スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 33

カウラはハンドルを切った。そのまま高速道路から車は一般道へと進む。一台として続く車は無い。そして下りた道路には街灯も無く、周りには明かりが一つとして灯らないビル群が現われた。

「薄気味悪い街ね」 

思わずつぶやくアイシャの言葉に誠は自然と頷いていた。まるで生気のない街。一時期の地球諸国の在遼州諸国に対する国債の償還停止処分でこの近くに巨大な工場を抱えていた製鉄会社が倒産した話を誠は思い出した。

「酷い街。だからこそアタシ等みたいな連中には住みやすい」 

要はそう言うと窓の外のゴーストタウンを見て笑った。時折見せる疲れたようなその笑いに誠はどこか要が遠くの存在になってしまうように感じられて不安になる。

そのまま車は真っ暗な道を進んだ。時々すれ違う車はどれも地球製の高級車ばかり。明らかに富とは無縁のこの街の景色とは相容れない存在に見えるが誰もそのことを指摘することは無かった。

「そのまま真っ直ぐだ。そして突き当たりを右」 

要は淡々とそう言うとそのまま窓の景色に視線を飛ばしてしまった。カウラはそんな身勝手に見える要を特にとがめることもなく車を走らせる。

「本当に不気味な街ね……ここって本当に東和? 」

皮肉めかしたアイシャの言葉。しかし誰一人その言葉に答えるものは無い。車はそのままヘッドライトの明かりが照らす範囲に突き当たりが見えたところで右にカーブする。

突如その正面にビル群がが現われた。これまでの幽霊ビルとは違う確かに人の気配のする明かりの灯ったビル。

「まるで魔法ね。ここの住人は何者かしら? 」

再びのアイシャの独り言。誠は目の前の人の気配にようやく安心して呼吸を整えた。車の数が急激に増え、カウラは車の速度を落とす。両脇には明らかに派手なネオン街が広がっている。人通りもそれなりにある。歓楽街といった感じだが、歩く人の姿はどう見ても東都の歓楽街のそれとは違った。

派手な化粧とドレスの女。スーツの男はどう見ても堅気とは思えない鋭い眼光で店の前で煙草をふかしている。

「らしい街だろ? 」 

要はにんまりと笑って生気を帯びた瞳で誠を見つめる。誠は数ヶ月前に初めて訪れた東都の湾岸に浮かぶ租界を思い出していた。

ここは確かに租界によく似ていた。街を歩く人間はすべてアウトローを気取り、ネオンの下の女達は退廃的なけだるい表情で周りを見回す。あえて租界とこの街の違いを述べるとすれば、租界にいた同盟機構から派遣された兵士達の代わりに黒い背広の男達が街のブロックの角ごとに立っていることくらいだった。

「かなりやばそうな人がいるわね……要ちゃんのお友達? 」 

「友達になれるかどうかはこれ次第だな」 

アイシャの皮肉に要はバッグを叩いた。カウラが乾いた笑みを浮かべるとそのままゆっくりとヨーロッパ製の高級車の停まる酒場の前で車を止めた。

「ここか? 」 

カウラの言葉に要は静かに頷いた。

「面倒な事にならなければいいけど……」 

皮肉混じりの笑みを浮かべながら助手席のアイシャがドアを開いて降りる。そのまま助手席の座席を押し上げて要が車から這い出た。誠もまたその後に続いて淫猥な雰囲気が漂う街に静かに降り立つことになった。


FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 32

「なんだ……人を殺すのが怖いか? なら良い方法がある」 

札束を握りしめてにやりと笑う要。その殺伐とした表情に思わず誠は目を引きつけられた。鉛色の瞳、そこにはいつもの要の表情は存在しない。

「ならとっとと先に自分がくたばることだ。生きている限り人は人を殺し続ける。この街に住む善良と自覚している人間達にしてもアイツ等の暮らしのために遼南やベルルカンで何人の人間が餓死していると思う? 何人の人間が人とも思えぬ扱いの上でくたばってると思うんだ? 生きている人間はすべからく人殺しだ」 

自分の哲学を一通り語ると要はようやく満足したようにそのまま札束をバッグに戻して黙り込んだ。

「言うわね……お金持ちの台詞じゃないわよ。まさにそうして殺している直接の責任者は要ちゃん達貴族や金持ち連中でしょ? 」 

「積極的に殺すか消極的に殺すかなんてアタシは区別してねえよ。ただ、生きている限り人は人殺しの汚名を自然に帯びているという事実を語っただけだ」 

アイシャの反撃にも特に関わり合いになりたくないというように要は黙って下を向いたまま答えた。誠は再び窓の外を見た。流れていく高層マンションの高さが比較的低いものに変わっていく。地価が下がったせいだろう。周りの雰囲気も次第に庶民的なものに変わり、豊川の郊外の住宅街のそれに酷似してくる。

「西園寺さんはそう思って生きているんですか? 」 

思わず出た言葉。要の鼻で笑うような息が車内に響く。

「どう生きようがアタシの勝手だ。たまたまそれが今みたいな立場にいるからこんな考えが頭にへばりつくようになった。生き方が器用かもっと鈍感で鈍い頭の持ち主ならお気楽に生きられるんじゃねえかな……たとえばアタシの前の席に座っている馬鹿みたいに」 

「人を馬鹿呼ばわり? それとも器用だと褒めているの? 」 

皮肉る要をふと振り返っただけでアイシャは黙り込んだ。人の生き死にの場面に出会ってきた数はおそらくカウラや誠の比ではないアイシャと要。それぞれがその現場での生きる意味について確固たる信念を持っていることはこう言う場面で誠は知らされることになる。そしてそんな二人の決して交わらない世界観をお互い尊重しているようなところがあるのが誠には奇妙に思われていた。

「次のインターで下りるのか? 」

ハンドルを握るカウラが話題を変えようとするように少し明るい調子でつぶやいた。

「市街地じゃこれから会う連中は動きづらい立場にあるからな。埠頭の手前にちょっとした店がある。そこに集合をかけたわけだ」 

「ちゃんと来ればいいけど」 

アイシャの皮肉にも要はただ儚い笑いで応えた。すっかり暗くなった道を次々と流れる車。それを見ながら誠は自分の知らない世界を生きる情報通達の姿を想像した。

屈強な傭兵というのは今誠達が捜している吉田の姿を見れば映画の中の出来事だと言うことは想像がつく。町中で目立つような強力な義体を使用するのは戦場に着いてからの話。人並みの姿格好で街に溶け込むことが裏社会の面々にも必要な技量の一つであることは誠も次第に分かってきていた。

そんな事実を知るとまるでこれから会う情報提供者達の実像がつかめてこない。考えても無駄だと思い切った誠はそのまま窓の外に視線を向けて流れる景色を眺めることにした。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 31

焼け焦げていく敵兵の意識。誠はそれを想像していた。法術は意識の領域を拡大したものと担当士官のヨハン・朱ペルター中尉から聞かされていた。おそらくはシンもそれを感じていたことだろう。

突然全身の水分が水蒸気爆発を起こす瞬間。想像するだけでもぞっとする。

「つまらねえこと考えるんじゃねえぞ」 

まるで誠の心の中を読んだかのように要がつぶやく。誠は見透かされたことを恥じるように頭を掻くとそのまま外の風景に目を転じた。

流れていく風景にはいくつもの高層マンションが点在している。そこに暮らす人にもまた法術師がいてその力の発動に恐れを抱きながら生きている。この半年の法術犯罪の発生とそれに伴う差別問題の深刻化は世事に疎い誠の耳にすら良く届いてくる。その典型例が先月の法術操作型法術師による違法法術発動事件だった。

法術適性検査は現在では任意と言うことになっているが、一部の企業はリストラの手段としてこれを強制的に受検させ、適正者を解雇するという事象が何度となく報告されている。そんなリストラ組の一人がその鬱憤を晴らそうと次々と法術師の能力を操作して違法に法術を発動させ、放火や器物破損、最後には殺人事件まで引き起こした悲劇的な事件。

その犯人が最後にこんな社会を作るきっかけとなった法術の公的な初の観測事象を起こした誠に向けた恨みがましい視線を忘れることは出来ない。おそらく誠がアステロイドベルトでの胡州軍保守派のクーデター未遂事件、通称『近藤事件』で法術を発動させなければその犯人は犯人と呼ばれることもなく普通の暮らしを送っていたことだろう。

これから起きるだろう社会的弱者となった法術師の起こす自暴自棄の違法法術発動事件。それに出動することが予想されてくるだけに誠の心は沈む。

「誠ちゃん。自分を責めるのは止めた方がいいわよ。遅かれ早かれ法術の存在は広く知られることになったでしょうから。むしろ今まで知られずにいたのが不思議なくらいよ」 

気休めのように聞こえるアイシャの言葉に誠は答えることもなくそのまま窓から流れる風景を見つめていた。

夕闇は次第に濃い色となって都心からベッドタウンへと変貌していく風景を闇の色に染める。点在する明かりが何度見ても暗く見えてしまうことに自嘲気味な笑いを浮かべる誠。

「ともかくシンの旦那みたいにちゃんと法術を役立ててる人間もいるんだ。そんなに悲観することもねえだろ? 」 


「役立ててるですか……ただ人を殺しているだけじゃないですか」 

自分の言葉のひねくれ加減に驚いて誠は口をつぐんだ。軍人ならば敵を殺すことも任務の中に入っていることは十分承知している。それでも誠はどうしてもそれを認めたくないと思う自分がいることを否定できないでいる。

「その自覚があるうちは大丈夫だ。罪の意識を持たなくなれば人殺し以下の存在になる」 

ハンドルを握るカウラの言葉。車の中の雰囲気は一気に静かに、そして暗いものに変わり始めていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 30

「つまらねえな……カウラ。ラジオでもつけろよ」 

命令口調の要の言葉にこめかみをひくつかせながらカウラがラジオをつけた。ちょうど夕方五時のニュースが流れていた。

『……遼北軍高官によりますと今回の侵攻による被害は……』

「ついにぶつかったわね」 

冷静な口調のアナウンサーのまねをするように冷静な口調でアイシャがつぶやく。

『アサルト・モジュール5機を同盟軍事機構の攻撃により失ったことに関して同盟機構への抗議の文書を提出すると言う方向で現在調整中だと発表しました。また同じく四機のアサルト・モジュールを失った西モスレム軍高官は今回の前線司令部上層部の行動をイスラム法規委員会の方針に反した独断専行であると指摘、北部総司令以下数十名の高級将校の身柄を拘束して軍事裁判にかけるとの方針を発表。同盟機構の大河内広報官は当面の遼北・西モスレムの直接の軍事衝突の危機は避けられる可能性が高くなったとの見解を発表し……』

「おい、シンの旦那のスコアー増えたみたいだな」 

相変わらず札束を握りしめながら要がつぶやいた。遼北と西モスレムの軍事衝突の間に割って入ったシンの同盟軍事機構の部隊による両軍に対する実力行使行動の発表は車内に一種の安堵感をわき起こしていた。

「まあシン大尉なら実戦経験も豊富だもの。それにカウラちゃんと要ちゃんはかなり鍛えられたんでしょ? 」 

アイシャの何気ない一言でカウラの前任の第二小隊の隊長が話題の人アブドゥール・シャー・シン大尉であることを誠も思い出した。

「事務屋はこなせるがこちらが本業だからな、あの旦那は。それにしても……西モスレムも遼北も張り子の虎だな。たかだか数機のアサルト・モジュールを失ったくらいで戦意喪失か? 」 

「アサルト・モジュールの一機の値段を考えてみろ。それにシン大尉がまともに撃墜しただけなら前線の司令官を更迭するなんて言う強攻策まで取ることは無いんじゃないかな……」 

ハンドルを軽く叩きながらカウラは車を追い越し車線に運ぶ。そしてそのまま一気に加速して目の前の大型トレーラーを追い抜いて見せた。

「法術ね。あの人はパイロキネシスとでしょ? 」 

そう言うとアイシャはダッシュボードから携帯端末を取り出してそのままキーボードを叩き始めた。ラジオがニュースから音楽番組に変わったところでカウラはラジオを切った。

「シンの旦那はマリアの姐御から領域把握能力の指導を受けていたからな……テリトリーに入った敵機に法術発動して敵兵を全員消し炭にでもしたのか? 」

冗談めかして要がつぶやく。アイシャはたた曖昧に頷きながら画面を頻繁に切り替えて検索を続けていた。

「どうやら要の冗談が本当の話みたいよ」 

手を止めたアイシャが手元の画像を無線で飛ばしてフロントガラスに投影した。真っ黒な映像が目の前に広がる。そして凝視するとそれが焼け焦げたアサルト・モジュールのコックピットであることが見て取れた。

「ひでえ有様だねえ……これを見たら戦意も無くなるな」 

呆れたように要がつぶやく。誠もただ呆然と手首だけが操縦桿だった黒い棒にへばりついているパイロットだった黒い塊を見てただ呆然とするしかなかった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 29

その後誠達は都心のビジネス街を車で走り回った。持って行ったのはボストンバック一つ。銀行で札束を受け取る度にそれを無造作に放り込む要。

「まるで銀行強盗にでもなった気分だな」

にやにや笑う要だが誠はそのバックの中身が分かっているだけに笑うことなど出来なかった。基本的に地球外に対する地球圏諸国の経済的締め付けはかなり厳しいものがあった。特にアメリカドルとなればその信用もあって換金にはそれなりの手続きが必要になる。しかも大体がこんな金額を現金でやりとりすることなど25世紀も半ばというのに考えている人間がどれだけいるか謎なところだ。当然窓口でなく話はすべて銀行の奥に通されての話となる。

「本当に麻薬や武器の取引ではないんですね? 」 

要が自分の身分を明かして胡州の領邦代官にまで身元確認を終えてからも地球系資本の銀行の支店長はそう言いながらいぶかしげに要を睨み付けていた。

本来の要の性格なら殴りかかっても文句は言えない態度だが、要も相手を読むくらいの芸当はできる。

「私のお金です。後ろめたい使い道をするわけがないではないですか」 

おしとやかにそう言う割にはまだ二月半ばだというのにタンクトップの上に黒い革ジャンと言う姿は異常に見えた。

結局は夕方まで掛かってボストンバックいっぱいの現金が用意された。大口の決算処理が電子化されて数百年。これほどの現金を持って歩く人間が真っ当な使い方をするとは誰も思わないだろう。誠はカウラの赤いスポーツカーの後ろで小さくなりながら隣の席でバッグの現金の束を確認している要を見ながらただ苦笑いだけを浮かべていた。その中にどれだけの金額が入っているかは三行目で数えるのを止めた。それほどの金額。下手をすればアサルト・モジュールの一機や二機は買える金額だ。

「ずいぶんと情報とやらを手に入れるにはお金が掛かるのね……」

助手席で皮肉混じりにアイシャがつぶやく。

「陸軍の非正規部隊も相当な金を使ってたからな。最新鋭のアサルト・モジュールや戦艦を装備した部隊とまあ同じくらいの経費は掛かるもんだ」 

札束を握りしめながら要がつぶやく。

「本当にこのまま行くのか? 東都を出ることになるぞ」 

カウラがつぶやく。車は高速道路を東都湾に沿って一路東に走っていた。

「こんな金を湾岸の租界近くで持って歩くのか? 殺してくれって言ってるようなもんだぞ。ちゃんと相手には伝えてある。総葉(そうよう)インターまで突っ走れ」 

すでに日は落ちて街灯の明かりに照らされている要の表情が急に冷たく感じられた。誠はそれを確認すると高速道路の防音板の流れていく様を見つめていた。

「総葉? 租界からは遠いわね……お客さんは船ね」 

アイシャの何気ない一言に要は静かに頷いた。

「何でもそうだが金で世の中の大概のことはどうにかなるもんだ。総葉には食料関係のコンテナーターミナルがあるが……ノーマークのあそこが実は租界と東和の出入り口って訳だ」 

札束を握りしめる要の言葉に意味もなく頷きながら誠はただぼんやりと流れていく景色を見つめていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 28

「現金にするぞ」 

突然要はそうつぶやいた。カウラの表情が曇る。

「現金? そんな金額で良いのか? 」

カウラの言葉に要は心底あきれ果てたという表情でカードをちらつかせてみせる。

「セキュリティーの掛かっている奴じゃ駄目だ。もらう人間はみんな後ろ暗いところのある人間だぞ。それ以前に租界から出られ無いようなヤバイ人間もたくさんいるんだ。そいつにカードを渡してどうなる? ただの樹脂製の板をもらって喜ぶのは赤ん坊だけだ。現金、しかも米ドルじゃないと受け付けないな」 

「米ドル? それじゃあ大変じゃ無いの。最近は換金規制でそう簡単には手に入らないわよ」 

うんざりした表情のアイシャの肩を要が叩いた。

「だから手分けして換金するんだ。幸いアタシのカードはそれなりに信用がある。銀行一つ頭百万ドルとして……大手を十件も回れば十分だろ」 

『百万ドル』という言葉を簡単に言う要に誠はただ薄ら笑いで答えるしかない。

「コーヒー飲んだらさっさと準備しろよ。今日の夕方までに現金を作って夜には連中に会うからな」 

要は一気にコーヒーを飲み干して立ち上がる。誠達はただ呆れてその様子を眺めていた。

「もう連絡はしたのか? 」 

「まあな。返事を待ってても無駄だ。こう言う連中は興味があるときはすぐに食いつくが無ければ何年待っても反応はねえもんだ。今日中に情報屋を五人は手配できれば御の字だ」 

「その五人にいくら使うのかしら……」 

手を広げて金の計算をしていたアイシャを要が睨み付ける。アイシャはただにこやかな笑みを浮かべると誤魔化すような調子でコーヒーを飲み干す。

「さっさと準備しろよ! 」 

要はそのまま食堂を出て行った。誠達は彼女を見送ると当惑しながら顔を見合わせた。

「そんなに簡単に手配できるのか? 情報屋が」 

カウラの心配そうな表情。

「全く本当にすさまじい金持ちね。軍人やる必要なんて無いじゃないの」 

アイシャもただ呆然と机の上に散らかっているカードを手にとってはまじまじと眺めている。

誠は何も出来ずに状況を見守っていた。どうやら大変面倒な状況に落ち込みつつある。いつものことながら誠にはため息をつくことしかできなかった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 27

「なあに……仕込みに時間がかかってな」 

それだけ言うと要はそのまま厨房の前のカウンターに向かって歩き出した。そのままポットとインスタントコーヒーを手にするとそのまま誠達の座るテーブルに置く。

「何……気味が悪いわね。そんなに気が利くなんて。コーヒー入れてくれるの? 」

「入れるのはテメエだよ。アタシの仕込みの話。聞きたくねえのか? 」

いかにもやり遂げたような表情の要に首をひねりながらアイシャはそのまま立ち上がるとカップを取りに立ち上がる。カウラはただ呆然とその有様を見ながら不思議そうな表情でどっかと腰を下ろす要を見つめていた。

「何を仕組んだ」 

カウラの質問に素直に答える要ではない。にやにや笑いながら食堂に備え付けられた戸棚をあさっているアイシャの後ろ姿を満足そうに見ている要。しばらくすると不機嫌そうな表情でお盆に人数分のカップと砂糖とミルクを持ってアイシャが帰ってくる。その有様。十分話を切り出すまでの時間を貯めたと満足するように頷くとそのまま顔を突き出して口を開く。

「オメエ等には何も期待出来ねえからな。カウラは製造から八年。同じロットの連中は公務員ばかり。アイシャはまあ稼働時間が長いがつきあいの幅は……まあ誠とどっこいだ」

「ほっておいてよ」 

あっさり切り捨てられたアイシャがめんどくさそうにカップにコーヒーを分けながらつぶやく。要はそれが満足できる反応だったというように嫌らしい笑みを浮かべながら話を続ける。

「その点、アタシは裏社会でのコネがある。確かに叔父貴はいろんなコネがあるが、すべての世界を知ってるわけじゃねえ。もしそうならこれまでのアタシ等の苦労は半分くらい無駄だったことになるからな。そう考えるとアタシの昔のコネを使うっていうのが一番だと思うんだ」

「信用できるのか? 」

アイシャからコーヒーの入ったカップを受け取りながら渋い表情を浮かべるカウラ。要はまだ平然として見つめてくるカウラをにらみ返す。

「相手は電子戦、情報戦のプロだ。ネットでその動向を捜すのはまず無理。こちらが捜していると分かればひねくれ者の旦那のことだ。いくらでも妨害工作をしてくる。その点実際に足を使える人間を揃えておけば相手は物体だ。さすがの旦那も蒸発するってことが出来る訳じゃないだろ? 」 

「そう言えば昔液化出来るサイボーグの出てくるアニメがあったような……」 

茶々を入れるアイシャを要は怒りの表情で睨み付ける。

「そんなことは無理だから大丈夫ですよ。でも……今は正規任務の部隊員ですよね、西園寺さんは。そう言う裏の世界の人ってそう言う立場とかで人を見るんじゃ無いですか? 」 

誠の質問に機嫌を直した要が懐からカードの束を取り出した。

「地獄の沙汰もなんとやらだ。どうにか話を付けてみせるよ」 

「さすが財閥。凄いわね」 

珍しく嫌みのない調子でアイシャが見たこともない特典付きと思われるカードを手にとって感心したように眺めていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 26

朝と言うには遅すぎる時間だった。

「どうするの? 」 

保安隊下士官寮の食堂。がらんとした空間でじっと誠の顔を見つめながら眉間にしわを寄せながらアイシャがつぶやいた。

「どうするも何も……プラモでも作ります? 」 

「馬鹿か」 

他に答えることが無くてぼけて見せた誠に隣の席に座っているカウラがつぶやいた。初春の日差しが窓からこぼれてくるのがすがすがしいが誠達の心は晴れない。一応は謹慎中の身の上である。そしてその間に吉田を探すように嵯峨には指示されているがまるで手がかりはない。

「どこかに転がっててくれると楽なんだけどなあ……誠ちゃん。ヒントちょうだい」 

「僕が持っているわけが無いじゃないですか! 」 

アイシャのとりとめのない言葉にただ答えるだけの誠。アイシャは先ほどから暇そうに首をねじりながら誰もいない食堂を落ち着き無く見回している。当番ではない隊員は確かに今日も寮にいるのだが、謹慎中の男子下士官寮に似つかわしくない上に絡むとろくなことにならないアイシャなどに関わり合いにはなるまいと食堂に近づく人影は無かった。

「手がかり無しで人一人を捜す……しかもその人物は名の知れた傭兵上がり。人混みに紛れる名人だという……私達だけではどうしようもないだろ。仕方ないからおとなしくしているしか無いんじゃないか? 」 

「カウラちゃんは薄情ねえ。もしかしたら大変な事件に巻き込まれているのかもしれないのよ」 

心配するような顔を急に作ってみせるアイシャ。そのバレバレの演技に誠はただため息をつく。

「ベルガー少佐。大変な事件に巻き込まれているなら報告書を定期的に作成したりナンバルゲニア中尉のシミュレーションのプログラムをしたりは出来ないですよ」 

「誠ちゃんまで……。それは、吉田さんが優秀だからと言うことで良いじゃないの。それに今は遼北と西モスレムの衝突の危険性が迫っているのよ。おそらくそれ絡みで……」

「妄想もいい加減にしろ」 

ただただ大きくため息をつくカウラ。部屋はそのまま沈黙に包まれる。

「テレビでも見ようかしら」 

さすがに飽きたと言うようにアイシャが立ち上がったが、その時食堂の入り口の扉が開いた。

「西園寺。何かあったのか? 」 

この場の雰囲気にふさわしくない不敵な笑みを浮かべる要にカウラはやりきれなさそうな表情でつぶやいた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 25

「いつまでもさ……俺に頼ってばかりじゃ困るだろ? まあ今回はさらに頼れる吉田が行方不明って訳だから自分でなんとかしないといけないわな」 

嵯峨がにやりと笑う。ランは呆れたようにため息をついた。

「使えるコネを生かせと……西園寺が暴走しますよ」 

諦めかけたようなランの声に嵯峨はそのまま手にした拳銃のスライドを作業台に置くとそのまま油まみれの手を後頭部に回して伸びをする。

「まあいいんじゃねえの? 俺もそうだったしな。少ないとはいえ経験や人脈があれば使えるように訓練しておくことも重要なお仕事をこなすコツだよ。特に捜査関係、司法関係の仕事で情報収集をしようとすれば多少の無理が利く人脈を作っておくのも悪くはないだろ? 」 

「西園寺は……『東都戦争』の時の人脈を使いますよ」 

ランの表情は明らかに曇っていた。シンジケート同士の大規模抗争である『東都戦争』と呼ばれる一連の事件の背後で胡州陸軍の表沙汰にはされていない権益の確保のために非正規活動に従事していた要のコネクションが真っ当な司法機関の情報収集活動の領域を超えることはランにも予想がついた。

「いいじゃねえの? シンジケートの人間は軍人や警官よりも信用できるよ。アイツ等は利益で動くからな。金を握っている限り裏切ることはないから扱いやすい」 

平然と言い切る嵯峨。非正規活動の経験の無いランには目の前の元憲兵隊長が何を考えているのか分かりかねてただ黙り込むしかなかった。

「話は変わるけどさ……遼北と西モスレムの衝突。かなりヤバイらしいな」 

嵯峨は手に着いた油が後頭部にべったりと張り付いた事に気がついて顔を顰めながらランに目をやった。

「突然変わりましたね……ヤバイのは誰でも分かると思うんですが……」 

「いやあ、両軍の引き離しをやってるシンからの連絡でね。両軍の部隊長クラスは嫌がってるらしいが……前線の兵隊連中が挑発行為を勝手に初めているらしいや。発表はされちゃいねえがすでに死者は二桁になったらしいぞ」 

明らかに両軍が隠しているだろう情報。それを嵯峨が自分でそれを知った訳では無く生粋の軍人である同盟軍事機構の部隊長であるアブドゥール・シャー・シン少佐からの伝聞と表現したことにランは少し疑問を感じた。

「シンからですか?」 

「そうシンから。うちのOBだからな、あいつも。仲間思いの情報通が教えてくれたんだろ? 」 

嵯峨の言葉でランはようやく答えにたどり着いた。

「吉田ですか……」 

「他に誰がいるよ。吉田の野郎……何か掴んでいるはずなんだ。だから姿を消した。起きるぜ……きっとそう遠くないうちに予想もしていなかったようなことがね」 

不謹慎な笑みを浮かべる嵯峨を呆れつつ、ランは大きくため息をつきながら頭を掻いた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 24

「隊長……」 

半分呆れたような口調でランがため息をつく。嵯峨は気にする様子もなく拳銃のスライドをやすりで削り始めた。

「アイツ等行くところまで行くかもしれませんよ」 

「まあそれもいいんじゃねえの? いざとなったら俺が辞表を書けば済むことだからね……」 

あっさりとそう言ったまま嵯峨はひたすら作業に没頭している。

「ならあんな突き放すような言い方は……」

「子供じゃないんだからさ。いざとなったら俺が助け船を出してやるなんて言ったら失礼じゃないの。それに俺が吉田の行方を知らないし知りたいのは事実だから」 

嵯峨の最後の言葉にランは意外そうに首をひねった。

「『草』や『遼南憲兵隊』も掴んでないんですか? 」 

『草』と『遼南憲兵隊』と言う言葉に嵯峨は眉を顰めながらランを睨み付けた。ランはその殺気のこもった視線に珍しく口ごもって黙り込んだ。

『草』は遼南王家直属の諜報組織として嵯峨の祖母ムジャンタ・ラスバ女帝により組織された非公表機関と言うことは知られていたがその実態はランもよくは知らなかった。現在は嵯峨のコントロールにあるとされるが実際どの程度の情報が嵯峨にもたらされているかはランも確認できていない。

その点、『遼南憲兵隊』は嵯峨が先の大戦で胡州帝国軍人として活動していた際の指揮していた部隊なのである程度の輪郭はランも承知していた。

ゲルパルト帝国、胡州帝国、遼南帝国の遼州三枢軸国家は地球に対し宣戦を布告。これによって発生した第二次遼州戦争だが、遼南帝国は暗君として知られたムジャンタ・バスバ帝は政治に飽きて酒色に溺れる有様ですでに朽ち始めていた。胡州はそれを立て直すべく治安維持部隊として憲兵隊を組織して派遣し治安維持の補助活動に当たらせた。その部隊長がムジャンタ・バスバ帝の嫡男であるムジャンタ・ラスコーこと嵯峨惟基少佐であったことは歴史の皮肉以外の何者でもなかった。

『遼南憲兵隊』は遼北の赤化細胞活動に対する徹底的な武力制圧活動を行った。いくつもの村が一人のゲリラを出したという理由で女子供の例外なく処刑された。その処刑はすべて嵯峨の手で行われたと言われている。枢軸側の敗北を察知していた嵯峨は戦後、戦犯として極刑に処される可能性のある部下を出さないためにすべての罪を自分でかぶるつもりだったと後に遼北に投降した彼の部下だった憲兵軍曹が語っていたのをランは遼南共和国時代の資料で見たことがあった。

胡州の敗戦で四散した嵯峨の部下達がその後の遼南内戦時に潜行、欺瞞工作、煽動、暗殺等の共和軍の活動を鈍らせるあらゆる活動を行って人民軍の勝利をサポートした事はランもよく知っていた。そしてそれでも彼等がかつて敵対した人民軍首脳部との確執から日の当たる場所を歩けない身分であることも十分に予想が出来た。

そして現在は彼等は嵯峨の手の届く範囲で情報収集活動を行っていることも十分予想が出来た。彼等は嵯峨の庇護無しでは永久に追われる日陰者にすぎない。だがその活動の成果は嵯峨の政治的発言力という形で世界を確実に変えつつある。勲章や名誉とは無縁の『遼南憲兵隊』の面々が嵯峨個人の為に活動をしている気持ちは共和軍と言う敗軍の将であるランを東和軍に推挙してくれた嵯峨の繊細な配慮を知っているだけにランには十分に理解できた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 23

「吉田少佐捜しを続ける? 」

カウラは嵯峨の言葉の意味が分からずに首をひねった。要とアイシャは大きく頷いた。

「テメー等は二週間の停職だ。分かるな? 」 

厳しい表情のランの口から放たれた言葉に誠はただ呆然としていた。停職はさすがに初めてである。当然のことながら謹慎の時もそうだがその間の給料は天引きされる。誠は思い出せば配属以来まともな給料が支給されたことが無い事に気づいた。

「停職? 」

「そう、これで心置きなく探せるだろ? それに来月頭に第二惑星旧資源探査コロニー跡地で演習やるから。それまでゆっくり骨休めするのも選択の余地ではあるんだけど……」 

「探します! 」 

嵯峨の言葉に食ってかかるアイシャ。要も天井を向いて何か策でも考えているように見えた。

「停職……圧力ですか? 」 

冷静なのはカウラ一人だった。嵯峨はその言葉にしばらくランの顔を見た後、腕を頭の後ろに回しながらつぶやきを始める。

「まあね……東都警察は本当にうちを目の敵にし始めててさ。何かって言うとやれ証拠がどうだだの、捜査方法の遵法性に問題があるだの……この前の水島とか言う法術師。結構いい弁護士がついてね……どこから金が出てるのか知らないけど」 

「金の出所は米軍だろ?どこを経由しているかは知らねえけど」 

要の言葉に嵯峨はとりあえずと言うように頭を掻く。

「うちは全部報告書にまとめて送ってるから義務は果たしているわけだが……そもそもうちが捜査に噛んだことを弁護士が相当突き上げてるみたいでね。検察からそのことで散々絞られたらしくて……まあ俺達のせいじゃないがこれからは協力は出来かねると言われたよ」 

「けつの穴の小さい連中だな」 

「一緒にいて分からなかったの? 要ちゃん」 

冷やかすアイシャに要が鋭い視線を向ける。嵯峨はとりあえず言うことは言い終わったとそのまま手を机の上の組みかけの拳銃に手を伸ばした。

「じゃあ荷物まとめて寮に帰って良いから。あと吉田の足取りがつかめたら報告してね」 

「やなこった! 」 

気楽につぶやく叔父に頭に来たと言うように吐き捨てると敬礼もせずにそのまま部屋を出ようとする要。カウラの敬礼を見て我に返った誠とアイシャはとりあえずの敬礼をして部屋を後にする。

「どうするの? 」 

挑発的なアイシャの言葉に要の顔はすでに笑みに支配されていた。

「叔父貴がまだ掴んでない情報だ。鼻を明かしてやろうじゃねえか! 」 

誠はこれからさらに面倒な事になりそうだと言うことで頭を抱えて詰め所への道を歩き出した。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 22

大きなため息を保安隊隊長室の椅子に座った嵯峨惟基特務大佐がついた。目の前の机には組み立て途中の拳銃の部品が散らかっているのはいつものこと。誠はただそれを見ながら嵯峨の片付けられない性格を思い出して何とか気を楽にしようとしたがそのなんとも悲しそうな瞳を見ると何も考えることが出来ずにただ黙り込んだ。

「あのさあ。俺達の仕事は警察の手に負えない超国家犯罪に対応すると言うのが建前なんだよね……それが警察のお世話になるのがこれで何回目だ? 」 

そう言って再び嵯峨は大きくため息をついた。カウラは一人直立不動で正面に立ってじっと嵯峨を見つめている。不満そうな要とアイシャ。いつでも反論してやろうと睨みをきかせる二人になんとか黙っていてくれと祈りながら誠は胃を押さえて立ち尽くしていた。

「特にベルガー……お前さんはこれからしばらく運行部の25人をまとめなきゃならないわけだ……自覚あるの?」 

「今回は吉田少佐の策にはまったんです! 自宅じゃ無くて正面の家に無断で監視カメラを置くなんて……」 

「ばれなきゃ良いってもんじゃないだろ? まあ事実はそうなんだけどさ……俺にも立場があるんだよ」 

泣き言のようないつもの嵯峨の言葉に誠は隣の要の表情をうかがった。こちらも好戦満点。警察への通報は吉田自身によるものだと分かっているのに吉田の足取りはさっぱりつかめなかった腹いせを叔父にぶつけて晴らそうという表情に誠の胃がきりきり痛む。誠は黙って隊長の執務机の隣に立つ小柄に過ぎる実働部隊長クバルカ・ラン中佐の表情をうかがった。こちらはあきれ果てたという表情。要とアイシャがいくら騒いでも四人の処分は決まっていることが誠にも察しられた。

「先月の違法法術発動事件の時に散々豊川署の面々を挑発しただろ? おかげですっかり東都警察は俺達を敵扱いだ。今回だって俺に直接本庁まで出て来いって話まで来た」 

「応じたのか? 」

「俺達は同盟直属の機関だぞ? これで俺が出て行ったらいつでも俺達は頭を下げると舐められるからな……お前等を買っている親身な中佐殿の土下座外交のおかげでマスコミ対策付きでなんとか話を付けてきたんだ。感謝しろよ……」 

嵯峨は隣に立つランに目を向ける。ランはただ黙ってカウラの方を眺めるだけだった。おそらくは相当な激しいやりとりがあっただろうと言うことは誠にも想像がつく。後で分かったが吉田が勝手に監視カメラを設置した家が東都警察の幹部の実兄の実業家の家だったこともこの状況を悪化させる一因だった。公私混同だと要がわめいていたがあの素早い警察の反応も吉田が警察の思いやり警備を想定しての通報だと考えれば納得がいく。

「カウラ。とりあえず反省の言葉……お願いね」 

「反省の言葉? 確かに自分達の行動が法に反していたのは事実ですがあくまで私的な行動ですし……その私的な行動にこういった反応をするのはいかがなものかと……」 

誠はカウラの性格を読み間違えた自分を責めた。こういうときは正論をぶつけるタイプ。本質的に事なかれ主義の嵯峨の配慮を無視するだろうと言うことは最初からわかっていたはずだった。

「そりゃあ理屈はそうだがね。世の中真っ当な意見が通る事なんてほとんど無いんだから……司法局の上の連中も直接は言わねえが、報告書を送る度にオメエ等の処分はまだかって言葉の終わりにつけやがる」 

「処分? うちの内部の話だろ? これもすべて吉田の馬鹿が……」

「黙れ! 西園寺! 」 

それまで黙っていたランの激しい言葉にさすがの要も口をつぐんだ。ランの表情は先ほどと変わらず厳しい。再び沈黙が保安隊隊長室を支配する。

「北上川で住居不法侵入……他の街ならまだしもあそこは止めて欲しかったんだよな……本音を言うとね。でもまあ……お前等も吉田探し……続けたいだろ? 」 

嵯峨が不気味な笑みを浮かべた。誠はその舌なめずりでも始めそうな表情を見て明らかに嫌な予感がするのを感じていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

冷笑 5

 自転車を漕ぐと言うことは移動距離と比例した達成感を得ると言うことが目的のはずだ。それ以上でもそれ以下でも無い。でもなんというむなしさだろう。移動がもたらす景色の変化はどれも取るに足らない。俺が動いたところでそこにあるものは変わらずにある。無関係にあり続けるその物質。あると言うことの強迫観念が俺の足をさらに動かす。そして自転車を漕ぐ。
 たとえばあの納屋だ。目の前にある目的もよく分からない木箱の上の筵に転がる猫。もしこの小動物に思考というものが存在したとして俺をどう思うだろうか?晩秋近くの日中。しかも平日。自転車を漕ぐこと。しかもこんな歩道もないような田舎道をその通過点として選んだこと。それ自体彼にとっては嘲笑に値することに思えるのでは無いだろうか? そんないわれのない恐怖が俺を襲う。当然ながら猫にそんなことを考える能力はない。そして幸いにして俺は猫の言葉は分からない。分からないことは幸せなことだ。知ったところでどうにも出来ないのが世の中だ。だから自転車を漕ぐ。
 農家の庭先を覗いていると不意に視線を感じた。小型のバイクに乗った警察官がすれ違う。こちらを見ていたのか、見ていなかったのか。そんな事はどうでも良いことだ。ただ彼が通り過ぎたこと自体俺の心の中で揺らぐものが確かに存在するのが事実なのだから。後ろめたい何か。確かにこんな時間にこんな場所を一人で自転車で走っていること自体がかなり後ろめたいことだ。普通なら、彼等が俺に要求する普通なら俺は都内でビルの合間で携帯電話を片手に商談先の指定した待ち合わせ場所に急いでいなければならないのかもしれない。だが事実はそうなってはいない。いや、それも思い過ごしなのだろう。俺は今こうして自転車を漕いでいる。それ以上のことが俺に出来るとはとうてい思えない。だから自転車を漕ぐ。職務質問はそれからだ。
 また営業車が追い抜いていった。点在する工場と資材置き場を移動する彼等はまさに一刻を争うというように明らかに制限速度の倍の速度で通り過ぎていく。だが俺には関係の無い話だ。だから自転車を漕ぐ。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 21

ともかく凄いコレクション。誠は呆れつつ眺める。

そんな時要の表情が曇った。

「外に誰か来たな」 

カウラとアイシャの顔にも緊張が走る。一応は不法侵入である。これがばれればろくな事にはならない。

「どうするのよ……」 

そう言うとアイシャはそのまま隠れようと奥に移動しようとする。

「やべえ……警察だわ」 

要の声が絶望に包まれた。完全に吉田の仕組んだ罠にはめられた。誠はその事実にようやく気がついた。

「説明すれば分かってもらえるんじゃないか? 吉田少佐が行方不明なのは確かなんだから」 

「カウラ……だからと言って不法侵入していい理由にはならねえだろ? 」

珍しく要の言うことが正論だったのでそのまま誠は頷くしかなかった。

『警察だ! 侵入している人物に告げる! 直ちに出て来たまえ! 』

インターフォンの向こうからの強い語気に奥に隠れていたアイシャも観念して誠達のところに出て来た。

「これは自首するしか無いわね……」 

「まあ吉田少佐は行方不明だ。それに私達は一応彼の同僚。起訴もされないが……」

「小言の一つや二つですめばいいがな」 

怒られ慣れしてる要は平然として苦笑いを浮かべるだけ。誠はと言えばすっかり萎縮してただ動悸が止まらないのに焦るばかり。

「行くぞ」 

普段通りの要はそのまま諦めたと言うように出口へと向かう。カウラもアイシャも項垂れたまま彼女に続いた。

「神前!置いていくぞ!」 

要に見放されれば誠には立場がない。慌てて彼女の後を付ける。そのままがらんどうの玄関ロビーに出た三人は玄関先で厳しい視線を送る三人の警官の前にたどり着いた。

「君達は何者かね? 防犯装置が作動しているのだから……物取りか何かか?」

あまりにあっさりと出て来た要達に拍子抜けしたような調子で巡査部長の階級章を付けた警邏隊員と思われる初老の警察官が尋ねてくる。

「いや……物取りというわけでは……ちょっと話すと長くなりそうですから署につきあいますよ」 

慣れた調子の要の言葉に逆に当惑する警察官。それが要に出来る唯一の強がりだと分かって誠も同じような苦笑いを浮かべるしか無かった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 20

「凄えなあ……なんのコレクションだ? 」 

要は遠慮無く手前の木の棚の扉を開いた。誠もカウラもついそれを覗き込んでいる。いくつも並んでいる薄い物体。誠は初めて見るその物体をただ呆然と見つめるだけだった。

「まさか……レコード? マジかよ……今更何に使うのかねえ……」 

要は遠慮せずにその一枚を取り出す。三十センチ強の四角い板が目の前に現われる。表面には三人の黒い背広の男の写真がプリントされている。

「もしかしてLP版じゃないかしら? それにしたら凄いコレクションよ。もう三百年以上前の代物だもの……その保存のための部屋。凄いわね」 

いつの間にか部屋の奥で同じように扉を開けてレコード盤を取り出していたアイシャがつぶやく。誠もその言葉でようやく目の前の物体の正体を知った。レコードと呼ばれるものがあることは誠も知っている。アナログな記憶媒体が一般的だった20世紀の音楽を記録する媒体と言うことはアニソン以外の音楽に疎い誠も知っていることだった。特に懐古趣味が強い東和ではこう言う古い媒体は珍重される代物だった。

「この一つの箱で……五十枚以上入っているな。どれだけ集めたんだ? あの人は」 

ただ珍しい媒体の並ぶ部屋を見回すカウラ。彼女が呆れるのももっともな話だった。ざっと見ただけでも箱は百や二百という数ではない。その集められた音楽の数に誠も圧倒されるしかなかった。

「ジャズはねえのか? 趣味人にしては気がきかねえな」 

要はレーベルを一枚一枚確かめていく。手前の見えるところを見終わると下の箱を開けてまた検分を始める。

「吉田少佐はジャズって感じじゃないでしょ? なんだかよく分からないけど……もっと軽い感じというか……電子音ばりばりの感じがしない? 」 

同じように奥で箱を開けては中身をのぞき見ているアイシャがつぶやく。

「そんなに開けて良いのか? 後で証拠が残るとまずいだろ」 

心配そうなカウラを要は一瞥すると手を振って気にするなと合図した。それを見ると誠も好奇心に負けてそのまま部屋の奥へと足を向けた。空気が凍ったように静かな部屋の中。ただ箱の扉を開く音とレコードのジャケットを要やアイシャが引き出す度に起きる摩擦音だけが響いている。

誠はそのまま手近にあった箱の扉を開いてみた。

ここにもぎっちりとレコード盤がひしめいていた。背表紙のような部分にはアルファベットの表記でそのレコード盤のタイトルが印字されている。よく読むと英語とドイツ語の表記が多いのが分かる。試しに一枚を引き抜いてみた。

四人の男が道路を横断しているデザインのジャケット。誠はそれがどこかで見たことがあるような気がしていたがどうにも思い出せずにそのままそのレコード盤を箱の中に戻す。一枚いくらの値がつくのか。この家の設計からして相当な吉田のこだわりが感じられるだけに恐ろしくも思えてくる。

「これ割ったら切腹ものかしら」 

さすがにアイシャも手にしたレコードの価値に気づき始めておっかなびっくり手にしたレコード盤を箱の中に戻すとそのまま入り口近くで箱を覗き込んでいるカウラのところの戻ってきた。

しかし、そんな価値のことなどまるで気にしない人物が一人いることは誠も十分分かっていた。

「大丈夫だろ? どうせほとんどは最新のデータ化されて東都国立図書館とかで聞こうと思えば聞ける代物ばかりだろうからな。それに……」 

要は平気で厚紙の中に入っている黒い樹脂製の円盤を取り出す。そしてそのまま天井に付けられた淡い光を放つ照明にかざして溝が彫られた表面をのぞき見た。

「相当酷使の後があるな……ターンテーブルか何かで回したんじゃねえのか? これは」 

誠の聞き慣れない『ターンテーブル』という言葉。カウラもただ首を傾げてレコード盤を箱に戻す要を眺めていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

冷笑 4

 柿の木が見える。実る実。ただ誰が食べるのか。たぶん誰も食べることは無いだろう。路上に落ちてつぶれた柿の実がタイヤに粘り着く。どうにも嫌な気分になる。だからどうと言うこともない。ライトバンも同じように柿の実を踏みつぶして走っていく。特別なことは何もないのだから。
 畑が途切れる手前の野菜の無人販売所。正確に言えば無人販売所跡地だろう。一頃のはやりで日曜大工のつもりで作ったのだろう粗末な屋根とテーブルのようなスペース。ただ使われなくなって長いようで、板は黒ずみ所々に穴まで開いている。何もない以上俺には用はない。俺はただ自転車を漕ぐ。
 杉林が始まる。当然手入れなどされていない。ある木は根本から折れ、ある木は生長が遅れて腐り、ある木は途中で二股に伸びて使い物にはならないように見える。そしてその木の根元の雑草の生い茂ることの激しいこと! 今更手を入れることも出来ないだろう。もしこの土地が残土の処分場にでもなるときは無価値な木ぎれがたくさん出ることだろう。ただそれだけ。いつ、誰がどんな思いでこの木々を植えたのか。俺の関わりのあることでないことだけは確かだ。それが無駄だった。何の意味もなかったことだけはよく分かる。人生は徒労だ。ある意味よく分かる典型例なのかもしれない。でも無関係に俺は自転車を漕ぐ。ただ漕ぐ。
 再び坂。まさに拷問以外の何ものでもない。かつての将軍の部下達は相当に我慢強い人間が揃っていたのだろう。それともかつての人々はもっと我慢強かったのかもしれない。まあ考えてみれば生きていても良いことなど何一つ無いだろう人生を送ることを強制された人々ばかりが世のほとんどを占めていた時代の話だ。我慢強い人間が多いのも当然なのかもしれない。まあ、今が生きていて良い時代なのかは物質的な面では勝っているという事実以外には俺には知識がないので特に考えることも無いのだが。俺は自転車を漕いだ。
 右足、左足。力を込める度に左右の道の周りの草達が気になる。名前はあるだろう。偏執狂的学者達が付けたその草達にとっては何の意味もない記号としての名前。それについて俺が調べるつもりはまるでない。知ったところで左右の足の疲れが取れるわけではないから。ただそれぞれに個性を主張して生存を競っている事実は見て取れる。実にうらやましい限りだ。人間も脳みそを取り除けばこうして草のように生きることが出来るのかもしれない。まあそれが生きているという事かどうかは別の問題だが。俺は自転車を漕ぐ。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 19

誠が思ったのは吉田ならどこかにトラップの一つや二つ仕込んでいるのでは無いかと言うことだった。カウラがポケットからサングラスのようなものを取り出したのもそのせいだろう。

「赤外線の反応は無し……監視カメラはどうだ? 」 

「無いな……意外と管理は甘いんだな」 

要の言葉でようやくカウラはドアを確認する。まるで当然のようにそれは開いた。

「不用心ね。これじゃあ泥棒に入られちゃうわよ」 

「あの少佐殿の家に泥棒? そりゃあ身の程知らずもいいもんだな」 

警戒するアイシャを笑い飛ばすとそのまま要は家に踏み入った。誠も仕方なくその後に続く。

玄関口。別に豪華さがあるわけでも機能性を感じるわけでもないそれなりに小洒落た雰囲気のある玄関だった。

「洋風に靴で上がるのか……気取ってるねえ」 

要には全く遠慮がない。カウラは赤外線探知装置付きのサングラスをかけて警戒したままその後ろに続く。三階建て、天井まで吹き抜けのホールのような玄関口に圧倒されていた誠だが、そのまま真っ直ぐ歩き続ける女性陣において行かれてはたまらないとそのまま奥のドアに飛び込んだ。

「食堂か……使った様子は無いな」 

テーブルの上の埃を指でさすりながら要がつぶやく。アイシャが無遠慮に冷蔵庫を開けると中身は空だった。誠はそのまま電気式のコンロの前に立つ。そこも久しく使用した形跡は見受けられない。

「しばらく使ってない……これは三四日という感じの雰囲気では無いな」 

カウラの冷静な分析に誠も頷くしかなかった。

「あの少佐殿は家には帰っても寝るだけみたいな雰囲気があるからな。高速に乗って一時間。間に飯屋は山ほどある。自炊の必要も無いと言うことなんだろうな」 

要はそう言うとそのまま隣のリビングに足を踏み入れた。そちらは多少人のいた形跡があった。ソファーにも人が寄りかかったようなへこみが残っているし、その手前のテーブルの上の音楽雑誌の山の上にも埃の気配は無かった。カウラは当然のように手元にあったテレビのリモコンを操作する。電源を入れると最近はやりのネオテクノ系の音楽を流している番組が流れていた。

「やっぱりそうだ。ここでテレビでも見て時間を潰してから寝たんだろうな……」 

「そんな日常をトレースするのは良いんだけど……手がかりはどこ? 」 

アイシャの真っ当な質問に要は頭を掻きながら奥にあったドアに向かって歩き出した。

「勝手に動くなよ」 

「動かなけりゃあ手がかりも見つからないってもんだよ」 

平然と扉を開く要。その部屋だけは空調が効いているらしく、乾いた空気がリビングまで流れ込んできた。

「電気は……ここか」 

いつも通りデリカシーもなく平然と電気を付ける要。誠はその光の中に現われたものに目を奪われた。

「ここは?」 

ただ目の前に並ぶ木製の棚。その高さは優に三メートルは超える。そしてぱっと見た奥行きで30メートルはあるだろうこの部屋の雰囲気に誠はただ息を飲むしかなかった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

冷笑 3

 額に汗が浮かぶ。拭う。手を見る。どう見てもねっとりとした粘液が粘り着く感覚が気にくわない。だがそれでどうなるというわけでもない。ただ道は続く。軽トラックが隣を通り抜けていく。整備が悪いのかどす黒い煙が周りを覆う。ただそれでも道は続く。
 再び坂が始まった。突然のようにのぼりはじめた道。ただ右足、左足に力を込める。それでも坂は急になっていき次第に自転車の勢いが落ちる。俺はようやくギヤを落とす決心をする。一瞬だけの軽快さ。それも本当に一瞬のこと。今度は緩まった勢いのせいでハンドルの操作が難しくなる。右へ、左へ、足を踏みしめる度に自転車は左右に揺れる。ただ揺れる。そしてその脇を営業車が通り抜けていく。ぶつかったら楽になるのかな。そんな事を考えてみる。考えてみれば40キロも出せないこんな道での接触事故。死にはしないが障害くらいは負うだろう。ただ面倒なだけだ。死にかけたことは何度かあるが、ただ面倒なだけだった。ひと思いに死ねれば楽にはなるが、人間そう簡単には死なないものだ。だから俺は自転車を漕ぐ。ただ漕ぐ。
 気がつけば左右はクヌギ林だった。子供なら、そして今が7月のはじめならそれなりに楽しめた光景かもしれない。ただ俺は中年も中年で、今は秋も過ぎようとしている時期だ。誰も楽しいことを感じることが出来るような場所ではない。木々が珍しい都会人向けに下草を刈り込んでいる訳でもない。背の高さまで生えた笹などの雑草。ただ邪魔なだけな空間。子供なら、クワガタの産地と喜び勇んで飛び込む草むらも今となってはただの枯れ草の茂みだ。ただ視界の端を彩るだけ。俺はそれを見ながら自転車を漕ぐ。
 坂はしばらくして平らな道へと到達する。雑木林もまず栗林に変わり、そして畑へと姿を変える。生姜、冬瓜、ヤマトイモと続いて落花生畑。ボッチが風に揺れている。昔なら野焼きの香りが一面に広がっていてもおかしくないがそんな人間的な光景は今はない。ただ誰もいないだだっ広い畑が続いている。その先には間伐などとうに忘れられた杉林が倒木を何本も晒した状態で広がっている。俺はギアを再び上げた。自転車は加速していく。通り過ぎる車も視界が広がったせいで一気に加速して脇を追い抜いていく。今度の速度なら転がればかなりの確率で即死出来るが安定して自転車が進んでいる今では特にわざと倒れてみせる必要を感じない。だから自転車を漕ぐ。ただ漕ぐ。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 18

「本当にお金持ちの街なのね」 

感心したようにアイシャがつぶやいたとき車は急に路肩のコンクリートに右タイヤを乗り上げた。

「着いたぞ」 

要の言葉に誠はまだぴんと来ずにただ呆然と周りを見渡した。目の前の打ちっ放しのコンクリートの表面を晒した奇妙な家屋が目を引く。立方体をいくつも組み合わせたようなその姿。ある部分は出っ張り、ある部分は引っ込み。明らかにバランスが悪そうに目の前の空間を占拠している。

「もしかしてあの家ですか? 」 

「らしいだろ? 」 

助手席の扉を開けながらにんまりと笑って要は下りていった。アイシャが序章席を倒してそのまま這い出る。誠もまた狭い車内から解放されようと急いで道に飛び出した。

閑静な住宅街。大通りからは遠く離れていて車の音もほとんどしなかった。

「じゃあ行くぞ」 

要の言葉に誠達は目の前の奇妙な建物の玄関に向けて歩き出した。その建物の奇妙さに比べると玄関はそれなりに先進的な作りだがセキュリティーのしっかりした上流階級の家庭ならどこでも見かけるような普通のたたずまいをしていた。

「留守だったらどうする? 」 

冷静なカウラの突っ込みにチャイムを押そうとした要が少し躊躇いがちに振り向いた。

「こういうところだと聞き込みするだけ無駄だよな……お互い関心なんてまるでもっちゃいねえんだ。プライバシーの尊重? そりゃあ建前で実際は後ろ暗いことがあるからなんだけどな。そうでなきゃ人の上に立ってこんな家まで建てるような身分にはなれないのが世の中という奴の仕組みだ」 

「よく分かってるわね。さすがザ・上流階級」 

冷やかすアイシャを無視したが他に何ができるというわけでもない。とりあえず要はチャイムを押した。

しばらく周りの家々を見回す。ある家は瓦に凝り、ある家は塀の漆喰を南欧風に仕上げたりなどそれぞれ大通りに面した豪邸とはまた違うこだわりを見せつけてくるのが誠にはどうにもなじむことができない。

「留守か? 」 

「だと思ったわよ……あの人が連絡をしてこないのに家にいると思うわけ? じゃあこのまま東山町でも出てアニメショップでも寄っていきましょうよ」 

アイシャがそう言ったときカウラが静かに門扉を開けた。打ちっ放しの家に似て飾り気のない鉄板で出来たそれはするすると開いた。

「開くな」 

開いた扉を見ると要はそのまま遠慮もせずに敷地に立ち入っていく。アイシャもカウラもそれが当然というようにその後に続く。

「良いんですか? 」 

「良いも何も……開いてるんだから入るのが普通だろ? 」 

振り返ってにやりと笑う要。誠はただ呆れながらそのまま家の門までたどり着いて中をうかがっているカウラの方に目をやった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 17

右折して続く真っ直ぐな道。左手には延々と要の実家の所有物の屋敷の白壁が続いているのが見える。

「本当に……お金貸してよ」 

「なんでその話が出てくるんだ? 」 

要は苦笑いを浮かべるしかない。確かにこのただでさえ豪邸の並ぶ街にこのような巨大な施設を所持できること自体かなりの驚きでしかない。誠もただ呆然とようやく視界の果てに白壁が終わりを告げるのを見てほっとため息をつくしかなかった。

道は相変わらず豊川のとってつけた移動手段以外の意味を持たないそれとはまるで違うものだった。

「でも駅から遠いみたいだけど……ああ、みんな車を持ってるから平気なのね」 

自分を納得させるようにアイシャがつぶやく。誠は時々見える標識でこの道の地下には地下鉄が走っているらしいことはすでに分かっていた。

「次は警察署の角を右で……二番目の信号を左か」 

カウラも要の立場を再認識したように瞬きをしながら意味もなく道順を口の中でもごもごとつぶやく。要は明らかにうんざりしたように頭の後ろに手をやったまま目をつぶっていた。

両側の豪邸が途切れてしゃれた雰囲気の商店が両脇に並び始める。アイシャは明らかに珍しそうにその店を眺めている。誠もまたこのような上品な店とは無縁だったことを思い出させられる。そう言えば大学時代にはこの近辺の出身の同級生とはどうも話が合わずに気まずい雰囲気の中で酒を飲んだことを思い出す。特に芸術家気取りが多い工学部の建築学科の連中とはそりが合わなかったのを思い出した。

「そこだよ」 

「分かってる」 

要の言葉にカウラは不機嫌そうに交差点を右折する。すれ違う車は相変わらず高級車ばかり。

そのまま同じようにしゃれた感じの先ほどよりは少し閑静な感じの並木道をカウラの車は進み、そのまま二番目の信号を左に入る。先ほどまでのとてつもない金持ち達の領分から抜け出たような少しランクの下がったような街並みにアイシャと誠は大きくため息をついた。

「ああいうところは私は駄目だわ。息が詰まるというか……洒落が効かないような感じがして」 

「そうだろうな。テメエの貧乏面にはにあわねえや」 

鼻で笑う要を睨み付けるアイシャだが、先ほどの要の別邸の巨大さを思い知っているので反論もできずにただ黙り込んで左右の明らかに特別注文されたと分かるそれなりに立派な家々に目をやってまたため息をついた。

誠もアイシャと同感だった。コマーシャルでやっているような大手の住宅会社の量産型建て売り住宅とはまるで違う趣のある家々。それぞれに設計事務所の技師が丹精込めてデザインに工夫を凝らし尽くしたのが分かるような家々を見て、ただただため息をつくだけだった。

「もうすぐだな」 

「こんな家が並んでるなら間違えようが無いわね。本当にお金のあるところにはあるものね」 

アイシャはまた同じような台詞を口にしてため息をつく。ともかく公務員であるカウラ、アイシャ、誠にはとても住めるような世界でないことだけは車が進む度に思い知らされることになった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 16

カウラのスポーツカーも豊川では目立つ車だが北上川の高級住宅街の中ではどちらかと言うと地味な存在に変わる。誠はようやく目覚めた要が不機嫌そうな顔で振り向くのを見ながら苦笑いを浮かべた。

高速では要とアイシャはすっかり熟睡していてまるで話を切り出すこともできなかった。運転するカウラが時折バックミラー越しに何かを語りかけようとするのは分かっていたが、アイシャが狸寝入りでないという保証は無い。二人ともただ何も言わずに風景が次第に都会的になっていくのを眺めているだけ。ただ無駄な時間を過ごしたというようにつまらなそうにカウラはハンドルを操作している。

「なんだよ……ったく気取った街だな」 

寝ぼけた頭を左右に振りながら眺めている要の一言。その一言がきっかけだったように突然ぱちりとアイシャが目を開いた。

「アイシャさん起きたんですか?」 

誠の言葉にアイシャが目覚めたことを知った要がめんどくさそうな表情で振り返る。アイシャはそのままむっくりと起き上がると大きくため息をついた。

「ここどこ? 」 

「北上川だ。もうすぐ目的地だろ? 」 

「まあな、このままこの通りをまっすぐ行くと白壁の屋敷にぶち当たるからそこを右だ」 

淡々とそう言うと要は口をつぐむ。その行為が少し意識的なものに感じられたようでアイシャがにやにや笑みを浮かべながら自分のジャンバーのポケットから携帯端末を取り出す。

「北上川……現在位置。中央白壁通り……突き当たるのは『摂州東和別邸』。要ちゃんの別荘? 」 

予想通りの質問が来た。そんな感じで苦笑いを浮かべる要。誠も重箱の隅を突くようなアイシャの態度にはさすがに要に同情したくなってきていた。

「悪かったな。うちの家は外交官の家だからな。東和は胡州とは因縁のある土地だ。時にはここに居を構えて交渉に集中する必要があるわけだ。その為の連絡事務所みたいなもんだな」 

「それなら大使館に一室設ければ良いじゃないの……っていうかさすが胡州貴族四大公家筆頭は考えることが違うわね」 

「別にアタシが考えたわけじゃねえよ。昔からそうなってるって話なだけだ」 

相変わらずふくれっ面の要を見ながら誠はただ呆然と周りの高級住宅街を眺めていた。下町育ちの誠には本当に無縁に見える門構えが並んでいる。家の屋根が見えるのは希で、ほとんどが大きな塀しか道路からは見えない。その道路も豊川の建て売り住宅なら二軒分はあるような広さの歩道を持っていてさらに中央のこれも広すぎる路側帯にケヤキの巨木が寒空に梢を揺らしていた。

「本当にお金って言うのはあるところにはあるのね」 

感心しながら周りを眺めるアイシャ。誠も通り過ぎる車が高級車ばかりなのに圧倒されながら目をちかちかさせつつ見物を続ける。

「あれで良いんだな? 」 

カウラの声で誠は正面を見た。目の前には本当に部隊の防壁よりもさらに高い白壁とその上には銀色に光る瓦屋根を載せた塀が延々と続いているのが見えた。

「本当に……お金持ちはいるものね……」 

冷やかすのも忘れたアイシャがあんぐりと口を開けたまま左右に長々と続く要の実家の別邸の壁を眺めていた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

冷笑 2

 道は無意味に真っ直ぐと続く。
 下り坂。それは後の上り坂の序章。ただ腕の筋肉の張りを感じつつハンドルを握りしめる。空気が冷たく感じるのは秋の風のせいか、汗のせいか。どちらにしろ俺にはただの現象にしか思えない。下りきるとここも耕作放棄された田んぼ。どうせ機械を入れることもできないようなこの地形での農業など絵空事の話だ。常に価値に追い立てられるこの時代にこんなところの再開墾を訴えている馬鹿の気が知れない。緑の芒を見て思うこと。ただそれだけでそれで十分。俺は上り坂に備えて足に力を込める。
 静かにそして急激にそれは始まる。日が道ばたのクヌギの木の葉に遮られて途切れる。まだ散る様子は無いが近く色づきそして落ちるだろう。自然の営み。誰の意志とも関係なく時間は流れる。そして坂の勢いも増す。右足、左足。腿の裏の筋肉の緊張と弛緩の連続。それはそれで興味深いことだが今の俺には呼吸が一番の仕事だった。息を吸い、そして吐く。ただそれだけの繰り返し。坂が終わるか俺の気が変わって来た道を引き返すことでも無い限りそれは続く。ただ息を吸い、そして吐く。
 そして急に坂は終わる。高速で追い抜いていくダンプカー。硫化水素を含んだ黒煙が延々と立ち上り続ける。煙草とこの煙とどちらが体に悪いのだろうか。突然現われた長屋門を見ながら少し考えてみるが、今の俺にそんなことを考えているような余裕は無い。ただ自転車を漕ぐのみ。
 両側が開けていた耕作放棄地と違ってこうした農家らしい家々の集まった集落の道は狭い。必死になって道路にせり出してくるような土塀。手入れなどまるでされていない土塊がかつて壁であったことを俺に知らせてくるがただそれは面倒なだけだ。路上にまで転がる土塊がハンドル操作を危ういものにする。まあそれも一興。追い抜いていく営業車に撥ねられたところで何が起きると言うわけでもない。これという変化のない日常が一つ終わるだけ。世に少しの変化すら無いだろう。俺はただ自転車を漕ぐ。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 15

「そう言えば吉田さんの家ってどこなんです?」 

誠は当たり前の質問を当たり前の顔でした。不意に振り向く要。明らかに不機嫌そうなそのタレ目にただ誠は冷や汗を流した。

「北上川」 

要の言葉から東都郊外屈指の豪邸ばかりが並ぶ街の名前が出て来たので誠はただあんぐりと口を開けた。

「ああ、吉田少佐らしいわね。傭兵時代にかなり溜め込んだんでしょ。それにあの人はうちでも一番の高給取りらしいから……さすがというかなんというか」 

別に驚くに値しないというように流れていく景色を見ながらアイシャがつぶやく。確かに考えてみれば当然のことかもしれなかった。下手な航空機よりよっぽど高価な軍用義体を自前で用意する吉田の蓄えが半端なものと考える方がどうかしている。

それに吉田の交際範囲には傭兵時代に場つなぎにしていた音楽関係のプロデュースの仕事のつながりもあることは誠も耳にしていた。最近はとんとそちらでの仕事はしていないと聞いているがそれにしても一度当たれば大きいのが芸能業界である。それなりに長く活動をしてきたらしいのだから印税やその他の定期収入もあるのだろうかなどと誠の考えが次々と巡った。

「北上川近辺なら……要ちゃんの顔でなんとか情報を得られるんじゃないの?何しろ胡州帝国宰相のご令嬢ですもの」 

「あのなあ、アイシャ。アタシはほとんど親父の仕事関係の人脈とはノータッチだ。確かにたまに領邦コロニー経営の関係で人に会うこともあるがほとんどは役人ばかりだぜ。経営者クラスはアタシに頭を下げても金にならないのは分かってるだろうからな。そんな暇があったら直接摂州コロニーの統治組合にでも顔を出すんだろ」 

すげない言葉で返す要。確かに要の言うとおり狭い下士官寮に彼女が移ってからも彼女の統治する領邦コロニーの関係者がやってきたことは一度もない。第三小隊の小隊長の嵯峨楓少佐が所有する泉州領邦コロニー群と比べれば少ないとはいえ1億近い人口の徴税権をを握っている要。こういうときには彼女が遠い存在に感じられて誠はただ静かに黙り込んだ。

「このまま高速に乗るからな。暴れるなよ」 

主に要を牽制するように一言言うとカウラはギアをトップに入れてそのまま道をできたばかりのバイパスへと車を進める。

「なあに、この車も菱川のフラッグカーだぜ。そう簡単にコントロールを失ったりしねえだろ? 」 

「めんどうなんだ。止めてくれ」 

要の茶々に苦笑いでカウラが答える。車はそのまま目の前の大型トレーラーに続いて高速道路の側道を走る。

「あれ……前の車が積んでるのは菱川の機材かしら? 」 

「さあな。アタシの知った事じゃねえよ。ついたら起こしてくれ。寝るから」 

それだけ言うと要はそのままシートを倒してきた。誠は狭い車内がさらに狭くなり思わず顔を顰める。

「要ちゃんにはかなわないわね」 

明らかに人ごとだというようにそれだけ言うとアイシャもまた誠の足下に長い足を伸ばしてきた。

「勘弁してくださいよ……」 

バックミラーの中で苦笑しているカウラにそれだけ言うのが誠のできる唯一の抵抗だった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

冷笑 1

 自転車。右足を押し込み、左足の力を抜く。その動作に手抜きをするのはこちらの勝手だ。ただそうすればそのままバランスは崩れて横転。顔面をアスファルトに打付けることになる。それだけで済めばいい。この歩道もない田舎道。車は絶え間なく制限速度を軽く超えて走り抜けている。突然の目の前の自転車の転倒に対応できるドライバーがいるとはとうてい思えない。ただ同じ動作を続ける。今度は左足を押し込み、右足の力を抜く。十月過ぎ。半袖には寒い季節だが家を出たときから予想がついていたのでTシャツとジーパンの姿でただひたすら走る。額に汗が浮く。拭う右手を見れば粘液のような汗がへばりつく。ただたとえようもなく暑い。
 道は真っ直ぐに続いている。これが江戸時代から続くというのだからばかばかしい話だ。初代将軍が鷹狩りの為に造ったとされるがそれにしては大げさな話だ。何か気になることがあったのか、それとも妄想狂の気があったのか。人の上に立つ人間には正気な人間は少ないというのは俺のそれほど長くない人生の教訓の一つだ。ともかくまともな人間の所行じゃない。
 その真っ直ぐな道。左右には耕作放棄された荒れ地が続く。ただ続く。時折見えるのは資材置き場。実際その建設会社が営業を続けているのか。前を通っただけではまるで分からない。それでも看板が立っていてその前の鉄門には人の通った形跡がある。つまり差し押さえは食らっていないのだからとりあえず営業していると思い込もう。俺はその前を自転車を漕ぐ。ただ漕ぐ。他にすることもないので漕ぐ。
 まだ道は真っ直ぐ続いている。まるで嫌がらせだ。
 アスファルトの上。無数の茶色い物体が飛んではあちこちに跳ね返って落ちる。はじめはそれがなんなのか分からなかった。しかし右手にそれがぶつかったときの乾燥した感覚。下に落ちたときの折り紙細工のような形。どうやらバッタのようだ。それに気がつくとなんだかぶつかってくるその物体を避けたくなる。虫は子供の頃は嫌いでは無かった。ただ、大人になるとなぜか触れるのが怖くなる。不思議な話だ。それは間違いない。昆虫についての知識は子供と大人では知る場所が違うのは確かだ。子供は図鑑や教科書で、大人は新聞やテレビでそれを知る。新聞やテレビの昆虫は雑菌を運ぶやら食害で野菜を駄目にするやらまるで良い印象がない。要するに嫌悪感を植え付けられただけだ。それでも一度植え付けられた嫌悪感は消せない。左足を踏み込むと右の顔に体当たりしてくるバッタが見えた。思わず目をつぶり奴の先手をとって避ける。とりあえずぶつからなかったがバランスは崩れた。幸い車は来なかった。俺はただ自転車を漕ぐ。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

視野の重なり 7

「追加を頼みたいんだけどいいかな?」
 ぐっとのめるように項垂れていたせいで、両脇にはっきりと分けられた髪の間から覗く額が青白く光って見える。右手を軽く挙げた俺のせいで茶色い髪のウエートレスは立ち往生したままだ。「ヨウコちゃん」が口を開こうとするとメニューを突き出してくる。
「なんか……こう……」
「今度は、アイス……」
  同時にこぼれだした言葉に、残されたのは茶色い髪のウエートレスの仏頂面。俺はコップを啜り、彼女は俯いて黙り込む。俺が間を嫌ってコップの中の融けかけた水を口に含めば、彼女は何を思ったのか目の前の雑誌を横にどかしてゆっくりと身を乗り出してきた。
「それは少し……」 
「そう言えばさっきは花屋の前で群れていたの……あれ友達?」 
 アイスコーヒーが運ばれてきた。俺はいつものようにストローを包んでいる紙を粉々に引きちぎって、おもむろにコップの中に突き立てた。その作業が進展する間も、決して「ヨウコちゃん」は俺の問いに答えようとはしなかった。俺は汗が噴いているコップを握りしめると、薄すぎるコーヒーを口の中に啜り込んだ。彼女は何も切り出せないまま諦めたような調子でパフェをつついている。眼は座ったままだが、彼女は微笑もうとしているように見えた。不自然で悲しげで、刺々しくて、まるで先ほどの中年コンビが繰り広げた滑稽な面接ごっこの裏返しを演じているようだ。
「話は変わりますけど……なんか変だと思いません?このごろの天気って。今朝だって、きっちり天気予報では一日中晴れるはんて言ってましたけど、結局こんなに、雨がふっちゃって……なんか今朝も世界中で洪水とか干魃とかテンペンチイが起きているみたいで……まるで何かが……」
 一息に、捲し立てるように、まるで何かを誤魔化そうとでもしているように絞り出された言葉。背中に視線を感じる。俺にも身に覚えのあるような荒唐無稽な大学進学講座が途切れ、残酷な忍び笑いが俺と彼女との間に闖入してくる。
「でも本当に、大変なことが起きようとしているんですよ。実際、新聞なんか読んでみるとどう見ても乱れていると言うか……このままだと、きっと大変なことが起きるような変な感じ。少しばかりするときはとかありませんか?」 
 その言葉の語調と彼女の表情との間のつながりは、ちょうど目の前のパフェとその脇にのけられた勘定書みたいなものだ。俺のそう言う直感は「悲しげな表情」のままこちらを見つめている「ヨウコちゃん」からはどんな風な感想を引き出すことになるのだろうか?変わらずに、確かに、静かに、彼女は俺を見つめている。凍り付いたように動かないその姿は後ろの高校生達がたてる忍び笑いへと行きそうな意識を無理にでもその一点に縛り付ける。
「そうですかね?そんなになんか起きそうに見えますか?世の中。だとしたら少しばかりましになってもいいような気がしますがねえ。それに、そんなこと俺みたいなつまらない……自分一人が生きているってので精一杯の人間がそんなことを気にしてどうするって言うんですか?俺にはそっちの方がどうにも気になるんですよ。どうせ何もできやしないのは分かり切っているっていうのに……まるで何かに追い立てられるように……」
 『追い立てられる』という言葉がこぼれたとき、俺の唇はようやくその動きを止めた。妙な間の悪さに自然と頬の筋肉がひきつる。それも彼女も同じだ。期待はずれの言葉の裏にまた全く違うマニュアルのページが聞かれ始めているのだろう。その視線は宙に浮かび、手にしたスプーンはその回転の速度を速め、それにつれて固体であったアイスクリームはすっかり液化してしゃぶしゃぶという音をたてる。
「いえ、あなたはそう言いますけど、確かに変わっているし、それに……」 
「そもそも、悪いってなんですか?それにそもそもそんなことに対してあなたは何ができるって言うんですか?別に僕が納得できるような言い方じゃなくてもいいですから、なんかはっきりここに示してみてください!」 
 「ヨウコちゃん」の手が止まった。その唇は何かを訴えるように堅く結ばれている。肩が微かに震え、その眼の下に浮かんでいるのは涙だろうか。俺はコップのそこに僅かに残った黒い液体を一息に啜り込んだ。
「あっ、雨。止んだみたいですよ」
 彼女はそう言って窓の外を指した。俺は気詰まりを感じて振り返った。外で、人々は濡れた傘を振り回しなから飽き果てたような調子で早足に歩いている。福音を待ち続ける女はそんな俺を哀れむような目つきで見つめている。
「あ、それじゃあ私、仕事があるから……、」
 二枚の伝票を掴んで「ヨウコ」は立ち上がった。
「ああ」
 俺はそんなことにも気付かずに目の前の何もない空間を見つめていた。「ヨウコ」はきっと俺に二度と会うこともないだろうとでもいうように、振り返らずにそのままレジの方に向かって早足で歩いて行った。
 取り残された俺もまた窓の外の雨垂れを見つめながらもう二度と何も見ることのない眼の中に、なぜ月が見えていないのかそれを少しばかり不思議に思いながら席を立った。

                               了


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

視野の重なり 6

 ドアが開いた。青い上っ張りを着込んだ女が一人、店内を覗き込むようにして入ってきた。彼女は事務所で出会ったあの時とまるで見違えたように滑らかな足取りでこちらへと向かってくる。俺は別に無視する理由を探す訳でもなく、目の前の雑誌の山を空いた椅子の上に片付けると彼女がボックス席に腰掛けるのを待った。
「奇遇ですね、こんな所にいらっしゃるなんて、面接の方、どうでしたか……と言っても社長がいないんだから……また今度っていわれたんでしょうけど」
 雑誌を閉じて俺の顔を捉えているその大きめの瞳が暑苦しい。肩の辺りで切り揃えられた髪を掻き上げながら俺の手にしている雑誌に眼を移しながら、慣れた手つきでテーブルの端の砂糖とナプキンの下で下敷きの振りをしているメニューを取り出していた。
「雨、結構降ってきてるみたいですね。これじゃあ、現場は結構大変なんじゃないかしら……と言っても別にアタシに何ができるという訳でもないし」
 まるで独り言のように呟くその唇の影は別の言葉を吐こうとしたなれの果て、ただのぼんやりしたとしたかすれた響きだけが俺の耳にしがみつく。髭はこちらに背を向けている。その肩が微かに震えているのは笑いのせいか?茶色い髪のウエートレスの引きずるような笑い声が聞こえる。「ヨウコちゃん」は俺の顔に浮かんだ笑みの意味を計りかねたように手を挙げた。茶色い髪のウエートレスは弾かれるように髭の影から飛び出して、カウンターの脇に集められたグラスを手に取ると自動人形のような格好で歩いてくる。彼女はその流れを引き継ぐような調子でその手からグラスを受け取ると、メニューの一隅を指さした。茶色い髪のウエートレスは顔色を変えずに頷いて俺が寄せ集めた雑誌の束を小脇に抱えると、また髭の方に消えて行った。テーブルの上には一冊だけ、新興宗教の機関紙が置き去りにされている。「ヨウコちゃん」の視線がその雑誌に集中しているのがわかる。自然と薄暗く見える笑みが俺の頬に浮かぶ。彼女は隣の椅子に載せた荷物を何度か確認する振りをする。深めのクッションの効いた椅子の上で紙袋はそんな彼女をあざ笑うように確かにそこに存在している。俺は何もいわずに痒みが走る唇をグラスの先で浸した。安心でもしたように「ヨウコちゃん」はようやくテーブルの上に置いてある雑誌を手にした。それにタイミングをあわせるかのように茶色い髪のウエートレスがカウンターに置き去りにされているようなカップとクリームを手に俺の前のテーブルに並べて間を持たせる。髭は相変わらずこちらに背を向けたまま肩を震わせて笑っているようだったが、勢いよくドアを押し開けて飛び込んできた高校生の集団を見つけると、再びあの無愛想な面をこちらに晒して、不器用に並べられているカップの整理を始めた。髭に無視された高校生達は手にした大学入試の過去問題集を見つめたままお互い聞き取りにくいような低くかすれた声で呟きながら俺の後ろの席に陣取った。「ヨウコちゃん」はふらふらと焦点の定まらない俺に呆れ果てたような大きなため息をつくと、手にした雑誌を慣れた調子で一ページ、一ページ、捲りながら、俺にはとても真似ができないような真剣な視線をその上に浴びせかけている。俺がクリームが入った壷を無造作にテーブルの上に落したりしなかったなら、彼女は俺のことなんか忘れ去ったかもしれない。弾むように雑誌から引き剥がされた恨みがましい瞳。そこからは曖昧な光りだけが俺の眼の中に焼き付いた。
「これで外が晴れていればいいんだけど……。私、よくこんな買い物なんかに出掛けたとき、よく寄るんですよ、ここに、ここら辺ってもうほとんど新しい住宅街だから喫茶店とか寄り道するとこほとんどないでしょ?だからどうしてもこんな、駅の近くの狭い喫茶店なんかについ寄ってちゃって……」 
「しかもここなら駅前の立体駐車場に車を置いておけば、事務所にはばれないしね」
 「ヨウコちゃん」の手が雑誌をゆっくりとこちらに近づけるのを見るとつい無駄な合いの手を入れたくなった。彼女は慌てたようにグラスを手に取り、一息に水を飲み干した。虫歯でもあるのか、氷に軽く冷やされただけの水の冷たさに顔を顰めながら俺が黙ってカップの中をかき混ぜている姿を見つめている。俺は少しだけ。ほんの少しだけ自分のいったことに後悔しながら、無意識に置き去りにされた宗教雑誌の方に眼をやったいた。彼女はグラスを置くと再びそれを取り上げた。拝むようにそれを胴の前で広げながら俺の方を覗き込む。視線に押し切られるように俺はカウンターの方をみればいつの間にか髭の姿がそこから消え、茶色い髪のウエートレスがおっかなびっくりコーヒーをカップに注いでいる姿があるばかりだ。「ヨウコちゃん」はようやくそんな俺の習慣を飲み込んだとでもいうように、引き戻されてきた俺に向かって落ち着いた調子で語り始めた。
「これ……、お読みになりました?ヨシオカさて意外と本とかお読みになるような感じですから……」
 
「まあ、一応。ざっとですけど……眼は通してみました」
 俺はそう呟くと、静かにカップを手にとってそれのたてる静かな香りを鼻に吸い込んだ。彼女は目の前のグラスを横に動かして、雑誌を俺からも見えるような感じで広げた。そして見上げてくる。口元、微かな笑み。
「感想とか……、正直な所でいいんですよ。別の遠慮なんかなさらなくても、何か思いついたこととか、触発されるような所とか……」
 その言葉のたどたどしい所は、俺の口元の皮肉を込めたような歪みのせいだろうか。茶色い髪のウエートレスがいかにも重そうに運んできた頭でっかちチョコレートパフェを受け取りながら、遠慮がちに俺の方を覗き見る。俺は言い訳でもするように再びコーヒーカップを手に取って静かにその中の沈殿物を飲み干した。目の前にしたパフェと雑誌を見比べるようにして、ただ手にしたスプーンで文字とも記号ともつかないものを空中に描いている。矢継ぎ早のありきたりな比喩を交えた質問や、一種の論理のすげ替えを期待していた俺にとって、そんな彼女の姿は意外だった。何かを隠すように額や頬を無意識に触る手つきが痛々しい。僅かに震えて見える瞼の下に浮かんだ後悔。止めどなく押し寄せる問いをスプーンを口に運んで誤魔化してみせる。
「これも『巡り合わせ』って奴じゃないですか?」 
 「ヨウコちゃん」は一瞬安心したようにこちらを見上げた。まるでその姿に引きずられるように頬の端が引っ張られるような感覚にとらわれる。彼女はすぐに目つきをいかにも軽蔑するように細めた。彼女が何かを言い出す前にちょいと眼を反らせば茶色い髪のウエートレスがそんな俺達の横を通り過ぎて、まるで葬式の帰りとでもいった悲壮でわざとらしい高校生の群へ与える餌を運んで行く。


 FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

視野の重なり 5

「まあ、結果は何とも言えない……と言うか、うちの会社はワンマンな所があるから。まあ、たぶんもう少ししたら連絡しますから、今日はこれくらいで勘弁してやってください」
 ようやくのどに支えていたことを吐き出してさっぱりしたとでもいうように、眼鏡は無愛想に背中を向けると事務所の中へ消えて行った。
 茶番の後、あれほど荒んで見えた地面の一欠片すら思わずひれ伏してみたくなるほど愛しく、懐かしく見えるような気がする。やけに軽く感じる腹を気にしながら、薄汚い門柱を通り抜ければ、先ほど代わりののないはずの産業道路が目の前に飛び込んできた。割れたアスファルトからは、枯れかけの雑草が伸び放題に伸びて、ただひたすら帰って眠りたいという衝動によって動かされている足を時に押しとどめようとする。だが俺は無理に同じベースで歩道もない、本道を歩き続けた。鉄柵や金網や、放置された鉄骨や積み上げられた土管。これらの時代の忘れ物の間を、薄汚い事務所の群が塗りつぶすのに懸命な埋め立て地。日の光りが煤で濁った雲の間からこぼれ落ちてくる。きっと人から見れば眼にゴミでも入ったかのようにもとれるように、俺は何度となく乾燥した瞼に指を擦り付けた。その間も俺の足は止まることを知らない。顔を上げて、急に視界が開けたと思えば運河。そしてその脇には代わり映えのしないだだっ広い道が飽きることもなく続いている。それを横切ると、貨物の引込み線の脇にある歩道のようなものの上へ辿り着いた。そこには三台ほどの営業車両が忘れられたように止められ、その脇では背広姿の営業マンがなにやら談笑に花を咲かせていた。奴らは俺の姿を見かけると一様に顔を顰めて、そのままそれぞれに小脇に持った書類ケースや、携帯電話を取り上げて軽くお互いに挨拶もそこそこに、車に飛び乗って走り去って行った。俺とともに彼らに置いてけぼりを喰らった倉庫の群は巨大に過ぎた。果てしなく続くかと思えた引込み線は、本線へ合流するために俺を見捨てて高架の上へと消えて行った。俺は道端に置き去りにされた苔の生えたライトバンのように途方に暮れつつも、そのまま高架沿いの道を進むことを選んだ。地響き、そして警笛。一瞬視界が曇り、そして晴れて、その先にはまたコンテナーターミナルの大きすぎる影。俺の脇では背の高さを優に超えるようなアワダチソウが風にそよいでいる。小人になっていた俺は急ぎ足でかすれきった横断歩道の上を通り抜けた。視界の果てには電機会社の研究棟が俺の視界を遮るように突っ立っている。俺の足ははじめからわかっていたとでもいうようにその隣の未整備地区、轍の目立つ草むらの中を突っ切って行く。地面に白いものが目立つのは、貝殻だろうかそれとも腐った紙切れだろうか。
 草むらが途切れて現れたのは何の変哲も無い住宅街だというのに、俺には立ち入るのが躊躇された、建て売りの規格の表情のない一戸建ての密集した小道の上、太陽は何処へ行ったのか分厚い錆色の雲に覆われている。間遠に吹く風は道端のプラタナスの梢を通り過ぎたままの姿勢で俺の頬を撫でる。寂しげな通路といった風情の十字路には、車の影どころか人通りもなく、人影は偶にベランダに干してある洗濯物でも取り込もうという主婦が顔を出すくらいだ。右の足を踏み出せば、がらんどうの町にこつんと音はこぎみよい音が響く。さもそれが当然というように立ちはだかる高層マンションの間を通り抜けてメインストリートの振りをしている皐の生垣の続く大通りに出れば、その音に誘われたように小型車や軽自動車やらが、夕方の雀さながらに群れて俺の目の前を走り去る。道はどこを向いてもただ一点、貨物船に無理に取り付けられた薄汚れた駅に向かって延びている。人々はそれぞれに駅から遠ざかり、そして駅へと向かう。そんな彼らを後目に空はトーンを落とし続け、影のような雨粒が俺の後頭部を軽く叩いた。自転車の主婦は車から降りて、買い物籠から折り畳み傘を取り出す。まあ別にそれは人の話だ。女子高生がアーケードに駆け込む。さすがにこれは少しばかり工夫をしなければなるまい。俺は歩道に乗り上げて止められた軽自動車を避けながらアーケードばかり派手な商店街の中に駆け込んだ。洞窟じみたその中には個人商店の群。客はすべて視界の果てのスーパーに向かって歩いて行く。そんな中、海よりの工場の群から来た買い出し部隊だろうか、上っ張りの若い女子事務員達が花屋の前で立ち話をしているのが見える。すべてが流れる通路に、まるでどぶ川の杭に引っかかったゴミ袋といった格好で早引けの白髪のサラリーマンが白い眼で睨みつけているのも気付かない振りをして、アーケード一杯になって二、三人群を作りつつ雑談に花を咲かせている。俯いて彼らの手にするつるされたビニール袋から飛び出している模造紙をへし折らないように注意しながら通り抜けようとした。弾みがついて見上げればその中の一人が俺に頭を下げている。仲間の輪から少し離れてただじっとデッドストックとなったゴムの木の葉を丁寧に撫でている。よくその表情を観察しようと眼を凝らすと、それを避けるように向こうを向く。そんな俺の動作がいかにもわざとらしく見えたのか、ソフトクリームを持ったその中のリーダー格とでも言った女がいかにも迷惑そうな視線を俺のほうに向けてくる。俺はそれに向かって答えるという訳でもなく通り過ぎ、彼女達の視線を避けるべくアーケードに沿って道を折れ曲がると、目の前の喫茶店に転がり込んだ。
 黒く煤けた木製のドアを開け入った店の中は薄暗く、淡く流れるピアノの調べ、念入りに選ばれた調度の類、新興住宅街の浅はかな雰囲気と一線を画しているつもりだろうか。滑らかな手つきでコーヒーを入れている髭のマスターが観葉植物の向こうから入口に立ち止っている俺を睨んだ。店内の寂しさを強調するように正面にあるガラス窓、大通りに面したテーブル席の方へ向かってしまったのはただ単に雨の様子を知りたかったからというだけだ。目の前の通りを高校生達が自転車を全速力で走らせている。笑顔、まるで雨に濡れることを喜んでいるようにお互いに相手の車輪を蹴飛ばしながらいきなり車道を横断して住宅街の小道へと消えて行く。俺はひねくれるようにして彼らから眼を反らすと席の隣に山積みになっている週刊誌の山をテーブルの上に載せた。高校生くらいの長い髪を茶色く染めたウエートレスが立っていた。俺の動作をいかにも面倒だというような調子で一瞥すると、水とおしぼりをわざと週刊誌の山の向こう側の、俺の手の届きにくい位置へと置くと早足でカウンターへ姿を隠そうとする。
「ブレンド」 
 俺は投げやりに呟いてグラスに手を伸ばし、口に転がり落ちてきた氷を一かけ噛み砕いた。口の中に広がるカルキと歯に突き刺さるような痛みに顔を顰めながら、「山」をかき分けかき分けしているうちに、この雑誌の群が一つ法則に基づいて収集されていることに気付いた。女性週刊誌、写真週刊誌、総合雑誌、表紙に同じくある聞き慣れていない人物の名が一様にどこかしら印字されている。そしてその中でほとんど見たこともないような装丁の一冊。抹香臭いペンネームの隣に並ぶのは「可能性」、「神秘」、そして「信仰」の文字。畳みかける文句が鳩と南国の花に見るものを圧倒するような一本の光りの上に踊っている。俺はそれを手にとってパラパラとページを捲ってみた。裏表紙一杯に背広姿のどこかの経理課長とでもいった男がどこぞの独裁者よろしく片手を振り上げて叫んでいる姿が描かれている。それに続く目次には信者達の他愛もない告白が飽きもせずどこまでも連なっていた。本を閉じた、眼を閉じた。真っ暗闇だ。もう一度グラスに手を伸ばし、ようやく冷たくなってきた水を啜り込む。微かに塩分を含んでいるのか、水は舌の上を曖昧な味覚を残して駆け下りて行く。それにつきあうようにしてそれまで気付きもしなかったコーヒーの香りが、人気のない店内を巡って俺の鼻の辺りにまで広がってきた。眼を開けるとカウンターの向こう、無心でコーヒーを入れている髭の脇に身を隠すようにして、さっきのウエートレスが俺の方を珍しそうに覗いている。俺が睨むとわざとその視線を拒むようにして髭の背中に逃げ込んだ。俺は再び雑誌の山を崩して、写真週刊誌のページを覗き込む振りをした。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

視野の重なり 4

 作業服が机の脚に膝でもぶつけたのか、大仰な金属音が部屋の中に響いた。眼鏡が少しばかり口元を緩める。作業服は咳払いをして、そいつが俺に感染するのを前もって防いだ。そんな奴の心配とは何の関係もないかのような能天気なスリッパの音がドアの向こうに響き、「ヨウコちゃん」がいかにも申し訳なさそうに入って来ると書類を遠慮しながら机の端に置いた。
「ああ、ありがとう。それじゃあヨシオカさん。履歴書の方、お願いできますか……」
 ポケットから申し訳程度の封筒に入った紙切れを引きずり出す。六つの無神経な視線が罪人の所作を観察するような調子で俺の手の動きを見つめているのがわかる。最初に眼鏡が眼を反らした。そのまま立ち上がって後ろの戸棚の灰皿を書類の上に並べる。それにあわせて「ヨウコちゃん」は俺の手から履歴書を奪い取ると出口へ向かった。ようやく作業服も気がついたとでもいうようにひどく歪んだ灰皿を取り出して折れかけた煙草に火を灯した。
「それにしても、大変でしょ?この不景気じゃあ。うちらももろにこいつの影響を受ける所だから、特にそうなんだけど、正直な話し、結構きついですわ。それでついついみんな辞めてって、まあ、前にいた奴は少し違いましたけど」
 二人は意味ありげに顔を見合わせて笑う。俺もつられて笑顔らしいものを浮かべてみる。そしてまた、沈黙。
「コピーしてきました」
 黄色い声と同時に長机の上に二枚のコピー用紙が広げられた。作業服と眼鏡はそれを手に取ると黙って読み始める。俺が何となく視線を二人の中年男から「ヨウコちゃん」の方に向けて見てみれば、彼女は路上の吐瀉物でも見たといった感じ俺から眼を背けた。
「じゃあ、買い物の続き、よろしく頼むよ」
 眼鏡の呟きを確かめるようにして「ヨウコちゃん」は消えて行った。
「まず最初に……」
 作業服の法が口を滑らすとは俺も思っていなかった。奴も自分がそういったことが間違いであったとでもいうように顔を顰めながら口をつぐんだ。眼鏡の方は相変わらず書類にポケットから取り出した蛍光ペンでマークをつけている。それが一種の拒否の仕草とでも受け取ったのだろう、作業服は眼鏡と俺の顔の上に視線を走らせているばかりで、今にも憤死しそうな表情を浮かべて黙り込んだ。
「どうして、うちの会社を運んだんですか……」
 眼鏡の下の薄べったい漏れた言葉は、硬く俺の耳に響いた。つられて俺の口の端に、ヒキツレのようなものが浮かんできた。いつものことだ。作業服はそれを愛想笑いとでもとったのか、草食動物のような頑丈な顎のあたりを歪め、笑いかけているような表情を作る。
「とりあえず職種を優先して会社を選びました。皆さんもご存知の通り、経理関係の求人となると今の時期はちょっと……、そして……」
「まあ、そんなものでしょうね。別に無理して作らんでいいですよ、アタシも同じような経験ぐらいありますから。まあ、職安の求人票なんか職種と待遇と連絡窓口くらいしか書いてないですから……、まあこっちとしてもねえ……、まあ履歴書見せてもらいましたけど、前の会社はずっと経理の方ですか?」
「いいえ、初めの半年くらいは営業の方だったですけど、どうも性があわないと言うか……。まあ早い話が外された訳です。それからはずっと経理の方で……、まあコンピューターをいじるのは慣れてた……」
「ああ、それはいいですね、うちも経理の方は機械を入れてるんですけど、あれの操作はどうも……、アタシみたいな古い人間には向かないみたいでしてね。ヨウコちゃんやら若いのにどうにか教わって、とりあえず画面の見方くらい覚えようとするのがやっとって所ですよ」
 ずり落ちた眼鏡を不器用そうに持ち上げながら、上目遣いにこちらを見上げてくる。感情を押し殺しているうちに、感情そのものから取り残された無神経な目玉が俺の全身を隈無く見つめている。助けを求めるように横の作業服を見てみれば、一切の関心を失った表情で履歴書のコピーの端を何度となく折ったり伸ばしたりを繰り返している。そんな俺を眼鏡は特に何を切り出す訳でもなく、再び眼を履歴書の方へと落とすと何か大きく印をつけてから、トントンと机の上を鉛筆で叩いた。
「話しは飛びますが……通勤のことなんですけど、電車ですか。それともバス?」 
「今日はとりあえず電車で来ましたけど……もし決まったらバイクで通おうと思います」
 作業服の口元から漏れたのはくしゃみだろうか、それとも嘲笑だろうか。奴にもわかるように大げさにそちらに顔を向けると、作業服は悪びれる様子もなくポケットからちり紙を取り出して大きな音で鼻をかんだ。それが合図だったのだろうか、履歴書に大きく丸をつけた後、突然眼鏡の方が立ち上がった。
「まあ、本来ならここでうちの会社の概略やらなにやらをお話しする所なんだけど、ちょっと今日、社長が出張に出ちゃってて……、近いうちに電話で次の面接の日取りをお知らせしますから、それまで待っててください。それでは遠い所ご苦労様でした」
 作業服は何のことだかわからぬまま取り残される。俺はとりあえず立ち上がって、もうドアから出て行こうとしている眼鏡について茶番の舞台を後にした。哀れみを請うような作業服の視線が背中に突き刺さってくる。定員オーバーなのだろうか、俺が体を傾ける度に狭すぎる階段は哀れみを請うような悲鳴を上げた。脚が少しばかり震えているようで、その音を聞く度に俺は何度と無くバランスを崩しかけた。下りきって下の詰め所、現場から帰ってきたらしい作業着の一団が詰め所の真ん中の応接テーブルに群がって煙草を吸っている。眼鏡は彼らを無視してそのまま玄関まで早足で進む。自動ドアを滑り抜け、行き着く先は石ころだらけの駐車場、不器用に頬を歪めて笑いのようなものを浮かべると、背広の内ポケットから財布を取り出して千円札を二枚俺の手に握らせた。


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

視野の重なり 3

「あっ、ちょっと済みませんね」
 とりあえず挨拶でもしようと頭を下げかけた俺を残して、作業服は外に向かって駆け出していった。見れば今にも出掛けようとしていた軽自動車の天井を軽く叩いて、先ほどの事務員となにやら話し込んでいる。迷惑そうな顔が、フロントガラス越しにこちらからも伺える。作業服はありがちな笑みを浮かべて手を合わせる。彼女はいらだたしげに薄いドアを思い切り閉めるとこちらに向かってきた。
「早く!早くしてよ。……ああ、別に上着はそのままえいいから。それよりお茶、お茶入れてくれよ。ああ、すいませんね。なんだか妙な所見せちまって。ちょっと、こっち、来てくださいよ」
 手にした上着を机の群れの上に投げつけて奥の給湯室に消えて行く事務員を無視して、作業服は先ほど階段へと向かった。奴のガニ股にくっついて、狭苦しい通路を潜り抜け、安物のタイルの貼られた階段を身をかがめるようにして昇る。体を傾けるだけで軋むような安普請を気にしながら、その名には相応しくないほど狭い踊り場を抜けて、ヘルメットの並んでいる廊下を通り過ぎ木目がわざとらしい扉に突き当たった。
「入るよ」
 開いた扉の隙間から聞き慣れたテレビタレントの浮ついた笑い声が聞こえてきた。作業服は一声唸って小走りで奥の方へ急ぐ。俺はその後ろに続いて申し訳なさそうに部屋の中に入った。雑然と長椅子の並べられた部屋の中で、事務屋のような眼鏡の男が、のろのろと食いかけの弁当をロッカーの上に運んでいる。
「いやあ、すいませんね。こういった職場だとどうしても男ばっかで、人目を気にしたりすることもないもんだから……。休憩室なんて名前で呼ばれたりすると、すぐこうなっちゃう訳ですよ。まあ、しばらくそこの椅子にでも座っててください」
 さすがにこの男は「面接」には慣れているらしい、別に表情を変わる訳でもなく、どうにか格好だけはつけようと長机を前に焦っている作業服を後目に、椅子を軽くそろえただけで座り込んだ。その口元に「笑い」が浮かぶ。俺もまたそれにあわせて義務的な笑みを頬に作り上げる。
「ゲンさん!お茶はヨウコちゃんに頼んだの?」 
 作業服の顔に曖昧な困惑の表情が浮かぶ。作業服の持つ机の脚が、ひ弱に見える壁にぶつかって悲鳴を上げた。その様子を見ても眼鏡は眉を顰めるが決して立ち上がって助けようとはしない。
「あの……、お茶なんですけど……、何処に置きましょうか?」
 開けっ放しのドアから音もたてずにのっそりと「ヨウコちゃん」が現れた。凍り付いたように椅子を両手に抱えながら動きを止めた作業服の眉間に、同情とも諦めともつかない悲しげな皺が刻まれては消える。
「あんなあ、今、こうやって用意しているんだってのに……、とりあえずこの棚にでも置いてだ……、あっ、なんだ。二つしか入れてこなかったんかよ?」
「だって……。いいえ、すいません。気が付かなかったもので」
「気が付かなかったって、新人じゃあるまいし、俺のはどうでも良いけど部長のくらい入れてこなきゃダメだろ?」
「申し訳ありません!」
 「ヨウコちゃん」の大きすぎる瞳が凍り付いた。働くのを止めた作業服の姿を頬杖で見守っている眼鏡の痘痕だらけの顔がその中に映っているだろう。眼鏡は気にする風でもなくつけっぱなしのテレビの画面を表情も変えずに見つめている。俺は目の前に置かれた緑茶を飲んだ。熱湯で入れたうえに葉を入れすぎたのか、苦味とエグミが舌の両脇に纏わり付く。
「……ヨシオカ……ヨシオカさんでしたよね……?」 
 引き戻されたように俺は眼鏡の奥の濁ったような瞳の奥を軽く覗き込んでいた。安っぽい面接会場にありがちな値踏みをするような視線だ。俺はムキにでもなった風を装って睨み返す。奴は遠近両用眼鏡の下側に俺の視線を捉え直して逃れた。
「まあ楽にしてください、すぐ始めますから」
 銀縁の眼鏡、その振り返る先。急に背筋を伸ばして緊張している「ヨウコちゃん」に向けて特に抑揚のない言葉が漏らされる。
「僕の机の上、確か黄色いファイルがあったと思うけど……、持ってきてくれないかな?」
「それと、ポットときゅうす。それに僕の湯飲みもできれば……」
 二人の言葉を聴き終わることもなく「ヨウコちゃん」は扉の向こうへ消えて行った。ようやくパイプ椅子を片づけ終わった作業服は、事務的な緊張には慣れていないのか、しきりと狭すぎる椅子の下で脚を組み替える。その度にパイプ椅子と机は鈍い悲鳴を上げて、奴は情けなげな笑みで眼鏡の方を同情を誘うように眺めてみせる。眼鏡は目の前の湯飲みに何度か手を伸ばしかけては、胸のポケットに入れた煙草の箱を取り出したりしまったり、時に立ち上がって灰皿を取りに行こうとする作業服を目で制すると、今度はボールペンを取り出して意味も無くノックする。
「……遅いなあ。確か、机の上に置いていたはずだけど……、そうだゲンさん。明日の予定表だけど、四時までにはどうにかならないかな?社長が帰ってきたら見るっていってたから」


FC2 Blog Ranking

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 殺戮機械が思い出に浸るとき 14

「押し込まないでくださいよ」 

180cmに近いアイシャが隣に座るとなると186cmの長身の誠はいつもよりさらに小さくなって後部座席に入り込まなければならない。

「文句を言わないの。男の子でしょ? 」
 
「テメエがでかいんだ。いい加減にしろ」

「身長は工場出荷時から変わらないわよ」 

アイシャがひねくれたように要を睨み付ける。アイシャの鮮やかな瑠璃色の髪の毛を見れば確かに彼女が自然界で生まれた人間でないことは誰の目にも明らかだった。

うんざりした表情でカウラが車を出す。静かにエンジンが回り、車は砂利道を動き出した。

「それにしても……要ちゃん。吉田少佐の家は分かるの? 」 

「アイシャ……西園寺もそこまで馬鹿じゃない」 

「フォローするのか馬鹿にするのかどちらかにしてくれ」 

カウラの言葉に複雑な表情の要。車はそのまま路地へと進む。東都から西に60kmの郊外の都市豊川。その下町を静かにスポーツカーは動き始めた。

平日である。住宅街の人影はまばらで時折老人会の集まりでもあるのか同じバッグを持ったお年寄りがすれ違っていく。

「何かイベントでもあるのかしら? 」 

「アタシに聞くなよ。市役所なりなんなりに聞けばいいだろ? 」 

アイシャは普段は見ないお年寄りの姿に珍しそうに目を向けている。誠はただ苦笑いを浮かべながら早く目的地に着くことだけを祈りながら小さくなってじっとしていた。

「しかしシャムが知らねえとは驚いたよな……」 

「シャムちゃんが吉田少佐の家を知らなかったの? まあたぶんいつも吉田少佐の方が迎えに行くんでしょうね。意外と吉田さんは紳士だし」

「紳士? あれのどこが紳士なんだ? 紳士は玄関じゃなく常に壁を昇って進入するのか? あれはただの空き巣の出来損ないだ」 

さすがの吉田も要のかかればただの空き巣に身をやつすことになる。苦笑いを浮かべる誠だが、すぐに大通りにでる交差点に車がたどり着いたので周りを見回した。

いつも通り大通りには車の通りが激しい。営業車、トラック、バン、営業車、自家用車、バン。次々と通り抜ける車を見ながら誠はただ窮屈に座り続けていた。

「誠ちゃんそんなに向こうに行かなくても……ほら」 

調子に乗ったアイシャが密着してきた。すぐに助手席の要が殺気を込めた視線で睨み付けてくる。

「何よ、怖い目」 

「別になんでもねえよ」 

要の捨て台詞にあわせるように車はそのまま大通りを郊外へ向かうことになった。


FC2 Blog Ranking

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

ハシモト

Author:ハシモト
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。