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遼州戦記 保安隊日乗 番外編2 ナンバルゲニア・シャムラードの日常34

「どう?」 
 シャムはベンチに座って黙り込む要に声をかけた。
「どうって……言われてもな」 
 難しい表情の要は腕組みしたまま微動だにしない。シャムは要から話しを聞くのを諦めるとヘルメットを被りバットを持ってバッターボックスに向かった。
 いつものようにスイング。きわめて短く持つバットはいつもどおり素直に軌道を描く。
「よし!」 
 自分に気合を入れるとそのままバッターボックスに入った。そしてマウンドの上の誠を見つめる。
 特に変わった様子は無かった。あえて言えば最近のおびえたような表情はそこには微塵も無い。
「本気で行くからね!」 
 シャムはそう言うとあることを考えていた。
『セフティーバントだな』 
 ヤコブは中間守備。アイシャはやはりシャムの考えを読んでいる様で少し前に守っている。とりあえずヤコブの前に転がせばあのゆったりとした動きの誠のベースカバーが間に合うわけが無い。ゆったりと誠がモーションを起こした。シャムはすっかり決める気でバントの体勢に入った。しかしそこでシャムの予想していないことが起きた。
 中間守備だったヤコブが一気に前に出てきた。アイシャも飛び出してくる。そしてサラがすばやくファーストに走っている。
『なに!このシフト!』 
 驚いたシャムの出したバットは空を切る。
「ストライーク」 
 明石の声が響く。シャムは驚いて岡部に目をやった。してやったりの表情の岡部。
「ナンバルゲニア。やで」 
 呆れたような明石の言葉。
 思えばカウラに投げていたときより誠の動作が俊敏になっているのがわかる。
『ははーん。さっきカウラちゃんを打ちとってすっかり気分が良くなったんだ』 
 シャムはうれしくもあるがチームでの打率一位のプライドが誠の球を打ち返して見せるという闘志を掻き立てた。
 マウンドの上。誠に先ほどまでのおどおどしたところは微塵も無い。
『さっきはカウラちゃんにはストレート系で一球も大きな変化球は使ってない。さっきもストレートかカットボール。そろそろ変化球を試してもおかしくないよね』 
 シャムはそう読んでストレート系は捨てて変化球、しかもカーブのタイミングでスイングすることを決めた。
 シャムはマウンドの上の誠を見上げた。
『笑ってるの?』 
 一瞬彼女はそう思った。よく見るとそうでもない。ただおびえた表情が無いだけでそう見えただけだった。ゆっくりとモーションを起こす誠。
 シャムは迷わない。左の腕が上がりばねのようにしなって右バッターボックスのシャムからは見難い位置から不意に現れるボール。
 いつもと変わらない。シャムはためてボールを引き付けることだけを考えている。
 球速は確かに変化球のそれ。タイミングよくシャムのバットが繰り出される。しかし、シャムの予想よりも落ちていくカーブの曲がりは急だった。
「ストライーク」 
 完全なボール球。シャムは空を切ったバットを見て呆然としていた。
「ずいぶん曲がるね」 
「いや、いつも通りですよ」 
 誠に球を投げ返す岡部の言葉。確かに球の軌道を思い描くといつもとさほど変わっていないような気がする。
「タコ君さあ……」 
「ワシはタコやない」 
 仏頂面で明石が答える。だがその口元は確かに笑っていた。
『追い込まれた……すぐ勝負?それは無いかな?でも今の誠ちゃんなら……』 
 今ひとつ考えがまとまらない。それを待つかのように誠はボールを見つめながらマウンドで立ち尽くしている。
『とにかくいつも通り……』 
 シャムは心に決めるとバットを構えた。誠は大きく息をすると岡部のサインに一発でうなづいて構える。
 またゆっくりとしたモーション。岡部の気配が離れていくのを感じてシャムは外角に山を張った。
 誠の左腕から放たれた球は大きく外角に外れて岡部の飛びついたミットに収まった。
「ボール」 
 それを見てシャムは大きく息をする。別に誠は変わったわけじゃない。昨日までの出ると滅多打ちの誠と同一人物なのは間違いない。
 マウンドの上の誠の表情が少し曇っている。
『これまでは制球がうまく行っていた。今のでかなり大きく乱れた。今度はいつもみたいに慎重に球を置いてくる。そこを打つ』 
 シャムは心に決めて岡部のサインに首を振る誠を見上げていた。
 サインが決まるとすぐに誠は顔を上げて長身を反り返らせる。シャムはそれを見ながらバットを思い切り握り締めた。
 静かに誠の投球動作が始まる。静かに、確実に動く姿は安定して見える。
 左腕がしなる、直球がしなやかな左腕から放たれた。
 シャムが気がつくと明らかに高めの球につられてバットが出ていた。
「ストライーク!バッターアウト!」 
 明石の声が無情に響いた。シャムはもう一度バットの軌道を確かめるようにスイングをするとそのまま要の待つベンチに走り出した。
「シャム、分かったか?」 
 要の言葉にシャムは首を振るしかなかった。別に打ち取られるのは珍しいことではない。シャムも都市対抗の初戦とかではどうして打てないのか分からない球に手を出して飛球を打ち上げることも珍しくない。
 だが、今の誠に喰らった三振は明らかにシャムの意に反したものだった。
「球速も変わらないし、別に変化球が良くなったわけでもないし……」 
「そりゃあ一時間や二時間話をした程度でそんなことが起きるならタコはプロのコーチに抜擢されてるよ」
 要もまた不思議そうに首をひねりながらサードから降りてくるアイシャを見つめていた。
「大体分かったわよ」 
 自信がみなぎるアイシャの言葉。シャムと要はアイシャの根拠の無い自信はいつものことなので相手しなかった。シャムはそのままグラブを手に取るとそのままセカンドに走る。
 慣れない内野守備が一球も球が飛んでこないで終わったカウラがホッとした表情でサードに走っている。
「アイシャは分かったって行ってたけど……」 
 ショートのポジションで先ほど要に見た不思議そうな表情のサラが首をひねっていた。シャムもまた理解できないものを見る視線でマウンドの上の誠に目をやった。
 ロージンバックを手に取りじっと下を向いている誠。確かに明石に何か心構えを教わったらしい。シャムの想像で分かることはそれだけだった。
 元々大学時代は下部リーグながら圧倒的な成績で東都理科大学を4年で3部押し上げた実力派左腕である。肩を壊して球威は落ち、変化球の効果もプロに行けるレベルから落ちたと言うことで東和軍に入ったとはいえ、そこらの草野球や予選進出が絶望的な実業団チームのバッターが相手にできるレベルではないのはわかっている。
 それでも秋の大会以降。そんな実力差のあるはずのバッターに痛打される姿ばかりを晒してきた誠。だがそんな秋のスランプ状態の誠はマウンドにはいなかった。
 何度か素振りをした後、アイシャがゆっくりと右バッターボックスに入る。秋の大会ではスカウトが目を付けたと言う噂がマスコミに流れ、その美貌もあって寮や部隊前に記者がわんさと押し寄せる騒ぎになったのは記憶に新しい。
『ここで……真価が問われるね』 
 シャムはわくわくしながら岡部のサインに首を振る誠を眺めていた。


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