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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常46

 シャムは気になっていた。吉田の『私的な通信』という言葉。最近特に耳にすることが増えてきていた。吉田についてシャムが知っていることは意外に少ない。二人が初めて出会ったのは遼南の戦場だった。
 遼南を二分した内戦。北部の人民軍と同調する北兼軍閥、東モスレム三派連合、東海軍閥と南部の共和軍と南都軍閥と介入していたアメリカ軍との戦いの中二人は敵味方として出会った。共和軍は多数の傭兵を使って戦意の低い自軍を支えていた。そんな傭兵の中でも屈指の腕利きとされたのが吉田俊平率いる部隊だった。
 彼は望んで亡命師団や胡州浪人で構成された精強部隊の北兼軍閥、つまり嵯峨惟基支配下の部隊と対峙した。その中にはオリジナル・アサルト・モジュール『クロームナイト』を駆るシャムの姿もあった。戦いは一撃で終わった。傭兵部隊の背後を潜入した特殊部隊で急襲した嵯峨は返す刀で吉田の部隊を挟撃。奮闘むなしく吉田の部隊は壊滅し、彼もシャムの手で討たれたはずだった。
 その後アメリカ軍が撤退し、南都軍閥に見限られて死に体の共和軍との死闘直前、女性の姿で吉田は現われた。
「とりあえず空いてた義体を有効に使ってやろうと思ってね」 
 減らず口をたたくところはその後の吉田そのものだった。その後嵯峨と吉田が何かを話していたのを覚えている。だがシャムは吉田にそのことについて深く聞くことは無かった。後で分かったことだが、その義体は要の予備の義体だった。
「本当に最近変だよ」 
 シャムの心配にただ曖昧な笑みで応える吉田。その目はそれ以上何も聞いてくれるなと哀願しているような悲しさを湛えていて、思わずシャムは黙り込んでしまっていた。
 道はそのまま住宅街の中へと続いていく。豊川市。東和共和国の首都東都の西に位置するベッドタウンらしい光景。あまりにも身近であまりにも慣れた光景。いつもなら何事も無く通過してしまった小学校の校門ですら吉田の異変が気になるこの頃では目新しいものに見えてくるのがシャムには不思議だった。
「ちゃんと静かに入るんだぞ。鍵はあるか?」 
「馬鹿にしないでよ。ちゃんと……」 
 シャムはジャンバーのポケットを探る。バイクのキーと一緒にまとめられた鍵。こういうときに見つからないことが多いので見つかって安心したようにため息をついた。
「ため息か……飲み過ぎじゃないのか?」 
 吉田の軽口に笑顔で応えた。そのまま車は大通りに一件だけの魚屋の前で止まった。
「早く下ろすぞ」 
 すぐさま吉田はエンジンを止めて車から降りる。シャムはそのままシートを超えて後部のスペースに固定されたバイクに手を伸ばした。
 バイクにはロープが巻き付けられていた。実に慣れた手つき。保安隊創立以降、こうして何度この古ぼけたバンの貨物室にくくりつけられてきたのか。シャムは思わず笑ってしまっていた。
「おい、早くしろよ」 
 開いた後部ハッチから顔を出す吉田にシャムは照れ笑いを浮かべた。そのまま慣れた手つきで手早くロープをほどいていく。
「傷は付けるなよ。骨董品なんだから」 
 憎まれ口を叩く吉田に愛想笑いを浮かべながらシャムはほどいたロープを手早くまとめてバイクに手をかけた。
 静かに、あくまでも静かにとシャムはバイクをおろしにかかった。
「ゴン!」 
「あ……」 
 バンパーにこれで十三度目の傷が勢い余って切ってしまったハンドルによって付けられた。
「だから言ったろ?」 
「は……ああ」 
 思わずシャムは照れ笑いを浮かべた。そしてすぐに周囲を見渡す。静まりかえった住宅街、見上げると魚屋の二階の一室だけが煌々と明かりをともしている。受験生佐藤信一郎は今日も勉強をしているようだった。
「聞こえたかな?」 
「多分な」 
 吉田はそれだけ言うと静かにバンのリアの扉を閉めた。
「それじゃあ俺は帰るわ」 
「え?お茶でも飲んでいけばいいのに」 
「あのなあ……一応下宿人としての自覚は持っておいた方がいいぞ」 
 苦虫をかみつぶしたような顔をした後、吉田はそのまま車に乗り込む。
「じゃあ、明日」 
 それだけ言うと吉田は車を出した。沈黙の街に渋いガソリンエンジンの音が響く。犬が一匹、聞き慣れないその音に驚いたように吠え始める。
 シャムは一人になって寒さに改めて気づいた。空を見上げる。相変わらず空には雲一つ無い。
「これは冷えるな」 
 なんとなくつぶやくとそのままシャムはバイクを押して車庫に入った。『佐藤鮮魚店』と書かれた軽トラックの横のスペースにいつものようにバイクを止める。鍵をかけて手を見る。明らかにかじかんでいた。
 そしてそのまま彼女は裏口に向かう。白い息が月明かりの下で長く伸びているのが見えた。
 戸口の前で手に何度か息を吹きかけた後、ジャンバーから鍵を取りだして扉を開く。
「ただいま……」 
 申し訳程度の小さな声でつぶやいた。目の前の台所には人影は無い。シャムはそのまま靴を脱いでやけに大きめな流しに向かう。
 鮮魚店らしい魚の臭いがこびりついた流しの蛇口をひねる。静かに流れる水に手を伸ばせば、それは氷のように冷たく冷えた手をさらに冷やす。
「ひゃっこい、ひゃっこい」 
 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら手を洗うとシャムは静かに水を止めた。
 シャムは背中に気配を感じて振り向く。
「ああ、お帰り」 
 そこには寝間着にどてらを着込んだ受験生の姿があった。
「何してるの?」
「いいじゃないか、牛乳くらい飲んでも」 
 信一郎はそう言うと冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。
「あ、アタシも飲む」 
「え……まあいいけど……酒臭いね」 
「そう?」 
 信一郎の言葉に体をクンクンと嗅ぐ。その動作が滑稽に見えたのか信一郎はコップを探す手を止めて笑い始めた。
「なんで笑うのよ!」 
「だって酒を飲んでる人が嗅いでもアルコールの臭いなんて分かるわけ無いじゃん」 
 そう言いながら流し台の隣に置かれたかごからコップを取り出した信一郎は静かに牛乳を注いだ。
「アタシのは?」 
「ちょっと待ってくれてもいいじゃん」 
 そう言うと注ぎ終えた牛乳を一息で飲む。その様子に待ちきれずにシャムはかごからコップを取り出して信一郎の左手に握られた牛乳パックに手を伸ばした。さっと左手を挙げる信一郎。小柄なシャムの手には届かないところへと牛乳パックは持ち上げられた。
「意地悪!」 
「ちゃんと注いで上げるから」 
 まるで子供をたしなめるように信一郎は牛乳パックを握り直すと差し出す。シャムはコップをテーブルに置いた。信一郎は飲み終えたコップを洗い場に置くとそのままシャムのコップに牛乳を注いだ。
「でもお姉さんは飲むのが好きだね。これで今週は三回目じゃん」 
「まあつきあいはいろいろ大変なのよ」 
「本当に?」 
 憎らしい眼で見下ろしてくる信一郎の顔を一睨みした後、シャムは牛乳を一口口に含んだ。
 口の中のアルコールで汚れた物質が洗い流されていくような爽快感が広がる。
「いいねえ」 
「親父みたい」 
 信一郎の一言にシャムは腹を立てながらも牛乳の味に引きつけられて続いてコップに口を付けた。
「お姉さんさあ……」 
 いつもはこんなシャムの姿を見て立ち去るはずの信一郎が珍しくシャムにものを尋ねようとしている。その事実に不思議に思いながらシャムは口に当てていたコップをテーブルに置いた。
「保安隊の隊長……嵯峨惟基って人。遼南皇帝ムジャンタ・ラスコーなんだよね?」 
「どこで調べたの?」 
 意外だった。ただの受験生が知るには同盟の一機関の指揮官の名前はマイナーすぎる。そしてその名前と現在静養中と遼南が表向きは発表している皇帝の名前がつながるとはさすがのシャムも驚きを隠せなかった。
「ネットで調べればある程度のことは分かるよ。まあ一般的な検索サイトでは出てこないつながりだけど」 
「アングラ?手を出さない方がいいよ」 
 シャムの頬につい笑みが浮かんでしまう。その筋では化け物扱いされている吉田と先ほどまで同じ車に乗っていた事実がどうしても頭を離れない。
「そんなことどうでもいいじゃないか……どうなの?」 
 信一郎の言葉に曖昧な笑みを浮かべるとシャムは残っていた牛乳を飲み干した。
「知ってどうなるものでもないよ。……むしろ知らない方がいいことの方が多いんだ」 
「ずいぶん大人みたいな口を聞くね」 
 嫌みを言ったつもりか見下すような信一郎の視線をシャムは見返した。その目を見た信一郎の表情が変わる。まるで見たことのない動物を見かけてどう対処していいか分からないような目。シャムは自分が戦場の目をしていることにそれを見て気がついた。
「だって大人だから」 
 そう言い残してシャムは立ち去る。信一郎はただ黙ってシャムを見送った。背中に刺さる視線がいつものシャムに向けるそれとは明らかに違っているのが分かる。だがそれも明日の朝にはいつもの目に戻っている。シャムはそう確信していた。
 台所を出て隣はバスルーム。シャムはとりあえず顔を洗うことにした。
 冬。隊でシャワーを浴びただけだが汗はまるでかいていない。風呂場のお湯はこの時間は落ちている。深夜のシャワーは気を遣うのでシャムは嫌いだった。
「明日にしよ」 
 洗面所の蛇口をひねる。台所と同じ冷たい水が当然のように流れる光景にシャムは先ほどの信一郎の問いで毛羽だった自分の神経が静まっていくのを感じていた。
 静かに水を両手で受けて顔に浴びせる。
「冷たい!」 
 アルコールで火照った顔の皮膚を真冬の水道水が洗い清める。シャムはその快感に何度も浸ろうと手に水を受けては顔に浴びせてみた。
 ひんやりとした肌の感覚。シャムは次第に酔いが醒めていくのを感じていた。
「まあいいか」
 そのままシャムは振り返ると台所に出た。信一郎の姿はすでにそこにはなかった。安心してシャムはそのまま階段を昇る。
 年代物の木造住宅らしいきしみ。家人が起きるのではないかといつもひやひやしながら一歩一歩昇っていく。深夜ラジオの音量が漏れる信一郎の部屋を背にそのままシャムは自分の借りている一室にたどり着いた。
 いつものことながら安心できる。電気を付けたシャムはいつもそうしているように部屋の中央にちょこんと座った。
 ふと近くの家具屋で目にした古めかしい本棚。その無駄に頑丈そうな木の枠の中にはお気に入りの漫画。その隣にはクローゼット。量販店で見つけた安物なので好きにアニメキャラのシールを貼って遊んでいる。
 それを見るとシャムは自然と着ていたジャンバーを脱ぎ始めた。
 立ち上がり、扉を開き、ハンガーにそれを掛ける。夜中の暖房のない部屋は正直寒いがそのくらいの方がシャムには気分が良く感じられた。
 そのままシャツとスカートを脱ぎ、クローゼットの下の引き出しの中のパジャマを手に取る。
「やっぱかっこいいな」 
 アニメショップで買った戦隊もののジャージの上下がシャムのお気に入りのパジャマだった。そのまま寒さに急かされるようにしてそれを着込むと今度は反対側の押し入れの前に立った。
 こちらには劇場版アニメのポスターが貼り付けられている。シャムがお気に入りの繊細な少年パイロットの顔を一瞥した後、おもむろに引き戸を開いた。
 布団。寒さの中で見るととても素敵なオアシスに見える。にやつく笑みを押し殺すとシャムはそのまま布団を引きずり出した。
「重い」 
 思わずつぶやく。思えば今週は一度も干していなかった。明後日が休みだが野球部の練習試合が控えている。
「どうしようかな……」 
 迷いつつシャムは敷き布団を選び出して畳に広げる。先月買い換えたばかりなので真新しいがどうにもその重さが気になっていた。そのまま手早く敷き布団を押し広げ、シーツをかぶせる。ふかふかのシーツはどうも苦手なのでシーツはいつも薄い生地のものを選ぶのがシャム流だった。
 部屋の隅に押し込まれていた毛布と掛け布団をその上に載せ、巨大怪獣をディフォルメした抱き枕を抱えてシャムはそのまま布団の上に座った。
「今日も一日……疲れたなあ」 
 本来ならここでビールだ。などと考えているうちに目が時計に向く。ちょうど深夜12時を指していた。
「ちょうどいい時間だな」 
 シャムはそう言うと部屋を見渡す。いつもの見慣れた光景もこうしてみると味わいがあるように見えた。
 好きなもので満たされた部屋。それは夢のように見えた。彼女はそれなりの給料はもらっている。世知辛いところはようやく学んだばかりの運行部の人造人間の女性士官達はシャムの奇妙に質素な生活を不思議だという。
 それでもシャムは満足していた。安心して眠れる場所がある。それだけで十分な上に好きなアニメのグッズはそれなりに持てるし、漫画を描く画材も買い放題。それ以上のことをシャムは望んではいない。
「世はすべてこともなし」 
 どこかで聞き覚えた言葉を口にすると自然と笑みが浮かんできた。
 この下宿にも満足している。家族を知らないシャムには奇妙で滑稽で楽しい佐藤家の人々。気むずかしい信一郎もいるが彼も要するにまだ若いだけだった。
 シャムは安心の中で部屋の電気を消した。
 暗闇。急に訪れる孤独。でもそれがかりそめの者に過ぎないことが分かる今。シャムはただ笑みを浮かべて布団の中に潜り込んだ。
 目をつぶる。
「明日……朝ご飯はなにかな?」 
 自然に想像が食べ物に向かう。いつもの自分の発想に思わず苦笑いを浮かべながら目を閉じた。
 つらいことが思い出されるかもしれない。深夜、眠りにつく度にシャムはそんなことを考えていた。飢えと寒さの遼南の森。そこで出会った人々との様々な出会いと別れ。
 多くは血塗られた遼南の歴史にふさわしい悲劇で幕を閉じたその別れを夢に見る度に涙に濡れて目が覚める恐怖が頭をよぎる。
「起きようかな……」 
 思わずつぶやいてみる。でもそれでも次第に睡魔がシャムをゆっくりと取り込んでいく。
 今は仲間がいる。かつてのぎりぎりの死を意識していた悲壮な顔の仲間達とは毛色の違う安心できる仲間達。
「私がしっかりしないといけないんだよね」 
 自分に言い聞かせるようにそう言ってみた。沈黙する闇の中に自分の言葉が響く。
 自然とまぶたが閉じ、意識が薄れる。
「明日は何があるかな……」 
 そんな自問自答の中。シャムは自然体で眠りの中に落ちていった。



                                       了


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常45

 しばらく黙って下を向いている吉田に静かに近づいていくシャム。
「くだらないことなら止めておけ」 
 急に目を開いた吉田の一言にシャムは驚いたような顔をする。
「進歩がないな……行くぞ」 
 そう言うと吉田は立ち上がった。ビールは二瓶は飲んでいるが、すでにアルコールは完全に彼の体から抜けているのはいつものことだった。
「カウラちゃん。運転はだめだよ」 
「ああ、代行を頼むが……」 
 シャムとカウラは自然と倒れた誠達に目を遣る。いつもなら全裸の誠にいたずら書きをする要だが、今日はランと明石がいるので珍しく殊勝にパンツを履かせていた。
「久しぶりに見るとおもろいな」 
「人ごとだと思いやがって」 
 混乱を楽しむ明石を苦々しげな視線で見上げるラン。シャムは大きくため息をつくとそのまま階段を下りるラン達に続いていった。
「お愛想!」 
 明石はそう言いながらそのまま出てきた春子とともにレジに向かう。シャムは何となく疲れたような感じがして誰もいない一階を黙って通り抜けて外に出た。
 空は晴れ上がっていた。北風が強く吹き抜ける中、雲一つ無い空には大麗の姿が見て取れる。
「ああ今日も晴れか……明日も晴れそうだな」 
 出てきた吉田が声をかける。シャムは静かに頷く。
「明日もいい天気だといいね」 
「まあな。雪でも降られたら面倒なだけだ」 
 吉田はそう言うとそのまま歩き出す。
「おう、車を出してくるから。明石にはよろしく言っといてくれ」 
「勝手なんだから!」 
 シャムは手を振る吉田を見送りながら叫ぶ。街の深夜の明かり。いつものことながら人通りは絶えることがない。
「吉田はまた勝手に行っちまったのか?」 
 引き戸を開けて出てきたランが顔を顰める。シャムは頭を掻きながらランが開けた店の中を覗き込んだ。
 寝ぼけているように突っ立っているアイシャ。不格好に無理矢理服を着せたのがすぐに分かる姿の誠を背負う要の姿がいつものことながら滑稽に見えた。
「アイツ等も進歩がねーな」 
「それもええんとちゃいますか?」 
 呆れるランをたしなめるようにそう言うと明石は携帯を取り出した。
「なにか?タクシーでも呼ぶのか?ならアタシも乗せてけよ」 
 ランの注文に頷きつつ明石はつながった電話と話し始める。
「ごちそうさまでした!」 
 さっぱりした表情のパーラの礼。明石は軽く手を挙げる。サラもそれにあわせるように頭を下げそのまま駅の方に歩き始める。
「全く、女将さんには頭があがらねーや」 
 ランの苦笑いにシャムも自然と頭を下げていた。そこに急に現われるワンボックス。
「明石、先に失礼するな」 
 顔を出した吉田に電話を握ったまま明石が手を振った。シャムはそのまま車道に出てワンボックスの助手席に乗り込む。
「いいの?もう少しカウラちゃん達がどうなるかとか見て無くても……」 
「餓鬼じゃないんだから自分でなんとかするだろ?」 
 吉田はそれだけ言うと車を走らせる。すでに深夜と呼べる時間だが繁華街を歩く人は多い。多くが頬を赤く染め、機嫌が良さそうに歩き回っている。
「平和だね」 
 シャムの言葉に吉田は静かに頷いた。すぐにアーケードは途切れ、シャッターの閉まった商店街の中へと車は進み、信号で止まる。
「それよりお前の所……静かに入れよな」 
 気を利かせたように吉田が言った言葉にシャムは頷く。今日はそれほど酔ってはいなかった。何となくいつも通りの一日。
 車が走り出すと周りの景色が動き出す。花屋、金物屋、模型店。どれも光るのは看板だけでシャッターは閉まり繁華街のように人が出入りする様子もない。時々見かけるのは会社帰りのようなサラリーマンやOL。誰も彼も取り付かれたように早足でこの商店街から抜け出すように歩いている。
 大通りが見えたところで吉田は車を路側帯に止めた。
「どうしたの?」 
 シャムの問いに弱々しげな笑みを浮かべる。吉田がこういう顔をするときは彼のネットと直結された脳髄になにがしかの情報が入力されていることを意味していた。
「なんでもないさ……私的な……本当に私的な通信だ」 
 それだけ言うと吉田はウィンカーを出して再び車を走らせた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常44

「ご苦労さん」 
 明石は茶漬けを受け取るとそう言って笑った。こういうときでもサングラスは外さない。隣のランも楽しげに茶漬けに箸を伸ばす。
 軽く茶碗の中をかき混ぜると明石は静かに汁を啜り込んだ。
「ええなあ、こういう時の茶漬けは」 
 しみじみとそう言いながら黙って座っているシャムを見つめる。少しばかり恥ずかしそうに箸を持った手で頭を掻くと明石は静かに茶碗を置いた。
「ナンバルゲニア。聞きたいことがあるんちゃうか?」 
 突然の明石の言葉にシャムはあまさき屋に着いてから常に疑問に思っていたことを思い出した。
「うん、あるよ」 
「ならはよう言わんとな……神前のことか?」 
 静かな調子でつぶやく明石にシャムは素直に頷いた。しばらく遠くを見るように視線をそらす明石。その先には裸で寝っ転がっている誠がいた。
「ワシが帝大の野球部に入ったときはひどいもんやったわ」 
 昔を思い出す表情。明石にどこか照れのようなものが感じられてついシャムは意地悪な笑みを浮かべてしまう。それを知って知らずが明石は言葉を続ける。
「入学前から知っとったが帝大野球部は29期連続勝ち星なし。しかも平均失点が8点。そのほとんどが5回以内で先発が捕まって勝負が決まっとる……そんなチーム。どない思う?」 
 シャムは突然明石に話題を振られて戸惑うように首をかしげた。シャムはそのようなチームに所属したことは無い。遼南の出身高校の央都農林高校は強豪校で知られ、シャムと同期には後に東都でプロになった速球派のエースがいた。ピッチャーが粘るから打線も守りも手が抜けない。そんな環境を経験してきたシャムには未知の世界。明石は笑顔を浮かべた。
「入った直後は一年坊主や、ワシも。確かに高校時代はそれなりに打撃で顔は知られとったがいきなりブルペンで球を受けろと監督に言われたときは肝を冷やしたわ。ぽこぽこ打ち返されることで有名な投手陣と言ってもみんな先輩や。下手に『これならワシでも打てまっせ』なんて言おうもんならどないなことになるか……」 
 そこまで言うと明石は再び茶漬けに手を伸ばす。静かに一口啜り込むとじっと口の中で味わっているように視線を落とす。シャムがそんな明石から目を離すと隣で明石の話に聞き込んでいるランと岡部の姿があった。
「正直びくびくもんや。どんなひょろひょろ球が来るか……逆に怖かったくらいや……で、どんな球が来たと思う?」 
 急に問い返されて慌てたシャム。顔が赤く染まるのが自分でも分かる。そんなシャムを面白そうに楽しんだ後、明石は口元を引き締めた。
「ちゃんとええ球が来たんでびっくりしたわ。キャッチボールの時の球に毛が生えたようなのが来る思うとったのがびしばしミットに響く力のある球や。二年生の補欠まで受けたが数人外れは確かにおったが……なんであんなに打たれるのか不思議な感じがしてな……」 
 明石はそう言うとじっとサングラス越しにシャムを見つめる。シャムは話がようやく本題に入ってきたのに気づいて握る手に力を込めた。
「そこで、ワシは言ったわけやが……」 
 明石の言葉にシャムは息を飲んだ。沈黙が場を支配する。いつの間にかランも岡部も箸を休めて明石の言葉に聞き入っていた。
「なんて言った思う?」 
「……うーん……」 
 考えるシャム。打たれるはずがないのに打たれる。シャムは今回の誠が初めて見るケースだった。それを18歳で目にした明石。その言葉がどんなものだか想像もつかない。
「分からんか?」 
「……うん」 
 渋々認めるシャムににんまりと笑顔を浮かべて見せる。明石はそのまま茶碗を手に取ると再び一口汁を啜った。
「打たれてみ、言うたったわけや。ええやん。打たれとうないって投げて打たれるんなら打たれて当然や思うて打たれた方が気が楽やろ?」 
「でもそしたら打たれるよ」 
 シャムの言葉に明石は意味ありげに誠を見る。シャムもその視線を追った。確かに誠は打たれなかった。おそらく明石が言ったのも先ほどと同じ言葉だろう。
「でもなんで?」
 素直なシャムの疑問に明石は大きく頷いた。
「あのなあ。母校やから言うんとちゃうが一応帝大は最高学府や。アホは入れん大学や。そこで酔狂に野球を仕様なんて言う輩はそれなりの覚悟があってやっとる。最低限の時間でできる筋肉トレーニング。より速い球を投げるためのフォームの修正。変化球の微妙な握りを研究しての独特な変化をする持ち球。一つ一つは野球一本でやってきた実業大やらの連中にも負けへんものがある……では無いのはなんや思う?」 
「ええと……自信かな?」 
 シャムのとりつくような言葉に明石は満足げに頷いた。
「それやねん。実績言うものは人を大きくするもんや。実力が同じでも実績が違えば出せる力の差は数倍にも跳ね上がるもんや。自信を持て言うて持てるならワシかて誰にだって一日中言い続けてもええ思うがそれは無理な話やからな。自信が無いところからの出発……難しいで」 
 それだけ言うと明石は手にしていたどんぶりから一気にお茶漬けをのどに流し込む。その見事な姿にシャム達は目を引きつけられた。
「でも……打たれていいのと自信とどう関係するの?」 
 食べ終わって一息ついた明石にシャムは尋ねた。明石はただじっと茶碗を見つめた後、静かにそれを鉄板の隣に置いた。
「自信をつけるには実績が一番の薬やけど……これを手にするのはなかなか難しい。正直、才能が上の相手を迎え撃ってそれを倒してこその自信やからな……なかなか難しい」 
 まるで自分に言い聞かせるように明石はそう繰り返した。
「そやけどそれが面白い」 
 にやりと笑う明石。シャムもつられて笑っていた。
「神前の時もただワシはキャッチボールで肩を作らせただけやねん。最初からベルガー、お前さん、クラウゼを相手に好きに投げてみて言うただけや」 
「でもちゃんと押さえたよ」 
 シャムの言葉に大きく頷く明石。そして静かに明石はサングラスを外した。大きな頭に不釣り合いな小さな細い目がシャムを捉える。
「結果は一番ええことになった。でもな、押さえんといても次押さえればええと思えるようになったんとちゃうやろか?打たれて当然や。そう思っとって気がついたら押さえられとる。その時にどこからかわいてくる自信。それを待つより他に策は無い」 
「ずいぶんとまー気長なことだな」 
 話を黙って聞いていたランが呆れてつぶやく。
「先任。下手な考え休むに劣る言うことですわ。結局30期で連敗は脱しましたから御の字で」 
 そう言って明石はサングラスをかけ直すと大声でからからと笑った。シャムもつられて笑っている。
「おい、タコ。もう締めようや」 
 手にしたテキーラの瓶が空になったのか振り回しながら要が声をかけてくる。明石は満足したように頷いた。
「おう、もうええやろ……ラビロフの機嫌もようなったみたいやからな」 
 シャムがちらりと明石の視線をたどるとサラと笑いあっているパーラの姿が見えた。それを見てシャムの顔にも笑みが浮かんでくる。
「よし!帰ろう!」 
 立ち上がるシャムにあわせてランと岡部も立ち上がる。あぐらを掻いていたランはまだしもまた岡部は正座していた膝が痺れるらしくふらふらしながらどうにも足下がおぼつかない。
「おう、岡部。しばらく休んどき」 
 明石はそう言いながら懐に手を入れて財布を取り出す。おごりと決まったこともあり、気を利かせた要が明石の肩に黒いコートと赤い長いマフラーをかけた。
「ありがとな」 
「いや、ごちそうさんです!」 
 すっかり上機嫌で叫ぶと要はそのまま下手に転がる誠とアイシャに駆け寄った。すでにカウラは寝ぼけているアイシャの頬を叩いて起こしにかかっていた。
「なんや、アイツ等は大変やのう」 
「いつものことじゃねーか?お前の時もそーだろ?」 
 鷹揚に振る舞うランに参ったというように頭を掻く明石。シャムが自分のいた鉄板を見れば。神経を肝臓の生体プラントに集中してアルコールを分解している吉田の姿が見て取れた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常43

「シャムか。上は相変わらずみたいだな」 
 笑顔のマリアの声に直属の部下達も興味深そうにシャムを見つめている。
「まあいつものことだから」 
「休めるときは休むのがこの業界のしきたりだ。一度ことが起こればもう取り返しがつかないからな」
 厳しい口調のマリアに周りが凍り付くような気配を感じた。幸い他の客はいなかった。
 シャムはマリアのことは好きだが、どうもこの不意に訪れる緊張感というものに耐えきれない。ただ愛想笑いを浮かべて周りを見渡す。
「そう言えば菰田君達は?」 
 シャムの言葉に首をひねるマリア。その時小夏がシャムの肩を叩いた。
「逃げましたよ、アイツ等なら。どうせまたぐだぐだになるなら巻き込まれたくないっていった感じで……」 
 そんな小夏の告げ口にシャムは大きくため息をついた。
「そんなだからカウラちゃんに嫌われるんだよ。写真を部屋に飾って喜ぶのが好きってことじゃないぞ!」 
「おう、シャム。いいことを言うじゃないか」 
 テーブルに肘をつきながらショットグラスをちらつかせるマリア。シャムもそんなほろ酔いのマリアは美しいといつでも思っている。
「そうだよ、だっていつも好きだ好きだって言ってるくせに本人の前では堅くなっちゃって……かと思えば誠ちゃんに嫌がらせをしたりとか……本当に卑怯だよ」 
「まあ卑怯ついでなら神前の奴も相当な卑怯者だと思うがな」 
 マリアの言葉にマリアが故郷の第六惑星系連邦の独立戦争に参加してきたときから付き従っている猛者達も大きく頷く。
「誠ちゃんが卑怯?」 
 今ひとつ言葉の意味が分からずにシャムは首をひねった。そんなシャムをからかうような笑みを浮かべた後、マリアは軽く手にしていたショットグラスの中のウォッカを煽った。
「そうじゃないか。カウラが常に自分のことを気にしているのにそれに誠実に応えるようなところは見えないじゃないか。西園寺のへそ曲がりやアイシャの馬鹿とは違って見たまんま本気で自分に感心がある女に何も応えないのは誠実と言えるか?」 
 シャムはマリアの少し上から見ているような視線に戸惑いながらしばらくその言葉の意味を考えていた。
「確かにカウラちゃんが一番普通に誠ちゃんのことが好きみたいだけどね」 
「そう思うだろ?」 
 上機嫌でマリアは自分の名前の書かれたウォッカの瓶を傾ける。
 シャムも三人とも誠を嫌いでは無いことは分かっている。でも誰を応援したいと言うことは特になかった。要は一緒に騒ぐのにはいいが本心で自分と騒いでくれているのか微妙なところがあると感じていた。アイシャも自分の人造人間という生まれを必死に克服しようとしすぎていてその為に誠を利用しているのではないかと感じることもあった。
 だがカウラはまだ培養液から出て8年しか経っていない最終ロットの人造人間だった。アイシャのような余裕は無いし、要ほどすれてもいない。
 マリアはそんなところでカウラを気に入っているのだろうか。そんな疑問を感じながらしばらくカウンターの前で立ち尽くしていた。
『脱げ!ほら神前!脱げ!』 
 要の叫び声が響く。
「いよいよ佳境と言うところかな」 
 マリアの口元に皮肉を込めた笑みが浮かぶ。シャムはどうにも情けない出来事にただ照れ笑いを浮かべるだけだった。
「シャム、カウラのことを頼むな」
 突然のマリアの言葉にシャムはしばらく思考が停止するのを感じていた。
「なんでマリアが?境遇が違うでしょ?」 
 シャムの問いにマリアは静かにほほえむ。そして言葉を選びながら言葉を続けた。
「確かにな。私には父も母もいた。どちらも先の第二次遼州大戦で死んだが。でも気がついたら戦うしか無かったところはにているかもしれない。アイツは戦うために作られた。私は戦うことが生きることだった」 
 そう言うとマリアは部下達の顔を眺めた。
 シャムも第六星系に侵攻したゲルパルトの蛮行やその後の地球軍の不当占拠に対する抵抗運動の激しさはレンジャー教官として派遣されてくる第六星系連邦の兵士達から聞かされていた。
 居住ブロックには百メートルごとに兵士が立ち、抵抗すると見なされたものは即座に拘束され容赦なくエアロックの外に放り出される。居住可能惑星では考えられない蛮行が独立まで果てしなく続いた支配への抵抗。
 その中を常に死と隣り合わせで生きてきたマリア。彼女は一口ウォッカを飲むと口を開く。
「戦争というのは人を機械として扱う一つのシステムだ。そこには生まれも育ちも関係のない人々が歯車として戦争を遂行するために投入される。人造人間が作られた理由もそう考えると分からないでもない。歯車には感情は必要ない。いや、感情はむしろ無駄だ」 
 マリアはそこまで言って言葉を飲み込んだ。シャムもなぜ彼女が言葉を飲み込んだのか分かっていた。シャムもまた戦場を生きた経験を持っていたから。
 感情は時に人間をどこまでも残酷な道具へと変える。シャムが経験した遼南内線末期の戦場。それまで支配者として君臨してきた共和軍の傭兵達をゲリラ達が虐殺する様を何度見てきたことか。武装解除され命乞いする傭兵達を即死させないように急所を外しながら銃剣で突き回す少年。目を抉られ、鼻を削がれ、腹から内蔵を垂れ流しながらうめく傭兵を見ても歓喜の声を上げながら石を投げつける老婆。地球からの派遣軍の兵士にレイプされて身ごもったという妊婦が死んだ傭兵の頭を蹴り上げて笑っていた様を思い出すと今でもシャムの足が震えてくる。
 彼等がその後どうなったのかシャムは知らない。時々東和でも遼南内戦の悲劇を語るテレビ番組が流れるが、参加した傭兵も地元の一般人達も当時が狂気に満ちていたことは語ろうとしない。ただ戦争は悲惨だと繰り返すばかりだった。そこに感情のある人間が武器を持って立てば必然として起きる狂気からは皆が目を背ける。
 ゲルパルトの指導者がそんなことを憂いて人造人間を作った訳では無いことはシャムも承知していた。遼州外惑星で、他の植民星系で、地球で降下したの中央アジアや南米などにおいて行われた極めて組織的な虐殺の容疑で多くのゲルパルト国家労働党の武装親衛隊員が処刑された事実はもし間に合えばカウラ達も感情を持たずに虐殺を行う機械になっていたのかもしれないとシャムも思うことがある。
 マリアの手もたぶんそんな狂気の中で血に染まったことがあるのだろう。部下達も黙り込んだままじっとしていた。機械として、殺す機械として生きたマリアが殺す機械になるべく作られた自分と真正面から見つめ合っているカウラにシンパシーを感じる。
 シャムはその悲しい関係をただ黙ってみていることしかできない自分に無力感を感じていた。
 しんみりとした雰囲気。マリアは気にする様子もないが、明らかに背後で小夏がシャムを心配そうにのぞき見ていた。
「カウラちゃんなら大丈夫だよ」 
 シャムの言葉に気分が変わったようでマリアが笑みを浮かべながら頷く。
「そうだ、つまらない話を聞いてもらった例だ。上に届けてくれないかな……そうだ、茶漬けが欲しい時間帯だろ?」 
 気を利かせたようなマリアの声にシャムは指を折り始める。
 もう誠とアイシャはダウンだろう。要は締めの茶漬けは手を出さない主義だった。そうなるとラン、明石、岡部は確実に茶漬けを頼む。カウラはそもそも酒を飲んでいない。別れ話を相談しているだろうパーラやそれを聞いているサラも茶漬けには手を出さないだるう。
「じゃあ3人前かな」 
 シャムの言葉に小夏は笑顔で厨房に入って行った。見送るマリアの暖かい視線。
「お前の分はどうなんだ?」 
「アタシと俊平はいいよ。あまり気にしない質だから」 
「そうか。なら私達もお愛想にするかな」 
 早速立ち上がるマリアに続いて部下達も立ち上がる。ちょうど二階からほろ酔い加減の春子が下りてきたところだった。
「あら、マリアさん。今日はおしまいなの?」 
「ああ、また寄せてもらうつもりだ」 
 ほとんど同じ年の二人。どちらも東和の常識と離れた世界を生きてきただけあって気が合うところがある。財布を取り出すマリアを見ながらそのまま春子は小走りで戸口にあるレジに向かう。
「師匠、できました」 
 小夏がカウンター越しにお茶漬けを差し出してきた。シャムはそれを盆にのせるとそのまま階段を駆け上った。
 入り口には座布団を枕代わりにして眠りにつくアイシャとその隣に放置されている全裸の誠の姿があった。
「要ちゃん、またやったの?」 
 シャムの視線は静かにエイひれをかみしめている要に向いた。
「まあ、こいつ弱いから」 
「要ちゃんが強すぎるんだよ」 
 シャムはそう言いながら上座のラン達のところまで茶漬けを届けることにした。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常42

「あそこに行くの?」 
「できれば私は勘弁ね」 
 現役実働部隊長のランとそれを支援する本局の調整官の明石。その会話が相当高度でシャムに手に負えないものであることは間違いなかった。小難しい理屈をこねるのが好きなアイシャもどうせ捕まれば説教されることが分かるので近づく様子もない。
「まあ夜も長いのよ……と言うわけで」 
 アイシャはそう言うとビール瓶を手に持つ。シャムは照れながらグラスを差し出した。
「ほら、吉田さん。ちゃんとラベルは上でしょ?」 
「そんなことどこで覚えたんだか……つまみが欲しいな」 
「小夏!小夏!」 
 吉田のオーダーに答えてシャムがカウラとなにやらひそひそ話をしていた小夏を呼びつけた。小夏はと言えば突然のシャムの呼び出しにいつものように嫌な顔一つせずに飛び出してくる。
「何でしょう、師匠」 
「俊平の……つまみは」 
「エイひれで」 
 一言そう言ってビールを飲む吉田。小夏はと言えば元気にそのまま階段を駆け下りていく。
「小夏ちゃんとお話……珍しいのね」 
 アイシャは堅物のカウラの意外な光景に興味を引かれたように絡む。シャムが見た感じではアイシャはかなりよっているようで頬はすでに耳まで朱に染まっている。
「なんだ。私が小夏と話しているとおかしいことでもあるのか?」 
 カウラはそう言ってビールを傾ける。それでもアイシャのにやにやは止まらない。四つん這いでそのままカウラのそばまで這っていくとそのままカウラのポニーテールに手を伸ばす。
「止めろ!」 
「なに?お嬢様?うぶなふりして……この!」 
「クラウゼ。酔っているな貴様」 
 睨み付けるカウラにアイシャはとろけるような笑みを浮かべる。
「酔ってますよ……だって……ねえ」 
「だってと言われても困るんだけど」 
 シャムは色気のあるアイシャの流し目を受けながらただ戸惑ってつぶやく。
「ひどいんだ!カウラちゃん。シャムったらひどいのよ!」 
「お前の頭の中がひどいんだろ?」 
 呆れかえるカウラはそう言ってアイシャの肩を叩いて落ち着かせようとした。
 だだをこねるように頭を振り回すアイシャにカウラはほとほと参ったように上座に目を遣った。
「なんだ?クラウゼは泥酔か?」 
「もう少し飲ませて寝かせたれ」 
 無責任な発言を繰り広げるランと明石。仕方がないとカウラが後ろを向いたときだった。
「任せろ」 
 要は迷わずそれまで誠に飲ませようとしていた液体を手に颯爽と現われる。
「おい、アイシャ」 
「なによ」 
 突然の要のちん入に少しばかり戸惑いながらアイシャが答える。要は得意げにグラスの中の液体を振ってみせる。
「これ、神前にやろうと思ってたけどお前にやるわ」 
「何これ?」 
「ああ、神前の野郎のグラス」 
「え?」 
 驚いたがすぐにアイシャはそれを奪い取ると中身も確かめずに一気に飲み干した。
「ほらな」 
 要の言葉の終わると同時にぱたりとアイシャは倒れ込んだ。
「大丈夫なの?要ちゃん」 
「まあな。最近は加減を覚えたから。何度も神前の裸踊りを見るのは飽き飽きしていたところだから」 
 それだけ言うと要は何事も無かったように去っていく。倒れたアイシャにじっと視線を落とすシャム。
「本当に大丈夫なのかな?」 
「大丈夫なはずだ。私達の体は本来毒物に対する耐性が強いからな。理性が飛ぶことはあっても死にはしないだろ」 
 まるで心配する様子のないカウラに少し呆れながら上座を見る。
 じっとこちらを見ているのは先ほどからランと明石の会話を聞かされ続けて退屈している岡部だった。
「岡部ちゃん。とりあえずこれを部屋の隅に運ぼう」 
 シャムの言葉で針のむしろから解放されると嬉々として歩いてくる岡部。正座が続いていたからかどうにもその足下が不安定だった。
「大丈夫なの……岡部ちゃんも」
「ちょっと痺れて……」 
 足が気になるというように何度か屈伸をする。すっかり血行の悪くなった膝がどうにも思うようにいかずに岡部はごろりと倒れ込んだ。
「大丈夫?岡部っち」 
「ああ、なんとか」 
 そう言いながら立ち上がりつつも膝を押さえる岡部。
「かなり痺れたんだね」
「まあそれなりに」 
 岡部はそのままアイシャのところまで来るとじっとその様子を観察している。
「特に異常は無いみたいだな。とりあえず奥に寝かせよう」 
 そう言うと岡部はアイシャの肩を持ち上げた。するとアイシャの腕が岡部に絡みつく。
「誠ちゃん……」 
 突然の寝言に苦笑いを浮かべる岡部。シャムもアイシャの腰を持ち上げながら岡部のまねをしたような顔をする。
「落とすなよ!」 
 要の茶々を受けながらずるずるとアイシャを引きずる二人。ある程度予想はされていたことなので誰も口を挟むことはしない。
「それにしても……重いね」
「余計なお世話よ」 
 突然アイシャの目が開く。シャムは驚いて手を離しそうになるがそれがアイシャの寝言だと分かって安心してそのまま部屋の隅にアイシャを運んだ。
「こうして座布団を枕にして……しかしこの部隊はろくな飲み方をしないな」 
 相変わらずの困ったような表情の岡部にシャムはただ頷くしかなかった。
「エイひれお待ち!」 
 誠がお盆を持って現われる。慣れた手つきで次々と鉄板の横のスペースに皿を並べる誠。
「ずいぶん慣れたね誠ちゃんも」 
「まあこういう生活長いですから」 
 こちらもまた疲れたような表情。菰田とソンは下のマリア達を接待しているようで二階に上がってくるそぶりすらない。
「あとは私がやるから。誠ちゃんは飲んでて」 
 シャムの提案に一瞬不審そうな顔をする誠。思わずシャムは口をとがらせて彼からお盆をひったくるとそのまま階段を駆け下りた。
「あ、師匠。ありがとうございます」 
 カウンターでビールを運ぼうとしていた小夏がシャムに声をかける。四人がけのテーブルには金髪のマリアが警備部の古参の士官達とちびちびと酒を飲んでいるところだった。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常41

「みごとに焦げたな……」 
「ならひっくり返してくれればいいのに」 
「なんで?」 
 とぼけた顔でたこ焼きを食らう吉田。シャムはむっとした表情で仕方なく削り節をかける。
「あら、焦げちゃったわね」 
「ひどいんだよ!俊平はずっと見てたのに何もしてくれないの!」 
 シャムの訴えに春子は鋭い視線を吉田に向ける。すごみのある女性の視線に吉田もさすがに気まずく感じてビールをのどに流し込んでごまかそうとする。
「でも本当においしいから。食べてみてよ」 
 春子は特製のソースをかけてやり、さらに青のりを散らす。
 独特の香りにシャムの怒りも少しだけ和らいだ。
「じゃあ食べてみるね」 
 シャムはそう言うと一切れ口に運んでみた。柔らかい生地の中に確かな歯ごたえのエビが感じられる。
「これいい!」 
「でしょ?」 
 気に入ったというようにシャムはそのまま次々と切っては口に運ぶことを続けていた。
「慌てて食うとのどにつかえるぞ」 
 吉田に言われてビールを流し込む。それでも勢いが止まらない。
「よく食うな……」 
 ふらりと立ち寄った感じの要が手にしたテキーラをシャムのビールの入ったグラスに注ごうとするのを軽く腕で阻止する。
「なんだよ、ばれたか」
 そのまま要は自分の鉄板に戻っていった。
 周りでも次第に焼け上がっているようで鉄板を叩くコテの音が響く。
「なんだか飯を食ってる感じがするな」
「幸せな瞬間でしょ?」 
「そうか?」 
 マイペースで一人たこ焼きを突く吉田。その吉田のテーブルに誠がビールを運んでくる。
「気がつくね」
 吉田は空になった瓶を誠に渡すとグラスになみなみとビールを注いだ。
 またシャムはチャンスだと思った。誠は今度はシャムにビールを注ごうとしてくる。
「あのさあ……」 
「誠ちゃん!私も」 
 シャムがグラスを差し出すところでタイミング良くアイシャが叫ぶ。
「はい!今行きますね!」 
 飛び跳ねるように誠はそのままビールを持ったままアイシャに向かって行く。
「また聞き損ねたか」 
 吉田の痛快という笑顔にシャムはエビをほおばりながらむっとした表情を浮かべて見せた。
「師匠!」 
 突然声をかけられて驚いてシャムは隣を見る。シャムよりも一見年上に見える中学生家村小夏。エプロンを着けたままいつものようにきっちりと正座をしている。
「どうしたのよ小夏。お仕事は?」 
「はあ、菰田の野郎が自分がやるからって」 
「あれだな、下にいるのはマリアだろ?おべんちゃらでも使ってうまいこと取り入ろうって魂胆だ。アイツらしいな」 
 吉田の言葉にシャムも何となく頷いた。
「それで小夏。どうするの?」 
「今度のライブの件ですよ!ネタがまだできて無いじゃないですか」 
「ライブのネタねえ……ずいぶん先じゃん」 
 シャムは考え込んだ。シャムと小夏はコントのコンビを組んでいる。時折ライブと称して近くの老人施設などの慰問をすることもあった。節分の次の週の日曜日にもその予定があった。考え込むシャム。
「最近はどつきネタばかりだって言われてるから……」 
「まあどつかれるのは師匠なんですけどね」 
 小夏の合いの手に思わず頭を掻く。ネタ的にマンネリなのはシャムも感じていた。特に誠が転属してきてからはいろいろと事件が多くネタを仕込む時間もない。
「お困りのようね」 
 すいと二人の間にビールの瓶が差し出される。見上げてみれば満面の笑みのアイシャだった。
「いいアイディア……やっぱりいいや」 
「なによ、シャムちゃん。ずいぶんつれないじゃないの」 
 すねるように大げさに首を振るアイシャ。こうなると手が付けられないのはシャムも十分承知している。
「じゃあ何かあるの?」 
 シャムがおそるおそる尋ねるとアイシャはいつものように不敵な笑みを浮かべた。
「『らくだ』って知ってる?」 
 突然のアイシャの言葉にしばらくシャムはあんぐりと口を開けた。
「『駱駝』?地球の砂漠にいる?」 
「違うわよ。落語。まあなんて言うか……ブラックな話」 
 アイシャの言う『ブラック』な話はだいたいとんでもない展開を見せるものである。シャムの顔が引きつる。隣を見ればなぜか分かっていると言うように頷いている小夏がいた。
「小夏は知ってるの?」 
「ええ、まあ嫌われ者の葬式を出す話ですよ」 
「ああ、西園寺の葬式を出す話だな」 
 吉田の言葉にシャムは思わず要の方に目を遣った。明らかにシャムを睨み付けている要。シャムは頭を掻きながら得意げに話を続けようとするアイシャを遮った。
「まあ、いいから。この話は後でね!」 
「ちぇっ!もう少し面白いところまで話したかったのに」
「何も話していないような気がするんですけど……」 
「小夏ちゃん。何か言った?」 
「別に……」 
 小夏を威圧した後はすっかり言いたいことを言ったと言う表情でアイシャはそのままカウラの肩に手を乗せて意味もなく笑っていた。
「変な人だとは思っていましたけど……やっぱり変な人ですね」 
「ねえ、小夏。らくだってなに?」 
 シャムは尋ねるが小夏は答える気が無いというようにそのまま立ち上がると階段を駆け下りていく。
「俊平は知ってる?」 
「落語は噺家から聞くものだ。俺が語ってもつまらないだけだよ」 
 そう言うと平然とビールを飲む吉田。シャムはただ呆然と話に取り残されたことだけを実感してエビを口の放り込む。
「なんやねん。渋い顔して」 
 声をかけてきたのは明石だった。ふと見るとランはなにやら携帯で話し込んでいる。ようは退屈しのぎにシャムをからかいに来たというところなのだろう。
「しかし……うまそうやな」 
 明石はそう言うと素手でシャムのエビ玉をちぎって口に放り込む。
「取らないでよ!」 
「おっとすまん。ワシもこれを頼めばよかったんかもしれんな」 
 禿頭をなで回しながら明石はつぶやいた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常40

 シャムもビールを飲み干しながら考えていた。笑顔でランとなにやら歓談している明石。
 今なら誠の立ち直りのきっかけについて話が聞けるのではないか。そう思ってシャムが腰を上げようとしたときだった。
「はい、新エビ玉三倍!」 
 どんとシャムの前にどんぶりが置かれた。上を見上げれば仏頂面の菰田が仁王立ちしている。
「俺のは?」 
「はい」 
 これもまた投げやりに吉田の分を差し出す菰田。その態度にさすがの吉田も冷笑を浮かべている。
「菰田君。もう少し愛想良くしないと」 
「そうだ!この変態!」 
 春子のたしなめる言葉と要の罵声。予想はしていたようで平気な風の菰田だが、少しばかり表情を曇らせているカウラを見るとさすがにまずかったというようにうつむいてみせる。
「まあいいや。じゃあお駄賃でアタシの分のテキーラやるから取って来いよ」 
「いらないですよ!」 
 要の叫びにそう返事すると足早に階段を下りていく。
「あいつも……管理部門なんだからもう少し愛想良くすりゃあいいのに」 
「人それぞれよ。ね、明石さん」 
「はあ」 
 急に春子に話題を振られた明石がどうにも困った顔で頭を掻いていた。
 シャムは今だと思ったが目の前の未知の味への誘いを断るほど理性が強い彼女ではない。自然と手はどんぶりの中のお好み焼きの具に伸びていた。
「へえ、結構大きなエビなんですね」 
「そうなの。そのままだと大きすぎるから切ってみたんだけど……歯ごたえを考えるとその大きさが微妙でね。いろいろ試してこうなったのよ」 
 吉田の言葉に得意げに答える春子。そんな明るい雰囲気に気が紛れてきたのか、それまでこわばっていたパーラの表情が少し緩むのがシャムにも見えた。
「あんまりかき混ぜないでね。このエビは歯ごたえが大事なんだから」 
 春子の言葉に頷くとシャムは静かに鉄板の上に生地を広げた。
 小麦粉の焼ける香ばしい香りが広がる。それはシャム達の鉄板だけではない。明石のところも軽快に油がはねる音が響いている。
「おう、懐かしいなあ。これを待っとったんや」 
 明石の銅鑼声が部屋中に響く。隊員達もそれぞれに自分の具を焼き始めていた。
 香りと歓談に満たされる。
 シャムもまたそんな雰囲気に酔っていた。
「菰田君!ビール!」 
 早速叫ぶシャムに思い切り嫌な顔をする菰田。
「菰田、頼む」 
 そこに要に頼まれたのか、恥ずかしそうにカウラの声が入った。
「はい!ただいま持って参ります!」 
 元気に叫ぶと菰田は階段を駆け下りていった。
「全く現金な奴だな」 
 吉田はたこ焼きを突きながらその様を眺めていた。ぼんやりとカウラを見つめじっと命令を待つソンの姿も異様に見える。
「それにしてもカウラちゃん効果は絶大だね。どうして?」 
 自分のお好み焼きをひっくり返すと振り返ってシャムはカウラに尋ねた。カウラはと言えばただ当惑したような笑みを浮かべたままでシャムを見返してくる。
「そりゃあ人望じゃないのかね」 
 吉田の一言にむっとしてシャムは彼を睨み付けた。
「まあ、うちの隊じゃ怖い姐御のたぐいは別として、それなりに常識があって行動もちゃんとしているとなるとベルガーくらいだろ?」 
「吉田少佐……それは聞き捨てならないわね」 
 たこ焼きをほおばりながらつぶやく吉田に今度はアイシャが食ってかかる。
「聞き捨てならない?事実だからだろ?お前もアニメグッズを買いあさるのを少しは控えてだな……」 
「ひどい!人の楽しみを奪うわけ!」 
 吉田の一言に心底傷ついたように叫ぶアイシャ。だが部屋中の全員が彼女を白い目で見ていることに気づくと気を紛らわそうと自分の豚玉を叩き始めた。
「まあ……カウラちゃんは常識人だからね」 
「シャム。お前が言うと説得力ねえな」 
 要はそう言いながらソンが運んできたテキーラをショットグラスに注いでいた。
「説得力無くて悪かったですね!」 
 そう言うとシャムはそのまま焼けてきたかどうか自分の三倍エビ玉を箸で突いてみた。
「焼けたか?」 
「まだみたい」 
 吉田の問いに答えながらシャムはビールをグラスに注ぐ。
「神前!気を遣えよ!」 
「ああ、すいません西園寺さん……ナンバルゲニア中尉……」 
「いいよ、もう注いじゃったから」
 要の白い目を見て誠を哀れみながらシャムはビールを飲んだ。そこでシャムは今度は誠にどんな話を明石からされたのか聞こうと思った。
「あのね、神前君」 
 シャムが声をかける。誠はカウラに注いでいたビールを持ってそのままシャムのところまで来た。
「ちょっと待ってね」 
 ビールを一気にあおってグラスを空にするとシャムは誠にグラスを差し出した。
「しかし、よく飲みますね」 
「そうかな?」 
 シャムはそう言いながら注がれたビールを軽く口に含む。そして誠に立ち直りのきっかけを尋ねようとしたときだった。
 いつの間にか誠の隣に来ていた菰田が誠の腕を引っ張る。
「何をするんですか!菰田先輩」 
「お前も手伝え。下にシュバーキナ少佐が来てる」 
 菰田の言葉に誠の顔色が変わる。そしてそのままパーラと小声で話している春子に顔を向けた。
「神前君もお願いね」 
 春子の無情な一言に誠も立ち上がった。
「ああ、マリアも来てるんだ……」 
 結局誠に話を聞けなかったシャムは上の空でそう言うとビールを軽くあおった。
「おい、シャム。大丈夫か?」 
「何が?」 
「鉄板」 
 吉田の言葉にシャムは驚いて自分のお好み焼きを眺める。少しばかり焦げたような臭いが鼻を襲った。
「やっちゃった!」 
 シャムは叫ぶとへらでひっくり返す。焦げが黒々とシャムの三倍エビ玉を覆い尽くしていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常39

「エビか……」 
「どうしたのかしら?シャムちゃんはエビが嫌いなの?」 
 どことなくおかしな空気になってきたことを察したように春子の声が小さくなる。そのとき小夏が消えていった階段から長身の女性の姿が目に飛び込んできた。
「おう、アイシャ。サラも一緒か?」 
 明石の声に黙って頷くアイシャ。そしてサラもその後に続いて空いた鉄板に腰を落ち着ける。しかしその後ろにピンク色の長い髪が翻っているのが見えた。
「パーラ。来たのか?」 
 ランの言葉に黙って頷くと、パーラはそのままつられるようにサラの隣の座布団に腰を下ろす。
 沈黙が場を支配したことで察しのいい春子はこの沈黙の原因が自分の『新港』という言葉とパーラがつながっての出来事だと理解しているようにシャムには見えた。
「お母さん、ビール」 
「あ、小夏。ご苦労様。それと熱燗を一つつけてもらえるかしら」  
「え?……うん、いいけど」 
 シャムと馬鹿話をしたかったと言う顔の小夏が不思議そうな顔で階段を下りていくのが見える。春子はただ黙って突出しをつついているパーラの前にビールの瓶を持って腰を下ろす。
「女将さん?」 
「いいから、黙って」 
 春子の態度を見てアイシャがそっとパーラの前にグラスを置いた。仕方がないというようにパーラがそれを手に取る。春子は静かにビールをグラスに注いだ。
「みんなまだだけど、ランさん。いいわよね?」 
「ああ、パーラは今日は特別だ」 
 ランの頷きつつのつぶやき。それに促されるようにしてパーラはグラスを干した。
「いい飲みっぷり。じゃあもう一献」 
 軽くグラスを差し出すパーラに春子はさらにビールを注いだ。
「何も言わなくていいからね。何も」 
 そう言うと春子はそのまま大きく深呼吸をしているパーラを置いて黙って自分達を見つめていたシャムのところまで戻ってきた。
「どうする?シャムちゃん」 
 先ほどまでのパーラに対して使っていたしっとりとした響きの言葉が一気に気っぷのいい女将の口調に戻る。
「じゃあ新エビの三倍で!」 
「はい!じゃあ他の人もどんどん頼んでね」 
「女将さん。ワシの金や思うてあおらんでくださいよ」 
 ようやく重苦しい雰囲気が取れて安心したというような表情で明石が泣き言を叫んだ。
 さっそくメモを手に走り回る小夏。
「豚玉!」 
「じゃあ僕もエビでいいかな」
「イカで頼む」 
 要や誠、カウラの注文が続く。
 三杯目のビールを飲んだパーラが静かに視線を鉄板に落とした。
「とりあえず何も言わないで」 
 諭すような調子の春子。それを見ながら安心したように明石は突出しのひじきを突いている。
「女将さん、分かるの?」 
 シャムはつい気になって尋ねてみた。春子は首を振る。だがそれでもそんな春子に安心しているようにハーラは黙って春子を眺めていた。
「神前!女将さんの燗酒運んで来いや!」 
 気を利かせた明石の一言にはじかれるように誠が階段を駆け下りていく。
「ごめんね、明石君」 
「ええんです。ワシ等もいつもお世話になってばかりやさかい」 
 そう言うと明石は手元のビールを手に取りランの前に差し出した。
「おう、気が利くじゃねーか」 
 ランはさっとグラスを差し出す。なみなみとビールが注がれる。そして明石は今度は隣の岡部に瓶を向けた。
「これからもよろしゅうたのむで」 
「は、はあ」 
 サングラスの奥でまなじりを下げているだろう明石を想像しながらグラスを差し出す岡部。それを見ていたシャムの目の前にビールの瓶が現われた。
「シャムも飲めよ」 
 吉田がビールを差し出している。シャムは慌ててグラスを差し出す。
「まあエビがどんなのか……楽しみにするか……俺はお好み焼きはいいや。たこ焼きをお願い」 
 隣まで来ていた小夏にそう言うと手酌で自分のグラスにビールを注ぐ吉田。
 すでに明石も飲み始めている。あちこちでグラスをあおる顔がシャムからも見えた。
「私も飲むね」 
「勝手にしろ」 
 隣で黙って酒を飲んでいる吉田に笑みを漏らしながらシャムはビールをのどに注ぎ込んだ。
「お待たせしました!」 
 誠が颯爽と階段から現われると春子の前にとっくりを置く。
「ありがとね。それじゃあ飲みましょ」 
 そう言うと春子は手酌で熱燗をおちょこに注ぐ。ビールを飲みながらパーラはその様を見ていた。
「まあ春子さんの方が一枚上だからな」 
「なに?俊平何か知ってるの?」 
 静かに酒を飲む春子を見ながらの思わせぶりな吉田の言葉にしばらくシャムは首をかしげていた。
「あの人の前の旦那。小夏の親父のことはお前も知ってるだろ?」 
「ああ、今は留置所にいるんだよね。まだ裁判は結審していないんでしょ?」 
 小声でつぶやくシャム。春子の夫は四年ほど前まで東都の港湾部の難民居住区を中心とした地域でのシンジケート同士の抗争で四人の警官を射殺した容疑で逮捕されていた。離婚はすでに成立していたことはシャムも知っていた。上告はしているがおそらく一審で出た死刑が覆ることはまず考えられない。
「確かに浮気ぐらいなら全然かわいいところなのかもしれないね」 
 そう言うとシャムはグラスを干した。
「お母さん!お酒飲んでばっかりじゃなくて……」 
「小夏、ええねん。そこのでくの坊二人!」 
 階段から顔を出して文句を言おうとする小夏を制した明石は下座でビールをちびちびとすすっている菰田とソンに目をつけた。
「お前等今日はここの従業員や、ええな?」 
「え?」 
 明石の言葉にしばらく言葉が出ない菰田。助けを求めるようにソンがランに目を遣るが、ランはまるで言うことは無いと拒絶しているようにビールを飲んでいる。
「上官命令……OK?」 
 上機嫌の要の声にうなだれる二人。要はそんな二人を見て思わず隣のカウラを肘でこづいた。
「ああ、よろしく頼むぞ」 
 劇薬のようにカウラの言葉はよく効いた。二人ともカウラファンクラブ『ヒンヌー教』の幹部である。そのまま先を争うようにして階段を駆け下りていく。
 おもわず取り残されて呆然とする小夏だが、さすがに自分がいないと二人が何をするのか分からないのでそのまま階段を下りていく。
「効くなあ……おい。ファンがいるとはうらやましいねえ」 
「心にもないことは言わないことだ」 
 静かに半分ほど飲んだビールを一気に飲み干すカウラ。少しばかり酔いが回ってきたようで白い頬が朱に染まっている。
「本当に面白いね」
「まあいいんじゃ無いの?」 
 その様を見ていたシャムが吉田に声をかけるが吉田はつれなくそう言うとビールを飲み干した。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常38

 そんままランは階段を駆け上っていく。
『馬鹿野郎!』 
『嫌だな、中佐。ただの冗談じゃないですか……』 
『人騒がせな冗談だな』
 二階のやりとりを聞きながらシャムと明石は苦笑いで階段を上る。上座にどっかりと座っているラン。その隣で手に靴を持った吉田が愛想笑いを浮かべていた。
「ああ、靴置いてくるから」 
 それだけ言うと吉田は照れたような笑みを浮かべながら階段を駆け下りていく。
『なんだよ、ロボ。また二階からのご登場か?』 
 要の快活な声がランの隣の鉄板を占領したシャムの耳まで聞こえてきた。
「あ、誠ちゃん達着いたんだ」 
「もうええ時間やさかいな。当然なんとちゃうか?」 
 明石はそう言いながらランの座っている鉄板の横にちょこんと座る。巨体が売り物の明石の隣にどう見ても小学生のラン。しかも同じ中佐の階級だがランが先任と言うことで常に明石がランのご機嫌を伺うことになる。
 いつもの光景ながらシャムはその滑稽な有様を見ると吹き出してしまいそうになった。
「おう、もう来てるな!」 
 ずかずかと大きな態度で現れた要。それをなんとか制するように頭を下げながらシャムの隣の鉄板に導く誠。カウラはいつものように黙って誠の正面に座る。
「あれ?アイシャは?」 
「あのアホか?なんでもサラと話があって遅れて来るってさ。どうせパーラの件だろ?」 
 まるで心配することは無いというように要は頼むものが決まっているくせに鉄板の脇に置かれてあったメニューを開いて見始めた。
「鎗田も観念したんとちゃうか?」 
「それ鎗田の都合だろ?パーラの奴にも都合があるんじゃねーのか?」 
 ランは小さな体に似合いの小さなスタジャンを脱ぎながらネクタイを弄る明石を上目遣いに見つめた。それにあわせるように女将の家村春子と娘の小夏がそれぞれに突出しとおしぼりを持って現われる。
「本当に明石さんはご無沙汰ね」 
「いやまあ、済みません……どうにも本局勤めは柄にないとは思うとるんですが……なかなか」 
「少しは明華さんのところに顔を出してあげなさいよ」 
 婚約者の名前を出されてただひたすらに頭を掻く明石。それを色気のある切れ長の目で一瞥すると春子は小夏と一緒に突出しやおしぼり、そして小皿を配り始めた。
「いやあ!女将さんにはかないませんなあ!」
 快活に笑う明石。それを見てなぜかうれしそうに笑う誠。シャムは不思議に思っていた誠の少しだけの復活について聞いてみたい欲求に駆られて身を乗り出す。
「おう!ワシのおごりじゃ。好きなだけ食ってええで」 
 剛毅なところを見せようとふんぞり返る明石。それを見ながらランは呆れたような苦笑いを浮かべている。
「それじゃあボトルは?ボトル入れてもいいか!」 
「いい訳あるかい!」 
 要に突っ込みを入れる明石。シャムは話を切り出すタイミングを失ってそのまま座布団に腰を下ろす。
「遅れました……」 
 それにあわせて入ってきたのは菰田とソン、それにどこか疲れた表情の岡部だった。
「おう、岡部!こっち来いや!」 
 末席に菰田達と一緒に座ろうとする岡部に向かって明石が叫ぶ。岡部は周りを見渡した後、どうやら自分が明石の接待をすることになりそうだと悟って少しばかり恥ずかしげに頭を掻きながらランの隣にまでやってくる。
「ずいぶん賑やかになりそうね。……小夏!突出しをあと三つ追加。それじゃあとりあえずビールでいいですわよね」 
「ああ、頼みます」 
 すっかり場を仕切る明石。シャムはさらに岡部が揃ったことで誠のピッチングの件を切り出しやすくなったとタイミングを計っていた。
「おい、お前は何にする?」 
 そんなところに邪魔するように声をかけてくる吉田。シャムは少し感情が表に出そうになりながらそれも大人げないと少し首をひねった。
「豚玉も飽きてきたなあ……」 
「あれ?オメエも飽きるとかあるのか?」 
「失礼だな、要ちゃん。私も気分を変えたいときくらいあるんだよ!」 
 要の突っ込みに何となくシャムはムキになってメニューを覗いた。ちらりと見たそのお品書きにおすすめとして載っている太字の文字に自然とシャムの視線は引きつけられた。
「あれ?新エビ玉って?」 
「さすがシャムちゃんね。新港のエビがシーズンなのよ。それでこの前源さんがたくさん仕入れてきたから試してみたらおいしくって……お勧めよ」 
 春子の口から出た『新港』の言葉に場が少しばかり不穏な空気に包まれた。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常37

 正門の前には20世紀のドイツのワゴン車のレプリカが止まっていた。吉田お気に入りの一台。
「乗れよ、明石達はもう出たぞ」 
 吉田に急かされてシャムは駆け足で車に乗り込んだ。
「積んでくれてたんだ」 
 後部にはシャムのバイクがロープで固定された状態で乗せられている。
「まあな、気が利くだろ?」 
「そうだね」 
 シャムの笑顔を見ると吉田は車を出した。
 正門前の車止めもすでに夜の闇の中に沈んでいる。そこから真っ直ぐ、ゲートの明かりだけが頼りだった。
「おい!」 
 ゲートに着いた吉田が窓を開けて叫ぶ。うたた寝をしていた古参の警備部員がめんどくさそうにゲートのスイッチを押す。
「お先!」 
 吉田はそう叫ぶのそのまま不眠の大工場の中に車を乗り入れた。
 昼間ほどではないがやはり大型トレーラーが資材を満載して行き来している。そんな工場内の道路を吉田は慣れたハンドルさばきで車を走らせた。
「パーラの話……」 
「ああ、クバルカ隊長から聞いたよ。まあいい大人だ。どう判断するかは本人の問題だろ?鎗田も馬鹿だがそれなりの技術屋のプライドくらいはあるはずだからな」 
 落ち着いた調子でつぶやく吉田を見てシャムは少しばかり安心した。
「そうだね。ランちゃんも見てるんだから大丈夫だよね」 
「ああ、あのちびっ子。喰えないからな。鈴木中佐にしろ明華にしろ敵に回すとやっかいだってことは明石の野郎が伝えてると思うからな」 
 工場の中央を走るメインストリート。主に昼間は営業車の出入りに使用される道にはすれ違う車も無かった。
「でも……なんだか心配だよな……」 
「そんなに心配なら見に行くか?場所もわかるぞ……まあ移動しても鎗田の車のシリアルナンバーは登録済みだから追えるぞ」 
 真顔でシャムを見つめてくる吉田。シャムはただ苦笑いを浮かべていた。
「あまり干渉するのは良くないよね」 
「そういうことだ」 
 吉田の言葉に頷くシャム。車は工場の正門に到着し、監視ゲートをくぐってそのまま産業道路と呼ばれる国道に出ることになった。
 しばらく沈黙が続いた。
 車の流れは順調だった。帰宅を急ぐ車の列に続けばすぐにまた工業団地から住宅地へ向かう道をすいすいと走ることができる。
「話は変わるんだけど……さ」 
 シャムは沈黙に耐えられずに口を開いていた。吉田は相変わらず気にする風もなくハンドルを握っている。
「誠ちゃん……」 
「ああ、気の持ちようだろうな」 
 質問より早く吉田は答えていた。シャムはなんとなくわかったのかわからないのかよくわからないまま外を流れる車の列に目を移した。
「アイツはああ見えて結構度胸が据わってるよ。表面上はおどおどしていても本心から迷うような奴じゃない」 
「なに?俊平はわかっているみたいじゃない」 
「俺を誰だと思ってるんだ?精神科医の論文くらい毎日目を通しているよ」 
 平然と答える吉田。車は周りの永遠に続くかに見えた田んぼと点在する大型店ばかりの道から住宅の目立つ景色の中に飛び込んでいた。
「そう言うのも読むんだ」 
「まあな。傭兵時代は戦場のストレスで耐えられなくてぶっ壊れる部下をさんざん見てきたからな。それに対処するのもプロとしては当然のお仕事だろ?」 
「傭兵って大変なんだね」 
「なあに、戦争をする馬鹿連中の一人に加わって大変じゃ無いことなんてあるもんか。要は与えられた仕事を成し遂げるに当たって必要な情報のソースを広く構えていること……じゃないかな。俺が知る限りは俺以外にそういうことに関心がある指揮官というと隊長ぐらいだな」 
 ずらりと並ぶ右折専用車線に車を乗り入れながら吉田がつぶやく。彼らしい傲慢で気取った言葉の最後にシャムも尊敬する主君、『嵯峨惟基』の名前があることにシャムは思わずほほえんでいた。
「じゃあ隊長はすごいんだ」 
「すごいかどうかは別として、あれは敵には回したくないね。もっとも、何も知らずに敵に回して義体を一個つぶしたことがあったが……あれは参ったよ」 
 動き出した前の車に続いて右車線にハンドルを切る。車はなめらかに曲り、そのまま豊川市街地へ向かう道へと進んでいった。
「そう言えばあの時は予備を切らしてたんだよね」 
「お前さあ、そう言うどうでもいいことよく覚えてるな。だったらたまには伝票ぐらい自分で仕上げてくれよ」 
 呆れたというようにシャムを見つめる吉田。シャムは笑顔で流れていく町の景色を眺めている。
「でも、話は戻るけどそんなに簡単に気持ちって変えられるの?」 
「そりゃあその秘密は明石に聞けよ。まあ、あいつの経歴から考えるとコツがどこかにあるだろうということくらいは察しがつくけどな」 
 シャムを煙に巻くような言葉を吐きながら吉田が笑う。車はそのまま駅前に続くアーケード街が目立つ市街中心部へと入り込んでいた。
 景色が変われば気分も変わる。
「でもタコさんはなぜ来たのかな?」 
 シャムの言葉が少しばかり元気になっているように響くのはあまさき屋が近づいているからだろう。吉田はそれに応えるわけではなくただ車を走らせている。
「ねえ!」 
「俺に聞くなよ。どうせすぐ分かること何じゃねえの?」 
 吉田はそう言うと少し乱暴に車をコイン駐車場に乗り入れた。急な衝撃。シャムは思わず吉田を睨み付ける。
「はい到着」 
 気にする様子もなくサイドブレーキを引く吉田。二人はシートベルトを外してそのまま車を降りた。
 夜の繁華街。都心部でもないこの豊川の町はかなり寂れた印象がある。だが二人ともその雰囲気は嫌いでは無かった。
「寒いね」 
「冬だからな」 
 当たり前の会話が続く。アーケードの脇の路地を進む二人。時折カラオケのうなり声がスナックの防音扉から漏れるのが聞こえてくる。
「また……やるんだ」 
 目的地のあまさき屋の裏まで来たところでそのまま裏通りを進もうとする吉田に呆れたように声をかけるシャム。
「当たり前だ。ポリシーだよ」 
 そう言うと吉田はそのまま裏路地に姿を消した。シャムはそんな吉田を見送ると表通りに進路を取った。
「なんだ?シャム一人か?」 
 店の前、ちょうど到着していたのはランと明石だった。
「え?ええ、まあ」 
「吉田のアホはまた裏からよじ登るつもりやな。毎度飽きない奴やなあ」 
 呆れたような顔で紫の背広の明石があまさき屋の暖簾をくぐる。
「いらっしゃい!」 
 それなりに客のいる町のお好み焼きの店のカウンター。薄紫の小袖を着て目の前のサラリーマン風の客に燗酒を差し出している女将の家村春子が快活な笑みを浮かべていた。
「女将さん、上、空いてる?」 
「まあ。いつものことじゃないの。知ってて来たんでしょ?」 
 明石の言葉に春子は明るい笑みで答える。ランはすでにその言葉を末までもなく奥の階段をのぼり始めていた。
「シャムちゃんがそこにいるってことは……また吉田さんは裏からよじ登るつもりね?」 
「いつもうちの馬鹿がすいませんね!」 
 階段から小さな体をねじって振り返りランが答えた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常36

「シャム!早すぎ!」 
 サラが背後で叫ぶ声が響く。シャムはそのまま思い切り走り出す。
 一気に暗い正門に飛び込みそのままロッカーに飛び込んで着替えを手に取ると奥のシャワー室に入った。
 入ると同時にセンサーで電気がついた。もうすでに終業から二時間以上経っていて人の気配はない。
「寒いなあ」 
 そう言いながらそのまま手前のシャワーを占領すると服を脱衣かごに放り込む。
「シャム……早すぎるよ」 
 ようやくたどり着いたサラ。その後ろには涼しい顔のカウラとアイシャが並んでいる。
「そう言えば、パーラが来てなかったね……」 
 シャワーの水量を調節しているシャムの声にアイシャの顔が引きつる。
「そうだな。昼に私が来たときにはいなかったが……どうしたんだ?」 
 カウラが服を脱ぎながらそう言うとしばらくアイシャは頭を掻きながら考えていた。
「言う?」 
「私は嫌よ」 
 アイシャに話題を振られてサラが首を振った。
「あれか……鎗田大尉がらみか……」 
「え!二人ってまだ別れて無かったの?」 
 シャンプーの泡だらけになりながら叫ぶシャム。アイシャは静かにユニフォームを脱ぎながら話し始めた。
「別れたのはもうとっくの話なんだけどね。またやり直したいとか言い出したのよ、あいつが」 
「それで出かけるとは……本当にパーラもお人好しだな」 
 カウラはそう言いながらシャワーを浴び始める。
「私もそう言ったのよ。でもパーラはもうそのことは忘れたからちゃんと同僚として挨拶をしてくるって」 
「そう言うのは未練が無い人はしないのよね」 
 アイシャの言葉に相づちを打つサラ。シャワーの音が女子シャワー室内に響いている。
 鎗田司郎。保安隊技術部の大尉だが彼の率いる技術部機関部員は運行艦『高雄』の整備点検の為、常に『高雄』が係留してある東都の東200kmと離れた港町、新港に常駐していた。正直、技術部での彼の評価は高いものでは無かった。
 部隊設立と同時にパーラと付き合い始めたと言う時点で技術部の面々が面白く思うわけがない。だが、アイシャ達運行部の面々まで敵に回すことになったのはさらにある出来事がきっかけだった。
 突然のパーラへの電話。それは鎗田が未成年との交際が発覚して警察署に連行されたと言う内容のものだった。パーラは彼女より激高している鎗田の上司である許明華をつれて新港へ向かった。
 そこで何があったのかはシャムも知らない。実際平然とシャワーで髪を流している情報通を自称するアイシャも詳しくは知らないとシャムも思っている。ともかく鎗田は釈放されて特にニュースにもならなかったところからみてもみ消したのか、それとも単なる誤解だったのか。ただそれ以来パーラは鎗田の話題を持ち出すことを避けるようになっていた。
「でも本当にいいの?」 
 バスタオルで体を拭きながらのシャムの言葉。アイシャは聞こえていないというようにじっと頭からシャワーを浴びている。
「本人の問題だ。私達が干渉するようなことは何もない」 
「いいこと言うわね、カウラちゃん。胸が平らなわりに」 
「最後の言葉は余計だ」 
 アイシャがいつもの軽い口調に戻ったのをみて事態はそれほど深刻ではない。そうシャムは思った。
「それに……今回はお姉さんも電話で釘を刺してたみたいだから」 
 少しくらい調子でアイシャがつぶやく。だがシャムはお姉さんことリアナが穏やかな調子で鎗田を諭すのを想像して少しばかり安心していた。
「それじゃあ大丈夫だね」 
 下着を着けてズボンに足を通す。シャムより少し遅れてサラもシャワーを出た。
『おい!早くしろ!』 
 シャワー室の外では要の叫び声が聞こえる。
「自分は突っ立ってただけだって言うのに……気楽なものね」 
 思わず苦笑いを浮かべるアイシャ。シャムは着替えを終えるとそのままアイシャ達を置いてシャワー室をでた。
「よう」 
 要の隣に当然のように立っている吉田。シャムは少しばかり不思議に思って頭の先から足の先までじろじろと見つめた。
「なんだよ……」 
「覗いてたんじゃないの?」 
「何言ってるんだか……どうせお前はバイクだろ?飲むんだったら俺の車に乗っけて行ってやろうかと思ったけど……止めるか?」 
 痛いところをつく吉田。そもそも酒にあまり興味のない吉田はシャムにとっていい足代わりだった。
「またバイクを乗っけてくれるの」 
「まあな。行くぞ」 
 吉田はそう言うと早足で歩き始める。
「待って!」 
 シャムはユニフォームの入ったバッグを手に早足で歩く吉田を追いかけた。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常35

 しばらくのバッテリー間のやり取りをアイシャは悠然と眺めていた。
『やっぱり度胸据わってるなあ、アイシャちゃんは』 
 感心しながらその様を見るシャム。何度か首を振った後、ようやく誠はサインを決めてセットする。シャムもまたこう言うときは引っ張りにかからずに逆らわずに打つだろうアイシャに備えて緊張しながら構えていた。
 誠の投球動作が始まる。先ほど見たときより若干動きがすばやくなっている。
『打たれるな』 
 シャムはそう直感してアイシャに目をやった。
 しなる誠の左腕。その直後にアイシャはスイングを止めてボールを見送った。
「ボール」 
 内角。シャムからはストライクに見えるほど際どいコースのように見えた。岡部は不服そうに明石を見つめた後、気にするなと肩をゆすった後、そのまま誠に返球する。
 誠は別に気にするようには見えず。ただ手にしたボールをその感触を確かめるように何度も左手で握り締めた。
 シャムはそのままアイシャを見た。バッターボックスから出て素振りをするアイシャ。別段変わった様子は見えない。。
『今度も待つかな?』 
 グラブを叩いてショートのサラを見る。サラもまたシャムを見つめていた。
「大丈夫かな?」 
「ええ、アイシャなら問題ないでしょ?」 
「違うよ、誠ちゃん」 
 シャムの言葉を聞いていたのか不服そうな表情で誠が振り返る。シャムは舌を出してどうにも文句がありそうな誠にこたえた。
 それを見ると誠はマウンドに立ち岡部を見下ろした。サインの交換だが、今度は一回でサインが決まった。アイシャはまた悠然とバッターボックスに構えていた。
 誠はゆったりとしたモーションで投球動作を開始する。また自然とそのスリークォーター気味の左腕が唸り球が放たれる。今度はアイシャも打つ気で構えているのがシャムにも分かった。
 金属バットの響き。打球はそのままアンパイアの明石のマスクを直撃した。
「あ?」 
 思わず振り返ったアイシャの声が響く。しばらく中古のマスクと言うことで衝撃に弱いところがあるようで、明石はマスクを外して顔を抑える。
「大丈夫や!大丈夫」 
 自分に言い聞かせているのか、叫ぶ明石が何とか顔を上げた。サングラスを外しているので小さな目が驚きでさらに小さくなったように見えた。要がそのタイミングで予備のボールを誠に投げる。誠はそれを受け取るが、しばらく心配そうに明石を見つめていた。
「気にせんでええで!ええから続けんかい」 
 何とか立ち直った明石。誠はホッとしたようにボールを握り締めると岡部とのサインの交換を始めた。アイシャは別に変わった様子も無くただ眺めている。悠然としたその態度。シャムは今度こそ誠は打たれるような気がしてきていた。
 何度か岡部のサインに首を振る誠。なかなか決まらない。
『誠ちゃん……動揺してる』
 そんなシャムの思いが通じたのか、ようやくサインが決まると誠はセットした。
 静かなモーションが始まる。じりじりと力をためていく誠の左腕。そして先ほどと同じような軌道で腕は動き、しなり、球が放たれる。
 アイシャのスイング。バットの打撃音。
 ボールはまた跳ね上がるとそのままハンガーの方へ向かう飛球となった。
「打ちそこなったー!」 
 悔しそうにアイシャが叫ぶ。岡部は球が高いと言うことを言いたいと言うように腕を振って誠に示す。
 シャムが見てみるとハンガーの手前にはすでに着替えを済ませたランがボールを拾うとそれを持って真剣な目つきの要に向かって歩いてくる姿が見えた。
「タイミングは合ってるわよね」 
「完全に打ちそこないでしょ」 
 シャムの言葉にサラが答える。それを聞いているだろう誠。再び要からボールを受け取るとしばらくじっとボールを見つめていた。
『今度はどうかな』 
 背中が小さく見え始めた誠を見ながらシャムはじっとグラブを抱えて睨みつけていた。
 誠は再びサインの交換を始める。今度は一発でうなづく誠。
 また投球動作が始まる。
『危ないな』 
 直感がシャムを駆け抜ける。アイシャは心持ちシャムとヤコブの守る一二塁間を見たような気がしていた。
 ボールが放たれるがアイシャはバットを振らなかった。ワンバウンドのボールを岡部が体で止める。
『カーブが引っかかったのかな』 
「何やっとんねん」 
 カウントするのも忘れたと言うように明石が叫ぶ。誠は苦笑いを浮かべながら岡部からボールを受け取った。
「早くしろよ!」 
 ベンチに腰掛けた小さく見えるランが叫んでいる。そんな上司にいかにも済まないと言うように誠はマウンドの上で頭を下げていた。
『余計なことを言うからな』 
 シャムは苦笑いを浮かべながらまた投球に集中しようとしている誠の顔を見つめていた。
 誠の動揺。だがすぐにそれは収まったようでそのまま相変わらずの静かな物腰で岡部のサインを覗き込んでいた。再びセットしてゆったりとしたフォームで投球がなされる。
 アイシャのバットは打球を捕えた。ボールはシャムに向けて飛び込んでくる。シャムは定位置のままそれをキャッチした。
「はい!以上や!」 
 明石の言葉で部員達はそのままホームベース上に集まった。なんとも不思議そうにバットを何度も降るアイシャ。
「真芯じゃなかったからなあ……」 
 不本意そうにつぶやくとアイシャはヘルメットを脱いだ。
「おう、神前。どうだ?」 
 要の言葉に何ともつかない笑みを浮かべて誠はシャムからボールを受け取った。
「とりあえずこのくらいにするか。それぞれ着替えて帰るぞ」 
 要の一言でシャム達はそれぞれ手にしたグラブをベンチの横の用具入れへと持って走る。相変わらず射撃レンジの方では射撃訓練の銃声が続いている。
「どうしたのかな……誠ちゃん」 
「私に聞かないでよ」 
 シャムの問いにこれも不思議そうな顔をしているサラが答えた。それぞれ自分用のグラブを入れる袋にグラブを入れると新人の警備部員がそれをまとめて片付ける準備をしていた。
「シャム!サラ!さっさと着替えろ!飲みに行くぞ」 
 上機嫌で叫んでいるラン。どうにも小学生にしか見えないランがそんなことを口にすると不謹慎に見えてきてシャムは笑っていた。
「シャムちゃん。笑える身分じゃ無いんじゃないの?」 
 バットを片付け終わってすっきりしたというような表情のアイシャがつぶやく。シャムはその言葉には少し腹が立ったがそれ以上に疑問が頭の中を駆け巡っていた。
「アイシャちゃん。どうだった?」 
「どうって?」 
 アイシャはヘルメットと帽子で跡が残っている紺色の髪を何度か手櫛で梳いた後に答える。
「誠ちゃんのことに決まってるじゃない!」 
 いらだって叫ぶシャムを子供をみるような視線で見つめるアイシャ。
「そうね……気楽に投げてるんじゃ無いのかな?そうだ、どうせ明石中佐も来るだろうからあまさき屋で聞けばいいじゃないの」 
 アイシャの言葉に合点がいったシャムはそのまま正門目指してグラウンドを走って飛び出した。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常34

「どう?」 
 シャムはベンチに座って黙り込む要に声をかけた。
「どうって……言われてもな」 
 難しい表情の要は腕組みしたまま微動だにしない。シャムは要から話しを聞くのを諦めるとヘルメットを被りバットを持ってバッターボックスに向かった。
 いつものようにスイング。きわめて短く持つバットはいつもどおり素直に軌道を描く。
「よし!」 
 自分に気合を入れるとそのままバッターボックスに入った。そしてマウンドの上の誠を見つめる。
 特に変わった様子は無かった。あえて言えば最近のおびえたような表情はそこには微塵も無い。
「本気で行くからね!」 
 シャムはそう言うとあることを考えていた。
『セフティーバントだな』 
 ヤコブは中間守備。アイシャはやはりシャムの考えを読んでいる様で少し前に守っている。とりあえずヤコブの前に転がせばあのゆったりとした動きの誠のベースカバーが間に合うわけが無い。ゆったりと誠がモーションを起こした。シャムはすっかり決める気でバントの体勢に入った。しかしそこでシャムの予想していないことが起きた。
 中間守備だったヤコブが一気に前に出てきた。アイシャも飛び出してくる。そしてサラがすばやくファーストに走っている。
『なに!このシフト!』 
 驚いたシャムの出したバットは空を切る。
「ストライーク」 
 明石の声が響く。シャムは驚いて岡部に目をやった。してやったりの表情の岡部。
「ナンバルゲニア。やで」 
 呆れたような明石の言葉。
 思えばカウラに投げていたときより誠の動作が俊敏になっているのがわかる。
『ははーん。さっきカウラちゃんを打ちとってすっかり気分が良くなったんだ』 
 シャムはうれしくもあるがチームでの打率一位のプライドが誠の球を打ち返して見せるという闘志を掻き立てた。
 マウンドの上。誠に先ほどまでのおどおどしたところは微塵も無い。
『さっきはカウラちゃんにはストレート系で一球も大きな変化球は使ってない。さっきもストレートかカットボール。そろそろ変化球を試してもおかしくないよね』 
 シャムはそう読んでストレート系は捨てて変化球、しかもカーブのタイミングでスイングすることを決めた。
 シャムはマウンドの上の誠を見上げた。
『笑ってるの?』 
 一瞬彼女はそう思った。よく見るとそうでもない。ただおびえた表情が無いだけでそう見えただけだった。ゆっくりとモーションを起こす誠。
 シャムは迷わない。左の腕が上がりばねのようにしなって右バッターボックスのシャムからは見難い位置から不意に現れるボール。
 いつもと変わらない。シャムはためてボールを引き付けることだけを考えている。
 球速は確かに変化球のそれ。タイミングよくシャムのバットが繰り出される。しかし、シャムの予想よりも落ちていくカーブの曲がりは急だった。
「ストライーク」 
 完全なボール球。シャムは空を切ったバットを見て呆然としていた。
「ずいぶん曲がるね」 
「いや、いつも通りですよ」 
 誠に球を投げ返す岡部の言葉。確かに球の軌道を思い描くといつもとさほど変わっていないような気がする。
「タコ君さあ……」 
「ワシはタコやない」 
 仏頂面で明石が答える。だがその口元は確かに笑っていた。
『追い込まれた……すぐ勝負?それは無いかな?でも今の誠ちゃんなら……』 
 今ひとつ考えがまとまらない。それを待つかのように誠はボールを見つめながらマウンドで立ち尽くしている。
『とにかくいつも通り……』 
 シャムは心に決めるとバットを構えた。誠は大きく息をすると岡部のサインに一発でうなづいて構える。
 またゆっくりとしたモーション。岡部の気配が離れていくのを感じてシャムは外角に山を張った。
 誠の左腕から放たれた球は大きく外角に外れて岡部の飛びついたミットに収まった。
「ボール」 
 それを見てシャムは大きく息をする。別に誠は変わったわけじゃない。昨日までの出ると滅多打ちの誠と同一人物なのは間違いない。
 マウンドの上の誠の表情が少し曇っている。
『これまでは制球がうまく行っていた。今のでかなり大きく乱れた。今度はいつもみたいに慎重に球を置いてくる。そこを打つ』 
 シャムは心に決めて岡部のサインに首を振る誠を見上げていた。
 サインが決まるとすぐに誠は顔を上げて長身を反り返らせる。シャムはそれを見ながらバットを思い切り握り締めた。
 静かに誠の投球動作が始まる。静かに、確実に動く姿は安定して見える。
 左腕がしなる、直球がしなやかな左腕から放たれた。
 シャムが気がつくと明らかに高めの球につられてバットが出ていた。
「ストライーク!バッターアウト!」 
 明石の声が無情に響いた。シャムはもう一度バットの軌道を確かめるようにスイングをするとそのまま要の待つベンチに走り出した。
「シャム、分かったか?」 
 要の言葉にシャムは首を振るしかなかった。別に打ち取られるのは珍しいことではない。シャムも都市対抗の初戦とかではどうして打てないのか分からない球に手を出して飛球を打ち上げることも珍しくない。
 だが、今の誠に喰らった三振は明らかにシャムの意に反したものだった。
「球速も変わらないし、別に変化球が良くなったわけでもないし……」 
「そりゃあ一時間や二時間話をした程度でそんなことが起きるならタコはプロのコーチに抜擢されてるよ」
 要もまた不思議そうに首をひねりながらサードから降りてくるアイシャを見つめていた。
「大体分かったわよ」 
 自信がみなぎるアイシャの言葉。シャムと要はアイシャの根拠の無い自信はいつものことなので相手しなかった。シャムはそのままグラブを手に取るとそのままセカンドに走る。
 慣れない内野守備が一球も球が飛んでこないで終わったカウラがホッとした表情でサードに走っている。
「アイシャは分かったって行ってたけど……」 
 ショートのポジションで先ほど要に見た不思議そうな表情のサラが首をひねっていた。シャムもまた理解できないものを見る視線でマウンドの上の誠に目をやった。
 ロージンバックを手に取りじっと下を向いている誠。確かに明石に何か心構えを教わったらしい。シャムの想像で分かることはそれだけだった。
 元々大学時代は下部リーグながら圧倒的な成績で東都理科大学を4年で3部押し上げた実力派左腕である。肩を壊して球威は落ち、変化球の効果もプロに行けるレベルから落ちたと言うことで東和軍に入ったとはいえ、そこらの草野球や予選進出が絶望的な実業団チームのバッターが相手にできるレベルではないのはわかっている。
 それでも秋の大会以降。そんな実力差のあるはずのバッターに痛打される姿ばかりを晒してきた誠。だがそんな秋のスランプ状態の誠はマウンドにはいなかった。
 何度か素振りをした後、アイシャがゆっくりと右バッターボックスに入る。秋の大会ではスカウトが目を付けたと言う噂がマスコミに流れ、その美貌もあって寮や部隊前に記者がわんさと押し寄せる騒ぎになったのは記憶に新しい。
『ここで……真価が問われるね』 
 シャムはわくわくしながら岡部のサインに首を振る誠を眺めていた。


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ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常33

「ラビン。やっぱり一塁は辛いか?」 
 明石の言葉にしばらく躊躇した後、ヤコブはおずおずとうなづいた。
「そやけどなあ、あと左利きはうちは神前しかおらへんのや。練習したら取れるようになる。ええか?自分を信じや」 
「はい」 
 ヤコブが少しばかり笑顔を浮かべたのを確認すると今度は要に向き直った。
「神前な。ここにおる全員に投げたい、言いおんねん。試してみてもええか?」 
「は?」 
 しばらく要は明石の言葉の意味が分からないと言うように立ち尽くした。自然とその目は誠に向く。誠は逃げるわけでもないがいつものように自信がなさそうにうなづく。
「いいんじゃねえの?まあそんな急に変わるもんじゃねえと思うけど……」 
 要の言葉。シャムの同意せざるを得なかった。フォームの調整をしたにしては時間が短すぎる。気持ちの切り替えと言うが、誠にそんなことができるわけが無い。
 シャムがアイシャを見上げてみると彼女も同じことを考えているようだった。
「どう言う形式でやりますか?」 
「そやな……とりあえずバッターは島田……島田は?」 
「作業中です」 
 言い切るカウラ。すぐに納得したと言うように明石はカウラを見下ろすとにんまりと笑った。
「じゃあ、ベルガーと……ナンバルゲニア。最後はクラウゼや。それでええな」 
 いかにも得意げに明石がつぶやく。それを確認すると要は大きくうなづいた。
「それじゃあそれぞれ守備位置に……それとアイツ等」 
 要は外野で延々と遠投を続けている菰田達を指差す。
「守らせればいいのね」 
 そう言うとサラは分かったと言うように外野に走る。
「じゃあ最初は普通の守備陣形で……ヤコブ。ちゃんと取ってね」 
 シャムの言葉にヤコブがおずおずとうなづく。そのままシャム達はそれぞれの守備位置についた。
 そこでシャムには意外な出来事が目の前に起きた。シャムはキャッチャーは明石がやると思っていた。だが座ったのは岡部。明石は当然のようにアンパイアの位置に立ってマウンドに上がる誠を見つめている。
『どうなるんだろ?』 
 バットを短く構えてスイングを繰り返しているカウラを見ながら次の状況がどうなるかはらはらしながら眺めていた。
 静かにカウラはバッターボックスに入った。右打席でじっとマウンド上でうつむいている誠をにらみつけていた。シャムは黙ってセカンドの守備位置から二人を見ていた。見た限りでは誠に変化は無い。
 ようやく落ち着いたように誠は長身を折り曲げるとキャッチャーの岡部の顔を覗き込むように見つめていた。何度か首を振り。そして構える。
『あれ?』 
 ここでシャムは少し感覚的にいつもの誠ではない誠をそこに見た。明らかに力が抜けている。ゆっくりとしたモーション。
 いつもよりそれは大きく見えた。
 しなる様な左腕がボールを話した瞬間。カウラの表情は意外なものを見たというように変わった。
「ストライーク!」 
 明石が叫ぶ。シャムから見るとそれはどう見ても打ちごろの高めの直球。だがカウラは手を出せずにいた。岡部から白球を受け取った誠は今度は確実に落ち着いていた。
 シャムにはまだなんで誠の球にカウラが手を出せずにいたか分からなかった。しかし今の誠の少し安心した様子を見ると次もカウラはヒット性の打球は打てないだろうと確信した。
 再び誠が構える。明らかにゆったりと構えていて盗塁が得意なシャムがランナーなら絶対に走りたくなる姿だった。
 投球に移る動きも明らかに以前よりゆっくりとしている。そして誠の左腕が引き絞られた弓のように方の後ろに回ったときから急激な動きの変化を見せる。
 しなった左腕、それに合わせるようにカウラがスイングする。
「ファールボール!」 
 明石の叫び声が響いた。振り遅れたバットに当たった打球がそのままグラウンドから部隊のゲートに向けて転がっていく。
 不思議なことがある。そんな感じでカウラが首をひねっている。シャムにも比較的緩急のあるピッチャーを得意とするカウラが明らかに振り遅れていることに疑問を感じていた。
 だが誠は淡々とボールを手にするとすぐに岡部にサインを要求する。今度は一発でうなづく。
『スライダーかな?』 
 シャムはそう思いながら振りかぶる誠を見つめていた。シャムの勘は外れた。
「ストライーク!バッターアウト!」 
 明石のジャッジ。インコースをえぐるような速球にカウラが手を出せずに立ち尽くしていた。誠は別に誇ることも無く帽子を脱いでカウラに頭を下げる。カウラはそんな誠の方を一瞥すると参ったというように要が立っているハンガー前のベンチへと向かう。
「ナンバルゲニア!」 
 アンパイアーの明石が叫んだ。ベンチの近くでヘルメットを置いたカウラがグラブを持ってセカンドの守備位置に走ってきていた。
 シャムはそれを見るといつもと変わらない誠を不思議そうに眺めながら要のところにあるヘルメットを取りに走った。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常32

「早くしろよ!馬鹿野郎!」 
 マウンド付近で叫んでいるのは要だった。監督だということで試合用のユニフォームを着込んでいる。
「行きますか……」 
 シャムはそう言うと走り出した。カウラ達も後に続く。すでに他の部員達はキャッチボールを始めていた。技術部の面々は今日はエンジン交換作業でこのまま徹夜に突入するのだろう。さすがに俊足の外野手である島田の姿はそこには無い。
「あ、ベルガー大尉」 
 ファースト付近に達したシャム達を笑顔で迎える菰田。一応彼も野球部の部員でレギュラー。ライトの守備を任されている。
「おい!菰田!鼻の下伸ばしている暇があったらソンと一緒に遠投でもやってろ!」 
 要の檄が飛ぶ。シャムは再びマウンドの用具入れに向かった。
「ミットはタコがメンテしてくれたからな。感謝しとけよ。とりあえずカウラは久々にタコに受けてもらえ。シャムとサラはキャッチボールでアップ」 
 用具入れの上に並んでいたグラブをそれぞれに手にする。シャムも自分の大き目のグラブに滑らかに光る表面を見ると笑顔でホームベース付近で話し合っている明石と岡部に頭を下げた。
「サラ、始めるよ」 
 シャムはそう言うと自分のポジションのセカンドの守備位置に走った。サラも定位置のショートに走る。
「やっぱり見難いよね」 
 サラがそう言いながらポールを投げてくる。動きながらそのボールを掴むとランニングスローの要領でシャムは投げ返す。
「仕方ないよ。豊川市役所なんて専用グラウンドを持っていないんだよ。それに比べたらずっと恵まれてるよ」 
 ボールを受け取るサラ。彼女もシャムを真似て少しサイド気味に送球のつもりでボールを投げる。
「お前等!遊んでるんじゃねえぞ!やるなら神前も入れてやれ!」 
 要の声にシャム達はファーストに目をやる。そこには右手にファーストミットを構える誠の姿があった。
「誠ちゃん!投球練習はいいの?」 
 シャムに言われて誠は少しばかり落ち込んだようにマウンドの上の要を見ていた。
「出ると負けのピッチャーはいいんだよ!」 
 苛立たしげにマウンドの横の用具入れを押しながら要が叫ぶ。そんな要の横にはいつの間にか明石の巨体が並んでいた。
「な……なんだよ」 
「ええから、な?神前!久しぶりに受けさしてくれや」 
 ミットを叩きながら叫ぶ明石。神前はしばらく立ち尽くした後、諦めたようにため息をつく要を見るとそのままマウンドに上がった。
 シャムとサラはその誠の後姿を眺めていた。
 明らかに自信はそこには無かった。186cmの長身がどこと無く小さく見える。マスクを付けてすでに構えを始めている明石。だが明らかに誠は投げたくないというようにしばらく手にしたボールを弄っていた。
「はよ投げんかいな」 
 そんな明石の声でようやく誠はセットに入る。
「構えが小さく見えるね」 
 シャムはサラに思わずそう言っていた。サラもうなづく。都市対抗の予選の第一戦の時に見たどこと無くおびえた誠の姿がそこにあった。
 振りかぶる。その動きはかつての誠と違いは無いように見える。だがシャムにはこのピッチャーなら打てるというような直感が働くモーションだった。
 左腕がしなりボールが放たれ、ストレートが明石のミットにズバリと収まる。
「ああ、とりあえずキャッチボールからしようや」 
 ボールを投げ返しながらの明石の言葉。誠はまるで責苦から開放されたとでも言うようにそのままマスクを投げ捨てた明石に続いてマウンドを降りていった。
「やっぱり重症かな」 
 シャムはそう言うとサラにボールをトスした。突然のことだがさすがに人造人間で反射神経に優れているサラは何とかそのボールを受け取った。
「どうしてああなっちゃったのかなあ……」 
 サラが下がりながらボールをシャムに投げる。シャムはただ首を振るだけ。
 シャムも誠の不調は受けるのが岡部に変わったからだと思っていた。しかし肩が温まってはいないとはいえ、マウンドに上がる時点で誠の投球には期待ができないのが見て取れたところからそれが原因でないことは明らかにわかった。
「たぶん本人も分かってないんじゃないかな、原因は。今までは岡部さんのリードと相性が悪いからだと思っていただろうけど……あれほどびくびくして投げてるなんて……」 
 サラはシャムからのボールを受け取りながらつぶやく。
 すでに日は西に沈んでいた。照明の明かりだけがグラウンドに光をともしている。
「おーい、内野の面子は集まれ!」 
 ホームベースにはいつの間にかバットを持った要が立っていた。彼女の隣には箱が置かれている。
「ノックだね」 
 シャムはそう言うとそのまま要のところに走り出した。
 まずサラとシャムが集まる。そして嵯峨の代わりにファーストの守備を担当する警備部の工兵のヤコブ・ラビン伍長がたどり着いた。
「他の面子は?」 
 いらだっている要の声に三人は顔を見合わせる。
「ごめーん!」 
 タイミングを計ったようにグラウンドにかけてくるのは三塁手であるアイシャだった。
 しばらく要はじっとアイシャを生暖かい目で眺めている。グラウンドの照明の中に後ろにまとめた長い紺色の髪の毛をなびかせながらアイシャは悪びれる様子も無く当然のように要の前に立った。
「仕事か。忙しいんだな」 
「違うわよ。ちょっと欲しい漫画がオークションに出てたから……当然落としたけど」 
 得意げなアイシャに大きなため息をつくと要はそのままバットを握り締めた。
「補欠の連中が来ないのはわかる。警備部のパスコーニもケッペルもマリアの姐御に鍛えられてる。飯田、陽、周。島田の部下は今はハンガーで耐熱服で作業中だ……」 
「そうよね、大変よね」 
 他人事のようにつぶやくアイシャ。彼女は被っていた帽子を取るとくるくると手の中でまわして見せる。明らかに要を挑発するような行動。シャムは不穏な空気の中、息を呑みながら要に目をやった。
「じゃあ、オメエも大変な目にあえ」 
「え?」 
 そう言うと要は隣の箱からボールを取り出した。
「さっさと自分のポジションに走れよ!」 
 怒鳴る要。アイシャも練習に来た以上、要に逆らうわけにも行かない。そのままサードのポジションに走り出す。
「サラとシャムもだぞ」 
 ギロリと要が二人をにらみ付ける。二人も守備位置に走る。
「ラビン!貴様も!」 
 呆然と立っていたヤコブも怒鳴りつけられてファーストへと走った。
「それじゃあ行くからな!」 
 まだヤコブがファーストにたどり着いていないというのに要は手にしたボールを鋭いスイングでサードベース上にはじき返した。
 明らかに本気の要の打球。アイシャはダイビングキャッチを試みるもその打球は彼女のグラブの先を越えて転々と外野に転がる。
「アイシャ!人手不足だ!自分で拾いに行け!次、サラ」 
 要の怒鳴り声に埃まみれのユニフォームをはたいていたアイシャが嫌な顔を浮かべてそのままレフト方面に向けて走り出す。
 サラへの打球は鋭いが明らかにアイシャへの打球に比べれば常識的なバウンドをしていた。軽いステップでボールをミットに収めるとワンステップでヤコブに送球する。万年補欠と言う条件でファーストの守備をすることになったヤコブ。おっかなびっくりサラの体型に似合わぬ鋭い送球を捕球した。
「シャム!」 
 すぐに次の打球がシャムに向かう。叩きつける高いバウンド。シャムはそのままダッシュで前進するとバウンドにあわせてグラブにボールを収め、止まることなくファーストに投げる。
 あまりのシャムのすばやい動きについていけずヤコブは送球を捕り損ねる。
「ラビン!ちゃんと捕ってやれよ!」 
「すみません!」 
 大声で叱り付ける要の迫力に押されて落としたボールを要に投げ返しながらラビンは帽子を取って頭を下げた。
「まあいいや……」 
 要は黙ってサードの位置に戻ってきたアイシャをにらみつける。アイシャはふてくされたように取ってきたボールを要に投げ返した。
「よろしく頼むわね」 
 不適な笑みを返すアイシャ。要は大きくため息をついて自分を落ち着かせると今度は大きなバウンドの打球をアイシャの前に転がした。
 長身を弾ませてバウンドにあわせて捕球するとすぐさま鋭い送球をヤコブに送る。当然のようにヤコブはそれをこぼす。
『ラビン伍長!』 
 要とアイシャの言葉がシンクロして闇に浮かぶグラウンドに響いた。ミットで叩き落して地面に転がるボールを苦笑いを浮かべながら拾い上げるラビン。それの反省が無い顔に頭に来たのかアイシャがづかづかと一塁ベールに詰め寄っていく。
「止めなさいよ」 
 思わず飛び出したサラがアイシャを抑えた。シャムがホーム上を見ればこちらも切れそうな表情の要が仁王立ちで一塁ベースのヤコブをにらみつけている。
「なんやねん。ええ加減にせんといかんで」 
 そこにタイミングよく明石が誠と岡部、カウラをつれて現れた。
「ええ加減も何も……いくら内野がとってもファーストがあれじゃあ……」 
 要は明石にヤコブを指差して愚痴る。そんな様子に相変わらずの笑みで明石は要の肩を叩いた。
「いいか、西園寺。ワシ等は楽しみで野球をしとるわけや。隣の菱川重工のようにプロを目指しとるわけやない。エラーは関心せえへんが素人のやることや。いちいち目くじらたてとったら体に悪いで」 
 そこまで言うと明石はグラウンドを見回した。外野の菰田達はだるそうに遠投を続けている。他の部員達もそれぞれにやる気がなさそうにキャッチボールなどを続けていた。
「あかんなあ……集まれや!」 
 明石の一言。それまでやる気がまるで見られなかった菰田達が明石の声を聞くやいなや一斉に走り出した。シャムもまたそんな雰囲気に呑まれて一緒にホームにたどり着く。
「おい、タコ。なんなら監督やるか?」 
 要は自嘲気味の笑みを浮かべながら明石を見上げた。明石はヘルメットを取ってはげ頭をさすりながら拗ねた調子の要を見下ろす。
「ワシは所詮は部外者や。何も助言できることなんてあらへん」 
 そう言い切るとまわりに集まってきた部員達を見回す明石。その顔は自信に満ちていて見るものを安心させる何かがある。シャムはそう思いながら彼を見上げていた。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常31

 隊長室にいたのはほんの数分だというのに夕闇はさらに暗くなって廊下の暗さがさらに強調されている。
「あ!ナンバルゲニア中尉!」
 偶然と言うものはある。廊下にはアンとすでに制服に着替えたくたびれた様子のフェデロが部屋に入ろうとするところだった。
「なんだ、終わったの?」 
「ええ、でもマルケス中尉が……」 
「あんだけ汗を掻かされたんだ。シャワーぐらい浴びさせてもらっても罰はあたらねえだろ?」 
 そう言うと不機嫌そうに詰め所に消える。シャムはあいまいな笑みを浮かべながら困った様子のアンを見つめていた。
「まあ大丈夫だよ。フェデロのわがままだから。気にしなくても」 
 そう言いながらシャムはアンを連れて詰め所に入った。
 周りの射るような視線を浴びながらも鼻歌交じりにそのまま自分の席に戻るフェデロの姿が見える。シャムは呆れたというように自分の席に戻る。すでに吉田は作業を終えたのかシャムの端末から離れて自分の席で再び机の上に足を上げてふんぞり返っている。
「とりあえず組んでは見たけど……検証は明日にしてくれよ。今はそのプログラムが『05式』のフォーマットで走るかどうか検証をかけてる最中だからな」 
「そうなんだ」 
 シャムはそれだけ言うと端末の終了作業に入った。
 すでに定時まで5分を切っていた。今日は明石が野球部の練習に来ている。特に込み入った事件も無い以上、ランも定時に上がると誰もが思っていた。
「やべーな。こりゃ」 
 そう言うときにはアクシデントは起こるものだった。ランのつぶやきに全員が彼女に注目する。
「どうしました、中佐」 
 カウラの俊敏な反応。最近の練習試合で打ち込まれている誠に変わって次回の春の大会では再びエースナンバーを背負うのではないかという彼女。練習に入りたい気持ちがいつもは仕事熱心な彼女にそういわせたのだと思うと少しシャムの顔に笑みが浮かんでいた。
「いや、アタシ個人の問題だから……おい、定時だぞ」 
 シャムはランの言葉にランの後ろにぶら下がっている時計を見た。確かにそれは定時を指していた。
「それじゃああがるか」 
 伸びをしながらロナルドが立ち上がる。それを見てロナルドの正面に座っていた岡部がすばやく書類を片して大きく伸びをした。
「じゃあ着替えますか」 
 岡部のその一言で誠とカウラが立ち上がる。シャムもまたそれに続く。
「じゃあ練習してきますから」 
「がんばれよ!」 
 岡部の言葉にランが答える。シャムは張り切っている岡部に続いて再び詰め所を後にした。
 先頭の岡部はそのまま廊下を無言で歩き続けた。明石の司法局本部への転勤以降は彼がチームの正捕手として君臨していた。
「それじゃあ俺達は着替えてそのまま行くから」 
 そう言い残した岡部は誠を連れて更衣室に消えた。
 すでにこの段階で階下の運行部の前での雑談がシャムの耳に飛び込んできていた。
「早いね、一日は」
「そうかもな」 
 シャムの言葉を聞きながらカウラが微笑む。医務室の前で伸びをするドムの前を軽い敬礼だけで通過してそのまま早足で階段を降りる。
「あ、お二人ともお疲れ様」 
 その声の主はアイシャ。すっかり仕事が終わってリラックスしている彼女にカウラが厳しい視線を向けた。
「鈴木中佐のいなくなってからの責任者は貴様なんだぞ」 
「なによ、突然。いいでしょ!定時は過ぎたんだから」 
 不服そうなアイシャのそでをアイシャと腐れ縁の正操舵主のパーラ・ラビロフ中尉と正管制官のサラ・グリファン少尉が引っ張る。
「大丈夫よ。じゃあ行きましょ」 
 その言葉でアイシャも更衣室に向けて歩き出した。他の運行部の女性隊員はすべて帰り。シャム達はこれから一時間半の練習が待っている。
「でも早く日が長くならないのかな」 
 愚痴るようなカウラの顔に更衣室のドアに手を伸ばしたアイシャがにんまりと笑いながら振り向いた。
「なに?練習したい?」 
「それはそうだろ?なんでもうまくなる方がいいものだ」 
 カウラはそう言うとアイシャが開いた扉の中に入っていく。シャムもまたその後に続いた。
 定時を回ったということで女子隊員が何人も着替えをしている。月末も近いだけあってその面子は全員が運行部。女子隊員の比率が次に高い管理部の部員の姿はそこにはなかった。
 シャムは自分のロッカーにたどり着くとジャージを脱ぎ始めた。
「お疲れ様ですね……練習がんばってくださいね」 
 声をかけてきたのは運行部の運用艦『高雄』の副操舵主のエダ・ラクール少尉だった。カウラの髪に似たエメラルドグリーンの髪を短く刈り込んだ姿は少しばかりりりしく見えて話しかけられたシャムは思わずどきりとした。
「うん。がんばるよ。最近は練習試合も今ひとつだからね」 
「神前が打たれすぎだ。最近たるんでるんじゃないか?」 
 シャムの言葉にすでに練習用ユニフォームのズボンに足を突っ込んでいるカウラが苦笑いを浮かべながらそうつぶやいた。
「でも誠ちゃんどうしたのかね。このごろ打たれすぎだもん……やっぱり明石中佐のリードが無くなったからかなあ」 
 シャムもユニフォームのズボンに足を入れながらつぶやいた。秋の都市対抗野球の予選では優勝候補の菱川重工豊川と当たるまではほとんど一人でマウンドを守り通した誠だが、それからの練習試合はどれもいいところ無く2回や3回で集中打や長打を浴びってリリーフの右アンダースローのカウラにマウンドを譲っていた。
 それまでとそれからの違い。リードが岡部に変わったことがあるのは二人とも知っている。
「岡部のリードは強気すぎるんだ。神前は心臓が小さいからな。合うわけが無い」 
 シャツに袖を通しベルトのバックルを締めながらのカウラの言葉。確かに彼女は岡部のリードではそれなりの成績を上げている。球威が無いので一発を浴びることがあるものの、四球が少ないので大量失点が無い。その為前の豊川市役所との練習試合では誠はファーストの守備につき、彼女が9回を完投する結果となった。
「でもこれからは岡部っちに頼るしかないじゃん。ヨハンは……使えないよ」 
「それは分かってる」 
 うつむき加減にカウラは頭の後ろにまとめたエメラルドグリーンの髪をまとめる。シャムが周りを見渡すと、すでに着替えを終えた隊員達が二人の会話を熱心に聞き入っている。
「そんなこと後で話しましょうよ!先行ってるわよ」 
 パーラはそう言うと二人を置いて手にスパイクを持って出て行く。赤い髪のサラも着替えを終えてしばらく苦笑いを浮かべていたがそのままロッカーからスパイクを取り出した。
「急がないと要ちゃんがうるさいわよ」 
「ああ、分かっている」 
 サラの言葉で着替えを終えたカウラはロッカーの置くからスパイクを取り出した。シャムはまだシャツを着ている途中だったので急いで袖に腕を通す。
「まあ言葉で言っても始まらないさ」 
 そう言いながら出て行こうとするカウラをスパイクを引っつかんでシャムは追いかけた。
 すでに正門は夕焼けに染まっている。
「夏ならまだかなり練習できるのにね」 
 そう言うシャムにカウラはうなづく。サラの赤い髪が夕焼けでさらに赤く見えた。
「それより何より打線よ。隊長は無期出場停止。タコ隊長は転属。4番、5番が抜けたんだもの」 
 サラの言葉でシャム達はさらに落ち込む。嵯峨は左投げ左打ちで右の速球派のピッチャーをカモにするのが特技だった。胡州六大学では『帝大最強の四番打者』と呼ばれた明石もまた貴重な得点源だった。
 その二人がすっぽりと抜けてからの得点力は一試合当たり2,3点というところだった。プロを目指す選手がごろごろしている菱川重工クラスになれば点が取れるかどうかすらわからない。
「まあしゃべっていてもしょうがないな……」 
 カウラはそう言いながらグラウンドに足を踏み入れる。技術部が集めたあまった資材と明石が調達してきた光源で作った粗末な照明灯が夕闇に沈もうとするグラウンドを照らしていた。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常30

 廊下に人影は無かった。いつもなら隣の管理部の女子隊員がおしゃべりでもしている定時まで一時間を切った夕方。すでに廊下に挿す日差しは無く、いつものように節電のため明かりの無い廊下をシャムは隊長室まで歩いた。
 ノックをする。
『おう、開いてるぞ』 
 嵯峨の声を聞くとシャムはそのまま扉を開いた。
 埃が一斉に舞い、思わずシャムは咳をしていた。
「ご苦労さん」 
 隊長の執務机。シャムが何度見てもそれは一個中隊規模の部隊の指揮官の机には見えなかった。
 中央に二つ置かれた『未決』と『決済済み』と言う書類だけがこの机の主がそれなりの重責を担っていることの証明である。それ以外はとても『隊長』と呼ばれる人物の机では無い。
 手元は一見片付いているように見えるが、その下敷きはどう見ても鉄板。その上には何度と無く工具を使うことでできた傷が見て取ることができる。そして右端には積み上げられた半紙とその上の不安定にしか見えない硯は嵯峨の『書家』としての一面を見るものに知らしめた。
 反対側。こちらには透明の棚がおいてある。それぞれに札がついているが、中に入っているのは銃の部品ばかり。そして固定するための万力が据え付けられていた。
 結論として事務仕事をする人間の机ではないのだが、『決済済み』の書類の箱が山になっているところがその才に長けた嵯峨らしいところだった。
「あの?隊長?」 
 机ばかり見ていたシャム。それもそのはずそこには嵯峨の姿が見えなかった。椅子は横を向いている。シャムは不思議に感じてそのまま近づいていった。
「いやあ、スパイク。久しぶりに履いたらなかなか脱げなくてねえ」 
 突然何も無かった椅子のところから嵯峨の体が飛び出したので驚いてシャムは飛びのいた。髪の毛はぼさぼさ。無精髭を生やしてめんどくさそうに背中を掻いている若い男。とてもかつて『人斬り新三』と呼ばれた切れ者の風采はそこに見えない。
「紐を強く結びすぎたんじゃないですか?」 
「ああ、そうかもなあ」 
 とぼけたようにつぶやくとそのまま不安定な状態の硯を手に取ると墨をすり始める嵯峨。若く見えるのはその法術による体再生機能が制御できずに老化が止まっているためだとヨハンから聞いたことがある。嵯峨もそのことは気にしていて、本人が言うには少しでも年上に見られるようにわざと無精髭を生やしていると言うことらしい。
「まあ呼んだのはアンのことだ」 
 相変わらず嵯峨は墨をすり続けている。シャムは仕方なくそれを見ながら嵯峨の次の言葉を待った。
「どうだ?」 
「どうだと言われても……」 
 シャムは突然顔を上げて自分を見つめてきた嵯峨の視線に照れながら頭を掻いた。
「とりあえずまじめだし……一生懸命だし……」 
「いいことだねえ。基本だよ、それは」 
 そう言うと嵯峨は部隊の野球部の練習用ユニフォームの上に東和陸軍の制服に手を加えた保安隊の上着を肩に羽織った。
「で、筋はどうだ?」 
 嵯峨の言葉にシャムは少し躊躇した。その態度を見て嵯峨は納得したようにうなづく。
「まあな。天才は天才を知るか……神前と比べるとどう見ても落ちるって話なんだろ?確かに神前は臆病と言う致命傷があるし、射撃については絶望的な感覚の持ち主だが……本来のアサルト・モジュールは撃ち合いをする道具じゃない。ダンビラ振り回して斬り結ぶのがかつてこの銀河を支配したと言う古代文明とやらが作ったアサルト・モジュールの目的だ。その目的に関しちゃ神前の才能は万に一つの逸材だからな」 
 そう言うと嵯峨は袖机の引き出しに手を伸ばした。そこから取り出したのは一枚の絵だった。
「まあそんな本来のアサルト・モジュールの使い方は良いとして。うちが要請される使い方をマスターするのは多分アンの方が早いだろうからな。アイツにもパーソナルマークをやろうと思って」 
 嵯峨はその絵をシャムの前に差し出した。寝転がった金色の仏像。その上にはシャムの見たことが無い文字が躍っている。
「なんですか?これ」 
 シャムの言葉に嵯峨はしばらく泣きそうな視線でシャムを見上げてくる。
「そんな目で見ないでくださいよ。仏像ですよね。なんで寝てるんですか?」 
「涅槃仏。遼南南都州の南側のネプラット寺院の大涅槃像をモデルにしたんだけどね。あそこは・・・なんどか南都軍閥の連中と折衝でやりあった場所だから記憶に残っててね。確かアンの実家もその近くのはずだぞ」 
「そうなんですか……」 
 シャムは記憶をさかのぼってみる。高校時代。確かに南都近郊にはインドシナからの移民が多く居住しておりシャムが見たことが無いような様式の寺院がたくさんあると授業で習ったことを少しだけ思い出した。見たことの無い寺院ならその『涅槃仏』とか言う仏像があっても不思議ではない。
「でもパーソナルマークは早いと思いますよ。まだ実戦経験も無いんですから」 
「そりゃそうなんだけどさ。この商売ははったり九割だ。素人だと思ったら敵も舐めてかかってくる……そういう時新兵に死なれる辛さは経験あるだろ?」 
 説得力のある嵯峨の言葉。シャムは仕方なくうなづくしかなかった。
「よし、これで明日明華にお伺いを立てれば万事終了っと。ようやくのどのつかえが取れたよ」 
「隊長、もしかしてそのことだけで一日潰したんじゃないですよね……」 
 シャムの言葉に嵯峨はとぼけるような顔をしたまま椅子を回して隊長室から見える夕日に目を向けた。
「それじゃあ戻ります」 
「ああ、ご苦労さん」 
 少しばかり落ち込んだような嵯峨の言葉を聞きながらシャムは隊長室を後にした。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常29

「おう、やっとるな」 
 部屋に入ってきたランはご機嫌だった。続くロナルドや岡部も先ほどのエンジン交換の場面に立ち会えたことに満足してるようで穏やかな表情でそれぞれの席に戻った。
「シャム。アンの訓練メニューはどうだ?」 
「今作っているところ。……そう言えばアン君は?」 
 遅れて入ってきた誠とカウラは途中からの会話に理解できないようでしばらく首をひねったあとそのまま自分の席についた。
「ああ、フェデロの並走を頼んだよ。やっぱりちゃんと走らさないと示しがつかねーからな」 
 ランはこともなげにそう言うとそのまま自分の端末を起動した。
「俊平、どう?」 
 シャムはよく分からないプログラム画面を操作している吉田を見上げた。吉田はまるで聞いていないと言うようにキーボードを叩き続ける。
「かなり難易度は高くしたつもりだよ。武装勢力には3名のゲルパルト旧軍の軍事顧問を参加させた。通信用ヘッドギアの普及率は50パーセント。各ブロックには稼働率96パーセントの対人センサーを配置」 
「かなりシビアになるね」 
「シビアにしろと言ったのはシャムだろ?まあクリアーできたときより失敗したときのほうが学ぶことは多いものだからな。それに……」 
「それに?」 
 何かを言いよどむ吉田をシャムは不思議なものを見るような目で見上げた。
「どれだけ楓のことをアンが信じているか分かるのは面白いだろ?」 
 吉田の口に悪い笑みが浮かぶ。
「そうよね。普段の楓ちゃんからはその実力は分からないものね」 
「え?嵯峨少佐ってそんな実力者だったんですか?」 
 聞き耳を立てていた誠が端末の脇から顔をのぞかせてシャムを見つめてくる。好奇心満々の瞳。シャムはそれを見て満足げにうなづく。
「要ちゃんが大尉でカウラちゃんも大尉。でも楓ちゃんは少佐。階級が違うのには意味があるのよ」 
「その割りにお前さんは中尉だな」 
 思わず吉田が突っ込みを入れた。シャムはむっとして吉田を見上げるが相変わらず彼の目は画面に固定されて動くことがない。
「まあすごく全体を見て行動できるパイロットよ。無理もしないし」 
「今度の実機を使った演習ではお相手したいものだな」 
 カウラがそう言いながら端末にデータを入力している。誠はそれを見て上の空でうなづくと再び自分の作業を再開した。
 キーボードを叩く音が部屋に響き渡る。沈黙。あまりこう言う状況が好きではないシャムだが自分からこの沈黙を破るほどの勇気もない。
 事実見上げる吉田の顔は真剣だった。機械はまるで駄目なシャムはこう言うことはすべて吉田に任せている。そして吉田は常にシャムの期待に答えてきた。
『今回もいいのができるかな』
 微笑んだシャムだがその瞬間に部屋の沈黙が破られた。
「ったく……あの糞中年が!」 
 忌々しげに悪態をつきながらの要の登場。部屋の中の全員の視線が彼女に集中する。
「な……なんだよ」
 少しひるんだ要だが、その視線の中にシャムを見つけるとそのまま彼女のところに向かってきた。
「おい、シャム。叔父貴がお呼びだとよ」 
「隊長が?」 
 シャムは怪訝そうな顔で不機嫌の極地という要を見つめた。
「おう、あのおっさんすっかり練習に出る気でいたみたいでさ。ユニフォーム着て屈伸してやがった。もう来なくて良いよって言ったら泣きそうな顔しやがって……まるでアタシが決めたみたいじゃねえか」 
「あれか?隊長の法術封印効かなくて試合に出れないことをまだ根に持ってんのか?でもよー、良いじゃねーか。練習くらい出してやれよ」 
 シャムに言いたいことを言って気が済んだように自分の席に戻る要にランがなだめるような声をかける。
「あのおっさんはサボりたいだけなんだよ。もし叔父貴が練習しているところを司法局の本局の連中に見つかってみろ。今度こそ廃部だぞ」
 確かに要の言う通りなのでランは仕方なくうなづくとそのまま自分の仕事を再開した。
 シャムや誠などの野球部の面々は試合中は試合の公正を計るため、鉢巻のような法術封印をつけてゲームに参加することになる。その繊維の中に埋め込まれた転移式ベーター派遮断装置のおかげでそれをつけている間は法術の使用はほとんどできない状態になる。
 普通の法術師の場合はそれでよかったが嵯峨にはそれの効果が薄かった。法力のキャパシティもそうだが、彼は先の大戦で戦争犯罪人として死刑判決を受けたあと、実験体として法術の解明のためにアメリカ陸軍のネバダの砂漠で各種の実験に供された経歴があった。
 その際に無理やりそれまで施されていた封印を解かれた副作用で法術のコントロールが不完全だと言うのがシャムがヨハンから受けた嵯峨の法術封印ができない理由だった。
「まあ……いいか。アタシ、行って来るね」 
「行って来い」 
 ランの力ない声に押されて立ち上がったシャムはそのまま詰め所から廊下へと出た。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常28

 相変わらずの修羅場が目の前に展開されていた。出たときは無かった巨大なコンテナがシャム達の行く手をさえぎっている。
「あれなに?」 
「エンジンですよ、対消滅エンジン。多分『カネミツ』か『クロームナイト』……」 
「え?『クロームナイト』?」 
 アンの言葉にシャムは身を乗り出した。コンテナの周りには耐熱装備の整備班員が見える。事実すでにハンガーの外の冷風が中から噴出す熱風で汗が自然に流れるほどになっていた。
「ああ、ナンバルゲニア中尉!」 
 声をかけてきたのはつなぎ姿の西だった。彼はエンジンの担当とは別のようで見物人のような顔でシャム達に振り返ってくる。
「どうしたの?西きゅん」 
「西きゅんは止めてくださいよ。ここは危ないですよ、正門から回ってください」 
「でもあそこ」 
 シャムが指差す先には耐熱装備の技術者と語り合っているラン達の姿が見えた。
「ああ、あれは……説明を受けてるんだと思いますよ。オリジナル・アサルト・モジュール用のエンジンの積み替えなんてめったに見れませんから」 
「それじゃあやっぱり『クロームナイト』のも?」 
 心配そうなシャムにアンは笑顔で首を振った。
「違いますよ。『ホーン・オブ・ルージュ』です。あれは以前からエンジンの出力が安定しなくて……それでさっきから『05式』とかのエンジンのデータと一部反応済み反物質を抜き出して対消滅エンジンの安定領域まで持ち込んでから今の抜き出し作業をやっているわけです」 
「そうなんだ……」 
「分かっているのか?」 
 カウラの声が後ろに響いた。
「ええと……分かんない」 
「だろうな」 
 そう言うカウラの目は目の前の交換作業に集中している。隣では誠も黙ってエンジンの入ったコンテナを見つめていた。
 コンテナに天井からホースのようなものが下ろされる。耐熱服を着た整備班員がそのホースの先を受け取るとそのままコンテナにそれを接続する作業に入っていた。
「ねえ、誠ちゃん。誠ちゃんは本当は技術畑でしょ?」 
 シャムの言葉にしばらく気づかなかった誠だが、彼女の足踏みを聞くとようやく理解したと言うようにうなづいた。
「あれですか?今はエンジンの中は反応は沈静化しているはずですがまだまだ高熱を持っていますから。それを覚ますためにとりあえずナトリュウムを注入するんです」 
「なとりうむ?お塩?」 
 シャムの頓珍漢な答えにしばらく誠は頭を抱えながらシャムでもどうすれば分かるように説明できるか考え始めた。
 誠はしばらく考えた後ゆっくりと説明を開始した。
「ええと、それじゃあ行きますよ。まず対消滅エンジンの動力源は?」 
「馬鹿にしないでよ。反物質。たしか……ヘリウムとかから作るんだけど……ヘリウムガスと関係あるの?」 
 いつものように脱線するシャム。誠は無視して話を続ける。
「そうなんですが、とりあえず人工的に反物質としたヘリウムをさっきシャムさんが言ったヘリウムとぶつけて対消滅反応を起こしてエネルギーを発生させてそれを利用して多量の電気エネルギーや波動エネルギーを利用してパルスエンジンでの飛行や関節の運動に使っているわけですが……かなり巨大なエネルギーが得られるのは分かりますよね?」 
 わかって当然と言う顔の誠なのでしかたなくシャムはうなづいた。
「比較的現在の反重力エンジンは効率がいいエンジンなんですがそれでも多量の熱が発生します。まあオリジナルタイプに関しては、これを法術で位相空間に転移させてさらに対消滅反応を加速させるなんていう荒業をやってのけるわけですが、それはそれ。ものすごい高温を何とかしないとエンジンが破損してしまうんです。その為に冷却材として使用されるのがナトリウムです」
「お塩を使うんだ」 
「それは塩化ナトリウムです」 
 呆れてアンが口を挟む。シャムはそれを聞いてもまだ分からないような顔をしているので誠は別の切り口から説明をすることにした。
「ともかく熱いままだと触れないでしょ?お鍋とかも」 
「そう言うときは台布巾で……」 
「台布巾は関係ないです!ともかく冷やさないとエンジンのメンテナンスが出来ないから今冷やしている作業中なんですよ」 
 誠はさすがにさじを投げたと言うように叫んだ。今だに分かっていないシャムを見てカウラは誠の説明能力が足りないと嘆くようにため息をついた。
「で……冷やすのになんでそのなとりうむなの?」 
「温度が高すぎるんですよ。水なんかだと高温すぎて安定しませんから」 
 アンの言葉を聞いてもまだシャムには理解できなかった。
「じゃあなとりうむを一杯入れたら冷えるんだね」 
「別に量は関係ないですけどとりあえず冷やす工程をしばらく続けてから運び出し作業に入るみたいですよ」 
 そう言うとアンはハンガーの出口に向かう。
「見て行かないの?」 
「昼過ぎの訓練のレポートを進めたいんで」 
 そう言ってふざけたように敬礼するとそのままアンは走ってハンガーを出て行った。
「アタシ達も行こうよ」 
「私はしばらく見ていくつもりだ。先に行ってくれ」 
 カウラの言葉。誠もじっとその横に立ち尽くしている。シャムは仕方なくそのままハンガーを後にした。
 外に出ると急に気温が降下したように体が冷えるのが感じられる。ランニングが終わってしばらくは暖かかった体のままハンガーの中のエンジンの出す猛烈な熱を浴びていた。その為筋肉が冷えてきても温かさを感じていたせいで北風の吹きすさぶグラウンドの空気はことさら体に堪えた。
「そうだ、グリンに会いに行こう」 
 シャムはそう言うと小走りで隊の建物に沿って走った。
 日陰は寒いのでそのまま大回りで正面玄関に向かうアスファルトの道を走る。まもなく夕方という時間。一番舞台の暇人達が珍しく仕事をする時間だった。
 隊の車両置き場も人影は無く、洗車の後と思われる水溜りがその前に見えるだけで沈黙の中にあった。
「わう?」 
 車両の並ぶ銀屋根の隣の小屋。その檻の中の茶色い塊が動いているのが見えた。
「グーリン!」 
 シャムの声にグレゴリウス16世はすぐ気づいて檻の中で振り向く。満面の笑みだ。半開きの口で近づいてくる巨大な熊を見ながらシャムはそう確信した。
「わう……」 
 手前にある人の頭ほどの大きさの皿はすっかりきれいに舐めあげられていた。日中は留守になることが多いシャムということもあってグレゴリウスの餌やりは日中は警備部と技術部の車両管理班が交代で担当していた。
 グレゴリウスの母は遼南でシャムとコンビを組んでいた名熊の熊太郎だが、彼女に比べると確かに明らかに劣るがグレゴリウスも馬鹿ではない。最初は彼等を脅して喜んでいたが、餌がもらえなくなると分かった最近では餌を持って近づく彼等には非常に紳士的に接するようになっていた。
「お昼はおいしかった?」 
 そう言いながらシャムは檻の扉を開く。シャムが大好きなグレゴリウスだが飛び出すと大目玉を食らうことは覚えているのでじっとシャムが入ってくるのを待っていた。
「……」 
 しばらく黙ってシャムを見つめているグレゴリウス。シャムはそのまま彼の近くによるとしゃがんでいるグレゴリウスの肩をぽんぽんと叩いた。
「ごめんね。今日は夕方の散歩は出来そうに無いよ。タコが来ているから今日は練習は試合形式になると思うんだ……」 
「わう」 
 シャムの言葉が分かっているのかどうか分からないが少し甘えるようにグレゴリウスがつぶやく。
「だからいい子にしてるんだよ」 
 そう言うシャムにグレゴリウスは顔を寄せた。シャムの頭の倍以上の大きさの頭を撫でる。そのごわごわした毛皮の感触がシャムはお気に入りで何度もその頭を撫で続けた。
 大きな熊の体温で少しばかり暖かい檻。シャムはそのまま鼻を寄せてくるグレゴリウスから離れるとそのまま檻を出た。
「また明日ね」 
「わう」 
 元気に答えるグレゴリウスに満足げにうなづくとそのままシャムは正門へと向かった。
 いつものようにざわつく正門をくぐり、その騒音の主である運行部の女性隊員の雑談を横目に急いで階段を駆け上がる。
 人気の無い医務室を通過し、男子更衣室前を通り抜け、そのまま廊下を早足で歩いて実働部隊の詰め所に飛び込んだ。
「なんだ、お前が一番かよ」 
 一人で机に足を乗せてくつろいでいた吉田の遠慮ない声にシャムは照れ笑いを浮かべながら自分の席についた。
「次回のアンの演習の概要でも作るのか?」 
 机から足を下ろすと吉田は首に刺さったコードを引き抜きながらシャムが起動したばかりの端末を覗き込んだ。
「まあね。あの子も今が伸び盛りだから。いろいろ考えてあげないと」 
「殊勝なことを言うねえ。まあいいや、ちょっと貸してみ」 
 そう言うと起動したばかりの端末のマウスを吉田が手に取った。画面のファイル選択カーソルを動かし次々にファイルを開いていく。
「まあ俺が傭兵やってた頃の演習用データフォーマットが俺の私物のサーバにあるはずだから・・・ほら見つかった」 
 めまぐるしく切り替わる画面が怪しげなコードが絡まる絵で構成された画面で止まる。吉田はすぐに先ほど自分の端末から引き抜いた首の端子に刺さったコードをシャムの端末の脇のスロットに挿しこんだ。
 また点滅しているような速度で画面が変わっていく。
「やっぱりあれだな。『05式』向けに加工しないと使い物にならないか……とりあえず読み込めるようにして……」 
 独り言のようにつぶやく吉田。シャムは黙って彼の言うままに点滅する画面を眺めていた。じっと考え込むように親指のつめを噛みながら画面から目を離そうとしない。
「今度は廃墟の市街戦を想定した訓練を考えているの。こちらの戦力は楓ちゃんと渡辺っちがフォロー役。支援戦力でマリアのお姉さんの部隊が参加する形で……作戦目的はゲリラの要人略取」 
 シャムはそう言うと放心したような状態の吉田を見上げた。しばらく経った後、画面には廃墟の町が現れていた。
「ご注文通りだろ?で、ゲリラの戦力は?」 
 乾燥地と思われる背後に茶色の地肌をさらす山を背負った町の画面。すぐにその画面の視点は上空に飛び、その町の全景を示して見せた。
「M5が2機くらいかな……それと装甲ホバーが10両前後。武装メンバーはおよそ2000人で武装度はB+で一個中隊にテクニカルが二台つく感じの戦力がいいかな」 
「おいおい、ずいぶんとでかい規模のゲリラじゃないかよ。殲滅戦じゃ無いんだろ?要人略取となると主役はマリアの姐さんの部隊だ。囮で引っ張るにしても2000人のうち8割程度を引き付けないと作戦遂行以前に姐さんの部隊が全滅するぞ」 
 慌てたような吉田。だがシャムはまるで動じていない。
「演習だからね。多少難易度の高い任務を想定しないと……実際こう言う任務が来ないとは誰も言い切れないんだから」 
 シャムははっきりした調子でそう言い切ると頭を掻いて天井を見上げている吉田に手を合わせた。
「変わったのかなあ。それとも元に戻った?」 
「?」
 それとない吉田の言葉。シャムはしばらく首をひねった。
 シャムは遼南の森で暮らしていた以前の記憶が無い。吉田がシャムの脳派検査を見て『記憶が消されてるな』と言ったことを思い出した。今ではその森で何千人と言うレンジャー資格受験志願者にサバイバル訓練を課したから分かるが記憶の無い少女が一人で暮らせるほど森の暮らしは楽ではない。
 冬は氷点下40度を軽く下回る大地はその巨大な木々をはぐくむ割には豊かとはいえないものだった。大きな得物を捕る技術が無ければ木の皮に生えるコケを剥がしながら飢えをしのぐのが常道だが、そのような状況になったときはシャムも受験者に棄権を言い渡すべく出動して救助するのが普通だった。
 夏もまた過ごしやすいものではない。解けた山地の水から湧く蚊と格闘し、わずかに広がる木々の途切れた荒地に生える低木の木の実を食べることを覚えなければビタミンの補給はできない。そして巨大な森の主であるコンロンオオヒグマのテリトリーでの生活は常に緊張に包まれていて間抜けな闖入者の生存を許すほど甘くは無かった。
「いつもさあ、俊平」 
「なんだよ」 
 考え事をしているようなシャムにめんどくさそうに吉田が返事をする。すでに吉田はゲリラの錬度に合わせて行動予定ラインの設定作業をするために画面を文字列が並ぶプログラム画面に切り替えていた。
「私……何者なのかな」 
「なんだよ突然。お前はお前だろ?」 
「そうなんだけど……」 
 吉田はシャムの不安そうな言葉遣いに作業を止めてシャムを向き直った。
「お前は今のお前以外の何かになりたいのか?」 
 珍しく真剣な調子の言葉だった。シャムは何も言えずに静かに首を横に振った。
 吉田はそれを見て笑みを浮かべ、再びプログラム画面に目を向けた。
「ならそれでいいじゃないか。俺も今の俺で十分だ。かつての俺はかつての俺。遼南でお前さんに撃たれて死んだことになってる」 
 遼南共和軍の傭兵部隊のカスタムメイドアサルト・モジュールのコックピットでシャムのサーべルの一撃を受けて下半身をもぎ取られて生命反応が切れた吉田の姿を思い出すシャム。
 だが今は吉田はここにいる。
「俊平はそれ以前の俊平には会いたくないの?」 
 シャムの言葉に口元に笑みを浮かべながら吉田は無視して作業を続ける。
「会いたくないね。できれば永遠に」 
「できれば?」 
 どうにも引っかかる言い回しを気にしながらシャムは吉田の作業を眺めていた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常27

 そのまま明石達の合流すると彼等がそれぞれ携帯が義務付けられている隊支給の通信端末を見ていることにシャムも気づいた。息を切らせながらようやく到着したシャムは携帯端末を開く。
『うご!』 
 叫び声が端末から響いた。フェデロの叫びであることはすぐに気づいた。
「実は東和海軍の柔道の強化選手が来ていることを聞いていてね」 
 ロナルドがウィンクしながらつぶやく。なるほどと納得する誠。呆れるカウラ。にやける要。
「うちの若いのが行くから鍛えてくれって連絡しといたんだ。これでランニングの分も鍛えられるだろ」 
「確かに……でも準備がいいねえ」 
「合衆国海軍を舐めないことだ」 
 要の茶々にそう言うとロナルドは端末をしまった。明石も自転車のハンドルを握りなおし再び走り出す体勢が整う。
「これで思う存分走れんだろ?このまま競争だな」 
 そう言うとランがダッシュで走り始める。それに奮起したのは意外にも要だった。元が軍用のサイボーグである。勝負になるわけが無かった。瞬時に追い抜いた要のしなやかな肢体が側道の木々の合間に消えていく。
「何かあったのかな?」 
 尋ねるシャムに誠は首をひねった。
「アイツのことだ。練習の時間が短くなるのが嫌だったんだろ?」 
 シャムはカウラの一言で納得した。フェデロの自転車強奪から始まっていつもより明らかにこの珍道中の時間がかかっているのは確かだった。最近は特別ゲスト扱いの明石がいるからには要は最低でも試合形式の合同練習くらいはやってみたいと思っていたことだろう。
 そう考えると野球部監督の要の面子を立ててやろうとシャム達はすぐに走り始めた。
 さすがに全力でとなると身体能力の問題で岡部が先頭を走ることになる。続くのは戦闘用の人造人間として製造されただけに強化された筋肉を持つカウラだった。その後ろは団子状態でラン、ロナルド、誠、そしてシャムが続いた。
「無理せんでええで」 
 すぐに追い抜かれた明石が緊張感の抜けるような声で叫んでいる。
 側道を抜けるとそのまま隊の周りを囲むコンクリートの塀が目に入る。広がっている三ヶ月前まで飛行機の主翼を作っていた工場の跡地の平らな荒地に続く道にはすでに要の姿は無かった。
 先頭を走る岡部との距離をカウラが一気に詰める。それを見て団子状態の後続集団から誠がじりじりと抜け出し始めていた。
『ここは先輩だから譲らないとね』
 シャムがペースを落とすとその気持ちを読んだようにランとロナルドも微笑を浮かべながらペースを落とす。
 二位の争いは余裕をもって追いついたカウラと一杯一杯の岡部、そして明らかに無理をしている誠で繰り広げられながらそのまま部隊のゲートまでもつれ込んだ。
 ゲートに消える誠達を見ながらシャムはそのまま軽く流して部隊の敷地にたどり着いた。そのまま植え込みの中に出来た踏み固められた道を抜けるとそこにはシャムの畑が広がっていた。
「白菜が順調。いい感じ」 
 手前に並ぶ白菜を見ながらシャムはそのまま走り続ける。遠くで銃声が響いていた。朝の作業の疲れも癒えぬままマリアにまたしごかれている新入警備隊員。少しばかり同情しながらシャムはそのまま大根が植えられた敷地を一気に通り過ぎてグラウンドへとたどり着いた。
 グラウンドの果て、ハンガーの目の前にいる自転車に乗った禿頭を見てすでに勝負がついたことを確認するとそのままシャムはその姿の方に走り続けた。
 大の字になって倒れこんでいる岡部の姿が見える。その隣ではクールダウンのために足首などを回している余裕のあるカウラ。じっと下を向いたまま動かない誠の姿も見える。
「ナンバルゲニア中尉!早く!」 
 すでに自転車を返すのを済ませたらしく、ジャージ姿のアンが手を振っている。シャムは手を振り返しながらそのまま腰に手を当てて仁王立ちしているランのところにたどり着いた。
「おせーじゃねーかよ」 
「いや、みんな早いね。驚いちゃった」 
「シャム。わざとらしいぞ」 
 アキレス腱を伸ばしながらカウラがつぶやく。その言葉にどうにか勇気を振り絞って岡部が起き上がった。
「そんな無理すること無いじゃないか」
「一応隊の面子もあるんで」 
 ロナルドの言葉に苦笑いで答える岡部。誠はというとまだ下を向いたまま肩を揺らして必死に呼吸を続けている。
「それじゃあ着替えろ。報告書の残り……とっとと上げてくれよ」 
 そう言うとランはそのまま半開きのハンガーの扉の中に消えた。なんとか立ち上がった岡部とそれに付き添うようにしてロナルドもそれに続く。
「神前先輩。大丈夫ですか?」 
 相変わらず下を向いたままの誠にアンが声をかける。なんとか息が整ってきたらしく大きく伸びをするとアンに向き直る誠。
「まあな。それじゃあ行きますか」 
 クールダウンを終えて自分を待っているカウラに目をやると苦笑いを浮かべながら誠はハンガーへと歩き出した。
「でも……フェデロは?」 
「ああ、さっき工場の庶務課に電話をしたら無事だそうですよ。こちらに向かっているそうです」 
 アンの言葉に安心しながらシャムもまたハンガーの中の轟音の響く世界へと足を踏み入れた。


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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常26

 赤い屋根が見事な研究塔を抜けると両サイドには街路樹と言うより森のような緑地が広がっている。冬でもその常緑の木々は緑を湛えていた。走り続けるシャム達にとってそれはちょうどいい風除けだった。
「……説教してるのかな?」 
 シャムもここまで来ると息が切れて来た。それなりに無理をしたんだというように振り返った誠の顔は呆れている。
「……そうじゃないですか?」 
 誠が言った時だった。背後に急激に近づく気配を感じた。
 まずロナルドが自転車に乗って通り過ぎた。そしてそれに続いて明らかに嫌々走るフェデロが続く。
「……ああ、あんなに飛ばして」 
 シャムの言葉に誠は息を噴出すとよろけそうになる。目の前の二人の突進は要とカウラの二人を追い抜いたところで落ち着いたようだった。
 一騒動が過ぎて目の前を見ればすでに工場の正門は目の前だった。もう到着している自転車の明石とランが走るシャム達を待ち受けていた。
「おい!いんちき野郎!とっとと走れ!」 
 ランの罵声が飛ぶ。シャムが誠の後ろから顔を出せばもう手足がばらばらで疲れきったフェデロがロナルドに監視されながら走っているのが見えた。
「……もう少し!」 
 そう言うと誠がラストスパートをかけた。シャムは追わずにそのままのペースで走る。その横をアンが誠に釣られるように加速して通り抜けていく。
「もうすぐ……」 
 シャムは守衛室の前にしゃがみこんだフェデロとそれを見下ろしているロナルドを見ながらそのまま走る。ゲートを通ろうと減速する電気モーターの大型トレーラーと並走しながらシャムはゴールした。
「しばらく休めよ」 
 いかにも何か一物あるという表情のランの一言を聞いてシャムはそのまま腰を下ろした。真冬、北からの季節風が結構強く吹き付けているというのに走りこんだ体は熱を帯びていて寒さは感じなかった。
「さて、フェデロ」 
 ようやく切れた息が戻ってきたらしく開けたままだった口を閉じたばかりのフェデロを見下ろしてロナルドがつぶやいた。フェデロが調達したロナルドが片手で支えている自転車。動力アシスト付のそれには菱川重工豊川工場航空機製作工場のマークがサドルの下の動力部分にマーキングされていた。
「隊長……ちょっとしたお茶目じゃないですか……」 
 悪びれるつもりもさらさらないという表情で上官を見上げるフェデロ。ロナルドはどうにもこのお調子者の部下を相手にどうしたら自分の面子が保てるか考えているというようにサドルに手をかけながらしばらく考えていた。
「お前……そうだ」 
 ロナルドは思いついたように自転車をフェデロに差し出した。突然のことにフェデロは何も言えずに呆然と立ち尽くしていた。
「これ、返すわ」 
「え……?」 
 当惑するフェデロ。何かロナルドに考えがあるのだろうと一同は二人を遠巻きに眺めていた。
「ええ、まあ。ありがとうございます」 
 フェデロはそう言うとそのまま自転車にまたがる。そしてどうしていいか分からないと言うようにそのままロナルドの顔を覗き込んだ。特にどうと言うことも無いというようにロナルドの青い目がじっとフェデロを見つめている。
「このまま……自転車を返してくればいいんですか?」 
「まあそうだな。あまり大事にするなよ。うちはそれでなくても菱川重工には借りが多いんだから」 
 まるで何事も無かったかのようなロナルドの態度にしばらく自転車の上で困惑していたフェデロだがいたたまれなくなって自転車を降りる。
「なんだ?お前が借りてきたんだろ?」 
「確かにそうですけど……」 
「なら返すのもお前だろ」
「確かにそうなんですが……」 
 ロナルドの割り切った態度にどうにも裏があるように思えて自転車にまたがれないフェデロ。その様子が非常に滑稽でシャム達の顔にも笑顔が浮かんできた。
「アン!」 
「何でしょう?マルケス中尉!」 
 疲れ果てて道路に腰掛けていたアンだが突然呼びつけられて跳ね上がるように立ち上がる。フェデロはそれを見ると満足したように自転車を固定してそのままアンのそばまで歩み寄る。
「貴様は……体力には自信が無いよな」 
「中尉には勝てないですが……そんな自信が無いとか……」 
 うろたえた調子で急に威張りだすフェデロに答えるアン。
「無いよな!」 
「はい!無いです」 
 いい加減でも一応は上官である。怒鳴りつけられれば白いモノでも黒くなるのが軍組織だった。そんなアンの様子に満足げにフェデロは言葉を続けた。
「実はこの自転車は航空機開発部の備品だ。そこの技師に知り合いがいてな……ちょっと借りてきたわけだが……俺はこれからランニングをしなければならない。となると……誰かが……返さないといけないよな?」 
 フェデロの目がちらちらとロナルドを見ている。その滑稽な姿に自然とシャムの口にも笑みがこぼれてきた。
「確かに……そうですね」 
 フェデロの意図が分かりつつも渋々つぶやくアンだった。口八丁のフェデロのことである。ほとんど強奪同然の調達方法をとったに違いない。その尻拭い。だが助けを求めるように目を向けたロナルドのうなづいているのを見てアンもなんとか気を取り直してフェデロから自転車を受け取った。
「じゃあ、返してきますから」 
「おう!頼むぞ」 
 皆に見送られてアンが自転車で来た道を走り出す。それを見送りながらランはスクラッチを始めた。
「それじゃー帰り道か……体育館経由で行くか?」 
 ランの言葉にフェデロが目を輝かせた。それがシャムには滑稽に思えて噴出した。体育館はこれもまた実業団最強の女子バレー部を始め多くの女子選手が練習をしている時間だった。中にはマスコミに取り上げられる美人アスリートも何人かいる。当然フェデロの目当てはそれだった。
 でもそれを知っていてランがなぜ明らかに規律を乱す行動をとったフェデロを優遇するような道を選んだか。要するにそれがロナルドが帰ってから与える罰の厳しさを物語っているのだろう。楽天家のフェデロは妙に張り切ってジャンプなどをして体を温めている。誠は呆れてそれを眺めている。
「フェデロ……ご愁傷様だな」 
「え?何が?」 
 能天気に答えるフェデロ。それを見ると笑顔で明石が自転車のペダルに足をかけた。
「休憩は終わりや。行くで」 
 そのまま自転車を漕いで信号が青になった正門前の道路を横断し始める。ランを先頭に一同はその後ろを走り始めた。ランに続くのはすっかり元気を取り戻したフェデロ。それに彼を監視するようにしてロナルドと岡部が左右に並走する。少し離れて誠と要にカウラが走る。シャムは何か面白いことが起きそうな予感がして最後尾を静かに走ることに決めた。
 来た道を帰る。つまりこれまで南下していた道を北上すること。当然風は逆風である。障害物の無い正門前の大通りには強い季節風が吹きつけている。小柄なシャムは誠達を風除け代わりにしているが、先頭を走るフェデロには直接その強い風が当たっていると言うのにスピードはまるで落ちない。
「いつまで続くかね」
 要の呟きが聞こえてシャムも視界が開けるように歩道の車道よりを走ることにした。フェデロは相変わらずハイペースで前を行く明石の自転車を急かすように走り続ける。
 ハイペースで続くランニング。すぐにその列は大通りを抜け大型モーターを製造している長いラインが入っている緑色の巨大な建物に突き当たった。道は左へと曲がっている。当然明石はその道に沿って進んだ。建物のおかげで風がさえぎられるだけでなく背中に日差しを浴びて少しばかり暖かく感じながらシャムは走り続けた。
「あ……」 
 突然誠が気づいたように口を開いた。シャムはその表情が見たくなって一気に誠達に追いついた。
「なんだよ、突然」 
「フェデロ中尉。勘違いしていますよ」 
「勘違い?」 
 誠の言葉に要が首をひねる。カウラも勘違いの内容が分からずにしばらく考え込むような表情をした後そのまま視線を前へと向けた。
「今日は確か柔道部の公開練習です。しかも男子の重量級がメインのはずですよ」 
「神前……なんでそんなことを知ってるんだ?」 
 呆れてつぶやくカウラだがその事実がフェデロに与えるショックを考えると自然と笑みが浮かんでくるようだった。シャムもまた笑いながら工場に沿った道を走り続ける。
 一台明らかに報道関係と思われる車がシャム達を追い抜いて行った。大きく敷地に沿って右に曲がる道を走っていく。そしてそのまま街路樹として植えられた常緑樹の向こうに消えた。
「もうすぐだね」 
 シャムは思わずつぶやいてそのまま前を見据えた。相変わらずフェデロは飛ばしている。すでに100メートル近い差がシャム達からついていた。
「あのカーブを曲がりきれば……相当がっかりするだろうな」
 そう言う風に要に言われてついその時のフェデロの顔を想像すると笑みが浮かんでくる。フェデロはそのままカーブの向こうの街路樹の影に消えた。
 シャム達はしばらくは黙って走り続ける。そして目の前に巨大な銀色の屋根とその下にならんだ報道車両と大型バスの群れが彼等の目に飛び込んできた。それに向かって明石の自転車を追い抜いてまで必死で走るフェデロの姿も目に入る。
「馬鹿が、まだ気づかないのかよ」 
 そんな要の言葉だが、ここまで見事にだまされているフェデロを見るとさすがに哀れに思えてきた。フェデロはそのままコースを外れて体育館に横付けされた大型バスの隙間に消えた。
「つまみ出されるだろ、あれなら」 
 次第に大きくなる屋根を見上げながらカウラがつぶやく。シャムも三人と同様に興味心身で前を見つめていた。時々走る取材スタッフ。工場の中で正門でチェックが済んでいるだけあってこういう場に必ずいるだろう警備員や警官の姿は無い。
「意外と大丈夫なんじゃないの。一応フェデロもここの関係者だし」 
 シャムの言葉に誠が噴出す。すでに明石は体育館から真っ直ぐ圧延板の貯蓄倉庫へ向かう側道に自転車を走らせていた。ランやロナルド、岡部などもちらりと体育館を一瞥しただけでそのまま明石の後を走っていく。
「あれ?フェデロを置いていくのかな?」 
「そのうち戻ってくるだろ」 
 それだけ言うと目の前の大型バスの後ろを左に切るとそのまま体育館に沿ってしばらく走り、側道の少しばかり痛んだコンクリートの道を走り続ける。
「格闘技の練習にはいいかもな」 
 カウラのつぶやきにシャム達は大きくうなづく。前を見れば明石は自転車を止め、ランやロナルドは足踏みをしながらシャム達を待ち受けていた。
「説明があるみたいだぞ」 
 にやける要を見ながらシャムはわくわくしながら体育館の影で少しばかり寒く感じる北風にも負けずに走り続けた。


テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常25

「さてと……」 
 シャムが立ち上がると玄関から要とカウラが飛び出してくる。
「シャム!早くしろよ!」 
 怒鳴りつける要。シャムは渋々その後を軽いランニングでグラウンドへと向かう。
「揃ったな」 
 軽くジャンプしながら迎えたのはランだった。だるそうに頭を掻くフェデロ。ロナルドと岡部はスクラッチをしている。そんな二人の前で手持ち無沙汰で立ち尽くす誠とアン。
「今日は並走は?」 
 シャムの言葉にランがグラウンドの果てを指差した。
 北風の吹きすさぶ中、一台の自転車がシャム達に近づいてくる。部隊の備品の古い家庭用自転車に乗るその巨体がその人物が誰であるかを知らしめている。
「なんだよタコか」 
 要がめんどくさそうにつぶやいた。タコと呼ばれたランの先任の保安隊副長明石清海中佐が颯爽と自転車をシャム達の前に止めた。
「明石。一言言っていーか?」 
「何ですか?クバルカ中佐」 
 剃りあげた頭を撫でながらサングラスを光らせる身長2メートルを超える大男にランはため息をついた。
「自転車壊すんじゃねーぞ」 
「あ?……ああ、大丈夫なんちゃいますか」 
 そのまま自転車から降りて固定する明石。その様はまるで子供用自転車を片付ける親のように見えてシャムは噴出しそうになった。
「ああ、今日はオフやったんやけど……明華はんはダウンしとるからな。西園寺。久しぶりに練習頼むわ」 
 そう言うとそのままポジションであるキャッチャーのポーズを取る明石。彼の転任で野球部の正捕手を務めている岡部が複雑な表情でそれを見つめていた。
「見ての通りだ。これなら西園寺がぶっ倒れてもフォローできるだろ?」 
「確かに」 
 ランの言葉にカウラが大きくうなづく。隣で要はいかにも不服だと言うように口を尖らせながら手足の関節をまげてその機能を確認している。
「それじゃあ行くぞ」 
 ランはそのままゲートに向けて歩き出した。シャム達も久しぶりの明石の姿をちらちら見ながらもランに続いてゲートへと歩き出した。
 ゲートの新入り警備員が警備部制式のカラシニコフライフルを手にして直立不動の姿勢でシャム達を迎える。その姿に自転車を止めて明石は彼等の前に立った。
「なにやっとんねん」 
 突然野球のユニフォーム姿の大男に声をかけられ、彫りの深い外惑星出身と思われる新兵は敬礼をした。
「自分は!警備をしております!」 
「あのなあ。そないにしゃっちょこばっとれば不逞のやからは帰ってくれる言うんか?」 
 相変わらず手に銃を持ったまま微動だにしない。その視線だけはニヤニヤ笑っているジャージ姿のランを捉えている。ランが目の前の見たことの無い大男の乱行を止める気が無い。すなわち目の前のサングラスの禿はランの指示を受けないクラスの高級将校であることは間違いない。新人もそこまで判断がついて次第に顔を高潮させ始める。
「明石、そんなに新人苛めるんじゃねーぞ」 
「はあ、でも先任……これじゃあいざと言うとき役に立ちそうに無いですよ……」 
 頭をさすりながら自転車にまたがる明石。それを見てすばやく詰め所に飛び込んでゲートを開く新人。
「姐御は厳しいからな。まあ慣れりゃあ力が抜けてくるんじゃねえか?」 
「今の連中は力が抜けすぎだけどな」 
 要とカウラが笑いあう。ゲートが開くと明石は先頭に立って自転車を漕いだ。それにつられるようにして一同は一斉に走り出した。
 菱川重工豊川工場は地球外では屈指の規模を誇る総合重工業施設である。シャムは先頭を走るランとロナルドの後ろに続いてその二人の間から前を見るが、いつもどおり工場内循環路は視界の果てまで延々と続いている。
「どうします?生協経由がええんとちゃいますか?」 
「馬鹿言うな。途中休憩は無し!このまま工場正門まで行って往復だ」 
 ランの言葉にシャムは思わずげんなりした。振り返ると要と誠が呆れたと言うように顔を見合わせている。
「ったく……なんで俺まで……新兵じゃねえってんだ」 
「フェデロ!聞こえてんぞ!」 
 愚痴るフェデロを振り返ってランが怒鳴りつけた。循環路には次々と圧延鋼やシートの被さった重機部品を満載した電気駆動のトレーラーが行き来する。
「なんだか目立つんだな」 
「いつも自転車だからわからねえか……結構トレーラーのアンちゃん達はアタシ等を見てるもんだぞ」 
 要は久しぶりのランニングに戸惑いながらランの言葉を聞いてずるずる後ろへと後退した。
 冬の北風が一同を迎える。ちょうど追い風になっていて走ることの邪魔にはならないが、帰りにはそれが向かい風になることを想像するとさすがのシャムも黙って走り続けるしかなかった。
 目の前に工場内循環バスの停留所が現れる。
「あと2.8キロ……」 
「誠ちゃん。そんなこと計ってたら疲れるだけだよ」 
 残りの距離をつぶやく誠に一言言った後シャムは思い切ってそのままロナルドとランの隣を抜いて一気に加速をしてみた。
「馬鹿が……」 
 抜き去る瞬間にランがそうつぶやいた。シャムはそれにかまわずそのままピッチを上げて進む。
「シャム……えらい元気やな」 
 呆れつつシャムに並走する明石の口元に笑みが浮かんでいるのを見てシャムはさらに足取りを速めた。昼下がりの工場の循環路。低い冬の太陽がようやく部隊の塀を乗り越えてシャムに降り注いでいる。そんな壁もしばらく行くと途切れて右手には巨大な工場の建物、左には田畑が広がるのが見えてきた。
「……ここさあ」 
 さすがに息を切らしながらシャムは隣を平然と自転車で走る明石に声をかける。
「アタシの好きな場所なんだよね……」 
「だから飛ばしたんか……アホやな」 
 明石の言葉を聞くとさすがにペースを上げすぎたとシャムは減速を始めた。しかしかなりの差をつけていたらしく、主に宇宙航行用エンジンを生産している銀色の工場の角を曲がって後方を確認するとランとロナルドが小さくまだ部隊の塀のところを走っているのが見えた。
「タコ……さあ」 
「ワシはタコちゃう」 
 シャムの呼びかけを無視して明石は同じペースで自転車を漕ぎ続ける。シャムは言っても無駄だとわかってさらにペースを落とした。銀色の工場の隣にはグラウンドが広がっている。
 東和都市対抗野球でも何度と無く優勝の栄冠を勝ち取っている名門社会人チーム、菱川重工豊川野球部の専用グラウンドである。すでに何人かの選手がユニフォームを着てランニングを始めていた。
「やっぱりプロを目指すのんは違うんやなあ」 
 明石が遠い目で彼等を見つめているのが見えた。シャムはぶすりと不機嫌になる。これまで三度地区予選で対戦しすべてコールド負けを喫しているものの、シャムの打率は4割を超えていた。
「……日ごろから練習してるからだよ」 
「そないなこと言うたら今もワレはランニングして足腰鍛えとるやないか」 
 さすがにそう言われるとシャムは何もいえない。さらに先ほどの無理なペースアップでさすがのシャムの息も切れて来た。
「おー、やっぱり飛ばしすぎか?」 
 追いついてきたランがそう言ってシャムの背中を叩く。シャムはすっかりへそを曲げてさらにペースを落とした。岡部、カウラ、要がシャムを追い抜いていく。要は追い抜きざまにわざと振り返って嫌らしい笑みを浮かべてシャムを置き去りにしていった。
 さすがにダッシュをした後、シャムも十分体が温まって冷たい風も気にならなくなってくる。
「……はっ、はっ」 
 誠がまじめな顔をして隣を追い抜こうとしている。シャムはそのまま大きな誠を風除け代わりに後ろにくっついて走り出した。
「中尉……」 
「何?」 
 突然誠から声をかけられて驚いて返事をした。
「……後ろ、どうなってます?」 
「何よ、誠ちゃんは上官を使うわけ?」 
「……そんなつもりじゃ……」 
 そう言うと誠が振り向いた、一瞬下のシャムを見た後遠くを見るような目をした。その目は明らかに呆れたような感じでそのまま前を向いた。シャムもそれを見て真似して後ろを眺めてみる。
 二十メートルくらい離れたところにはアンが走っている。シャムとランは例外としても体力的には一番劣る小柄なアンが必死に食らいついていくのは好感が持てた。問題はその後ろだった。
 フェデロが遠くに置き去りにされていた。それだけならいつものことなので当然だったが、彼はなぜか自転車に乗っていた。
「あ、フェデロ……いんちきしてる」 
「……まあそのうちスミス大尉も気づくんじゃないですか?」 
 誠はちょいと振り向いてそれだけ言うと足を速めた。シャムもそれに遅れまいとペースを上げる。
 グラウンドに沿った道がそのまま保安隊の隊員が『中央事務所』と呼んでいる建物の隣に伸びていた。主に営業や事務関係者が多いらしく、それまで脇を通る車がほとんど何かを載せたトレーラーだったのにこの辺りから営業車が増え始めていた。車が小さくなれば数も増える。そしてそれだけシャム達を見る目も多くなる。シャムは追い抜いていく車に笑顔を見せながら誠の後ろを走り続けた。
 そしてそのまま『中央事務所』の建物の隣の営業車が並んでいる駐車場を抜けたところだった。突然ロナルドが派逆方向に猛ダッシュで走って通り抜けていく。
「ああ、やっぱり誰かチクッたんだね」 
 シャムの言葉に彼女から見える誠の口元が笑っていた。
「……まああの人のことだから……多分フェデロさんだけもう3キロ追加ですよ」 
 誠の言葉にシャムはうなづきながら真っ直ぐ工場の正門に向かう直線道路を走り続けた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常24

 廊下に出ると隊長室から出てきたカウラにばったり出くわした。
「ああ、シャムか」 
「何か言われたの?カウラちゃん」 
 シャムの言葉にお茶を濁すような笑みを浮かべるとそのままカウラは詰め所に消えていった。それを見守るとシャムはそのまま廊下を足早に進む。突き当りの男子更衣室に飛び込むアン。ざわざわと談笑する声が響く。シャムはそれを見ながら医務室を通り抜け正門に下る階段を降りていった。
 いつものことながらにぎやかそうな声が踊り場に響いていた。
「ああ、シャムちゃんじゃないの!」 
 廊下で部下と馬鹿話をしていたと言う感じの長い紺色の髪の長身の女性。アイシャ・クラウゼ少佐は今回の運行部部長鈴木リアナ中佐の妊娠に伴い運行艦『高雄』の艦長代理に決定している人物だった。
「さっきカウラちゃんが隊長に呼ばれていたけど……」 
「ああ、それね。私も呼ばれたわよ」 
 あっさりと答えるアイシャ。それを見て運行部の女性隊員達はそのまま二人を置いて自分達の部屋へと戻っていった。
「何かあるの?」 
 心配そうにたずねるシャム。その頭を撫でながらアイシャは相変わらず何を考えているのか良く分からない笑顔を浮かべていた。
「別に何も無いわよ。まあ……お姉さんはパイロットも兼ねるからその辺のことでアン君とか誠ちゃんが使えるのかどうか聞かれていたみたいだけど」 
「それでどう答えたの?」 
 先ほどもアンの指導をしていただけにカウラの二人の評価がシャムには気になった。シャムはとりあえず任務の遂行には支障は無い程度には二人は育っていると思っていた。確かに先ほどのシミュレーションのようなきわめて困難なミッションとなれば相当なフォローが必要なのは事実だった。だが運行艦での出動となれば最低でもカウラと要の第二小隊の面々がフォローに入ることは出来る。そうシャムは思っていた。
「まあ……カウラちゃんだからね。結構厳しいこと言ってたわよ」 
「やっぱり……でもしょうがないわよね、こればかりは。お姉さんのおめでただもの」 
「まあそのあたりをあの子も考えられるようになれば一人前の部隊長なんだけどね」 
 いかにもえらそうにアイシャはそう言うとそのまま運行部の部屋の扉を開く。
「シャムちゃん。ランニングでしょ?」 
 部屋に消えるアイシャに指摘されてシャムはまた自分の目的を思い出してそのまま廊下に沿って女子更衣室目指して急ぎ足で歩き続けた。
「遅せーぞ!」 
 扉を開くとすでにジャージを着込んでいるランの姿が目に入った。シャムは頭を下げながら自分のロッカーに手をかけた。
「そう言えば……ランちゃん」 
 昨日ランニングに出たときに今日は持って帰ろうと思っていたことを思い出しながらシャムはつぶやいた。
「何だ?リアナの抜ける穴のことか?」 
 部屋の奥の出っ張りに背中をつけたまま真正面を見つめているランが答える。シャムはあっさりと自分の質問の内容を言い当てられてどうしたら言いか分からないまま上着のボタンを外した。
「まあ……あれだ。任務をこなすと言う面から言えば結構穴は埋まると思うぞ。アイシャもああ見えて判断は的確であとは経験を積むだけだから今回のリアナが抜けるのは逆にいいことになるかもしれねーからな。うちだってそうだ。今度出動となれば最低でもアンの野郎には待機任務についてもらうからな。いい経験になるんじゃねーかな」 
 シャムはどこかうれしそうな色を帯びているランの言葉を聴きながら脱いだ上着をハンガーにかける。
「だよね。第三小隊の成長がうちの成功の鍵だから」 
「分かってるじゃねーか。それならアンの教育。しっかりしてくれよ」 
「了解!」 
 シャムは元気にそう言うと今度はネクタイに手を伸ばす。
「済みません!遅れました」 
 慌てて入ってきたカウラがすぐに自分のロッカーを乱暴に開けた。そしてその後ろにはいつも自転車でついてくる係りなので着替えない要がだるそうにドアを閉めて近くのパイプ椅子に腰掛ける。
「足腰はすべての基本だからな……がんばれよ」 
「要ちゃん、他人事だと思って……」 
 外したネクタイを掛けながらつぶやくシャムをにんまりと笑いながら要が見つめてくる。
「まあ他人事だから。姐御!賭けます?」 
「馬鹿言ってんじゃねーよ。オメーも今日は着替えろ」 
 ランの言葉に明らかに嫌そうな顔をする要。だがランの言葉に逆らうことがあまり得策ではないことくらい要も十分知っていた。そのまま自分のロッカーを乱暴に開くとするするとネクタイを外す。
「寒いからね。走るとあったかくなるよ」 
「気休めありがとう」 
 シャムの言葉を聴きながら要はめんどくさそうに上着を脱いでロッカーの中に吊るした。
「さてと……ぐだぐだやってても仕方ねーか」 
 そう言うとランはそのままシャム達の間を抜けて扉にたどり着く。そして振り返り周りを見渡した。
「出来るだけ早く来いよ。さもねーと野球部の練習時間潰すからな」 
 ランの言葉にびくりと反応したのは野球部の監督でもある要だった。無言でそれまでのゆっくりした動作を加速させる。その様子にニヤリと笑ってランは部屋を出て行った。
「おい、カウラ!早くしろよ」 
「それならシャムにも言えばいいだろ?」 
 ぶつぶつつぶやく二人を見てほほえましいと思ってシャムはアンダーシャツに袖を通した。
「早くしろ、早くしろ」 
「うるさいんだよ」 
 あいかわらずの二人。シャムは黙ってジャージのズボンを履く。
「ああ、あとはズボンと……」 
「だからうるさいんだよ」 
 カウラのぼやきを聞きつつジャージの袖を通す。そしてジッパーを閉めて何度か腕を回す。
「じゃあ行くわね」 
「待てよ……シャム」 
「要ちゃん。早くしなよ」 
 シャムはそう言い残して半分履きかけのスニーカーを引きずって更衣室を出た。廊下では相変わらず運行部の女性隊員がなにやら雑談を続けている。それを見ながら玄関の階段まで来るとシャムは履きかけのスニーカーの靴紐を締めなおし始めた。
「ナンバルゲニア中尉、ランニングですか?」
 そう言って話しかけていたのは玄関に並べられた鉢植えのシクラメンに水をやっていた医務官のドムだった。健康優良児だらけの保安隊では任務でも無い限りは彼の出番と言えば健康診断くらいのものだった。かと言って司法執行機関と言う性格上、いつけが人が出てもおかしくない職場ではある。だから大概は彼はこうして植物を育てて時間を潰している。
「うん。今日も3キロ」 
「出来ればヨハンをつれてってやってくださいよ……アイツはぜんぜん運動する気もやせる気も無いみたいで……」 
 やはり彼も医者である。肥満体型のヨハンが下士官寮で食事管理を受けているのも彼の発案だとシャムは聞いていた。
「でも急に走ったら体に悪いよ。アタシ達、結構飛ばすから」 
「なら仕方ないね……アイツには別メニューを組んでおきますか」 
 そう言うと納得したようにドムは如雨露を置いて玄関へと消えた。シャムは結び終えた靴紐の感触を確かめながらそのままグラウンドへと続く道を歩き始めた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常23

「すみません……僕が注意していれば」 
「アン君は悪くないよ。私のせい」 
 申し訳なさそうなアンにそう言うとシャムはとぼとぼとハンガーを歩いた。整備班員も先ほどの島田の雷を見ているだけに落ち込んだ二人に声をかけることも出来ずに知らぬ顔で通り過ぎていく。
 そのまま階段を上り、管理部の透明のガラスの向こうで作業を続ける事務員を眺める。月末も近い。当然のことながら管理部の忙しさは半端ではなかった。
「はあ……」 
「落ち込まないでくださいよ……」 
 シャムのため息に悲しそうにアンが答える。そのままシャムは廊下を進み実働部隊の詰め所の扉を開いた。
「おう!シャム。反省文。四枚な」 
 小さなランがシャムの机にある紙を叩くとそのまま自分の席へと戻っていった。奥でニヤニヤしているのは吉田。
「俊平……ちくったな!」 
「人聞きが悪いことは言うなよ。あれの中身はお前も何度か聞かされてたはずだぞ?……ははーん。忘れてたな?」 
「俊平!」 
 シャムが叫んだ途端、ランが自分の机を思い切り叩いた。要は首をすくめてこの部屋の主を見た後ニヤニヤ笑いながらシャムを見つめてくる。
「くだらねー争いは止めろ。それと付け加えると反省文はボールペンで手書き。誤字脱字があったら再提出だからな」 
「はーい」 
 シャムはそう言うと自分の机に向かった。
「あのう……中佐。自分は?」 
「アン。テメーはあれだろ?シャムのあとについて降りたそうじゃないか。それにこいつは士官。テメーは下士官だ。士官は部下の見本とならなきゃなんねーよな。と言うわけでテメーは自分で心の中で反省しろ。反省の形は先輩で上官のシャムが残す」 
 そう言うとランが一息ついたというように目の前の端末を終了させた。
「シャム!反省文は今週中でいいぞ。どうせオメーのことだから明日までとか言うと誤字脱字ばかりでオヤジさんに出せるようなもんはできねーだろうからな。3キロ走!」
「はいはーい」 
 いかにも面倒ですと言うように立ち上がるのはフェデロ。正面の岡部はやる気があるようで即座に立ち上がると足首を回して準備を始める。
「そう言えば……誠ちゃんは?」 
 いつも一番にアクションを起こす誠がいないことに気づいてシャムは首をひねった。
「カウラさんも……」 
 アンは驚いたように要を見る。要は特に気にしていないというように首筋に刺さっていたジャックを抜いて端末の作業を静かに終えている。その不気味な沈黙の理由を知りたい好奇心に駆られながらシャムもまた静かに立ち上がった。
 突然詰め所の扉が開く。
「あ!3キロ走……準備ですね」 
 出てきたのは誠。そう言うとそのまま自分の席まで駆け寄りそのまま端末を終了する。
「誠ちゃん」 
「はい?」 
 シャムの言葉にしばらく停止する誠の顔。シャムはそれとなく要を見る。それでも何も分からないのか不思議そうにシャムを見つめてくる誠。
「誠ちゃん。カウラは?」 
「カウラさん?」 
 これまた良く分からないと言う顔の誠。要はシャムの言葉を聞いていないようで手元の冊子を覗き込んでいる。
「だから!」 
「シャム!うるせー!」 
 大声になっていたシャムをランが怒鳴りつける。なんだか良く分からないと言う表情のまま誠は部屋を出て行くランに続いて行った。
「西園寺さんはご存知ですか?」 
 アンが要に声をかけた。シャムは要は誠のことが好きで同じく誠が気になるカウラを目の敵にしていると思っていた。だがアンの無謀とも言える声掛けに要はめんどくさそうに顔を上げて首をひねっている。
「なんでアタシが知ってなきゃならねえんだ?アタシはアイツの保護者か?」 
「でも……神前先輩は……」 
「ああ、アイツはシミュレーションの結果の修正をしてたんだ。それとカウラは今は隊長室」 
 そう言うと要はゆっくりと立ち上がる。要の反応をじっと観察していたロナルドはじめ第四小隊の面々はそれを確認するとそそくさと立ち上がりそのまま部屋を出て行った。
「隊長室?また要ちゃんが何かしたから怒られてるの?」 
「だからなんでアタシとアイツをくっつけて考えるんだよ。あれだ……お姉さんの抜けた後のことでいろいろとな……まあちっこい姐御はもう案を出してるらしいからその説明だろ」 
 そう言うとそのままランの部隊長席の隣の出口へと進んでいく要。
「いい加減着替えねえとちっこいのが怒るぞ」 
 要に指摘されてまたランの怒りを買うと思ったシャムとアンはそのまま小走りに部屋を飛び出していった。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常22

 周りを見渡す。古参兵の姿は無い。新入隊員達は自分の仕事で汲々としているようで誰もシャムとアンの姿には目も向けていなかった。
「そのまま静かに降りてください」 
 西の言葉にシャムはどうやら自分が降り立った機械が相当やばいものだと察してアンを連れて静かに地面に降り立った。
「あのさあ、西君。これ……何の機械?」 
「知らないで乗ったんですか?」 
 天井を仰ぐ西。そして静かに西がつぶやき始める。
「アサルト・モジュールの主力エンジンの燃料は知っていますよね?」 
「反物質……主にヘリウムから合成した……」 
「そこまで分かっていればいいですよ。反物質が一旦こう言う外界に出て大気中の物質に触れたらどうなります?」 
 うつむき加減でいかにも怖がらせようと言う意図が見え見えの西の言葉に苦笑いを浮かべながらシャムは頭を掻いた。
「わかんない」 
「中尉!大爆発です!対消滅爆発!」 
 つい飛び出したアンの激しい言葉。シャムはとりあえず対消滅爆発が相当なすごいことだと言うことだけは理解して暗い表情の西を見つめた。
「で?」 
「で?じゃないでしょ!そう言う物質を安定化させて保存するのがこの機械です!現在は機体に残ったその反物質の抜き取りをしているわけで……」 
「そう、抜き取りをしているわけ」 
 突然の声に西が振り向く。そこには満面の笑みの島田が立っていた。
「西、貴様はシャムさん達があのパイプを降りてくるのを黙ってみていたわけだな?」 
「班長!自分は……気づかなくて……」 
 西の顔が次第に青ざめる。島田の笑みがどちらかと言えば怒りから発した笑みだと分かってシャムは逃げ出したいと言うように周りを見渡した。
 遠くで吉田が様子を伺っている。助けを求めるべく視線を投げるが吉田はぷいっと背を向けてそのまま詰め所に上がるハンガーへと歩き始めてしまっていた。
「ナンバルゲニア中尉……中尉も中尉ですよ。僕はちゃんと通路を通るように言いましたよね?」 
「言ったっけ?」 
 とぼけるシャムだがじっとりと脂汗が額を流れる。そして自分の言葉が明らかに島田の怒りに火をつけたのが分かって後悔の念にさいなまれた。
「西!テメエ何年ここにいる!」 
 怒鳴りつける島田、両手を握り締め、いつでも西の胸倉を掴みかかれるような体勢で三人をにらみつけている。
「もうすぐ……三年に……」 
「だったらテメエが何を扱ってるかくらいわからねえのか!事故じゃ済まないんだよ!こいつが吹っ飛べば災害なんだよ!もう町一つ消し飛ぶんだよ!それを……見てませんでした?ふざけるな!自分の目が届かないなら監視に新兵捕まえとくとか方法があるだろ!ちっとは頭を使え!」 
 西を怒鳴りつけた後同じく殺気を込めた表情でシャムを見つめる島田。シャムとアンはただその迫力に押されてじりじりと引き下がった。
「中尉……別にここは俺達技術屋の神聖な場所だから土足で入るなとは言いませんよ……でもねえ」 
 一応はシャムの階級は中尉。ましてや遼南では『白銀の騎士』と呼ばれた伝説になるべきエースである。頭から怒鳴りつける勇気は島田には無かった。
「俺達も必死で仕事をしてるんですよ。仕事ってのは中尉達の機体が安全に運行できるようにすべての機材のチェックを行うことなんです。ですからあんまり勝手なことされると……俺だって西を怒りたくて怒っているわけじゃないんですから……その辺分かってくれます?」 
 しゃべりながら半歩ずつじりじり迫ってくる島田の迫力にシャムは思わずのけぞった。
「う……うん分かった」 
「そうですか……わかってくれましたか……」 
 そう言うと島田は身を引いて大きく深呼吸をした。シャムはようやく嵐が過ぎたと言うようにため息をついた。
「一応、このことはクバルカ中佐に報告しますんで」 
「え!」 
 冷静に放たれた島田の言葉に飛び跳ねるようにシャムは驚いた。島田はあまりシャム達のミスを上に報告したりはしない。逆にそのことで自分の直属の上官である技術部長の許明華大佐に怒鳴りつけられている姿もシャムは何度か見ていた。その島田がシャム達の行動をランに報告する。シャムは自分のしたことを悔いながらうなだれたまま島田に敬礼した。
「ハンガーにはそれだけ危険なものがあるんですよ」 
 去っていくシャムとアンの背中に慰めるような島田の言葉がむなしく響いた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常21

「まずアタシが言いたいのは……わかるよね」 
「法術の使用タイミング。焦りすぎました」 
 直立不動の姿勢でシャムに答えるアン。その態度と的確な言葉に感心したようにつなぎ姿の島田がうなづいている。シャムはそれを一瞥すると言葉を続けた。
「初期の情報でアサルト・モジュールは2機移送された可能性があると分かってたよね。なら当然二機が同時に起動している可能性も考えられるでしょ?」 
 シャムの言葉に静かにうなづくアン。シャムはしばらく腕組みをした後、先ほどの端末を起動させて慣れた手つきでキーボードを叩いた。
「今回のミッションの概要。まとめておいたからこれに目を通してレポートお願いね。提出は明日の夕方。大丈夫?」 
「大丈夫です!では……」 
 そう言うとアンは先ほど整備班員達が器用にケーブルと伝って降りていったのを思い出して通路から身を乗り出した。下まで優に8メートルはある。
「止めとけ止めとけ。地道に移動だよ」
 島田がそう言うとアンは通路の手すりから手を離して先ほどのコードの森に向けて歩き出した。
「やっぱり教官経験者は違いますね」 
「正人……茶化さないでよ。アタシだって一杯一杯なんだから。ランちゃんのようには行かないよ」 
「まあ……あの御仁は根っからの教官ですからね」 
 島田はシャムの言葉を聞くと制帽を被りなおして通路の手すりに手をかける。
「それじゃあ!」 
「うん!」
 降りていく島田を見てシャムもまた手すりに手をかける。下を見る。木登りの得意なシャムなら余裕で降りれることは分かりきっていた。
「でも……先輩として見本にならないと!」 
 自分に言い聞かせるようにしてそう言うとシャムはアンが消えていったコードの森に足を踏み入れた。
 相変わらず一見不規則に並ぶ太いコードと色とりどりの端子。その間には太いパイプが何かを流しながらうなりを上げている。
『シャム!シャム!』 
 遠くで吉田の叫ぶ声が響く。
「ああ、3キロ走の準備か……」 
 少し照れながらシャムはそのまま狭苦しい通路を塞ぐコード類でさらに狭くなった道をはいつくばって進んだ。
 先ほどの邪魔なコード類をパージする作業で多少は減っているコードの数だが、相変わらず多い。
『シャム!早くしろ』 
 吉田の声が響くがシャムはひたすら貧弱なカバーが取り付けられた端子を避けながら這い続ける。
『俊平……意地悪で急かしてる』 
 口を尖らせてなんとか第三小隊隊長である嵯峨楓少佐の機体のコックピットの前にまで出た。
 作業の関係上、コックピットの前では調整作業や先ほどアンに施したようなシミュレーション訓練のための端末を置くスペースがあるのでケーブルの数が減って立ち上がることが出来る程度の余裕が生まれる。
『シャム!』 
「俊平!何度もうるさいよ!」 
 そう怒鳴った後大きくため息をつくシャム。この面倒極まりない障害物競走の後には3キロ走が待っている。法術を使おうが使うまいが3キロは3キロ。空間を切り裂いて瞬時に移動することも出来るがそんなことをランが許すはずも無い。
「これも訓練、訓練」 
 自分に言い聞かせるようにしてシャムはそのままコードの森に再びもぐりこんだ。行きのあまり急がないで進んでいたときはそれほど邪魔に感じなかった定期的に出現する緑色の冷気を溜め込んでいるように煙をたなびかせているパイプが今度はやけに邪魔に感じる。
「アン君!」 
 シャムは退屈紛れに叫んでみた。
「中尉、早いですね」
 意外なほど近くからのアンの声にシャムは驚くと同時に自然と笑っていた。
「アン君が遅いんでしょ?急がないとランちゃんに怒られるよ」 
「中佐が怒るのは慣れましたから。それより中尉の方が吉田少佐に冷やかされるんじゃないですか?」 
 行く手をさえぎる一本の大きなケーブルの向こうで振り向いているアンの姿がシャムの目にも見えた。シャムは苦笑いを浮かべながら黙ってそのケーブルに手をかけた。
「急いで急いで!」 
「了解」 
 かなり遅れて出発したはずのシャムが真後ろまで来ていることを改めて確認するとアンはせかせかとコードの洞窟を進んでいった。
「西園寺大尉の機体が見えました」 
「報告は良いから急いで急いで」 
 退屈紛れのアンの言葉にシャムもさすがに飽きてそうつぶやいていた。
「あ!」 
 アンの声が響いて黄色いコードを踏みちぎりそうになったシャムが前を向いた。そこには先ほどは無かったコードの滝のような情景が広がっている。
「アン君、迂回できる?」 
 シャムの言葉にしばらくアンは左右を見回している。そして静かに振り向き首を振った。
「さっきの作業の時に動いたのかな……どうしよう」 
「とりあえず戻りますか?」 
 そんな弱気なアンの提案にシャムはしばらく沈黙した。周りを見回す。通路を越えて伸びる黒いコードの列の間に隙間がある。良く見ればシャムやアンくらいなら入れる程度の広さがあった。
「正人はああ言ったけどやっぱりこっちから行くしかないよね」 
 シャムはそう言ってその隙間を指差す。泣きそうな顔を浮かべたアンを見るとなぜかサディスティックな気持ちになったシャムはそのまま体を隙間へとねじ込んだ。
 コードの森から身を乗り出すとハンガーの中の冷気が身にしみる。コードの周りの塗料が染み込んで黒くなった手をこすりながら下を見るとちょうどスロープのようにコードが階下の大型の機械に向けてなだらかに続いているのが分かった。
「アン君。行けるみたい」 
 シャムはそう言うとそのまま体をコードの間から引き抜いた。作業中の整備班員達はそれぞれの仕事に忙しいようで自分に気づいていないところがシャムには面白く感じられた。そしてそのまま一本の頑丈そうで手ごろなコードを握りながらラベリング降下の要領で静かに降り始める。
「大丈夫なんですか?」 
「大丈夫だって!」 
 心配そうにコードの間から頭を出しているアンに声をかけるとシャムは再びするすると地面に向けて降り始めた。
『早くしろ!シャム!』 
 相変わらず吉田が叫んでいるのが聞こえるがシャムは無視してそのままコードを伝って降りていく。頭上のアンも覚悟を決めたというようにシャムを真似て降り始める。シャムとは違いレンジャー部隊での勤務経験の無いアンはいかにもおっかなびっくりずるずると降りてくる。その様がシャムには非常に滑稽に見えて噴出しそうになるのを必死になって堪えた。
 ようやく足が大きな唸りを上げる機械の上についた。シャムは静かに着地すると周りを見渡した。
「ナンバルゲニア中尉……」 
 最初にシャムに気がついたのはその機械に取り付けられた端末に何かを入力していた西だった。
「これって何の機械なの?」 
「知らないで乗っかったんですか?」 
 シャムのあまりに素直な質問振りに呆れながら西は周りを見渡して口元に手を当ててシャムに静かにするように合図した。


テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常20

「シャムさん、足元!」 
 島田の声でシャムは下ろそうとした左足の下を見た。何本もコードが連なっている集合端子が見えて思わず隣のケーブルに足を掛ける。
「本当に注意してくださいよ。ケーブル一本で俺達の給料一か月分なんですから」 
「ごめんね……でもヨハンはここを通るの?」 
「あの人の場合はまず最初から入れませんから。俺達がデータ出力端子を引っ張って入り口の端末でデータ処理をするんですよ」 
「ああ、なるほど」 
 シャムは巨体の持ち主のヨハンを思い出してなるほどと思うとそのまま目の前の中で何かが流れているらしいパイプを潜り抜ける。そしてようやくそこには巨大なメイドのイラストが描かれた誠の専用機のコックピットが現れた。
「島田君。疲れたよ」 
「毎日3キロ走っている人がよく言いますね」 
「こんなところ通るくらいなら3キロランニングのほうがましだよ」 
 シャムは無理をして曲げた腰を抑えながらコックピットの前の空間に腰を下ろした。後ろでもアンがあきれ果てたというように余裕でパイプをくぐってきた島田の顔を見つめていた。
「まあ俺達は慣れてますから。さあ、あと十五メートルくらいですよ」 
「はいはーい」 
 島田に急かされて立ち上がるシャム。コックピットの隣に据え付けられたデータ解析用端末の隣はすでにコードのジャングルが始まっていた。シャムは再びその中をくぐる。緑、赤、黄色。色鮮やかなコードのトンネルをくぐるシャム。次第にコツがつかめてきて先ほどよりも早く要の愛機の三号機のコックピット前の広場にたどり着いた。
「はい!次は楓さんと御付の人の機体を越えて!」 
「うん!」 
 シャムはそのままコードの森に突入した。後ろではうんざりしたという表情のアンが、楽しげに森を進むシャムに呆れながらその後ろに続いた。コツがつかめれば意外なほど早く進めることに気づいてシャムは少しばかり楽しくなってきていた。さまざまな色のコードの縞々。端子に付いたセンサーの光る様。時々何かを流しているパイプの中から響く不思議な音。シャムはそれらを楽しみながらどんどん進んでいった。
「あのー、シャムさん。そこには入らなくて良いですから」 
 吉田の声を背中に聞いて、自分が第四小隊の機体に向かう通路に向かっていることに気が付いたシャムは照れたような笑みを浮かべながら疲れ果てたアンを見て苦笑いを浮かべていた。
 アンの機体は東和宇宙軍の制式色である灰色の一般的な機体の色だった。マーキングも特になく、実戦経験の無い彼らしいプレーンな機体に見えてシャムには好感が持てた。
「じゃあとりあえず入ってみて」 
「ここに?」 
 アンが指差す。そこには開きかけのコックピットハッチから何本ものコードが延びていて比較的小柄なアンですらとても入れるような隙間は無かった。
「ああ、ちょっと待ってください……」 
 そう言うと島田は身を翻して通路の手すりから飛び降りると器用に太いケーブルに足を掛けて駆け下りるようにハンガーの一階へと下っていく。
「凄いね」 
「慣れているからじゃないですか?」 
 珍しく生意気な口を利くアンに笑みを漏らしながらシャムはそのまま制御モニターの並んだブロックで談笑している部下に指示を出している島田を眺めていた。
「すみません!少し離れてください!」 
 島田が叫ぶ。思わずシャムは周りを見渡した。
「離れるって……どこに?」 
 そんな言葉が漏れたがオートでコックピットハッチが全開になったところで据え付けられていた通路がゆっくりと持ち上がると野生の勘でコードの森に飛び込んだ。
「アン君!こっち!」 
 シャムはそう叫ぶとうろたえて右往左往するアンの首筋をつかんで引っ張り込む。二本の太いパイプがゆっくりとコックピットから引き剥がされ、それに付属しているさまざまなコードがぶらりと垂れ下がってまさにジャングルの蔦植物のようにも見える光景が目の前に展開した。
 そんな様を黙ってみていたシャムだが、すぐさま島田と同じようにケーブルに足を掛けてすばやく登ってきた技術部員達がそれぞれのコードのむき出しの端子にカバーのようなものを取り付ける作業を始めるのを見てさすがに感心させられた。
 赤いコードには赤いカバー。青いコードには青いカバー。作業つなぎのベルトに取り付けられた袋からすばやく取り出しては作業を続ける。そして一人の古参の下士官がそのまま開いたコックピットの中に入ると左右の隙間から伸びていたコードが次々と吐き出され、同じようにそれぞれのコードの先にはカバーが取り付けられていく。
 その作業が一段落すると今度はカバーをつけていた隊員達は機体の背後に回り何か作業を始める。だらんとぶら下がっていた二本の太いパイプは天井に。コックピットの左右から取り出されたコードは後ろへと引き込まれていった。
「うわー」 
 感心してコードを見上げるシャム。アンはそれを見ながら彼女の袖を引っ張った。
「シャムさん。これでなんとかなるでしょ?」 
 再び降りかけたコックピット前の通路に飛び上がった島田にアンはうなづきながら口をあんぐりとあけて天井を見上げているシャムの肩を叩いた。ようやく我に返ったシャムは恥ずかしそうに頭を掻きながらコックピットの隣に据え付けられている制御用端末に足を向ける。
「アン君、搭乗!」 
 シャムの言葉にはじかれるようにしてアンがコックピットに滑り込む。しばらく端末のモニターを眺めていたシャムだがしばらくして再び宇宙空間と思われる画面が目に飛び込んできた。
「ああ、これじゃないよ。M-24に変えて」 
 島田が端末の隣に置かれたヘッドギアをシャムに差し出す。シャムはそれを頭につけると口元のマイクに向けて叫んだ。端末の画面が次々と変わり、そして最後に熱帯雨林を思わせる情景が目に入ってくる。
「状況は川口条約締結下のベルルカンでの治安維持活動。武装勢力への第三国の武器供与で3機のアサルト・モジュールが運用されている状況。政府軍の支援は無し。あと気をつけてね、政府系武装勢力がいるからそれを攻撃したらゲームオーバーだから」 
 シャムの言葉に端末の画面の右端の小さなウィンドウの中のアンは苦笑いを浮かべながらうなづく。
「目的はあくまでアサルト・モジュールの鹵獲または破壊。敵武装勢力の掃討は任務じゃないからね」 
『了解しました』 
 素直なアンの言葉と同時に画面が動き始める。地上を這うように進んでいることを周りの木々の動きが見るものに知らしめた。『川口条約』は東和が提唱し、同名加盟国と地球諸国が参加している軍事条約でベルルカン大陸全体でのあらゆる軍用飛行兵器の使用を禁止したものだった。当然その中で同盟の直属司法組織である保安隊が条約違反をするわけにはいかない。実際、外惑星の動乱と並んで不安定な遼州惑星南半球に広がるベルルカン大陸諸国の内戦への対応は保安隊の直近にかかわる可能性のある大事件であることは間違いなかった。
「トラップに気をつけてね。撃破されることは無くても任務に支障をきたす損害を受ける可能性は高いから」 
 シャムの言葉が終わった直後、画面が火炎で覆われることになった。
『うわ!』 
「焦らないで!そんなのたいしたことじゃないよ!狙いは別!考えて!」 
 アンはシャムの言葉にうなづくと静かに視線を落とした。
「早速センサー系と法術ゲージの確認。誠よりも筋が良いんじゃないですか?」 
 ニヤニヤ笑う島田はそう言いながら端末から伸びるサブモニター付属のキーボードを叩き始めた。
『熱源……二!パターンは装甲ホバー……と……』 
 アンがそこまで言ったとき今度は衝撃波が機体を襲う。モニターの中で泥でにごった川の水が跳ね上がるのが見える。
「判断が遅いよ!最悪の可能性で常に慎重に行動。単独行動任務の最低限の原則!」 
『すみません』 
 謝るアンだがまだ敵の攻撃は続いていた。榴弾を発射して時間を稼ごうとするアン。幸い、政府側民兵組織の攻撃が始まり、目標の関心はそちらへと移っていく。そしてアンは自分の機体がまるで破壊されたような姿で川の中に仰向けにひっくり返っていることに気がついた。
『このまま起きていいんでしょうか……』 
「それは自分で考えないと」 
 シャムは教官らしく厳しく言い放つ。その姿になんとなく冷やかしたい気持ちいっぱいという表情の島田が笑みを堪えながらデータの解析を続けていた。
『しばらくはセンサーでの解析作業……振動?』 
 正解を求めて哀願するような視線をシャムに向けるアン。だがシャムは答えることもせずにじっとモニターを見つめている。
「少しは助け舟くらい……」 
「島田君は黙ってて」 
 さすがに見かねて口を挟んだ島田を一言で蹴散らしたシャム。そのやり取りを見てアンは真剣な顔でセンサー類のチェックを開始した。
『二足歩行?……間違いありません!目標一!ターゲット確認しました!』 
「それでは対応行動!」 
 ようやく一機の破壊対象を発見したことで笑顔を浮かべたアンだがすぐに集中した表情で機体を起き上がらせる。破壊されていたと思っていた機体が突然起き上がったということで周りの武装勢力の動きに乱れが生じる。
『距離……1500!一気に接近します!』 
 アンはそう叫ぶと法術を発動させた。空間が切り裂かれ、周りの景色が赤く染まる。
「早いよ……」 
 小さな声でシャムがつぶやく。景色は赤く染まり、その中央に棒立ち状態の敵にアンの機体の右腕から伸びたニードルが突き立てられる。
 ニードルは白い塊の上部に突き立てられていた。次第に空間の時間進行の差異が縮まり、周りが普通の光景になるとその目標がベルルカンなどでよく見られる前世代のアメリカ軍制式アサルト・モジュール『M5』であることが分かった。その胸部の装甲にがっちりとアンの機体の右腕から伸びたニードルが突き刺さっている。
『このまま行動を停止させます』 
 そう言うとアンは機体の左腕を使って暴れるM5の左腕を捥いだ。
「やっぱりM5の関節は弱いんですねえ」 
「まあ開発年代が違うからね」 
 島田の質問に答えるシャムの顔に笑顔は無かった。
『目標からの電信です。投降の意思を示しました。このまま……』 
 そこまでアンが言った時、急に機体のバランスが崩れた。乱れるモニター、背部に被弾したことを示すセンサー。
『背後からレールガンの狙撃!背部スラスター損傷!エネルギーバイパス部に20パーセントの損傷!離れます!離脱します!』 
 叫ぶアン。シャムは相変わらず難しい表情でモニターを眺めていた。
「味方を囮かよ……えげつないねえ」 
「よくある手だよ。このくらい意識しておかないと……アン!退避行動!」 
 シャムの言葉だが慌てるアンには届くはずも無い。法術ブースターの作動にはまだ力の蓄積が足りず、アンはただよたよた機体を後ろに進めながら川の中へと機体を進めた。次々に発射されるレールガンがアンの機体の右腕を吹き飛ばし、頭部にダメージを与えてモニターの一部に欠落が出始める。
『このまま水中に……!膝関節部分浸水!』 
 アラームが鳴り響く。アンは仕方なく水から出るが、今度は先ほどの装甲ホバーからと思われる攻撃は始まった。
「助けてあげないと……このままじゃ戦死ですよ」 
 島田の言葉を聞くとシャムは静かに部隊の執務端末に伝票を打ち込んでいたときとはまるで違う慣れた手つきでキーボードを操作した。
 モニターが暗転する。
『ふう……』 
 アンが大きくため息をついてシートに身を任せる。
「結論から言うと……」 
『分かってます』 
「じゃあ良いよ、降りて」 
 シャムの言葉にアンは手元のシミュレータ装置の電源を切る。シャムの見ていたモニターも暗転した。シャムはそのまま視線をうなだれてコックピットから這い出してくるアンに目を向けた。

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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常19

 誠が岡持ちにランの食べた酢豚定食の皿を並べている。どさくさまぎれてそんな彼に要が皿を差し出す。自然と受け取る誠。そんな彼をカウラが鋭い視線でにらみつけている。
「シャム、例の伝票。菰田の野郎に送り付けといたからな」 
 その様子を小脇に見ながら吉田がぼそりとつぶやく。
「ひどいよ俊平。だったらさっさとやってくれればいいのに」
「馬鹿。そんなことしたらお前さんはいつでも頼るだろ……じゃあ行くか」 
 そう言うと吉田は立ち上がる。アンもそれに釣られるようにして立ち上がった。
「もう行くの?」 
「なに、俺はセッティングをしておいてやろうとおもってさ。島田の奴もいろいろ忙しいだろ?」 
「そうだね」 
 珍しく気を使う吉田に合わせるようにシャムも椅子から飛び降りた。そのまま部屋を出ようとする吉田。
「じゃあ行ってくるね!」 
「おう!行って来い!」 
 ランに見送られてシャム達は部屋を出た。アンが心配そうな表情で後に続く。そんな一行の目の前には技術部の古参兵と管理部の背広組と警備部の新人二人を連れた菰田だった。
「あ、吉田少佐。ありがとうございました!」 
 脂ぎった顔を驚きで満たした表情で菰田が吉田に頭を下げる。その顔がにんまりとした笑みに変わりながらあがってくるのを無表情で見つめていた吉田が首をかしげる。
「え?何が?」
「あの、伝票……本当に助かりましたよ」 
「ああ、その件ね。あのさあ。俺達に面倒ごと押し付けるの止めてくれないかな?」 
 淡々と言葉をつむぐ吉田を見て笑顔が急に凍りつく菰田。周りの『ヒンヌー教徒』達も吉田の表情の変化に全身系を集中している。伝説の傭兵として知られた変わった経歴の持ち主の義体使い。相手にするにはあまりにも異質で理解を超えている存在を前にしての緊張。そして明らかに吉田は菰田達を良く思ってはいない。
「……以降気をつけます!」 
「ああ、分かってくれりゃあいいよ」 
 吉田の言葉が終わらないうちに菰田は管理部に飛び込んだ。取り巻きもそれぞれに自分の部署へ小走りに消えていく。
「痛快ですね!」 
 アンの言葉に同じような冷たい視線を浴びせた後、吉田はシャム達を引き連れてそのままハンガーが見える踊り場へと歩き出した。
「アン君。ほら、見てるじゃないの」 
 シャムが見たのはガラス張りの管理部の部屋でじっとシャム達をにらみつけている菰田の姿。吉田はと言えばまるで相手にする気は無いというようにそのままハンガーへ降りる階段を下っている。
「ああ、例の件ですね!」 
 降りてくる吉田達をいち早く見つけたのは待機状態のまま固定化されている保安隊の秘密兵器、『カネミツ』の入った巨大な冷却室のスイッチをいじっていた上等兵だった。彼はそのままシャム達に敬礼するとはしごから降りて走り出す。
 階段を降りきったところでシャム達がハンガーの入り口のあたりを見ればグローブをはめたままの古参兵達と先ほどの上等兵がなにやら話をしているところだった。
「あいつ等も偉くなったもんだな」 
「だってそれなりの仕事はしてくれているじゃん」 
「まあな」 
 吉田がしぶしぶ苦笑いを浮かべるのを見ながらなぜかシャムはうれしい気分になった。
『絶対に貴様だけは守ってやる』
 その昔、故郷遼南の内戦の激戦の中、吉田はシャムにそう言ったことがあった。それからは一時期シャムが農業高校に行っていた時期以外はほとんど一緒にすごしてきた二人。
『やっぱり俊平は頼りになるな』
 昔を思い出すとなぜかいつも顔が自然とニコニコしてくるのがシャムはうれしかった。
 そんなシャム達に向かって先ほどの上等兵が再び駆け寄ってきた。
「島田准尉から案内するようにとのことを言い付かりました」 
「いいよ、自分の機体だぜ。行き方位……」 
「それが……あの……」 
 そのまま上等兵を置いていこうとする吉田に上等兵は煮え切らない表情を浮かべた。
「なんだよ」 
「調整中でコードとか……」 
 もじもじつぶやく上等兵に一瞬無視して歩き出そうとした吉田だがすぐにシャムとアンを振り返って立ち止まった。
「あれか……ヨハンのデータバックアップ作業の機材がそのまま接続されてるんだろ?じゃあ頼むわ」
「ありがとうございます!」 
 上等兵は歓喜の表情で歩き出す。シャムは彼を見ながら彼の様子を入り口のあたりでじっと見守っていた古参兵に囲まれた島田の様子を見て安堵の表情で吉田達に続いた。
「しかし……隊長も気前がいいな」 
 吉田はそう言いながら第一小隊の三機を固定している足場に上るためのエレベータに飛び込んでそうつぶやいた。
「一応アタシ達がすべての引き金を引いたんだから。処理はしないと」 
 面倒そうな吉田をシャムは苦笑いを浮かべながら見上げる。ゆっくりと鉄製の網で覆われたエレベータが上がり始める。ハンガーには整備班員達が食後の軽い運動としてキャッチボールをしていたようで島田達のグローブを新入隊員達が回収している様が見て取れた。
「出口から……ちょっと気をつけてくださいね」 
 上等兵がそこまで言うと昼休みの終わりを告げるサイレンが隊舎に響いた。シャム達の目の前。ランの一号機に向かう通路には太いケーブルが何本も壁の端子から延びており、そのままそれはランの小柄な体型に似合いの小さなコックピットハッチへとつながっている。その前には頑丈すぎるように見える椅子とモニター付の端末が置かれていた。
「まあヨハンが通れる程度の場所なら俺達なら問題は無いよ」
 そう言うと吉田は静かに通路を歩き始めた。シャムとアンは珍しそうに太いケーブルから伸びる色とりどりの細いケーブルとそのあちこちにつけられた計測機器に目を奪われながら進む。
「第一小隊三号機でシミュレートします?それとも……」 
「俺の機体だと二人には分からないだろ?シャムの奴の機体を使うよ」 
 そう言うとそのまま一号機の取り外したバックパックから伸びる数知れない数のケーブルの下をくぐりながらそのまま四人は通路を進んだ。表側とは違い、あちこちの装甲板がはがされたり半分開いた状態で固定されていることが良く見える。その開いた部分には多数のメモ書きが貼り付けられ、その半分以上からは後ろの壁の端子に向けてコードが延びて機体の状態のチェックが行われていることがわかった。
「こうしてみるとやっぱり整備は大変だね」 
 感心したようなシャムの言葉に先頭を歩いていた上等兵は苦笑いを浮かべながら振り向いた。
「まあ『05式』は特に手がかかる機体ですから。それにうちに出動が出るときは次に整備できる状況が整うのがいつになるか分かりませんからある程度細かいところまでチェックしているんですよ」 
「そうだよね。遼南内戦の時はこんな施設は無かったから戦闘中の故障も多かったし」
 シャムの言葉に実戦経験者の風格を見て取ったのか上等兵の目が尊敬の光を帯びているように見えてシャムはむずがゆい気持ちになった。
「ここからはちょっと気をつけてくださいね。太いコードは踏んでも良いですが細いのはお願いですから踏まないでくださいよ」 
 上等兵がそう言ったのはシャムの白銀の専用機が目に飛び込んですぐのことだった。シャム達がよく目を凝らせば目の前の通路には無数の電線がシャムの白銀の機体から伸びて壁を這うようにして下へと伸びているのが見える。先頭を歩く吉田は自分の義体が優に100キロを超えていることは知っているので慎重に足場を選びながら慣れた調子で進んでいく上等兵の後をついて歩いていった。
「おい!舟橋!」 
 突然の声にシャム達は下を見下ろす。そこには器用にケーブルに足をかけて上ってくる島田の姿があった。
「危ないですよ!島田先輩!」 
「アン……注意は良いから手を貸せよ」 
 通路の縁まで登ってきた島田をアンが何とか通路の中へと引っ張り込む。なんとか立ち上がった島田はそのまま白い技官用作業制帽を被りなおすとそのまま先頭で様子を伺っていた舟橋と呼ばれた上等兵に目を向けた。
「すまないがシンプソン中尉を呼んできてくれ」 
「はい!」 
 舟橋と呼ばれた上等兵は島田の言葉にそのまま走り出す。
「さてと……吉田さんはどんなデータがこの機体から吸い上げられたかご存知でしょ?」 
「まあな。ヨハンから頼まれてた空間管制能力の管理デバイスの修正の結果だからな。俺も関心がある」 
「くうかんかんせいのうりょくのかんりでばいす?」 
 吉田の言葉についていけないシャムは首をひねった。
「お前さんの能力だろ?時間軸をずらしたり、空間の連続性を遮断したり、空間そのものを歪ませて対ショック体勢を取ったり……」 
 続けざまに吉田に指摘されてもシャムはよく分かってはいなかったがとりあえず後輩のアンの手前もあってあいまいにうなづいた。
 吉田は明らかにシャムが自分の言葉を理解していないのは付き合いが長いので分かりきっているのでそのままニヤニヤ自分を見つめてくる島田を無視するとそのままコードの山の中に踏み入った。
「舟橋の野郎も言ってたでしょうが弱そうなコードは踏まないでくださいよ。ナンバルゲニア中尉はいつも機体の腰部に負担のかかる操縦をするからそのあたりの動作パターンデータの収集と同時にこの前菱川のシステム室から内緒で持ち込んだ修正オペレーションシステムのインストール中なんですから」 
 心配そうな島田をよそに吉田は一歩一歩確かめるようにして白銀の機体の腰を取り囲むようにつけられた足場を慎重に進んだ。
「やっぱりナンバルゲニア中尉でも機体の操縦に妙な癖とかあるんですね」 
「アン。エースになればなるほど機体に負担をかける操縦をするもんだぞ。お前さんももう少し俺達を信じて思い切って操縦してくれよ」 
 薮蛇な島田の言葉にアンは思わず頭を掻いて見せた。
「それじゃあ……吉田さん!」 
「おう!」 
 コックピットの前の大きなパイプに腰をかけて吉田は島田とシャムに振り向いた。その背後に手をやって彼はようやくそこにモニター付の端末が設置されていることに気づいた。
「なるほど、これをいじればいいんだな」 
「察しがいいですね。ナンバルゲニア中尉。とりあえずコックピットにお願いします」 
「うん!」 
 島田の言葉にシャムはそのまま跳ねるようにして吉田の前のパイプに飛び乗るとそれが伸びているコックピットのハッチの中に体を滑り込ませる。座りなれたコックピットだが、目の前の計器盤には多数のコードがつながれ、周りに展開されているフルスクリーンは閉鎖不能で早速始動させるがエンジンの起動音も響かずスクリーンのあちこちからハンガーの内部が見て取れた。
「エンジンかけても無駄ですよ」 
「やっぱり?」 
 舌をだしておどけて見せるシャムに島田は大きくため息をついた。
「島田准尉!」 
 外で女性のか細い声が響いた。
『レベッカだな』 
 シャムはそう思いながら操作レバーを弄る。確かに手ごたえはあるがエンジンが動いていない以上当然機体が動くはずも無い。良く見るとモードはシミュレーションモードで機体の状況を知らせるモニターには各部の負荷のデータが映っているのが見える。
「俊平!」 
「おう、分かったみたいだな」 
 目の前の空間に吉田の顔が映る。おそらくは首のジャックにコードを挿してシミュレータを起動させたのだろう。周りには宇宙空間のような暗い世界が映し出された。
「アン!吉田さんの足元に体感ゴーグルがあるだろ?」 
「はい!」 
「じゃあそれをつけてナンバルゲニア中尉の行動を勉強しろ」 
 島田の声と同時にがさごそと音がするのがシャムからも聞こえてくる。だがシャムは周りの宇宙空間がいつものように珍しくて首をぐるぐると回していた。
「あのー、ナンバルゲニア中尉?」 
「うわ!」 
 振り向いたシャムの後ろに巨大な緑色の二つの球体が現れたのでシャムは思わず叫んでいた。
「レベッカ……驚かせないでよ」 
「ご……ごめんなさい」 
 おずおずとそう言うとなんとか体勢を整えてシャムのシートの隙間に入り込んで眼鏡をなおす金髪の女性。レベッカ・シンプソン中尉はそのまま苦しそうに大きな胸の間に入っていた端末を取り出すと足元の端子に伸ばしたケーブルをつないだ。
「それにしても大きいね」
「きゃあ!」 
 シャムがいたずら心でレベッカの胸に手を伸ばす。レベッカは驚いて胸を押さえるがその拍子に端末を取り落とし、また体を無理に曲げてそれを取ろうとする。
「言ってくれれば良いのに」 
「でもナンバルゲニア中尉のせいじゃないですか」 
 レベッカはいつものびくびくした調子で上目がちにシャムを見つめてくる。シャムはにんまりと笑った後、その様子をモニターで呆れ半分で眺めていた吉田と島田の顔を見て頭を掻いた。
『ふざけてないで。先週の24番のファイルを起動』 
 淡々とそう言うと吉田達のウィンドウが隠れて回りに宇宙空間の映像が浮かぶ。
「ああ、これね。誠ちゃんとの模擬戦。結構まともになってきたみたいで面白かったんだよな」 
 シャムの言葉の直後に下からと思われるレールガンの閃光が目の前を走る。
「きゃあ!」 
「レベッカ驚きすぎ」 
「すみません」 
 戦闘中の模様を映しているだけの画面を頭の後ろに手を組んで眺めるシャム。その後ろで端末を操作しながら時折走る閃光にびくびくと首を出したり引っ込めたりするレベッカ。
 あくまでも法術の発動実験という名目の模擬戦。実際の戦場ではありえないとされる一対一の管制官無しの戦いの帰趨だが、シャムもさすがに所詮はアマチュア程度に思っている誠に負けてやるつもりは無い。
 十二発。『05式』のレールガンのワンマガジンの発射数の分だけ閃光が走ったことを確認すると周りの星空は一気に光の帯へと姿を変えた。
「空間制御……」 
 一瞬周りを見回した後、すぐにレベッカはこれまでのびくびくした気弱な彼女から技術仕官としての職責を全うしようとする士官としての顔に変わって凄まじい速度で端末のキーボードを叩き始めた。
 次第に赤い色の染まる周りの星星の中、一機のアサルト・モジュールの輪郭がしっかりと見て取ることが出来た。
「神前君。ちゃんと進歩しているんですね……こちらの相対速度にきっちりあわせてくるなんて」 
 めがねを上げながらつぶやくアイシャにシャムはうれしそうにうなづいた。
「だってアタシやカウラ達が指導しているんだもの。当然よ」 
 その言葉と同時にモニターに映るアサルト・モジュールが一気にこちらへと加速して近づいてくる。
「でもまだまだ」 
 シャムの言葉と同時だった。青い光の帯を纏った神前のアサルト・モジュールの左手にある剣がゆっくりと振り下ろされる。
「遅い……わざと時間軸をずらしましたね」 
「そう、微妙な調整となると誠ちゃんもまだまだだから」 
 笑顔のシャム。次の瞬間、神前の機体の左手は切り落とされ、シャムの機体の蹴りでそのまま吹き飛ばされて小さくなっていく。周りの星星の赤みが取れ、普通の宇宙空間が広がる。そしてそのままバランスが取れていない神前の機体が急激に大きくなっていくのが分かる。
 レベッカはそれを見た後、手元の端末に何かを入力し始める。シャムは法術増幅システムの計器に目を落とした。限界値ぎりぎり。『05式乙型』は法術師専用の機体とはいえ、シャムクラスの法術師の力に耐えるほどの性能は有していないことは知らされていた。
 そして目の前にウィンドウが開いて眉をしかめている吉田の顔が浮かんだ。
『率直に言うが効率が悪すぎるぞ。もう少し効果的に力を使え。無尽蔵じゃないんだから』 
「そう言うけどさあ。神前君も進歩してきているし……それに相手がどれくらいの実力か分からなかったらどのくらいの力加減で戦えばいいか分からないじゃないの」
 思わず口を尖らせるシャム。吉田の隣では静かに様子を見守っている島田の姿が見えた。
「ナンバルゲニア中尉の言うことも尤もですが……このペースであと二機相手にしたら機体の安全は保障できませんよ」 
 そこまでレベッカが言ったところでキッとシャムは後ろを振り向く。
「あ……技術としてはがんばっているんですけど……この機体の限界というものがありまして……」 
「分かっているって」 
 そう言うとシャムはシミュレータモードのスイッチを落とした。周りの宇宙空間は消えて、白いコックピットの全周囲モニターの内壁が明るく現れる。シャムはそれを見ると伸びをしながら回りを見回した。
「例の法術発動パターンデータシステムが出来れば効率化……できるのかな」 
 シャムの言葉にレベッカは悲しそうな目をして首を横に振った。
「あくまでも発動パターンをデータ化してパイロットの意思の負担を減らすのがシステムの目的ですから」 
「パイロットの負担?アタシはあまり感じないけど」 
「そりゃあお前の法術のキャパシティーが尋常でなくでかいだけだろ?」 
 突然の声に見上げれば吉田がコックピットの開いた隙間から顔を出していた。
「とりあえず、ご苦労さん。シャム、アンのシミュレータの結果を見てやってくれ」 
「うん」 
 吉田に言われてそのままシートの縁に足をかけてコックピットから這い出すシャム。その様子を神妙な顔でアンが見つめているのが目に入った。
「そんなに硬くならなくてもいいよ。あれでしょ?先週の小隊内模擬戦の……」 
「そうです!お願いします!」 
 いつものアンとは違って明らかにシャムに緊張して顔をこわばらせている。その様子に苦笑いを浮かべながら島田か小柄なアンの肩を叩いた。
「遼南屈指のエースの指導を直接受けられる。緊張するのもわかるがいつもどおりやれよ。その方が覚えることが多いぞ」 
「はい!」 
 島田の助言にもかかわらず相変わらず緊張した表情のアン。シャムはコックピットに頭を突っ込んで中のレベッカとシャムの割って入れないような専門的な話を始めた吉田を置いてそのまま通路を進んだ。
 現在全機オーバーホールとデータ整備を行っている為、隣の吉田の『丙式』ばかりでなく、第二小隊の三機のアサルト・モジュールからも同じように太いケーブルと何本も走るコードが道をふさいでいた。
「中尉、切らないでくださいよ」 
 島田が後ろからこわごわ声をかけてくる。小柄なシャムでもようやく通れるかどうかという隙間をゆっくりと進む。
「これだと神前先輩とかは通れませんね」 
 アンの言葉にシャムは苦笑しながら進んだ。人の胴体ぐらいある太さのケーブルをくぐればその端子から伸びたコードが行く手を阻む。それを迂回すれば足場の手すりには多数の部品発注のメモが貼り付けられていて、それをよけて通ればまるでジャングルの中を進むように感じられた。
「誠ちゃんの機体は……」 
 シンプルなグレーのカウラの第二小隊隊長機のコックピット前のコードの群れを抜けたシャムがケーブルとケーブルの間を見つけて頭を上げるが、その隣にあるはずの誠のアニメキャラが全身に描かれた痛特機の姿はまだ見ることが出来なかった。

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ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常18

 突然部屋の扉が開いて入ってきたのは第四小隊の面々だった。
「それにしても……出前ばかりじゃ飽きないか?」 
「マルケス中尉。ハンバーガーでも同じじゃないですか?」 
「なんだよ、アン。生意気な口を利きやがって」 
 口の端に着いたケチャップをぬぐいながら小柄で陽気なラテン系のフェデロ・マルケス中尉は突っ込みを入れたガムを噛んでいるアンに苦笑いを浮かべながら答える。
「今日はオメー等も3キロ走には参加だかんなー」 
『ゲ……』 
 ランの一言にフェデロとその後ろで髪を櫛でとかしていたジョージ岡部中尉が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「俺達もいつまでもお客さんというわけには行かないだろ?まあ当然だろ。アメリカ海軍が最強だということを知らしめてやろうじゃないか」 
 鷹揚に笑うロナルドが立ったまま哀願するような視線を黙って丼飯を掻き込むランに向けている二人の肩を叩いた。落ち込んだように自分達の机に向かう二人。
「そう言えば今日は第三小隊のお二人さんがいないからな」 
 フォローを入れたつもりの吉田の言葉だが、生体部品の塊で走るとただ体組織を壊すだけということでランニングに参加しない吉田に言われたところで二人の落ち込んだ気持ちはどうなるものでもなかった。
「でも岡部ちゃんは早いじゃん」 
「ナンバルゲニア中尉が本気を出したときほどではないですよ」 
 座りながらシャムに向けるジョージの目に光があった。
 空間制御系法術。シャムもジョージもどちらも得意な法術である。自分の周りの空間の時間軸を周りの時間軸より早く設定することで光速に近い速度を獲得できる能力。これは何度かの法術発動訓練でシャムがジョージに指導している課題の一つだった。
「言っとくけどそんでも3キロは3キロだからな」
 ランに当たり前のことを言われて今度はシャムまで落ち込んだ。
「良いじゃないですか。この仕事は体が資本ですから」
「神前。ならオメーは6キロ走るか?」 
「クバルカ中佐……」 
 薮蛇の言葉に思わず誠は苦笑いを浮かべながら振り向いた。
「おう、神前。アタシの皿、かたしといてくれ」 
 ランはそう言うと一人黙ってタンメンを啜っている要に目を向けた。それが合図だったかのように全員の視線が要に向く。
「ただ今戻りました」 
 そのタイミングで帰ってきたカウラ。その視線の先には黙って麺を啜る要の姿がある。
「西園寺さん……おいしいですか?」 
 重くなった空気に耐えられなくなった誠の声に静かに目だけ反応する要。しかし何も言わずに再びその目は汁ばかりになったどんぶりの澄んだ中身に注がれる。
「神前、昼過ぎに少しばかりシミュレータの結果について話があるんだが……」 
 カウラの言葉が要を意識したものではないことはシャムにも分かった。だが明らかにいらだっているような要は手にしていた割り箸を片手でへし折る。
「ああ、カウラさん。その件なら岡部中尉のデータと比較するとよく分かりますよ」 
「へ?……ああ、俺とナンバルゲニア中尉、それとクバルカ中佐のデータ。冷蔵庫で閲覧できるはずだよな……そうだ、3キロ走までの間第二小隊と俺とで冷蔵庫でちょっと打ち合わせするか?」 
 『第二小隊』と強めに発音したのは明らかにカウラの存在を意識している要に気を利かせての発言だとシャムですらよく分かった。シャムはそのまま視線を要に向ける。黙って深呼吸をしている要。その耳が隠れるあたりで切りそろえられた黒髪が静かに揺れていた。
「おう、吉田。コンピュータルームの方の予約はどーなんだ?」 
「あ、空いてますよ」 
「じゃー第二小隊と岡部は昼が終わったらコンピュータルームだ。それとスミスとマルケス」 
 ランの言葉に驚いて振り向くフェデロ。それをニヤニヤ笑いながらロナルドが眺めている。
「テメー等はアタシとシミュレーションルームだ。アタシも今週はシミュレーション実習をしてねーからな。失望させるなよ」 
「了解であります!」 
 フェデロが派手に敬礼する。それを見てアンが噴出しそうになるがフェデロのひげをいじりながらの一にらみに静かに視線を落とすしかなかった。
「吉田。シャムとアンの二人連れてハンガーに行け。『05式』の再調整への協力だ。ちゃんと仕事しろよ」 
「へいへい」 
 子供のようなランに言いつけられていかにもやる気がなさそうに吉田はこたえると再び固形糧食を口に運んだ。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》
ジャンル : 小説・文学

遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常17

 シャムが事務所に向かう階段に手をかけて上を見上げるとエメラルドグリーンの髪が揺れていた。
「カウラ……」 
「お前がいつまで経っても来ないから中佐が心配していたぞ」 
 そのまま呆然とカウラを見上げているシャムのところまで降りてきたカウラはそのままシャムのベルトに手を伸ばす。
「キム中尉の所に返すんじゃないのか?」
「そうだね」 
 シャムはそう言うと慌ててガンベルトをはずした。カウラはそのベルトとシャムの手の中のリロード弾を受け取る。
「じゃあ、これは私が返しておくからな。ちゃんと食事を取れ」
 そう言うといつものぶっきらぼうな表情を残して技術部の部屋が並ぶ廊下へとカウラは消えていった。
「あ!ご飯!」 
 シャムはようやく思い出したように一気に階段を駆け上がる。透明の管理部の事務所では女子職員の話を聞きながら高梨が快活に笑っている様が見える。笑顔でそれを横目にそのまま実働部隊事務所へとシャムは飛び込んだ。
「天津丼!」 
「ああ、残ってるぞ」 
 要のがシャムのテーブルの袖机に置かれた岡持ちを指差す。シャムはすばやくそこから天津丼を取り出して自分の机に置いた。
「慌ててこぼすんじゃねーぞ」 
 モニターに隠れて見えないランの言葉に苦笑いを浮かべながらシャムはラップをはがす。少しばかり冷えてしまったその表面にシャムはがっかりしたような顔をした。
「冷えるまで帰ってこないほうが悪いよな」 
 手にした固形携帯食を口に運びながら天井を見上げている吉田。そんな彼に舌を出すとそのままシャムは割り箸を手に取り天津丼に突き立てた。
「そう言えば吉田少佐、来月の節分の時に上映する自主映画の編集ですが……」 
 誠は暇そうに缶コーヒーを啜りながら天井を見上げたまま微動だにしない吉田に声をかける。声をかけられてもしばらく吉田は口に咥えた固形食を上下させながら聞いているのかどうかわからない様子でじっとしていた。
「あの……」 
「しばらく待てよ。その筋の知り合いにいろいろ助言してもらっているところだよ」 
 固形食を一気に飲み込んで前を向いた吉田の言葉に感心したように誠はうなづいた。シャムはそれを横目に見ながらいつもよりおとなしく天津丼を口に運んでいた。

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