表情でアイシャとパーラの鉄板をすり抜けてランの隣に体をねじ込む明石。
「空酒はいかんのう。ちゃんとワシが焼いてやるけ、どれがええか?」 
 そう言ってメニューをランに見せる明石。
「おう!それじゃあこの広島風で!」 
 そう言って焼きそばののったお好み焼きを指差すラン。
「あの!ほんますいませんなあ、春子さん。広島風のデラックス、二つおねがいしま」 
 空のグラスを見つめる明石の視線を感じて素早くアイシャの隣に置いてあるビールの瓶を持って近づく誠。
「よう気がつくのう」 
 そう言いながらにこやかに笑いつつグラスに注がれていくビールを明石は眺めていた。明石の手と比べると小さく見えるグラスに注がれたビールだが、明石は当然のように一息で飲み干す。
「ああ、ええのう。全く生き返るわ」 
 そう言うと明石は誠に空いたビールを差し出した。誠は慎重にビールを注ぐ。
「ああ、隊長。本局には高梨の旦那も来とりましたわ。誘うたんじゃけどあの御仁、頭が硬とおまんな」 
 再び一息でグラスを空けた明石は誠からビール瓶を奪い取った。
「ワレも食え。後はワシがやるけ」 
 明石はこう言うところで気が回る性格である。確かに見た目はヤクザ以外には見えないがあの気難しい明華が結婚を決意したのも頷ける男気があると言うものだった。
「ああ、焼いてあげてるわよ、誠ちゃん」 
 誠の野菜玉を転がしているのはアイシャだった。要とカウラが、なんとか手を出そうとしているが、こう言う気を使うことにかけてはアイシャが抜け出している。だが、手が空いた誠がビールを飲み始めると、すぐにタレ目の要のこめかみに青筋が立った。
「あっ!神前!テメエアタシの酒を捨てただろ!」 
 要の怒鳴り声で思わず噴出す誠。アイシャはそれを無視して焼きあがった野菜玉を切り分けて誠の前に置いた。
「毎回いじられてばかりじゃかわいそうでしょ?はい、誠ちゃん口を開けて!」 
 そう言って自分の箸に掴んだお好み焼きを誠に向けるアイシャ。
「あ!俊平!見てみな!」 
 誠とアイシャの姿を見つけたシャムが大声で叫ぶ。マリア、リアナ、そしてパーラが誠とアイシャを見つめた。
「何やってんだ!この色ボケ!」 
 そう言って顔を突き出す要にアイシャは気おされる風もなく逆に睨み返す。
「あら、なにか私、変なことしてるかしら?」 
 逆に顔を要に近づけて挑戦的な視線を送るアイシャ。誠は生きた心地がしなかった。いつもなら時間的には要に脅されてラム酒を一気飲みして意識を飛ばして裸踊りを始める時間だった。今日は完全に意識が冷めている。なるほどこのような状況が展開していたのかと、珍しく晴れた意識で周りを眺めていた。それを察したのだろう。怒鳴りあう要とアイシャに見つからないように壁伝いに近づいてきた小夏が先ほど誠が預けたラム酒がなみなみと注がれたグラスを差し出してくる。
 次第に激高する要がアイシャの襟首を掴んだ。ぎりぎりと締め上げる要の腕を掴むアイシャだが、相手は軍用の義体のサイボーグである。止めに入ったカウラの手も全く要を止める役には立たない。
 今できること、誠はそう考えて目の前のグラスを眺めた。他の選択肢など無かった。受け取ったラム酒を一気に煽る誠。
「あ、やっちゃった」 
 その姿を見つけたパーラの言葉が耳の中に響く。
 そして誠の意識は完全に途切れた。

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テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 12

 昼飯を終えると誠は冷蔵庫と呼ばれる電算室にいた。目の前の空間に浮かぶ画面は二分割され一つは先ほどの戦闘が、もう一つはランに提出を求められた戦闘時における対応のレポートが映し出されていた。
「誠ちゃん」 
 後ろの声をあえて無視して誠は作業を続けていた。もうすぐ定時である。とりあえずレポートを書き終わった誠はランに指定されたフォルダーにそれを保存すると伸びをした。
「あのね、誠ちゃん」 
 誠はそのまま自分の肩を叩いて戦闘の様子が映し出されている画面を見つめていた。
「誠ちゃんってば!」 
 さすがに誠も耳元で大声を出されて後ろを振り返ってしまった。そこにいたのはシャムである。
 別に彼女がここにいるのは不思議なことではない。グレゴリウス13世の小屋の材料費。勤務中の整備班員が勝手に近くのホームセンターで買い集めた部品を請求されたシャムが、吉田の入れ知恵でそれを厚生費でまかなうことにしたようで、そのデータの入力の為に夕映えの中シャムはこの部屋に入ってきていた。
 シンに正式な経理書類を作成するように言いつけられてシャムはその書類に必要事項を入力した。管理部の書類作成は原則特殊なプロテクトがかかった専用システムでの入力が義務付けられており、端末がない実働部隊の机では対応できずにシャムがここに来るのは至極当然と言えた。
 だが、彼女が着ている着ぐるみが誠に彼女を見ないようにという意識を植え付けた。シャムの着ぐるみは誠が保安隊に配属されてからすでに二つ増えていた。
 情報統括責任者である吉田のアバウトな性格から、この電算室は一種の無法地帯となっていた。テーブルには明石が読んでいた野球の専門誌や、アイシャのBL漫画が散らばっている。部屋の端に落ちているバイクのサスペンションのスプリングは島田が置いたのだろう。他にも整備員の私物と思しきモデルガンやラジコンのプロポまで転がっている。
 そんな部隊員の私物や雑誌が放置されている冷蔵庫の中で、シャムの着ぐるみは異彩を放っていた。その中でも今日初めて着ると言う緑色の着ぐるみは異質だった。
 最近、オリジナルキャラらしいものにはまったシャムは、わけのわからないデザインの緑色の着ぐるみを着て誠を見つめていた。
 誠は正直何も言いたくなかった。
 それはもうなんだかよくわからない姿になっていた。サボテン人間か苔に寄生されたオランウータンか、ともかく誠の知識や理解の範疇から逸脱した奇妙な緑色の塊と化したシャム。しかし、上官であるシャムを無視するのも限界に達した時、都合よく電算室の扉が開いた。
「神前、おわったか?」 
 そう言うと手に缶コーヒーを持った要が現れた。脂汗を流してじっとしている誠に向けて要は真っ直ぐ歩いてくる。
「ご苦労なことだな。カウラももうすぐ着替え終わるだろうからこれでも飲んでろよ」 
 そう言うと要は誠に缶コーヒーを手渡した。
「要ちゃん!」 
「ああ、そう言えばアイシャの奴はパーラの車で出るって言ってたから待たねえで良いってさ」 
「要ちゃん!」 
「それにしてもオメエ、結構がんばって……」 
「要ちゃん!」 
「うるせえ!!」 
 無視を決め込んでいたシャムの顔を掴むと、要はその右耳を引き出してその耳元に怒鳴りつけた。さすがにこれにはシャムも参ったとでも言うように、右耳を押さえてその場にうずくまった。
「そんなにしなくても聞こえるわよ……」 
 涙目で答えるシャム。だが、要もこの異様な格好をしている小学生もどきを一瞥すると何もいえなくなって目を逸らした。
「あ!私のこと馬鹿だと思ってるでしょ?」 
 叫んだシャムに要はまた目をやった後、すぐに誠に視線を移す。
「アホが伝染るとまずいから行くか」 
 そう言ってシャムを置いて立ち上がった誠を連れ出そうとする要に追いすがる為に、シャムは必死で着ぐるみを脱ぐ。ビリッと布が裂けるような音がした。
「ああっ!要ちゃんがせかすから!」 
 涙目のシャムを要はちらりと覗いた後、廊下に出た誠にあわせるようにして冷蔵庫にシャムを置き去りにした。
「いいんですか?あまさき屋でまたナンバルゲニア中尉に泣かれますよ」 
 誠はあまりにも露骨な嫌がり方をする要にそう言った。
「ああ、どうせシャムだぜ。目の前に食べ物置かれたら忘れるだろ?」 
 そう言うと二人は実働部隊控え室に入った。
 アメリカ海軍からの出向者である第四小隊を迎えて、それまで机が点々と置かれているだけだった控え室も少しは司法執行官の執務室にふさわしい数の机がそろっていた。
「遅かったな」 
 すでにカウラは席に座って携帯端末で先ほどの誠の戦いを繰り返し見ていた。
「飽きねえなあお前も。吉田は隊長室か?」 
 そう言うと要もカウラの正面の席に座った。
「ああ、クバルカ中佐とお姉さん、それに姐御が二人とも入ったまま出てこないな」 
 お姉さんと言えばリアナ、姐御と言えば大きい姐御が保安隊警備部部長マリア・シュバーキナ少佐、小さい姐御が技術部部長許明華大佐を指す保安隊の専門用語である。
「タコは帰らないのか?」 
 この部屋の主である明石清海中佐の机を見ながら要がつぶやく。
「ああ、何でも同盟司法局の研修で偉い先生に質問を始めたら先生が勝手に盛り上がって説明が長引いたんだそうだ。本局から直接あまさき屋に行くからということだったな」 
 ここまで言うとアイシャは扉の外に手を振った。誠が振り返るとそこにはパーラとエダが手を振っている。
「アタシ等もいくか?」 
 要はそう言うと椅子をきしませながら立ち上がる。
「そう言えばクバルカ中佐の足はあるのか?」 
 そう要に尋ねるカウラだが、要は無視してそのまま部屋を出ようとする。
「あの鬼チビも餓鬼じゃねえんだ。タクシー呼ぶくらいのことならできるだろ?」 
 そう言うと要は一人、静かに部屋を出て行った。
 廊下に出て周りを見回した誠。もう秋も深くなろうとしている。すでに夕日は盛りを過ぎて、紺色の闇に対抗するべく蛍光灯の明かりが降り注ぐ。
「あの、僕も着替えたほうが……」 
 勤務服姿の誠の問いに肩に手を当てる要。
「いいんだよ、こいつだって先月までは制服以外の服はろくに無かったんだからな」 
 そう言って要は後ろに立つカウラを親指手指した。
「お姉さんにそうしろと言われただけだ。その……」 
 そう言って顔を赤らめるカウラ。要は今度はカウラの肩に手を乗せる。
「なんだ?お姉さんに何を言われたんだ?」 
 そう言ってうつむくカウラに絡みつく挑戦的な表情の要。そしてねちっこくカウラの頬を突く。そのタレ目はゆっくりと方向を変えて誠を見つめた。うつむいたカウラのエメラルドグリーンの髪が蛍光灯の明かりに照らされて輝いて見える。
「何してるの?カウラちゃん、要ちゃん」 
 突然声をかけられて飛びのく要。そこにはお茶菓子の皿を持ったリアナが立っている。
「お姉さんじゃないですか、驚かさないでくださいよ」
 そう言うと良いことを思いついたとでも言うようにリアナに近づいていく要。
「そう言えばなんかコイツにふきこみましたか?」 
 要にそう言われると口に指を当てて天を見上げたリアナ。
「別に何も言ってないわよ。それより誠君、着替えたほうがいいわね。一応いつものあまさき屋とはいえ、腰に拳銃下げてぶらつくわけにも行かないでしょ?」 
 リアナは誠の腰にぶら下がっているホルスターを軽く叩いた。そして要とカウラに向き直った。
「丁度いいわ。二人とも上がりでしょ?これ洗っといてくれない?」 
 そう言うとリアナは手にしていた盆を要に渡す。喰いかけの羊羹や飲みかけの緑茶の残った湯飲みを見て嫌な顔をする要。
「なあに、上官命令よ」 
 そう言うとリアナはそのまま隊長室へと向かう。
「じゃあ着替えてきますね」 
 肩を落としている要にそう言うと誠は廊下を早足で歩いた。雑用を押し付けられた後の要のわがままぶりを知っている誠はとりあえず着替えを早く済ませるのが上策と言うことで、すれ違う時に軽く手を上げたヨハンを無視して更衣室に飛び込む。
「上がりですか。ご苦労様です!」 
 中にはつなぎを着込んだ西が立っていた。
「夜勤か?大変だね」 
 そんな誠の言葉に、西は軽く頷く。
「仕方ないですよ、島田先輩は出張中ですから仕事が結構たまっちゃうもので。それにレベッカさんも早く05式の整備に慣れたいって言ってくれるんで……それじゃあ!」 
 誠は冷やかすタイミングを計っていたが、西は計算したように華奢な体を翻して飛び出していった。
 誠は大きくため息をつくと自分のロッカーを開き、指紋認証の保管庫を開く。そのままガンベルトを外して中に納めて扉を閉める。自動で鍵がかかる音がする。作業着のボタンを外す誠の後ろでドアが開く音がした。
「よう、上がりか?良い身分だねえ」 
 そう言うのは菰田主計曹長だった。誠は正直この先輩が苦手である。
 彼の唱える『ヒンヌー教』は保安隊の一大勢力ともいえる非公然組織として保安隊や他の軍や警察にすら知られていた。教義は『ほのかな胸のふくらみが萌えるだろ?』と言う非常にマニアックで感覚的な言葉である。スレンダー美女を崇拝し、彼らの定義する『萌え』を備えた女性をあがめ奉る宗教である。
 その生きた神がカウラだった。
「そう言えば神前曹長は今日はあまさき屋に呼ばれているんだよねえ」 
 耳まで伸びた油ぎった髪を掻きあげる菰田の言葉に誠は仕方なく頷く。
「うらやましいねえ、俺もパイロットになれば良かったよ」 
 そう言って上目遣いに見つめてくる態度。確かに要でなくてもそのまま襟首を締め上げたくなる、そんなことを考えながらズボンをはきかえる。
「まあ、今日はあのクバルカ中佐が主賓だからね。せいぜい失礼を……?」 
 そこまで言ったところで菰田の手が止まる。菰田の視線はドアに向かっている。誠の目に映る菰田が、跳ね上がるように背筋を伸ばすとブリーフ姿で敬礼をした。慌てて誠もドアに視線を移す。
「いいんだぜ、気にしなくてもよー」 
 そこに立っていたのはランだった。
 シャムよりもさらに小柄な、小学校に入ったばかりと言うような体格のランが腕組みをして誠を見つめている。とりあえずズボンのベルトを締めると敬礼をしようとした。
「だから、いいって言ってんだろ?それよか神前……」 
 そう言ってランはいかにも自然に男子更衣室に入ってくる。
「アイシャの分、カウラの車の席空いてんだろ?乗せてくれるように頼んでくれよ」 
「は?」 
 いかにもばつが悪いと言うように頭をかきながらつぶやくラン。
「別に良いですけど、直接頼んだらどうですか?」 
 そう言った誠に冷めた視線を浴びせるラン。
「そいつは正論だがなあ……アタシがアイツ等にものを頼むってのは借りを作るみてえで気持ち悪りーんだ。まあ、オメーになら頼みやすいからな」 
 そう言うランを後目にジャケットを羽織ってバックを掴んでロッカーを閉める誠。
「なるほど、頼みやすいのか。ふうん」 
 突然の声に振り向いたラン。そこにはランをタレ目で見つめている要とブリーフ一丁の菰田に思わず目を押さえるカウラの姿があった。
「いやいや、中佐殿、教導官殿を乗せることには自分は全く反対しませんよ。なあカウラ」 
 とりあえず更衣室を出た誠とランに声をかける要。
「まあ、そうだな。私の車でよければ」 
 そう言うと菰田に背を向けて車のキーを出して歩き始めるカウラ。
「すまねーな。オメー等も疲れてんだろ?」 
 引きつった笑みを浮かべるラン。それをいつものタレ目をさらにまなじりの下がった姿にして要が見下ろしている。
「いえいえ、アタシ等は中佐殿と違って暇を持て余していますから。明日はご予定は?」 
 そう言う要に、思わず釣られて携帯端末を取り出すラン。
「一応、今日じゃなく明日に嵯峨大佐に会うつもりでいたから明日の昼間はまるまる空いてるんだ。夜からは遼北陸軍第二十三混成特機連隊の夜間教導の予定が入ってるけどな」 
 そう言うとランは要の顔を見上げた。ランの顔は完全に『しまった』と言う顔をしている。
「それじゃあかなり付き合えそうですねえ」 
 まなじりが下がりっぱなしの要を見て、誠も不安を感じていた。だいたいこう言う表情を要が見せるときはろくなことが起きない。
「それと、コイツは酒の飲み方が出来ていないんでねえ。できればそちらの方を教えてあげて欲しいんですけど……」 
 やはりこちらに風を向けた要。誠が緊張しながら振り返るランを見つめる。だが、ランもどこかしら先ほどまでの自信にあふれた姿を失って不安そうに誠を見上げた。
 これでは本物の小学校二年生である。
「そいつは……教えてやならないといけねーな」 
 頬を引きつらせながらハンガーの階段をカウラに続いており始めるラン。西達夜勤組の整備班員がランの姿を見て敬礼する。軽く手を上げて答えるランだが、どこかしら不安そうな表情が口元に浮かんでいる。
「どう言う酒の飲み方……ってあの餓鬼酒を飲んだことがあるのかね」 
 階段を下りてハンガーを抜けもうすでに闇夜に包まれようとするグラウンドに出る。そらは隣接している菱川重工豊川の出す明かりで煌々と照らしだされていた。二人はそのまま本部前の駐車場に向かう。駐車場には茜の高級セダンと吉田のワンボックス。それにパーラの四輪駆動車が残っていた。
「パーラの奴、まだ残ってるのか」 
 そう言うとカウラは自分のスポーツカーの鍵を開ける。
「あいつ等だろ。どっかで遊んでるんじゃねえの?」 
 要はそんなことを言いながらさも当然と言うように助手席のドアを開けると狭い後部座席に乗り込んだ。
「なんだよ。アタシじゃねーのか?そこは」 
「いえいえ、中佐殿にはこのような狭い場所はふさわしくないですから」 
 そう言って笑う要を見てカウラは思わずこめかみに手を当てた。

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テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 11

「結構……もったじゃねえか!」 
 要が少し引きつった笑いを浮かべている。カウラはハンガーの脇の先ほどの戦闘が映っている画像を何度も巻き戻しながら見ていた。目の前には西が敬礼をしている。何か自分でも不思議な感覚に囚われたように感じながら、誠は静かにコックピットから降りた。
「カウラ!ちっとは新人の教育の仕方がわかってきたみてーだな。まあ詰めは甘いけどな」 
 モニターとにらめっこをしているカウラにそう言うと、ランは慣れた調子でそのままエレベータも使わずに05式から降りて大地に立っていた。
「それとアイシャ!」 
 明石の機体からエレベータで降りようとしているアイシャ。彼女は自分の方にランの関心が移ったと知るやびくりと背筋を震わせる。
「一応、予備って言ってもオメエもパイロットだろ?もう少し何とかならねーのか?神前に頼りっきりってのは感心しねーな」 
 奥から出てきたキムが図ったようにランにタオルとスポーツドリンクを差し出す。ランはそれを受け取ると奥から出てきたレベッカを見つめた。
「オメエさんが島田の馬鹿の代わりか?」 
 突然どう見ても幼女としか思えない姿のランに声をかけられて、レベッカはわけもわからず頷いていた。
「来週にはアタシの07式が届くはずだからな。明華には話しをしといたが、細かい設定とかの要望はお前さんに出すように言われてるから後でデータの送付先、教えてくれよ」 
 そう言うとそのまままだ画面を見つめているカウラに向かって歩いていく。
「なんかわかったか?」 
 後ろからランに声をかけられて、カウラは驚いたように振り返って直立不動の姿勢をとる。
「おいおい、ここはお前等のホームだろ?アタシはまだただ立ち寄った客みたいなもんだ。それにあのおっさんのやり方もあるだろうからな。もっと力抜けよ」 
 ランは笑いながらそう言ってそのままスポーツドリンクのボトルを手に執務室のある階段を登り始めた。
「お疲れ様でした!」 
 そう叫んだのはアイシャだった。ランは口元を少し緩めると軽く右手を上げてそのまま階段を登っていった。
「あの餓鬼、いつかシメる」 
 そう言いながらハンガーの扉に拳を叩き込む要。アイシャはすぐに彼女に駆け寄ると要の拳ではなくそれが叩き込まれたハンガーの扉をさすった。さすがに手加減をしたらしくへこんでいないことを確認すると、アイシャは要の肩に手をおく。
「しょうがないじゃないの。一応あんなちびっ子でも私達の教官なんだから。それに腕は確かなのは一番気に入られていた要ちゃんが良く知ってるんじゃないの?」 
 アイシャのその言葉に、口の中でぼそぼそ聞こえない言葉を漏らしながら要はそのままグラウンドの外で熊と戯れているシャムと整備員達の方に向かって歩いていった。
「しかしあの人、なんであんなに……」 
「ちびっ子なのか聞きたいんでしょ?あの人は天仙だから」 
 アイシャの口にした『天仙』と言う言葉に誠は首をひねった。
「かつてこの銀河を支配した超古代文明の遺産がこの星の人々なのは知ってるでしょ?彼等の技術は人が望むあらゆることを可能にしようとした。そのくらいのことは中学校でも習うことよね」 
 その教え諭すようなアイシャの口調に誠は頷いていた。
「その一つ、不老不死。それを遼州の人々は手に入れることに成功した……まあ犠牲にしたことも多かったみたいだけど」 
「ちょっとアイシャさん。それは御伽噺の……」 
 誠がそう言い掛けたが、アイシャの顔は笑っていなかった。地球人がこの星に植民を始めて300年が過ぎようとしているが、この星の先住民族『リャオ』についての研究は進んでいないと言うことになっていた。入植と同時に起きた胡州の独立戦争に端を発する動乱で100年ほどの時間を浪費し、その間に多くの先住民族の遺構は失われ、混血が進んだ。実際大麗出身のキムや胡州の平民出身の西や地球がらみで配属になった第四小隊の面々とレベッカ以外は『リャオ』の血が濃く残っているのは遺伝子検査で分かっていることだった。
「誠ちゃんは隊長とは付き合い長いんでしょ?あの人昔と変わったところある?」 
 そうアイシャに言われて誠は戸惑った。
 確かに彼女が言うように嵯峨は何一つ変わっていない。いい加減な態度はもちろん、誠とはじめてあった時には三十も半ばだったと言うのに今の姿と同じく誠よりも年下な二十歳くらいに見える。ただ誠はそう言うものだとしか思っていなかった自分に恥じた。
「じゃあ隊長も……」 
「知らなかったの?まあ、このことはうちの部隊でも第一級の秘密事項だから」 
 あっさり言い切るアイシャに呆れる誠。
「一応僕もこの部隊の隊員なんですけど」 
 そう言う誠にアイシャは寒い笑いを浮かべる。
「だってシャムちゃん見てれば、そんなこと誰でも想像つくんじゃないの?だから誰も言わなかったのよ」 
 さらにアイシャの笑いが寒く感じられる。思わず誠はモニターを確認し終わったカウラに目を向けた。
「ずいぶんとやるもんだな」 
 近づいてきたカウラのその言葉に誠は思わず笑みを浮かべていた。そんな誠にアイシャがボディーブローを入れる。
「まったく誠ちゃんは!私と話したら次はカウラ?本当に見境無いんだから」 
 咳き込む誠にカウラが駆け寄った。
「酷いですよ……アイシャさん」 
 そのままグラウンドに走り出すアイシャ。
「あいつ、最近お前にきつく当たるようになったな。なにか身に覚えがあるんじゃないか?」 
 カウラのまるで空気を読んでいない発言に誠はただ、咳き込むしかなかった。

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テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 10

「それじゃあアタシはシャムの機体使うからな」 
 ハンガーに入って口を開いたランはそこまで言うとまた誠をにらみつけた。かわいらしい少女とも見えたが、その目つきの悪さは誠の背筋を冷やすのには十分だった。
「なんだ?その面は」 
 そう言うと近づいてくるラン。
「いえ!何でもないであります!」 
「声が裏返ってるぞ。まあいいや、さっさと乗れよ。パイロットスーツなんかいらねえからな」 
 そう言うとランは敬礼している整備兵達を押しのけてシャムの第一小隊二号機へと歩いていった。
「大変ですねえ、神前さん」 
 耳打ちをする西。彼と一緒に誠はコックピットに上がるエレベータに乗った。
「島田班長は本当についてますねえ、今の時期にクバルカンに出張で」 
「島田先輩がどうかしたのか?」 
 そう尋ねる誠に西は後悔をしたような表情を浮かべる。そしてゆっくりと語り始めた。
「班長は元々パイロット志願で、クバルカ中佐の教導受けていたんですよ。ですがクバルカ中佐はああ言う人でしょ?パイロットなんか辞めちまえ!って言われてそのままパイロットを辞めて技官になったんですよ。今でも時々酒を飲んだときとか愚痴られて……」 
 エレベータが止まる。シャムの機体を見るとこちらをにらみつけるランの姿が見える。西は誠の後ろに隠れてランの視線から隠れた。
「まあがんばってくださいね」 
 コックピットに乗り込む誠に冷ややかな視線を浴びせる西。誠はそのまま整備の完了している愛機のシミュレーションモードを起動させた。点灯した全周囲モニターの一角に移るランの顔。鋭い視線が誠をうがつ。
「神前。秘匿回線に変えろ!」 
 鋭いランの一言に誠はつい従ってアイシャの映っているモニターに映像が映らないように回線をいじった。
「西にいろいろ言われただろ?アタシが島田をどつきまわしてパイロットをあきらめさせたとかなんとか」 
 まるで会話を聞いていたように言われた誠は静かに頷くしかなかった。
「まあ、アタシの教導は確かに厳しいと思っておいて間違いねーよ。だがな、それはオメー等のためなんだ。戦場じゃあ敵は加減なんてしてくれねーし、味方がいつも一緒に居るとは限らねー。自分のケツも拭けねー奴に何ができるってんだ。だからアタシは加減はしねーし怒鳴るときは怒鳴るからな」 
 相変わらず乱暴な言葉遣いのランがそこまで言うと、不意にこれまで見たこともないようなやわらかい子供のような表情を浮かべた。
「でもまあ、アタシは期待している奴しかぶっ叩いたりしねーよ。アタシはオメーに期待してるんだ。まあ才能の片鱗とやらを見せてくれよ」 
 そう言うとランの顔に無邪気な笑顔が浮かんだ。見た感じ8歳くらいに見えるランの見た目の年齢の子供達が浮かべるような笑顔がそこにあった。
「まあそんなわけだ。回線を戻せ」 
 そう言ったランはまた不機嫌そうな表情に戻った。その転換の早さに誠は唖然とした。
 シートの上で何度か体を動かして固定すると、誠はシミュレーションモードを起動した。瞬時に映っていた外の光景が漆黒の闇に塗り替えられる。
「宇宙?」 
 そうつぶやく誠の顔の前にアイシャのにやけた顔が浮かんだ。
「どうしたの?びっくりしちゃった?」 
 気楽に操縦系のチェックをしているようで手をあちらこちらに振りかざすアイシャ。誠も同じように機体チェックプログラムを起動、さらに動力系のコンディションを確認する。
「最初に言っておくけど手加減なんかしねーからな。全力で来い!」 
 そう言って笑うラン。ここでその顔を見たら要なら切れていたことだろう。
「わかりました。じゃあこれから作戦会議ぐらいさせてくださいよ」 
 そう言ったアイシャにランは少し考えた後頷いた。
「じゃあ、秘匿回線にしますね」 
 誠も通信を切り替えた。アイシャは運用艦『高雄』の副長という立場とは言え、パイロット上がりである。期待して誠は彼女が口を開くのを待った。
「じゃあとりあえず突撃」 
 そう言うと髪を手櫛でとかしているアイシャ。誠は少しばかり失望した。
「そんな突撃なんて、作戦じゃないじゃないですか!」 
 そう言う誠を宥めるようにアイシャは口を開く。
「正直に言うわね。ラン中佐の腕はシャムちゃん以上よ。まずどんな策でも私達の技量じゃ考えるだけ無駄。それにあの人の教導はその素質を伸ばすと言うのがモットーよ。誠ちゃんのどこが伸びるところなのか見極めるには下手に作戦を立てるより、今ある全力を見せるのが一番だと思うの」 
 珍しく正論を言うアイシャを呆然と見つめる誠。
「どうしたの?もしかして私に惚れたの」 
「そう言うわけでは……」 
「えー!やっぱり私じゃあだめ?」 
 そう言って目の辺りを拭うアイシャ。これがいつもの彼女だとわかりなぜかほっとする誠。
「おい!いつまで会議してんだ!ぐだぐだしてねえでさっさと終わらすぞ!」 
 画面に向けて怒鳴りつけているラン。
「じゃあ、がんばりましょう!」 
 アイシャはそう言うと通信を切った。
「よし、それじゃあ開始!」 
 そう言うとランも通信を切った。
 誠もすでに保安隊に来て四ヶ月、作戦開始時には状況の把握を優先するだけの余裕ができていた。
『近くにデブリは無し。機影も無し。決闘のつもりか?』 
 アイシャ機が後ろにいる以外、レーダーもセンサーにも反応は無かった。
「油断しちゃ駄目よ!05式のステルス性能は天下一品だから。おそらく索敵範囲ぎりぎりに……!」 
 そう言った瞬間、長距離レールガンの狙撃でアイシャの機体の右腕が吹き飛んでいた。
「嘘だろ!レーダー……!」 
 誠はようやく気付いた。ランはレーダーやセンサーなどあてにはしていない。法術師の干渉空間展開能力をフルに活動させ空間に干渉を開始、同時にこちらの精神反応を確認してマニュアルで望遠射撃をしてきている。
「ならこちらも!」 
 誠も感覚を集中させる。展開する干渉空間。
「ビンゴ!アイシャさん!感覚データそちらに送ります!」 
 そう言うとそのまま誠は異質な干渉空間の発生源へと進撃した。
「片手が無くても支援ぐらいはできるわよ」 
 そう言いながら誠に付き従うアイシャの目は笑っている。シャムにロックオンされた時のような痛みにも似た感覚が、誠があたりをつけた宙域から感じられた。
『感覚を掴むんだよ、理屈じゃあ説明できないから』
 いつも模擬戦が終わった後、一方的に誠の虐殺ショーを展開したシャムの言葉が誠の心に響く。閃光、そして弾道。すべてが誠の思い通りに進むかに見えた。もうレーダーもランの機体を確認している。オートでロックオンすることも可能だが、ランは動かない。
 そして有視界。ランの機体はレールガンを背中に背負い、サーベルを抜く格好をしていた。
「切削空間反応!飛ぶつもりよ!」 
 アイシャの声が響く。銀色の壁がランの機体を隠した。だが、誠は動じることなくレールガンを構えたままランの機体へ突入する。
「そして上!」 
 銀色の壁の直前で誠は機体に急制動をかけるとレールガンの銃口を真上に向けた。壁、切削空間は消え、誠の撃ったレールガンの先に切削空間を展開するランの機体が現れる。
「アイシャさん!」 
 誠の叫びを聞いて、残った左腕のレーザーキャノンを発射するアイシャ機。しかし、誠の弾は切削空間に飲み込まれ、アイシャの攻撃はすべて紙一重でかわされた。
「全弾回避?」 
 そう誠がつぶやいた時、今度は誠の真下に銀色の平面が現れ、伸びたサーベルが誠機の左足を切り落とした。
「こなくそ!」 
 叫びながら誠はレールガンをランに投げつける。ランはそれを半分に切り分けるとさらに突き進む。だが、誠もすでにサーベルを抜いていた。
『動きを止めればアイシャさんが何とかしてくれる』 
 そう心に浮かんだ言葉をアイシャへの指示にしようとしたときには、すでにランは切削空間を展開していた。誠のサーベルが空を切る。ランはすでに誠にかまっていない。
「ごめん!誠ちゃん!」 
 そんなアイシャの通信が途切れた。振り返れば誠についてきていたアイシャの機体が爆縮をはじめていた。
「得物は?」 
 サーベルを使うには距離があった。左足を失ったことによる重力バランスの再計算が行われている為に運動性も極端に落ち込んでいる。ランは無情に再びレールガンを構える。切削空間を展開しようとしたが、誠はいつもの訓練からそれが無駄であることを知っていた。視界が途切れれば必ずランは切削空間を使用した転移を行って回りこんでくる。いつもシャムが使う手口だ。
 とりあえず干渉空間をいつでも展開できる体勢でランの機体を見つめた。ランは発砲しなかった。そのままサーベルを右手に引っ掛け、左手でレールガンを構えながら突入してくる。
 とりあえず誠はSマインを放った。誠の読み通り、ランが切削空間を展開する。Sマインの散弾が散らばり、視界が途切れた。誠はわざと動きを止めた。
 ランは誠のSマインが目くらましであることぐらいわかっていると誠は読んだ。そうなれば必ずこちらが切削空間を展開していた以上、転移を行うと読んでくるはずだ。その裏をかく。
 誠はサーベルを握り締めて爆発地点を中心にランの気配を探った。背中に直撃弾。そして撃墜を知らせる画面が全周囲モニタに映し出される。
「どうして?」 
「馬鹿だろ、オメー。アタシがお前と同じ行動を取ったらどうなるかぐらい頭がまわらねーのか?ったく、第二小隊は役立たずぞろいだなあ」 
 ランはそう言うと素早く通信を切った。開くコックピットと装甲版。誠は呆然としながら、こちらを見上げている要とカウラの姿を見ていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 3 改訂版 9

「じゃあお言葉に甘えて」 
 カウラはそう言うと要と誠をつれて隊長室に入る。嵯峨の双子の娘の姉、茜が主席捜査官としてこの庁舎に出入りするようになって、一番変わったのがこの隊長室だった。
 少なくとも分厚く積もった埃は無くなった。牛タンを頬張る明華の足元に鉄粉が散らばっているのは、ほとんど趣味かと思える嵯峨の銃器のカスタムの為に削られた部品のかけら。それも夕方には茜に掃き清められる。
 猛将、知将と評される嵯峨だが、整理整頓と言う文字はその多くの知識を紐解いても見当たらない言葉だった。茜の配属以前は部屋の床はまず嵯峨が付き合いで頼まれた骨董商に出す書画や茶道具の極書を記す為に流した墨汁で彩られ、そこに拳銃のスライドを削った鉄粉がまぶされ、その上に厚い埃が層になっていた。
 特にカウラは几帳面で潔癖症なところがあるので、この部屋に入るのを躊躇することもあったくらいだった。とりあえず今では衛生上の心配はしないで済む程度の部屋になっていたので誰もが嫌な顔せずに焼肉を楽しむことが出来た。
「ちょっとリアナ。レモン取って」 
 明華はそう言うと七輪の上で焼きあがった牛タンを皿に移す。
「ほら、皿ならここにあるぜ」 
 そう言うと嵯峨は借りてきた猫のように呆然と突っ立っている誠達の手に皿を握らせる。接客用テーブルの上に並ぶ牛タン。おそらく二頭分くらいはあるだろうか。それを贅沢に炭火で焼いている嵯峨。
「叔父貴、酒はどうしたんだよ」 
 嵯峨が焼いていた肉を横から取り上げた要が肉にレモン汁をたらしながら尋ねる。嵯峨は察しろとでも言うように横を見た。そこには要をにらみつけている明華がいる。要は肩をすぼめてそのまま肉を口に入れた。
「そう言えば今日も明石中佐は同盟司法局からの呼び出しですか?」 
 カウラは大皿から比較的大きな肉を取って七輪の上に乗せる。
「まあな。法術関連の法整備とその施行について現場の意見を入れないわけにもいかないだろ?まあ俺が顔を出せれば良いんだが、俺はお偉いさんには信用無いからな」 
 そう言いながら嵯峨は焼きあがった肉にたっぷりとレモン汁を振りかけた。
「それより叔父貴。明石が本庁勤めになって、第一小隊にちっこいのが配属になるって噂、本当なのか?」 
 要のその言葉に、口に肉を放り込みながら見つめる嵯峨。
「なんだ、ランに会ってきたのか?」 
 嵯峨は口の中で肉の香を確かめるようにかみ締めながら答える。
「ああ、ランの件は本当よ。アンタ等を一人前にしようと思ったら教導のプロに頼むしかないでしょ?」 
 静かに肉をかみ締めていた明華があっさりとした口調でそう答えた。
「マジかよ……」 
 要はそう言いながら一人、肉に箸を伸ばさない。
「嘘ついてどうするの?」 
 それだけ言うと明華は牛タンを口に放り込む。誠は要を見つめた。ようやく要も決心がついたように肉に箸を伸ばすが、どこかしら躊躇しているところがある。
「迷い箸は縁起が悪いな」 
 そう言う嵯峨は彼女が取ろうとした肉を奪って七輪に乗せる。
「でも、本当においしいわよ。要ちゃんも早く食べないと!」 
 そう言って肉をひっくり返すリアナ。
「そう言えば許大佐はクバルカ中佐とは旧知ということですが……」 
 カウラが水を向けると、肉をかみ締めていた明華が微笑みながら箸を置く。
「まあね、あの娘には何度か煮え湯を飲まされたこともあるから。遼南内戦の央都攻防戦の頃からの付き合いだから、もう十四年の付き合いってことになるわね」 
「え?十四年って……許大佐はさんじゅっ……」 
 誠が口を開いたとたんに腹部に要の拳がめり込んだ。それを見て明華は要に親指を立てて見せる。
「おい、誠よ。女性に年の話をするんじゃねえよ」 
 嵯峨はむせる誠に冷ややかな視線を向ける。
「でも殴ることは……」 
「昔から言うじゃねえか、愛ゆえに殴るって」 
 得意げな要のタレ目が腹を押さえて前かがみの誠の目の中に映る。
「愛?」 
 嬉しそうにリアナが要を見つめた。そしてカウラが皿から七輪に移そうとした肉を取り落とす。真っ赤に染まる要の顔。
「誤解だ!こいつのことなんて何にも思ってねえからな!」 
 大きく手を振る要を、生暖かい視線で見つめるリアナ。その時、隊長室の扉が開いた。
「失礼します!」 
 そう言って入ってきたのはアイシャと仲間達。運用艦『高雄』の管制官、パーラ・ラビロフ中尉と副長就任で正操舵長に出世したエダ・ラクール少尉の二人と、なぜか居る技術部火器整備担当のキム・ジュンヒ少尉の三人だった。そして当然のように皿と箸を持って入ってくる。
「なんであんた等が来るのよ?」 
 肉をかみ締めながらあからさまに嫌な顔をする明華。
「ああ、キムは俺が呼んだ。どうだい?やっぱりファクトリーロードのカートリッジは相性悪りいか?」 
 嵯峨は立ち上がると、執務机の後ろから七輪を取り出す。炭は十分におきている。
「まあ何社か試したんですが、胡州造兵工廠のが最適ですかね」 
 そう言うとまっすぐ歩いてきたキムは手馴れた調子で七輪の上に次々と肉をのせていく。
「今度は誰の拳銃、見繕ってるんだ?」 
 明らかにごまかそうとしている要にリアナが相変わらず生暖かい視線を送っているが、嵯峨は机の上から一丁の拳銃を取り上げた。
 気がつけば嵯峨の手には見かけない大型拳銃が握られている。
「ルガー?」 
 その特徴的なトルグアクションに視線を奪われる要。
「んなもんあるなら俺のコレクションにするよ。こいつはモーゼル・モデル・パラベラム。昔、オーストリアの伍長殿の起こしたどんぱちが終わってから作られたリバイバルバージョンだ。P08程じゃ無いがガンショーとかでは結構いい値がつくんだぜ」 
 嵯峨はそう言うと素早くマガジンを抜いた。
「こりゃあずいぶん趣味的なチョイスじゃねえか。神前の豆鉄砲と交換するのか?」 
 そう言いながら手を伸ばす要。全員は彼女の手の動きに目を向ける。何度か安全装置をいじる要。
「なんだよ、じろじろ見やがって。オメエも持ってみるか?」 
 そう言うと肉を噛んでいたカウラに銃を手渡す。彼女も何度か手にした銃の薬室を開いては覗き込んでいる。
「あと二、三マガジン撃ってから調整するからな」 
 そう言いながら再び皿から牛タンを七輪の上の網に載せる嵯峨。食事を済ませたというアイシャも黙って彼が載せた肉を素早く取り上げて焼き始めた。
「グリップはウォールナットのスムースですか?」 
 カウラから渡された拳銃のグリップを撫でながらパーラがキムに尋ねた。滑り止めの無いオイルで仕上げたグリップがつややかにパーラの手の中で滑っている。
「俺はチェッカーの入った奴が好みなんだけど、オリジナルが良いって隊長が言うんでね。撃ってみて問題があるようなら交換するけど」 
 そう言うとキムは半焼きの肉を口に放り込む。
「拳銃談義はそれくらいにして、隊長の殿上会出席のための留守の勤務のシフトは……」 
 アイシャのその言葉に黙って手を上げる明華。
「それより私の知り合いに新しい職場を見たいという奇特な人が来るけどそちらの対応は……」 
 笑顔を要に向ける明華。明らかに気分を害したとでも言うように、要はパーラの焼いていた肉を奪い取って口に入れる。情けない顔をするパーラに、リアナが気を利かせて自分の焼いていた肉を渡した。
「どっちも了解しているよ。シフトはこれが終わったら全員の端末に流す。そして明華の件は俺のところにも連絡が着たから好きにしろって言っといた」
 明華が怖くて嵯峨は渋々麦茶を飲んでいた。
「それにしても殿上会で家督相続の承認……降りるんですか?普通そう言うのはしっかりした理由が無いと難しい気がするんですけど……」 
 誠はこの雰囲気に耐えられずにそう言った。そんな誠を無視するように要は彼の焼いていた肉を自分の口に入れる。空気を読めと棘のある視線を送ってくる明華だが嵯峨は笑顔のまま口を開いた。
「まあ、上座の兄貴と大河内卿には根回しは済んでるよ。それにこの前の近藤事件で俺に貸を作った連中もこの件では俺と同調することになってる。あえて言えば烏丸卿の一派だが……」 
「響子か。あいつはそれほど弱くはねえよ。確かに烏丸の被官の下級貴族の連中は親父を目の仇にしてなんでも反対で通すつもりだろうが、特権階級が胡州のお荷物で腐敗の元凶だってことぐらいわからねえほど馬鹿じゃねえよ。それに自称愛国者ってのも使いようがあるもんだ」 
 そう言って誠が載せた肉を再び奪い取って口に入れる要。
「烏丸女公爵とはお知り合いなんですか?」 
 誠のその言葉に、呆れたというように要は天を見上げた。
「誠ちゃん!」 
 突然そう叫ぶと、アイシャが体を押し込んで誠の手を握る。
「烏丸響子様と言えば要ちゃんの第二夫人よ。良く覚えて……」 
 そこまでアイシャが言ったところで要はアイシャの頭に拳骨を食らわせた。
「テメエどこまでアタシを百合なキャラにしたがるんだ?」 
「だって……私も要のことが……」 
 そう言って下を向くアイシャ。その姿を見て急に要は彼女に背中を向ける。しばらくアイシャのカミングアウトに沈黙する部隊長室。
「本気にした?ねえ、本気にした?」 
 間を計ったように要の手を掴んで飛び跳ねるアイシャ。
「うるせえ!」 
 そう言って要はそのままパーラの焼いていた肉を取り上げて口に放り込む。パーラは泣きそうな表情で要を見つめる。
「要ちゃん!」 
 それまで黙々と肉を食べていたリアナが突然テーブルを叩いた。
「わかったよ……」 
 そう言うと口から肉を出そうとする要。パーラはさすがに首を振る。
「あんたら本当に子供ねえ」 
 そう言いながら一人専用の焼肉のタレを肉につけて食べる明華。その時、また隊長室の扉が開いた。
「いい匂いがするんだな」 
 そこに居たのは幼い容貌のランだった。先ほどの話とは違って突然のランの登場に要とアイシャはあんぐりと口をあけて彼女を見守っている。
「ご苦労さん。お前も食っていけよ」 
 渡された書類を執務机に投げた嵯峨が声をかける。
「飯は食ったからな。それにここの歓迎会は春子のとこでやるんだろ?一応予約はしておいたぜ」 
 そう言うとそのまま出て行こうとするラン。
「さてと、ランが来たってことは第二小隊の三号機も到着したってことね。それじゃあ私も仕事に行かなきゃね」 
 そう言って立ち上がる明華。彼女が差し出した皿を受け取るリアナ。
「もう終わり?」 
「そうだよ。クラウゼ、片付け手伝ってくれるか?」 
 そう言いながら肉の乗ったトレーにラップをかぶせる嵯峨。アイシャはそのまま立ち上がると、パーラとエダ、それにキムに目で合図をする。
「それじゃあお姉さん。報告書がありますので失礼します!」 
 アイシャはそのまま引きとめようと手を上げるリアナを残して部屋を出て行った。
「それじゃあ要ちゃんとカウラちゃん。手伝ってね!」 
 逃げられないように二人の腕をがっちり掴んでリアナがそう言った。見詰め合う要とカウラだが、いつの間にかキムとエダ、そしてパーラの姿はなくなっていることに気付いてあきらめる。
「あのー、僕は?」 
「ああ、誠君はたぶんランちゃんが用事があるって言ってくるわよ」 
 リアナはそう言うと火箸で網を集めているカウラの監督をはじめた。
「行ってこいよ」 
 そんな嵯峨の言葉に追い出されて廊下に出ると、ハンガーから響くランの叫び声が聞こえた。誠はとりあえずハンガーへと向かった。
「オメエ等!邪魔すんじゃねえよ!」 
 ランの叫び声が聞こえて、誠は管理部の前の手すりから身を乗り出した。三号機、誠の専用機はすでに定位置に固定されていた。
 しかし、その正面には奇妙な箱が置かれている。
 高さは5メートルくらい、良く見れば先月解体を担当した仮設住宅を組みなおした物だった。その隣では吉田とシャムがランとにらみ合っている。
「吉田少佐!」 
 階段を駆け下りた誠を珍しいものを見るような目つきで見つめる吉田。
「ああ、良い所にきたな」 
 そう言いながら吉田は腕組みをしているランをにらみつける。
「コイツを外まで運んでくれねえか?」 
 吉田が指差している建物の中から甘えたような動物の声が聞こえる。
「これって……」 
「うん!グレゴリウス19世の家だよ!」 
「13世だろうが!」 
 名前を間違えたシャムをはたく吉田。そんな二人を見ながら恐る恐る誠はランを見つめた。小さな体を一杯に伸ばして誠を見つめるラン。中佐という肩書きは伊達ではなく、どう見ても小学生にしか見えない彼女だがその見えない圧力と言うものを感じて誠は冷や汗を流した。
「こんなもの作ってんじゃねえよ。明華!」 
 ランはそう言うと控え室から出てきた明華に声をかける。
「作っちゃったんだからしょうがないじゃない。それにこれなら人力で何とかなるでしょ?丁度、説教も終わったところだし……」 
 そう言う明華の後ろから西達整備班員が出てくる。
「神前も手伝いなさい」 
 明華の言葉に押されて目の前の箱に群がる隊員。
「じゃあいっせいに力を入れるのよ!」 
 明華の合図に隊員達は力を込めて踏ん張った。突然バランスが崩れて黒い塊が入り口から飛び出てきた。巨大な熊。近くの隊員が恐怖で手を離してプレハブが床に落ちる。
「なんだ!シャム。入ったままだったのか!」 
 怒鳴りつけるランにシャムは頭を下げている。飛び出した熊、グレゴリウス13世は逃げ惑う整備班員を追い回していた。
「どうにかしろ!」 
 腹を抱えてこの有様を見つめている吉田の尻をランが蹴り上げた。
「なにすんですか!」 
 そう言い返すものの腕組みしてにらみつけるランに、吉田はあきらめてグレゴリウス13世のところに行ってその首輪を握って動きを止める。
「今のうちよ」 
 そう言う明華の顔色を見た西が仲間を集めて再びプレハブを持ち上げる。
「大変ですわねえ」 
 外から戻ってきた茜が汗を流して熊の家を運んでいる誠達を優雅に扇子をはためかせながら見つめている。
「茜もやるか?」 
 そんなランの言葉に扇子で口元を押さえる茜は首を横に振った。
「早く運べよ!」 
 ランはそう言うと隅を持っている誠の尻を蹴り上げる。
「そんなこと言っても……」 
 泣き言を言う誠を横目に見ながらグレゴリウス13世とシャムと吉田がじっと彼を見つめていた。
「さあ!私も応援よ!」 
 その後ろにはいつの間にかアイシャが来てグレゴリウス13世の頭を撫でていた。
 そろそろとハンガーを出たプレハブ小屋はグラウンドをゆっくりと移動する。
「ほら!もっと急ぎなさいよ!」 
 はっぱをかける明華。誠の額に汗が浮いた。
「大変ねえ、誠ちゃん」 
 そう言いながらアイシャがハンカチで誠の額を拭う。冷たい視線を整備員から浴びて沈黙する誠。
「オメエなあ。もっと力入れて運べ!」 
 今度は誠の尻を蹴り上げるラン。小柄な彼女だが、その一撃に手が滑りそうになる誠。
「クバルカ中佐。そんなに苛めなくても……」 
 心配そうにアイシャが口を挟むがぎろりと言う音でもしそうな調子でランがアイシャを見上げた。
「クラウゼ。私はこいつ等の管理をタコから引き継ぐんだからな」 
 ランはそう言うとさらに手を滑らした整備員たちの尻を蹴り上げ続ける。
「そうよねえ。清海(きよみ)はちょっと甘かったかも知れないわね。少しは鍛え上げないと脱走で有名な遼南帝国軍が出来上がっちゃうものねえ」 
 そう言いながら次々と自分の部下を蹴り上げていくランを見守る明華。ようやくファールグラウンドから畑に向かう空き地に到着したところで吉田が手を上げた。
「手を挟むんじゃないわよ!私は怪我で休みますなんて認めないからね!」 
 そう声をかける明華。この騒ぎを見て駆けつけたレベッカが心配そうに整備員達を見つめている。プレハブの小屋は静かに雑草の上に置かれた。グレゴリウス13世を連れたシャムが早速中に入る。隊員達の安堵のため息。誠もまた悠然と我が家を見て回るグレゴリウスに笑みを浮かべながらプレハブの隣に腰を下ろそうとした。その時背中に気配を感じた。
「それじゃあお前の腕前見せてもらうぞ」 
 作業服の襟を掴まれて誠が振り向く。ランははるかに大きい誠を掴んでずるずると引きずり始める。
「大丈夫ですよ!逃げたりしませんから!」 
 そう叫ぶ誠を鋭い目つきでにらみながらランはようやく手を離した。
「そうだ、クラウゼ!」 
 シャムと一緒にグレゴリウス13世と遊んでいるアイシャを呼ぶランの一声。アイシャはそのまま跳ね上がるように立ち上がるとそのまま駆け足でランのところまでやってくる。
「お前も付き合えよ。カウラの機体のシミュレータなら使えるんだろ?」 
 そう言ってつかつかとグラウンドを横切ってハンガーに向かうラン。誠とアイシャはお互い顔を見合わせるとその後に続いた。

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